ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

IQ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

腕振り運動で頭が良くなる

腕振り運動を行うと、確実に頭が良くなる。
統計的なデータみたいなものがあるわけではないが、脳の仕組み的に、そうであると確信している。

今朝の記事で述べたが、ニュージーランドの哲学者ジェームズ・フリンは、2014年のTEDの講演『なぜ我々は祖父母世代よりもIQが高いのか』で、後の世代の人間の方が前の世代の人間よりIQ(知能指数)が高いという調査結果と、その理由の考察を示した。
興味があれば、このブログの、今朝の記事『目が覚めたら王様だったら?』に詳しく書いたので、ご参照願う。

ところが、フリンの研究の後も、人々のIQに関して統計が行われているのだが、何と、IQの伸びは1990年あたりに頭打ちとなり、2010年頃から明確に下がり続けているらしい。
これに関し、岡田斗司夫さんが動画でうまく説明してくれているが、私が見たのは非正規動画(いわゆる「切り抜き」)だったので、岡田さんの話を参考にしつつ新たに(多分もっと良くw)述べる。

頭が良いことを含め、能力が高いというのは「集中力がある」ことだ。
集中するほど、持っている実力を発揮出来るだけでなく、集中する訓練により集中力が高まると、実力も高くなることは、だいたい同意いただけると思う。
つまり、スポーツ、音楽演奏、武道、勉強などで、集中して行う訓練をすればするほど(限度はあるが)、訓練している分野はもちろん、人間として全体的に優秀になっていくのである。
ところが、よく、「この子は集中力がない」などと言われる生徒等がおり、そんな者は、確かに優秀になれない。
だが、学校等で集中力のない生徒や選手がいるのは、指導者の問題なのである。
なぜか?
人間は(特に子供は)、集中力がないのが当たり前であり、有能な指導者のみが、指導している相手に集中をさせることが出来るからである。

人間というのは集中力がない・・・元々、集中するように出来ていない。これは本当だ。
文明なんてものが出来たのは、人類の長い歴史の中で、ごく最近のことである。
だから、今の人類だって、原始時代の名残を色濃く残している。
原始時代、人間は、猛獣の襲撃に備え、常に周囲に意識を向ける必要があり、自分がやっていることに集中することなど出来なかったのだ。
農耕社会の歴史も狩猟時代に比べると短いし、農耕地帯にも野獣はいただろうから、やはり、人間は「集中してはいけなかった」のである。

そんなわけで、人間は本来、集中力がなく、うまく訓練しないと、能力は低いままだ。
だが、集中した方が仕事や戦いのパフォーマンスが上がることが自然に理解され、徐々にだが、人類は集中することを覚え、だんだん能力が高くなってきた。
だが、やはり、その進歩は一般には鈍い。
ところが、特殊なグループの中で、優れた集中の訓練が開発され、そんなところでは、異常に優秀な人間が育ったし、また、生徒をうまく集中に導くことが出来る学校では、多くの生徒を優秀にしてきたのである。
仏教では、特に真言密教では、真言を長時間唱えることで、集中力を磨き、集中力が高度になれば超能力を発揮することも分かっているのだと思う。

だが、テレビやラジオ、あるいは、音楽レコードのプレーヤーが普及することで、それらを見たり聞いたりしながら、勉強や仕事をすることで、人々は集中力を失い、それで、1960年代から、人間のIQの向上が鈍り、1990年くらいには完全に頭打ちとなり、スマートフォンが普及した2010年頃からは、人々のIQは坂を転げ落ちるように低下したのである。
スティーブ・ジョブズが、自分の子供に決してスマートフォンを与えなかったのは、ジョブズには、直観的にそれが分かっていたからだろう。

そんなわけで、集中力を失くし、頭を悪くしたくなければ、スマートフォンをなるべく、見ない、触らないことである。
スマートフォンを見る時間が長い人ほど頭が悪いことは、なんとなく分かると思う。

そして、例えば、一部の密教の教団が行ったように、真言を長時間唱えて、集中力を上げることは、頭を良くする良い方法なのである。
真言でなくても、中村天風が教えたように、常に肛門を引き締めることに意識を向けることで、余計なことに意識が向かず、集中力を高めることが出来る。
超一流数学者の岡潔が毎朝、念仏を1時間唱えていたのは、あくまで信仰のためではあったが、これもまた集中力を磨くのに役立ち、岡潔は数学のみならず、あらゆることで高度な能力を発揮したのだと思う。
しかし、岡潔のように念仏に集中するには、強い信仰が必要で、岡潔の場合は、弁栄という素晴らしい僧に会ったから、そんな信仰を持てたのである。
念仏以外の、真言、お経、祝詞、神仏の名・・・なども、毎日、それなりの時間唱えることは難しく、私も苦労した。
しかし、身体を動かす腕振り運動であれば、私は、多少の根気は要るとしても、かなり気持ち良くやれるのである。

集中力が高まれば、知性などの能力が高まるだけでなく、直観が冴えたり、アイデアが閃くようになる。さらには、特殊な密教的集団では知られていると思うが、神秘的な力が現れ、シンクロニシティ(共時性)が起こったり、超能力が備わったり、世界を支配する力にまでいたる可能性がある。
腕振り運動は、努力、忍耐、克己等の資質を持ち合わせていなくても、集中力を獲得出来る秘法であると思う。
やらなければもったいないと思う。








目が覚めたら王様だったら?

質問「明日の朝、目が覚めたら美少女になっていたらどうするか?」。
若い人ほど楽しい答をすると思うが、こういった問題を考えるのは楽しいものである。
現役の美少女だって、「もっと美少女だったら」と解釈して興味深い返答をしてくれることが期待出来る。
もちろん、質問としては「大金持ちだったら」とか「ライオンだったら」などいろいろ考えられ、楽しい会話の話題としても良いと思う。

ところが、「フリン効果」で知られる世界的哲学者ジェームズ・フリンは、少年時代、父親にそんな質問をして失望させられた。
ジェームズは人種差別問題について考えていて、父親に、
「明日の朝、目が覚めたら黒人になっていたらどうする?」
と尋ねた。
確かに、それは1940年代のことで、人種差別が露骨な時代であり、白人の彼らには、あまり楽しくない話題かもしれない。
だが、ジェームズは、父親が人種差別的な返答をするのとは全く違う失望をさせられたのだと思う。
父親の返答は、
「肌の色が変わった人間なんていないよ」
だった。

私がそうなのだが、ジェームズ・フリンの父親の返答に、ゾッとした人も多いのではないか?
最初の「明日の朝、目が覚めたら美少女になっていたらどうする?」の質問に対し、
「それはありえないことだ」
と答える人は、やはりいるのである。しかも、増えていると思えるのだ。
そんな答しか出来ない人はどういう人かというと馬鹿である。
実際の美少女だって、その質問に対し「もう美少女だし」としか答えられない人は、やはり馬鹿なのである(「私が美少女じゃないと言いたいの」と怒るのも同じ思考パターン)。
世の中に、そんな馬鹿が現実として数多く存在することを思い出すと、ゾッとするのではないかと思う。

だが、ジェームズ・フリンの父親の世代は、そんな答が普通だったのだ。
しかし、フリンの子や孫の世代である我々が、そんな答をすると馬鹿である。
そして、フリンは「フリン効果」といって、新しい世代ほどIQ(知能指数)が高い・・・つまり、頭が良いことを、長い研究の末、解明する。

では、「美少女になっていたら」「黒人になっていたら」といった質問に「ありえない」としか答えられない人間はなぜ馬鹿なのか簡単に説明する。
つまり、古い世代は、「仮定でものを考えられない」、つまり、「もしも〇〇だったら」という思考が出来ないのだ。
「もし〇〇だったら」という仮定を立てて考えることこそ、高度な知性であり、創造性に結び付く。
だから、知性が高い人間ほど、ユニークな「もし〇〇だったら」という発想をする。
アインシュタインは「もし、光と一緒に飛んだら、どんなだろう?」と考え、それを基に、後に、特殊相対性理論を発見したのである。
当然、ジェームズ・フリンの父親なら、アインシュタインに対し、「光と一緒に飛んだ人間はいないよ」と言うだろう。

では、なぜ、頭が悪い人は、仮定でものを考えられないのだろうか?
これははっきりしている。
自分の経験でしかものを考えられないからだ。
これについて、フロンは分かり易い事例を示している。
古い時代のハンターに、こんな質問をすると、どう答えるだろうか?
「雪のあるところに住むクマは白い。北極は雪が多い。では、北極にいるクマは何色か?」
この質問に対し、旧世代のクマを狩るハンターは、こう答える。
「俺が見たクマは全部茶色だ」
つまり、彼は、自分の経験以外のことは考えられないのだ。
そして、そんな人間が今でも沢山いるし、実は増えているからゾッとするのだ。

科学技術の進歩と共に、我々の世界は広がり、自分が知らないことが沢山あることが理解出来るようになった。
そこで、自分の経験になくても、「もしも〇〇だったら」と考えられるようになった。
そして、正しく「もしも〇〇だったら」と考えるためには、基礎的な理論を知り、論理的に考えることが出来ないといけない。
論理思考が出来てこそ、自分の経験を基にダイナミックな類推をすることが出来る(ただし、経験に縛られては発想が狭くなる)。
そして、経験がないことに関し、高度な仮定を考える人を天才と言うのだ。

経験にないことには具体性がないが、具体性のないことを「抽象的」と言い、「抽象的」は曖昧なものである。
だが、抽象的に考える能力こそが、高い知的能力であることはよく知られている。
そして、新しい世代ほど抽象的思考能力が高いのは、経験を超えてものごとを理解し考えることを必要とする科学的思考方法の普及による。

ところがところが!!(笑)。
人類のIQは、1980年代に頭打ちになり、2010年から明確に下がっていることが研究により分かっているが、考えてみれば当然なのだ。
夕方の記事でそれを説明し、腕振り運動で頭が良くなる明確な原理を示す。
この原理を体系的に理解し、私は昨夜、驚嘆したのである。
ちなみに、私の昨日の腕振り運動の回数は7000回だ。このくらいを3年続ければ、悪い頭も少しは良くなるだろう。








オタクが一般教養人より賢い理由

知恵と知識は違うという。
つまり、知識がいくら多くても、知恵があるかどうかとは関係ないと見なされていると思う。
ところが実際は、知識量と知恵には強い相関関係があり、知識が多い人は知恵があり、知恵がある人は知識も多い。
現実的に、IQ(知能指数)と知恵はかなり一致するが、教養テストをすれば、IQはほとんど正確に分かってしまうものらしい。

ただ、知恵と知識量が一致しない場合は確実にある。
つまり、知識が多いのに知恵がなくて賢くない・・・どころか、馬鹿な場合がある。
どんな場合かというと、その知識が、教科書やテレビに出てくる情報主体の場合だ。
逆に、教科書やテレビに出て来ない知識が豊富な人は、高確率で知恵がある。
なぜだろうか?
それは、
・自主的に得た知識が多い=知恵がある
・強制的に与えられた知識が多い=知恵がない、あるいは、馬鹿
だからである。
学校で勉強が出来た優等生で、テレビや新聞に載っていることはよく知っているが、教科書やテレビに出て来ないことは知らない者が、役立たずの馬鹿であることはご存じかもしれない。

言っては悪いが、こんな場面を見た。
2人の予備校講師が、喫茶店で会話をしていたが、日本史に関する話題で盛り上がり、まさに、口角泡を飛ばす(こうかくあわをとばす。激しく議論する様)感じであったが、何のことはない、教科書に書いてあることを言い合っているだけである。
2人とも40代と思われたが、そんな歳になって、教科書の話しか話題に出来ないのである。実際、他のこと・・・特に、教科書やテレビに絶対出て来ないようなことはあまり(実感的には全く)知らないことも確認した。
敢えて言えば、あくまで主観であるが、2人とも、明らかに愚かだった。
彼らは、予備校講師であったが、学校の教師にも多いタイプではないだろうか(大半がそうかもしれない)。
高校までの生徒達が接触する唯一の大人が、こんな連中なら、生徒達が賢くなるはずがない・・・いや、馬鹿ばかりになって当たり前だ。
さっきの予備校講師達は、日本史の講師であるのに、『古事記』を読んだことがないと言う。
『古事記』の中身は、教科書に載っておらず、学校の試験や受験に出て来ないからだ。

偏った知識・・・例えば、ゲームやアニメやSF、あるいは、オカルトに詳しくても、知恵がないと思われるかもしれないが、たとえ1分野でも、サブカルチャーに徹底して詳しい者には知恵者が多い。
だって、こんな知識、絶対に誰かから強制されて得たものではなく、個人的情熱から自主的に得たものだからだ。
そういったものに詳しい者を「オタク」と言う。
オタクは頭が良い場合が多い。少なくとも教科書馬鹿、テレビ馬鹿、マスコミ馬鹿よりはマシであろう。
ところで、さっき、ゲーム、アニメ、SF、オカルトなどと共に「宗教」を挙げなかった。
宗教の場合は、強制的に知識を持たされた場合が多く、そんな場合は、学校と同じで、知識があっても知恵がない。
だが、宗教の権威とか教団から「覚えろ」とは言われないような知識が豊富な者には、かなりの知恵者が多いのである。自主的に学んだからということと共に、そんな(権威的でない知識)中に良質の知識が多いからである。

教科書やマスコミ(あるいは他の権威)とは全く関りのない知識が豊富な者は、間違いなく知恵者である。
逆に、教科書やマスコミ(あるいは他の権威)からの知識にあまりに詳しかったり、さらには、そういったことしか知らないなら、間違いなく馬鹿である。
これは自信を持って断言出来る。








人間の能力とその高め方

人間の能力というのは、IQ(知能指数)と人間関係力だけと言って、だいたい合っていると思う。
IQは説明しなくても良いだろうが、人間関係力は、一般的には、人付き合いがうまいとか、協調性があることで分かると思う。
そこで、「私は(あるいは私の子供は)IQは今一つだが、そこは人間関係力でカバーしよう」などと言ったり考えたりするかもしれないが、とんでもない話だ。
人間関係力を上げるより、IQを上げる方が、よっぽど簡単なのである。
人間関係力がある者は、相手の気持ちが分かり、思いやりがあり、押しと引き(主張と受容)のバランスが良く、聞き上手だ。
つまり、人間関係力は高いIQを基盤にし、その上に構築する非常に高度な能力だ。

これらから考えれば、人間の能力をもっと簡単に言えば、IQと思いやりと言える。
IQが高ければ、思いやりは優れた人間関係力になる。
しかし、IQが低ければ、思いやりが害悪になる場合が多い。
もちろん、飢えた人にパンを与えるのにIQは要らない場合が多いが、それは極端な場合だし、それすら、賢く与えないと無駄な施しになる場合が多い。
よって、まずは、IQを高めることが大切だ。
(尚、このような話でIQの細かい定義を持ち出し、話をややこしくしたがるのはIQが低い者と決まっているので、そのような注意は省く)

頭が悪いとは、コンピューターで言えば、バックグラウンドで余分なプログラムが動いている状態で、その余分なプログラムが大きかったり、数が多いほどコンピューターの性能が落ちる。
人間の頭の場合、余分なプログラムに相当する余分な思考は、頭の中のおしゃべりとして検出されるが、それは、普通に思われるよりはるかに多い。
それは、思考能力を奪うと同時に、脳のエネルギーをも奪ってしまう。
また、頭の働きが良いというのは、脳の各部がきれいに同調しているということで、それは、脳各部の脳波として検出される。
この両方を解決するのは、短い言葉の反復で、その言葉を、宗教用語を借りてマントラ(真言)としておく。
良いマントラは、頭の中の余計なおしゃべりを誘発せず、なおかつ、脳各部から出る脳波をきれいに同調させるものでないといけない。
良いマントラは、1つには、唱える人にとって、何の意味もない言葉だ。
有名なTM(超越瞑想)は、そのようなマントラを使うとしている。
TMでは、一応、各自に相応しいマントラを与えるとしているが、それが本当かどうかは知らないし、本当だとしても、別に難しいことではない。
全ての人に共通な「何の意味もないマントラ」としては「ナ・ダーム」というものがある。
他に良い言葉としては、神や仏の名、あるいは、宗教的な短いマントラで、これは最上の効果がある。
なぜなら、神や仏の名や宗教的なマントラは脳に良いパルス信号を送るように作られているからで、それは科学的な研究で解明され始めていると思う。
これ(神の名やマントラを唱えること)だけが自分の仕事と心得、常に唱えれば、IQを超えた知性を得られると思う。

皮肉なのは、一般に言う学習や頭の訓練が、特に、近年のものは歪な知性の発達を起こさせ、結果としては馬鹿になり、最悪の馬鹿になってしまうことも多い。
IQが高くなれば、自然に自分に向いたものに興味が湧き、特に学習とか訓練という意識を持たなくても、容易く楽しく習得するのである。
学びたくなければ、学ばなければ良い。
決して極端ではなく、文字を覚えるのが嫌なら覚えなくて良い。まあ、心配しなくても、いずれ、憶えたくなると思うがね。
尚、唱えるべき神や仏の名もだが、良いマントラを集めたような本は稀で、優れた本の中にさりげなく書かれていて、読む者が読めば、その言葉に気付かされる場合が多い。
だから、不意に優れた言葉が与えられた者は幸運であるが、唱えるべき言葉なら沢山あり、別に困ることはないだろう。








自分を知る

IQ(知能指数)テストを行ってくれる病院・クリニックは多いらしい。
IQテストを受けることに興味がある人というのは、IQが高い傾向があると思う。
IQは、頭の良さのごく一面ではあるらしいが、そのことを認識した上で、客観的な値を確認しておくのも良いかもしれない。
それに、私の考えでは、IQは固定されたものではなく、少なくともある程度は向上させることが可能で、L.ロン.ハバードの『ダイアネティックス』に書かれているように、誰もが本来の頭脳の能力は高く、その力を目覚めさせることが出来れば、IQは「打ち上げ花火のごとく」向上するのではないかと思う。
とはいえ、個人的には『ダイアネティックス』療法はお薦めしない。理由は、単に、「面倒である」からだ。
私は、能力の開発自体は、もっと単純な方法で行えると思っている。
面倒なやり方だと、どうしても金儲けに利用される。
ただし、『ダイアネティックス』など、ハバードの著作は面白かった。

他にも、自分について、なかなか知ることが出来ないことを知る方法がある。
例えば、あなたは、自分の脳のMRI(核磁気共鳴画像法)画像を見たことがあるだろうか?
この画像を見ただけでも、脳の性能や性質がかなり分かるらしい。
こんな話がある。
TEDで講演したこともある、神経科学者のジェームス・ファロンは、ある時、1枚の脳のMRI画像を見て愕然とした。
ひどい画像だった。
それは、凶悪殺人犯の脳の特徴を明瞭に現わしていた。
ファロン博士は、この気の毒な脳の持ち主を電算室に問い合わせた。
しかし、返事を受け取ると、電算室に対し、もっとしっかり仕事をするよう激を飛ばし、再度、解答を要求した。
しかし、電算室の担当者は、ファロン博士にこう言うしかなかった。
「ファロン博士。その脳のMRI画像は、ジェームズ・ファロン博士、あなたのものに間違いありません」
ファロン博士は、自分がサイコパス(共感能力の欠如により良心を持たない人間)であることを認識し、自分に対する研究成果を基に著書『サイコパス・インサイド』を書き、TEDでも講演した。
確かに、その本を読むと、ファロンが、IQの高い優秀で、かつ、エネルギッシュな人間ではあっても、いかに人でなしの超欠陥人間であるかが、はっきり分かるのである。

私は、10年以上前に、自分の脳のMRI画像を撮影し、見せてもらったことがある。
医者は、実にきれいな脳だと褒めてくれた。
そりゃバラ色だからね(笑)。
しかし、私は、自分が性質的にはサイコパス的なところも多いことは自覚しているので、医者も営業トークをしただけかもしれない。

いろんな意味で、自分を知ることは大切である。
例えば、ある人は、他人を傷付けるに決まっている言葉を平気で言うのだが、本人はそれを自覚していなかった。
その人の両親が、言うべきでないことを無神経に言う人で、それが当たり前になってしまったようである。
このような、治すべきことは、早くに発見して治しておかないと、人生で多大な損失を招くかもしれない。
実際、自覚しない悪癖で人生を棒に振る人は少なくないと思う。
逆に、自分の美点に気付かず、それを生かせば、かなり成功出来た可能性があるのに、それをしなかった「勿体ない」人も多いのだと思う。
そんな意味でも、気心の知れた、何でも言ってくれる友人がいることは、やはり、良いことなのだ。

ギリシャのデルフォイ島のアポロン神殿の扉には、「自分自身を知りなさい」と書かれているらしい(なんで「汝自身を知れ」なんて難しい訳し方をするのだろう)。
だが、そう書かれていても、自分を知ることが出来る人は滅多にいない。
だが、ソクラテスは、それが出来た数少ない人間で、それゆえ、彼は人類で最も知恵のある者になった。
彼は何を知ったのか?
それは、「私は何も知らない」ということである。
なるほど、彼は最高の知恵者だ。
ただし、言っておくが、「私は何も知らない」と言うだけでは駄目である。
本当に知っていなければ。
それなら、彼の弟子のプラトンが書いた『ソクラテスの弁明』を読むと良い(ソクラテス自身は著書を残していない)。
それで、「ああ、私は何も知らない」「私は何も出来ない」と分かれば、知恵に目覚めたことになる。
彼は、貧乏で悪妻に苦しめられ、挙句、死刑になったが、だからといって不幸だった訳ではない。
おそらく、世俗的な意味の幸福など、得ようと思えば得られたと思う。
しかし、彼の目的はあくまで知恵だったので、あの環境が良かったのであると思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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