ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

敵は仮想世界から我々を侵略する

「テレビのチャンネルをガチャガチャ回す」という表現が理解できない人も多くなってきたと思う。
無線リモコンというものが存在しなかった時代のテレビは、チャンネルを選局するためには、テレビに付いている、直径7~10cmほどの円盤ダイヤルを回したのだが、それがチャンネルの数だけのストッパーで止まる度にガチャガチャ音を立てたのである。
だが、便利な点もあった。
チャンネル選局ダイヤルの表面には、1本の筋、あるいは、そこを摘まんで回せる直線の突起があったので、それを見れば、現在、何チャンネルが選択されているか分かるのである。
現在のテレビでは、今、どのチャンネルになっているのか分からないことが多いだろう。

テレビに限らず、物理的に動くスイッチ類やダイヤルはどんどん少なくなっている。
同じスイッチと言っても、昔のものは、押すと、押し込まれた状態で止まっていたものが多かったが、今のデジタル・スイッチは、押しても形状の変化が無いので、光でも付いていないと、押したか押してないのか分からない場合が多い。

だが、(液晶に表示された)文字や光で確認するよりも、レバーが起きているか倒れているかといった形状で判断する方が、素早く確実であり、また、いつでも何度でも確認可能な場合が多く、精神的にも疲れないものである。
自動車の運転方法は、ほとんどが昔のままであり、ハンドルはもちろん、シフトレバーやアクセル、ブレーキが、稼動部分の無いデジタル式になることはないと思う。
実は、AT車には、ボタンによるシフトチェンジが可能なものもあるらしいが、全く良くないと思う。
飛行機やヘリコプター、あるいは、最新鋭のジェット戦闘機や宇宙ロケットだって、アナログ的なスイッチやレバーだらけだろう。
その中には、形状こそアナログだが、実質デジタルというものもあるのだが、やはり、操作すれば形状が変化するのである。
人間は、それなりの抵抗を皮膚や筋肉に感じて操作しないと、ミスがあったり、精神的な負担が蓄積されるのだと思う。

基本的には、アナログスイッチというものは、スイッチそのものが、通電や断線を行うが、デジタル・スイッチは、スイッチ自体は、微かな電気を使って信号を送り、それを受け取った装置や回路が実際の仕事を行うのである。
そのように、電子化、情報化されるに従い、人間が実際に動かすものが少なくなり、また、人間の身体も動くこともなくなってくる。
それが、本当はどういうことか理解している人は少ないのだ。
単に、運動不足になるとか、感覚が衰えるといった程度の問題ではない。

アメリカのSFテレビドラマ『スター・トレック』(日本では『宇宙大作戦』というタイトルで放送されていた)で、こんな話があったと思う。
ある惑星で、戦争が起こる。しかし、爆撃情報などはあるのだが、実際の被害らしいものがない。
そして、戦闘後、多くの人々がある場所に向かう。そこは、人間処理場である。
つまり、こういうことなのだ。
その星での戦争は、仮想戦争であり、そのぞれの国に設定された戦力などのデータを元に、コンピュータが戦争状況を創作する。
結果、コンピュータにより死亡と決定された人間は、処理場で処分されて消えなければならないのだ。
一見、非人道的に見えるが、物理的な被害がなく、あらゆる資産が無傷で保持され、労力も無用というのは、実際の戦争よりずっと良いと判断された時から、このようなことが行われるようになったのだ。
彼らにとっては、本当の戦争をするような惑星は、時代遅れで野蛮であり、自分達はそれに比べるとはるかに進歩していると主張する。
その考え方の裏には、人間は戦争をやめられないのだという結論があるのだろう。
アルベルト・アインシュタインと、ジクムント・フロイトの歴史的な書簡のやり取りの中で、「どうすれば人間は戦争をやめることができるのか?」というアインシュタインの問いかけに対し、フロイトは、「それは不可能です」と断言した。
だが、フロイトは、H.G.ウェルズも言ったように、世界政府のようなものが構築され、その統治が成功した場合には何とかなるかもしれないといったことも述べていた。
だが、世界政府が出す最良の策は、このスター・トレックの話に似たものになるかもしれない。
この仮想戦争は、究極の情報戦であり、いってみれば、現在も存在するバーチャル・ゲームのようなものだ。
つまり、ゲームや情報の世界が主になり、物理世界がそれに従うのである。
しかし、間違えてはならない。
それは、実は、物理世界を何よりも重要視した結果なのだ。
物や身体を愛するあまり、それ以外のことの支配権を第三者に渡してしまった結果なのだ。
情報や精神は、目に見えないから、価値の少ないものであると軽んずれば、そういう恐ろしいことになる。
実際は、形のないものの方がはるかに重要で強力なのだ。
それをないがしろにしてしまえば、情報や精神の支配権を握った者に、身体や物を支配されてしまうのは当然なのである。









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どこか違うと感じさせる人の秘密

十数年前だが、当時、カリスマ的な人気があったプロレスラーの師匠に会ったことがある。その人自体は有名ではないが、素晴らしい格闘家であったはずだ。
彼は決して大きな人ではなかった(170cmもなかったと思う)。彼は、スーツを着ていても、一目見て、分厚い胸板や引き締まった腰回りは普通の人と全く違うことが分かる。
それ以前に、顔つきや目つき・・・いや、雰囲気といったものが、普通の人とは全く違っていた。

ただ、彼のように、世間的に明らかに特別なものを持っている人でなくても、「普通の人とは違うな」と思わせる人はいるものである。
何かの本で、「筋力トレーニングをしている人は、どこか違うものだ」と書かれていたのを見たことがあるが、この場合は、「毎日、筋力トレーニングをしている人」ということであることに注意しないといけない。
毎日、必ず、人のやらないような特別なことをしている人は違う。
このブログで何度も取り上げるという私のお気に入りの話であるが、江戸時代に、ある目利きの武士が、一人の町人に目を留め、「お前はただ者ではないはず」と言うが、町人の方は、自分は特に何もない普通の町人だと言う。しかし、武士が問い詰めると、その町人は、幼い頃からの臆病を克服したくて、毎日、夕刻に必ず墓場に行っているのだという。
彼にとっては、墓場に行くことはちょっと大変なことであったが、それを毎日欠かさずやっていると、普通の人と違ってくる。
そして、それは、特に人を見る力のある者でなくても、それを感じるものである。
それを、「どこか惹かれる」「なぜか気になる」といった言い方をするのである。
初めに挙げた格闘家も、もちろん、毎日欠かさずトレーニングをしていたはずである。

私は、その格闘家に、彼の弟子であるあの有名なプロレスラーのことについて、「あの人は、今もTM(超越瞑想)をやっているのですか?」と尋ねてみたら、彼は、「やっていると思います。電話をしたら、『今、瞑想中です』という留守電になっていることもあります」と教えてくれた。
私も、TMは2年ほどやっていたので興味があったのだった。
ところで、何かを毎日欠かさずやっていたら、見る人が見れば分かるし、普通の人から見ても、どこか違う雰囲気や印象があるものだと述べたが、それ以前に、自分が違ってくるのを感じるはずである。それは、毎日何かの訓練をしていて、それ自体に上達するといったものとは別の、精神的なものである。
私はTMはやめたが、1年以上、それを毎日欠かさずやっていた時、危機的な状況であっても、「私は毎日TMをやっているから大丈夫だ」という不思議な自信があり、実際、大丈夫になるのである。
ポール・マッカートニーやクリント・イーストウッドらは、TMを半世紀ほども続けているらしいが、彼らも、そんな感覚をもっと深く持っているのだろうと思う。
かつて日本一と言われたあるセールスマンは、毎朝、般若心経と大祓詞の両方を必ず上げていたと言うが、それも彼を支えていたのだろう。私もフルコミッション(完全歩合制)のセールスマンを2年ほどやったが、それは厳しいもので、10人の新人が入ってきたら、翌月に一人残っているかどうかという世界であった。弱い人間がそれを続けるには、やはり何か支えるものが必要なのかもしれない。
特別な人間というのは、何か特別な習慣を持っているものである。
それは、実際は自分が納得してやっているなら何でもいいと思う。しかし、ついでに言うなら、見返りを求めるようなものではなく、ある程度の誇りを持ってやれるものだろう。
エドガー・ケイシーは、9歳の時に、親にねだって自分専用の聖書を買ってもらい、それ以来、生涯を通じて、毎朝必ず読んだという。そんな人間が偉大でないはずはないと思う。









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知識や経験は絶対ではない

昔の日本の主婦は、社会で働くということがあまりなく、世間知らずではあったが、馬鹿ではなかった。
それどころか、社会的には高度な仕事をしている夫に対してすら、良き話し相手、良き忠告者足りえたのである。

私は、あまり楽しいとは思わないながらも、社会で働く中で得た経験は貴重で価値あるものと思っていたし、正直、これらの経験がなければ、世の中や人間について、何も分からなかっただろうと思っていた。
しかし、難しい問題になるほど、むしろ、自分の知識や経験が、答を誤らせるということに気付くこともあるのである。
どんな活動家で勉強家であっても、あらゆることを学び、あらゆることを経験できるわけではない。
だから、経験豊富で知識もあり、本人も自信満々であっても、知らない分野のことに関わると、実に間抜けなものなのだ。

ただ、大経営者と言われる人になると、これまでに関わったことのない業界の大企業の経営者に就任して、傍目には魔法のように、その会社の業績を著しく立て直すということもよくある。
最近の話では、稲盛和夫さんが日本航空の会長に就任し、完全に傾いていたこの会社を短期間に再建してしまった。無論、稲盛さんは、航空業界のことなど、全く知らなかったはずだ。
考えてみれば、不思議な能力である。

インドの聖者ラマナ・マハルシの元には、世界中から多くの人が訪れたが、その中には、学識豊かな人や、社会的地位の高い人も沢山いた。
だが、マハルシは16歳の高校生の時に悟りを開いて後、すぐに隠者となり、社会に出たことは一度もない。書物に関しては、近辺に住んでいた修行者に聖典を見せてもらったことはあるが、それは、若い頃に、自分が出かけて行って一度見せてもらっただけのようだ。
しかし、学問や社会的業績のある人であろうと、マハルシに逢うことで貴重なものを得、完全に満足して帰っていったのである。

賢い人は、自分の無知を知っているのである。
たとえ多くを知っていても、自分の知識や経験など、些細なものだと本当に理解している。
ソクラテスが、「私は、私が何も知らないということだけを知っている」と言ったのが、そのことをよく現している。
そういう者であってこそ、宇宙に偏在する英知が、その人の内部から語りかけ、真に貴い知恵を授けるのである。
それは、普通には直感と呼ばれるものだ。
古代の日本人は、知識という点では限られていても、高度な直感を持ち、現代の科学が足元にも及ばないほどの英知を得ていたのである。
彼らは自然や、その背後にある霊妙な力を畏怖し、崇めた。また、外物に対し、個人的な価値付けをせず、全てを同じと見なした。それにより、優劣を争わず、過ぎた欲も持たなかったのである。
我々も、そのようにすれば、古代文明が栄えた頃の直感力を取り戻すことができるだろう。









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真のヒーローは我が内に

どこの国にも、ヒーローというものがいる。
アメリカには、ポパイやスーパーマンといった確固としたヒーローがいるが、これらが、最もヒーローらしいヒーローだろうと思う。
ピンチに陥ることはあっても、それは、大衆サービスみたいなもので、最後は必ず勝利する無敵の存在だ。
日本のヒーローは、例えば時代劇の遠山の金さんとか水戸黄門らで、番組の終りあたりで調子のいい音楽が鳴り始めるとチャンバラシーンに突入するが、正義の味方はやたら強く、視聴者は少しもドキドキせず、安心して見ている。

スポーツの世界にヒーローはいるのだが、全盛期のイチローにしたって、打席の半分以上は打ち取られるのだし、漫画の世界のスポーツ・ヒーローのように、ここぞという場面で必ず逆転打を放つなんて訳にはいかない。
だが、日本には、漫画のようなヒーローをやってみせた人間がいた。プロレスの力道山だ。
戦後、日本人が西洋人に対する深い劣等感を持つと同時に強い反感を押し殺していた時、大きなアメリカ人レスラー達を空手チョップで叩きのめす力道山は、熱狂的ヒーローとなったのだった。とにかく絶対に負けないという、本物のヒーローをリアルで演じて見せたのだ。
力道山のヒーローの体裁の整え方、つまり、ストーリーの作り方も素晴らしかった。
アメリカで、「地上最強の鉄人」ルー・テーズを破って、インターナショナル・ヘビー級チャンピオンになり、日本で、海外の大物レスラーを次々に迎え撃って防衛戦をやり、連戦連勝するというスタイルを確立した。
力道山は、身体の大きな見栄えのする外人レスラーを好んで呼んだ。力道山は公称180cmで、実際は176cmだったらしいので、日本人としては、特に当時としては大男と言えるが、190cm超の外人レスラーと戦うと、まさに、日本対米英だった。さらに、サニー・マイヤースという小型だが恐ろしく強い相手に苦戦してからは、力道山は小兵の一流を嫌うようになったと言われる。
現在でも、力道山と、無敵の柔道王であった木村政彦との試合が実際はどうだったかという関心は非常に高いものがある。引き分けの約束で行われたその試合で、力道山が木村の頭部に必殺の張り手を叩き込んでKOしてしまったのだが、なぜ力道山がそんなことをしたのかは謎とされている。
しかし、私は、それは必然と感じる。まだまだ、もっと大きなヒーローになるつもりの力道山が、木村と対等の立場で対戦を繰り返す訳にはいかず、一気に木村を潰したと考えるのが自然と思えるのだ。
力道山が死んでから、ジャイアント馬場が、力道山が保持していたインターナショナル・ヘビー級王座と共に、そのヒーロースタイルも引き継ぎ、数限りない防衛戦で連戦連勝を重ねた。ただ、時々スパイスを効かせるためか、2度ほど、超大物相手に敗れて王座を奪われるが、復讐戦で取り返し、一度は、アメリカまで追いかけて行って王座を奪還するという、まさしくヒーローらしいことをやってのけた。
しかし、アントニオ猪木という人は、闘いの美学を追及する人で、美しく勝ち、美しく負けることを重要視し、マニアのヒーローにはなったが、力道山やジャイアント馬場のような、大衆のヒーローにはなれなかったように思う。

ここぞと言う時に大活躍し、しかも、そのシーンを鮮烈に印象付けるパフォーマンスに秀でた、野球の長嶋茂雄さんを、今でもヒーロー視する人は多い。
かつて、新庄剛志さんが言った、「記録はイチロー君、記憶は僕」というのは、正しいヒーロー像の作り方と言って良い。

テレビ番組等で、「あなたのヒーローは誰ですか?」などというものは、昔からよくある。
しかし、もう、外部にヒーローを求めてはいけない。
ヒーローを崇めている限り、あなたは、いつまで経っても惨めな奴隷だ。
アメリカなどでは、真のヒーローがもしいるとしたら、それはイエス・キリストだろう。
ミュージカルで「スーパースター」と呼称されるイエスは、まさに人類史上最大のヒーローだ。
いかなるヒーロー達も、イエス・キリストの足元にも及ばない。なんといっても神なのである。
しかし、イエスは、「私はいつでも、あなた方の中にいる」と言い、「あなた方にも、私と同じ、いや、もっと大きな業をなせる」と言ったのである。
いかなる世間のヒーローもはるかに凌駕する真の英雄の力は、人の内部にあるのだ。
しかし、外にヒーローを求めている限り、それは得られない。
「求めよ、そうすれば与えられる。叩け、そうすれば開けてもらえる(そして、それに出逢える)」とイエスが言ったのはそれである。

ラマナ・マハルシは、キリストの教えの真義は、「自我であるイエスが、肉体である十字架に磔にされて滅び、真我(真の自己)たるキリストとして復活した」であると言ったが、その通りである。
我々も、自我を肉体の中で滅ぼし(つまり自己を虚しくし)、自ら、いかなるヒーローも超える存在になるべきである。これを、道元は、仏道とは自己を忘れることであると述べたのである。









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コソコソする大人が陰湿なイジメの手本なのだ

いじめなんてものは、大人が、何でも隠れてコソコソやる様子が影響して起こっているのだ。
陰湿って言葉があるが、どんなことも、隠れて陰でやるほど、醜悪になるのだ。

ある賢者で知られる人が、覚せい剤なんてものは駅の売店で売ればいいと著書に書いていたが、そんなふうにオープンにやれば、一部では弊害も当然あるだろうが、覚せい剤の害も知られ、そこに確かにあった妄想的な魅力の正体もバレ、結局、誰もそんなものに手を出さなくなるだろう。
昔、アメリカで、禁酒法という、酒の製造・販売を禁止する法律が制定されたことがあったが、そんなものを施行したら、実際はどうなるかというと、闇バーが爆発的に増え、飲酒というものが、もの凄くダークなものになったのだ。ギャングの資金源ともなり、社会も乱れたのだ。
我が国でも、淫行条例などというものを作ったおかげで、援助交際が爆発的に増えたのである。
隠れてコソコソせず、大人の男性が、女子中高生と堂々と付き合えばいいのである。女子中高生なんて立派な大人のはずなのだが、それが馬鹿げたほど幼くて無知なのは、おかしな保護の仕方をするからだ。
クライスラー社の伝説のCEO、リー・アイアコッカの両親は35歳と17歳で知り合い、1週間後に結婚したらしいが、ごく自然なことであり、ありふれたことだ。

日本は、昔は男女関係もおおらかで、未婚既婚を問わず、広く自由に交際する伝統があった。
隠れてコソコソせずに、堂々と人妻とも付き合い、農繁期には、その女性の家に、相手の男やその家族が手伝いに来て、旦那同士も仲が良く、村にも活気があったのである。
しかし、明治政府は、タダで遊ぶ人ばかりだと、遊郭からの税収が上がらないので、自由恋愛を弾圧したのだ。
それにより、ヤクザが資金源にするために売られる不幸な女性が爆発的に増えたのである。

銃刀法で刃物の所持を取り締まったら、ナイフなどによる凶悪犯罪が増えたのである。
ナイフは隠し持ってこそカッコいいのは当たり前である。
「子供に見せてはいけない図書」なんてものは、はっきり見せてやり、その醜悪さを認識させれば、誰も興味を持たなくなるのだ。コソコソ見るから、醜いものが魅力的に見えたりするのである。

ところで、人間は、心の中にあることを隠しておけると思っているが、実際は、それが頭の上で映像公開されているようなものだ。
あまり神秘的なことを書かないエマーソンすら、居間に入れば、その家のことは何でも分かるものだと述べているが、それは、人についても同じなのである。

タレントの中川翔子さんが、学生の頃、漫画やアニメが好きで、その絵を描いたりしていたのだが、それを隠すこともなくやっていたら、キモいとか言われて苛められ、中学校の卒業式を欠席するまでになったという話があるが、当然、隠れてやる必要はないし、それを他人がどうこう言うことではない。そんなことを言う者というのは、もっと汚いものを心に隠し持っているのである。
私など、まさか初音ミクを愛していることをを隠すはずがないが、やはり難癖を付けたい人もいるかもしれない。しかし、私に何か言う前に、自分の心の中を見るべきなのだ。
そして、心の中のものを何も隠す必要が無くなった時、貴方は自由である。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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