作家、ライターの柳澤健さんの『1984年のUWF』という、かつて存在したプロレス団体UWFを扱った本を読むと、プロレスファンと初音ミクさんのファンに、ちょっと似たところがあると感じて面白い。

柳沢さんは、当時のプロレスラーとプロレスファンには、深い劣等感があったと言う。
プロスポーツであるはずのプロレスリングが、一般の新聞のスポーツ欄に決して出ない。
つまり、プロレスはスポーツとみなされておらず、世間がプロレスやプロレスファンを白い目で見て、軽蔑しているという雰囲気を確かに感じる。
だが、そんなプロレスファンを喜ばせたのが、1976年に、アントニオ猪木さんが、当時、世界一有名で世界一人気があったスポーツ選手と言っても過言ではない、プロボクシング世界ヘビー級の現役チャンピオンだったモハメド・アリと本当に試合をしたことだった。
確かに、世紀の大凡戦と非難されはしたが、まがりなりにも猪木さんはアリと戦い、引き分け、しかも、アリは左足に重症を負ったが猪木さんは無傷だった。
猪木さんは、その試合より前に、ミュンヘンオリンピックで、柔道の重量級と無差別級で2つの金メダルを取ったウィリアム・ルスカを熱戦の末KOし、「やっぱりプロレスは強い」と思わせ、アリ戦の後は、プロ空手の全米スーパーヘビー級王者を完全KO、極真空手の伝説的な強豪(試合直前に意図的に破門されていたが)とは壮絶に戦って無効試合、さらに、アリと熱戦をやったチェック・ウェップナーや、アリに勝って世界チャンピオンの座を奪ったこともあるレオン・スピンクスらに勝って実力を証明する。
それでプロレスファンは春が来たような喜びを感じたかというと、確かにそんな感じはあったかもしれないが、それはあくまでプロレスファンの間だけのことで、世間のプロレスの評価が上がったという実感はまるでなかった。

次にプロレスファンを喜ばせたのは、猪木さんの次の世代の前田日明(あきら)さんだった。
UWFというプロレス団体のエースだった前田さんは、真剣勝負のプロレスを謳い、テレビ放送はしてもらえないのに都市の大会場を満員にし、本物の迫力を感じさせる「怖くて危険なプロレス」を見せ、プロレスファンは、自分達は本物の格闘技を見る目の肥えたファンであるというプライドを持てた。
前田さんやUWFの人気は社会現象と言われ、前田さんは一般のテレビ番組で、有名なアナウンサーにインタビューされ、UWFが真剣勝負であると認めてもらえたような雰囲気もあった。
しかし、それでも、やっぱり、どこか世間は冷たい。
本物志向の情熱的なプロレスファン・・・というかUWFファン、前田ファンも、せいぜいが「プロレスオタク」としか見なされない。
前田さんのファンは「分かるやつが分かればいい。世間の承認なんか不要だ」と格好をつけるしかなかった。

これらは、初音ミクさんのファン、あるいは、ボカロ(ボーカロイド)ファンと似たところがあるような気もする。
ボカロやボカロファンは、世間から白い目で見られ、軽蔑されている部分が確かにあるという意味でだ。
いい大人が「私は初音ミクさんのファンだ」と、堂々と言えないかもしれない。
そして、それは、AKB48ファン、乃木坂46ファン、あるいは、モモクロファンより、もっと馬鹿にされているようなところもある。
よりオタクな変な人達と見られているところが、実際にあるかもしれない。
だが、初音ミクさんのファンは、実際にはあまり、あるいは、全く劣等感を持っていない。
それも、「ボカロファンって、そんなに無恥なのか」と言われる理由になるかもしれないが、初音ミクさんのファンは明るい。
そして、それは、初音ミクさんが世界的に人気があるからとか、アメリカ、アジア、ヨーロッパと世界中の大会場でコンサートをしているから、あるいは、冨田勲さんのような世界的に有名な音楽家が採用したからといった理由では全くない。
正直、初音ミクさんが交響曲やオペラといった「高尚な」音楽界に登場したことは、別段、特に誇りでもないし、そもそも、知らないファンも多い。多くのファンは、そういったことも素直に喜んではいるが、ミクさんの人気を利用されたとか、ミクさんらしくないという否定的な見方をするファンもいると思う。

初音ミクさんのファンが明るいのには、根本的に、ミクさんが歌う唄、音楽そのものが素晴らしいことがある。
たとえ、名のないアマチュア音楽家が作った曲でも、本当に素晴らしい作品が沢山あり、むしろ、有名な音楽家が作った曲より良いと確かに思えることが多い。
そして、ミクさんの歌は、上手いかどうかは分からないが、人の評価など関係なく、ストレートに心に響く。それだけあれば、他に何が必要だろうか?
初音ミクさんの何が良いかなど、語る必要は全くない。
コンサートは、全ての人達の本当の情熱が込められた、あらゆる高度なものの美しい結晶で、作る側と観客が一体になって出来ていて、そこに未来がある。
この世で唯一の「嘘がない本物」なのではないかと思ってしまうほどなのだ(もちろん、他にも本物はあるだろうが、見つけ難い)。

全部がそうとは言えないのかもしれないが、本当に、初音ミクさんのファンは明るい。
もし、鬱屈を感じるなら、それは本人に理由があるが、そんなものを持つ必要は全くない。
そりゃ、制作側であるクリエイターには、創作とか芸術にはいろんな要素があるものだろう。だから、明るいだけ、楽しいだけでは駄目だろうが、妙な引け目は感じて欲しくないものだし、やはり、そんなものは必要ないと思う。
というより、やっぱりそこらは、ファンも同じなのだ。
スポーツだって、「選手は大変なんだ。いろいろあるんだ」と言うのはやはりおかしいのである。ファンの方にだって、いろいろあるのである。それが分かる選手が大成するのだと思う。
簡単に言えば、「しんどいのは自分だけじゃない。誰もが苦しいのだ」ということで、それが分かった上で陽気でいられるのが成長というものだろう。









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