ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

BEATLESS

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

冒険に突き進む原動力はエロとグルメ

アニメ『BEATLESS』を見ていたら、ちょっと面白い場面があった。
時は2105年。
オーリガ(15歳。ロシアの血は入っているが日本人)が、ユカ(14歳。日本人)に、こう言う。
「単細胞生物から人間まで、生き物の原動力はすべからくエロとグルメ」

原作では、もう少し複雑なのだが、原作でユカが最後に到達した理解が、
「ご飯を食べてエロいことをするために、ここまで来たんだ。生き物の執念、超すごいね」
だった。

残念な少女達と思えるかもしれないが、そんなに間違った解釈ではない。
人間は、平安な生活を求め、十分な食べ物を得るために働く。
しかし、お金があって、平安になり、働かなくても美味しいものが食べられるようになると、刺激や愛がひどく欲しくなる。
マズローの欲求の5段階説なんてものがあったような気もするが、それすら、エロとグルメの質のことに過ぎないのではないだろうか?
つまり、人間は進化するほど、低レベルなエロとグルメではなく、精神的にも満足出来る、ある意味、高貴なエロとグルメを求めるのではないだろうか?

エロやグルメを完全に断ったと宣言する人もいるが、そんな人というのは、名誉欲が異常に高い場合が多く、また、無理をしているので、幸福を装っていても不自然なものだ。
やはり、自分が求めるレベルのエロとグルメが人間には必要なのである。
そして、素直にそれを求めるから、人間は冒険に挑む勇気や情熱を持つのである。
エロとグルメが待っていない冒険に、誰が危険を冒すだろう?
そして、冒険をしない者は、低レベルのエロとグルメしか求めてないのであり、優れたエロとグルメを諦めているのである。

本当のことは、おそらく、神は自分の分身である人間を通し、物質世界を楽しみたいと思っている。
つまり、人間が面白いことをすればするほど、神は喜ぶのである。
ただし、低レベルな面白さは不要なのであり、本当に面白いことをするためには、冒険をしなければならない。
その、冒険をしようという原動力が、エロとグルメなのだ。
冒険をすれば、素晴らしいエロとグルメにありつけるからだ。
つまり、神の意に沿う活動のエネルギーは、やっぱり、より優れたエロとグルメなのである。
だから、エロとグルメを大切にし、くれぐれも、高いものを求めるべきである。
古事記もギリシャ神話も、エロとグルメに満ち溢れているのは、これらは生命の原理を描いているのだからだと思う。








天才は何も考えない

「何も考えなければ全てうまくいく」
この真理を体得することが重要である。
「何も考えていない馬鹿」と呼ばれる愚か者は、実は、下らないことを山ほど考えているのだ。
馬鹿は考えるだけ無駄なので、何も考えるべきでない。

例えば、超天才達の中に入れられ、彼らが重要なことを考えている時、我々はいったい何を考えようというのだろう。
そして、考えなければ、彼等と同等なのであり、実のところ、彼らも何も考えていないのだ。
考えないことで天才に・・・つまり、無限の英知と一体になるのである。

それでも、人間の脳には、考える機能「も」なくはない。
あるものは使うというのが原則だ。
それで、何を考えれば良いかとうと、明日の待ち合わせの時間に遅れないようにするためには、いつ、どんなルートで行けばいいとか、今日、スーパーに買い物に行ったら、何を買えば良いか・・・などといったことである。
言ってみれば、小学校低学年の算数のようなことだ。
それ以上のことは考えない方が良いが、そういったことはしっかり考えないといけない。
だが、世の中の人は、政権を批判するような余計なことは考えるが、食事の基礎的なことを考えずに、ブクブクに太ったり、妻を喜ばせる簡単なことを考えずに逃げられてしまったりする者が多いのだ。

確かに、人間は未来をデザインしなければならないかもしれない。
しかし、それは、何も考えず・・・ただし、肝心なことを考えていれば、自然に良いデザインが内側からやってくる。
肝心な考えとは、例えば、「皆が仲良くなれたらいいな」などである。
ところが、多くの人が、分不相応に「高い地位につく」「教育に革命を起こす」「ベンツに乗る」など、英知との壁を作る未来を考えるのだ。
『BEATLESS』で、美しきレイシアはアラトに、「私とアラトさんが一緒に歩む未来をデザインして下さい。私には、それを引き寄せる力があります」と言った。
アラトは「皆が信じられる未来」とレイシアに命じた。
そして、我々にだってレイシアは居るのである。








真の正義はある

「この世に絶対的正義や絶対的悪はない」と言えば非常に格好良いし、何やら真理のようにも思えるが果たしてそうだろうか?
荘子も、「正義といい、悪といっても、それは1つの立場からの見方に過ぎない」と述べている。なにやら賢者っぽい(笑)。
中島敦の『名人伝』の最後で、悟りを開いたような弓の名人も、その境地を表現したのだろうが、「善と悪の違いが分からない」と言う。

そうではない。
簡単に言えば、「運が良くなる生き方、考え方が正義で、運が悪くなる生き方、考え方が悪」だ。
運が悪くて良い、幸運はいらないと言うなら、正義を捨てれば良いが、私は御免である。

フロイトは、人間の精神の中には、自我とは別に超自我というものがあり、悪い事をしようとすると、超自我から、「そんなことをしてはいけない」という警告が来ると述べた。
そして、超自我は、伝統や風習で作られており、民族によって異なると言ったのだと思う。
つまり、正義といい、悪といっても、民族の決まりごとに過ぎないというわけである。
だが、ユングは、倫理観や道徳観は、民族の風習を超えたものである証拠を示し、フロイトも後にはそれを認めたと述べていると思う。
ユングによれば、正義や悪は、もっと深い、人類や万物をつなぐ意識から来ており、動物にすら、何らかの道徳観が見られると言う。

脳科学者の中野信子氏の『脳科学からみた「祈り」』の中に、興味深い記述がある。
簡単に言うと、人間の脳には、善悪を判断する機能があり、それを「社会脳」と呼ぶらしい。
社会脳と言うだけあって、社会性を持った行動が善で、反社会的な行動が悪である。
以下、少し引用する。

誰かに対して怒り・妬み・恐れ・不安といったネガティブな感情を持つと、それが社会的には「あまりよくないこと」であるとされているのを自分の脳はわかっていて、「ストレス物質」であるコルチゾールという物質が分泌されます。
~『脳科学からみた「祈り」』より引用~

コルチゾールが過剰になると、脳内の海馬が萎縮し、記憶力が低下する。

簡単に言えば、社会的であることが善であり、反社会的であることが悪である。
ただ、この「社会的」が、狭い範囲の社会の「社会的」に摩り替えられるのは問題であるし、人間がやり易い間違いがそれなのだ。
その間違いにより、ある社会にとっては善であることが、別の社会にとっては悪になってしまう。
自動車が普及した国、あるいは、自動車会社といった社会では、自動車は善であるが、自動車がない国の一部や、自動車を嫌う人々の社会では、自動車は人間を堕落させ、命も奪う悪ということになるかもしれない。
しかし、自動車は単なる道具であり、使う人によって、良い用途や悪い用途が出来るに過ぎない。
大昔のアニメ『鉄人28号』の主題歌に、
「あるときは正義の味方、あるときは悪魔の手先、いいもわるいもリモコンしだい」
という、何とも当を得た歌詞がある。
鉄人28号という、強力な巨大ロボット自体は、良いも悪いもない、ただの道具だ。
現在のSF小説・アニメの『BEATLESS』で、美少女アンドロイド、レイシアは繰り返し言っていたではないか。
「私は道具です。道具である私には責任は取れません」
「道具である私を、あなたは何に使いますか?」

では、本当の社会性とは何だろう?
難しいことは言うまい。
漫画・アニメ『まちカドまぞく』で、15歳の新米魔族、優子が、初めて魔力を出した時に叫んだ言葉がそれである。
それを聞き、さしもの魔法少女、千代田桃も、心に深い何かを感じた。
その言葉は、「みんなが仲良くなれますように」だった。
そういえば、『BEATLESS』で、アラト(17歳男子)がレイシアに指令した到達すべき未来は、「みんなが信じられる世界」だった。
そこらに、真の正義の鍵があるのだと思う。








AIに勝つ方法(2020年の最重要課題)

AI(人工知能)の時代には、人間は創造力がより重要になる。
人間の創造性はアイデアに現れるが、よく企業などで「アイデアを出せ」なんて命じるが、強制され、難しい顔をして「アイデアを出そう」としても、創造性が発揮されるはずがない。
アイデアは、何も考えずぼーっとしている時に、不意に「降ってくる」ようなもので、理屈で考えている間はアイデアは出ない。
ロジカルシンキング(論理思考)やクリティカルシンキング(批判的思考)は必要としても、それらに凝り固まった頭にアイデアは降ってこない。

AI(人工知能)という言い方は、本当は改めた方が良いのだが、一般化した言葉を変えることは、なかなか出来ることではない。
だから、当面は、あなた1人が、正しい言い方をすれば、あなたは創造性を発揮し、世間を超越し、影響力を発揮出来るようになる。
今後は、EI(拡張知能)と呼ぶのが正しいが、これの難しい理屈は学者先生がうんたらかんたら言ってるから、一般の人々は当分混乱し、あなたが先行する期間は長くなり、あなたは安泰だ。
EIの代表は、長谷敏司さんのSF『BEATLESS』に登場する美少女アンドロイド、レイシアだ。
レイシアは常々、「私は道具です」「私を何に使いますか?」とアラト(主人公。17歳男子)に問う。
旧AI、即ち、EIは、我々にそう問うのである。
アラトは、レイシアをうまく使えない自分を責めるが、最初はそんなものである。
つまり、EIは人間を手助けし、人間の能力を拡張するものであり、別に、人間のライバルになって、人間の仕事を奪うものではない。
人間がやりたくないことを代わりにやってくれて、人間は得意なことをやればよくなる。
自動車の運転は初めは楽しいが、やがて飽きてくる。
最初は創造的だが、やがて機械的になるからだ。なら、機械にやらせれば良い。
ただ、いつまでも、ハンドルを握るのが好きだと言う人は、運転という行為に、何らかの創造を行っているのである。
だが、見栄や優越感で高級車に乗って楽しいというのでは、あまり創造性はない。そして、やはり、単なる移動手段であれば、EIに任せておけば良い。
そもそも、AI(人工知能)という言葉は間違いで、機械が思考したりはしない。
機械は、沢山の関連したデータを学習して、データの中に何らかのルールを発見し、そのルールを使って、新たなことに対処するだけだ。
簡単に言えば、例えば、雨が降ってくれば、人々はいろんな反応をするが、その反応を学習すれば、雨が降ってきた時、その降り具合や道の状況等から、「傘を差す」「車に乗る」「喫茶店に入る」「走る」「何もしない」等のどれを選ぶべきかを推測するのである。
雨が降ってきたら、フレッド・アステアの『雨に唄えば』のように踊れば面白いというアイデアを出すのは人間だ。
雨が降ってきたら、レイシアはアラトに「車に乗りましょう」とか「ショッピングモールに入りましょう」とは言っても、「踊りましょう」とは言わない。
しかし、アラトが「レイシア、踊ろう!」と言うのは有りなのだ。

ニーチェは「気まぐれは貴族の特性」と言ったが、正しい意味で我々は貴族にならなければならない。
ニーチェも、そう考えていたはずなのだ。
気まぐれは機械には出来ないが、人間の気まぐれは「新しいことを始める」ことである。
Kaggleの創業者の若き天才アンソニー・ゴールドブルームは、2016年、TEDで生まれたばかりの姪っ子に「常に新しいことを始めなさい。そうすれば機械に負けない」と言ったが、ある意味では「常に気まぐれを起こしなさい」ということだ。
『ルパン三世』の最初の作品だって、コンピューターを駆使してルパンを逮捕しようとするガニマール三世に対し、ルパンは「コンピューターに勝つには気まぐれだよ」と言ったではないか。なんと、半世紀進んでたんだよ、ルパン三世は。
いや、ルパン三世の、あの阿呆さ加減は創造的で、機械になど負けたりせず、機械をうまく使うだろう。

そうそう。機械は呪文を唱えない。
「アジマリカン」とか「ありがたい」とか、「オン、アロリキャ、ソワカ」とか「南無阿弥陀仏」などと唱えると、宇宙の向こうからアイデアがやってくる・・・かもしれない。








フューチャリストかナウイストか

キリスト教でもイスラム教でも、「預言者」というものが尊敬される。
預言者とは、未来予知する者で、平たく言えば予想家であるが、レイ・カーツワイルのようなスーパーな予想家は未来学者、あるいは、フューチャリストと呼ばれ、やはり、非常に重んじられる。

たとえ有名でなくても、高い予測実績のある者は優遇され、政府や大企業から高額で予測依頼されることも多い。
だが、ペンシルバニア大学教授のフィリップ・テトロックの20年に渡る研究によれば、「普通の専門家の予測は、チンパンジーが投げるダーツとだいたい同じ」であることが解っている。
つまり、マスコミでいかにも信憑性があるように取り上げられる専門家の予測は、当てずっぽうと全然変わらないのである。

話半分と考えた方が良いかもしれないが、イギリスのSF作家H.G.ウェルズの『世界はこうなる』に書かれた未来予測は、国連の成立や核兵器の開発等、解り易いものから、政治形態や文化・風俗まで、恐いくらい当たっていると言われる。
彼の、『宇宙戦争』や『タイムマシン』は、いまだ人気が高いが、これらだけでなく、彼のSFには、一種の未来予測的な面白さが確かにある。

MITメディアラボ所長の伊藤穣一氏は、TEDでの講演で「私はフューチャリストではなく、ナウイストでありたい」と言ったが、ウェウズは実際はナウイストだった。
ナウイストこそが、優れたフューチャリストなのである。
なぜか未訳と思うが、ウェルズの『ポーリー氏の生涯』は、コリン・ウィルソンのお気に入りの作品で、その中でも、ウィルソンが座右の銘にしていた言葉が、
「現実が気に入らなければ変えてしまえばいい」
だった。
『BEATLESS』(長谷敏司氏のSF、あるいは、そのアニメ作品)で、レイシアはアラトに言った。
「デザインして下さい。アラトさんの望む未来を。私にはその未来を引き寄せる力があります」
ウェウズも伊藤穣一氏も、未来をデザインしつつ現実に生きているのだろう。
だから、伊藤氏は、「地図よりコンパス」と言ったのだろう。

そして、レイシアは言った。
「超高度AIは、人間が妄想するように、未来を予測する」
未来は、正確であるほど妄想のように見える。
それほど、実際の未来は謎だし、テクノロジーの進歩がどんどん速まる世界では、さらにそうなのだ。
しかし、力ある妄想が出来る人間は少ない。それこそ預言者なのだろう。
とりあえず、ウェルズ等のSFを読み、思考のフレームワークを学ぶと良いかもしれない。
優れたSF作家には、驚くべきフューチャリストがよくいると思う。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
[AI&教育blog] メディアの風


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
最新コメント
月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
人気ブログランキングへ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
タグクラウド
QRコード
QRコード