私は、このブログでよくご紹介する腕振り運動を10年以上続けていると思うが、これだけは無目的でやることにしている。
健康になるためとか、若返るため、運を良くするため、あるいは、摩訶不思議な能力を目覚めさせるためだとか、決して考えない。
腕振り運動を毎日やっている結果、重い病気になったり、人に騙されたり、裏切られたり、また、これ以上はないと思いたいが、もっと蔑み疎まれるようになるかもしれない。
腕振り運動というのは、得をするためにやるのではなく、どんな状況も受容できるようになるためにやるのだ。
私は、実際、昨年の9月に、乾癬という重い皮膚病になった。自然に治ることは決して無いと言われるものだし、ある段階を越えて進行すると2年以内に死ぬとも聞いた。そして、指の関節にまで及んでいたので、その危ない段階まで後少しだったかもしれない。その頃は、服を脱ぐと、身体から剥離した皮膚で、決して誇張ではなく、床が白くなった。
恐ろしい痒みといった辛さに耐えられず、自殺した人だっている。
腕振り運動は続けていたが、病状が改善する様子もない。しかし、病気を受け入れたら、治るはずのないものが、あっさり治ってしまった。
メニエール氏病で立つことも出来なかった時、病院に連れていかれて点滴を打たれてしまったことがあった。だが、その後は、親が泣いて病院に行ってくれと懇願しても、二度と行かずにいたら、すぐに治ってしまった。これも自然治癒はあり得ない病気である。しかし、事実なのだ。
ただ、医療を拒否したら治ると言っているのではない。その結果、もっと悪くなっていたかもしれないのだ。
何があっても、「これが運命なのだ」と、創造主の意志を受け入れることが、腕振り運動によって心身に宇宙の法則を適用することなのだろうと思う。
優れた聖者だって、重い病気で苦しんだ人も少なくない。だが、彼らは、それを受け入れていたところが普通の人と異なるのだ。
人間的な欠点で、家族仲が良くなく、それどころか、妻や子に捨てられた聖者すらいるのだ。
もっと進歩した世界になれば、そういったことはなくなるのかもしれないが、今の時代では、病気になったり、苦悩することもまた、創造主への奉仕なのかもしれない。
だが、苦悩する自分というものが消えてしまえば、苦悩は存在できないであろう。
賢い人達は、自分を笑い、自分を蔑み、自分を軽蔑することを教えてきた。しかし、世間では、自分を尊重しろだの、君は貴いだのと言うのだ。
自尊心がある限り、自我は消えない。そして、苦しみは続く。だが、それで良いのである。苦しみとは受け入れるものである。
自分を笑い、狂うことを忘れない限り、不幸になることもまたない。私は、この世で最低の厄介者なのである。
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健康になるためとか、若返るため、運を良くするため、あるいは、摩訶不思議な能力を目覚めさせるためだとか、決して考えない。
腕振り運動を毎日やっている結果、重い病気になったり、人に騙されたり、裏切られたり、また、これ以上はないと思いたいが、もっと蔑み疎まれるようになるかもしれない。
腕振り運動というのは、得をするためにやるのではなく、どんな状況も受容できるようになるためにやるのだ。
私は、実際、昨年の9月に、乾癬という重い皮膚病になった。自然に治ることは決して無いと言われるものだし、ある段階を越えて進行すると2年以内に死ぬとも聞いた。そして、指の関節にまで及んでいたので、その危ない段階まで後少しだったかもしれない。その頃は、服を脱ぐと、身体から剥離した皮膚で、決して誇張ではなく、床が白くなった。
恐ろしい痒みといった辛さに耐えられず、自殺した人だっている。
腕振り運動は続けていたが、病状が改善する様子もない。しかし、病気を受け入れたら、治るはずのないものが、あっさり治ってしまった。
メニエール氏病で立つことも出来なかった時、病院に連れていかれて点滴を打たれてしまったことがあった。だが、その後は、親が泣いて病院に行ってくれと懇願しても、二度と行かずにいたら、すぐに治ってしまった。これも自然治癒はあり得ない病気である。しかし、事実なのだ。
ただ、医療を拒否したら治ると言っているのではない。その結果、もっと悪くなっていたかもしれないのだ。
何があっても、「これが運命なのだ」と、創造主の意志を受け入れることが、腕振り運動によって心身に宇宙の法則を適用することなのだろうと思う。
優れた聖者だって、重い病気で苦しんだ人も少なくない。だが、彼らは、それを受け入れていたところが普通の人と異なるのだ。
人間的な欠点で、家族仲が良くなく、それどころか、妻や子に捨てられた聖者すらいるのだ。
もっと進歩した世界になれば、そういったことはなくなるのかもしれないが、今の時代では、病気になったり、苦悩することもまた、創造主への奉仕なのかもしれない。
だが、苦悩する自分というものが消えてしまえば、苦悩は存在できないであろう。
賢い人達は、自分を笑い、自分を蔑み、自分を軽蔑することを教えてきた。しかし、世間では、自分を尊重しろだの、君は貴いだのと言うのだ。
自尊心がある限り、自我は消えない。そして、苦しみは続く。だが、それで良いのである。苦しみとは受け入れるものである。
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