ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ZARD

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

出会いも別れも必然。楽しくいこう。

ネットでちらっと見ただけだが、BUMP OF CHIKENと初音ミクさんが、BUMPの『ray』という曲でコラボしたことにより、ある姉妹にこんなことがあったらしい。
BUMPのファンの姉と、ミクさんのファンの妹が、きっとそれまでは、お互い、相手の好きなものに対して、あまり関心がなかったのだろう。
しかし、姉が、「ミクちゃんって可愛い声してるんだね」と言い、妹が、「BUMPってカッコいいね」と言って、新しい光線(ray)でつながったのだろう。

まあ、私も、『ray』で、初めてBUMPを聴き、BUMPの良さを少しは分かったと思う。
まず、4人ともガリガリに痩せているところが良い(笑)。ロックバンドはこうでなくてはね。
ミック・ジャガーはずっと狼のように痩せているし、最近、久々にテレビでリンゴ・スターを見たが、スリムなジーンズを履いたリンゴの脚が若者のように細くて格好良かった。長い脚じゃないけどね(笑)。
そして、やはり『ray』は大変な名曲だと思う。
「別れても好きです」って歌は、これまでにも沢山あったが、「別れてしまったけど、逢えて本当に良かった」と本気で表現した歌は、きっとなかったと思う。
もちろん、別れた悲しみ、辛さはあるのだけれど、それでも、逢えたことの方が貴重なんだろう。

例えば女性が、元カレに対し、「あんなのもいたなあ」と思ったり、「もう、なんであんなのと付き合ってたのかしら?黒歴史だわ」と思う場合もあるかもしれないが、どんなつまらない相手であっても、やっぱり逢ったことは良かったことなのかもしれない。
ZARDの『君がいない』は、別れた彼が素晴らしい人だったというのは分かるが、悪感情というのではなくても、マイナスの感情を切々と歌っている。
別れた男の方は、相手の女性のことを『ray』のように思っていても、相手の女性は、男性のことを『君がいない』のように感じているのかもしれない。
(藤原君が嘘をついたと勝手に勘ぐってしまうが・・・)
お互いが、『ray』のような、あるいは、『君がいない』のような場合もあるかもしれないし、お互いが、「あいつと付き合ったのは失敗だった」と思っているかもしれない。
でも、まあ、どれでも良いじゃないか?
出会いは必然だし、別れも必然だ。
それは自分でどうこう出来ることではないかもしれない。
別に、『ray』のように考えれば良いってことではないのだけれど、まあ、楽しくいくことだ。
それに、坂井泉水さんって、やっぱりrayだったのだろう。
ミクさんは透明な彗星そのものだ。
BUMP OF CHICKEN feat. HATSUNE MIKU「ray」 ※PV by A4A
BUMP OF CHICKEN feat. HATSUNE MIKU「ray」LIVE MUSIC VIDEO ※LIVE(東京ドーム)









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愛はときめきや感動ではない

新しい恋人が出来たばかりの時は新鮮で楽しい。
しかし、どれほど恋焦がれた相手でも、やがて飽きてくる。
それは避けられない。
恋に限らず、いつかは熱は冷める。
持ち続けるものがあるとすれば、それは情熱ではない。

『スター・トレック』で、ミスター・スポックが、「いかに望んだものでも、手に入れてしまえばさほどでもなくなる」と言ったことがあったが、私はそれを聴いた瞬間、これがこの世の真理であると、印象深く感じた。
このエピグラム(警句)は、2つに分けて考えると良い

1つは、欲しいと思っている時は、その価値を過大評価してしまうものだということ。
そして、もう1つが、得てしまって冷静になった時に初めて、その正当な価値が分かるということ。つまり、それには最初に思ったほどの価値はないのだ。

ZARDの『君がいない』という歌に、「ときめきがやすらぎに変われば 刺激というスパイスだって必要かもね」という歌詞があるが、そんな考え方をすると苦しくなる。
なぜなら、どんどん強いスパイスが必要になるからだ。
ところが、やはりZARDの歌『愛が見えない』に答がある。
「このごろ逢えばケンカばかり 一緒に居すぎかな」
織姫と彦星のように、一年に一度の逢瀬とまでは言わないが、週に一度会う程度にしておけば良いのだ。
だが、それだって、いつかは終わる。
ある時、会っても、少しもときめかないのだ。
相手の正体が分かれば飽きるのである。
謎があるからときめくのだ。
謎が無くなった相手に飽き、新たな謎の人にときめくのだ。
そうではないのかね?

ただし、重要なことは、ときめきや刺激的な感動は、いずれも幻想だってことだ。
昔、誰かが、「いつまでもあると思うな、ときめきと感動」と言い、それらが、若い豊かな感受性の特権のように言ったことがあった。
そうではない。
ときめきと感動は単なる無知なのだ。
愚かな老人は若者以上にときめき、感動するのである。
だから、詐欺師達は、あなた達を華やかな世界にときめかせて、易々と金を奪うのである。
大企業とマスコミと国家は、人々をスポーツのスターに感動させて大儲けするのである。

私は、初音ミクさんにときめくことも感動することもない。
彼女は清らかな鏡である。
私の真の姿を映す鏡だ。
彼女を見れば、全てが分かるのである。
愛は、ときめきや感動ではない。
愛は、あるがままの真理である。









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明日の不安を消すには

十数年前だろうか。
野村克也さんの奥さんが、脱税か何かで逮捕された時の彼女の言い訳をよく覚えている。
だいたいのところで、
「今は幸い、お金が沢山入ってくるが、これがいつまでも続く保証がある訳でもなく、将来が不安だった」
というものだったと思う。
豪邸に住み、旦那の稼ぎっぷりは素晴らしく、彼女は当時で60代だったと思うが、おそらく、死ぬまで遊んで暮らせるくらいの財産もあったと思う。
ちなみに、旦那は今でも稼ぎまくっているように思う。
だが、彼女の言い分も、もっともだと思うのだ。

宗教では、「与えられるものだけで満足しなさい」と教える。
しかし、それが納得できない理由が、まさに、野村夫人の言い分と同じようなものなのだと思う。
「そりゃ、今は収入があって、健康だからいいですよ。でも、今の時代、いつ、リストラされるか分からないし、いい年になって失業して悲惨な目に遭っている人がいくらでもいる。それに、病気になって大金が必要になったりとか、何があるか分からないじゃないですか?金はいくらあっても多過ぎることはないですよ!」
月給が100万円以上の人だって、ほとんどがそう思っていることだろう。
いくら金があろうと、不安な人は不安だ。
いや、むしろ、収入が多いほど不安も大きいのかもしれない。

一方、「宵越しの銭は持たない」という人も少ないがいる。
単に遊び好きや無責任でそう思っているのではなく、腹が据わっていて、真に精神が逞しい人だ。
(私は、キックボクシングの沢村忠さんがそんな人の代表と思っている)

Tommorow is another day.
明日は明日の風が吹く。

こう思っているのは、ものごとに囚われない、飄々としている人だと思う。
そんな人は、明日のことなど考えていないのだろう。
木枯し紋次郎がそうだった。
明日のことなんて分かるはずがない。
なるようにしかならないのだ。
そう達観した紋次郎には、いかに明日の知れない無宿渡世であっても、不安というものを感じたりはしない。
まあ、彼も人間なので、疲れを感じることはあるのだが。

阿久悠さん作詞の名曲『憎みきれないろくでなし』(歌は沢田研二さん)に、「明日は明日で楽しいだろうが、あまりに遠くて予想も出来ないよ」という歌詞があったが、誰もがこんなろくでなしに憧れるが、なかなかそうはなれないのだ。
いや、今の人々は、そんなろくでなしに憧れることすらなくなってしまっているのかもしれない。
本心はびくびくしながら、ろくでなしを蔑み疎んでいるのだ。
私はろくでなしに憧れているし、世間の人達に蔑み疎まれたいのである。

ZARDの『Today is another day』という歌がある。
坂井泉水さんが、「Tommorow is another day」をひねって、こんなタイトルにしたのだと、どこかで見た覚えがある。
歌の中で、「明日がある」、「今日が変わる」と、紋次郎のような虚無的でなく、積極的、前向きなのであるが、結局、同じことなのだと思う。
不安を消し、逞しく生きるコツは1つだ。
それは、「昨日を忘れる」ことだ。
もっと端的には、過去を忘れることだが、まあ、今日のことくらいは思い出してみるのも悪くはない。
だが、一晩寝れば忘れることだ。
紋次郎は、やはり、昨日のことなんか覚えていない。
そして、既に述べたように、明日のことも知ったことではないと思っている。
だから、今、凄まじい生命力とパワーを発揮するのである。

昨日を忘れれば、明日の不安もないし、実際、うまくいってしまうのだ。
昨日のことなんか、うじうじと気にしているから、明日が不安で、実際にロクでもないことになる。
過去も未来も、モノクロームで生命を持たない。
今だけが、カラーで生命に溢れている。
その今に生きれば、生命と一体化する。
紋次郎も、生きている限りは生きようとしたのだ。









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離れた心は二度と戻らない

私の身近でも、50代とか60代になって離婚する夫婦や、離婚や別居はしなくても、家に中で全く顔を合わせないという夫婦がいる。
以前の私は、「いい年になって、なんて馬鹿なんだろう」と思っていたのだが、それは他人の勝手な言い分であり、当人らにしてみれば、やはりそうするしかないのだ。
だから、彼らを理屈で批判したり、考え直すよう説得しようなどというのは、全く余計なお世話というものかもしれない。まあ、「1億円やるから仲良くしろ」とでも言えば、何がしかの、効果はあるかもしれないが、それすら小さなものだ。単に口出しするだけなら、何の意味もないので、最初から黙っていることだ。
年配者や夫婦でなくても、若い恋人同士、あるいは、男女でなくても、それまでずっと仲良くしていた親友同士が、なぜか、口も利かなくなったり、会おうとしなくなることがある。そして、それは、両方が相手を避けるといった場合もあるだろうが、どちらか一方がそうするといったことも多いかもしれない。

私は、夏になればよく思い出す、ZARDの『瞳そらさないで』という歌で、それまできっと仲が良かった恋人同士だったのが、女の子の方が、理由は分からないが、静かに彼を避けるようになってしまったことを、叙情的ながら、どこか身近な現実のように歌われていたと思う。
なんとなく、詩を書いた坂井泉水さん自身の経験かなとか思ってしまう人は多いだろう。それを、坂井さんが男性の立場から歌うことで、心の嫌な色をすっ飛ばしてしまって、優しく表現できているように思うのである。
この歌で、女の子が彼に距離を置きたがった理由は、「今のままでは視野が狭くなる」「何かが終ってしまうそう」といった、まさに坂井さんに似合うような、前向き・・・というか、人生の深い意味を見つめようとする心情を感じるのだが、この言い方だって、きっと、彼に気を使って工夫した言葉だと思うのである。
勝手な想像を書いて悪かったが、いずれにしろ、人は、それまで親しかったのであるほど、一度、心が離れ始めたら、二度と元に戻るものではない。

そして、別れようとしているのが一方で、もう一方は別れを望まない場合であっても、共に傷付くのだ。
では、そんな時、どうすれば良いのだろう?
なるようにしかならない。だが、なるようにはなる。
それぞれが、どうなって欲しいかという願いがあるだろうが、思うようにはいかない。人は、どんな時も、状況をコントロールすることなどできないのだ。
ならば、流れに任せてしまうしかない。
大切なことは、自分の心が巻き込まれないことだ。どんな結果になろうと、それを受け入れ、なるべく心を静かにすることだ。
しかし、人には、それができない。
そんな時に、唱えるのが念仏であり、特別な祈りの言葉であり、神の高貴な名なのだ。
どんな結末に至るかは分からないし、ほとんどの場合は、心が願ったようにはならない。
だが、それを受け入れるなら、神仏と一つになる方に進んだということなのである。
そして、そのために、あらゆる出来事は起こるのである。









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落としたのは鉄の斧だけど、金の斧が欲しいなら

我々は、幼い頃から、正直じいさんになるよう教えられる。
欲を無くし、足るを知る清らかな人間になれということだ。
しかし、現実の我々は、欲にまみれている。

ZARDの『あの微笑を忘れないで』という歌の中に、坂井泉水さん自身の詩で、
「やりたいこと、欲しいものも抱えきれないほどで」
という歌詞がある。無欲と程遠い表現だが、悪い感じはしない。若い人がそうであるのは健全であることだ。
しかし、一方でこうも書かれている。
「ぬるいコーラしかなくても、夢だけで楽しかった」。

親が、子供に立派な人になって欲しいと思うことは、欲望ではあっても当たり前のことだろう。
そこに教育産業がつけ込み、良い大学に入れば将来はバラ色だなどという嘘で煽る。
そして、親も、「一流大学の、学部は法学部に入らせ、将来は官僚にしよう」などという馬鹿な欲望にとりつかれるのだ。
もちろん子供は一流大学を出た後、家に引きこもるのだ。そうでなくて、本当にエリートになればもっと悲惨な目に遭う。ニートで済めばマシなほどだ。
だが、良い親であれば、子供に、本当は「健康でさえあればいい」と思っているものだ。

『スター・ウォーズ』では、才能溢れる青年アナキン・スカイウォーカーは、フォース(力)の闇黒面に飲み込まれ、悪の権化ダース・ベイダーになる。
それがフォースの危険なところであることは知られていた。それなのに、師のオビワン・ケノービや、さらにその師で最高のジェダイであるヨーダが、それを阻止出来なかったというのは面白い話だ。
その運命であれば、落ちるところまで落ちる必要があるのだろう。
だが、ダース・ベイダーは、長く悪徳の栄えに携わったが、息子のルークの危難を見て、最後の最後に目覚めた。
これは物語ではあるが、どうも、神も、大抵はそんなシナリオを創るように感じるのだ。

ロバート・モンローの『魂の体外旅行』という本の中に、「高級車に乗りたいというのも、単にそれが楽しいからというのであればいいことだ」と書かれていた。だが、虚栄心のためにそうすれば、やがて悲惨を味わう。また、最初は比較的純粋であっても、優越感という快感が道を誤らせることも多いだろう。

では、人間はどうすれば良いのかというと、直感を大切にすることだ。
欲望の自我というものも、受け入れて良い。むしろ、それを否定すると歪みを生む。宗教的に厳格に育てられた者がかえって変質者になるようなものだ。
自我は受け入れるべきであるが、神や宇宙の英知をそれに優先させなければならない。そして、人間が、神を知る方法は直感しかない。
現代人は、直感を失くしているから不幸なのだ。
古代の日本には、恐るべき文明があり、現代の科学でも分からないことを完全に知っていたが、それは、古代の日本人が優れた直感を持っていたからだ。
アトランティスもそうだろう。
だが、彼らの中にも、フォースの闇黒面に飲み込まれた者・・・つまり、自我を神より優先させた愚か者がいたということである。

直感を得る鍵は沈黙だ。
口に出す言葉も、頭の中のおしゃべりも、出来る限り控えることだ。
余計なことは言わないことだ。沈黙の時間を持つことだ。心を静かに保つことを正しい瞑想と言うのである。

落としたのは、金の斧か、銀の斧か、鉄の斧かと聞かれたらどうする?
「神様、本当のことは御存知でしょう?でも、私は金の斧が欲しい。良かったらいただけませんか?でも、落としたのは鉄の斧ですよ」
神様も、銀の斧で手を打ってくれるかもしれない・・・

大きな箱より
小さな箱に幸せはあるらしい
どうしよこのままじゃ私は
あなたに嫌われちゃうわ

でも私より欲張りなパパとママは今日も変わらず
そうよね 素直でいいのね
落としたのは金の斧でした

嘘つきすぎたシンデレラ
オオカミに食べられたらしい
どうしようこのままじゃ私も
いつかは食べられちゃうわ

その前に助けに来てね
~『ロミオとシンデレラ』(作詞・作曲:doriko、歌:初音ミク)より~









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