ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

『老子』(76/81)「高く飛べ」

今回は『老子』第76章である。
この章を一言で言えば「高く飛べ」である。

この章は、最も、学者さんら「専門家」や「識者」らが滑稽な解釈をする章だ。
そんな人達の解釈では、若い草は良く、堅くなった古い木は駄目だから、若い草のようでいろという常識的なことを老子が言ったということになってしまう。

この章の本当の意味は、死んだ硬いもの(古い木。ここでの真意は不活性な魂)は地上に縛り付けられているが、生きている柔らかいもの(青い草。ここでの真意は活性化している魂)は、地球から解放され自由になるということだ。

初音ミク 白の和装
AIアート23
「初音ミク 白の和装」
Kay


太古の昔、悪の宇宙人グループが地球に仕掛けたマインドコントロール装置が、地球の人々の魂を不活性な、いわば、死んだ状態にして、地球に縛り付けているが、地球人は、真の自分が全知全能の無限の魂(=神)であることを思い出し、その力を解放することで、宇宙すら創造出来るのである。
真の自分が何者か思い出すためには、自然に生きることが何より大切である。
だから、老子は、自然の働きを「道」という言葉に集約し、自然の理に則って生きることを「道に従って生きる」と言い、これが人間にとっても、最も重要なことであると教えたのだ。
だが、圧倒的に自然と接する機会がなく、加えて、極めて人工的な社会の中で生きている我々には、地球から逃れる術はない。
しかし、ラマナ・マハルシが教えたように、「私は誰か?」と自分に問うことで、真の自分が何であるか思い出すことが出来る。
そうすることで、魂の無限の力を取り戻した者は、老子や釈迦のように、地球を離れ自在に生きるのである。








  
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『老子』(75/81)「世界は心の鏡」

今回は『老子』第75章である。
残り7章ということになる。
この章を一言で言えば「世界は心の鏡」である。

一般に、『老子』は君子の書と言われ、国の治め方(政治)や、戦争のやり方(軍事・兵法)が書かれていると考えられている。
しかし、それはあくまで表向きだ。
『老子』は、我々の心を愚鈍にしたり、狂わせたり、愚かな行いをさせたり、あるいは、不安に陥らせたりする謎の力の存在を感じ、その力から解放されることを自ら為し、その方法を教えているのである。
その謎の力とは、一応、仮の話とした方が良いのかもしれないが、太古の昔、悪の宇宙人が地球にしかけたマインドコントロール装置の力である。

宇宙人の地球の別荘
AIアート22
「宇宙人の地球の別荘」
Kay


そのマインドコントロール装置(以下「装置」とする)は、思考に反応する。
思考に良い思考も、悪い思考もない。
全て悪い。
あえて良い思考があるとすれば、それは、徹底的に控え目な静かな思考だ。
一方、装置の支配を強烈に受ける思考もある。
それが、この章で淡々と、為政者を喩えとして述べられている。
「税を多く取ろうとする思考」
「人民を支配しようとする思考」
「快楽を追求する思考」
これらは、別に、君子に限ったことではない。
我々で言えば、
「自分が得をしようとする思考」
「他人を思い通りにしようとする思考」
「快楽を追求する思考」
である。

現代日本では、為政者も国民も、これらのことにまさに当てはまってしまっており、装置の生贄のようなものである。
そして、恐ろしいことは、そのような思考をすることで装置の影響が強まると、ますます、上に挙げたような思考パターンにさせられ、さらに、装置の影響が強くなるという、悲惨のスパイラルに陥っていることだ。
それが現代日本の状況だ。
そして、もはや、意思の力で、装置の影響を受けない精神になることは不可能だ。
だが、「私は誰か?」と自分に問えば、装置の影響に確実に打ち勝てることが分かっている。
しかし、それをやる者がいないし、少しはやっても続ける者は、ほぼ皆無なのである。
終末論や陰謀論ではないが、このままでは、そう遠くなく、日本も世界も破滅する。
だが、世界の状況がいかに悪く見えても、世界は自分の魂が作るのである。
だから、真の自分である魂(全知全能の無限の存在で、我々の概念で最も近いのは「神」)と融和するだけで良いのだ。
そのために、「私は誰か?」と問い、本当の自分が何であるかを思い出すと、全てはただの悪夢であったことが分かるのである。








  
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『老子』(74/81)「裁くな」

今回は『老子』第74章である。
『老子』は全81章なので、74/81まで来たわけだ。
この章を一言で言えば「裁くな」である。

「裁くな」は、キリスト教で有名な言葉だ。
イエスは「裁く者は裁かれる」と言ったらしいが、なぜそうなるのかまでは説明しなかった。
復讐の宗教とも思われるイスラム教では、「復讐は神にまかせよ」と言うらしい。つまり、自分で復讐をするなということで、これも「自分が裁くな」という考えが根本にあるのだと思う。
こちら(イスラム教)の方は、「人間であるお前が裁いたり、復讐をしようとしても、力がなくてうまくいかない。しかし、神なら確実だ」という意味であると思う。
しかし、イエスのように、「裁く者が裁かれる」とは教えていない。

老子はこう言っている。
「裁くのは天だ。お前ではない」
「素人が大工の真似をしても怪我をする。まして、天の真似をして裁けばただでは済まない」
「天は道に外れた者を必ず裁く。だから、人が裁く必要など全くない」

これは確実だ。
悪い者を自分が懲らしめようとしなくても、悪い者は必ず天が懲らしめてくれる。
ところが、世間の人は、「悪いことをしながら、のうのうと愉快に暮らしているやつが沢山いる」などという。
だがそれは、ほんの一時のことで、やがては転落を免れない。
いや、表向きは愉快そうでも、実際は死ぬほど惨めなものなのだ。

妖精
AIアート21
「妖精」
Kay


「裁く者は裁かれる」も、「天は必ず裁く」も原理がある。
その原理は、イエスも(知られている範囲では)老子も述べていない。
しかし、2人とも、その原理を知っていたと思う。
その原理とは、こうである。
地球には、超高度なテクノロジーで作られたマインドコントロール装置が仕掛けられていて、この装置が、人間の魂の力を低め、虫けらのような状態にしている。
そして、この装置の影響が大きな者が悪いことをする(正確には、自然の理から外れたことを行う)のである。
装置の影響が強い者は、より悪くなっていくが、それは自然の理からますます外れるということなので、必ず悲惨な状況になるのである。
よって、表向きで言えば、悪い者は、必ず裁かれるということになる。
次に、「裁く者が裁かれる」である。
裁くというのは無駄な考えで、そのような無駄な考えに、マインドコントロール装置は反応し、その者をより強く支配する。
そうすれば、その者自身も悪の面が多くなり、結局、自分が裁いた悪と同じになって、そして、裁かれる。
元々は正義の立場で、悪い者や悪い団体を糾弾していた者が、自分自身も悪くなって滅びるというのは、珍しいことではない。
だから、SNSなどで悪い政治家の悪口を盛んに書いている者も、実は危ないのである。

あなたは無駄なことをせず、ただ「私は誰か?」と自分に問えば良い。
すると、あなたはマインドコントロール装置の影響を受けないようになり、いずれは、本当の自分が、全知全能の無限の魂(=神)であることが分かるようになる。
そうなった時に、天道に従い、裁こうとせずに裁くことになるし、その裁きは絶対である。








  
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『老子』第73章を一言で言えば「考えると分からない」

今回は『老子』第73章である。
この章を一言で言えば「考えると分からない」である。

私は、学者の説を見たわけではないが、この章は、ほとんど改ざんされていると思っている。
何と言っても、老子は2500年も前の人で、この時間は想像以上に大きなものだ。
だから、『老子』がどれほど改ざんされているとしても、驚くこともない。
ただ、『老子』全体を貫くシンプルな理があり、それは極めて貴重である。
どう貴重であるかというと、決して、道徳的な意味とか、処世術、君子の道、引き寄せのやり方といったレベルではない。
そんなものは些細な問題だ(簡単にまとめて得られる)。
『老子』の価値の1つには、超高度なテクノロジーによって作られたマインドコントロール装置によって、非常に愚鈍な、たとえて言えば虫けらのような状態にされてしまっている我々が、本来の自分である全知全能の無限の魂(=神)であることを思い出す重要なヒントであることだ。
だが、実際に何をすれば良いのかということについては、『老子』では、それほど明確ではなく、取り除かれてしまっているのかもしれないので、私は、20世紀初頭にラマナ・マハルシが提唱した「私は誰か?」と問うことが、実に的確であると分かり、それを採用している。

遠い惑星
AIアート20
「遠い惑星」
Kay


とはいえ、メソッド(手法)として、老子は、自然に従うことを一貫して述べており、これは、列子や荘子にも継承されている(老子と列子の関係は分からないが)。
そして、この章でも、「本当に重要なことは、頭で考えて分かるものではなく、自然に従うことで分かる」という、全ての章で言っているのと同じことを言っている。
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』の最も重要な言葉、「本当に大切なものは目に見えない」も、「本当に大切なものは思考で理解出来ない」と言い換えて良いが、では、どうすれば、その本当に重要なことが分かるのかというと、「自然に従うことによって」である。
しかし、それは特に現代では難しくなっている。
だが、ラマナ・マハルシは、いわば神を利用する方法である「私は誰か?」と自分に問うことで、実は利用した神は自分だったと分かるという、何とも壮大な(ある意味「上手い」)方法を示した。
よって、自分が全知全能の無限の魂(=神)であることを知識として押さえた上で、それを納得するのではなく、思い出すために「私は誰か?」と問うのである。








  
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『老子』第72章を一言で言えば「最上の手本は空気」

今回は『老子』第72章である。
この章を一言で言えば「最上の手本は空気」である。

あまり、国を支配している、あるいは、支配したことがあるという方はいないだろうが、国民も自分の子供も似ている。
それで、自分の子供を、放任するのと、厳しく躾けるのは、どちらが良いかという話があり、いずれのグループにも、自信満々に「放任が良い」「いや、厳しく躾けないといけない」と主張する者がいるものである。

答は放任であるが、実は、人間は、自分の支配下にあると思うものを放任出来ないのである。
どうしても支配しようとしてしまうのだ。
それで、次善の策である、「最低限の躾をする」のが良いようだが、これだって、親は、最低限のつもりが余計な躾をしてしまい、結果、子供は駄目になる。
国民を支配する場合も同じようなものである。

現代のヘレーネ
AIアート19
「現代のヘレーネ」
Kay


老子は、放任して良い結果を出す者とは、以下のような者だと言っているのである。
「自分を賢いと思っていない」
「自分に価値があると思っていない」
このような者は空気に喩えられる。
ルドルフ・シュタイナーは「優れた教師は空気のような存在」と言ったが、良い為政者や良い親も同じである。
だが、現在の国の支配者や親のほとんどが、全くこうではないので、国民や子供を放任すれば、国は傾き、子供はロクデナシになる。
それでいて、国の支配者や親は、国民や子供にやたら干渉するので、さらに悪い状況になっている感じである。

逆に、上に挙げたことに該当する者には、自然に人が従い、放任してもうまくやっていくのである。
上に挙げたことに該当する者を君子と言う。
そして、君子とは、「私は誰か?」と自分に問うている者である。
君子は、それを知りたいと思っているからである。
なぜなら、君子であるほど、今の自分を作りものっぽく感じているからだ。
その通りなのだ。
我々は、ある高度なテクノロジーで作られたマインドコントロール装置の力で、本当の自分を忘れ、偽物の自分になってしまっている。
だが、「私は誰か?」と問い続けることで思い出すことが出来るのである。








  
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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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