「なぜ山に登るのか?」「そこに山があるからだ」という有名な問答がある。
これは、一般には、「挑戦すべきものがそこにあるので、果敢に挑むのだ」という意味に思われているかもしれない。
しかし、次の2つの意味にもとれるだろう。
1つは、山に登る目的なんてないこと。
もう1つは、なぜ山に登るのか、自分でも分からないということだ。
そういう意味であれば、なかなか真理をついていることになる。
だが、もっと正確に真理を言うなら、こういうことだ。
「なぜ山に登るのか?」「それが運命だからだ」
山に登る自分なんていない。目的というものは、それを持つ誰かがいて初めて成立する。しかし、そんな者はいないのだから、目的など、あるはずがない。
この世のどんなことも同じである。
「なぜ働くのか?」
と尋ねれば、様々な答があるだろう。
「自分の才能を育てるため」
「生き甲斐のため」
「自己実現のため」
以上は、自己中心の回答であり、子供っぽい。
もう少しマシなものは、
「社会に貢献するため」
「国民の義務である」
「人々の幸せのため」
となる。
もっと真理に近い答は、
「家族の生活のため」
「食べるため」
である。
しかし、真理を言えば、
「運命だから」
である。
ラマナ・マハルシに、「私は働かないといけないのです」と言ったら、「誰が働くのかね?」と問われることだろう。
あるいは、「働かないといけないと言っているのは誰なのかね?」かもしれない。
働く誰もいないのである。
よって、働くことに目的も意味もない。
真理はそうなのであるが、我々凡人にとっては、自分が働いているという自覚があり、そんな自分にとって仕事は現実である。
だが、せいぜいが、「食べるために働く」程度に思うのが良い。
思うままに働いたり、ニートになることは出来ない。
ラマナ・マハルシが適切なことを述べていた。
「働く運命になければ、いくら仕事を探しても見つからないだろう。逆に働く運命であれば、仕事は避けられない」
少しは好転してきたと言われるが、現在は就職難であるらしい。
学生は、数多くの企業に応募するが、なかなか内定がもらえなくて苦労しているようだ。
「なぜ当社を希望したか?」の質問に、学生は「貴社の事業は今後の世界に重要だから」とか「自分に向いているから」など、おかしなことを言っているものだ。
まるで、下手なナンパ男だ。どの女の子にでも、同じことを言って口説いているのが丸分かりというやつだ。
上手いナンパ男は、そんな言い方はしない。もっと力が抜けていて、「俺と合いそうだと思わないか?」などと言うものだ。
面接では、応募の理由はこう言え。
「なりゆきです」
「運命だったようです」
企業も、こんな者を採用すれば、うまくいくのである。
女優の沢口靖子さんは、中学時代にはすでに、町で名を知らぬ者はいないほどの美少女だったらしい。
その美貌でデビューを果たすが、最初は、演技は下手で、歌を歌わせたら、あの顔がなければ聴けたものではなかったらしい。
しかし、努力を続け、素晴らしい女優になったようだ。
ところで、CLAMPの『東京BABYLON』という漫画に、若い女性の幽霊が登場する。なかなかの美人だ。
彼女も、故郷の村では評判の美少女で、自分も女優になれると思って上京したが、女優志望の少女達の中では、自分も普通でしかなかった。
食べていくために、毎日、辛いアルバイトに明け暮れながらオーディションを受けたが、全くとっかかりが掴めない。その中で、あるプロデューサーが、身体と引き換えに仕事をくれるというから応じた。彼は根っからの悪人ではなかったらしく、約束通り、仕事はくれた。大した役ではないし、罪悪感もあったが、とにかく念願のデビューが果たせるので、故郷の両親や友達に報告し、祝福を受けるとやはり嬉しかった。しかし、主演の人気女優の気紛れで撮影は変更になり、自分のデビューは消えた。いまさら両親にそんなことも言えず、友人達にも言い訳が立たずに、思い余って自殺したという訳だった。
まあ、かなりの美少女が、アイドルや女優を目指して挑戦しても、言うまでもなく、ほんの一時的にでも成功するのは、あまりに僅かだ。そんなことは、みんな分かっているだろうに、なぜ自分はうまくいくと思うのか不思議なものである。
沢口さんはなぜ成功したかというと、やはり運命だったのだ。
それは、彼女が生まれる前から決まっていたことだ。
そんな運命でない者が女優を目指したとて、決してうまくはいかない。
しかし、架空の人物ではあるが、プロデューサーに身体を売った末に夢破れたあの少女も、それが運命であったというだけだ。そのプロデューサーも、気紛れで彼女を自殺に追い込んだ人気女優も、そうすることが運命だったのであり、避けられぬことをしたまでのことである。
我々も、現在の状況が、定められた運命である。全てをなりゆきにまかせ、気楽であることだ。
なぜ山に登るかなど、我々には決して分からないし、山に登る目的など絶対に無いのである。
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これは、一般には、「挑戦すべきものがそこにあるので、果敢に挑むのだ」という意味に思われているかもしれない。
しかし、次の2つの意味にもとれるだろう。
1つは、山に登る目的なんてないこと。
もう1つは、なぜ山に登るのか、自分でも分からないということだ。
そういう意味であれば、なかなか真理をついていることになる。
だが、もっと正確に真理を言うなら、こういうことだ。
「なぜ山に登るのか?」「それが運命だからだ」
山に登る自分なんていない。目的というものは、それを持つ誰かがいて初めて成立する。しかし、そんな者はいないのだから、目的など、あるはずがない。
この世のどんなことも同じである。
「なぜ働くのか?」
と尋ねれば、様々な答があるだろう。
「自分の才能を育てるため」
「生き甲斐のため」
「自己実現のため」
以上は、自己中心の回答であり、子供っぽい。
もう少しマシなものは、
「社会に貢献するため」
「国民の義務である」
「人々の幸せのため」
となる。
もっと真理に近い答は、
「家族の生活のため」
「食べるため」
である。
しかし、真理を言えば、
「運命だから」
である。
ラマナ・マハルシに、「私は働かないといけないのです」と言ったら、「誰が働くのかね?」と問われることだろう。
あるいは、「働かないといけないと言っているのは誰なのかね?」かもしれない。
働く誰もいないのである。
よって、働くことに目的も意味もない。
真理はそうなのであるが、我々凡人にとっては、自分が働いているという自覚があり、そんな自分にとって仕事は現実である。
だが、せいぜいが、「食べるために働く」程度に思うのが良い。
思うままに働いたり、ニートになることは出来ない。
ラマナ・マハルシが適切なことを述べていた。
「働く運命になければ、いくら仕事を探しても見つからないだろう。逆に働く運命であれば、仕事は避けられない」
少しは好転してきたと言われるが、現在は就職難であるらしい。
学生は、数多くの企業に応募するが、なかなか内定がもらえなくて苦労しているようだ。
「なぜ当社を希望したか?」の質問に、学生は「貴社の事業は今後の世界に重要だから」とか「自分に向いているから」など、おかしなことを言っているものだ。
まるで、下手なナンパ男だ。どの女の子にでも、同じことを言って口説いているのが丸分かりというやつだ。
上手いナンパ男は、そんな言い方はしない。もっと力が抜けていて、「俺と合いそうだと思わないか?」などと言うものだ。
面接では、応募の理由はこう言え。
「なりゆきです」
「運命だったようです」
企業も、こんな者を採用すれば、うまくいくのである。
女優の沢口靖子さんは、中学時代にはすでに、町で名を知らぬ者はいないほどの美少女だったらしい。
その美貌でデビューを果たすが、最初は、演技は下手で、歌を歌わせたら、あの顔がなければ聴けたものではなかったらしい。
しかし、努力を続け、素晴らしい女優になったようだ。
ところで、CLAMPの『東京BABYLON』という漫画に、若い女性の幽霊が登場する。なかなかの美人だ。
彼女も、故郷の村では評判の美少女で、自分も女優になれると思って上京したが、女優志望の少女達の中では、自分も普通でしかなかった。
食べていくために、毎日、辛いアルバイトに明け暮れながらオーディションを受けたが、全くとっかかりが掴めない。その中で、あるプロデューサーが、身体と引き換えに仕事をくれるというから応じた。彼は根っからの悪人ではなかったらしく、約束通り、仕事はくれた。大した役ではないし、罪悪感もあったが、とにかく念願のデビューが果たせるので、故郷の両親や友達に報告し、祝福を受けるとやはり嬉しかった。しかし、主演の人気女優の気紛れで撮影は変更になり、自分のデビューは消えた。いまさら両親にそんなことも言えず、友人達にも言い訳が立たずに、思い余って自殺したという訳だった。
まあ、かなりの美少女が、アイドルや女優を目指して挑戦しても、言うまでもなく、ほんの一時的にでも成功するのは、あまりに僅かだ。そんなことは、みんな分かっているだろうに、なぜ自分はうまくいくと思うのか不思議なものである。
沢口さんはなぜ成功したかというと、やはり運命だったのだ。
それは、彼女が生まれる前から決まっていたことだ。
そんな運命でない者が女優を目指したとて、決してうまくはいかない。
しかし、架空の人物ではあるが、プロデューサーに身体を売った末に夢破れたあの少女も、それが運命であったというだけだ。そのプロデューサーも、気紛れで彼女を自殺に追い込んだ人気女優も、そうすることが運命だったのであり、避けられぬことをしたまでのことである。
我々も、現在の状況が、定められた運命である。全てをなりゆきにまかせ、気楽であることだ。
なぜ山に登るかなど、我々には決して分からないし、山に登る目的など絶対に無いのである。
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