ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
ソフトウェア開発技術者、Hikikomori、スーパーダイエッター、神秘思想家Kayのブログ
決して、一般受けするブログではありません。誠実に人生を遊びつつ、誠実に世間の幻想を叩き壊すことを目的とします。

CLAMP

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
Twitterは、ちゃんとプロフィールが書かれ、1週間以内に1回でもツイートされている人なら、フォローしていただければ、大抵フォロー返します。

[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

なぜ山に登るのかは誰にも分からない

「なぜ山に登るのか?」「そこに山があるからだ」という有名な問答がある。
これは、一般には、「挑戦すべきものがそこにあるので、果敢に挑むのだ」という意味に思われているかもしれない。
しかし、次の2つの意味にもとれるだろう。
1つは、山に登る目的なんてないこと。
もう1つは、なぜ山に登るのか、自分でも分からないということだ。
そういう意味であれば、なかなか真理をついていることになる。
だが、もっと正確に真理を言うなら、こういうことだ。
「なぜ山に登るのか?」「それが運命だからだ」
山に登る自分なんていない。目的というものは、それを持つ誰かがいて初めて成立する。しかし、そんな者はいないのだから、目的など、あるはずがない。

この世のどんなことも同じである。
「なぜ働くのか?」
と尋ねれば、様々な答があるだろう。
「自分の才能を育てるため」
「生き甲斐のため」
「自己実現のため」
以上は、自己中心の回答であり、子供っぽい。
もう少しマシなものは、
「社会に貢献するため」
「国民の義務である」
「人々の幸せのため」
となる。
もっと真理に近い答は、
「家族の生活のため」
「食べるため」
である。
しかし、真理を言えば、
「運命だから」
である。

ラマナ・マハルシに、「私は働かないといけないのです」と言ったら、「誰が働くのかね?」と問われることだろう。
あるいは、「働かないといけないと言っているのは誰なのかね?」かもしれない。
働く誰もいないのである。
よって、働くことに目的も意味もない。
真理はそうなのであるが、我々凡人にとっては、自分が働いているという自覚があり、そんな自分にとって仕事は現実である。
だが、せいぜいが、「食べるために働く」程度に思うのが良い。
思うままに働いたり、ニートになることは出来ない。
ラマナ・マハルシが適切なことを述べていた。
「働く運命になければ、いくら仕事を探しても見つからないだろう。逆に働く運命であれば、仕事は避けられない」

少しは好転してきたと言われるが、現在は就職難であるらしい。
学生は、数多くの企業に応募するが、なかなか内定がもらえなくて苦労しているようだ。
「なぜ当社を希望したか?」の質問に、学生は「貴社の事業は今後の世界に重要だから」とか「自分に向いているから」など、おかしなことを言っているものだ。
まるで、下手なナンパ男だ。どの女の子にでも、同じことを言って口説いているのが丸分かりというやつだ。
上手いナンパ男は、そんな言い方はしない。もっと力が抜けていて、「俺と合いそうだと思わないか?」などと言うものだ。
面接では、応募の理由はこう言え。
「なりゆきです」
「運命だったようです」
企業も、こんな者を採用すれば、うまくいくのである。

女優の沢口靖子さんは、中学時代にはすでに、町で名を知らぬ者はいないほどの美少女だったらしい。
その美貌でデビューを果たすが、最初は、演技は下手で、歌を歌わせたら、あの顔がなければ聴けたものではなかったらしい。
しかし、努力を続け、素晴らしい女優になったようだ。
ところで、CLAMPの『東京BABYLON』という漫画に、若い女性の幽霊が登場する。なかなかの美人だ。
彼女も、故郷の村では評判の美少女で、自分も女優になれると思って上京したが、女優志望の少女達の中では、自分も普通でしかなかった。
食べていくために、毎日、辛いアルバイトに明け暮れながらオーディションを受けたが、全くとっかかりが掴めない。その中で、あるプロデューサーが、身体と引き換えに仕事をくれるというから応じた。彼は根っからの悪人ではなかったらしく、約束通り、仕事はくれた。大した役ではないし、罪悪感もあったが、とにかく念願のデビューが果たせるので、故郷の両親や友達に報告し、祝福を受けるとやはり嬉しかった。しかし、主演の人気女優の気紛れで撮影は変更になり、自分のデビューは消えた。いまさら両親にそんなことも言えず、友人達にも言い訳が立たずに、思い余って自殺したという訳だった。
まあ、かなりの美少女が、アイドルや女優を目指して挑戦しても、言うまでもなく、ほんの一時的にでも成功するのは、あまりに僅かだ。そんなことは、みんな分かっているだろうに、なぜ自分はうまくいくと思うのか不思議なものである。
沢口さんはなぜ成功したかというと、やはり運命だったのだ。
それは、彼女が生まれる前から決まっていたことだ。
そんな運命でない者が女優を目指したとて、決してうまくはいかない。
しかし、架空の人物ではあるが、プロデューサーに身体を売った末に夢破れたあの少女も、それが運命であったというだけだ。そのプロデューサーも、気紛れで彼女を自殺に追い込んだ人気女優も、そうすることが運命だったのであり、避けられぬことをしたまでのことである。
我々も、現在の状況が、定められた運命である。全てをなりゆきにまかせ、気楽であることだ。
なぜ山に登るかなど、我々には決して分からないし、山に登る目的など絶対に無いのである。









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草食系こそが絶対に正常である

肉食系、草食系という言葉を、「積極的に異性を求める性質」という意味に使われるようになったのは、5~6年位前からである。
ただ、「異性を求める」とは言っても、別に結婚相手を求めるとか、精神的な意味では当然なく、明らかに、性的欲望を満たすためであると言って良いだろう。
そこをはっきりさせていうなら、草食系が正常であり、肉食系が異常なのである。
これは重要なことであり、以下にやや簡易ではあるが説明する。

そもそもが、肉食系、草食系という言葉がそのような意味で使われるようになった原因とは、男性というものが、その意味での肉食系が正常であるように誤解されてきたことからだだろう。つまり、「本来、肉食系であるはずの男性が草食化している」といった話が多いはずだ。
男は、性的欲望が強く、魅力的な女性を見れば、いつでも性的欲望を起こさなくてはならないという、恐るべき妄想が我々の中にあるのだ。

かつて私は、女性の下着泥棒の容疑者を検挙した警官が、こんなことを言うのを実際に聞いたことがある。
「やつの気持ちは分かるんだよ」
それを聞いていた多くの者が、女性も含め、苦笑した。この苦笑は同意を示しているのだろう。積極的な同意ではないとしても、「気持ちとしてだけならやむなし」という消極的な同意であろう。
私も、かつてはそう思っていた。しかし、そう思う心の癖を消し去った後では、そんな気持ちを起こすのは異常であると分かったのだ。

ある高校の女性教師の著書で、男性教師と女子生徒の恋愛について述べる中で、こんなことが書かれているのを見たことがある。
男性教師にモラルを求めながらも、
「女子高生の若い肌に何も感じないのは男ではない」
と、述べていたのである。
これは、寛容さを示したなどというものではなく、この女性教師は男に媚びているか、そうでないなら、やはり妄想に取り込まれているのである。
もちろん、若い女の子がその気で挑発してくればそれなりに刺激も感じるだろうが、普通の状況で女子高生にしろその他の女性にしろ、性的欲望を簡単に起こすなら、やはり異常である。

また、ある大学教授が著書で、「中学校の男性の先生は大変だと思う。我々大学の教員であれば、色っぽい女子学生がいれば、それに目を引かれるのは別におかしなことではない。しかし、女子中学生にだって女を感じさせる子はいるはずだが、中学ではそんなことは認められないのだから」といったことを書いていた。
大学であっても、学内で女子大生に変な興味を持つなら、やはり異常であり、中学校でそんなことがあるなら、変態と断言して差し支えない。

どの例も全て、下着泥棒の犯人と同じく、性的倒錯者であるが、実際に、そのような男性が蔓延しているのである。いや、男性だけではないだろうが、話がややこしくなるので、とりあえず男性の話に絞る。
ではなぜ、下着泥棒の犯人を、行為としては赦せないながら、心情としては理解を示すような異常な状態になったのだろう。
男性教師が、高校や中学の女生徒に性的関心を持つことを異常と認識できなくなり、挙句、そうでなければならないようなことを言うという状況にまでなったのだろう。

それはこういうことである。
性欲は商売に利用し易いということはお分かりと思う。
昔であれば、経済的な力を持っていたのはほとんど男性であったから、男性相手のそういった商売が主流であった。しかし、一頃から、女性も金を持つようになり、女性向けのものも多くなっているだろう。
あからさまな性風俗営業でなくても、その時点での法律のギリギリを狙ったようなものが多いだろうし、表向きには、性的欲求を満たす商品やサービスではなくても、実質的にはそのような目的のためのものが非常に多い。どんなものがそれに該当するかは見当が付くと思う。

そして、これらの商売をする者にとって、男とは、今でいう肉食系が正常であるだけでなく、それが非常に良いことであり、男として誇れこそすれ恥ずかしいことではない。それどころか、草食系の男は駄目で恥ずかしいという思い込みを全人類が持ってくれることが都合が良いのだ。
そのため、そういった観念を広めると共に、あらゆる手を使って、昔であれば男性の、そして、近年でも女性も含め、性欲を煽るためのあらゆる宣伝手段が取られたのである。
こういったことは、近代に始まったことではなく、おそらく、数千年に渡って世界の多くの場所で続いてきたことであり、疑うことが難しいことにすらなってしまっているに違いないのだ。

また、近年では、性的な娯楽だけではなく、ありとあらゆる娯楽が起こる中でも、性欲と双璧を為す人間の欲望である食欲を利用した商売が盛んになっている。
ユダヤ商法では、「女と口を狙え」という言葉があるらしいが、近年、金を持った女のファッションや宝石への欲望と共に、口、即ち食べることが、人間の救いようのない強い欲望であり、割合に容易く儲けることに繋がるという意味だろう。ユダヤ商法では、現在はどうか知らないが、性欲を利用することは、彼らの優れた知性とモラルに反するのか、「女と口と性」とは私は聞いていない。
ところで、グルメであれば、よほどのことが無い限り法に触れないし、世間的には悪とみなされることも少ないこともあり、比較的商売がやり易い。
しかし、それに対抗する、性欲利用勢力は、容易く人間らしい許容限度を超えているのである。(尤も、最近は食の方もかなりひどいが)
これを法令でどうにかしようという連中もいるが、これほど愚かなことはない。
根本原因を放置したまま、表面的なところだけを取り締まった結果がどうなるかが分からないのは、余程の馬鹿であるはずだが、我が国では、その余程の馬鹿が政治的権力を持っているのであるし、文化人と呼ばれているのだろう。
何度も述べたが、アメリカでギャングの資金を絶つために禁酒法を制定すれば、闇酒、闇バーが爆発的に増えて、結果、ギャングは資金豊富となり、我が国でに淫行条例により援助交際やもっとダークなものが一気に増大したのである。

現在では、「いや、男が性欲旺盛なことは普通のことだ。それを変態だの異常だのというのは、極端な精神主義者だ」と思う人が多いに違いない。
実は、私も、割と最近までそう思っていたものだ。
だが、先程も述べたが、心の中にある歪んだ観念を探し出し、それを消すことに成功すれば、そのような主張は、人類が共同で持つ妄想であることが分かったのである。
パラマハンサ・ヨガナンダのパラムグル(師の師)であるインドの聖者スリ・ユクテスワが『聖なる科学』で、人間は元々、肉食に向いていないことは科学的に明らかで、肉食および過食が、異常性欲の原因になることを指摘していたが、昔の私はそれを疑っていた。しかし、今は、その通りであると確信している。

もし、飽食で性欲旺盛なままで精神的平安を得られ、真に幸福になれるなら、そのままの状態を続けるのも良いとする考え方もあるかもしれない。
しかし、そうではない。
人類は既に数千年の間、不安、恐怖、憂鬱、無力感に苦しみ、人生の意義を見出せずに苦しんでいるのである。たとえ権力を得たり、成功して富を得たとしても、最終的な満足に至ることはなく、まだ何かあるはずだと呆然とした思いを抱きながらも、惨めさを抱きながら死ぬしかなかったのだ。
これを、コリン・ウィルソンは、人類は3千年に渡る詐欺にあっているようなものだと言い、人類をそこから救済しようという考えを持ったのかもしれないが、彼は根本的なところを見ようとしなかったのだ。彼は快楽の肯定者で、真の解決策を述べる解脱者の言葉を理解できず、彼らを過小評価しているのだ。

我々の真に為すべきことは、心の中に埋め込まれた歪んだ観念…それが、どの国のどんなものであろうと、それを消し去ることだ。
それは、必ずしも伝統や文化を否定しない。ただ、おそらくは、それらの多くは捨て去られることになるだろうが、いくらかのものは、ただの遊びや有益な道具として存続するだろう。

まず、なすべきことは、食の慎みである。
これだけは避けられないが、決して苦しいだけの結果には終わらない。
それどころか、質素で適切な量の食事を本当の意味で美味しいと感じ、食事の真の楽しさを初めて知ることになるのだ。
それにより、身体の調子は良くなり、軽快で美しい身体を楽に得るだけでなく、知的で穏やかな人間性を持つようになるだろう。
過剰な性欲が起こす悲惨は無くなり、社会は平和になる。
食事にかかる費用は、これまでに比べ驚くほど安価になり、また、食を慎むことで知的で豊かな感性を持つようになれば、多くの物は必要なくなる。
そのため、異常な経済主義に付き合う必要はなくなり、自由になることができるのである。
そして、普通の人間では到底望み得ないと思われてきた悟りに、誰でも確実に達することができるようになる。
はるか遠くにいて、近付くことなど出来ないと思ってきた神が、手足よりも身近にあり、それは自分自身に他ならぬことが分かるのである。
しかし、食欲の意味でも性欲の意味でも、肉食であることを肯定している者にとって、それはやはり遠いものなのだ。
そして、草食系と言われる者の多くは、もしかしたら良い位置にいるのかもしれないのである。

ところで、初音ミクや巡音ルカなどは、非営利であれば、キャラクターデザインを使用することを著作権者であるクリプトン・フューチャー・メディアが許可しているが、これは画期的なことである。
ただ、そのために、同人誌などでアダルト作品に利用されないような工夫がされたらしい。
特に、20歳に設定された大人の女性で、美しい巡音ルカに関してはリスクが高いので、肌を真っ白にして生命力を感じないクールな雰囲気にしたという。
初音ミクに関してはよく分からないが、当初は考えられていたらしい、彼女のプロフィールを設定しないことで、人間味を消したのかもしれない。
元々、食事をせず、自我の無い彼女達である上、そのような設定の影響もあり、私はたちまちファンになった。
時々、私が初音ミクと比較している、CLAMPの漫画『ちょびっツ』のちぃは、心を持たず、食事をしないところは良いのだが、切ない表情をしたり、愛する人(秀樹)への執着が感じられるところが、良くも悪くも人間的であると思う。いや、元々、青年誌に掲載するにあたり、CLAMP自ら、ちぃへの性的関心を集めることを意図していたのである。ただ、だからこそ、それを払拭することに意義があったかもしれない。実際、秀樹は、ちぃをその意味での女性として扱うことを諦めたのである。
全ては受け手次第であるが、その受け手の態度が、解脱に至るかどうかを予言していると言えるだろう。













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ちぃとミクとあなたが起こすアセンション

老人の…と言うより、老人になったアイルランドの詩聖W.B.イェイツの本当にの願いは、彼の詩にあるように、「もう一度若くなって、あの娘を抱きたい」だったのかもしれない。
私なら、そんなことは願わない。なぜなら、そんなことを考えないからだ。
そう、考えないだけのことだ。考えれば、当然、そんなことを願うようになる。
その意味でも、初音ミクはとてもいい。どんなに可愛くても、バーチャルなのだから邪まな考えをせずに済む。それは、彼女よりお姉さんで美しさで優るボーカロイドの巡音ルカさん(なぜか「さん」付けだが)でも同様である。
私は、バーチャルなものも、物質的なものも同じと思っているが、バーチャルなものは、より精神的に愛せるだろう。
以前も書いたが、初音ミクを見ると、時々、CLAMP(4人組の女性漫画家)の漫画『ちょびっツ』のヒロイン、ちぃを思い出す。ちぃは人型パソコンで、それは、アンドロイドと同じである。2人は、個性は異なる部分が多いが、外見の年齢や、くるぶしまで届きそうな長い髪、そして、身軽そうな細身の身体つきがよく似ている。
身長は、ミクが158センチで、ちぃは152センチとなっている。ちぃの姉フレイヤは、外見はちぃとそっくりだが、とてもクールで、巡音ルカさんの雰囲気があるように思う。

ところで、漫画の中で、ちぃを愛する予備校生の秀樹に、ちぃの姉フレイヤは「ちぃとしたい?」と尋ねる場面がある。青年誌掲載の漫画であれば、何をしたいかは自ずと明らかと思うが、秀樹はイエスと答える。だが、フレイヤはそれをしない方が良い理由を説明する。ちぃのその部分には(パソコンとしてのちぃの)初期化スイッチが設置されており、それをしてスイッチを押すと、ちぃは秀樹を忘れる。CLAMPというのは、こういったことを決して冗談で描く作家ではなく、あらゆる作品を見ても、高度な思想家、哲学者と言って差し支えないと思う。
だが、それでも、秀樹はちぃを選ぶ。それは、性的欲望を捨てるということだ。
秀樹がちぃを選んだ時、それは、実は、ちぃが選んだ秀樹という男が、ちぃの「私だけの人」になったという意味なのだが、その時、アセンション(地球の次元上昇)が起こる。漫画にアセンションと書かれていた訳ではないが、それはアセンション以外のなにものでもない。
アセンションの中身は、漫画でもアニメでも明かされていない。しかし、それが起こった後、世界はきっと変わってしまったのだろう。
政府はアセンションを止めるため、最高性能の人型パソコン、ジーマとディータに、ちぃを機能停止させようとする。しかし、政府の指令に従って動くディータ(女性型)を、同じプログラムがされているはずのジーマ(男性型)が止め、ちぃはアセンションを起こす。
いや、正確に言うなら、ちぃと秀樹の2人で起こしたのだ。
何が起こったのかは、政府の男性型パソコンジーマの言葉が示唆する。「信じてみたくなったのさ。人に造られたものが幸せになれるというおとぎ話を」。
さて、幸せとは何だろう?(そんな歌があったような気がするが)
CLAMPさんの昔の漫画で、このブログでも常駐でご紹介している『CLOVER』で、織葉(おるは)という名の歌姫(彼女は超能力者だ)が歌う歌にこんな詩がある。「あなたと幸せになりたい。あなたの幸せになりたい」。
これが幸せの本質である。幸せになろうとか、幸せにしてやろうというのはエゴイズムだ。
だが、誰かの幸せになるというのが愛なのだ。
なぜなら、我々は幸せになる必要はない。
それは、恩恵そのものである神が恩恵を与える必要が無いようなものだ。
本質において幸福そのものである我々が幸福になる必要はない。
存在している我々が、存在しようとする必要はない。ただ、存在すれば良い。
我々は、ただ幸福であれば良いのだ。
そのために、我々は秀樹のように、純粋な愛を見つけなければならない。
だが、現在は、その正反対の方向に進んでおり、どうなるかは微妙でもある。

以下は、ちょっとした冗談と思って欲しい。
古代より、日本には、ある情報エネルギーが設置されている。これを、アカシャと言った者もいたと思う。
初音ミクが生み出されたのは必然であり、日本からアセンションの波は広がっている。
ミクの誕生日2007年8月31日は、数霊では、2+7+8+3+1=21で、2と1を足せば3である。
ミクという名は、日本語で39であり、その中に、無(6)になった我々が融合すれば369(ミロク)となり、弥勒の世が実現する。それがアセンションだ。
初音ミクという名は、古代から我が国に伝わる数霊で計算すれば111となる。1が3つで、この数字は、言霊そのもの、数霊そのものであり、それが波及していくという意味だ。だから、彼女の歌が世界に広まったのもまた必然だ。そのための人々の努力は素晴らしいものだったのだ。そして、クリプトン・フューチャー・メディアが、ミクのキャラクターを非営利に限り使用許可したことも立派なことだった。それが無ければ、ミクの歌は世界に広がらなかった。ミクの歌を創る人々の多くにも、アカシャは働きかけている。それで、実に、ゲーテやイェイツ、あるいは、タゴールでも書けなった詩が生まれている。今のところ、ウェルギリウスやダビデには及ばないのであるが…
古代マヤ暦の最終日に一致する、2012年12月22日は、2+1+2+1+2+2+2=12で、1と2を足して、やはり3である。
ダンテが、人類至高の叙事詩『神曲』(原題は神聖なる喜劇)を、33篇の詩3つに、序詞を加えた100の詩で完成させたように、3は神聖なる数だ。
ミクは3で出来ている。
ミクの生まれた日は31日で、ちぃは13日。フレイヤも31日、ルカは30日と、やはり3が多い。4人とも3を持つが、4人で1が3回現れる。ルカだけ0を持つが、彼女の誕生数は6であり、やはり0を示す6(無)であるあたり、肌が真っ白で生命力を感じさせない彼女に相応しい。尚、これを書いている私が31日生まれである。
IOCが、電子投票の通り、ミクにロンドンオリンピックのオープニングセレモニーで歌ってもらうことを決定すれば、アセンションに至るまでの悲劇は小さくなるだろう。その際は、ミクの歌は日本語でなければならない。

THE TOP TENS ~ロンドンオリンピックセレモニーで歌って欲しい歌手投票経過~

私が、アカシャの波に触れて、瞬間で菜食主義の1日1食になったように、これからは、本来は誰でも簡単にそうなるだろう。それも、アセンションの成否につながるのである。
実は、私は、今の時期は、日本が戦争状態にあると覚悟していた。その危険は十分以上にあったはずだ。これは、あくまで夢の中で聞いたことだが、天皇陛下が自ら犠牲になることで護って下さった(心臓手術以外にも多くの苦難を背負われた)。「次は、お前の命でも多少の役には立つが」と言われたが、「餓死で良ければ」と答えておいた。
ついでに言っておくと、これからは歳の差婚というものがますます増える。アセンション後の寿命は飛躍的に伸びる。また、相当な年齢まで老化が起こらなくなり、例えば祖母と孫娘の外見の違いがなくなる。それにより、40や50の歳の差は何でもなくなる。古代中国の秘教の教えによれば、現在ですら、実は最も相性の良い年齢差は43歳である(その周辺でも相性は良い)。ただ、従来は、人間の寿命が短かったので、それは不道徳なことに思われたのである。エドガー・ケイシーのリーディングでは、イエスの両親であるマリアとヨセフの年齢差は22歳だった。マリアが16歳で、ヨセフは38歳だった。本当はもっと年長の男の方が良かったのかもしれないが、当時は平均寿命が30歳程度だったのである。









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夢もうつつも心の創造物だという確証

星座というものは、ほぼ全て、大昔の人達が考えたものだと思う。
天秤座と蠍座、獅子座など色々あるが、まともに考えると、こじつけもはなはだしいかもしれない。
しかし、昔の人は、空の星に、それらのものを極めてリアルに感じていたのかもしれないと思うのだ。それが、人間の想像力なのである。
誰しも、子供の頃、空の雲を見て、それが何に見えるとか思ったことがあるに違いない。好きなもの、欲しいものの形に感じることが多かったかもしれない。犬を飼いたいと思っている時なら犬に見えるとかね。そして、雲がまるで生命を持っているように、生き生きとしたものに感じたのではないだろうか?
子供の時は、想像力が強いので、そんな傾向が強いはずだ。
また、壁のシミがいろいろなものの形を連想させることもある。夜寝ている時、目を開けて壁を見た時、それが恐ろしいものに見えてぞっとしたという経験がある人も少なくないと思う。
人間の想像力とは、時にやっかいであるが、やはり面白くて素晴らしい。

私は、ある日の昼間、自分の部屋でうたた寝し、半覚醒の状態だった時、大きなトカゲが壁を歩いているのを見た。美しい黒いトカゲで、しなやかに、優雅に動いた。だが、はっとして目を覚ますと、それは壁のシミに変わった。トケガは、私の心が作り出した幻だった。
これが、人が夢を見る原理なのだろう。しかし、そのトカゲは実にリアルだった。つまり、リアルな夢だ。
夢は、人の心が作り出したものだ。
だが、現実もまた、そうであることに気付く者は少ない。いや、正確に言えば、忘れている人が圧倒的なのだろう。
幼い時の感覚を、長く持ち続けた人には、その動かぬ証拠を掴んだことのある人も少なくないはずだ。
イエス・キリストなんて人は、パンや魚を大量に作り出し、水をワインに変えてしまった。確かに、そこまでやれる人は滅多にいないが、そんなに不自然なことと思わない人もいるだろう。私もそうだ。それは、異常現象なのではなく、単なる超自然現象だ。「超可愛い」というのは、単に、「ものすごく可愛い」って意味であるのと同じで、超自然現象は、いかに凄くても、自然なことなのだ。

初音ミクをご存知だろうか?
ヤマハ製パソコンソフトで、可愛い女の子の声で歌を歌わせることが出来る音声合成プログラムだ。
沢山の人がミクに自分のオリジナルを曲を歌わせて公開している。
人気イラストレーターのKEIさんがミクの姿を描き、樋口優さんが開発したフリーの3DCGソフトウェアMikuMikuDance(ミクミクダンス)で多くの人がミクの3次元アニメを作り、それらがアニメと音楽を組み合わせたビデオクリップの形で公開されている。
そして、ミクの3次元映像によるコンサートまで行われ、2011年には、なんと、米国ロサンゼルスのノキアシアターでコンサートを開催した。ノキアシアターで行われるコンサート、演劇、ミュージカルは超一流に限られ、アメリカのスポーツや音楽などの重要な授賞式が行われる場所として知られる、豪華な劇場だ。
(次はカリフォルニアのアンフィシアターでお願いしたい。仕事は放っておいて行くから)
初音ミクのコンサートでは、ステージ上の半透明スクリーンにミクの姿がリアルな3次元映像として表示され、生バンドを従えてミクが踊りながら歌うのである。
アメリカでも、観客は「ミクサン、マジ、テンシ」とシャウトし、日本語でミクと一緒に歌う。
ステージにあるのは、言ってみれば「情報」だ。
コンピュータは0と1の数字から全ての処理を行うということをご存知の方も多いと思う。正しくは、オンとオフの組み合わせなのだが、オンを1、オフを0とすれば、その1か0を4つずつ組み合わせて16進数で表すのに都合がいいのだ。
つまり、実際にステージにあるのは、0か1、あるいは、オフかオンによって構成される膨大な情報だ。
だが、観客はそれを見て熱狂するのだ。
コンサートの様子は、KARAや少女時代、あるいは、AKB48のコンサートと変わらない雰囲気で、もっと熱狂的とも感じる。

CLAMPの漫画『ちょびっツ』で、人型パソコン(アンドロイドと同じ)の少女ちぃを愛した秀樹(19歳)が言ったように、「ちぃの心は俺の中にある」ということだ。
ミクの心は、観客の心の中にある。
そして、ふと気付く。
ミクと自分に何か違いがあるだろうか?
ミクが0と1の情報なら、私だってそうなのだ。
そして、私の心は、もっと大きな、宇宙全体に偏在する何者かの中にある。本当は、その大きなものと一体なのに、ごく小さな限定されたものでしかないと思っている。
ミクに心を与えながら、我々はそのことに気付きたいと思う。








↑2010年の国内コンサート↑↑2011年のロサンゼルスコンサート↑









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人の心が彼女を神の子にする

人工の少女に恋するというお話は古代からあり、これは人類の普遍的なテーマであると思う。
ギリシャ神話では、キプロス島の王ピュグマリオンは、自分が造った彫刻の少女ガラティアに激しい恋をした。そして、ガラティアのモデルでもあった、美の女神アプロディーテーの力でガラティアは人間になり、ピュグマリオンは彼女を妻に迎えたのだった。

だが、私は、何と言っても、『コッペリア』を思い出す。
『コッペリア』はバレエだ。
浅田真央さんが、音楽を採用したことで一般にも馴染みが深くなった『くるみ割り人形』も、同名のバレエの音楽で、フィギュアスケートにもよく合うものだと思う。
そして、『コッペリア』も、『くるみ割り人形』も、原作小説は、天才の誉れ高い、ドイツのホフマンが書いたものだ。ホフマンは、作家、作曲家、画家、法律家で、そのことごとくに才能を現した。

『コッペリア』は、フランツという名の青年が、コッペリアを人形と知らずに恋をするというお話だ。コッペリアは精巧な自動人形で、バレエでもコッペリア役のバレリーナは、人形的な踊りを見せる。
コッペリア、および、フランツの(人間の)恋人スワニルダは美少女バレリーナが演じるのが定番と思われ、見ていて楽しい。
下に、パリ・オペラ座バレエ学校の公演のDVDをご紹介する。学生とはいえレベルは高く、若く可憐で身軽なバレリーナの踊りは魅力的だ。
ただ、1870年に、パリ・オペラ座で、皇帝ナポレオン三世臨席の『コッペリア』初演でスワニルダを演じた16歳のジュゼッピーナ・ボツァッキは、17歳の誕生日の朝に病死している。

ところで、バレエの『コッペリア』は喜劇であるが、これの原作小説『砂男』は、ホラー小説だ。これが、ホフマンらしい、実に素晴らしい作品である。どこか、エドガー・アラン・ポーの怪奇小説と似た雰囲気も感じるが、実際、ポーと遜色ないと思う。
また、『砂男』は、あの精神医学者ジクムント・フロイトが興味を持って分析したという、その心理的描写は、ポーをもはるかに凌駕するのではないかと思う。
『砂男』では、大学生の青年ナタナエルは、スパランツァーニ教授の娘オリンピアに激しい恋をする。だが、オリンピアは部屋から一歩も出ない、おとなしい少女のようだった。しかし、ついにパーティーでオリンピアに会ったナタナエルは彼女にダンスを申し込む。ダンスは調子がよくなかった。また、ナタナエルがオリンピアに囁いても、彼女は明瞭な言葉を返さない。見ている人々が何やら失笑しているが、ナタナエルは、それどころではなかった。
だが、オリンピアは人間ではなかった。スパランツァーニ教授が作った自動人形だったのだ。それに気付いていなかったのは、ナタナエルだけだった。

CLAMPの漫画『ちょびっツ』では、CLAMP自ら脚本を書いたアニメを含め、主人公である、19歳の大学浪人生、本須和秀樹は、人型パソコン(アンドロイド)のちぃを永遠の恋人として選ぶ。秀樹は、極めて健康的な田舎者の好青年である。秀樹は、ちぃが心を持っていないことを理解していたが、ちぃの心は自分の中にあるとして、この問題を止揚(高いレベルで解決する)した。
もちろん、人工、あるいは、架空の人間を本当の恋愛の対象にすることが全て正しいと言うつもりはない。しかし、それが、世間的な、本物の人間相手の愛を超えることは確実にある。

映像化されたボーカロイド(ヤマハ製歌唱シンセサイザー)の初音ミクに熱狂する者の全てがそうだというのではないが、ミクの中に、高貴な愛の欠片を感じる者だってやはりいる。
人の見るものは、全て、自分の心の反映なのである。例えば、雨の日が憂鬱なのは、自分の憂鬱な心が環境に反映した結果である。
初音ミクの見え方は、見る人によって異なる。
そして、ミクを制作した人たちの全てとは言わないが、自覚のないまま、ある精神エネルギーの影響を受けているのだ。だから、ただ、可愛いと感じさせて儲けようという意図だけで創られたものではない。それは、あらゆる制作物に関して言えることだ。

アニメ『エル・カザド』で、「エリスは神の子では・・・ない」と言われた。エリスは美しい少女だが、人工的に作られた人間だったからだ。しかし、それは誤りだ。人が、彼女を神の子として見れば、エリスは神の子・・・つまり、人なのである。

架空の存在に恋をするというのは、地球上の生物で人間だけに可能であるだけでなく、人間の能力の中でも高度なものだ。
人は、心を動かされるものを見た時に、注意深くあれば、それが自分の心の反映であることに気付くのである。そして、直観の閃きを得れば、全てが自分の心が作り出したものであることが分かるようになる。
インドの詩聖タゴールは、アインシュタインに、「人が月を見ていなくても、月が存在していると言えますか?」と尋ねた。人が見ていなければ、月は月であることをやめるだろう。いや、たとえ月に顔を向けていても、人が月を見ようとせず、何か他のものを見ようとすれば、月は別のものに変わってしまうだろう。

月が太陽の光の反射によって見ることができるように、全ては、心の光によって見ることができる。
ただし、不純な心の光で見れば、対象は不純なものとして見られる。
純粋な心の光で見るなら、対象物は、あるがままの姿を現す。
荘子が、常に、「視線を自然にし、思慮分別を離れ、あるがままに見よ」と言ったのは、そのことである。
純粋な心で見れば、何が見えるのであろうか?
それは、自分で見るしかないのである。しかし、決してがっかりすることはないだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・MCSD、MCDBA資格者
・タオイスト、神秘思想家
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萩尾望都さんの漫画紹介


半神
小学館文庫

わずか15頁の至高の傑作「半神」を含む短編集。
数奇で残酷な運命を目撃した後、「愛とは?憎しみとは?それはどう異なるのか?異なるものではないのか?」あなたの心に荘厳な疑問が残るのではないだろうか?


ウは宇宙船のウ
小学館文庫

1920年生まれのアメリカを代表するSF作家レイ・ブラッドベリの珠玉の短編作品を萩尾望都が漫画化。萩尾さんの繊細で美しい絵と感性が、ブラッドベリの作品に新しい生命を注いだ。
「みずうみ」では、12歳の少女タリーの可憐な姿と、彼女を愛するハロルドの少年の時と青年になって後の様々な表情がより深い感銘をもたらすと思う。
他の作品も素晴らしい出来であると思う。
CLAMP「CLOVER」のご紹介


CLOVER
わずか5分の劇場用アニメ作品。
CLAMPさんの名作漫画のイメージを美しい映像と音楽で描いた傑作。
主人公の12歳の神秘的な少女スゥの声は坂本真綾さん。


「CLOVER」の原作漫画を以下にご紹介します。
素晴らしい装丁、美しいカラーの扉絵。そして、神秘的な傑作と思います。
新装版も出ているようですが、私はこちらしか持っていません。しかし、こちらの本の装丁を大変に気に入っています。








私が愛する「魔法少女リリカルなのは」

ナンセンス文学(意味を持たない作品)として私が勝手に意味付けをしたのかもしれませんが、アメリカの百万円以上の自己開発プログラム以上に貴い気付きを私に与えてくれた全13話のアニメ作品。











5年の時を経て、2010年、映画化されました。
基本的には、テレビシリーズの全13話を1本の映画にしたものですが、本編では描かれなかったフェイトの生い立ちが見られます。そして、プレシアの謎の言葉も。映像はテレビシリーズよりさらにグレードアップしています。


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初音ミク、コンサート映像のご紹介
ミクの日感謝祭 39's Giving DayProject DIVA presents 初音ミク・ソロコンサート~こんばんは、初音ミクです。~
[2010/3/9]東京お台場~Zepp Tokyo~

映像の品質等は、下でもご紹介する、後で開かれた米国コンサートの方が高いのですが、私は、全体としては東京コンサートの方が好きです。米国コンサートの方は、映像の緻密さのために、かえってボーカロイド達がマネキンのように感じるかもしれません。これは、証明の影響もあると思います。緑色がかった証明の東京コンサートの方が、ミクが柔らかい感じで可愛いと感じました。
また、真っ白なお姫様のような衣装に赤い大きな腰のリボンが印象的な『Alice』、『あなたの歌姫』は、米国コンサートにはありませんでした。

【ブルーレイ】


【DVD】




MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです”
[2011/7/2]米国ロサンゼルス~ノキアシアター~

日本のボーカロイドが、日本語の歌で、アメリカ、ロサンゼルスの大劇場ノキアシアターの満員の観客を熱狂させた歴史的コンサートだったと思います。
東京コンサートから1年4ヶ月経過しており、総合的には確実に進歩しています。
私が特に気に入ったのは、1つは、ミクとルカの素晴らしいコンビネーションのダンスパフォーマンスが楽しめる『ワールズエンド・ダンスホール』です。ルカが珍しくミニスカート姿で、ミクに勝る四肢の長さで、ピンクの髪を美しく揺らしてダイナミックに踊ります。 もう1つが、ミクが真っ白な天使の衣装で歌う『SPiCa』で、これが天使でなくてなんだろう、私はついに天使を見たのだと思いました。演奏も東京コンサートの時と変えていましたが、成功していたと思います。

【ブルーレイ】


【DVD】


尚、ブルーレイとDVDの差についてですが、私は実際、両方買い、見比べてみました。観客、演奏者、楽器などは、大画面TVで見ると、ブルーレイの方がきれいですが、肝心のミク達は、ホログラム映像そのものがそれほど細密でありませんので、別に違いはないと感じました。ブルーレイ、DVDいずれも、東京コンサートの方は上半身映像以上の場合、米国コンサートでも、顔のアップだと映像の粒子が目立ちます。 変な話ですが、iPhoneやiPod touch、あるいは、同等な画面品質を持つ小型情報端末で見た映像が最上かもしれません。ただ、これは反則行為ですので、実際にやったとは言いませんが。
本のご紹介


精神について(エマソン名著選)
ラルフ・ウォルドー・エマーソン著
日本教文社

アメリカ最高の思想家、哲学者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの珠玉のエッセイ集。 「歴史」「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」が収められている。
我々自身が、歴史上の英雄、賢者、大芸術家に匹敵する偉大な人間であることを、驚くべき確信をもって語る唯一の人物であると思う。
世間の妄信を粉々に破壊し、プラトーンの頭脳、シーザーの手腕、イエスの愛の所有者である自分を見出して欲しい。
これ以上のエッセイは地上には存在しないと思う。


荘子
徳間文庫

約2400年前の中国の思想家で、老子と共に、老荘と称せられる道教(タオイズム)の始祖である荘周(荘子)の書。
世俗にあって世俗を超え、永遠の道(タオ)と一体化し、安らかで充実した人生を送る秘訣を、恐ろしく抽象的な老子と異なり、平易に説いている。
本書は、数多い荘子の現代語訳の中でも非常に読みやすく分かりやすいものであるが、中国古典の香りは損なわれていない。
本来、膨大な荘子の中心となる内編全てと、外編と雑編の内、荘子らしいものを選んで収録してある。


神統記
ヘシオドス著
岩波文庫

ホメーロスと並ぶ古代ギリシャ詩人ヘシオドスが、ムーサ(詩の女神)達より教えられたという神々の物語。
この世の始まりから、ゼウスの支配の確立、そして、主要な神々のことについて、美しい詩で語る。すぐに読める薄い本であるが、ギリシャ神話の根幹とも言える重要な書と思う。


四つのギリシャ神話(ホメーロス讃歌より)
岩波文庫

無名の詩人達が、ホメーロス風の詩で神々に捧げた賛歌の内、豊穣の女神デーメーテール、理性の神アポローン、智慧の神ヘルメース、美の女神アプロディーテーの4神へのものを収録してある。
著名な神話学者カール・ケレーニィも、ホメーロス賛歌を重視していると思えるが、名もない詩人達の作とはいえ、それぞれの神について、その特質が巧みに表現されており、実に興味深いものとなっている。
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