ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

大切にする力

虫の大群は恐ろしいということを聞いたことがあると思う。
手塚治虫さんの「ミクロイドS」という漫画の中で、虫が大挙して都市を襲い、人々は抵抗する術もなく殺されていく。ところが、なぜか虫の群の中で平然としている人達がいる。彼らは、実に、生まれてから一度も虫を殺したことがないのだった。
これは、あくまで手塚治虫さんの空想であるのだが、素晴らしい発想であると思う。
画家の横尾忠則さんの「隠居宣言」という本に、これに似た印象深い本当の話がある。
一度も魚を食べたことがない男がいたのだが、彼が姿を見せると、魚が彼の方にすーっと寄っていくというのだ。
また、横尾さんはどこかの国でピラニアを釣りに行かされたことがあったが、釣り自慢の者達が全く釣れない中で、やりたくもなかったのに、無理に釣竿を握らされた横尾さんが簡単に、しかも、連続して釣り上げて驚かせたことがあったようだ。横尾さんは、少年時代、コブナ獲りに熱中したことがあるらしいが(「コブナ少年」という自伝を書かれている)、あくまで網で獲り、しかも、獲ったコブナを大事に飼っていたらしい。魚が可哀想で、釣り針を使う釣りが好きでないと言う。そんな横尾さんに、ピラニアも吸い寄せられたのかもしれないとか思ったものである。

有名な占い師の細木数子さんは大金持ちだが、ある時、テレビで、非常に印象深い話があった。彼女は、サイフの中のお札を、必ず全て、同じきちんとした方向に揃えて入れているらしい。それを見た人が驚くと、細木さんは、「当たり前じゃないの!(バラバラに入れると)お金に失礼じゃないですか」と憤慨した。これが、細木さんがお金に愛される理由ではないかと思う。もちろん、誰もが真似をしたら細木さんのようにお金持ちになれる訳でもなかろうが、極貧になることは免れるかもしれないと思う。
お金持ちは小さなつり銭も必ず受け取るものらしい。また、あるお金持ちは、金持ちになりたければ、毎日十円ずつ貯金しろと真面目に言ったそうだが、その真意が分かるような気がする。

野球選手の中でも傑出した存在であるイチロー選手や松井選手の話を注意深く聞いていると、彼らが、いかに野球道具を大切にするかが分かると思う。彼らだけでなく、一流の演奏家や職人は、楽器や工具を実に大切にするものであり、逆に、それらを大切にしない優れた演奏家や職人は絶対にいない。加えて、イチローは自分のボディを非常に大切にし、ストレッチを彼ほど丁寧に行う選手もいない。

真面目な女の子が、遊び人と分かっている男になぜか抗えずに惹かれてしまうということがよくある。
井上昌己さんの「アナザーフェイス」という歌を聴くと、その謎が分かるように思う。作詞は古賀勝哉さんという素晴らしい作詞家で、作曲は井上さん自身である。
「照明(あかり)をそっと消した部屋 わかっていたはずの私 くやしい 何気ない笑顔 それから 少しの優しさ」
「わかってる本当はあなたも 好きでいてくれること」
もてる遊び人というのは、心のどこかでは女性を大切にしているのだろう。それが女性に伝わるのではないかと思う。
逆にもてない男というのは、表面的には女性に優しくても、大切にしているのは自分だけなのだ。

「トイレの神様」という歌が話題になったが、トイレをピカピカにしたらべっぴんさんになるなんて当たり前のことだ。家の中でトイレほど、べっぴんさんを作るのに大切な場所はない。ところが、冷蔵庫しか大切にしないからべっぴんさんになれないのだ。

以上が、この世で成功する者の秘密の全てである。
簡単なようで、出来るようになるには時間も修行も必要だ。表面的な誤魔化しは効かず、本心が肝心だからだ。
しかし、それは、本当は楽しい修行であると思う。なぜなら、何かを大切にするとは、即ち、自己の本質を大切にすることなのだ。







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年賀状は見る必要もない

年賀状は、出す必要がないのはもちろんだが、来たものを見る必要も無いことに気付いたら、心が晴れ、子供の頃から抱えていた陰鬱さから解放された。
これは大発見だ。
靴下を履く必要がないことを発見したアインシュタインも、こんな感じだったのだろうかと思う。
(アインシュタインは、妻が穴の空いた靴下をいつも繕っているのを申し訳なく思って憂鬱だった。しかし、ある時、靴下がなくても平気であることに気付き、心が晴れたという)

年賀状が感謝の心だなんて大嘘もいいところだろう。そして、本当はみんな、そんなことはとっくに気付いているはずだと思う。
また、年賀状が日本の美しい文化だということも無い。元々は、年始の挨拶を書状で簡単に済ませようとした貴族や武士の間で流行り、それが郵便の登場により、庶民が形だけ真似した。そして、普及と共に、世間の信念や教義になったということはお分かりと思う。世間の教義や信念の実体は、権威主義と差別主義で、それは、個人の心の不安や生存の権利を失う恐怖を餌にして成長する。こういったことが理解出来れば、年賀状というものが、単に惰性的な習慣であるというだけでなく、人を不幸にする忌むべきものになりかねないことが分かるのではないかと思う。

こう言うと、「私は心を込めて書いている。それを見なくていいとはひどいではないか」と言う人もいると思う。
しかし、本当に自分が心を込めて書いたのなら、相手が見ようと見るまいと、どうでも良いではないか?
相手が見てくれて、感謝してくれ、それにより、自分を良く思ってくれたり、自分が義務を果たしたという安心感を得たいという下心があるから、相手が見ないとなると不快に感じたり、怒ったりするのだ。
本当に心を込めて書いたのなら、相手の本質にはちゃんと伝わるだろう。相手の本質とは即ち天であり、相手の個人の心に伝わるってことじゃあない。しかし、それで何か不都合があるだろうか?
本当に誰かに感謝している時、その人が住んでいる家の外で、その人に見られもせずに静かに頭を下げるものだと思う。
尊敬する人がいて、その人が忙しくしていたら、その後姿に向かって、黙って頭を下げるのではないかね?
あるいは、その人が死んでしまっている場合は、心を向ける対象としてのお墓などに、やはり真摯な礼をする気持ちが自然に起こるだろう。
さあ、ここまで言ったら、本当の感謝の気持ち、礼とは、相手に対し、何も期待しないし、すべきものでないことが分かると思う。
老子や荘子にも書かれているが、本当の真心が無くなると、それを形式だけ示して、いかにもそれがあるように見せるのが、昔からの世間のやり方なのだよ。

出したければ、年賀状も出せば良い。
しかし、相手が見ないのが気に喰わないというのであれば、それは真心のない年賀状であり、貰う方も嫌だろうし、何より自分の心を穢すものだ。最初から出さない方が良いのではないだろうか?







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清浄な決心を

我々は、何かの節目に目標を立てたりする。そして、それを宣言したりする。
しかし、我々は今まで、真っ赤な嘘の宣言をさせられてきたはずだ。あるいは、本心でない宣言、押し付けられた宣言であった。
「受験合格」とか「売上3割向上」などといったものだ。

宣言とは本当は神聖なものだ。
画家の横尾忠則さんの「隠居宣言」という本を昨日読んでいたが、そこに、「宣言とは、過去との決別、自己埋葬、死と再生」とあるのを見て感銘を受けた。
足立育朗さんや足立幸子さんの言われる「決心」がそれと同じと思う。決心すると、全てが変わるのである。それまでの自分は死に、新しい自分になるのである。
私は、2008年8月に、ベジタリアン宣言をし、1日1食宣言をしてから、全く別の人間になった。
昔、引きこもってニートをしていた時、ジョセフ・マーフィーの本を読んで宇宙人間宣言をしてから金に困ることは無くなった。

宣言、あるいは、決心をすれば、全てが一瞬で変わる。自分の魂の波動が変わるのだから、世界も変わる。
思えば、私にとって、2010年は、そのことを宇宙の英知により学ばせられた年と言えるかもしれない。
昭和天皇が亡くなられ、年号が「平成」となった時、その年号の意味を多くの人は「平和に成る」と解釈したが、「平和を成す」と思うべきだった。ケネディが大統領就任演説で「アメリカが皆さんのために何をしてくれるかではなく、皆さんがアメリカのために何をするかを考えて欲しい」と言ったが、これは、決心の重要さを意味すると解釈したいと思う。日本やアメリカで、人々の心身や生活が衰退したのも、それらが行われなかったからだと思う。
アニメ「魔法少女リリカルなのは」の中で、フェイトが言う。「新しい自分を始めるために、今までの自分を終わらせよう」。そして、フェイトが一瞬で生まれ変わる様子が輝かしい。それがフェイトが決心をした瞬間だった。
このアニメの主題歌“innocent starter”は、フェイト役の声優、水樹奈々さんが自ら作詞して歌ったものだが、そんなフェイトの心情をよく表していたと思う。昨日の紅白歌合戦で、水樹さんが、この5年前のアニメを昨年映画化した「魔法少女リリカルなのは the MOVIE 1st」の主題歌“PHANTOM MINDS”を歌ったのが私には感慨深かった。この歌も、水樹さんの作詞で、オリコン1位を記録しているようだ。
横尾忠則さんの言われる「過去との決別、自己埋葬、死と再生」と、フェイトの「新しい自分を始めるために、今までの自分を終わらせる」(脚本は原作者の都築真紀さん)が、私の中で響き合った。
決心、あるいは、宣言は、“innocent starter”の中の言葉、「永遠の魔法」になる。“innocent starter”という言葉自体が、子どものように無心に始める者という意味だろう。それは、純潔なる宣言である決心をした者のことだ。

世間に汚された宣言、決心ではなく、清浄な本当の宣言、決心によって、新しい自分を、そして、新しい世界を始めよう。
本文で取り上げた、そのために、良きヒントになるはずの書籍、CDを下にご紹介する。(ジョセフ・マーフィーの本は、このブログの右サイドの下の方にある「あなたも幸せになれる」がそれである)







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弱腰外交が最も強い

最近、特に、中国や北朝鮮などとの関係で、日本政府の対応を「弱腰外交」などと揶揄(やゆ。からかうこと)されることがよくあります。
しかし、日本が強くあれたのは、他ならぬ、この弱腰外交のおかげです。本当にそれにお気付きにならぬか?
日本が高圧外交だったのは、戦争に負けるまでです。現在、最大の高圧外交の国は、ある弱小な専制国家です。内が弱いと高圧的になるのは、人間でも組織でも国でも同じです。そして、それは長続きしません。
「弱腰外交」と言えば聞こえは悪いのですが、本質は、「争わない」外交です。これは、老子の根本思想です。争わないことがいかに強いかは、老子の全81章に詳述されています。老子は、頭、つまり、理屈で読んでも全く分かりません。理屈を超えたことを語っているからです。この世のパワーをはるかに超える宇宙のパワーについて書かれているのですから、たかが知れた人間の知性で理解できないのは当然です。
ガンジーの非暴力主義、あるいは、無抵抗主義なんて、表面的に見れば弱腰外交そのものではないですか?しかし、これこそ、不屈で無敵の力だということが分かるのではないかと思います。

私は、イギリスのテレビドラマ「ダンディ2 華麗な冒険」の中の1話の、ただ1つのセリフを聞いて、それをいつまでも覚えています。それが宇宙の真理だったから、私の内側が応えたのです。
このドラマは、なんと、ロジャー・ムーアと、今年の9月29日に亡くなったトニー・カーチスの共演です。2人とも、世界的な大俳優でした。カーチスは画家としても高く評価されています。
この「ダンディ2 華麗な冒険」で、ムーア演じるブレッドと、カーチス演じるダニーが危機的状況になった時、イギリス貴族であるブレッドが言います。「祖父の教えに、『攻撃こそ最大の防御なり。最大の攻撃は無抵抗なり』というのがある。つまり、何もしないのが一番強いのさ」。

外交なんて大袈裟なものでなくても、学校や会社、あるいは、家庭でも、よく回りを観察すれば、決して争わない者が、結局は無敵であることはすぐに分かると思います。
本当の教育とは、争わないことを教えることです。それは、決して無理な我慢をすることでも、卑屈になることでもなく、より大きな力を味方にすることです。
争わないとは、決して、かけっこで順位をつけずに一緒にゴールすることではありません。競技スポーツや武道の戦いの目標は、表面的な勝敗が本質でないと知ることです。それを知らないから、この「一緒にゴール」という的外れなことをしたり、高等な競技でも、いつまでも金メダルにこだわって悲惨を味わいます。
最高の柔道家、木村政彦が、ブラジルの柔術家エリオ・グレイシーと戦い、キムラ・ロックと呼ばれた必殺の関節技でエリオの腕を折って勝った時、木村は「試合に勝って勝負に負けた」と言います。これは深い意味がありますので、簡単に解釈してはなりませんが、こんな喩えでも良いかもしれません。キムラ・ロックはプロレスではダブル・リスト・ロックという技で、プロレス史上最高のレスラー、ルー・テーズが最も大切にした技でした。テーズは、師のジョージ・トラゴスにこの技を教わりましたが、トラゴスは若き日のテーズの前で、若い有望なレスラーの肩をこの技で砕いてみせたことがあります。テーズは、80歳になった時でも、その光景を昨日のことのように思い出すと言いました。テーズはトラゴスに「必要な時はやらないといけない(相手の肩を砕け)」と言われます。しかし、テーズは、「後1センチ締め上げれば、相手の肩を砕いたということは数百度におよぶが、実際にやったことは、幸い一度も無かった」と言います。テーズは、試合と勝負に勝てるレスラーだったということです。テーズは、1976年に、アントニオ猪木がペールワンの腕をダブル・リスト・ロックで折ったことを「猪木が故意にやったのではないと信じたい」と言ったそうです。

アメリカは、本来、先制攻撃をしない強い国家でしたが、日本の真珠湾攻撃などでは、相手が先制攻撃をせざるを得ない状況を作る作為を行い、そして、核爆弾を使うことで、戦争に勝って実質で負けます。アメリカはその後の繁栄の中で、恐るべき病にとりつかれ、国民は疲弊していきます。真のリーダー達が何度か立ち上がって破滅を防いできましたが、限界は通り越しました。日本、韓国も同じ過ちを繰り返そうとしてます。
争わない力を修得すれば、国家も組織も個人も無敵です。国家でいえば、いったい誰が大統領か誰も知らない不思議な連邦共和国スイス(あなた、スイス大統領が誰か知ってる?)がそれにいくらか近いかもしれません。あの国の大統領は、いわば当番制です。「俺は優秀だから大統領になったんじゃない。順番だからなってるんだ」と言って優柔不断で争いません。まあ、誰も、自分の金(スイス銀行口座)の上に原爆は落としません。
弱腰で優柔不断といえば、実は徳川家康が実際はそうで、家臣にいろいろ強く提言されても、なあなあで逃げることが多かったようです。彼は、人質だった苦しい少年時代や、厳しい敗戦で、知恵を磨いたのだと思います。
我々も、争わない知恵を修得すべきです。そうすれば、傷付くことは決して無いでしょう。

下記に、英文学者でタオイスト(老荘思想家)、詩人、画家である加島祥造氏の素晴らしい老子の自由訳と、優れた中国文学研究家の小川環樹氏(湯川秀樹博士の実弟でもあります)の正確な老子の翻訳をご紹介します。







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平和を創造する

私は、これまでの人生でずっと、お正月というものを意識的に無視しようとしてきた。
でないと、やりきれない。
年末には自殺者が増えるというが、分かるような気がする。
周りの雰囲気に押されて、どうしてもその1年を振り返り、お正月を区切りとして未来を考えてしまうのだが、明るい展望を見出せなければ気が滅入り憂鬱にもなる。そんな時期に、お金が無かったり、失業していれば、絶望感はより強くなるのだ。

お正月を喧伝(盛んに言いはやすこと)するのは、辛く苦しい人に「死ね」と言うに等しいということを少し考えて欲しいような気がする。
私は、自分もお正月を意識したくないし、絶望している人をさらに苦しめ、下手をしたら自殺させかねないお正月が無くなれば良いと本当に思っていた。世間の人である私の家族は、まるで嫌がらせのように、毎年、お正月を言葉と行いで私に思い起こさせてくれたので、私はそう強く思うようになった。
そんな私の人生目標なんて、年の暮を心安らかに過ごすことだけだった。希望に満ちている必要もないが、せめて平安のうちに過ごしたいと思っていたものだ。
それでも、太陽暦を使っているからまだ良いが、これが太陰暦(旧暦)が使われていたら、更に自殺者は増えているかもしれない。太陽暦の場合は、お正月の時期では、まだ冬の勢いが上り坂の感じはあるが、太陰暦のお正月である2月18日だと、まだまだ寒いことが多いとはいえ、日照時間も増えていて、春の予感を感じ始めている。すると、明るい希望の無い者には、よりわびしさが増すのである。

区切りの時。例えば、このようなお正月や、お誕生日、卒業。私は完全に無視したが成人式などの気の持ち方は大切と思う。
そして、実は、1日の終りの就寝時の気分が重要なのだ。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、「神様に全てお任せすれば、年の暮は安らかです」と言った弟子に対し、「神様に全てお任せすれば、毎日の暮が安らかなのだ」と教えた。
毎日を心安らかに終えることを覚えれば、1年の終りも、1つの年齢の終りも、学校の終了も全て安らかでいられる。そして、安らかな心は、確実に幸運を呼ぶ。

そのために、こんな話がヒントにならないだろうか?
ある青年が道を歩いていたら、不意にナイフを持った男に切りつけられた。相手は巨大で鋭利なナイフで、自分を刺し殺そうという凄まじい勢いだ。こちらは動揺しているし、敵も若い男でそれなりに力強いので、危ない状況に追い詰められるが、なんとか難を逃れた。
すると、そこへ、偶然に彼の姉が通りかかった。大勢の人々の喧騒の中心にいる弟にただならぬものを感じて姉は駆け寄り、「どうしたの!?何かあったの?」と、取り乱して尋ねる。
しかし彼は、落ち着き払って、静かに言う。「いや・・・平和そのものさ」。
今日も、嫌なことや苦しいことがあったかもしれない。しかし、それは神様が差し出した軽い荷に過ぎない。丁度、ハイキングの時、良い父親が子どもに、無理の無い荷を持たせるようなものだ。神様も父親も、可愛い子どもを甘やかさずに鍛え、子どもがそれに応えた時に褒美をやろうと手ぐすね引いている(準備して機会を待っている)のだ。
アメリカ大統領だったセオドア・ルーズベルトは「荷を軽くしてくれと祈るな。重い荷を背負えるように強くして欲しいと祈れ」と言ったらしい。
しかし、祈るまでもないのだよ!セオドア!常日頃与えられる軽い荷を黙って負えば良いのだ。辛いことや、苦しいことがあるごとに自分に言うのだ。「これは軽い荷だ」と。
ここにあげた青年は、家族を持ってリストラされた時も、癌の告知を受けた時も言うのだ。「平和そのものさ」。




【OVA ガッチャマン】
「いや・・・平和そのものだ」を、痺れるほどクールに決めるガッチャマンを見れました。




【いのちの教え】
残念ながら忘れられてしまってはいるが、釈迦、イエスにも匹敵する、我が国の偉大な神道家、黒住宗忠の教えは、決して、贖罪(罪の償い)や苦行を要求しない。天照大神に全て(まること)お任せする絶対他力の教えだ。明るく、気楽で、普通の庶民を勇気付けるものだと思う。

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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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