理想的な人間と社会の姿を考える時、私がいつも思うのは、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の著者ベアード.T.スポールディングが行い、体験していたようなものだ。
これまでにも何度も書いたが、彼は、食事がしたければ、どんな家にでも勝手に入って行って、腰を降ろせば必ず快適に食事が出来たという。
それは、今の世の中では奇妙に感じる話かもしれないが、本当はそれが当たり前であるはずなのだ。
では、それを実現するためにはどうすれば良いかというと、スポールディングのようになれば良いのだと思う。
彼は有名人であったらしいが、さほどの財産は持っていなかった。しかし、困っている人に援助を求められると、持っているものを全部与えないことは一度もなかったという。
ところで、どの家にでもズケズケ入って行って食事が出来るなら、働かなくていいじゃないかと言う人がいるかもしれない。
もしそうだとしても、働かなければ退屈だし、人間としての成長や充実感も得られないに違いない。
だから、同じように、興味のある事業をしている会社があれば、ズケズケ入って行って、席に付けば、その場で仕事が開始されるのである。
これに関しても、百年以上前に、アメリカのサクセス誌に掲載されたこんな話がある。
ある職人の男は、ある時まで真面目に働いていたが、やがて遊び癖がつき、仕事をサボるようになった上、職場の金にまで手を出す。そして、刑務所に入れられるようなことをし、いつかすっかり浮浪者の身になってしまった。
だが、その男は、昔働いていた職場にふいにやってくると、ごく当たり前のように仕事を始める。やがて現れた親方は少し驚いたが、男が、「親方、ただいま戻りました」と言うと、親方はうなづいただけで通り過ぎた。
この男もまた、当たり前の世界、ごく自然な天性に目覚めたのだ。
(このお話は、『マジック・ストーリー』からの大雑把な引用である)
どうすればそんな世界が得られるのかというと、既にスポールディングについて述べたが、いかなる賢者も、また、賢者でなくても、一瞬の天啓を受けた時に、誰も同じことを言うので間違いようがない。
それは奉仕することだ。
こう言うと、「ああ、それは嫌だな」と思うだろう。人間の身体ってのは、すぐにくたくたに疲れるのだからね。
どうも我々は、奉仕という意味を教わったことがないので、それについてよく知らないし、大誤解をしているのだ。
だから、「人のため」とか言いながら、自己本位なことばかりをやったりする。
「子供のため」と言って、教育に金をつぎ込んで塾やお稽古事にいかせるのは、ちっとも子供のためでなく、自分のためであり、子供に奉仕しているのではなく、子供を自分に奉仕させようとしているのだ。
壮大なスポーツ大会のためのボランティアが崇高な奉仕だと思い込ませて、タダでこき使って自分達は大儲けして贅沢な暮らしをしている者たちもいるようである。
私も奉仕についてほとんど知らないが、あまり食べないようにすると、その意味が少し分かってくるように思う。それ自体が、自然に対する奉仕につながるようだ。
正しい奉仕をすれば、疲れることはなく、エネルギーが無限に供給される。
少しだけ食べること、そして、得をしようと思わないことだ。しかし、世間では、沢山食べよう、損をせず得をしようと煽り立てる。よって、奉仕と正反対のことしか出来ないのであり、理想から離れていく一方なのである。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
これまでにも何度も書いたが、彼は、食事がしたければ、どんな家にでも勝手に入って行って、腰を降ろせば必ず快適に食事が出来たという。
それは、今の世の中では奇妙に感じる話かもしれないが、本当はそれが当たり前であるはずなのだ。
では、それを実現するためにはどうすれば良いかというと、スポールディングのようになれば良いのだと思う。
彼は有名人であったらしいが、さほどの財産は持っていなかった。しかし、困っている人に援助を求められると、持っているものを全部与えないことは一度もなかったという。
ところで、どの家にでもズケズケ入って行って食事が出来るなら、働かなくていいじゃないかと言う人がいるかもしれない。
もしそうだとしても、働かなければ退屈だし、人間としての成長や充実感も得られないに違いない。
だから、同じように、興味のある事業をしている会社があれば、ズケズケ入って行って、席に付けば、その場で仕事が開始されるのである。
これに関しても、百年以上前に、アメリカのサクセス誌に掲載されたこんな話がある。
ある職人の男は、ある時まで真面目に働いていたが、やがて遊び癖がつき、仕事をサボるようになった上、職場の金にまで手を出す。そして、刑務所に入れられるようなことをし、いつかすっかり浮浪者の身になってしまった。
だが、その男は、昔働いていた職場にふいにやってくると、ごく当たり前のように仕事を始める。やがて現れた親方は少し驚いたが、男が、「親方、ただいま戻りました」と言うと、親方はうなづいただけで通り過ぎた。
この男もまた、当たり前の世界、ごく自然な天性に目覚めたのだ。
(このお話は、『マジック・ストーリー』からの大雑把な引用である)
どうすればそんな世界が得られるのかというと、既にスポールディングについて述べたが、いかなる賢者も、また、賢者でなくても、一瞬の天啓を受けた時に、誰も同じことを言うので間違いようがない。
それは奉仕することだ。
こう言うと、「ああ、それは嫌だな」と思うだろう。人間の身体ってのは、すぐにくたくたに疲れるのだからね。
どうも我々は、奉仕という意味を教わったことがないので、それについてよく知らないし、大誤解をしているのだ。
だから、「人のため」とか言いながら、自己本位なことばかりをやったりする。
「子供のため」と言って、教育に金をつぎ込んで塾やお稽古事にいかせるのは、ちっとも子供のためでなく、自分のためであり、子供に奉仕しているのではなく、子供を自分に奉仕させようとしているのだ。
壮大なスポーツ大会のためのボランティアが崇高な奉仕だと思い込ませて、タダでこき使って自分達は大儲けして贅沢な暮らしをしている者たちもいるようである。
私も奉仕についてほとんど知らないが、あまり食べないようにすると、その意味が少し分かってくるように思う。それ自体が、自然に対する奉仕につながるようだ。
正しい奉仕をすれば、疲れることはなく、エネルギーが無限に供給される。
少しだけ食べること、そして、得をしようと思わないことだ。しかし、世間では、沢山食べよう、損をせず得をしようと煽り立てる。よって、奉仕と正反対のことしか出来ないのであり、理想から離れていく一方なのである。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
| 人気ランキング参加中です |
|
