ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

黒住宗忠

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

人間性とは

結局のところ、人の運命は人間性で決まるのかもしれない。
こう言うと、「いや、人間性が低くても楽しい人生を送る者もいれば、素晴らしい人間性を持っているのに不幸な人生を送る者もいる」と言いたい人もいると思う。
しかし、たとえ、他人に関してはそのように見えても、「自分に関しては、運命は人間性次第」なのではないか。
外部から幸福そうに見える人間が本当に幸福か、不幸に見える人間が本当に不幸かは、決して分からないし、それを探求しても仕方がない。

では、どんな人間が人間性が高いのか、モデルを知りたいと思う。
世の中では、そんな(人間性の高い)人間の代表として、ガンジーやマザー・テレサを上げる人が多いと思う。
しかし、彼らが本当はどんな人間かは分からない。
ほとんどの人が、ただ何となく、ガンジーやマザー・テレサを素晴らしい人間だと思っているが、それを自分で確かめた訳ではないし、確かめたつもりでも、その根拠となる情報の正確さは全く不明だと言って良いだろう。
聖人とも言われるジッドゥ・クリシュナムルティ(1895~1986)は、ガンジーを非常に批判的に捉えている。
そして、クリシュナムルティは、「私は何も信じない」と言うが、それが正しい態度なのかもしれない。

聖書に登場する聖人達・・・モーセ、ヨシュア、ダビデ王、ソロモン王、洗礼のヨハネ、そして、イエス・キリストはどうか?
聖書に記述されている通りなら、非常に素晴らしい人達だと思う。
では、彼らはいったいどこが素晴らしいのだろう?
それは、自分の意思より神の意思を優先したことで、神の前では、「自分が全くない」「自分が空っぽ」であるところだ。
このことを上手く言い表した言葉がある。

人々が作家としての私をちやほやするのは、さっぱり理解できない。
私は単に、水を流して撒く庭のホースに過ぎないのに。
ーージョイス・キャロル・オーツーーー
※『とんでもなく全開になれば、すべてはうまくいく』(トーシャ・シルバー著)より引用

もし、このオーツが、人々にちやほやされて、「自分が優秀だから高く評価される作家になれたのだ」と思えば、もう水は出て来ないかもしれない。
しかし、普段はそう(自分が偉いから良い作品が書ける)思っていても、執筆中は自分が書いているという意思を失くし、己を虚しくして書いている偉大な作家もいる。
いや、ほとんどの偉大な作家がそうなのだ。
ただし、あまりにその度合いが大きく、執筆中にすら「偉い自分が書いている」という意識が出てくれば、すぐに駄目になるだろう。
そんなことを最も理解していたのはソクラテスだった。
いかなる職業でも、その職業において優れた人間というのは、仕事中は、オーツが言うところのホースになっているのである。
ソクラテスは、巫女に「あなたは人類の中で最も知恵がある」と言われた。
しかし、ソクラテスは、「そんなことがあるはずがない」と思った。
だが、やがて彼は、巫女の言う通りだと確信した。
なぜなら、自分は何も知らないことを知っているからで、そのような人間が他にいなかったからである。

自分を虚しくするため、般若心経や大祓祝詞を延々と上げた人もいる。
黒住宗忠も、一月に1万回、大祓祝詞を上げたというから、起きている時間全てでそれをやっていたとしても足りないと思うほどだ。
だが、それで宗忠は、あらゆる奇跡を起こすようになったし、伝説による限りは、彼は、自分というものが全くなかった。
宗忠は、おいはぎに「十両出せ」と言われたら、「今、五両しかない。残りは明日必ず」と言って、その必然性は全くないのに、ただ約束したという理由だけで、翌日、本当に五両を用立てて、そのおいはぎに渡した。
そのおいはぎは宗忠の門下に入った。
念仏者の因幡の源左(いなばのげんざ)は、自分の畑の芋が掘り返されて盗まれると、その後は、畑に鍬を置いておいた。
「手で掘って怪我をしてはいけないから」という理由である。

私は、大したことは出来ないが、気が付く度に、阿弥陀如来真言「オン・アミリタ・テイセイ・カラウン」を心で唱えている。
敬愛する中岡俊哉さんの『守護霊占運学』に、干支の守護仏の真言を唱えるよう書かれているからである。








悪者は役に立つことも言う

死を意識すると、人間は変わってしまうものらしい。
イギリスの世界的作家コリン・ウィルソンの場合はこうだった。
ウィルソンは、家が貧しくて高校に行けず、仕方なく工場労働者になるが、なんとか、高校の科学の授業だけは受けられるようになって、科学者になるという夢をつないだ。
しかし、その科学の教師のパワハラに遭って絶望し、こんな世界で生きるのが嫌になって、青酸カリという確実に死ねる毒薬を手に入れ、まさに口に含もうとした時、「意識が変わって」しまった。
ウィルソンは、敬愛する、イギリスが誇る世界的SF作家H.G.ウェルズの自伝的小説『ポリー氏の人生』にこう書かれていたことを思い出す。
「人生が気に入られないなら、変えてしまえばいい」
この言葉が、ウィルソンの座右の銘になったようだ。
それから、ウィルソンの壮大なヤバい人生が始まる。

大発明家であった理学博士、橋本健氏は、この世界は映画と同じで、我々は、映画を見ている客だと言う。
そして、見ている映画が気に入らないなら、映写室に行って、フィルムを取り換えてしまえば良いと言う。
映画がこの世であるなら、映写室は四次元世界で、本当の我々はそこに居るし、映写室には、どんなフィルムもあり、まさに人生は思い通りになる。
現代的に言うなら、この世界は三次元ホログラムで、それを作り出しているコンピューターがあり、そのコンピューターを操作すれば、世界は思い通りに変わるのである。
そして、この世界が、コンピューターが作る三次元ホログラムだというのは、「れっきとした事実」で、三次元ホログラムの内容は好きなように変えることが出来る。
どうすれば世界を思い通りに変えられるのかというと、思えば良いのである。
思い通りになるのに思わないから変わらないのだ。
そして、実際のところ、思い通りになったのが今の状況なのである。
その今の状況が気に入らないなら、『ポリー氏の人生』でウェルズが言ったように、変えてしまえば良いのである。
それには、気に入る状況を思えば良い。
例えば、今の状況は貧乏だから金持ちに変えたければ、「私は金持ちだ」と思えば良い。
まあ、問題は、なかなかそう思えないことだろう。
しかし、良い話ではないかもしれないが、ヒトラーの部下で宣伝部長だったゲッペルスが言ったように、
「嘘も百回言えば真実になる」
である。よって、
「私は金持ちだ」
と百回言えば良い。
悪者は役に立つことも言うのである(笑)。
ただ、そう言うと、普通の人はセカセカと百回言うのだが、「静かに、ゆっくり、丁寧」に言わないと、「思い」は変わらない。
また、これまで、「お前は貧乏だ」あるいは「お前が金持ちになるはずがない」としつこく言われ続けてきたのなら、なかなか「私は金持ちだ」と思えない。
そこで、ウィルソンのように死を意識すれば、ぱっと変わることがよくあるが、間違えて青酸カリを飲んでしまっては大変なので、別の手を使う。
1つは、「私は金持ちだ」と、千回言うことであり、それで駄目なら1万回言うことだ。
江戸末期の神道家、黒住宗忠は、ハンセン氏病(らい病)に罹った武士に、1日百回「ありがたい」と言うよう指示した。
だが、武士がその通りにしても治らない。
そこで、宗忠は、「では千回」と言い、武士は従ったがそれでも治らない。
「では1万回」
武士が1日1万回「ありがたい」と心を込めて言うと、1週間で治った。

「私は金持ちだ」と直接言っても良いが、宗忠が教えたように「ありがたい」と言うのも良いかもしれない。
あるいは、いつもお薦めする通り、「神様の奇跡が起こる」と唱えて大成功した者もいる。
どうしてもうまくいかないというのは、現在の状況に固定する設定が強過ぎるのだろう。
それでも、諦めずに世界を変えようとすれば、いつかは勝利するし、それで駄目なら、今後は、諦めたらうまくいくらしい。
ウィルソンも、諦めて死ぬことを選んだ時、世界が変わったのである。
ただ、死ぬ気になるのは良いが、本当に死んでは何にもならない。
そこまでうまくいかないなら、駄目な人達に教える役目でも選んでいるのかもしれない。
優等生だった教師が劣等生に教えることが難しいように、自分が駄目だったことがないと、駄目な人を教えられないからね。
そして、駄目な人、ものすごく増えてる(笑)。
教え方はいろいろなのだが、きっと忙しくなるだろう。








日本人には簡単なことで確実に運が良くなる

人間は、運が良くないと駄目だ。
松下幸之助さんは常々そう言っていたらしいが、つまるところ、成功者は皆、本音では、「自分が成功したのはたまたま」だって知っている・・・つまり、運だったのだ。
私が敬愛する宗教人類学者、植島啓司さんの『運は実力を超える』という本は、タイトルが全てを表している。ただ、この本には、どうすれば運が良くなるか書かれているかというと、かなり楽しんで読んだのだが、さっぱり憶えていない。
つまり、私のような頭の悪い凡人に難しいことを言っても無駄で、一言で簡単に言ってくれないと駄目なのだ。

そこで思い出すのは、江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠が、神(天照大神)の開運を祈ったことだ。
神様の開運を祈るなんて不思議なことに思える。
だが、人間は、愛する相手の幸福を願うものだし、幸福とは、つまるところ、幸運だ。
つまり、黒住宗忠は、神様を深く愛していたということだし、神様を愛するということはつまり、崇めるということだ。

崇めること、それは、相手に対し敬虔ということで、敬虔であれば、畏怖という恐れの気持ちも感じる。
言葉としては難しいが、崇める、敬虔、畏怖は、人間の心にとっては同じものだと言える。
そして、敬虔という気持ちの重要性をずっと強調し続けたのがゲーテだった。
偉大な芸術家や文学者は沢山いたが、運が悪い者も多かった。
しかし、ゲーテの運の良さは抜群だった。
若くして名声を得、金持ちで健康だったし、女性にはモテまくり、歳を取っても十代のガールフレンドに常に恵まれた。
そして、ゲーテは、若い恋人に対して、常に、敬虔という気持ちを忘れなかった。

そして、運が良くなる原理が決定的に分かるのが、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』(『 二十六人の男と一人の女 』というタイトルにした本もある)という短編小説だ。
もう1つ、ロオマン・ガリの『自由の大地』も、ほぼ同じで、良い点もあるが、こちらは手に入り難い。
『二十六人の男と一人の少女』では、これ以下はないというほどの駄目な(つまり、運が悪い)26人の男達が、ターニャという名の16歳の可愛い少女を崇めることで、全てが良くなり始めた。
本来、この男達は、ターニャのような、単にちょっと可愛いだけの若い女を見たら、本人がいない場所では、彼女のことで猥褻なことでも言いまくっていただろうが、なぜか、ターニャに対してはそうではなく、女神のように崇めた。
別に、ターニャは大した女ではない。むしろ、心がけの良くない駄目な少女だとも思える。
だが、何かの気の迷いか、男達はターニャを天使のように感じ、そのように扱った。
誰も、ターニャに対して下品なことを一言も言わなかった。
天使に対して、そんなことを言えるはずがない。
そして、そのままでいけば、男達には良い未来が待っていたかもしれない。いや、必ず待っていただろう。
この短編小説は、詩のように美しい作品と言われ、ゴーリキー自身の体験を基にした生き生きとしたものだ。

崇める、敬虔、畏怖・・・もっと馴染みある言葉で言えば、敬い、リスペクト(尊敬)と言って良い。
ゲーテは、高貴なものを敬う時、胸の中に神がいるのを感じると言った。
『二十六人の男と一人の少女』 のことを考えれば、高貴かどうかは、自分で決めれば良い。
いかなるものも高貴だと思えば高貴なのだ。
高貴だと思って、敬い、崇めれば良いのである。
これは本来、日本人にとっては自然なことだったので、日本人には簡単なのだ。
海外の偉人にも、日本人の精神性に驚き、日本が世界を導くと言う人が何人もいる。
日本では、万物に神が宿り、全てを敬い、大切にするからだ。
イチローや松井が野球道具を大切にすることに驚き、そして、アメリカ人だって、それを美しく感じ、真似た選手も多かったのだ。
日本人が初音ミクさんを敬う姿に、欧米人も倣い始めたのである。まだまだではあるが。
敬虔な心を持つ限り、日本は無敵であったはずが、それが失われてしまった。
しかし、取り戻すのは簡単である。
高貴に感じる対象を敬えば良いだけだ。
単に、ファンやマニアやオタクであるのではなく、女神として、天使として、神として本当に崇め、敬えば良いのである。








これまでの人生が駄目だった人に

これまでの人生がうまくいかなかったという人の場合、夏目志郎さんの祈り方が参考になるのではと思う。
夏目さんも、その祈りをするまでは、散々な人生だった。
夏目さんのことを簡単にご説明する。
夏目さんは元々、中国人で、戦後間もない頃、ビジネスで一旗揚げる野望を持って日本にやって来た。
ただし、懐には大金と、アメリカの高級車を持っての来日で、おそらく、家が相当な金持ちだったのだと思われる。
だが、ビジネス詐欺に遭い、一文無しどころか多額の借金を背負ってしまう。
金持ちのボンボンだったところから、全てを無くした転落人生へ超特急という訳だ。
そんな中、夏目さんは心を入れ替え、クリスチャン(キリスト教徒)になり、キリスト教の布教に来ていたアメリカ人神父をボランティアで手伝ったりしていたが、交通事故に遭い、脚を折る。
全くツキに見放され、もう散々だった・・・
既に35歳。頭も薄くなりかけていた(その後、ツルツルになった)。
そんな時に、夏目さんが行った祈りが実に印象的だ。
それは、私が憶えている限りでは、こんな感じだった。
「神様、これまでの私の人生の失敗は私の責任です。でも、これからの人生については、あなたに責任を取って欲しい」
そして、夏目さんは、これはという仕事を神様に要求した。
すると、翌日、百科事典販売会社のマネージャーがスカウトに来て、脚は治っていなかったが、セールスマンになり、やがて、超一流のセールスマン、そして、自己啓発分野で成功する。

「これからの人生は、あなた(神)に責任を取って欲しい」
普通、ビックリするような言い分かもしれない。
しかし、これが全く正しいのであると私は思う。
それまでは、夏目さんは、自分の人生に、自分で責任を取ろうとしたから失敗したのだ。
つまり、自分のちっぽけな力を頼り、神様の偉大な無限の力を無視していたのだ。
トランプ大統領も愛読する、ノーマン・ヴィンセント・ピールの名著『積極的考え方の力』の最後に、こう書いてある。
「なぜ、神の力を求めないのか?」

南無阿弥陀仏・・・阿弥陀仏に全てまかせれば、全部うまくやってくれる。
黒住宗忠も、神様にまるごとまかせれば、何の心配もなく安らかであると言った。
だが、夏目さんについて、こんな話を付け加えておく。
夏目さんは、セールスマンとして頭角を現しながらも、詐欺に遭って抱え込んだ借金は重くのしかかっていた。
そんな中、祖国中国の姉から手紙が来る。
姉の夫は大会社の経営者で、途方もなく豊かだった。
まず、手紙には、「外国で苦労するのはやめて帰ってきなさい。借金のことは心配いりません」と書かれていた。
弟の男の面子を気遣い、遠回しに、「借金は私が返してあげます」と言っているのだった。
さらに、帰り易いように、こうも書いてあった。
「あなたが住むのに丁度良い邸宅があったので買っておきました。車と運転手もつけます」
「夫の会社の重役のポストを用意しています」
これほど恵まれた人は滅多にいるまい。
しかし、夏目さんは、この心優しい姉の申し出を、感謝しつつも断った。
もちろん、苦労は半端でなかったので、受けたかった。
だが、夏目さんが頼ると決めたのは、超金持ちの姉ではなく神様だったのだ。
夏目さんは神に試されたのかもしれない。
荒れ野で試されたイエス・キリストのように。別に、姉が悪魔なのではないが・・・
そして、合格したので、その後の人生は良い方向に行ったのだ。
あなたも、悪魔の誘惑に負けてはならない。
私は負けそうで、少し不安があるが・・・(笑)








達人になる

私は達人というものが大好きだ。
どうすれば達人になれるか?
「一万時間の法則」により、1万時間をかければプロになれる。
達人はもっと上なので、10万時間くらいかければ良いのかもしれない。
10万時間かどうかはともかく、必要な時間をかければ良いのだという確信はある。
精神が大事という考え方もあろうが、科学的にも、時間とは精神的なものらしく、時間をかけることが精神を高めることなのであると思う。

一流のピアニストやヴァイオリニスト等になるには、1日5時間以上練習しなければならないとも聞くが、10時間以上の練習を長年続けた人もいるらしい。
ところが、楽器の練習のし過ぎで手を壊したという人も、少なからずいるようだ。
よくは分からないが、楽器に限らないが、執念めいた訓練は度を過ぎるといけないのではないかと思う。

ピアノやヴァイオリンは、ピラミッドの底辺が広い、つまり、演奏者の人口が多いので、頂点に近付くには、非常に沢山の人達より多く練習しなくてはならない。
それなら、(演奏人口の少ない)珍しい楽器の方が楽に頂点に行けそうだが、そういう訳でもないところがあるのだろうと思う。
中国のボーカロイド(中国ではヴァーチャルシンガーという言い方が普通のようだ)、洛天依(ルォ・テンイ)さんの動画を見ていたら、琵琶や京胡(ピンイン)といったアジア、中国の楽器の名演奏者が登場するが、その貫禄はただ者ではないと思う。
京胡と言えば、私は、中国の天才音楽家、呉汝俊(ウー・ルーチン)が名手だと記憶しているが 彼の若い時の凄い練習振りについて何かで読んだ覚えがある。
そのような達人になるのが、人間として理想であるように思うのである。

あくまで伝承であるが、柳生新陰流の創始者で達人の柳生宗矩(やぎゅうむねのり)が、子供の時の徳川家光に、1本の杭を木刀で毎日打ち続けることを指示したが、家光は気が乗らなかった。
そこで、宗矩は「常に同じところを叩くことはこの宗矩にも出来ません。しかし、それに近付けば鉄の兜も切れます」と言い、家光が「では、やって見せよ」と言うので、宗矩は実際に鉄の兜を切って見せ、家光は真面目にやるようになった。
本宮ひろ志さんの漫画『武蔵』では、修行時代の武蔵が、やはり、1本の杭を木刀で打つことを1年繰り返し、その後、敵と戦うと、敵の動きが見えるようになったという話があるが、創作だとはいえ、何やら核心を突く話と思う。
野球のバッターも、優れたバッターは誰よりも素振りをしたバッターだと思う。
我々も、自分が選んだことで、誰にも出来ない時間、回数の素振りをすれば素晴らしいことと思う。

般若心経を10万回唱えた人がただ者であるはずがないが、工学博士で発明家であった橋本健の著書に登場する、それをやった人は明らかに神通力(超能力)を得ていたようである。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、『大祓祝詞』をやはり10万回以上は唱えたと思うが、彼が、イエス・キリストに匹敵するほどの奇跡を起こした話が多く伝わっている。
山蔭神道の当主だった山蔭基央は、「アジマリカン」の呪文の威力は 『大祓祝詞』以上と言い、やはり、10万回唱えれば、自ずと神通力を得るとされるということを著書に書かれている。
法然は、1日6万回、念仏を唱えることを長年続けることで、勢至菩薩そのものになっていたように思う(法然は勢至菩薩の生まれ変わりと言われていた)。

それらのような「達人」の姿に、ロマンというか、狂気にも似た感慨を、そぞろ身に染む気がする。
※そぞろ身にしむ・・・『ローレライ』の日本語の歌詞にある言葉。何ということもなく、痛切に感じるといった意味。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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