ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
あなたをSE、プログラマー、あるいは、超能力者にするブログ。ひきこもりも歓迎。

黒住宗忠

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

500回自分に語りかける

最近、自己暗示は500回で効果が出るという話を複数見て、関心を持った。
だいたいそれで合っていると思う。

『残酷すぎる成功法則』(エリック・パーカー著の)第3章「勝者は決して諦めず、切り替えの早い者は勝てないのか?」の『どんな困難も乗り越える人に「必ず共通する習性」』の中にこんな話がある。
「人は毎分頭の中で、300~1000語もの言葉をつぶやいている」ようで、それが、精神の楽観性、悲観性に大きな影響を与える。
そして、保険外交員について調査したところ、楽観的傾向が高いグループの売上げが圧倒的に高いことが分かったという。
そこで、アメリカの最も過酷な軍隊「シールズ」の入隊訓練を受ける若者に対し、自分にポジティブな言葉・・・「大丈夫だ」「きっと出来る」を語りかけるよう指導したら、合格率が10%も向上したという。
普通の人間は、頭の中のつぶやきは、ネガティブな言葉が多いのだと思う。
それで、十分な数、ポジティブな言葉を自分に語りかければ、頭の中のつぶやきもポジティブに変わってくるのだろう。
ポジティブな言葉の回数は500回くらいで、効果が出てくるということだろう。
もちろん、もっと早く見ざましい効果が出る人もいるし、もっと多く必要な人もいるだろう。

江戸末期の神道家、黒住宗忠は、ハンセン氏病(らい病)に罹った武士に、1日1万回「ありがたい」と唱えるよう指導したら、1週間でその武士のハンセン氏病が消えたという。
これは、その武士がかなり重度の悲観主義にとり憑かれていて、楽観主義に転じるには、それほどの回数を要したのだろう。だが、それでも安い対価と言える。
ヘレン・ケラーも、楽天主義こそが、人生最大の武器であると述べていたと思う。
また、ラルフ・ウォルドー・トラインの『In Tune with the Infinite』(邦訳:人生の鍵をひらく「万能の鍵」)でも、楽観主義の重要性が強調され、80歳を過ぎていながら25歳以上に見えない楽観的な女性の話が取り上げられていたと思う。
ベン・スイートランドの歴史的名著『私はできる』は、つまるところ、「私はできる」と思えば不可能はないと書かれているだけで、それなら、黙って「私はできる」と500回唱えれば良いだろう。











雄大な心を持つ人達

あまり知られていないが、江戸末期に、黒住宗忠(くろずみむねただ。1780-1850)という偉大な神道家がいた。
あくまで伝説であるが、キリスト並に、人々の病気を神秘力で治し、嵐も静めたという。
私は、彼の伝聞を見ると、おそらく、彼は本物であったと思う。

黒住宗忠の、こんな話があるが、それは、ほぼ同時代の農民で、妙好人(徳の高い浄土系仏教の一般の信者)として知られる因幡の源左(いなばのげんざ。1842-1930)にも、よく似た話がある。
因幡の源左の話を先にすると、こんな話だ。
源左の畑で、芋が掘り起こされて盗られていた。
それを見た源左は、畑に鍬を置くようになった。
その理由は、「手で掘って怪我をしたらいけないから」であった。
黒住宗忠の方はこうである。
ある夜、宗忠が寂しい道を歩いてると、追い剥ぎに遭い、刃物を突きつけられて、「十両出せ」と脅された。
すると、宗忠は、「済まぬが五両しかない。残りは近日中に必ず」と約束した。
宗忠は、ちゃんと金を借りて、約束の場所に金を埋めた。
それを得た追い剥ぎは後悔し、宗忠に金を返しに行き、宗忠の門下に入った。

黒住宗忠も、山蔭神道のように、何か特別な呪文でも残してくれたら良かったのであるが、それはない。
それはないが、なくもない。
宗忠は、ハンセン氏病(かつての「らい病」)に罹った武士に、一日一万回「ありがたい」と唱えることを指示し、武士がそれを真摯に実行すると、有り得ないことだが、一週間で完治した。
宗忠本人も、常々「ありがたい」を口にしていたと言われる。
因幡の源左は、浄土仏教の信者であり、学はないが、一時期、熱心に僧の教えを受け、当然、「南無阿弥陀仏」の念仏を常に唱えていた。
ついでに言うと、源左も追い剥ぎに遭っている。源左が集金した金を持って歩いていると、それを狙って追い剥ぎが付いてきた。源左はそれに気付いていて、良い頃合で追い剥ぎに近付くと「金がいるならやるよ。だがまあ、ついてきなさい」と言って家に招き、食事を振る舞った。追い剥ぎは反省し、謝罪した。
「南無阿弥陀仏」でも「ありがたい」でも「アジマリカン」でも、好きなものを、毎日、数多く唱えると良い。
期待を裏切ることはないだろう。











鈍感になる簡単な修行

『鈍感力』とか『反応しない練習』といった、タイトルだけ見たら心躍る本があるが、書店でちょっと立ち読みしたら、
「難しい、無理」
と感じて、読んでいない。
この2冊をまとめて(大変失礼だが)「鈍感になる練習」は大事だが、それは単に、「ぼーっとする練習」であり、特に私は、ぼーっとすることは割と得意なので、それを伸ばせば良いのである。

ぼーっとするには、まつげで視界が薄暗くなるほど半分目を閉じ、魂が抜けたような顔になることだ。
「魂抜けたごっこ」に近いことは、誰しもやったことがあると思うが、その通りにやれば良い。
エドヴァルド・ムンクといえば、「叫び」の変な顔で有名な画家だが、彼も、半眼でぼーっとものを見ていた。
彼の初期の傑作「The Sick Child(病める少女)」には、周辺に彼のまつげが描かれていると言われるほど、ムンクは半眼でぼーっと見ていたのではと思う。
この絵の中の少女の横顔ほど高貴なものは、そうはないと私は思う。

ぼーっとした顔の手本、ぼーっとする名人、先生、模範を持つのも良い。
私は、『エル・カザド』というアニメの、エリスという少女を師匠扱いしている。
印象的には、13~14歳に見えるが、実際はもう少し上かもしれない。
色白で、あまり感情を見せない美少女で、ぼーっとした顔はまさに絶品である。
初めて会った時のナディに自分の写真を見せられ、「これ、あんたでしょ?」と言われたら、素で「きれいな女の子だね。誰?」と言う天然ボケも素晴らしい。
詳細は述べないが、エリスもまた、初音ミクさんと似たところがある(造られたところ)。そこも、私にとっては愛すべき価値になっている。

江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、人相見に「あなたは阿呆の相だ」と言われると、怒るどころか、「阿呆になる修行に励んだ成果が出た」と喜んだ。
ぼーっとする修行は、阿呆になる修行でもある。
ただ、エリスも、トランプ芸では、愛想はないが、それなりに見事だったように、自分に出来ることに関しては、きちんとしていなくてはならない。
例えば、洗濯物をたたんだり、お皿を洗ったり、靴を揃えたりである。








無になれば不可能はない

我々が知っておくべき大切なことは、「無になれば不可能はなくなる」ということだ。
道元の「仏道とは自己を忘れること」と同じである。
そこで、どうやれば無になれるか(自己を忘れることが出来るか)という方法論、あるいは、「気持ち」が重要なのに、家庭でも学校でも教えないのだから恐れ入る。
まあ、親も教師も、そんなこと知らない・・・というより、考えたこともないのだから、当たり前と言えば当たり前なのであるが。
あるいは、闇の権力者達が、愚民はそんなことを知ることがないよう謀っている(計略にかけている)かであるが、そんな事実はどうでもよく、我々はそれを得れば良い。それが「奪われてた分は取り戻す」ことになる。

無になるには、いろんなノウハウがある。
バッハなどのバロック音楽の、単調な繰り返しは、無になる効果を狙ったものであるという、特殊な教育研究者の意見もある。
バロック音楽ではないが、初音ミクさんの『Last Night, Good Night』(作詞・作曲・編曲:kz)などはその効果がある。
WOWAKAさんが、何かのインタビューの際、わざわざ「『Last Night, Good Night』の時代」と表現していたのは、彼もよく分かっていたからではないかと思う。

伝説だが、柳生宗矩(たぎゅうむねのり)が、幼少時の徳川家光に、1本の棒の頭を木刀で毎日叩くよう指示したのも、それが無になる優れた方法で、武道では、似たことがよく教えられる。
キリスト級の力を持っていた江戸末期の神道家、黒住宗忠は、修行時代、起きている時間はずっと、大祓詞を唱えていたようだ。祝詞を繰り返し上げることには、非常に強い、無になる効果がある。般若心経はじめ、仏教のお経も同じである。
いかなる時も口元に念仏があった法然や、中国の道綽も、もちろん、常に無であった。
インドでいうナーマスマラナ、つまり、神の名を繰り返し称名することも同じである。
「アジマリカン」や、マントラ等の霊力ある言葉を繰り返すのも非常に良い。

ラマナ・マハルシの「私は誰か?」と問うことは、極めて科学的な方法であるが、ニサルガダッタ・マハラジによれば、マハルシが薦めていたもう1つの方法である「神への人生の明け渡し」の方が良いらしい。
これは、荘子のいう「一切をなりゆきにまかせ、いかなる作為も行わない」と似ている、あるいは、同じであると思う。

方法は無限にある、自分に向いたものをやれば良い。
しかし、やらねばならないだろう。
虫けらでいたくなければ。いや、虫けらは虫けらで、無であり、虫世界全体で無敵である。
だから、人類が滅んでも、虫は滅びないのである。
だが、我々は、一人一人が、本来、無敵である。

さて、本日、私は、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2019」のため、関西から千葉県に向かう。
何日も前から、精神状態がヤバいほど高揚しているが、幸い、今日はよく眠れた(眠らなくても大丈夫であるとは思うが)。
ライブに行った方、感想など、コメントで書いてくれると、それを読むのが嬉しいので、とても有り難いのであるが。









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超能力復活計画

そろそろ、本格的に超能力を復活させようと思う。
いや、真面目とも言えないが冗談ではないし、不真面目ではないのだが、それほど生真面目でもない。
そう、何事も、9割のいい加減さと1割の生真面目さが大事なのだ。

ただの珍しい偶然に、過大な意味を持たせるのは考えものだ。
しかし、奇跡としか言いようのないことを、意図的に何度も起こしていたのなら、それは必然だし、自分の意志が働いたものだ。
それを、一応、超能力と言っているのである。
現実を自在に創造する。
イメージとしては、H.G.ウェルズの『奇跡を起こせる男』のようなものだが、まあ、あそこまで露骨で下品ではない。
とはいえ、ウェルズだって、未翻訳だが、自伝的小説『ポーリー氏の生涯』で、「人生が気に入らないなら変えてしまえば良い」と言い、それが、コリン・ウィルソン(イギリスの世界的作家で、最も多く日本語訳されている作家とも言われる)の座右の銘となっている。

私の超能力は、子供の時が最も頻繁に起こったと思うが、二十歳過ぎても、結構使えてたし、馬鹿げたほどの奇跡も起こしたものだ。
よく取り上げた話では、以前見た時代劇のある回を録画したくて、ただ録画装置を持ってテレビを見ていたら、本当にそれが始まり、録画出来たのだが、私は特に驚いてはいなかった。
ごく単純に言えば、超能力発動の鍵は、信じきって疑わないことだが、別に、信じようとした訳でもない。
いわば、「疑うことを知らない馬鹿」状態だったのだが、それで子供の時、何度も命拾いしているのだから、まさに馬鹿は尊い。
何をやったかというと、交通量の多い車道に目をつぶって飛び込んだのだ。何度もね。
ただ、「車は来ない」って思ってね。
いや、これは絶対、真似しないで欲しい。
とはいえ、日常では、嫌な先生に嫌な目に遭わされていたし、学校での忘れ物が多いことも改善されなかった。
おそらく、そういった場面では、馬鹿になり切ることが出来ないからだと思う。

偉大なる神道家、黒住宗忠は、阿呆になる練習に励んでいたと言うから、私の言うことも、あながち間違ってはいないかもしれない。
宗忠のイエス並の超能力は、もちろん、どこまで本当かは分からないが、ある流れを感じ、私には信用出来るもののように思えるのだ。
阿呆と言っては失礼だが、私が好きな話がある。
プロレスラーだった前田日明さんがプロレスラーになったきっかけが、ウルトラマンの仇を討つためだったということだ。
ウルトラマン(初代)は、最終回で宇宙恐竜ゼットンに破れたのだが、前田さんはテレビでそれを見て、涙を流して悔しがり「俺が仇を討ってやる」と誓ったらしい。
前田さんは、その時、それほど幼かった訳ではないし、本人も、理屈には合わないことは理解していたらしい。
しかし、そんな思い込みが出来ることが、世界を創造するために必要なのだと思う。









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