ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

Xファイル

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

苦難こそ、かけがえのない友

小椋桂さん作詞作曲の歌『また旅支度』は、このタイトルだけでも味わい深い想いがするが、この歌の最後の部分、「どこにあるのか 安らぎの場所 なぜ また旅支度」というところが、極めて印象的だ。
旅は辛く苦しいものであるが、やめられないものであるらしい。

西部劇『南から来た用心棒』(原題:アリゾナ・コルト)で、流れ者のギャンブラーで銃も凄腕のアリゾナ・コルトは、ある街で英雄となり、心惹かれた美女にも慕われるが、最後は未練なく馬で旅立つ。
アニメ『エル・カザド』で、苦難の旅を続けてきた2人の少女、ナディとエリスは、ある老夫婦に出会い、しばらく彼らの家にいる間、老夫婦は彼女達を実の娘のように優しくしてくれた。そして、老夫婦は少女達がずっとここにいること、つまり、本当の娘になってくれることを願い、彼女達も、それを楽しいことのように感じたが、やはり、旅立ってしまう。そして、老夫婦も、それが仕方がないことだと理解していたようだ。
時代劇小説『木枯し紋次郎』および、その続編の『帰ってきた紋次郎』シリーズの全21冊の中で、一生、旅をするしかない定めの紋次郎も、3度、安住の地を見つけたことがあり、それは、紋次郎にとって、奇跡的なほど快適で幸福に思える場所だった。
紋次郎自身、そこに居続けたいと感じてはいたのだが、やはりいつも最後は旅立ってしまう。
その時の紋次郎は鳥かごから出た野生の鳥のようで、読んでいる方も、安住する紋次郎は紋次郎でないと感じるはずである。

これらは、創作作品であるとはいえ、そういったところが極めて自然で、それが本当のことであるとはっきりと感じるのである。
それを、最初に挙げた、小椋桂さんの『また旅支度』の歌が見事に描いている。

なにかのハードボイルドな漫画で見たことがあるが、ある裕福な家のお嬢さんが、苦闘の人生を生きる男を見て、「人間は安定を求めた時に生きるのをやめるのですね」と確信して語る場面を覚えている。読んだのは子供の時だったし、たまたま見た古い雑誌に載っていたもので、ストーリーなんてさっぱり分からないながら、そのセリフだけを印象深く覚えているのだ。

旅は、観光ではないのだから、楽しいことはあまりなく、むしろ、苦しいことの方が多い。
周りは知らない人ばかりだし、彼らがどんな人間か分からず、好意を持たれていない場合も多い。
そもそも、安住している人々はよそ者を嫌う。
その土地のどこに何があるか知らないし、食料など、生活必需品がうまく手に入らないことも珍しくはない(昔であれば極めて困難だ)。
不便な地で途方に暮れることもあるし、争いになれば、有利なことなんてまずない。
それでも、旅の味を覚えれば、やめられないものに違いない。

人間は、安楽であれば、肛門が開いていく。
苦難、危険があれば、生きるために、無意識に肛門を締める。
ヨガの大家達は、若さとは肛門の締める力が強いことに他ならないと言う。
肛門を締める頻度が高いほど、エネルギーを得て、若くなり、強くなる。
それを、意識せずにやれるのが旅なのだろう。

多くの人は旅をしていない。
だが、苦しいことが多い人生ほど、旅に似て来る。
そもそも、人生は旅であるのらしい。
有名な歌をネタにしたある歌に、「人生は川じゃない、沼だ」というのがあったが、安住すれば、沼になるのだ。
苦しいことでもなければ、肛門を締める修行もなかなか出来ないものだ。
だが、常に肛門が締まるようになれば、腹に気が満ち、いかなる苦難にも打ち勝つ力が出来ている。
そうなれば、むしろ、苦難がないと退屈でつまらない。
生きるのをやめないため、自然の気と交流するため、力をつけて喜ぶため、未知の冒険に嬉々として挑む自分であることを試すため、苦難こそ友なのである。

SFテレビドラマ『Xファイル』で、FBI長官がこんなことを言う。
「友は身近に。しかし、敵はもっと身近に置くものだよ」
敵こそ、真の友である。
心(小我)にとって敵である苦難こそ、純粋な心(大我)にとって、かけがえのない友である。









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敵は共にあるべきである

いやな奴が消えるとほっとする。
しかし、それで後ろめたい気持ちになることがある。
私も、会社の中で、「苦手」なんてものではない、ほとんど憎んでいた者が、会社を辞めたことが(全ては憶えていないが何度か)あった。
事前に全く知らない中で、彼が、「今日で辞めます」と挨拶に来た時には、正直に言って、本当に嬉しかった。
独断的で傲慢な人間だと私は感じていたし、私よりずっと上の立場で、何かと私を攻撃してくるので、私はひどく煩わしく思っていたのだ。
だが、自分の嬉しいという想いに、後ろめたい気持ちもあった。辞めることになった事情は知らないが、彼の表情や雰囲気にどこか虚しさみたいなものを感じてもいたのだ。
普通に考えたって、いい年で、いい立場で辞めるのであるから、あまり結構な事情でないことくらいは分かる。

ところで、手塚治虫さんがまだいくらか若かった頃だとは思うが、彼が既に、日本一の漫画家と認められていたと思われる時の話だ。
福井英一さんという漫画家の人気が出てきて、彼は手塚さんの地位を追い抜いてしまう。
手塚さんは悔しくて、つい著作の中で、福井さんの作品を貶すようなことを書いてしまった。ところが、それを福井さん本人に気付かれてしまい、彼に問い詰められ、白(しら)を切ることもできなくなり、素直に謝ったという。
だが、福井さんは、過労のために急死してしまった。
手塚さんは、自伝的な著書の中で、その時のことを「ほっとした」と正直に告白されていた。なかなか言えることではないと思う。
ただ、手塚さんが、それをあえて書く気になったのは、福井さんが自宅に手塚さんの作品を全て揃えてあったことや、「俺は手塚を超えたとは思っていない」と言っていたことを、福井さんと親しかった人から知らされたこともあったのかもしれない。

あなたも、いやな奴の1人や2人はいると思う。
そんな時、どうすれば良いのかというと、手塚さんにすら言ってやりたかったほどだが、共にあるべき、共存すべきなのだ。
免疫学者の藤田紘一郎さんが昔、ある貧しい発展途上国に研究のため滞在した時のことだ。そこでは、排泄物を直接川に流していた(あるいは、川で排泄していた)のだが、住民は、その川の水で、食器など、あらゆるものを洗い、その水で料理もしていた。
子供達は、その中で遊んでいた。
想像するのも嫌な光景だが、不思議と病気の人はあまりおらず、清潔な日本と違い、アレルギーの子供なんて1人もいない。
調べてみると、確かに大腸菌はうようよいたが、特に病原菌が多いわけではない。
つまり、大腸菌と病原菌が共存し、お互い、相手を抑えているのである。
また、そこでは、人間が、大腸菌や病原菌と共存しているのだともいえる。
O157という大腸菌が猛威を振るった場所というのは、他の大腸菌がいない、清潔な場所だけだったらしい。
無菌状態になっていた学校の中で、特に惨事を引き起こしたのであるという。
少々不潔で、他の大腸菌がいれば、O157は本来弱い菌なので消えてしまうようだ。

いろいろ考えてみると、この世は、敵も味方も共存すべきだし、絶対的な敵や味方はいないのだろう。
CLAMPという人気のある漫画家ユニット(女性4人)が、昔(武内直子さんのセーラームーンの時代)、『魔法騎士レイアース』という作品を描き、アニメ化もされていたが、この漫画における主題は「この世に、絶対的な正義や悪などはない」ということだったらしい。

昔、SFテレビドラマ『Xファイル』を時々見ていたが、その中で、FBIの「Xファイル課」に身を置きつつ、時に、FBIに反逆するような行動をするモルダーに対し、FBI長官はモルダーを放置していた。
その理由について、FBI長官が言った一言が強烈に私の心に刻まれた。
それは、
「友は身近にいて欲しい。だが、敵はもっと身近に置くものだよ」
である。









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