ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

神でないふりをやめる簡単な方法

このところ書いている、神に復帰するために「神でないふりをやめる」方法についてさらに書く。

何かでないふりをやめるには、最も簡単に思いつくのは、自分がその「何か」であることを自分に言い聞かせることだ。
それで言えば、「神でないふりをやめる」には、「私は神だ」と自分に言い聞かせれば良いのだが、「私は神だ」と言う者は大抵、頭のおかしなやつで、精神病院にいるらしい(笑)。
なぜ、「自分は神だ」と言う者がおかしいのかというと、そう言っている者が、神でないふりをしている者であるからだ。
神でないふりをしている者が言うことは全部嘘である。
本当のことを言いたいなら、「私は、私は神ではないと言う者ではない」だが、人間は馬鹿だから、二重否定はすっきり理解出来ない・・・つまり、わけがわからない。

『乱歩奇譚 Game of Laplace』(2015)というアニメがある。
江戸川乱歩没50年を記念して作られた作品ということで、江戸川乱歩の『怪人二十面相』のお話を基に、現代風に作られている。
江戸川乱歩作品の少年探偵団の小林少年に該当するのは、コバヤシという名の13歳の少年だ。
だが、コバヤシは、優秀ではあるのだが、外見は美少女の萌えキャラそのもので、時々女装すると、完全にただの美少女である。
どうやら、コバヤシ本人は自分が男であるという自覚はあるようだが、時々、それも疑わしいような振る舞いもする。
そのコバヤシは、捜査の必要上から女装もするのだが、そんな時は、「女のふり」と同時に「男でないふり」をしていることになる。
では、コバヤシが「男でないふり」をし過ぎたら本当に女になるのかというと、そんなことはない。
つまり、いかにコバヤシが「男でないふり」をしても、彼が男であることに変わりはない。
我々が神であることについても同じである。
我々がいかに「神でないふり」をしても、我々が神であることに変わりはないのだ。

もし、コバヤシが「男でないふり」をするあまり、自分が男であることを忘れたらどうすれば良いだろうか?
これが核心であることは分かると思う。
そして、あのニサルガダッタ・マハラジが、神でないふりを実際にやめることが出来た実証済みの方法で、マハラジも勧めている方法がある。
マハラジは、それをやったので、修行をいっさいせずに悟った・・・神でないふりをやめることが出来たのだ。
それは、自分が神であると憶えていることだ。
つまり、コバヤシは、自分が男であることを、信じなくていいから、ただ憶えていれば良いのである。
我々も、自分に言い聞かせるつもりも、宣言するつもりもなく、そして、信じなくていいから、単に事実として「私は神だ」と憶えていれば良い。
全く無感情に「私は神だ」と言っても良いのである。
「太陽が地球や月より大きいのと同じように、私は神である」といった感じである。

物の怪がついてくる
AIアート878
「物の怪がついてくる」
Kay


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(1)エイリアン・インタビュー
(2)乱歩奇譚 Game of Laplace ※Amazon dアニメストア
(3)乱歩奇譚 Game of Laplace(1)夢 ※漫画
(4)アイ・アム・ザット 私は在る~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
  
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神ではないフリをやめるには

昨日書いた、『エイリアン・インタビュー』で語られたことが重要であると思うので取り上げる。
それは、我々が、
「神でないふりをすることで神をやめた」
ということである。
まず、何でそんなこと(神でないフリ)をしたのであるかだが、アメリカの女性作家で事業家であるチン・ニンチュウは、若い時に聖職者に教わったということだったと思うが、答は「楽しいから」であったと思う。
何でもすぐ実現してしまったら面白くないというのは、そんな気がしないでもない。
ところが、イギリス生まれのアメリカの哲学者で作家であるアラン・ワッツは、子供の1人遊びにたとえていた。
つまり、子供が1人で退屈な時、家族ごっこを始め、自分1人で、お父さん役、お母さん役、子供役、赤ん坊役を演じていたが、やがて、これが遊びであることを忘れ、本当にお父さんやお母さんや赤ん坊がいると思い込んでしまったというものだ(あくまでたとえなので、間抜け過ぎるなどとは思わないで欲しい)。
チェコ出身のイスラエルの発明家であったイツァク・ベントフは、もっと他愛ない遊びにたとえていたが、やはり、神様が2役の一人遊びを始めたようなものだと述べていた。

しかし、現代であればシミュレーションゲームにたとえるのが適当と思われる。
つまり、敵や味方や恋人や友人などが登場するゲームをしているうちに、ゲームを現実だと思い込んでしまったのだ。
『ソードアート・オンライン』のようなバーチャルゲームが出来たら、実際にそんなことが起こる可能性が高いだろう。
そして、これが肝心かもしれないが、今既にそうなっており、この世界はバーチャルなシミュレーションゲームである・・・即ち、シミュレーテッド・リアリティであるかもしれないということだ。
イギリスの哲学者ニック・ボストロムやアメリカの事業家イーロン・マスクが、この世界がシミュレーション世界であるとほぼ断言していることが有名であるが、当然、他にもそう思っている科学者や思想家などは大勢いる。

『エイリアン・インタビュー』で言う「自分が神ではないというフリをする」というのは、バーチャルゲーム内において、自分はただのゲームプレーヤーであり、ゲームの最高管理者ではないというフリをしているということだろう。
つまり、面白いゲームを作り、自分はその最高管理権限を持っているのに、そのことを忘れ、ただのプレーヤーとしてゲームをしている状態である。
そして、ゲームが下手なフリをし過ぎて、ロクでもない状態になり、本気で苦しがっているのだから世話がない(笑)。
それで、「ゲームをやめて管理者に戻る方法を教えて」とか言うのだが、そんなこと知るかである(笑)。

自分が管理者、あるいは、神であることを思い出す鍵は自分で残している。
それは、コツってやつである。
「このドアが開かないんだけど」
「ああ、そのドアの開け方にはコツがあるんだ。まずドアノブを左に少し回し・・・」
といったもので、あなたにも1つや2つあるだろう。
神であるあなたは、そんなところに、ゲームを終了させる鍵を設定したのだ。
簡単に言えば、誰も知らない、自分しか知らないことだ。
つまり、神しか知らないのだ。
それを見つけることである。
他にも方法はあるが、今回はこれを書いておく。

誓い
AIアート877
「誓い」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)エイリアン・インタビュー
(2)誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる(チン・ニンチュウ)
(3)高次意識界へのガイドツアー(イツァク・ベントフ)
(4)「ラットレース」から抜け出す方法(アラン・ワッツ)
  
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チート能力を持ってないふりは楽しかったか

一頃から、アニメ等で「チート」というものが流行っている。
チートとは「騙す」という意味で、アニメ等では、反則的なほどの圧倒的な力を持つことである。
そして、最近のアニメでは、チート能力を不正な方法で得るのではなく、ごく真っ当な方法で得たり、与えられるというものが多いと思う。
そんなチート能力を持った主人公は、戦いになれば、どれほど強大な敵や大勢の敵が現れても、余裕綽々で楽勝する。
たとえば、アニメ『即死チートが最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。』では、主人公の高遠夜霧(たかとおよぎり)は、相手を決めて「死ね」と思えば、その相手が即死するというチート能力を持つ。相手がどれほど大勢でも、神のごとく強くても、その力は完全に機能する。だから、最初から戦いにもならない。
おそらく、これらのほとんどのアニメで、チート能力を持つ者は、わずかなピンチにすら陥ることはない。

昔であれば、こういった設定(ヒーローがチート能力を持つ)はありえなかったと思う。
ヒーローが強過ぎてはかえって面白味がなく、ヒーローも強いが敵も強くて、ピンチに陥ってハラハラドキドキさせたり、さらには絶体絶命の状態を根性で逆転勝利するところに見ごたえがあると考えられていたと思う。
それどころか、スペック的には敵の方がずっと強いのに、正義のヒーロー達はチームワークや「愛する人を守ろうとする美しい心」を武器に、傷だらけになりながら最後の最後で勝利して感動させるのも人気のストーリーパターンであると思う。

で、細かい話をし出すとキリがないので結論を言うと、若い人・・・と言うか、クリアな精神を持つ者にとって、チートこそ正しいということが分かって、いや、バレてしまったのだと思う。
昔は、敵やライバルと競い、苦しみながら戦うことが美徳と考えられていたが、これは何のことはない、支配者の洗脳であった・・・ということかもしれない。
こう言うと、「いやいや、そんな甘ったれたご都合主義的な考え方を持ってはならない。現実は厳しく、我々は知恵と勇気をもって戦わねばならない」という、これまでの世界ではまっとうなことを言う人達が多いが、それらの人達はすっかり支配者に教育されてしまっている・・・つまり、洗脳されているのかもしれない。

こう言っても、納得しない人が多いと思う。
そんな人には説得は難しい。
「チートは正しくない。正しくないし面白くもない」という長年の洗脳は、そう簡単には解けない。
まあ、深い洗脳は、何であれ解くのは難しい。

ところで、昔から、「最後の切り札」というものがあった。
奥の手とか、最終兵器とも言われるだろう。
しかし、「切り札は最後まで取っておくものだ」というフレーズがある通り、切り札、奥の手は、出せば勝てる可能性があるが、1回しか使えない。そして、出しても必ずしも勝てるとは限らない。
だが、絶対的な(必ず勝てる)切り札を、いつでも無制限に使えるのが正しいのである。
チート能力を当然持っている存在を、多くの人は神と呼ぶ。
聖書には、「神に出来ないことは何一つない」と書かれている。

『エイリアン・インタビュー』の中の言葉を、ややこしい言い回しをやめてシンプルに言えばこうなると思う。
「人間は神である。では、どうやって神であることをやめたのか?自分は神ではないというふりをすることによってだ」
『エイリアン・インタビュー』の全部が正しいわけではないと思うが、これに関しては、多くの賢者の意見が一致している。
全知全能でないふり、年老いて死ぬふり・・・どうして、そんなふりをするのかというと、強制的にさせられているという説もあるが、その方が面白いからだと言う話もある。多分、正しいのは後者だ。
力に制限があった方が楽しいというのが、ウルトラマンやセーラームーンなどでもお馴染みの考え方だ。
だが、そろそろごっこをやめないと拙いかもしれない。

呼び声を聴く
AIアート876
「呼び声を聴く」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)即死チートが最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。(Amazon Prime Video)
(2)異世界でチート能力を手にした俺は 現実世界をも無双為る ~レベルアップは人生を変えた~(Amazon Prime Video)
(3)陰の実力者になりたくて!(Amazon Prime Video)
(4)誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる(チン・ニンチュウ)
(5)高次意識界へのガイドツアー(イツァク・ベントフ)
(6)エイリアン・インタビュー
  
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「ありがとう」は卑しい言葉かもしれない

今は知らない人も多くなったと思うが、淀川長治さん(1909~1998)という有名な映画解説者がいた。
一般には明るいイメージで捉えられていたが、横尾忠則さんとの対談が書かれた書籍で、非常に複雑な家庭で育ち、記憶違いかもしれないが、霊体験みたいなものもある人だったようだ。
淀川さんは、アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』(1960)を400回以上見て、見る度に必ず涙を流すと語っていたが、それには、淀川さんが育った環境にも関係があると思う。
『太陽がいっぱい』は、世界的な美男俳優アラン・ドロンが24歳の「美貌盛り」の頃の映画で、ドロンは、おそらく子供の時から貧しく何も持たないトムという名の若者を演じている。
淀川さんは別に貧しい家庭で育ったわけではない(むしろ非常に豊かだったと思う)が、精神的には貧しい環境であったと思う。
トムは、富豪の息子であるフィリップと仲良くなるが、友人と言っても、富豪の息子と何も持たない貧しい男という立場の差は歴然としており、対等な関係では全くない。見かけ上は仲良しの若者同士であるが、フィリップは平然とトムを下僕扱いするようなところがあった。
これは映画を見る者によって異なるかもしれないが、私としては、人間としてはフィリップに劣るところが全くないトムが、何も、持たないがゆえに軽く、時に屈辱的に扱われるのは辛いだろうと思うのである。
そういえば、私も小学生の時、お金持ちの家の一人息子の友人がいて、そのことでは良い想いはしなかった。

トムは優れた能力を悪用し、危険も冒しながら犯罪を重ね、ついに富を得る。
完全犯罪を成し遂げ、ゆったりとくつろぐトムに、ウエイトレスが「気分はどうですか?」と尋ねると、トムは微笑み「いい気分だよ」と答える場面を、私ははっきり憶えている。
ウィキペディアによれば、原音声でも、トムは「気分はいいよ」「人生で最高の気分だよ」と答えているらしい。

ネヴィル・ゴダードが発見した優れた引き寄せ法則である「想定の法則」では、願いを叶えた時の気分を想像すれば、強い引き寄せが起こり、願いは叶う。
それで言えば、トムは以前から、願いを叶えた時の気分を想像済みで、それによって難しい状況も切り抜け、願いを叶えたように思える。
問題は、貧しいがゆえの恨みや、正しい方法で成功する発想を持てないことで、歪んだ「青春の野望」になってしまったことだ。

トムはその直後に最悪の気分を味わうだろうが、そこは映画では描かれず、代わりに、ニーノ・ロータのあの有名な切ない曲が流れる。
これほどの演出はそうは見れない傑作映画と思う。
監督は『禁じられた遊び』でも知られるルネ・クレマンである。

さっきも言ったが、想定の法則では、願いが叶った時の気分を想像すれば、願いが叶う引き寄せが速やかに起こる。
まあ、想定の法則をこんなに簡単に説明してくれる人はいないが、これほど簡単なことである。
そして、願いが叶った時は皆、トムのように「いい気分」を感じるだろう。
しかし、願いが叶った時の気分を想像する際、私なら、まず、ちょっと「よかった」とつぶやくことを勧める。
でないとトムのようになる危険があると同時に、そうした方が願いが叶った時の気分を想像し易いと思う。
そして、昨日も書いたが、志賀一雅博士が開発した究極の呼吸法「よかった、ありがとう呼吸」を「よかった、いい気分だ呼吸」で行う方が良いと思う。
すなわち、「よかった」と思いながら息を吸い、「いい気分だ」と思いながら息を吐くのである。
「ありがとう」ではなく「ありがたい」なら良いと思う。なぜなら、「ありがたい」というのは「いい気分」だからだ。
感謝とは無理にするものではなく、感謝の念は自然に起こるものである。
我々は建前で、あるいは、コミュニケーション手段として「ありがとう」と言い、それは悪いことではないが、本気で「ありがとう」と言った気になってはならないのだと思う。
正直に自分の心を見るなら、私は本気で「ありがとう」と言ったことはただの一度もなく、それは全部嘘であった。
嘘の「ありがとう」を本気で言ったと思えば心が歪む。
私なら「ありがとう」と言うくらいなら、何かしてあげるか、何か良いものをあげようと思う。
あるいは、それは借りとして憶え、なるべく早く返そうとする。
「ありがとう」でチャラにしようとするなど卑しいし、そんな卑しい人間が多い。
「同情するなら金をくれ」なんて有名なセリフがあったが、それに倣えば「ありがとうと言うなら金をやれ」である。

古い部屋
AIアート875
「古い部屋」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)太陽がいっぱい [Blu-ray]
(2)太陽がいっぱい(パトリシア・ハイスミス)
(3)禁じられた遊び(字幕版)※Amazon Prime Video
(4)見えるものと観えないもの(横尾忠則)※淀川長治氏との対談収録
(5)神さまの周波数とシンクロする方法(志賀一雅)
  
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この世は心配しない者勝ち

「明晰夢」という言葉には問題があると思う。
「明晰夢」とは、夢だと自覚しながら見る夢のことであるが、私の場合で言えば、夢であると「明晰(明らかにはっきり)」に分かるほどではなく、「夢かもしれないな」「夢っぽいな」程度の自覚である。
私の最近の明晰夢は、「夢のようだな」という感覚から始まり、ほとんど初めて「これは夢だ」ときっちり判定したが、それでも、明晰と言うほどには絶対的な確信はなかった。
言ってみれば、恋人の愛を9割以上確信しているというのではなく、7割程度は信じているといった、割と不安もあるような感じだ。

さて、その明晰夢(と一応呼ぶ)の中で、私は「入ってはいけない場所」に入っていった。
なぜ「入ってはいけない場所」かというと、別に、誰かに「入るな」と言われたわけでも、「立ち入り禁止」の札があるわけでもなかったが、「なぜか入ってはいけない場所だと分かってしまう」からだった。
それでまあ、多少は緊張していた。
そして、2人の男が近寄って来るのを感じ、「身を隠さねば」と思った。
発見されたら、捕まえられるかもしれないし、捕まえられたらどうなるか分からない。
それで私は、一時的に不安になったが、一気に緊迫感をなくした。
「どうせ夢じゃん」と思ったかどうか憶えていないが、それよりも、映画や劇の役を演じている俳優の気分だったと思う。
どんな展開になるのか分からないし、展開をコントロール出来るかどうかも分からないが、とにかく心配する気にならなかった。
どうせ映画の撮影、あるいは、劇のようなものなのだからだ。

昔、UFOに追われる夢を見た時は、捕まった時のことを考え、恐怖を感じたが、今はそんなことは全くない。
そして、目が覚めていると思っている時こそ、本当の明晰夢なのだと思う。
だから、何が起きても心配してはならない。
そりゃ、論理的に考えれば、心配するという感情があるからこそ、人類は危険に備え、生き延びてきたように思うが、ひょっとしたら、心配しなかった者が生き延びたのではないかと思う。
この現実という明晰夢の中では、心配したことが起こるのだ。
ただし、普通は、心配したことは直ぐには起こらず、起こりそうな雰囲気をどんどん強くしていって不安を増大し、結果、起ころうが起こるまいが、我々は貴重な生命エネルギーを漏洩(漏らすこと)し、老化するのだ。

言い換えれば、この世は「心配しない者勝ち」「心配する者負け」なのである。
もちろん、心配しないためには思考を消せば良い。
その最上の方法は、当然、いつも言う通り、今今メソッドである。
志賀一雅博士の「よかった、ありがとう呼吸」も良いのだが、私は個人的にずっと、「ありがとう」が良くないと感じていた。
志賀博士は、赤ん坊に微笑みかけた時の赤ん坊の反応にたとえ、微笑みかけられた赤ん坊は喜ぶ、つまり、言葉で言えば「よかった」と言えるような状態になり、続いて、赤ん坊も笑うが、志賀博士は、この赤ん坊の喜びの表現が「ありがとう」であると言う。しかし、それはないと思う。
赤ん坊の喜びの表現は、単に、嬉しい、楽しい、愉快ということを示しており、「ありがとう」などではない。
ただし、「よかった」という表現は抜群で、これは、さすが志賀博士と思う。
で、私の場合は、研究の結果、「よかった、いい気分だ」になった。
息を吸いながら「よかった」と思い、吐きながら「いい気分だ」と思うのである。
「いい気分だ」は「安心だ」「穏やかだ」「平安だ」「のどかだ」「優雅だ」「嬉しい」「楽しい」「幸せだ」などでも良く、好きなものを選べば良いが、「想定の法則」を適用するなら、やはり「いい気分だ」が良いと思う。
とはいえ、やはり、自分が良いと思うもので良いし、どんどん変えていっても構わない。私も実はよく変えて行っている。

軽やか
AIアート874
「軽やか」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)神さまの周波数とシンクロする方法(志賀一雅)
(2)魂の対外旅行(ロバート.A.モンロー)
(3)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)
  
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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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