テレビ番組やマスコミからの情報であるから、あまり信じてもいけないかもしれないが、K-POPと呼ばれる日本でも大変に人気のある韓国のアイドル音楽グループは、韓国の音楽産業のビジネスモデルから生まれたものであるらしい。
簡単に言えば、大規模なオーディションにより、才能ある子供達を見つけ、大金を投入して磨き上げ、鍛え上げる。更に、これらアイドル候補生達をふるいにかけていき、生き残った者達をいよいよデビューさせ、プロダクションは投資を取り戻し、そして、莫大な収益を得る。ただ、アイドル達には給料を支払うだけで、その額は決して多くはないが、それが最初からの契約になっているようだ。
こんな話を聞いて思い出すのが、近年、「タイガーマスク現象」として有名なタイガーマスクだ。
漫画作品の『タイガーマスク』では、タイガーマスクは、虎の穴と呼ばれる、プロレス・プロダクションで養成されたプロレスラーだ。虎の穴では、才能があって家が貧しいという子供達を見つけ、親に金を払って、合意の上で引き取り、猛特訓を課して一流のプロレスラーに育てる。子供達は逃げ場はなく、脱落すれば死あるのみで必死になるが、それでも、大半はデビューに至らず、闇に消える。伊達直人は、孤児で、自分を虐げた世間と戦うため、強い存在になることを誓い、自ら望んで虎の穴に入り、他の練習生以上の厳しい訓練に耐え抜いて、誰よりも強いプロレスラーになる。
虎の穴出身のレスラーは、ファイトマネーの半分を虎の穴に上納しなければならない。それを破ると、虎の穴に確実に殺される。だが、タイガーマスクこと、伊達直人は、入金を怠っていた。やがてやって来た、虎の穴の警告に震え上がった伊達直人は、今後はきちんと入金するので、少し待ってくれるよう懇願する。虎の穴としても、タイガーマスクの能力を失うのは惜しく、特別の恩赦を与え、伊達直人は安堵する。
しかし、伊達直人が日本に帰ると、幼い頃を過ごした孤児院が経営不振で、暴力団に乗っ取られる寸前だった。孤児院は、ひねくれていた自分に愛情を注いでくれた人達ががんばっていたが、金がなければどうにもならない。直人は、虎の穴に納めるはずの金を、孤児院救済のために使ってしまい、完全に虎の穴に命を狙われることとなったのだった。
『タイガーマスク』の原作者の梶原一騎は、子供を大人の思惑で鍛え上げて利用するというテーマをよく使っていた。『あしたのジョー』のような、一見、そうは見えないものでも、矢吹丈はいつか、自分がボクシングをやる人形に過ぎなかったことを悟る。だが、他に道はないので、燃え尽きるまで戦うことを覚悟したのだ。
『巨人の星』では、飛雄馬(ひゅうま)は、幼い頃からプロ野球選手になるよう父親に鍛えられるが、日米交流戦で、オズマという名の、黒人の貧困家庭に生まれて、幼い頃に買われて野球ロボットとして育てられた恐るべき実力者と出会い、自分を顧みて、初めて、自分もロボットに過ぎなかったことを悟り、葛藤する。
梶原一騎は、決して人格者ではなかったが、自身、苦しい少年時代を過ごす中で、社会の不条理を味わい尽くしていたことが作品に深みを持たせていたのだと思う。
K-POPスターは、グループであることが特徴で、個人の個性は決して発揮されないが、これがプロダクションによる支配のために有効であることは確かと思う。おそらく、年をとれば捨てられる使い捨てでしかないのだろう。実力の高さは分かるが、ロボットのようで、本来は、現在の実力を基礎として、自分らしさを発揮しなければならないのだとは思う。
欲望が原動力となっているものに構わないことだ。
日本でも、「歌手になりたい」「浅田真央のようなスケート選手になりたい」「サッカー選手」になりたいという子供はいるが、純粋な動機というよりは、マスコミで騒がれているのを見て、自分もちやほやされたい、あるいは、お金持ちになりたいという欲望で言っているのを感じるのである。
神様に、「拍手喝采や金はやらないが、望みを叶えてやろうか?」と言われたら、それでも応じるだろうか?
そして、金や名誉のためにやったことが、どんな結末に至るかは隠されているのである。万に1つの例外なく、悲惨と惨めさに終るしかないのである。
だが、本物の幸福というものは、世間では決して話されない、思いもよらなかった形かもしれないが、誰にでも得られるものとして確実に存在するのである。しかし、それを得る者は極めて少ない。そもそも、それに気付き、それに目を向けることが、現代では稀なことなのである。
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簡単に言えば、大規模なオーディションにより、才能ある子供達を見つけ、大金を投入して磨き上げ、鍛え上げる。更に、これらアイドル候補生達をふるいにかけていき、生き残った者達をいよいよデビューさせ、プロダクションは投資を取り戻し、そして、莫大な収益を得る。ただ、アイドル達には給料を支払うだけで、その額は決して多くはないが、それが最初からの契約になっているようだ。
こんな話を聞いて思い出すのが、近年、「タイガーマスク現象」として有名なタイガーマスクだ。
漫画作品の『タイガーマスク』では、タイガーマスクは、虎の穴と呼ばれる、プロレス・プロダクションで養成されたプロレスラーだ。虎の穴では、才能があって家が貧しいという子供達を見つけ、親に金を払って、合意の上で引き取り、猛特訓を課して一流のプロレスラーに育てる。子供達は逃げ場はなく、脱落すれば死あるのみで必死になるが、それでも、大半はデビューに至らず、闇に消える。伊達直人は、孤児で、自分を虐げた世間と戦うため、強い存在になることを誓い、自ら望んで虎の穴に入り、他の練習生以上の厳しい訓練に耐え抜いて、誰よりも強いプロレスラーになる。
虎の穴出身のレスラーは、ファイトマネーの半分を虎の穴に上納しなければならない。それを破ると、虎の穴に確実に殺される。だが、タイガーマスクこと、伊達直人は、入金を怠っていた。やがてやって来た、虎の穴の警告に震え上がった伊達直人は、今後はきちんと入金するので、少し待ってくれるよう懇願する。虎の穴としても、タイガーマスクの能力を失うのは惜しく、特別の恩赦を与え、伊達直人は安堵する。
しかし、伊達直人が日本に帰ると、幼い頃を過ごした孤児院が経営不振で、暴力団に乗っ取られる寸前だった。孤児院は、ひねくれていた自分に愛情を注いでくれた人達ががんばっていたが、金がなければどうにもならない。直人は、虎の穴に納めるはずの金を、孤児院救済のために使ってしまい、完全に虎の穴に命を狙われることとなったのだった。
『タイガーマスク』の原作者の梶原一騎は、子供を大人の思惑で鍛え上げて利用するというテーマをよく使っていた。『あしたのジョー』のような、一見、そうは見えないものでも、矢吹丈はいつか、自分がボクシングをやる人形に過ぎなかったことを悟る。だが、他に道はないので、燃え尽きるまで戦うことを覚悟したのだ。
『巨人の星』では、飛雄馬(ひゅうま)は、幼い頃からプロ野球選手になるよう父親に鍛えられるが、日米交流戦で、オズマという名の、黒人の貧困家庭に生まれて、幼い頃に買われて野球ロボットとして育てられた恐るべき実力者と出会い、自分を顧みて、初めて、自分もロボットに過ぎなかったことを悟り、葛藤する。
梶原一騎は、決して人格者ではなかったが、自身、苦しい少年時代を過ごす中で、社会の不条理を味わい尽くしていたことが作品に深みを持たせていたのだと思う。
K-POPスターは、グループであることが特徴で、個人の個性は決して発揮されないが、これがプロダクションによる支配のために有効であることは確かと思う。おそらく、年をとれば捨てられる使い捨てでしかないのだろう。実力の高さは分かるが、ロボットのようで、本来は、現在の実力を基礎として、自分らしさを発揮しなければならないのだとは思う。
欲望が原動力となっているものに構わないことだ。
日本でも、「歌手になりたい」「浅田真央のようなスケート選手になりたい」「サッカー選手」になりたいという子供はいるが、純粋な動機というよりは、マスコミで騒がれているのを見て、自分もちやほやされたい、あるいは、お金持ちになりたいという欲望で言っているのを感じるのである。
神様に、「拍手喝采や金はやらないが、望みを叶えてやろうか?」と言われたら、それでも応じるだろうか?
そして、金や名誉のためにやったことが、どんな結末に至るかは隠されているのである。万に1つの例外なく、悲惨と惨めさに終るしかないのである。
だが、本物の幸福というものは、世間では決して話されない、思いもよらなかった形かもしれないが、誰にでも得られるものとして確実に存在するのである。しかし、それを得る者は極めて少ない。そもそも、それに気付き、それに目を向けることが、現代では稀なことなのである。
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