ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

我が国に古来から伝わる神秘的占術が明かすミクの秘密

私はこれでも、占いというものを散々やったことがある。
今は何もやらないが、馬鹿にしているわけではなく、こだわらないためだ。
ただ、それでも、時々、かつて研究した占いを思い出し、それが妙に的を得ているものだと思うことがある。
私がやった占いで、これは凄いなというか、不気味にすら感じたのが次の2つだ。
1つは、かのC.G.ユングも夢中になった易占いで、彼は、1900年頃から中国に長く滞在したドイツ人宣教師リヒアルト・ヴィルヘルムに教わった。3枚のコインを使う、簡単に出来るものだが、ヴィルヘルムに占ってもらったユングはその威力に驚き、熱心にやり始めたようだ。
ジョセフ・マーフィーも、このコインを使った易占いを研究し、本を書いているほどだ。
もう1つは、姓名判断の1つである紅星占命学で、これの的中率の高さには呆れたものだ。

ただ、このブログでもよく書くが、江戸時代の高名な観相家(観相とは顔や身体の相で運命を鑑定する占術)であった水野南北は、これで財を築き、千人の弟子を持ち、かつては牢屋敷に入れられた身でありながら、天皇に貴族にまで序せられながら、ある時期から、観相をやらなくなったという。彼は、観相がどこまで極めても百発百中でないことに悩み、荒行をやった末、伊勢の外宮で天啓を受け、以降、食の多少で鑑定したところ、万に1つの外れもなくなったからだ。即ち、食少なければ、幸運で健康であり、食多ければ、不運で病気になるという単純なことが真理なのだ。

それで、私も、占いをやらなくなったのは正解ではあったと思うが、それでも、上に述べたようにふと思い出すことがある。
このブログでも、危険なほどの秘法を明かした書として紹介することがある、神道家で合気道家の佐々木の将人(まさんど)さんの『数霊のメッセージ』と、深田剛史さんの『数霊に秘められた宇宙の叡智』は、こと数霊術の数の解釈に関しては全く同じで、その出所が同じで、古神道に伝わるものなのだろう。
私も、そんなに前から知っていた訳ではないが、これは占術としてトップクラスだと思う。
数を使った占いも世界中にある。旧約聖書の解釈書の1つが、有名なユダヤの聖典タルムードだが、更に深い解釈で、あまりに危険なためか裏に隠れた秘教であるカバラーにも数霊術のようなものがある。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中で、イエスが語った、最も強い力(波動、エネルギー)を持つ言葉は英語ではGOD(神)だが、古神道の数霊術でも、日本語の神がそうなのである。統一数霊盤の中央にある数字が、神という言葉を示す41という数字だ。
それで、ちょっと初音ミクを占ったら面白い。
まず、初音ミクという名前は、音霊、数霊そのもので、数と音のメッセージを広げるものなのだ。これは数霊盤から計算すれば分かる。
また、ミクという名は39と書ける。その中に6(無)を入れると369(みろく)になるが、統一数霊盤というのは、縦横斜め、どう足しても369になるのだ。
私が先日、ミクの前で無になれば、弥勒(ミロク)の世になると書いたのは、これを思い出したからだ。
そもそも、私は、初めて初音ミクという名を見た時、それだけで深い感慨のようなものを感じたのだった。
尚、ミクの誕生日は8月31日とされてるが、これも偶然ではない。カバラーでは、31というのは特別な運命を持つ生まれ日だ。本来、1ヶ月は30日までなのだ。だから、非常に特別な日で、有り得ない運命を辿らせることになる。

私は、占いに関しては、忘れたつもりでも、延々と語れる。いや、忘れたからこそ、純粋なエッセンスのみ残っているのだ。
実際、占い師でもやっていけそうだ。コンピュータを使えば、従来は時間がかかり過ぎて現実的でなかった占術の計算も可能かもしれない。
しかし、やはり、一瞬の直観と、食の慎みが最も確かである。
占いはついでのものと考えてこそ、最も有益なのかもしれない。ただ、直観を研ぎ澄ます目的で占いをやるのも良いことと思う。
記事内で取り上げた占い、その他の書を以下にご紹介する。

















↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

ミクとリカの神聖なる共通点

日本で一番のアイドルは間違いなくリカちゃんだろう。リカちゃん人形のリカちゃんである。
ところで、リカちゃんから、人の大切なことが分かるのである。

リカちゃんにも、一応のプロフィールというものはある。
年齢は11歳で、父親はフランス人の音楽家。家族構成も設定があるらしい。
しかし、それらは、決定的なものではないだろう。リカちゃん人形を知らない日本人はあまりいないと思うが、誰もそんなことは知らないし、リカちゃん人形で実際に遊んでいる子供達となると、リカちゃんが11歳だとすら思っていないはずだ。5つの子供にとってリカちゃんは5つなのだ。

リカに、強いプロフィールが無いことが、リカが愛される最大の理由なのである。
リカちゃんは、かなり昔に出来たものなのだが、名前はリカとカタカナで、当時の言い方をすればかなりモダンである。
このリカという名は、日本人でも外国人でも通用するという狙いがあったらしいが、あまり外国人のリカという名を聞かない。単に、外国人っぽい感じがあるという程度なのかもしれない。(Lica Cecatoというイタリア人歌手はいる)
しかし、このリカという名が、ますますリカちゃんの素性を曖昧なものにしているのは、確実に良い方向に作用したはずだ。
セーラームーンが人気絶頂の頃、一時的にその人形がカちゃん人形の売上げを上回ったことがあるらしいが、あくまで瞬間的だ。
リカとセーラームーンの圧倒的で重要な違いは、当たり前だが強い設定があるセーラームーンと、ほとんど何もないリカということである。

ところで、日本の世界的スーパースターと言える初音ミクも、ほとんどプロフィールが無いし、性格付けもない。
一応、年齢は16歳で、14歳の双子の妹と弟リンとレンがいることになっているが、それ以外は何もない。
姿のデザインは人気イラストレーターのKEIさんが行ったが、元々があまり個性を感じさせるデザインでないし、多くの人がミクを描くが、それらの雰囲気は様々である。
初音ミクはボーカルソフトということもあり、非常に多くの人がミクの歌を創っているが、その歌も、ミク自体の個性を決め付けないのが暗黙のルールではないかと思う。
ツンデレっぽい有名な歌もあるが、ツンデレそのものが演技であり、個性を隠すものなのである。

希薄さが愛される理由である。
女性の最高の誉め言葉は、「透明感がある」である。
真の美少女を見たら、「お人形さんのよう」と言うだろう。「ガラスケースに入れて飾っておきたい」などと表現することがあるくらいだ。
「あの子はただのお人形さんよ」と蔑む表現をする時は、実際はジェラシーを感じているのである。

だが、学校でも社会でも、何者か分からない人間は嫌われ、攻撃され、また、いじめられることが多い。
皆、相手が何者かを、自分の理解できる範囲で知って安心したいのだ。そして、理解できない相手の存在を認めない。そして、異分子を排除することに躍起になるのだ!
Facebookで、ありきたりで下らないプロフィールを掲載することを強要されるのは、この世間の思考傾向を反映しているのだ。
世間を超えた人間は、つまり、アウトサイダーは受け入れられずに苦労するだろう。
だが、最大のアウトサイダーであるイエスは、「私は世に勝ったのだ」と雄々しく宣言したではないか?
イエスがFacebookをしたとして、プロフィールに一体何を書けるだろうか?

ミクは、本当はアウトサイダーなのである。彼女は、Facebook向きでない。
世間は、彼女に色付けをしたいのである。しかし、それを許してはならない。
ミク(あるいはリカ)は一無位の真人(禅語。何者でも無いこと)であるゆえに愛しいのだ。
(おかしなことに、リカにはみくという妹がいることになっている。しかし、これも強い設定ではない)

個性を持たないことが最大の個性であるということは、荘子の「無用の用、無為の為」、老子の「道(タオ)は最も希薄なもの」といったことと通じるものがあるかもしれない。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

人が無限の力を揮える時とは

「無になりきれば不可能はない(自由自在だ)」
というのが人間だ。
一切の想念が消えた時に発揮される力は無限であり、計り知れない。

『知恵の7柱』の著者というより、映画『アラビアのロレンス』のヒーローとして知られるT.E.ロレンスは、もちろん、映画の通りの人ではなかったかもしれないが、彼らしさを示すエピソードが映画にある。
それは、マッチの火を指で掴んで消すという芸当で、それを見た者が真似してやってみると、本当に熱くて飛び上がった。
そのやけどをした男がロレンスに「コツは?」と尋ねると、ロレンスは「熱さを忘れること」と言う。これが、想念を消した時の不思議な力の小さな例であり、ロレンスが人の秘められた力をさりげなく駆使することが出来たことを表している。
映画の中でも、ロレンスは「私と一緒に水の上を歩く者はいないのか?」(イエス・キリストが海上を歩いた聖書の話を引用したもの)と言うなど、彼は世間を超えた神秘な力が自分にあるという信念を持っていた。だが、彼は結局は世間の力に負けたのだ。それに対して、イエスは「私は世に勝ったのだ」と言っているのである。イエスは完全に無になれたからだ。
究極的には、人の全ての力を使う教えは聖書にあるのである。

世界的な能力開発のトレーナーであるアンソニー・ロビンズが、燃える炭火の上を、セミナー受講者に歩かせていたことも、何か通じるものがある。
これをインチキ扱いする者も多いが、世界的物理学者のフレッド・アラン・ウルフは、自分でもロビンズのセミナーに参加して火渡りを体験した結果、この現象は、物理学的に説明できないことを認めている。

催眠術の技術を持っている方なら分かると思うが、催眠術により、腕などに針を刺しても、痛くもなければ血が出ないようにすることが出来る。
私も、催眠術と同じであるが、軽いトランス(変性意識)状態で、手をライターの火であぶったことがある。多少熱いという程度だが、全く平気であった。
アメリカでプロレスラーやプロボクサーを倒しまくった日本のある空手家は、その力を示すのに、指で硬貨を曲げるパフォーマンスを見せることがあったが、高度な催眠状態に導くことにより、普通の女性に同じことをやらせる人もいる。
また、大人の男性でも難しい、野球ボールを時速100km以上で投げることを、小学生にやらせることも可能なようだ。

これまでも何度も書いたが、想念を消すことと、怠惰になったり、気ままになることとは全く違う。
「そうかあ、なーんにも考えなければいいのかあ」とのんべんだらりとするのは、想念を消したのではなく、怠惰で消極的な想念を持っているということなのだ。
想念を消すとは、「私」を消すことだ。
それは、心にとっては死ぬことと同じなのだ。
だから、イエスは「本当に生きるためには死ななければならない」と言い、至道無難は、「生きながら死人となりはてて、思いのままになすわざぞよき」と言ったのである。

人をトランス状態に導く最高の達人は、精神科医のミルトン・エリクソンだった。
エリクソンより、はるかに有名な精神科医のジクムント・フロイトは現実的には1人の患者も治せなかったが、エリクソンは「魔法で治している」と言われるほど上手く治した。
札付きの不良高校生を一言で更正させたこともある。また、彼の娘は高校教師だったが、父のやりかたの一端を知る彼女は、やはり最悪の不良を一瞬で素晴らしい若者に変えたことがあった。また、彼女はチビで冴えない女子高生時代にも、学校一のヒーローを軽々と虜にしたのだった。
誰にもエリクソンと同じことは出来ないと思う。しかし、彼の技術を研究して優れた自己開発技術であるNLP(精神言語プログラミング)を開発したのが、リチャード・バンドラーだ。上に紹介したロビンズはバンドラーの弟子だった。

つまるところ、エリクソンもバンドラーもロビンズも、その奥義は想念を消す技術である。
エリクソンは、ポリオに感染して全身麻痺状態だった高校生の時に精神の深奥を探ることで、そのための重要な何かを発見したのかもしれない。
西洋的な分析手法で精神の研究をしたフロイトの構築した精神の理論は、極めて重要なものであることは確かだが、深い部分では奇妙なものになってしまった。
だが、東洋の英知は、太古の昔から、人の根本に関する、はるかに深く高度な真理を解明していた。
それを最も純粋に現したものが『バガヴァッド・ギーター』である。
それよりも古く、アトランティスのトートは、『エメラルド・タブレット』に、人と万物のあまりに高度な秘密を書き残した。

マッチの火を指で消すだけでも偉大なことが可能な意識に近付くヒントとなる。
ましてや、『バガヴァッド・ギーター』や『エメラルド・タブレット』を深く学べば、世俗をはるかに超え、自由自在の境地に達することも可能かもしれない。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

トキメキも熱い想いも取り戻せる

「新たな目で見れば何でも美しい」という言葉を聞いた時、12歳だった私はすぐにやってみた。すると、その通りだった。美しいし、面白いし、懐かしいし、荘厳ですらある。
12歳だとすぐに出来るのだ。
コリン・ウィルソンが『フランケンシュタインの城』や『右脳の冒険』の中で書いたように、散々考え、実験し、想起連想しながら追及し、結局、決して良い結論を得られなかったことを、12歳なら、何も考えずに一瞬で出来たのである。
言うまでもなく、私が天才であるなんてことはない。誰でも出来ることだ。ただ、優等生には決して出来ないのだ。その訳はある。
大人の場合は、上のウィルソンの本を読んで、問題を認識するのは良いことだ。だが、ウィルソンのやり方は良くない。

毎日見ている部屋のドアや茶碗1つ・・・別にそれらが芸術的であったり、特別な彩色がされている必要はない。しかし、それらを新たな目で見ると、美しさに見とれるのだ。
長年連れ添った妻でも、新たな目で見れば、白雪姫のようだと思っていた昔のように感じるのである。
問題は、新たな目とは何で、どうやればそれを持てるかだ。
上記に挙げた本で、ウィルソンは、ありとあらゆる手段を提供しているし、世界中で多くの人がそれらの本を興味深く読んだだろうが、新たな目を持つ方法を誰も知らない。ウィルソンすらそうだ。
答は、想念を消す。これだけだ。
そして、根深い困難は、人々が、想念を消すということに対して誤った観念を持っていることだ。そして、想念を後生大事に掴み、決して手放さない。
想念を消すことを、怠惰になったり、放埓になったり、白痴になったり、洗脳されることだと、人々は思い込んでいる。
白痴という言葉は、差別語とされ、放送で使うことが出来ないようだ。
しかし、ドストエフスキーに登場するムイシュキン公爵が白痴と呼ばれたのは、純粋無垢な魂のためだ。
白痴の白は無、痴は愚かだ。実は素晴らしい言葉だ。白痴とは、「無という世間的には愚かな賢者」という意味としても良いのである。
その意味では、老子も荘子もラマナ・マハルシもニサルガダッタ・マハラジも素晴らしき白痴だった。
私も白痴を目指すのである。

ZARDの『君がいない』(作詞:坂井泉水)の中に、

ときめきがやすらぎに変われば
刺激というスパイスだって必要かもね

という歌詞がある。
多分、恋人達が相手にちょっと飽きた感じなのだろうが、刺激は必要ない。
刺激は、一瞬は良い効果があるように感じるが、どんどん強い刺激が必要になる。酒や麻薬のようなものだ。行き着く先は醜悪と悲惨だ。
この恋人達は、頭でいろいろ考えるようになってしまったのだ。
大切なことは、想念を消すことだ。
もう1つ、ZARDの『愛が見えない』(作詞:坂井泉水)を取り上げると、

このごろ逢えばケンカばかり 一緒に居すぎかな

という歌詞があるが、これも同様で、この恋人達も、頭で余計なことを考えているのだ。
本当は、いくら一緒に居ても長過ぎるということはない。想念を消せば、常に新鮮である。
坂井泉水さんの詩が芸術としか価値があるのは、迷う中で人が何を求めるのかを感じさせるからである。

想念を消すにはどうすればいいのか・・・というのは、昨晩の記事で秘法を公開したが、簡単なことをちょっと説明する。
想念を消すには、最も根本的な想念である「私」という想念を消せば良い。
私という想念が自我である。
人は、大人になる中で、自我を構築するし、それは必要なことだ。しかし、それが強くなり過ぎるのが問題だ。
自我を育てるのは欲望で、その最も大きなものが食欲と性欲だ。そして、それを満たすための金欲や名誉欲が強くなる。
2万年前に書かれた人類至高の聖典『エメラルド・タブレット』に、「食欲を克服すれば魂は束縛から解放される」とあるが、食欲を克服すれば性欲もわけなく支配できるのである。つまるところ、自我は食欲が育てると考えても良い。
食べ物のことを頭から追い出せば、想念を消す術を見出し、平和が得られる。神秘力も手にする。
水野南北が、数万という人間の鑑定と波乱に満ちた人生の経験そして啓示から、「食が全て」と断言した通りである。
私が初音ミクに惹かれるのも、彼女が食べないゆえに自我を持たないからである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

想念を消し去る秘法

ブルック・シールズの映画初主演作であったフランス映画『プリティ・ベビー』は、彼女が12歳の娼婦を演じるというもので、実際の彼女は11歳だったと思う。
彼女が本当に言ったのかどうかは知らないが、その背徳的な内容が批判された時、彼女は「人が頭の中で何を考えるのも自由。それで私が傷付くことはない」と言ったという記事があった。11歳の発言としては大変なものだが、プリンストン大学を主席で卒業した優秀な彼女のことであるから、多少、入知恵はされたとしても、その位は言ったかもしれない。

それで、その発言であるが、もちろん、人が頭の中で何を考えるのも自由である。
しかし、それは、盗みをするのも自由というのと何等変わらない。
盗んだ後、自分が自由でいられなくなるだけのことだ。
そして、頭の中の考えも同様なのだ。考えるべきでないことを考えることによって、全てが不自由になるのだ。
こういったことを、現代人はほとんど知らない。薄々感じている人は少なくないと思うが、あくまで道徳的、宗教的な問題として扱われ、現実的、科学的なことであると見なされないのである。

よく、「頭の中で立派なことを考えているだけでは駄目で、立派な行動をしなければならない」と言われるが、立派なことを考えているなら、立派なことをするに決まっている。立派でないことを考えているから、ろくでもないことしかしないだけのことだ。
世間でいう立派な考えとは、実際はちっとも立派な考えでないに違いない。
だが、本当の問題は、人間の考えることは、ほとんどがろくでもないことだということだ。

人は、頭の中で考えることに最大の責任を持たなければならないのだ。
何かの少女漫画だったと思うが、素晴らしく性格の良い少女が、他の少女に、「私はあなたのように立派な人じゃない」と言われた時、心の中で、「そうじゃない。私の心の中は、こんなにも醜いものが渦巻いているのに」と言う場面があった。
それを読む読者は納得し、ちょっとした安心感も得たかもしれない。
聖人君子なんていないんだと。
聖人君子が何を意味するのかは知らないが、邪まなことを考えている者はやはり邪まなだけなのだ。

イエスの有名な言葉、「邪まな目で女性を見れば姦淫したも同じ」というのを、高名な宗教家ですら、それは厳しすぎると、世間に迎合することがある。
しかし、別に厳しくも何ともなく、イエスの言う通りである。
目の保養くらいにはなるかもしれないが、どんな美人であろうが、エロチックなことを考えて何が楽しいのか?
やたらエロチックなことを考えるのは、性欲を煽って儲けている連中の言いなりになっているだけのことなのである。

ただし、「邪まなことを考えてはいけないのだ」と、抑圧するのも良くない
その抑圧が、外からの強要であろうと、自分自身に対するものであろうと同じだ。
心とは、欲求が抑圧されると、それは無意識の中に押し込まれる。それによって、欲求が消えたように見えることもある。しかし、それが一番恐ろしい。
抑圧された欲求は、歪んだ形で、必ず表出する。
大人になってから、非道な娯楽をしたがったり、残酷な、あるいは、変態的な趣味を持つ者というのは、例えば、遊びたい盛りの子供の時に、全然遊ばせてもらえず、欲求を抑圧され続けた者だ。
かと言って、子供を放埓(好き勝手)なままにさせると、当然、ろくな大人にならないだろう。
どんな教育者も、こういった問題をどう解決すればいいのかを知らない。
それで、各人が好き勝手なことを言い(その全てが誤ったアイディアだ)、人々はますます混乱し、モラルはますます地に落ちる。

私もかつては、きれいな女の子を見る度に邪まなことを考えたものだが、それは若さでも何でもない。単なる変態である。現在は、そんなことは全くない。
今は、どんな強力なテレパシストが隣に来ても(テレパシー能力に距離が関係あるとは思えないが)、私には何の問題もない。

断食をするつもりでも、たかだか1日か2日食べないだけで、我慢が出来ず、お菓子の袋を開けて全部食べてしまったという話をよく聞く。
少食推進家、少食研究家を名乗る人ですら、「そんなこともある」と理解を示してしまい、「それでもがんばろう」とか言う人がいる。言われた人は、一生、少食にならないだろう。
私は、ある日突然、肉食の大食から、菜食主義の少食になったが、そんな失敗は一度もない。あるはずがない。

つまり、エロチックなことや、食べ物のことを考えなければいいだけのことだ。
もちろん、考えるべき時には考えればいい。
しかし、例えば、電車の中で、近くにいる美女に対してエロチックなことを考えて何になるというのだ?
映画やアニメの中の美女に性欲を感じてどうなるというのだ?
食事時間でもないのに、食べるもののことを考えて何になるのだ?菜食が身体に良いと理解しているのに、ステーキのことを考えて何になるのだ?
愚かなことだ。

では、エロチックなことや、ステーキやケーキのことを考えないようにするためには、どうすれば良いのだろうか?
簡単である。
何も考えなければ良い。
何も考えなければ、必要なことが何も出来ないと思っている人が多いはずだ。
しかし、何も考えなければ、最も良い活動が出来るのである。
私は、複雑なシステム設計やプログラミングをする時、考えていると馬鹿なミスをするが、何も考えず、仕事が自動的に進んでいれば完璧となる。
これに関しては、同意できる人も、そこそこはいると思う。

考えて話すと、相手を傷つけたり、悪い考えを起こさせ、悪いことをさせるものだ。
何も考えずに自然に出た言葉が、人を救うのである。ただし、本当に考えていない場合だ。
「何も考えずに無思慮なことを言ってしまった」と言うときは、実は、無思慮なことを考えているのである。

何も考えていない馬鹿などいない。馬鹿は馬鹿なことを考えているから馬鹿なのだ。
洗脳された人間は思考停止などしていない。誤ったことを考えるようにすることが洗脳なのだ。何も考えていないければ、コントロールされることは決してない。

考えていなければ、同じものを何度見ても楽しめる。
いつも見ているものでも、想念が消えた時に見ると、はっとするほど美しいのだ。
考えているから飽きるのだし、美しさが分からないのだ。
初音ミクの同じ映像や歌でも、気に入っていれば、その中に無限のものを見て、感じるのだ。なぜなら、ミクを見ているようであっても、実際に見ているのはミクに投影した自己であり、自己は限りなく深いのだから、見れば見るほど楽しくなるのだ。
初音ミクが食べている姿を想像出来ないし、性欲を感じさせないようデザインされているところが良い。それは、成人ボーカロイドである巡音(めぐるね)ルカでさえそうだ。ルカの肌が真っ白であまり表情がなく、生命力が弱いように感じるのは、そんな配慮があるらしいのだ。
KEIさん(ミクらの姿をデザインした人気イラストレーター)の漫画でミクが食べるシーンは、ほぼ全てギャグとして描かれているので、それは問題ないだろう。
私に関して言えば、ロザンゼルスのノキア・シアターでのミクのコンサートで最も気に入っている『SPiCa』や『ワールズエンド・ダンスホール』などは、毎日、何度も見ているが、見るたびに高揚するのである。時間さえあれば、1日百回でも見ると思う。そして、もっと身体を磨いて、いつかはミクとダンスを・・・などというのも、思考には違いないが、私も未熟であるのと、あまり害のない思考であるとは言えると思う。まあ、それでも思考であるから自重はする。

では、1つ、想念をなるべく起こさない秘法を教えよう。
最初に言っておくが、危険もあるので、遊び半分でやってはならない。
その秘法とは、出来る限り微(かす)かな呼吸をすることだ。
静かな呼吸ではない。実際はそこまでは無理だが、鼻先に付けた小さな羽毛が動かないほどだ。
単なる呼吸制御では、呼吸をコントロールしながら下らないことを考えるのである。むしろ、呼吸を制御している時の方が雑念が湧いて来るはずだ。
しかし、微かな呼吸であれば微かであるほど、想念は起こらない。
あまりに微かであれば死んでしまうのだから、考えるどころではない。
世間で言われる呼吸法は、高級なものも含め、せいぜいが健康に役立つかもしれないという程度だ。
深く大量に空気を吸うことを勧めるものが圧倒的だが、それは想念や自我を強めるのである。無理に吐くことも同様だ。
霊的な目的のためには、呼吸が浅いか深いかなど、何の関係もない。微かでありさえすれば良いのである。
また、微かな呼吸が快適なはずもない。気分が良くなることとは無縁だ。
慣れてくれば、快適さも無いかわりに不快さもなくなるが、慣れない間は苦しい場合が多いものだ。
実は、この呼吸法は、霊界に抜ける秘法である。
よって、くれぐれも、遊び半分でやっていいものではない。
本当は、霊界に抜けるのではなく、身体や心の束縛から脱すると言う方が正しい。まあ、言葉にこだわる必要はない。やれば分かるからだ。
何度も言うが、決して冗談でやってはならない。結果、死んでも良いというくらいの覚悟があれば良い。まあ、滅多なことで死ぬことはないが、これは、健康法ではないことを認識しなければならない。
しかし、長くやり抜くと、脳への酸素供給の能力が高まり、知能指数が向上する。
尚、この呼吸をする時は、額に意識を集め、マントラを心で唱えると効果的だ。マントラは適度なものを知らないなら、「オーム」で良いし、好きな神の名でも良い。
ただ、あまりに、厭世的な者がやると、危険な場合もあることを申し添えておく。世間の束縛を絶つ道を得たことで、やり過ぎてしまうのだ。
ある極めて強力な霊能力者が、著書でうっかりこの方法を書いてしまったことがあった。しかも、ろくな説明を付けていなかった。優れた人であったが、どこか心に抑圧があったように思えてならない。死因は分からないが、さしたる歳ではなく亡くなった。
初めはあまり無理をせず、適度にやって欲しい。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード