ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

黒住宗忠

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

最終、最高、本物、自信100%の成功法則

沢山の成功法則があるみたいだが、人間は1つのことしか出来ない。
そして、たった1つ、本当のものは何かというと、それは、「時間をかける」である。
言い換えれば、たった1つの成功の原理とは、「かける時間が多ければ勝ち、少なければ負ける」である。
イチローは誰よりも長時間野球をやったのだし、パガニーニ(イタリアのヴァイオリン奏者。独学だが人間を超えた腕前だった)は誰よりも長時間演奏したのだ。
野球で言えば、イチローを超えていたテッド・ウィリアムズの少年時代からの練習量は凄く、やはりイチロー以上だった。

確かに、練習のし過ぎで身体を壊すスポーツ選手や、手が駄目になった楽器奏者もいる。
そんなこともあると自覚し、練習に工夫をする必要はある。何も楽器を弾くだけが演奏の練習ではない。
だが、そこまでやれるなら、不幸にしてそうなった場合、別の道で成功出来る。
いずれにしろ、我々凡人には関係がない。

私だって、プログラマーになれたのは、「なれなかった人」より沢山訓練したからだ。
普通の人が、好きなことをしたり、寝る時間である夜11時頃からパソコンに向かい、寒い日でも(私の部屋には暖房がなかった)2時、3時までプログラムの練習をしていたし、休日にドライブに行っても、いつもプログラムのことを考えていた。
とはいえ、私は無駄なことに時間を潰しもしたので、一流のプログラマーにはなっていないが、少なくとも、プロに相応しい時間はかけたのである。

だから、成功したければ、強くなりたければ、時間をかけるしかないし、時間をかければ良い。
短時間で要領よくやるべきは仕事であって、本当の勉強、訓練は時間をかけた者が勝つのである。

キリストになるなら、誰よりも長時間聖書を読めば良いし、ブッダになるなら、誰よりも長時間、経典を読んだり、念仏を唱えれば良い。
法然は毎日6万回念仏を唱えたと言われ、黒住宗忠は修行時代、毎日600本以上、大祓詞を上げ、神道家の葉室頼昭さんも、やはり修行時代、1日中、大祓詞を上げていたらしい。
村上春樹さんは、修行時代、毎日必ず原稿用紙10枚書いたらしい。ただ、それ以上は書かなかった。それは、それ以上書くと、続かない恐れがあったからだと思う。また、書くだけが小説家の修行ではない。ないが、彼はやはり、誰よりも長時間書いたのだ。

よって、成功の大敵は、時間を奪うものである。
例えば、酒、遊び、楽しいだけの趣味などである。
私は2度か3度、RPG(ロールプレイングゲーム)をやったことがあるが、まさに「湯水のように時間を浪費する」のに驚いた。
ほとんどの人にとって、ゲーム自体が良くないのだろう。
ひきこもりが毎日長時間ゲームをしていたら、もう絶望だろう。強い意思でゲームをやめ、何か良いことに時間を使うようにしなければならない。
逆に言えば、ひきこもりで人より遅れても、何かに誰よりも時間をかければ逆転勝利は確実なのである。

もし、ある程度の年齢になっているなら、これまで、どんなことに最も長い時間をかけたか考え、それに追加の時間をかけるのが効率的だし、それ以外に成功の方法はない。
もしかしたら、大した時間をかけていないかもしれないが、他のことに比べれば、多くの時間をかけた何かがあるに違いない。
それに賭けるしかない。

時間をかけることについて、下にご紹介した本に良いことが書かれている。









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「1つの修行」の威力

ときおり、戻ってこなければならない結論とは、凡人は1つの修行しか出来ないということだ。
斎藤一人さんとか、ウィリアム・ウォーカー・アトキンソンの本には、確かに素晴らしいことが書いてはあるのだが、
「これをしろ。それとこれも。ついでにこれも。ああ、これもしなさい。これもやると良い。そうそう、これは絶対にしなければならない。そして、これはやるべきだ。これも忘れてはならない。さらに良いことを教えてやる…これをやると良いぞ。そしてだね・・・」
って感じではないだろうか?
しかも、読者は、斎藤さんだけ、アトキンソンだけというわけではなく、いろんな人の教えを学ぶのだから、結局のところ、何もしないのと同じか、実際は、もっと悪くなる。

そこにいくと、法然や親鸞は、念仏だけだった。だから、一休や良寛も敬服し、彼らも最後は念仏一本になった。
だから念仏をやれというのではないし、念仏をやっても良い。
自分で1つ選べば良いのである。
イギリスのL.H.ロースンは第一次世界大戦で、彼の部隊の将校や兵士達に、聖書の詩篇91を暗誦させ、唱えさせたことで、全員が生還した。
時には、このように、リーダーがやることを決めることもあるが、リーダーが尊敬されている場合には、非常に効果がある。

そこで、これも1つに過ぎないが、私の好きなものを挙げておく。
江戸末期の神道家で、イエス・キリスト並の力を持っていたと考えられる黒住宗忠は、現代ですら有効な治療方法がない難病にかかった武士に、「ありがたい」という言葉を、心を込めて1日中唱えるよう指示した。
すると、武士は1週間で完治した。
「心を込める」ということが大切なのだなあと最近思う。
心を込めようとすると、煩悩が入るので、無心に淡々とやった方が良いというのも分かるが、それでもやはり、心を込め、熱意を持ってやった方が良い。
こぶしを固く握って力を込めるのは、馬鹿みたいで嫌がる人もいるが、馬鹿で良いと思う。
そして、それを継続することだ。
繰り返しにより、魂の力が溢れてくるのである。
「ありがたい」は、漢字で「有り難い」で、有り得ないほど極めて珍しい幸運に感謝することである。
英語では、thank my (lucky) stars に近いと思う。
この「ありがたい」を心を込めてずっと唱えると、極めて稀な幸運を手にするのである。
かくいう私は、数日だし、とても1日中とは言えないが、熱意を込めてやったところ、昨日、有り難いことが起こったのである。
ひょっとしたら、キバリオンやエメラルドタブレットをしのぐ秘法かもしれないが、これをキバリオンやエメラルドタブレットが裏付けているとも言えると思う。









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馬鹿だって生きている

キリスト教もそうだと思うが、仏教にも、本当にいろんな宗派があり、同じ釈迦の教えと言いながら、もう別物である。
私は、仏教の中では、念仏の教え・・・日本では、浄土宗や浄土真宗ということになるのだが、それよりも、法然や親鸞の教えというべきものが好きだ。
その理由は、「どんな馬鹿でも出来るから」である。
と言っても、法然自体は大変な学僧で、子供の時から神童だったし、親鸞も、著書を見れば、かなりのものであったことが分かる。
そして、やはり頭が良く、勉強家でもあった、一休や良寛といった有名な僧達も、最期には念仏の教えに行き着いた。
彼らは「庶民のため」ということも当然あったのだが、何より、どんな賢い人だって、念仏の教えくらい単純でないと続かないのだと思う。
宮沢賢治は、法華経が大好きで、念仏の教えは大嫌いだったらしいが、私が法華経の中で一番好きな「観音経」(法華経の第25章)には、「南無観世音菩薩」と唱えよと書かれている。

だが、今の人に、「南無阿弥陀仏」、あるは、「南無観世音菩薩」と唱えればオールオーケーだと言っても、反感や違和感を感じることが多いだろう。
今の人は、賢いとか、情報が多いからと言うより、自分の理屈に合わないことは受け入れないからだが、新興宗教ってのは、教義を、それぞれの人の「私の理屈」にうまく組み込んでしまうので、理屈屋であるはずの人達だって簡単に騙せてしまうのである。
それに、武道や芸術の教えなんて、頭では絶対に理解出来ないので(「考えるな、感じろ」のごとし)、理屈屋は、武道や芸術で全然上達しない。
(理屈を否定する気はさらさらない。私も理屈は大切と思う。狭い理屈を嫌うだけだ)
また、現実的な問題として、仏教でも宗派の違う人達や、仏教でない宗教を持つ人に「南無阿弥陀仏」は、ちょっと無理だ。
もっとも、一休や良寛は他宗派の僧であったのだが。

江戸末期の神道家、黒住宗忠は、「ありがたい」と唱えさせることで、それぞれの人にどんな奇跡だって起こさせたが、理屈屋でも、「ありがたい」に反感を持つ人は、そういないだろう。
で、私も、「ありがたい」こそ、最高の呪文と思っていた。
だが、少し前に書いたが、「大丈夫だ」が、それを超えるかもしれない。
実際、世界で、最も過酷な状況にある人達が、自分に「大丈夫だ」と言い続けることで、その困難に打ち勝っている。
ポール・マッカートニーは「レット・イット・ビー(あるがままに)」で救われたのかもしれないが、「あるがままに」では、普通はちょっと・・・いや、相当苦しいのだ。
ラマナ・マハルシは、自分に「私」と呼びかけよ、常にそうしろ、「私」は最高の真言である・・・と言ったが、私もやってみたが、はっきり言って挫けた。
馬鹿で根性なしにも出来るのは、念仏か、「ありたがい」、「大丈夫だ」であるが、私は、念仏や「ありがたい」には僅かながら違和感を感じてしまう。
だが、「大丈夫だ」では、それがなかった。
『カードキャプターさくら』のヒロイン、桜ちゃんの最強の呪文は「絶対、大丈夫だよ」だが、まあ、「だよ」は要らない(笑)。好きなら別につけても良いが。
だが、「絶対」は良いかもしれない。

最近、どんな願いであっても、それを成し遂げるためにどんなことでもするという心構えがあれば叶うと、くどいほど書いているが、それだって、いつかは試練に遭う。
そんな時には、呪文が必要になる。
「大丈夫だ」「絶対大丈夫だ」と自分に言い続ければ、そんな試練を容易く乗り越えるだろう。
とはいえ、『歎異抄』を読むと、「やっぱり念仏だ」と思うのだが、私にだって世俗の望みはある。それを叶えることも大切である。









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幸運のために思いだすべきこと

Amazonで「運」とか「ツキ」で検索すると、幸運、ツキをもたらすノウハウが書かれた本が物凄い数で、実際に成功した人が書かれたものも多いし、どれも中々魅力的に感じる。
それらのどれもが、それなりに有益なことが書かれているのだろうが、それらを読んで実際に運を掴んだ人が、どれほどいるだろう。
私が読んだ中で特に良いと感じたのは、投資家のマックス・ギュンターの『「ツキ」の科学』と、植島啓司氏の『運は実力を超える』で、少しも夢のような話ではなく説得力があったと思う。
しかし、何が書かれていたか・・・つまり、どうすれば運が良くなると書かれていたか、全く覚えていない。
と言うのは、私がこの数ヶ月、ひどい悪運に苦しめられたからだ。
ただ、私は人生全般においては、恐ろしいほど幸運だった。どう考えても、悲惨な状況になっていたはずなのに、富豪とは言わないが、健康で何不自由なくやっているし、常に良い想いばかりしている。
それで思い出したのだが、幸運の法則の第一は、自分が幸運だと思うことだった。

しかし、それでも、悪鬼悪霊は忍び寄る。
ゲーテの『ファウスト』から考えると、怠りのある者に対して、神様は悪魔を送って「引き締めて」くれるのだろう。
でも、怠っていたかなあ・・・
初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2017」に向けて、食を慎み、トレーニングに励み、身体も5kg絞り、万全であったはずだが、その肝心の「マジカルミライ2017」が、少々残念な結果になったと言わざるをえないのだから。
きっと、何か間違えていたのだろうが、考えてみれば、私はいつだって間違えていたのだ。

一番肝心なことを忘れなければ、そうそう運なんて悪くならないばかりか、嬉しいこと、楽しいことしか起こらない。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠によれば、それは神様にまるごと任せることだ。
昨日も書いたが、アメリカが最強の国であり続ける理由は、アメリカのモットーが、「我々は神を信頼する(In God We Trust)」だからだ。
インドはカーストを信じ、中国は儒教とお金を信じているので、アメリカを追い越すことはない。
ただ、アメリカ人の多くが神を信頼しなくなれば話は別だし、実際、その傾向はある。アメリカは、どこか中国になりつつあるのだ。そうなれば、人口の多い中国が有利な訳だ。

日本はというと、言霊といって、言葉の中に神がいた国だったはずが、日本語が乱れてそうでなくなってきている。
日本が衰退化している理由はそれだ。

それで、私は幸運体質に戻すことにした。
それには念仏を称えれば良いだけのことだ。
ただ、私の念仏は、浄土宗や浄土真宗の念仏とは違う・・・という訳でもないだろうが、どこか違う。
私は、念仏を完成したのは、意外にも宗派が違う一休だと思っている。
ただし、一休は法然や親鸞を尊敬しており、根本思想は、法然、親鸞は実に正しい。
だが、法然、親鸞はあえて言わなかったのだが、一休は、阿弥陀如来は我々の中にあり、念仏はそれを引き出すためのものだと、ちゃんと教えたのである。
賢い人達の書いた幸運の本の中身は忘れたが、それだけ思い出せば良いだろう。









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1日トータル1時間で常人を超える

「心理学の父」ウィリアム・ジェイムズが言ったように、「さまよう注意を自発的に繰り返し引き戻す能力」を育むことが最上の教育、あるいは、修行で、これは1日中行うつもりでやれば良い。
『バガヴァッド・ギーター』にも、「亀が手足を引っ込めるように、外界に向き易い注意を内に引き戻せ」と書かれているが、そのためには、額に意識を集中したり、真言「オーム」を称えよとある。
やり方はいくらでもあり、どれも簡単であるが、それを出来るだけ長く行うことが必要になる。

我々は、注意を外に向け過ぎているのである。
外界に誘惑が多く、注意を引っ張られて、心はいつもさ迷っているからである。
常に内に注意を向けている武道の達人が、いつでも敵の攻撃に対処出来るのとは違い、心がさ迷っている未熟な者は、あっけなく殺されてしまうことだろう。

黒住宗忠は、現代医学でも治すことが難しい難病に陥った武士に、一日一万回「ありがたい」と言わせ、武士は一週間で完治した。
これも、注意をほとんど終日、引き戻した結果であるが、「ありがたい」という言葉は、内に注意を引き戻すのに非常に効果的な言葉であることも重要である。
なぜなら、「ありがたい」という感情は、胸、あるいは、心の内から起こってくるものなので、「ありがたい」と称えることで、注意は、そこ(胸、あるいは、心の内)に引き戻されるからである。
「南無阿弥陀仏」という念仏だって、親鸞が言ったように、「救ってくれてありがとう」という感謝が込められているのであるのだから、これを常に称えることの意義は極めて大きいのである。

中村天風など、ヨガでは、常に肛門を引き締めるよう教えるが、これも、普段意識することのない、肛門の筋肉をあえて意識して使うことで、効果的に注意を引き戻せるのである。
仏教の僧の中には、歩いている時に、「歩いている、歩いている」と意識し、食べている時に、「食べている、食べている」と意識するという行を行っている者がいるらしいが、これも、注意を引き戻すための効果的な修行なのである。
般若心経の呪文が、最高の呪文であるというのも、それを常に称えればということであるが、その呪文は、常に称え易いリズムある言葉で作られているのである。

やり方は無限である。
自分の好みの1つのやり方で行えば良いが、とにかく、なるべく長時間行うことである。
1日トータルで1時間も行えるようになれば、既に常人ではなくなっているだろう。
3時間なら、人間を超えるに違いない。
仙人の口元には常に呪文があり、神人の胸には乱れぬ1つの想いがいつもあるのである。









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