ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

心を締める鍵

合氣道家の藤平光一さんの本に書かれていましたが、藤平さんの若いお弟子さんで一般社会人のある方は、朝、「今日も氣を出すぞ」と思うのだそうです。そして、日常でも、何か危機的状況になると、氣を出すことで自然に解決するのだそうですが、藤平さんは、氣は、出ていると思えば出ると述べられています。
事情の分からない人には、なんとも抽象的な話ですが、ご本人はそれで非常にうまくいっているのでしょう。

何でもいいですから、何か1つ、心を落ち着かせるものを持っておくのが良いということと思います。
大切なことは、自分の気持ちにぴったりすることであり、一生続けられ、そして、身体でやることでも、心でやることでもいいですから、具体性があって簡単なものが良いでしょう。
そして、さっさと1つに決めることです。
くれぐれも、自己開発ビジネスに煽られて、「あれも良さそうだ」「これも良さそうだ」と、遍歴をしないことです。そんなことをしていたら、20年、30年なんてあっという間です。
何でも同じなんですよ。これでなきゃいけないなんてものはないし、特に優れたものがあるわけでもない。極論すれば、自分が良いと思えば嘘でもいいのです。
岡田虎二郎さんに教わった岡田式静坐法を生涯続けられた柳田誠二郎さんは、「心を締める鍵を1つ持ちなさい。私の場合はそれが静坐だった」と著書に書かれていましたが、本当に何でも良いのだと思います。
まあ、別に萌えアニメの美少女キャラを崇拝しても良いと思いますが、それって飽きが来るかもしれません(経験談)。
1つだけ大事なことがあるとすれば、個人的な欲望を持たないことです。それがあると、果てしない遍歴は免れません。なぜなら、個人的欲望には果てがないからです(経験談)。

そういえば、私もやっと1つ見つけたのですが、おかしなことに、もうかなり昔に読んだ本に書いてあったことです。
ラルフ・ウォルドー・トラインの書いた“In Tune with the Infinite”という本ですが、最近出た現代語版ではなく、宗教家の谷口雅春さんが訳された文語体の総ルビ付きの本の方です。内容はほとんど憶えていないのに、そのうちの一言だけが心に残っていたことに、最近気が付いたという奇妙なものでした。いえ、ずっと分かっていたのですが、別のものに目移りして忘れていたのだと思います。

“In Tune with the Infinite”の翻訳2冊。




【幸福はあなたの心で】
文語体。総ルビ付。谷口雅春さん訳。




【人生の扉をひらく「万能の鍵」】
口語体。吉田利子さん訳。

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天使はケータイを持たない

現在ではありふれたことであるが、あらゆる場所で、年代を問わず、多くの人が携帯電話をじっと覗き込んでいる光景を見る。

ほんの20年ほど前には全く不可能であった、コンパクトなデバイス(装置)での情報コミュニケーションは、本当に良いものだろうか?
私は、パソコン、および、携帯デバイスによる電子メールに関しては、最も早く使い始めた部類であるが、それらは、事務的な用途では重宝するものの、個人的なことに関しては、本当に急用でももなければ使うことはない。ツイッターは全くやらない。

我々は、目や耳などの五感で受け取る情報が全てであろうか?
それらの情報は、全ての情報の中で、実はごく一部であり、しかも粗雑なものではないだろうか?
いまや、我々はそんなことは想像もしていないかもしれない。
植物や動物、あるいは、鉱物や、地球、月、太陽、惑星はメッセージを伝えてきてはいないのだろうか?
いや、人間でさえ、言葉やボディ・ランゲージ(表情や身振り手振りなど)以上の精妙なメッセージを伝えるのではないだろうか?
視覚、聴覚を使えないヘレン・ケラーは、「感覚器官での認識は幻想、純粋な観念(イデア)のみが真理」と断言したが、私もそうだと感じる。

アニメの「ツバサ・クロニクル」で、少女(サクラ姫)と少年(シャオラン)がこんな会話をする。

「私、夜寝る時なんか、いつもシャオランのことを考えているよ。シャオランは私のこと、考えることある?」
「考えているよ。俺もサクラのことを考えている」

彼らの想いが、お互いに伝わっていないなどと言えるだろうか?
2人は、本当は、そうやって言葉で確認するまでもなく、お互いの想いを感じていたのではないだろうか?
そうでなければ、目の前で尋ねたりはしないのではないだろうか?
電話すらなかった時代の方が、人は本当の意味で繋がっていたし、人同士だけでなく、万物と繋がっていたのではないだろうか?

あなたは、本当に好きな人が、メールや電話をくれるのと、心で想っていてくれるのとではどちらが良いだろうか?
私は、電子メールを交換している相手とは、かえって心が離れていくのをはっきり感じたことがよくあった。

天使は姿を見せずに何かを伝えるかもしれないが、携帯を使うことはないだろう。
動物や植物の不思議なコミュニケーション能力は、仮説こそいろいろあるが、実際にはほとんどが謎だ。そして、本当は我々にも、同様な能力はあるのではないだろうか?そして、あなたも、本当はそんな能力を感じたことがあるに違いない。
現代の人間が、皆不機嫌で不安で、気分が暗いのは、本当に得るべき情報、感じるべきフィーリング、大切な直観を逃しているからではないだろうか?メールやツイッターが悪いと言うのではないが、あまりにそういったものばかりに心を奪われ、もっと大切なものを無視してしまっているのが、その原因ではないだろうか?

面白いことに、アニメのヒロイン達は皆、「心の中に言葉が浮かんでくる」と言うが、私はそいういったことにリアルなイメージを感じる。
イエスは「言うべきことは、その時に(神より)与えられる。あらかじめ何を言おうかなどと心配するな」と言ったが、我々は、いつも偉大なものに気にかけられ、大いなるものからの意志を受けているのではないだろうか?




【花の知恵 (プラネタリー・クラシクス) 】
「青い鳥」の著者として有名なノーベル賞作家モーリス・メーテルリンクは、実は自然への深い洞察を持った思想家であった。




【新アダムスキー全集2 超能力開発法 】
ともすれば一部にある奇妙なイメージと異なり、人が幸福に生きるための極めて理性的で実際的な書であると思う。

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批判的な人達

呼ばれただけで、すぐにびっくりしてしまうといった敏感な反応をする人が時々いる。あなたがそうかもしれない。
そんな人は、おそらく、親が批判的な人間なのだろう。

こんな人がよくいるかもしれない。
テレビで犯罪者のニュースを見ると、その犯罪者を口汚く批判する。
政治への批判も好きで、政治家の汚職はもちろん、政策や外交の不手際を横柄に非難する。
自分の好みに合わないタイプの歌手は、「なんて格好してるの!」「なってないね」とけなす。
街中等でも、マナーの悪い人や、無神経な人を見ると罵らざるを得ない。

こういった人が親であれば、子供の欠点を見逃すはずがない。そんな親であれば、子供は、呼ばれることに恐怖を感じるようになって当然である。
そんな子供は、正常な人間関係を持つことが難しくなり、引きこもりになる場合も多く、大人になっても修復出来ない可能性が高い。

優れた人間は他人を批判しないものだ。
ただ、人間というのは、放っておくと怠惰な方向に流れるように、精神を緩めっぱなしにすると批判的になる。なぜなら、自我というのは他を見下すことで相対的に自己の価値を高めて自己満足したがるからだ。

ジョージ・アダムスキーというポーランド生まれのアメリカ人で、宇宙人とのコンタクティー(接触者)として有名な人がいる。
彼の世界的評価は最悪で、大方においてペテン師扱いであると思う。しかし、彼がペテン師であるという根拠を持っている人はおそらくいない。
アダムスキーは、太陽が本当は冷たい星であるとか、金星や土星に知的生命が文明を築いていると主張していた。それは我々の持つ常識に大いに反するだろう。ただ、考えてみれば、我々は、我々の常識が正しいという根拠を本当には持ち合わせていないことが分かる。太陽が核融合により超高温であるとか、金星が硫酸の降り注ぐ高温高圧の星であるとか、土星はガス状の星であるといった知識は持っていても、別に自分で確認したわけではない。
また、仮に、アダムスキーに批判すべきところがあるとしても、人間誰しも欠点はあるし、アダムスキーの業績の主要なものである哲学、思想は驚くべき素晴らしいものかもしれないのに、それを読まずにアダムスキー本人を批判している場合が大半と思う。
たとえば、最近では、小沢一郎さんに関し、別に私が言うまでもなく識者の多くが語っているが、多くの人が彼を犯罪者のように思い込んでいるのはマスコミの扇動に過ぎず、彼が何か悪いことをしたという根拠となると、ほとんどの人が全く何も持っていないのである。重大な悪事を行ったわけではないのに、長期に渡って、場合によっては死ぬまで(死んでも)、激しく虐げられ続けた人は大勢いることを知っているはずだ。それでも我々は学べないのである。

繰り返すが、怠惰な心が批判に走るのである。
食欲を支配せずに甘やかすと肥満になるように、心を甘やかすと批判的になる。
自分の心を支配できる賢い人は批判が少なく、高度な人間ではほとんど、あるいは、全く批判をしない。
ところで、前のブログでも書いたが、私の今年の目標は批判をしないことであった。食を慎む習慣のおかげで、甘い自己評価であるが30点は与えても良いと思う。以前の私は過激なまでの他への批判を止められなかった。更に精神を鍛えようと思う。

世界的に批判されることも多いが、信奉者も多い著者の書を2冊ご紹介する。





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テレパシーとは何か

テレパシーというものは、ごく当たり前の能力であるに違いありません。
それは、直観とか、フィーリングと呼ばれるものと変わりませんし、本当は、あらゆる想念もテレパシーと異なるものではありません。
それを簡単に説明したいと思います。

我々は、自分で想念を起こしているように思っていますが、そうではないと思います(それは、神経科学でも分かっていることだと思います)。
我々の脳は、常に訪れる膨大な数の想念を知覚する受信装置です。しかしそれは、非常に複雑で精妙な受信装置です。
ただ、脳は、やってくる全ての想念を知覚するのではありません。好みとか、信念に合ったものしか知覚できません。
普通の人では、訪れる想念のほんのわずかなものしか知覚できないに違いありません。好みや信念の幅が非常に限られているからです。
普通の人の好み、信念は、世間の考え方や教義によって作られたものです。だから、同じ世間に属する人々は同じ想念を知覚し、結果、同じような考え方をすることになります。

普通の人より広い幅の想念を知覚できる人が、いわゆる、テレパシー能力を有する人ということになります。
実際は、未来予知や千里眼といった、ESP(超感覚的知覚)といった能力全てを含むのですが、それらも、単に幅広い想念感知能力に過ぎませんので、ここではテレパシーに含めます。
ところが、認知心理学者であれば、テレパシーが錯覚であることを示す知識や論理を持っています。
しかし、それなら、あらゆる想念が錯覚であり、幻想です。
訪れる想念を、脳が知覚し、視覚、聴覚、嗅覚、味覚に翻訳したものを認識するだけであり、脳がどう知覚して翻訳するかは保証の限りではありません。だから、あらゆる認識は錯覚、幻想と言うしかなく、嘘か本当か、夢か現実かなど、判断のしようがありません。

視覚や聴覚を持たないヘレン・ケラーは、そのことを洞察し、感覚は全て幻想、観念のみが真理と理解していました。
ただ、彼女の言う観念(アイディア)は、通常の「考え」という意味ではなく、プラトーンの「イデア」やカントの「イデー」の意味で、もっと深いものと思いますが、ここでは触れないでおきます。
ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジが、夢と現実に違いはないと言ったり、江戸川乱歩が、夢こそ本当で、現実が夢なんだと言い続けたのは、やはり真理を感じていたのだと思います。
もちろん荘子も、何が夢で何が現実かなど、我々に分かるはずがないと言っています。

我々は、知覚できる想念の幅を広げ、それを純粋に感じるようにならなければなりません。
そのためには、我々の知覚を狭くし、歪んだ翻訳をさせる世間の信念や教義を壊さなければなりません。
このブログは、そのための情報やアイデアを手を変え品を変えて提供する、例えてみれば、「新世紀エヴァンゲリオン」の洞木ヒカリ(ほらき ひかり)や、「灼眼のシャナ」の吉田一美の手作り弁当のようなものです(分かり難いなあ)。




【荘子】
荘子の教えは、まさに、世間の幻想を破り、知覚できる想念の幅を広げるためのものです。




【波動の法則】
こちらは、旧版ですが、内容的には新版と変わりません。私もこちらを持っています。古書が豊富なので、こちらをご紹介します。

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お菓子を食事にするということについて

今回は、あくまで思索の途中のことで、良ければ一緒に考えてくれませんかといったものである。

食事代わりにお菓子を食べるということに憧れたことがあるかもしれないし、実際にそんなことをしている人もいるかもしれない。
それは、世間的には否定的に見られるだろう。
例えば、1983年のアメリカ映画「トワイライトゾーン/超次元の体験」の中の1つのお話だったと思うが、神のような力を持つために、周囲の大人達が誰も逆らえずいいなりになっている少年の家に、そんなことを知らない女性教師がやってきて、食事を振舞われるが、それは全てお菓子だった。少年は、それが普通だと思っていたが、その女性教師に、良くないことだと言われてがっかりし、食事とおやつが違うことを教えてくれなかった回りの大人達に怒りを感じるといったところを私はよく憶えている。(何だか、「涼宮ハルヒの憂鬱」を思い出すストーリーだと思う)
しかし、あくまで、適切な量であることと、これはお菓子に限らないが、有害な材料を使っていない限り、私は、別に良いのではないかと思う。

フィギュアスケートの浅田真央選手は、試合の数時間前におにぎりを食べると聞いたことがある。
一方、テノール歌手の秋川雅史さんは、本番前にシュークリームを食べるらしい。
私は、秋川さんの方が適切と思うのだ。身体の負担は、最初から細かく煉られているので消化し易く、すみやかに栄養が吸収される生クリームの方が米よりずっと少ない。また、消化にエネルギーを要すれば、脳の機能はその間低下する。
私は、浅田さんが、あの素晴らしい能力から考えると意外なミスが割合に多いのも、そういったことに関係があるのではないだろうかと思う。おにぎりは、数時間では消化されない。おそらく、完全に消化されるのに、少なくとも10時間はかかるだろう。

萩尾望都さんの1977年の作品(漫画)で「ケーキ ケーキ ケーキ」という、お菓子が好きで好きでたまないという女の子が主人公のお話がある。ほとんど何の取り得もない少女なのだが、ある時、本物のフランス菓子の味に出逢ってとりこになり、ついにフランスに行ってケーキ職人を目指すというものだ。
この作品は、40年以上経つ現在も、文庫化されて販売されている。私は、萩尾さんは天才的な思想家だと思っており、彼女が描いたこの大作に深い洞察が無いとは思えない。
良いお菓子は、人間にとって良いものであるに違いない。

では、お菓子の栄養面についてはどうだろう。
世界には、1種類の食物しか食べなくても問題なく健康で長寿な人々は少なくない。たとえば、挽(ひ)いたトウモロコシしか食べないとか、ある種類の芋しか食べないとか、大麦の粉しか食べないとかである。総じて、消化の負担の少ない粉状の食物を摂る場合が多いように思う。いずれにせよ、数多い種類の食べものを食べる必要はないと思える。
自然界を見ても、草食動物の多くは、決まった草しか食べないが健康であるし、カルシウムのない草しか食べない牛の乳にカルシウムが豊富に含まれるなど、生命は我々が考える以上に驚異で神秘的だ。
柔らかいお菓子は、消化器官に負担が少なく、脳の唯一のエネルギーである糖分(ブドウ糖)を素早く吸収できる。小麦を使っているものも多いが、小麦が豊富な栄養素を含むことはよく知られている。
もちろん、どんな食べ物でも、食べ過ぎは有害であるが、お菓子も適切に食べる限り問題はないと思う。
女優の細川ふみえさんは、3食全てチョコレートでも構わないと言うほどチョコレートが好きらしい。また、実際に確かめていないが、ある素晴らしい美少女が食事の大半がアイスクリームだと自己申告するのを聞いたことはある。確かに、硬いものを噛んだことがないと感じるほど細いアゴをしていたが、極めて明晰な思考力を持っていた。ある老人ホームでは、通常の食事を食べたがらない老人にアイスクリームを食べさせてみたところ、楽しく食べてくれ、健康になったという話もある。

インドの世界的に知られる聖者であるパラマハンサ・ヨガナンダの師で、スリ・ユクテスワというやはり偉大な聖者がいる。彼の1949年の著書「聖なる科学」は、いまも世界中で読まれている。
この中で、動物が、自らに適した食物を判別するのは、その食物を前に大きな喜びが湧き、目がらんらんと輝くということによると書かれている。
人間の場合、視覚効果や、香りが誘起させるイメージ、それに、習慣的な好みの影響等もあるのだが、私の場合、たとえ素朴な形状や色で、香りが分からなくても、本当に空腹なら、お菓子を見ると特に目がらんらんとしてくるように思うし、同様な方も多いと思う。
また、同書の中で、人間は、歯の形状や消化器官の構造(特に体長と腸の長さの比率)において、人間は肉食動物、草食動物、雑食動物のいずれでもなく、果食動物に一致すると分析されている。
お菓子は、肉や野菜に比べると果物に近いと思われる。果物は柔らかく、糖分などの栄養が水分に比較的単純に含まれているものが多いからである。果物は、食べ過ぎると意外に太ると言われるのもそのためだ。
上にあげた、パラマハンサ・ヨガナンダの著書「あるヨギの自叙伝」によると、インドでは、偉大な人物に出逢った時に献上するための特別なお菓子を常に用意している人がよくいるらしい。スリ・ユクテスワも、ババジという特に偉大な聖者に初めて逢った時、大急ぎでお菓子を取りに帰ったという。(尚、「聖なる科学」は、ババジの指示により書かれた。ババジは数世紀に渡って肉体のまま現存する超人ヨギと言われている)

現実的には、私は2年以上、特別な機会がない限り、お菓子はほとんど食べていない。しかし、お正月やパーティーなどでごく稀にお菓子を食べる時には、あまりの喜びに恍惚となるくらいである。
今はまだ思索段階であるが、いつか、お菓子を食事にする時がくるかもしれないと思うこともある。
念のために言っておくと、決して、食事とは別にお菓子を食べることを推奨するのではない。また、過度に甘いもの、人工的な味や香りで食欲をそそるようなものは避けるべきである。
そして、食事はお菓子が良いと言っているのでもない。世間に馴染んだ頭脳は極端論が好きで、私の控え目な意見を読んで、「あなたは、食事は全部お菓子にすべきだと言いますが・・・」と言う者は多いのである。





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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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