ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

Oリングテスト

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

名を唱えることで起こる驚くべきこと

O(オー)リングテストというものをご存じかもしれない。
片手の人差し指と親指で、しっかり輪を作り、その輪を他の人が、両手の指で開かせるというものだ。
例えば、指で輪を作った人が、反対の手に、何か薬を持つ。
その薬が、その人にとって良いものなら、輪はなかなか開かないが、悪いものなら、簡単に開いてしまう。
その薬が何か分からないよう、不透明な袋に入れていても、Oリングテストは出来る。
薬は単なる一例で、テストするものは、食品でも、書物でも、何でも可能だ。例えば、本を紙袋に入れて、何の本か分からないようにしても、聖書なら輪は開かないが、ポルノ小説なら開くといったものだ。
Oリングテストは、上に書いたように2人で行うが、1人でやる方法もある。

Oリングテストの他に、デヴィッド.R.ホーキンズ(医学博士)が『パワーかフォースか』で取り上げているキネシオロジーという、伸ばした腕を、別の人が下に押し下げることで行うテストもある。
これも2人で行うが、1人でやる方法もあるらしい。
完全に1人で行うものには、振り子を使うものがある。
他にも、いろいろな方法があり、これらを総称して「フーチ」と呼ぶようだ。

だが、これらの、筋肉の反応を使ったフーチは、向き不向きがあると思う。
例えば、振り子を手に持ち、「私が男なら縦に、女なら横に」と思うと、すぐに振り子が動く人もいれば、こんな分かり切った質問でも(別に微妙な理由がなくても)なかなか、あるいは、全く振り子が動かない人もいる。
ちなみに、私もフーチ全般、全く駄目な人だ。

上に挙げたような、筋肉反射的なフーチではなく、胸やみぞおちの感覚で判断を行うフーチもあり、私は、こっちが好きだ。
例えば、「この食べ物は私に良いだろうか?」と自分に質問をし、胸やみぞおちといった、自分が敏感だと思う部分に意識を置くと、爽やかな感じがしたり(この食べ物は身体に良い)、逆に、嫌な感じがする(この食べ物は身体に悪い)というものだ。
ただ、私は、フーチを「当て物」に使ったりしない。
おだやかな気分でいれば、感じるべきことは感じるし、おだやかでなければ、どんなフーチをやっても精度は高くない。
だから、単に、「自分の感覚を信じる態度」でいることが、一番大切なのであると思う。

そうやって、普段から、自分の身体や心の感覚に注意するようにしていると、心が静かな時に何かを感じるのである。
それがテレパシーなのだと思う。
そして、心を静かにするためには、静かな呼吸をすれば良い。
静かな呼吸をして、心が静まっている時、「阿弥陀仏」と心で唱えると、阿弥陀仏の波動、エネルギー、存在感、雰囲気・・・といったものを感じる。
「観世音菩薩」と唱えれば、やはり、観世音菩薩の波動を感じる。
つまり、神仏の名を唱えれば、実際に、その神仏が傍に居るのである。
もちろん、「南無阿弥陀仏」とか「南無観世音菩薩」と改まった名前(名号)で唱えても同じである。
「大国主神(おおくにぬしのかみ)」とか「火遠理命(ほおりのみこと)」といった、私が好きな神の名を唱えてみてもやはり同じであった。
また、「マリア様」でも、そうなのである(私はカトリック系の幼稚園に1年行っていたこともあり、マリアファンである)。
それで、神の名は神そのものであることが分かるのである。
もし、フーチが得意な人であれば、そんなことをフーチで示すことが出来るだろう。

心が静かであれば、神仏がそこにおられることが分かるが、もし、心が乱れていて、存在を感じることが出来なくても、名前を唱えれば、やはり、来てくれるのである。
ただ、普通の人の場合、普段から、丁寧に数多く唱え続けていなければ、来てくれないわけではないだろうが、関係が密ではない。
このあたりのことは、法然が、『選択本願念仏集』の中で、阿弥陀仏との関係について丁寧に説明してくれている。

面白いのは、神でなくても、人間であっても似たことが起こることだ。
イツァク・ベントフの『超意識の物理学入門』にも書かれているが、人間だって実際は偏在・・・つまり、どこにでもいるのである。ただ、自分では気付かないだけだ。
そして、その人の名を想うと、その人のエネルギーと自分のエネルギーの接触が起こるのである。
だから、好きな人の名前をずっと想っていると、自然に仲良くなるし、好きなアイドルの名をずっと想っていると、びっくりするくらい似てくる。
もし、夏目漱石の文章が好きなら、夏目漱石の名をずっと想っていれば、優れた文章を書けるようになる。
ラルフ・ウォルドー・エマーソンのような知恵が欲しいなら、やはり、この名をずっと想うことだ。
心の中で、丁寧に、その名を言うのである。
つまり、機械作業のように唱えてはならない。
神仏の名も、やはりそうであるが、どこか淡々とした感じも必要だ。
しかし、全く難しいことではなく、ずっとやっていれば、自然に丁度良くやれるようになるだろう。








神領域のアファーメーション

アファーメーション(肯定的断言)を選ぶための1つのヒントを述べよう。

O(オー)リングテストというものをご存じの人も多いと思う。
例えば、右手の親指と人差し指(中指を使う人もいる)で輪(これがOリングのこと)を作り、左手に身体に良い食品を持つと、誰かが、その指のOリングを外そうとしてもなかなか外れないが、左手に身体に悪い食品を持つと、Oリングが簡単にほどけるというものだ。
いろんなテストのやり方があり、Oリングではなく、片腕を前に伸ばし、その腕を、別の人が押し下げる時の抵抗力でテストを行うというものもある。

Oリングテストでは、被験者(指のOリングを作る人)が、Oリングを作った手とは反対の手に持っている物が何か知らなくても、良いものなら、Oリングは固く閉じて開かず、悪いものであれば、Oリングに力がなく簡単に開くそうだ。
例えば、反対の手に聖書を持った場合と、成人漫画を持った場合、あるいは、聖者の写真と猥褻なヌード写真とかで、Oリングの固さが全く違うようである。
あるいは、こんな使い方もある。
新人アイドルの写真とか名前を書いた紙を左手に持ち、右手でOリングテストをすると、Oリングが開かない場合には、その新人アイドルは売れるが、Oリングが弱い場合には、売れずにすぐ引退するといったものだ。

1人Oリングテストというものもあって、パートナーがいなくても出来るようだ。
ところで、合氣道家の藤平光一氏は、Oリングが固く閉じた状態では、「氣」が出ていると言い、氣が出ていれば、何をやってもうまくいく。
例えば、藤平氏は、戦場で氣を出していたら、銃弾が飛び交う中でも弾は当たらないので、悠然と歩いたそうだ。
あるいは、アメリカでデモンストレーションでやったことらしいが、氣を出していれば、小指1本で、大の男数人と押し合いをしても勝ったと言う。
では、どうやれば氣が出るのだろうか?
それは、上記でもあったように、聖書のような貴い本を持っていたり、聖人の写真を持つことが考えられる。
しかし、良いアファーメーションをすれば、自ずと氣が出て、健康になり、運が良くなり、何事もうまくいく。

ところで、藤平氏は、「真実の言葉を言えば氣が出る」と言い、例えば、「重みは下にある」という、単純な真理でも良いのだそうだ。
では、最大の真理とは何だろう?
インドの聖者、ニサルガダッタ・マハラジが言うには、それは、「私は在る」である。
いかなることでも疑えるが、「私は在る」ことだけは疑うことが出来ない。
逆に言えば、我々が確信出来る唯一のことは「私は在る」だけである。
だから、この言葉が究極の真理なのである。
デカルトは「われ思う、ゆえにわれあり」と言ったが、イギリスの作家コリン・ウィルソンは「思おうが思うまいが私はある」と反駁した。
論旨を考える必要はあるが、ある意味、その通りかもしれない。
私も、「私は在る」と唱えていたら、身体がふわーっと軽く感じたことがある。
きっと、かなり氣が出ていたのだろう。

ならば、自分の好きな単純な真理の言葉をアファーメーションとし、氣を出すという手もありだろう。
「生命は大切だ」とか「地球は回っている」とか「私は何でも出来る」とか「ミクさんは可愛いとか」(笑)。
そして、良いと思うなら、先程の究極の真理「私は在る」を唱えれば、万事うまくいくかもしれない。
もう1つ、究極の真理を挙げよう。
それは、『ヒマラヤ聖者の生活探求』5巻で、イギリスのF.L.ロースンなる人物が使った言葉、
「神の他には何もない、只神あるのみ」
だ。
参考までに述べると、原書では、この言葉は、
「There is nothing but God」
であった。
これから言えば、「神の他に何もない」だけでも良いと思う。
もちろん、いつも述べる、「神様の奇跡が起こる」も、氣が出まくる言葉であるに違いない。

尚、Oリングテストのような生体反応テストの究極的なものについては『パワーかフォースか』(デヴィッド・R・ホーキンズ著。ナチュラルスピリット刊)が面白いと思う。








効果あるお守りの作り方

私が小学校も低学年だった頃、こんなテレビアニメを見たことを印象深く覚えている。
ある普通の子供が、有名な柔道家のものだったという黒帯をもらい、それを締めると、物凄く強くなるというものだ。
ところが、その黒帯は実は偽物だということが分かると、その子は途端に弱くなるのである。
(有段者でもないのに黒帯をつけることの是非は、今は置いておく)
だが、もし、その黒帯が本当に有名な柔道家のものであったとしても、それをつけたら本当に強くなる訳ではないのだから、その子が強くなったのは、プラシーボ(偽薬)効果、「思い込みの力」であり、最近、このブログで注目している「根拠のない自信」の力である。
もし、野球少年が、憧れのプロ野球選手のバットをもらったら、飾ってなどおかないで、素振りくらいは大いにやれば、気合が入って力がつくし、「あの選手のバットで素振りしている自分はバッティングが上手くなった」と「根拠のない自信」を持てればシメたものである。

だが、そんな特殊なものを手に入れる必要はない。
やはり、私が小学校低学年の時、ある日、友達が奇妙なものを持ってきた。
見れば、ただの黒い紙切れなのであるが、友達はそれは「力の出る紙」であるという。
それを持っていれば不思議なパワーが発揮されるという。
私が本当にそれを信じたのかどうかは分からないが、その紙をもらうと気分が高揚したのは確かで、良い影響があったはずだと思う。
友達は、その「力の出る紙」のことが嘘であることを、割と早くに白状したが、彼は、「だけど、これ持ってると、やっぱり力が出るだろ?」と真面目に言う。
その通りである。
「力が出る」と思えば出るのである。
お守りも似たようなものと思うが(真面目にお守りを作っている神職の方には悪いと思う。ただ、作っている方も効果を信じていない場合もあるだろう)、効果があると思えば霊験あらたかなのである。
これを昔から「イワシの頭も信心から」とか言うが、実際に効果があるから、こんな言葉も出来たはずだ。
そして、お守りは自分で作るに限る。

Oリングテストや、それに類似した筋力反応テスト(横に伸ばした腕を誰かに押し下げてもらい、自分はそれに抵抗する等)で実験すれば、タバコを持っていると、Oリング(親指と人差し指で作ったO型のリング)が簡単に開いたり、横に伸ばした腕を簡単に下げられるが、自分に合った良い食品やビタミンCを持つと、Oリングは開かず、腕は下げられないらしい。
アダルト雑誌など、いかがわしい本を持つと力が出ないが、聖書や仏典を持つと力が出るという実験結果もあるようだ。
また、「愛」や「光」などの良い言葉を書いた紙を持つ、あるいは、口や心で「ありがとう」と言うと力が出るという報告もある。
そして、実験される本人が、自分がタバコを持っているかビタミンCを持っているか分からない、あるいは、持っている紙に「愛」と書かれているか「妬み」と書かれているか分からなくても、良い物や良い言葉の場合には力が出て、悪い物や悪い言葉の場合には力が抜けるらしい。
それなら、自分が力があると思う言葉を紙に書き、それを封じた包みをお守りにすれば良い。
力ある言葉とは、「神」「愛」「調和」「平和」「英知」「無敵」「真心」「天照大神」「イエス・キリスト」「初音ミク」など、自分が良いと思う言葉で良い。
あるいは、「南無阿弥陀仏」を唱えると、Oリングテストで良い結果が出るはずであるから、いつもそれを唱えると良い。
ちなみに、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の著者ベアード.T.スポールディグは、他を圧倒する力ある言葉は「神」であると言う。

完全に信じなくても、形や行動にすれば「根拠のない自信」を与えてくれる。
そして、成功者というものは、こんな子供っぽいと思われることを好んでやるものである。
尚、筋力反応テストに関しては、下にご紹介した本にも書かれている。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』5巻には、もっと大きな規模の実験の話がある。









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疑いようのない正しさ

嘘発見器に、どのくらいの信頼性があるのか分からないが、犯罪捜査には不適切と思う。
というのは、生体反応は精神状態の影響を受けるのに、精神的に不安定なはずの犯罪者や、容疑をかけられた者から、まともな測定結果が得られるとは考え難いからだ。

Oリングテストというものをご存知の方も多いと思う。
片手の親指と人差し指で輪を作り、他の人に、両手の人差し指を使って、その輪を開いてもらう。
輪が維持される力の強さで、様々なことを調べるのだが、例えば、身体に良い食品を被験者の近くに置けば、輪は開き難く、反対に身体に悪い食品の場合は容易く開くといった感じだ。
イエス、ノーで返答出来るものであれば、形の上では何でも調べられる。
例えば、「あなたと彼は相性が良いですか?」などといった恋愛診断みたいなものもだ。
Oリングテストに信憑性があるかというと、被験者と測定者が精神的に安定しているなら、かなりあるのではと思う。

Oリングテストの科学的発展版と考えられるのがキネシオロジーテストである。
Oリングテストの場合は、統計以外にエビデンス(証拠)を示すことが出来ないが、キネシオロジーテストでは、キネシオロジーという身体と精神を含めた広範な研究が行われていて、デヴィッド・アール・ホーキング博士によれば、正しく行えば、完璧な結果を得られると言う。

ただ、本当に直観が研ぎ澄まされているなら、あらゆることの判断が、Oリングテストもキネシオロジーテストもなしに正しく出来るだろう。
あまり言われないことであるが、デカルトが「われ思う、ゆえにわれあり」の本来の言葉である「疑っているわれは確かに存在している」と言ったのは、疑うことが出来るということは、精神の中に完璧な真理が在るからだという考えから来ている。
これは私も完璧に納得出来る。
精神の中に真理がなければ、疑うことが出来るはずがない。
そして、ほとんどのことは疑うことが出来る。
だから、ほとんどのことは正しくない。
デカルトが至った結論は、「疑っているわれが存在することだけが真理である」だった。
これは偉大な成果であると思う。

どんなことがあっても、決して疑えないことだけが真理である。
それ以外は、全て嘘である。
そうであれば、世の中の99.99999999%は嘘である。
クリシュナムルティーは「私は何も信じない」と言ったが、それが本当なら、大したものである。
デビルマンは言った。「俺は誰も信じない。たった1人、牧村美樹を除いてはな」
アニメのクアラクターの牧村美樹は信じても良いかもしれない。現実に、それほどの少女がいるかどうかは知らないが。

決して疑えないこと。
それは、私が存在することだ。
だから、困った時には、「私は存在する」と心でつぶやくと良い。
すると、不思議なことに、問題は消えてしまう。最初から問題なんて「存在しなかった」からだ。
そういえば、自動車税の請求書が来てたなあ。
「私は存在する」と唱えれば、そんなものは消えて・・・しまわない。前回、支払いを忘れて、督促も来たし(笑)。
だが、支払えば消えてしまう(車検の時には、その支払い証明が必要だが)。
真理を知れば、そんなものは自動的に支払われるようになり、いずれ、本当に消えてしまうだろう。
つまり、自動車税は問題でも実在でもないのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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