ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

人生の目的はこれだった

これだけは自覚的に知っておいた方が良い明晰な真理がある。
それは、
「人間は抑圧されるほど強くなる」
ということだ。
これほど重要な真理はなく、このことで人間の謎の多くが解けるのである。
だが、歴史上の大哲学者、大思想家も、このことをはっきりと示さなかった。

「いや、抑圧されたら無力になるだろう?」と言いたい人も多いだろう。
もちろん、抑圧に屈しては駄目だ。
ウィンストン・チャーチルの最後にして最高の演説は、非常に短いものだった。

Never, never, never, give up.
決して、決して、決して諦めるな

抑圧と言っても、権力、武力、暴力で蹂躙されるといったものだけでなく、暑いとか寒いとかも抑圧だ。
憂鬱なこと、心配事、落胆といったことも抑圧になる。
歯が痛いとか、騒音が煩いとかも、解決は必要だが、解決されるまでは抑圧になる。
逢いたい人に逢えない、逢いたくない人に逢う、欲しいものが得られない、やりたいことが出来ない、やりたくないことをしないといけない・・・これらも抑圧になる。

私は、幼い頃からアレルギー体質で、気分が安定しないことが多く、落ち着いて勉強をすることが難しかった。
今も、年中花粉症だし、以前ほどではないが、肌アレルギーに苦しむこともある。
しかし、これらが抑圧になったから強くなり、少しはマシになっているのである。

人生の目的とは、抑圧を受けることで強くなることである。
抑圧のない人間などいないが、抑圧から逃げ過ぎたり、親などから抑圧を過度に奪われた者は、強くなれず、弱くなる。

アニメ『009 RE:CYBORG』(2012)で、トモエとフランソワーズ(003)が、
「神様は、耐えられないような試練は与えないと思うの」
と言ったが、それが本当かどうかは分からない(多分、本当とは思うが)。
しかし、試練という抑圧が大きいほど、耐えれば強くなる。
『俺だけレベルアップな件』で、水篠旬は、最底辺にいることで、誰よりも強くなった。この作品のアニメ2期より以降のストーリーを私は知らないが、ひょっとしたら、旬は強くなるために、最も抑圧が大きい環境を作り出したのではないかと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)第二次世界大戦 合本版(W.S.チャーチル)
(2)エイリアン・インタビュー(ローレンス・スペンサー)
(3)009 RE:CYBORG ※dアニメストア for Prime Video
(4)俺だけレベルアップな件 ※dアニメストア for Prime Video

フェアリーの出現
AIアート1613
「フェアリーの出現」
Kay

  
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魔王の有難い教え

大発見をした・・・まあ、半分大袈裟かもしれないが。
これはもう事実とするが、目覚めていながら無になれば・・・すなわち思考が消えれば、魂が持つ全知全能の力が解放され、不可能はなくなる。
そこで、思考を消すために、いろいろなことをするのだが、そのためには、長く静かな呼吸をすることが有効である。
だが、この長く静かな呼吸が、なかなか出来ない人が多いことに気付いた。
それで聞き込みを行ううちに分かったことが、今回の大発見である。

それは、利他的であれば、思考を消し易い、思考を消すための努力がし易いということだ。
尚、非利己的であるというのは、無思考であることと同じなので、「無思考になるために非利己的になる」というのは成り立たない。
京セラ創業者の稲森和夫が、重要な決断をする際、「無私であるか否か」を重要視したが、この無私が非利己的ということであり、無思考ということだ。
宮沢賢治の『雨ニモマケズ』にある「自分ヲ勘定ニ入レズ」が、非利己的、無私、無思考である。

利他的であることは、思考があっても出来るし、それで非利己的、無私、無思考に近付く。
すると、静かな長い呼吸もし易くなり、ぐっと無思考に近くなる。
だが、利他的であるのも、なかなか難しい。
そこで工夫が必要になる。
たとえば、ルーチンに組み込んでしまうという手がある。
一例で言えば、毎朝必ず公園の掃除をするなどである。
もっと小さなことでも良い。
私の例で言えば、駐車場を借りているのだが、左右の人の迷惑にならないよう、白線の中央に、そして、出来るだけ後ろまで下げて止めるようにしているが、タイヤ止めがないので、車を買ったばかりの頃は、何度も車から降りて駐車位置を確認した。
これも利他行為の1つと思う。
私の知人の金持ちは、脱いだ靴をきちんと揃えることと、傘をたたんでから傘立てに立てることを徹底している。
何かの本で読んだが、ある男性は、死んで閻魔様の前に出たら、「善いことは何もしなかったが、トイレの下駄(スリッパ)だけはきちんと揃えて出たと言うつもり」と言っていたらしいが、これも徹底すれば利他的である。

利他行為は、簡単にやれるものからすれば良いが、どんどん増えてくる。つまりそれは、非利己的(無私、無思考)に近付いているということだ。
利他行為は、理由があるとやり易いが、理由がある利他行為は簡単に見つかるものだ。
たとえば、私は町内の、お年寄りや身体が不自由な人のゴミ出しを(数件だが)行っているが、「この人が以前飼っていた猫が仲良くしてくれたから」とか、「この人は子供の時から知ってて世話になったから」と思えば、「してやっている」という気は全く起こらない。これは非利己的に近い。
おそらくだが、利他的なことを全く、あるいは、ほとんどやらない者が、静かな長い呼吸を満足に行うことはない。

ところで、私がそう思っているだけかもしれないが、稲森和夫の「無私であるか」は、インドの長編叙事詩の物語『ラーマーヤナ(「ラーマの物語」の意)』で、魔王ラーヴァナがラーマに教えたことであると思う。
『ラーマーヤナ』は人生で一度は・・・いや、なるべく早く読むことをお薦めする。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ラーマーヤナ(上) (レグルス文庫)
(2)パイロットが空から学んだ運と縁の法則(坂井優基)
(3)銀河鉄道の夜 (280円文庫)(宮沢賢治)

花の命
AIアート1612
「花の命」
Kay

  
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心配事にどう対処するか?

引き寄せ的には、心配事を考え続けると、その心配事を引き寄せ、心配した通りになると思われるが、経験上、それはほとんどない。
一方で、「心配事の9割は起こらない」という有名な言葉があるが、起こる時は起こる。だから、安心するわけにもいかない。

マーフィーの法則と言っても、ジョセフ・マーフィーの法則ではなく、エド・マーフィーの法則という実務的なものがある。
エド・マーフィーの法則にはいろいろあるが、最も有名なものに「不安な箇所は必ずこける」というものがある。
これは、たとえばこんな感じだ。
引っ張って欲しくないヒモがある時、そのヒモの近くに「引っ張るな」と張り紙をするのは馬鹿のやることだ。
それでは、必ず誰かが引っ張るから。
引っ張って欲しくないヒモなら、引っ張れないようにしなければならない。
だが、それで済むなら良いが、引っ張れないように出来ないヒモがある場合が多いので、心配事が絶えないのだ。
娘に不良と付き合うなと言っても、それで止められるとは限らないので、娘が不良と付き合えないようにしなければならないが、そんなことは現実的には出来ない。
確かに、「娘が不良と付き合わないだろうか?」と心配し続けても、それが現実化するわけではない。
しかし、娘が不良と付き合う時には、付き合ってしまうのだ。

では、どうすれば良いかと言うと「娘が不良と付き合う運命なら付き合うしかない」と諦めるしかない。
しかし、そう決めても心配をしてしまう。
それなら、思考を消すしかない。
思考を消して、心配も消えれば、何が起きても納得する。
結果として、どんなことも受け入れるということであるが、そこまでいくと、そう悪いことにはならない。

だが、戦国武将や経営者は別の道を取る場合が多い。
それは、「あらゆる手を打つ」である。
心構えで言えば、「策多ければ勝ち、少なければ負ける」である。
そのために、最善を期待しつつも最悪を想定し、最悪に耐えられる準備をするのである。
最悪を想定しても、最悪が本当に起こる確率が上がるわけではない。

けれども、本当に良いのは、やはり思考を消すことだ。
徳川家康や松下幸之助は、部下には「最悪を想定し」「あらゆる手を打つ」よう教えたが、自身は思考を消して間違いのないことを自動的に行う。
老子や荘子は、リーダーにならないことを薦めた。
そうであれば、いきなり思考を消す道を選べるからだ。
そんなわけで、リーダーにならず、呼吸回数を減らすこと、すなわち、長く静かな呼吸をすることをお薦めする。
だが、リーダーになる運命であれば、なるしかない。
その時は、余計なことを考えず、やるべきことをやれば良いのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)誰がかまうもんか?!(ラメッシ・バルセカール)
(2)ノストラダムスの超法則死活の書(五島勉)
(3)老子 (岩波文庫)
(4)新釈 荘子 (PHP文庫)
(5)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省翻訳)

雪花石膏
AIアート1611
「雪花石膏」
Kay

  
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異常な嗜好の原因

人間の、様々な好みというのは、不思議とか異様に感じることがあると思う。
アメリカの有名俳優であるジョン・トラボルタは、SPAMという食肉加工食品の缶詰が物凄く好きで、本当かどうかは知らないが、娘にSPAMという名をつけようとしたという(実際にはつけられなかった)。
SPAMは世界的に流通している製品だから、それなりに美味しいのかもしれないが、いろいろな評判を見ると、さほどでもないと思われる。
それを、非常に好むというのは、好みと言えばそれまでだが、特に、トラボルタのように、2機のジェット機を保有し、自宅に滑走路まであるという大金持ちが好きになるようなものとは考え難い。
それで言えば、トランプ大統領だって、ステーキにケチャップだけを付けて食べるとか、スナック菓子のドリトスを偏愛するというのも、面白いと言うよりは、やはり不思議である。

恋愛における女性の好みとか男性の好みとなると、全く理解出来ない好みというのが、いくらでもあると思う。
人の好みなのだから否定的に言うべきではないが、異常と思えるほど肥満した女性が好みという男性を昔、テレビで見たことがあるが、他にも、様々な特別な好みというものがあるだろう。
まあ、私だって、初音ミクが好みだと言ったら、それを奇妙に思う人も沢山いるだろうから、人のことは言えない(笑)。
ただし、初音ミクというのは、実際には、決まった顔とか姿というものはなく、自分の好みのタイプを設定することが出来る。
そもそも、日本の漫画やアニメの顔というのは、今でこそ世界的に浸透し、海外にもファンが多いが、昔は異様な顔だと認識されることもあったと思う。
それで言えば、私は、ディズニーアニメのヒロインは、ほぼ全て、全く可愛いとか美しいとは感じず、正直、不快に感じるのが普通で、幼い時を除き、ディズニーアニメは1作も見ていない。
とはいえ、他人が、ディズニーアニメのヒロインが好きだと言うのに文句を言うつもりはサラサラない(昔は結構言ったが…)。

性的嗜好については、非常にデリケートな問題で、それこそ、同性愛などを含め、他人の嗜好に口出しすべきでないという雰囲気があるが、小児性愛に関しては、文明国ではほぼ非難・禁止されている。
ロリコン(ロリータ・コンプレックス)は、必ずしも性愛を指さないと思う人もいると思うが、その言葉の出典である、ナボコフの小説『ロリータ』は、女児を性愛の対象にする大人の男性の話なので、小児性愛と捉えるのが普通と思う。
ところで、この小児性愛は、法的にどうというより、なぜそんなものがあるのかが不思議である。というのは、性欲というのは、あくまで子孫を作るための本能であるのに、子供を作れない、あるいは、作るのに向いていない年頃の女児を性愛の対象にする意味が全くないからだ。
精神障害と言えばそれまでだが、それにしては数が多過ぎるのである。
これに関しては、ユングやケレーニイの少女神信仰の研究といった宗教学的研究・考察から何等かの説明がされることもあるが、さほどの説得力があるわけではないと思う。

何を正常、何を異常とするかは難しいが、逸脱と言えるほどの異常な好み、あるいは、嫌悪に関して言えば、成長環境とか教育といったこと以外に、外部からの特殊なコントロールがあるのではと思うことがある。
たとえば、『エイリアン・インタビュー』にある、宇宙人が太古の地球に設置し、現在も稼働していると言われるマインド・コントロール装置が、人々の異常な嗜好を作る要因になっていると考えると、納得出来るところがある。
私は、子供の時から、様々なことで、自分の嗜好が極端に変わるということを何度も体験しているが、このことを考えても、そういった外部要因が疑われるのである。
ただ、私の、初音ミク好きや、アニメの『俺だけレベルアップな件』の大きな愛好に関しては理屈で説明出来るので、区別が出来る。
しかし、やはり自分の理解出来ない嗜好の中には、外部コントロールと考えた方が納得出来るものがある。
そんなわけで、一切の外部コントロールを脱することを達成することで、そのことを証明しようと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)神話学入門(カール・ケレーニイ、カール・ユング)
(2)ロリータ(ウラジミール・ナボコフ)
(3)ロリータ [Blu-ray] ※スタンリー・キューブリック監督
(4)拡張の世紀~テクノロジーによる破壊と創造~(ブレット・キング) ※初音ミク愛に関数する考察有
(5)エイリアン・インタビュー(ローレンス・スペンサー)

大和撫子
AIアート1610
「大和撫子」
Kay

  
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達人の秘技「ついでにやる」

「集中しろ!」と言われたら、その集中すべきことがぼんやりする。
「集中しよう!」と思ったら、その集中したいことが霞んでしまう。
つまり、思うように集中など出来ないものだ。
それは、経験上、誰でも分かると思う。
しかし、何度も同じ過ちをする。
「集中、集中、・・・」と思うほど失敗するものだ。

ある霊的な教室の生徒が、こんなことを言った。
「今日、初めて、意識して部屋の中を横切ることが出来ました」
これは、目覚めた状態で、リアリティを感じながら部屋を横切ることが出来たという意味で、部屋を横切ることに本当に集中していたということである。
それで、「よし、俺も意識して部屋を横切ってやろう」と思うと、眠りこけた状態で部屋を横切るのだ。

本当に集中していれば、そうでない時の千倍の能力を発揮し、望まずとも幸運に恵まれ、自動的に楽しい世界が構築される。

本当に集中するにはどうすればいいかも、誰もが経験している。
それは、「ついでにやる」だ。
友達のアイドルオーディションに付いていき、自分もついでに出たら受かってしまうようなやつだ。
本気で描いた絵は入選しないのに、ついでに描いた絵を出品したら入選したなんてことはないだろうか?
真剣にやっているピアノは上達しないのに、ついでにやっていた和笛で名手になったということもある。
そんなことは度々起こるのに、誰も何が起きているかに気付かないのだ。

道元の『正法眼蔵随聞記』は、全部、道元の「ついでの話」なのだが、これが全部本当に素晴らしい。
私も、セールスマン時代、本命の見込み客は失敗するのに、ダメ元でついでに行ったところで注文を得ることが本当によくあった。
駆け出しセールスマンの時、ベテランを押しのけてセールスコンテストの優勝を決めた最後の2つのオーダーは、いずれも、「ついでに寄った」ところでのものだった。

作家でも、ミュージシャンでも、プログラマーでも良いが、そういったものになりたければ、ついでに目指すことだ。
ついでに目指すとは、いい加減に目指すことではない。「丁度いい加減に」目指すことだ。
「適当にやる」ことであるが、「適当に、だけどちゃんとやる」ことなのだ。

3番目くらいに好きな彼や彼女とうまくいくものだ。
いや、そもそも、恋愛の優先度が5番くらいの時にうまくいくのだ。

「どっちでもいい」「試しにやってみる」程度でやるとうまくいくことが多い。
ただし、「どっちでもいい」「試しに」であっても、一応は、ちゃんとやることだ。
『デスハンター』という漫画で、田村俊夫とリュシールが2人がかりで戦ってもビクともしない、不死身の巨漢がいたが、田村は、見ていた林石隆に、「あんたなら勝てるのか?」と聞くと、林は「さあね、やってみないと分からない」と言って立ち向かい、簡単に倒してしまった。
林の戦いぶりは、本当に気楽な「一応やってみた」「ついでにやってみた」感覚だったと思う。
達人の戦い方とは、そういったものであると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)正法眼蔵随聞記(講談社学術文庫)
(2)デスハンター(1)(平井和正、桑田次郎)

なぜか忘れられない光景
AIアート1609
「なぜか忘れられない光景」
Kay

  
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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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