ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

NOIR

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

マフィアの姫君と武蔵の特別な言葉

特別な1つの言葉と共に生きる者は、その言葉の力に満たされ、宇宙を改ざんし、自由自在に闊歩する。

『NOIR(ノワール)』というアニメで、「世界で最も凶暴な姫君」「侵すべからざる者」と言われる、マフィアの後継者の若きシルヴァーナがまさにそうだった。
超一流の殺し屋ミレイユ・ブーケが、全裸のシルヴァーナに銃を向けながら、シルヴァーナは顔色一つ変えず、ミレイユは震えて何も出来ない。
ミレイユは決して心は弱くないが、シルヴァーナの意志の強さが絶大なのだ。
シルヴァーナは、幼い時から、「私に恐れはない」という言葉と共に生きていたのである。

宮本武蔵の特別な言葉は「 我事において後悔せず」だった。
このように、ちゃんと言葉にしたから武蔵は無敵だった。
逆に言えば、いかに強くとも、特別な言葉がなければ常勝とはいかない。

「私に恐れはない」
「我事において後悔せず」
いずれも、誰でも使え、誰にでも絶大な力を与えるアファーメーションだ。
「いや、私は臆病者で、恐いものだらけです」
「私はいつも後悔しています」
そんなことは関係ない。
欠点を治す必要すらない。
また、これらの言葉で、弱気や後悔心を抑えようなどとしてはならない。そんなことは出来ない。
ただ、感情を込めず、されど、丁寧に、淡々と唱えれば良いのだ。
すると、そう遠くなく、あるいは、すぐさま、あなたに恐れはなくなり、あるいは、後悔はなくなる。
恐れのない者、後悔のない者が負けるはずがない。
だが、感情を込めてこれらの言葉を唱えると、匹夫の勇(思慮分別のない浅はかな勇気)や、経験に学ばぬ愚か者となってしまう。
あくまで、「淡々」と唱えることが必要だ。
そして、この2つの言葉、両方を持ってはならない。
シルヴァーナや武蔵は、1つの言葉を大切にしたから、生涯、揺るがなかった。
シルヴァーナは若くして死んだが、死の刹那、ミレイユとの約束を果たす強さがあった。
人を強くする特別な言葉は、ただ1つである。
ただし、1つの特別な言葉を常に使えば、祈り言葉は全て叶う。
祈り言葉は、特別な1つの言葉の子供である。
やはり、感情を込めず、淡々と唱えれば、嫌でも叶うのだ。
それこそ、ジョセフ・マーフィーも勧めたことがあるように、単語だけでも良い。いや、私は、単語だけが良いと思う。
例えば、「成功」「富」などだ。これであれば、「成功、富、歓喜」と複数でも良い。けれども、少ない方が叶い易いとは言えるかもしれない。









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アップルの良さとピカソの良さは似ている

何度も繰り返されてきた問題として、「ピカソの絵の何が良いのか?」というものがある。
これは、ピカソだけでなく、ゴッホやダ・ヴィンチ、その他の芸術的絵画についても同様の問題である。
例えば、モローやレンブラント、あるいは、ドレなどの絵は、一目で「上手い!」と分かるが、本当の良さとなると、やはり難しいのである。

絶対的な結論は、間違いなくこうだと思う。
「ピカソの絵の良さは、言葉で説明できない。以上」
これまで、専門家と言われる者達を含む多くの人達が、ピカソ(あるいは他の芸術絵画)の「何が良いか」を解説をしているが、どの解説も、誰も覚えていない。
これは、解説を見たり聴いたりした側が馬鹿なのではない。
それらの解説全部が、嘘、的外れ、ピント外れなのだ。
では、岡本太郎が『今日の芸術』で書いたピカソやゴッホの良さは嘘かというと、岡本太郎はいろいろ書いているようでいて、結局のところ、「何も言葉で説明出来ない」と、本当のことを述べているのである。
岡本太郎は、今日の芸術は(実際は芸術全ては)、「うまくあってはならない」「きれいであってはならない」「ここちよくあってはならない」と述べているが、「なぜか」は言わないのである。言葉で言えるはずがないからである。

芸術より、もっと身近に、同じようなものがある。
アップル製品である。
ここでは、とりあえず、スマートフォンのiPhoneに、アップル製品を代表させる。
iPhoneが、他のスマートフォンに比べどこが良いかというと、機能的な面においては、どこも優れていないと言って良い。
むしろ、最新のAndroidスマートフォンに比べ、劣っている部分も少なくはない。
では、iPhoneが売れるのは、洗脳的、あるいは、催眠術的なイメージ戦略の威力なのかというと、そういう面も確かにあるが、もちろん、それだけではない。
良いから売れるのであり、アップルが時価総額世界一の企業であり、いまだ信じ難いが、それはマイクロソフトの倍なのである。
一頃は、マイクロソフトが圧倒的に強く、アップルは瀕死の状態で、「アップルを潰さないのは、マイクロソフトが、その方がメリットがあるからである」とまで言われていたのが、スティーブ・ジョブズが戻ってきて、大きく方向転換したら、アップルの大逆襲が始まり、そして、アっプルは勝ったのである。
iPhoneの良さというものは、ピカソの良さに通じるのである。
iPhoneの本当の良さは、言葉では説明出来ない。
iPhoneの良さを言葉で説明した人はいたが、それらの説明を誰も覚えていない。
これらの説明全部が、嘘、的外れ、ピント外れなのだ。
あるいは、アップル製品全体について、昔からよく「作業効率が違います」と言われたが、では、「どう作業効率が違うのか?」と問われたら、「とにかく違うんです」と言うしかなかった。
実際は、具体的、論理的に作業効率が良かったりはしない。
真実を言えば、「使っていて気分が良いので作業効率が良く感じるだけ」である。
しかし、「気分」以上に、作業の能率を上げるものはないのも確かである。

脳科学者の茂木健一郎氏が、アップル製品を絶賛し、マイクロソフト製品を貶し、目の前で聴いていた、元マイクロソフト日本法人社長だった西和彦氏に、恫喝も同然に罵倒されたが(茂木氏は気の毒に、かなりビビっていたと感じた)、あれは茂木氏が悪いと思う。
茂木氏の間違いは、「論理的に」アップル製品が良いような言い方をしたことと、マイクロソフト製品を不当に酷評したことだ。
マイクロソフト製品のどこも悪くはない。論理的には、現時点において最高のはずだ。
単に、「私はアップル製品が好きで、マイクロソフト製品が嫌いなんです」と言えば良いのである。

私は、昔からアップル製品が大嫌いで、アップル製品で購入したことがあるのは、iPod touchが1つだけで、それもやむなき事情で買ったのだった。
そして、iPod touchを使って、ますますアップルが嫌いになった。
茂木氏は、マイクロソフト製品に我慢ならないと言うが、私には、アップル製品に我慢が出来ない。
データの受け渡しに、いちいちパソコンと「同期」させないといけないが、それは、iPod touch等とそっくり同じコンテンツを持つパソコンでしか出来ない。
もし、iPod touch、iPhone、iPadといった製品を複数持っていれば、パソコンが一台なら、全てが同じコンテンツになってしまう。
iPod touchのコンテンツを、「ちょっと」どこかのパソコンで取り出すことも(その逆も)出来ない。
もう呆れてものが言えない。
しかし、ピカソの絵が優れていることを認めるなら、似た理由で、アップル製品が優れていることも確かなのだ。
とはいえ、アップルは「テクノロジにおいては駄目」と言うのではない。
ただ、他社製品と差がないというだけのことだ。
優れた部分もあるが、劣った部分もある。しかし、その差は大したことはなく、少なくとも、実用的には問題にするほどのことではないのだ。それを問題にしたがる者がいるから、ややこしくなるのだが。

そして、これからの世の中では、ピカソやアップル製品が持つ、「非言語的な良さ」が重要になってくる。
もっと当を得た言い方をするなら、ピカソの作品やアップル製品を生み出すような、「非言語的な知性、あるいは、能力」が必要になるのである。
それは言葉では説明できないながら、少なくとも、それが分からないと時代遅れになってしまうのである。
しかし、単に好き嫌いとして分かるだけでも駄目なのである。
だが、言葉では説明出来ない。
古い人間は、「いったいそれは何なんだ?俺に分かるように説明しろ!」と怒鳴りたくなるだろうが、そんなこと、誰もしてくれないし、そもそも、出来ない。
これまでは、「試験の点」という、旧世代の人類に「よく分かる」ことだけで評価が行われ、世界はこんなに駄目になった。
これからは、試験の点よりはるかに重要なことが価値を持ち、「評価される」かどうかは分からないが「認められる」のである。

では、アップル製品を崇拝すれば良いのか?
そうではない。
あれは、やっぱり駄目なところは駄目だ。
まだ未完成なのだ。
アップルとマイクロソフトの融合という、それぞれのファンにとって「虫唾が走る」ことが行われないといけないのである。
でないと、Googleが本当に世界を支配してしまうだろう。それが良いか悪いかは言わないが。
Googleは、当分、アップルやマイクロソフト、あるいは、Amazonを排除しようとし続けるだろう。
(以下、ギャグと思っていただいて良い。書き手はごく真面目だが・・・)
それらを全て包み込める可能性があるのは初音ミクさんだけだ。
それには、ニコニコ動画が海外に進出し、売上を百倍化、千倍化しなければならない。
その可能性はあるが、現状のニコニコ動画では駄目だ。
だが、アニメ『NOIR(ノワール)』で、ソルダの幹部ブレフォールが、ミレイユ・ブーケについて言ったのと同じように、川上量生さんは「やってくれるでしょう」。
私には、ブレフォールの言葉が、鮮やかに蘇っているのである。
すると、夕叢霧香は、チームラボの猪子寿之さんか、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之さんだろうか?
そして、悲劇のクロエは、これから現れるのかもしれない。









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呪文とアファメーション

呪文とアファメーションはどう違うのだろう?
アファメーションとは、「私は億万長者になる」とか、「私はこの会社の重役に相応しい」といった、肯定的な言葉で、有名なものでは、
「私は健康だ。私は幸せだ。私は素晴らしい」
といったものがある。
呪文も、それらと似たようなものもあるだろう。
たとえば、心理学者の河合隼雄さんの好きな呪文は、
「ふたつよいことさてないものよ」
「人の心などわかるはずがない」
だったようだ。呪文を唱えると、心が収まると言う。

アファーメーションとは、願望や欲望の言葉である。
勇気を起こすための言葉とも言えるかもしれないが、やはり、本質は、願望や欲望なのだと思う。
一方、呪文とは、「真理」なのである。
真理と言える言葉を唱えることによって、心が真理である自然、宇宙、あるいは、神に同調して、動揺がなくなり、静かで平安な状態になる。
当然、河合さんの言われる通り、心が収まるはずである。

呪文とは言っておられなかったが、超人的な合氣道家の藤平光一さんが著書に書かれていた、「重みは下にある」という言葉を言えば氣が出るというのも、真理の言葉を唱えることで、心が宇宙大自然と調和する結果なのである。

ところで、「私は神である」というのも、根本的には真理であるから、優れた呪文ではあるが、自我が神であるとは言えないので、よほど心が静かな状態でなければ、ややノイズが入る。
そこで、普通は、「私は本当は神である」と唱えた方が良いだろう。こちらであれば、特に問題はなく、神秘な力を得るだろう。

私の好きな呪文に、『NOIR(ノワール)』というアニメで、イントッカービレ(イタリア語。英語のアンタッチャブル=侵すべからざる者)と呼ばれる、レディー・シルヴァーナが、少女の時に言った言葉がある。
シルヴァーナと、幼い時のミレイユ・ブーケは、断崖絶壁の上に立ち、はるか下の海を見下ろしていた。
「こわい・・・」
と震えるミレイユに、シルヴァーナは言ったのだ。
「私に恐れはない」
真の自分(神)は恐れない。
だから、この言葉を呪文として唱えると、宇宙の真理を表明すると共に、自我が真の自己である真我(神我)と一致してくる。
そして、実際に、一切の恐れは去り、無限の力と同調し、不可能はなくなる。
私は、この言葉を呪文としている。
ちなみに、今、Amazonで、『NOIR(ノワール)』のDVDが、叩き売り状態だ。
しかし、素晴らしい名作アニメと思う。









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