ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

男は弱く、女が強いのが自然である

古代の遺跡に、「今の若いものはだらしがない」と書かれていたものが発見され、結局、これは、いつの時代でも年配者の普遍的な思いなのではないかと言われたりした。
ところで、もう1つ、時代を問わずに言われ続けていると思われることがある。
それは、「男が弱くなってきた」「女が強くなってきた」だ。つまり、いつでも女が強く、男は弱かったのだ。
特に、日本は母系社会だったので、なおさらそうであると言われることもあるが、母系社会でなかった国なんてあるのかと思う。
日本に最初に降り立った神は、男神のイザナギと女神のイザナミであるが、地上で最初に誘いをかけたのはイザナミの方だったのだ。一応、これは良くないとされたが、事実はそうだったのである。アダムとイヴだって似たようなものだ。
今、肉食系女子とか、草食系男子などと言われるが、日本でも世界でも、スタートからそうで、実際は、ずっとそうだったのである。
そもそも、我が国の、天地を照らす、最高の日の神、天照大神は女神である。古事記や日本書紀以前からあったという説もある『ホツマツタエ』では、天照大神は、アマテルという男神で、勇猛で強くはあったが、優しく繊細な、女性的な神であったと思う。

男は強く、男が積極的に女に迫るというのも、多分、迷信か作り話だ。ただ、そんな構図がどこか面白いので、お話としては、そういった演出を好む傾向はあると思う。しかし、実際はそうではない。
漫画家の永井豪さんは、作品の中で、肉食系と言ってよい、積極的で精力旺盛なヒーローを好んで描いていたように思う。日本男児、かくあるべしといった感じだ。
いまだ主題歌がよく知られている、『マジンガーZ』の原作漫画で、ヒロインの美少女、弓さやかが、おじいさんが多い博士達に服を脱がされそうになっているところに、マジンガーZのパイロットで主人公の兜甲児が通りかかると、博士達が、「これには訳が・・・」と言い訳をする。いまなら、とんだセクハラ漫画だ。しかし、甲児は、「男が女を脱がせるのに訳なんかある訳ねーだろ!」と、妙な理解を示す。実は、博士達が新しく開発する新型ロボットをさやかの体形に似せるために写真を取るつもりだったようだ。いかにも、甲児が肉食系の男子のように描かれるが、甲児が写真を撮ることになって、さやかはあっさりヌードになるが、甲児が照れて水着の写真になるというおちだ。さやかは、全く平気だったのだ。
今も昔もそれが自然なのである。

『ルパン三世』でも、ルパンは峰不二子に積極的に迫っているように見えて、いつも不二子の言いなりである。また、ルパンはいい女に見境ない色キチガイに描かれることもあるが、実際は、作品中で、女をモノにしたことなど一度もないのだ。
ルパンは、『カリオストロの城』で、17歳の美少女クラリスに心から慕われるが、やはり、未練を感じながら、あっさり立ち去る。
ルパン三世のおじいさんのルパン一世にも、そんなお話がある。『緑の目の令嬢』に登場する美少女オーレリィとのことだ。だが、ルパン一世も、やはり、孫と同じようなことをしたものだ。

「男は強いもの、積極的なもの」という幻想を持った男は、時として問題を起こす。それが不自然なことなので、制御が効かないのかもしれない。最近も、柔道のオリンピックチャピオンが馬鹿なことをやって世間を騒がせている。彼は、本当は良い人なのかもしれないが、周りも自分も、彼は強い男であるという奇妙な幻想を持っていたのだろう。たかだか1人の人間の肉体の強さがどれほどのものだろう。
昔の漫画やアニメでは、忍者ものやスポーツ根性ものの作品で、1人の人間の鍛え上げた身体やその能力を壮大に描き、流行にもなったが、その後、『美少女戦士セーラームーン』や『新世紀エヴァンゲリオン』では、鍛錬という言葉と縁のなさそうな少年少女が、何の努力もなく、一瞬で巨大な力を得てしまう。ただ、それだけではなく、真の強さとは、破壊の力ではないのだということも描いた、見るべきところのある作品で、もう、当たり前のスポ根ものや忍者ものが復活することはないだろう。

人類の初めから、未来永劫、男は草食系で、女が肉食系なのが当たり前で自然なのではないだろうか?
自然な状態では、男は、あの柔道チャンピオンのような異常なことはしないものだ。これは、まだ信じられない人が多いかもしれないが、本当のことである。
女性が社会進出し、高い地位を占める割合の高い国ほど、良い社会を築いているものである。日本も、昔よりはマシになったが、まだまだだ。
そもそも、我が国では、昔は、男は働かないものだった。男は、ものぐさで、自分勝手で、精神的にもろく、実際は働くことに向いていない。仕事の出来る男なんて、案外に女性的なのではないかと思うのである。









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金持ちのふりをする方法

昔見た映画で、ある若い詐欺師が、彼のボスに、金持ちに見える方法を伝授されていたのが面白かった。本当の彼は、金持ちどころか貧民だった。
ホテルに到着した時の心構えとして、「荷物を自分で持つな」「部屋に案内されたら、まず部屋にケチをつけろ。『殺風景だな』とか。金持ちは文句が多い」などであった。
他にも、「プールを見て、はしゃぐな(見飽きているはずだから)」「海をぼーっと見るな(理由は忘れた)」などがあった。

本当かどうか知らないが、米国の大物俳優や大物ミュージシャンには、ホテルに宿泊する際、部屋の造りや内装に自分好みの注文を出す者がいるらしい。壁の色やカーテンの色、家具や絨毯の好みから、シーツの端からステッチの幅も指定してくるということもあると聞いたことがある。工事が必要な改造を通達してくる者もいるとか。
まあ、本当かどうか知らないし、別にどうでもいいことだ。

ただ、どれも、本当に愚かだと笑えるものだ。
いや、慈悲深く、哀れむべきかもしれない。
そんな馬鹿げた性質にとりつかれてしまった者には、間違いなく悲惨が待っているからだ。人類史上、いまだかつて、例外は1つも無い。
そういったことをする大物達は、家庭で大きな問題を抱え、友に裏切られ、離婚して多額の慰謝料を請求され、健康を損ない、麻薬に手を出し、事業に失敗し、人生に疲れ果て、悔恨と屈辱の中で死んでいく。周りの誰も、彼らのために、本当の幸福について教えてあげることができない。

なぜそうなるかというと、そういった自然に反したことは、個人の心がつながっている、永遠の心を傷付けることになるからだ。
その永遠の心を神と言うなら、それは、神の望むことではない。

江戸末期の神道家、黒住宗忠は、自分の心の本体である、天照大神の心を傷付けることを何より恐れた。怒ったり、悲しんだり、欲をかいたりはもちろん、恐れたり、驚いた時すら、神の心を傷付けたことを反省した。
人類の中で、神の心に最も近い心でいた1人がイエス・キリストだとすれば、イエスが、どうするか考えればいい。
イエスが、自分の荷物を決して自分で持たないだろうか?
イエスが、宿泊する部屋に案内されて、「殺風景だ」と言うだろうか?
イエスが、ホテルの部屋の壁の色はブルーでないといけないと主張するだろうか?カーテンはピンクだと指定してくるだろうか?
米国の大物達もキリスト教徒のはずだが、おかしなものである。
イエスも釈迦も、別に難しいことを教えたのではない。ただ、大きな理に従えと言っただけだ。ただ、当たり前をやれということだ。
禅語にも、「朝御飯は食べたかね?」「はい」「では、食器を洗いなさい」というだけの短いものがあるが、この話にあれこれ難しい解釈をする「禅の専門家」がいるらしい。しかし、これを当たり前に受け入れれば、悟りすら開けるのである。









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凶悪犯罪を起こさせないために

最近起こった、2つの犯罪事件を考えよう。
1つは、16歳の定時制高校に通う男子生徒が、女子小学生や女子中学生をナイフで襲って怪我をさせたこと。
もう1つは、オリンピック2大会連続の柔道の金メダリストがセクハラや婦女暴行をした疑いがかけられていることだ。

1つ目の高校生男子の凶悪事件であるが、彼はおそらく、毎日辛い日を送っていたのだと思う。
では、どうしたら、彼にあのような犯罪を犯させずに済んだか?また、このような犯罪を防げるか?
これについて、テレビでは、防犯の方法やら、今回の男子生徒の行動の分析やらをしていたが、そんなことをしたところで犯罪が起こるのを防げるはずがない。
方法は1つだ。皆が人に親切にすることだ。この男子生徒にしたって、親切にしてくれる人がいたら、こんなことをすることはなかったのだ。
なぜ、こういう発想にならないのだろう?
他に方法は1つも無いのである。

2つ目の柔道金メダリストの犯罪(確定ではないかもしれないが)について、「衝撃」だの、「期待や信頼を裏切られた」だの、変なことを言う者が多い。
なぜ、金メダリストが悪いことをしないと思うのだろう?
私は、金メダリストだからとか、高名なスポーツ選手だからといったことでの意外性など全く感じない。
むしろ、そんな理由で驚く人達に呆れている。
自分の欲のため、そして、多くの人の汚れた思惑のために全精力を費やしてきたのだ。心が抑圧され、逸脱するのはむしろ当然であり、こうなる前に、心のケアをするよう、回りの人が気を付けてあげればよかった。それを、彼の身近な関係者まで、「裏切られた」だの「残念だの」と言ってるようでは、本当にそれが残念だ。
犯罪に走らないまでも、醜い争いに身を投じている、特に、表向きはアマチュアのトップアスリート達の心は捻じ曲げられている。壊れるまでに、早く引退して、本当の自分を始めるべきなのだ。
私が通っていた高校は、あるスポーツでは名門と言われる学校で、その部員達と身近に接したが、彼らは、精神的には、他の生徒達よりはるかに劣っていた。そうなるのが当然だと、高校生の私でも理解できたものである。









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欲しいものと合体すれば、それを得られる

何かを手に入れたいなら、そのものと合体すれば良いと言われることがある。
リンゴが欲しければリンゴと、お金が欲しければ、お金と合体する。
そして、宇宙が欲しければ、宇宙と合体するのである。
それにはどうすれば良いかというと、邪魔になるもの、つまり、欲しいものから引き離しているものを取り去るのである。
そして、欲しいものから引き離しているものとは、いつだって想念である。
結論として、想念を捨てれば良い。
これは、古今東西のいかなる分野の賢人達にも一致する意見である。
大発明家の中山正和さんは、瞑想を薦めたが、瞑想中に浮かぶあらゆる想念を切れと言った。具体的にどう切るかは、いろいろ言っていたが、簡単なのは、般若心経の最後の呪文に尽きるということと思う。
サンスクリット語で「ガテーガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディスヴァーハー」。
中国語で「ギャテイギャテイ、ハラギャテイ、ハラソウギャテイ、ボジソワカ」。
ラマナ・マハルシは、「いかなる想念が起こっても、その度、『この想いは誰に起こったのか?』と問え。答えは『私』に決まっている。そこで、『私は誰か?』と問え。すると、想念は消える」と言ったが、これは難しい。結局、マハルシは、自分に向かって、常に、「私」と呼びかければ良いと言った。つまるところ、想念が消えれば良いのだ。「私」は、あらゆる想念の源であるから、そこに意識を引き戻せば、想念は消えるのである。
ニサルガダッタ・マハラジは、「存在する」という感覚にしがみつけと言う。なぜなら、人が唯一確信できることは、「私は存在する」ということだけだからだ。だが、これも難しい。これも、マハラジは、「私は存在する」という言葉を想えば良いと言ったのだと思う。「私は存在する」が最上のマントラ(呪文)なのだと言う。尚、ラマナ・マハルシによれば、最上の呪文は、先ほどの「私」であり、聖音「オーム」ですら2番目であると言う。
英語で最も尊い言葉は“I AM”であると断言する聖者も多いが、これは、「私は存在する」という意味でもあり、そもそもが、「私は神である」という意味なのだそうだ。

江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、常祓い(じょうはらい)と言って、常に怠り無く、念を祓うよう教えた。善い念、悪い念など、関係ない。どんな念も祓うのだ。そうやって、「私」が無くなれば、本当の「私」に至る。それが、人から日月(ひと)になることである。

・・・みんな美しいが、難しい。
世俗の仕事に忙しく、煩いごとが多い上にアホな庶民に、難しいことができるものか。
そこで、法然は、ただ、「南無阿弥陀仏」と唱えよと言ったのであり、そして、それで十分なのだ。法然自身も、私はこれ(念仏)以外、何もしないと言い、そう遺言したのである。
「南無阿弥陀仏」とは、至高の存在である阿弥陀如来を心から信頼し、全てお任せしますという意味だ。決して、葬式の言葉ではない。『ルパン三世 カリオストロの城』で、銭形警部が、白骨化した死体に「なんまいだぶ」と念仏を唱えていたが、別にそれが間違いではないし、むしろ良いのだが、こんなことだけに使うものではないのである。
キリスト教徒は、「アーメン」という言葉をよく使うし、イエス自身もそう言ったのだが、これも、実に尊い言葉で、想念を祓うものである。意味は「私自身は何もありません。つまり無です。全てはあなた(神)が起こすことです。全て、あなた(神)の意志のままに。私はあなたを信頼し、従います」といったようなものである。
慈愛を持った先人達が残してくれたこれらの言葉を使って、想念を祓うのが私には良いと感じる。
黒住宗忠は、念を払いきれば、宇宙は心の中にあると言った。つまり、宇宙と合体したのであり、自分が宇宙なのである。









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全力全開が奇跡を起こす

川内優輝さんという、公務員として忙しい仕事をこなしながら、陸上の長距離ランナーとして優れた実績をあげ、ついに、ロンドン五輪のマラソン代表の有力候補にまでなってしまった人がいる。
川内さんの練習時間や練習方法、練習環境等は、今の時代、プロ・ランナーと言って良い、企業の看板ランナー達と比べ、非常に劣っているが、川内さんは、そんなプロに勝ち続けている。
それはなぜだろう?川内さんが余程の天才なのだろうか?
もちろん、才能はあるのだろうが、それが主な理由ではないと思う。

以前、12歳くらいの天才ピアニストの少女がテレビで取り上げられているのを見たことがあるが、彼女は、1日1時間くらいしか練習しないということで、ピアノに詳しい人々を驚かせた。
たとえ天才級の素質があっても、一流ピアニストになるには、少なくとも1日5時間以上の練習をするというのが常識で、8時間以上というのも珍しくは無いと思う。
川内さんや、この少女は、人間の新しい可能性というものを感じさせてくれると思う。

川内さんの特徴を一言で言えば、「全力全開」というものだ。走り終わった後は、必ず昏睡状態に陥るまで力を出し切る。
体質や神経の異常で、痛みや苦しみを感じないという人間は確かにいるのだが、川内さんは、苦しさはちゃんと感じているようだ。だが、彼は、その苦しさを押して、全力全開で走り切ることに快感を感じるようである。
つまり、それが喜びなのだ。人は、喜びを感じることに、最大の力を注ぐ。それは、内なる衝動と言い換えても良い。
英国の作家コリン・ウィルソンは、いかなる天才と言っても、それは内なる衝動の問題なのだと言ったが、まさにその通りだろう。
ウィルソンは、次のような話を引用する。
世界的な心理学者アブラハム・マズローが扱った事例で、極めて頭脳明晰な女性が、大学卒業後、企業の要職に付き、収入も良かったのだが、彼女は精神を病み、身体にも異常をきたす。マズローは、この女性が、本当は、大学院に進んで研究を続けたがっているのだと見抜く。だが、彼女は、家庭の経済的な事情でそれができなかったのだ。彼女は、全力全開で取り組める状況を求めていたのだ。マズローのアドバイスにより、彼女は働きながら勉強を続けられるような工夫をすることで、心身の健康を回復した。

人にとっての幸福とは、富や栄光ではない。全力全開で取り組めるものを持つことだ。
誰かが、「幸福とは夢中になることだ」と言ったが、それはある意味正しい。
だが、心も身体も全力全開になれる夢中でなければ意味がない。
暗い影を残した夢中の中には魔がいるものだ。著名な文豪が、「人にとっての最大の快楽は、復讐を果たすこと」と言ったが、それは快楽であると同時に苦痛であり、滅びへの道なのだ。
そして、本当の全力全開の中には、自己はいない。考えていたら、全力全開にはなれない。

上で、12歳のピアノの天才少女は、1日1時間しか練習をしないと言ったが、もっと上がいる。政木和三さんは、生まれてから一度も練習をしたことすらなかったが、世界的ピアニストが絶賛する腕前でピアノを演奏した。
政木さんは、自分で作った曲を自分でピアノ演奏したCDも出したが、収録の時、少しだが、「上手く演奏しよう」と思ってしまったと反省したというお話を、ご本人から聞いたことがある。その分、少し演奏の質が落ちたらしい。
そのCDのカップリング曲は、政木さんが作った歌を、中国の天才音楽家ウー・ルーチンが歌ったものだ。ウー・ルーチンは、中国の古典楽器、京胡(ビンイン)の最高の名手としても知られるが、彼は、少年の頃、自主的に1日12時間練習したらしい。これもまた、夢中の全力全開である。

私にとっての、「全力全開」は、『魔法少女リリカルなのは』で、なのはがよく使った言葉としての印象が強い。なのはは、敵ながら、心惹かれる魔導師の少女、フェイトを救うため、フェイトと全力全開の一騎討ちに挑み、フェイトも、なのはの全力全開に応えた。2人の全力全開が、世界を変えたのである。フェイト役の声優で、トップアーチストの水樹奈々さんもよく「全力全開」という言葉を使うようだが、きっとフェイトと一体化したのだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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