ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

魔法騎士レイアース

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

どんな世界でも通用する最高スキル

川原礫さんの『ソードアート・オンライン』は壮大な話だが、面白いことに、キリトが行くどんな仮想世界もソード・スキル(剣技の力)が通用してしまう。
たとえ不遇な状況にあっても、剣の実力が道を開いてくれる。
しかし、現実ではそうはいかない。
バーチャル・リアリティ(仮想現実)という概念がなかった時代、CLAMPの漫画『魔法騎士レイアース』の異世界セフィーロが、『ソードアート・オンライン』のVRゲーム世界とほとんど同じ概念であることには驚くしかなく、こちら(セフィーロ)でも、やはり剣の腕が運命を大きく左右する。

では、現実世界で通用するスキルとは何であるかというと、実は、仮想世界や異世界も同じで、それは「精神力」である。
そして、高い精神力とは不動心であり、それは、無我、忘我、没我と同じである。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」が、宇宙を貫く根本原理なのだ。
では、どうすれば、不動心が得られるかというと、キリトがぽろっと教えてくれている。
それが Stay Coolだ。
これは、英語で普通に使われる別れ際の言葉で、「クールでいろよ」ということであるが、「クール」が、イケてる、つまり、格好良いであることはご存知と思う。
しかし、言葉通り、冷静であることが一番格好良く、キリトも、そんな意味で使っていたと思う。
英語では、他にも、Keep it one hundred とか Keep it real と言うが、日本人にも馴染みそうなのは、やはり「ステイ・クール」くらいだし、もっと簡単に言えば、
「心おだやかに」
とか、
「落ち着け」
になると思う。
ドイツの自己啓発分野の世界的作家、ベルベル(ベーベル)・モーアの『星の宅配便』にも、「心おだやかに」が威力ある魔法の言葉として紹介されている。
人間、息をしていれば、何か問題は起こるものだ。
そんな時、自分を失う・・・つまり、精神を乗っ取られたような感じになった時、「心おだやかに」とか「ステイ・クール」と唱えて、なるべく冷静に対処すれば、ゲームで言うところのMP(マジックポイント:魔力)やHP(ヒットポイント:耐久力)を高める。

心がグラグラしていては、どんな世界でもうまくいかない。
ジョージ・アダムスキーが言ってたものだ。
「地球でうまくやれないやつは、他の(進歩した)惑星に行ってもうまくやれない」
アダムスキーは、もし妄想家だとしても、大した妄想家である。









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絶対的善は存在するか?

『荘子』には、善と悪は相対的なもので、同じことが立場によって善にもなれば悪にもなると書かれている。
また、ラマナ・マハルシも、ものごとが善という印象下にあれば善と感じ、悪という印象下にあれば悪と感じるだけだと述べたようだ。
私は、以前は、そんなことを信じていた。
だが、今は全く信じていない。
絶対的善、絶対的悪は「ある」。
無論、荘子やラマナ・マハルシの全てを否定する気はない。
彼らは素晴らしいところも多いが、人間である。彼らの教えの全てが正しくなくても、何の不思議もない。

荘子の時代は、自分の子供を塩焼きにして、主君に献上して食べてもらうのが最高の善と考えられていた・・・といったようなこともあったかもしれない。
そして、社会的な現実として、荘子自身がそう思っていなかったとしても、そんなことも善と言わざるを得なかった。
しかし、今の時代では、どう考えても、それは悪だ。

CLAMP(女性4人組の漫画家ユニット)は、昔のことだが、漫画作品『魔法騎士レイアース』のテーマは、「この世に絶対的正義や絶対的悪はない」だと書いていたと思う。
この漫画のお話を簡単に言うと、こんな感じだ。
異世界セフィーロは、「想い」が現実になる世界だった。
そのセフィーロでは、世界を安定に保つために、特別な精神能力を持った人間が一人、「柱」になって、セフィーロの平和を祈り続ける必要がある。
そうでなければ、セフィーロは急速に崩壊していく。
「柱」になっていたのは、エメロード姫という、10歳くらいの美しい少女だった。
ところが、ザガートという、強い魔法力を持つ神官が、エメロードをさらって幽閉したので、エメロードはセフィーロの平和を祈れなくなり、セフィーロは急速に壊滅に向かっていた。
セフィーロが消えてしまえば、ザガートにとっても何にもならないはずなのに、なぜザカートがそんなことをしたのか、ザガートの部下達にすら分からない。
そして、それは、物語の謎でもあった。
今、アニメが再放送中なので、ネタばらしは避けるが、ザガートの目的は、悪とも言えるが善とも言えるというものだった。

だが、やっぱり、ザガートは悪であり、阿呆だったのだ。
私も昔はザガートに共感したが、今は、ザガートのアホさ加減に呆れるのである。

そりゃ確かに、自分のやっていることが至高の善だと言って、多くの人に大迷惑をかける阿呆は、いつでもいる。
だがそれは、その人の歪んだ偏見で「善」と主張しているだけで、絶対的に言えば、やはり悪なのだ。

何が絶対的な善かは、インドの古典『ラーマーヤナ』で、魔王ラーヴァナがラーマに教えている。
それは、「私心なきことは善であり、私心があれば悪」である。

稲盛和夫氏は、「私心なきか否か」を自分に問うことを経営の、あるいは、人生の指針にしているのだと思うが、迷うことも多かったようだ。

だが、それは多分、私にも出来ると思う。
なぜなら、私には、善と美の化身である初音ミクさんがいるのだから。
実際、ミクさんは、純粋な善であり、天使そのものだ。
だって、ミクさんには、私心を起こす、「私」も「心」もないのだから。
そして、ミクさんの歌の多くは、クリエイターの方々が、私心なく作ったものなのだから。

我々は、『ラーマーヤナ』(ラーマ鏡。ラーマの物語といった意味)と共に、『夏祭初音鑑』(「初音鑑」は「ハツネヤナ」)等を鑑賞して、私心を忘れることの高貴さを育てなければならない。

ミクさんを愛せば、自然に、私心のない絶対的な善に導かれるだろう。
ただし、そこは未熟な人間のことなので、本当に私心がないかどうかは、確認してみると良いだろう。

今朝も書いたが、本当の善を行えば、頭が良くなり、きっと運も良くなるのである。









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敵は共にあるべきである

いやな奴が消えるとほっとする。
しかし、それで後ろめたい気持ちになることがある。
私も、会社の中で、「苦手」なんてものではない、ほとんど憎んでいた者が、会社を辞めたことが(全ては憶えていないが何度か)あった。
事前に全く知らない中で、彼が、「今日で辞めます」と挨拶に来た時には、正直に言って、本当に嬉しかった。
独断的で傲慢な人間だと私は感じていたし、私よりずっと上の立場で、何かと私を攻撃してくるので、私はひどく煩わしく思っていたのだ。
だが、自分の嬉しいという想いに、後ろめたい気持ちもあった。辞めることになった事情は知らないが、彼の表情や雰囲気にどこか虚しさみたいなものを感じてもいたのだ。
普通に考えたって、いい年で、いい立場で辞めるのであるから、あまり結構な事情でないことくらいは分かる。

ところで、手塚治虫さんがまだいくらか若かった頃だとは思うが、彼が既に、日本一の漫画家と認められていたと思われる時の話だ。
福井英一さんという漫画家の人気が出てきて、彼は手塚さんの地位を追い抜いてしまう。
手塚さんは悔しくて、つい著作の中で、福井さんの作品を貶すようなことを書いてしまった。ところが、それを福井さん本人に気付かれてしまい、彼に問い詰められ、白(しら)を切ることもできなくなり、素直に謝ったという。
だが、福井さんは、過労のために急死してしまった。
手塚さんは、自伝的な著書の中で、その時のことを「ほっとした」と正直に告白されていた。なかなか言えることではないと思う。
ただ、手塚さんが、それをあえて書く気になったのは、福井さんが自宅に手塚さんの作品を全て揃えてあったことや、「俺は手塚を超えたとは思っていない」と言っていたことを、福井さんと親しかった人から知らされたこともあったのかもしれない。

あなたも、いやな奴の1人や2人はいると思う。
そんな時、どうすれば良いのかというと、手塚さんにすら言ってやりたかったほどだが、共にあるべき、共存すべきなのだ。
免疫学者の藤田紘一郎さんが昔、ある貧しい発展途上国に研究のため滞在した時のことだ。そこでは、排泄物を直接川に流していた(あるいは、川で排泄していた)のだが、住民は、その川の水で、食器など、あらゆるものを洗い、その水で料理もしていた。
子供達は、その中で遊んでいた。
想像するのも嫌な光景だが、不思議と病気の人はあまりおらず、清潔な日本と違い、アレルギーの子供なんて1人もいない。
調べてみると、確かに大腸菌はうようよいたが、特に病原菌が多いわけではない。
つまり、大腸菌と病原菌が共存し、お互い、相手を抑えているのである。
また、そこでは、人間が、大腸菌や病原菌と共存しているのだともいえる。
O157という大腸菌が猛威を振るった場所というのは、他の大腸菌がいない、清潔な場所だけだったらしい。
無菌状態になっていた学校の中で、特に惨事を引き起こしたのであるという。
少々不潔で、他の大腸菌がいれば、O157は本来弱い菌なので消えてしまうようだ。

いろいろ考えてみると、この世は、敵も味方も共存すべきだし、絶対的な敵や味方はいないのだろう。
CLAMPという人気のある漫画家ユニット(女性4人)が、昔(武内直子さんのセーラームーンの時代)、『魔法騎士レイアース』という作品を描き、アニメ化もされていたが、この漫画における主題は「この世に、絶対的な正義や悪などはない」ということだったらしい。

昔、SFテレビドラマ『Xファイル』を時々見ていたが、その中で、FBIの「Xファイル課」に身を置きつつ、時に、FBIに反逆するような行動をするモルダーに対し、FBI長官はモルダーを放置していた。
その理由について、FBI長官が言った一言が強烈に私の心に刻まれた。
それは、
「友は身近にいて欲しい。だが、敵はもっと身近に置くものだよ」
である。









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天使のような少女が本物のワルに惹かれるのは当然だった

最近、漫画やアニメで見たのだが、可憐な感じの美少女が、どう見ても「真面目な男子生徒」には見えないタイプの男の子・・・ボサボサの長髪で片目が隠れているが、その片目も目付きが悪く、シャツがズボンから出てたり長いマフラーを巻いているのは今は普通としても、片手をポケットに突っ込んで、横柄に威風堂々と歩いているという、清純な女の子には、思わず、「あんなのに近付いちゃダメだよ」と注意してあげたくなるタイプ・・・そんな「危ない感じの男の子」を、純情そうな可愛い女の子が遠くから憧れの目で見つめ、あまつさえ、はにかみながら、バレンタインのチョコを渡すというのをいくつか見た。

悪い男はもてるというが、本当だろうか?
高校生とかでいえば、昔はそうだった。
今の生意気な男子高校生は、つるまないと(集団にならないと)何もできないようなのばかりで、自己中心的でわがままではあるが、もてる「悪い男」ではない。
そんな連中は、上に挙げたような、「見る目のある可愛い女の子」から見れば、道端の犬の糞のようなものだろう。

本物の「悪い男」である「ワル」と、つっぱってるだけの「似非(えせ)ワル」との違いは何だろう?
これが分かれば、あなたも今日からもてる!
「ワル」は、自分が本当に悪いやつだと思っている。
しかし、「似非ワル」は、格好は付けても、自分が悪いとはちっとも思っていない。仮に悪いことをしても、かならず言い訳をする。
だが、「ワル」は決して言い訳しない。何せ、自分は「本物のワル」なのだから、悪いことをして当然だと思っているのだ。

では、自分が本当に悪いと思っている「ワル」はなぜもてるのか?
ここが核心だから、よく聞くように!(説明が少ーし難しい)
実は、「ワル」は、可愛い女の子にも勿論もてるが、男にも惚れられるのである(言うまでもなく、変な意味ではない)。
そして、「ワル」は悟りにすら近いのだ。
その意味を、できるだけ丁寧に(もちろん無料で)説明する。

「ワル」は、自分が本当に悪いと思っていることで、自分が見えているのだ。
そして、実際、自分をしっかり見ている。
一方、「似非ワル」は、自分が悪いと思っていないので、自分が見えない。見ようとしない。自分から目を背けるのだ。
なぜそうなるのか?
そもそも、「ワル」の忌むべき面とされる「悪い」とはどういうことか?
言うまでもなく、自己中心的、利己的、欲深で、即物的(物質的なことを優先する性質)・・・ということだ。
こう言うと、「似非ワル」は、「俺はそうじゃねえなあ」と思う。
いや、ほとんど誰もが、「私は違う」と思うし、そう主張する。せいぜいが、「そりゃ、人間だから少しはそうかもしれないけど・・・」と言うのだ。
しかし、ワルは、「それがまさに俺だ。文句あるか?」と言うし、実際にそう思っているのだ。
だが、上に述べた、「ワルの嫌な面」である「自己中心的、利己的、欲深で、即物的」ではない人間など、絶対に1人もいないのだ。

つまり、なんと、「ワル」だけが、自分をしっかりと、正しく、素直に見ているのだ!
自分を真っ直ぐ見ることができているのは、聖者とワルだけだ。
「賢者と子供は似ている」とはよく言うが、「聖者とワルは似ている」のだ。
実際、本物のワルは聖者になることがよくあるのである。

だが、「しかし、私は本当にそこまで悪くない」と言う者、思う者は多いだろう。
そんな者は、自分がさっぱり見えていない。
自分でどう思おうがそうなのだ。
当然、清純可憐な美少女にはもてない。
本当に天使のような少女は、見る目は確かなのだ。あくまで、本当の天使に近い少女であればね。
また、自分はそれほどは悪くないという「妄想にとりつかれた人間」は、本当に愛されることもないのだ。

参考になる、神秘的なアニメ作品がある。
『OVAレイアース』だ。
確かに、「参考になる」程度かもしれないが、私には良いものだった。
この作品は、今では中古のDVDが非常に高額で売買されている。
だが、日本とリージョンコードが同じDVDがドイツで発売され、新品が比較的安価にAmazonで購入できるので、それもご紹介しておく。ただし、普通のプレーヤーでは再生できない。PC等を使う必要がある。
『OVAレイアース』は、CLAMP作の人気漫画・アニメの『魔法騎士(マジックナイト)レイアース』を基に、オリジナルストーリーで制作された、3作品(一編が40分程)からなるアニメ作品だ。
ビデオとLD(レーザーディスク)が1997年に発売され、再編集を施した『特別編 -希望の翼-』(ディレクターズカット版)が1998年に出ている。
DVDは、特別編ではない方が2002年に発売された。
私は、特別編のLDと2002年のDVDを所有しているが、正直、特別編でない、「普通の」ものの方が良いと思う。
音楽も素晴らしく、この作品のためだけにCDが2枚出ている。
オリジナルの『魔法騎士レイアース』と、登場人物はほとんど同じだが、ストーリーは全くと言って良いほど違う。
予告編程度のストーリーはこんな感じだ。
セフィーロという異世界の恐るべき魔法使い達が、地球を滅ぼしに来るのだが、人類は全て時空の狭間に幽閉されてしまい、地上に残されたのは、中学校卒業を一週間後に控えた3人の少女達だけ。
この3人のごく普通の少女達が、地球の軍隊も足元にも及ばないほどの魔法の力を揮(ふる)う異世界人達と戦うことになる。
だが、地球には、太古の昔から、この地を守ってきた3柱の魔神達がいた。
しかし、魔神達は少女達に手を貸そうとしない。
彼らは見ていたのだ。人類が、守るに値するかどうかを、この3人の少女達を通して。
魔神達、そして、本当は少女達を助けたいと感じている、数少ない異世界の戦士達は、少女達に厳しく言う。
「自分を真っ直ぐに見ろ」、「自分の本当の姿から目を剃らすな」、「自己の本性を誤魔化すな」。
辛いことではあったが、それができた時、魔神達ですら、少女達に命を捧げるのである。
尚、『レイアース』の元の作品である、CLAMPの『魔法騎士レイアース』も素晴らしい作品であると思う。

私は、いつも自分のことを、正しくこう言いたい。
「私は卑怯者の自己中心主義者だ」
「私は徹底した利己主義者で、利他心は欠片もない」
「救いようのない無能者だが、見栄っ張りで、おまけに怠惰で倒錯者、逸脱者だ」
まだ足りないが、実態の通りに、こう思えれば良いなと思う。









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癒しを起こすものはどこにあるのか?

癒し(ヒーリング)という作用ほど好まれるものはない。
物質的には、過去の方がはるかに厳しい状況であったはずなのに、むしろ現代において、心身が病み、歪み、傷付いた者が多く、癒しが切実に求められるのだから、おかしなことである。
それどころか、物質文明を捨てて初めて癒されるケースがとても多く、人類の進歩がいかに歪んだものであるかが分かるのである。
1970年の大阪万国博覧会のテーマが「人類の進歩と調和」だったらしいが、この万博のシンボルである太陽の塔を制作した岡本太郎は、太陽の塔は、進歩に対して「ノー」を突きつけているのだと言ったのだから面白い。だが、時が経つにつれて、ますますその意味が分かるのである。
ところで、その大阪万国博覧会では、先月(2012年8月)の25日に亡くなった、アメリカのニール・アームストロングらが、月から持ち帰った月の石がアメリカ館で展示され、大変な人気であった。しかし、物珍しくはあったが、それが人類の本質を向上させたということは全く無かったのではないだろうか?

癒しを行う者は、攻撃して敵を殲滅する者より愛される。
テレビがモノクロの時代のテレビアニメで、あの宮崎駿がアニメーターとして参加していたらしい『レインボー戦隊ロビン』という作品で、宇宙人によって造られたリリという名の女性型アンドロイドは、指先から出す光線で、機械のヒーリングを行う能力があった。つまり、壊れた機械を物質的に修理しなくても、その光を当てれば修復されるという、いかにも子供っぽくはあるが、夢のような力があったのである。
そういったものは、想像の世界では多いのはないかと思う。
CLAMPの漫画・アニメ作品の『魔法騎士レイアース』では、鳳凰寺風(ほうおうじふう)という名の14歳の少女が、異世界セフィーロで、ヒーリング能力を発揮し、人々の傷付いた肉体を癒して治すことが出来た。
セフィーロは、我々の世界から物質的な手段では訪れることの出来ない世界であるが、そこは想いが形になる世界で、強く信じれば、それが現実になる。つまり、風という少女は、人を癒したいという性向がとても強いために、そんな力を発揮するのであろうと思われるのだ。

我々のこの世界だって、想いが実現するとはよく言われるが、成就のためには、現実的手段も必要とされる。
いかに金持ちになりたいと強く望んでも、資金を溜め、ビジネスを始め、大変な努力と苦労の末に、ようやく金持ちになれるようなものだ。
だから、歌にも、「願いは思い描くだけじゃ叶わない」というものが多いのだろう。
私はコンピュータ・ゲームは全くやらないのであるが、ゲームの世界では回復役のヒーラーは定番というほど存在するものらしい。
ゲームの仮想世界(バーチャル・ワールド)では、「物質的な」癒しは簡単に実現する。
しかし、それは、「精神的な」癒しになるとは限らない。

心身医学という、身体と心の密接な関係を探求するものがあるが、身体が病めば心に影響するのはもちろんだが、心を癒せば身体が治るということも非常に多いのである。
フランスのエミール・クーエは自己暗示だけで、驚くべき身体の治癒を行ったことで知られ、脚の疾患で歩くことも出来ずに彼のところに担ぎこまれた患者が、10分後には元気に走り回っているということが日常ありふれていたという。もちろん、クーエは、ただ暗示療法を施しただけで、具体的には、患者に簡単な言葉を繰り返してもらうだけである。
「心身医学の父」と言われる、ドイツ人医師ゲオルク・グロデック(名をゲオルグと訳す人もいるようだ)は、器質性のものも含め、あらゆる病気は心因性と決め付けていた。
現代でも、NLP(神経言語プログラミング)の創始者リチャード・バンドラーが同じこと(全ての病気は心因性)であると敢えて主張していると思う。
NLP開発のために重要であった、アメリカの精神科医ミルトン・エリクソンの精神療法の威力は凄いものであり、魔法を使って治していたとまで言われたが、彼は精神病だけでなく、その治療により、肉体まで治ってしまったことも数知れない。

心の癒しは外部から与えられるものではない。
その考え方自体が物質的なのである。つまり、外から与えられるものは物質的なものだけなのだ。
心を癒すものは、我々の内部にあるのだ。
そして、心を癒す内なる力を得れば、それは、外部をも癒すのである。
我々は、癒しを外にではなく、自分の内に求めなければならない。
そのためには、外のものを軽視することも必要だ。
世間から与えられる褒賞や名誉をことごとに無視し、求めないことだ。
物質的なものは、必要以上に求めないことだ。
そして、真に価値のある、内なるものに注視するのである。
それが正しく出来るようになれば、我々が傷付くことはなく、無限のエネルギーを汲みだすことが出来るのである。









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・サイコパス
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