ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

魔法

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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この1~4冊で魔法は使える

子供の時は、多くの人が奇跡を見たり、起こしたりしているものだが、ほとんどの人は、そのことを忘れている。
そのようなことが起こるのは、大抵、かなり幼い時のことだから、忘れてしまうのは仕方がない。
だが、私は、全てではないと思うが、奇跡のことを覚えている。
私の力は、アラジンの魔法の指輪のようなものだ。
アラジンの魔法のランプのような大きな力は多分ない。
しかし、それは悪いことではない。
魔法のランプを手に入れた子供は、それを手放してしまうのだが、指輪であればずっと身に付けていられる。
魔法のランプは、力が強いゆえに、うかつに使えないが、魔法の指輪であれば、割と気楽に使える。
だから、私も、割と他愛ないことに使ったかもしれない。
だから、大人になっても、魔法は有効で、ほとんど仕事をせずに、社会で良い思いばかりしてきた。

それで、どんなふうに魔法を使うのかというと、突き詰めると、「願った」というだけのことだ。
願えば叶うのである。
7歳の時、交通量の多い車道の向こうに行きたいと願ったら、「車は来ない」と思って目をつぶって車道に飛び込むと車は来なかった(絶対、真似しないように)。
9歳の時、天体望遠鏡が欲しいと願うと、誰かがすぐ譲ってくれたし、土星の環を見たいと思えば、夜空の星の中から選び取った最初の星が土星になった。
12歳の時、以前見たテレビドラマのある回を録画したいと思って録画装置のリモコンを持ったら、その場で、その再放送が開始された。
こんな話はゴマンとある。
全て、ただ「願った」だけである。
プログラマーになりたいと願ったら、勤めていた会社で、そんな仕事をする流れになり、アメリカやドイツやフランスの技術者がやって来て、一緒に仕事をしたこともある。そんなことがあったら自信がつくので、ますます、良いプログラマーになれるのである。その後も、世界が私の腕を磨くのを助けてくれたのだ。

もちろん、こういったことは、誰にでも出来ることだ。
だが、実際には出来ない者が多かった。
長い間、能力の差かなと思っていたが(笑)、そうではなく、出来ない者には、モラルとか良心というものが足りないのだと思う。
私も、十分とはほど遠いが、魔法を使えない者は、根本的にモラルや良心に欠けていた・・・とはいえ、世間的には、彼らが悪人というわけではないのだが。
ある時期は、私は19歳の時から読んでいた、ジョセフ・マーフィーの本を読んでいたから、うまくいくのだと思っていたが、他の者達に読ませてもやっぱり駄目だった。
だが、私が知っている優秀な経営者の社長室の本棚には、1冊くらいは、マーフィーの本があった。やはり、マーフィーの本は良い本なのだと思う。
だが、やはり、そんな社長達は皆、かなり高いモラルを持っていた。

私は、必ずしも、道徳や宗教や、あるいは、哲学や思想の本が、モラルとか良心を高めるとは思わない。
むしろ、そんな本を沢山読んでいる者こそ、モラルに欠ける場合が多い。
一応、モラルと書いているが、本当は、何と表現するのが適切なのかは難しい。それで、さっきから、良心とも言っているが、モラルでそんなに外れていないと思う。
現代人の多くは、法律で取り締まらないと、平気で悪いことをするほどモラルが崩壊しており、魔法の力は持たない。
私が思うところでは、モラルを得るために、最も良い書は、『銀河鉄道の夜』だと思う。
また、私が、魔法の原理を鮮明に感じる書は、『ソクラテスの弁明』と『真説宮本武蔵』、そして、スティーブ・ジョブズの、スタンフォード大学での講演である。
以下にご紹介した本は、私も実際に持っている(『銀河鉄道の夜』や『ソクラテスの弁明』は、他にも持っているが)。








魔法のコツ

護身用に拳銃を持つ場合、それで安全でいるためには条件が3つある。
1つは、拳銃の扱いに慣れ、腕も良いこと。
1つは、撃つべき状況を判断出来、撃つべき時に撃つ決断力があること。
1つは、敵が同等以上の武器を持っていないこと。
この3つを備えていれば、まあ、安全である。
原始的な悪人や狂人が多い中では、拳銃は有効だ。

現代は、悪人、狂人だらけの世界だ。しかも、敵は物理的に強力な武器を持っていることもある。
そんな中では、誰も持っていない高級な武器を持っている必要がある。
その武器とはスピリチュアルなのだが、ご存じかもしれないが、この言葉は変な意味で広まっている。
そうではなく、正しい意味のスピリチュアルが武器になる。
なぜなら、悪人や狂人は、この力を持っていないからだ。
そこで、一応、このスピリチュアルな力を魔法と呼ぶ。
原始的な野蛮人の中では拳銃が有効であるように、霊的な野蛮人の中で魔法の力を持っていれば安全である。

魔法のコツは「息を止(と)める」これだけだ。
もう少し上級のコツは「息を吸って止める」ことだから、頑張ってこちらを覚えておくと良い。
息を吸って止め、実現したい状況をイメージする。
何をイメージするか決めるには、いくらかの賢さが必要だ。
だから、正しいイメージングを馬鹿な人間に教育するのは難しい。そんなセミナーが何百万円もするのは、ある意味、合理性があるように見えるが、大抵は習得出来ないので、実際は不合理である。
そこで、単語を使う。
大抵のことは、「成功」「成る」「治る」「解決」という言葉で代用出来る。
目標をはっきりさせ「成功」とか「成った」と心で静かにつぶやけば、意識せずともイメージが無意識の中に出来上がる。
病気を治す場合は「治った」「消えた」「終わった」などが適している。
ただ、病気の場合、私も特に経験があるが、マシな状況にすることは簡単だが、例えば、前世で残忍なことをしていた場合や、先祖が残忍なことをした記憶を持つ遺伝子を受け継いだ場合は、根本的に治すことは本当に難しい。しかし、差し当たって、何とか活動出来るようにはなれる。
あるいは、例えば、画家になることが目標の場合。「成功」「成った」でも良いが、画家で成功した結果金持ちになったというストーリーが好きであれば「富」と唱えても良い。

息を吸って、止め、「成功」と静かに心で唱える。
「コツは息を止めること」と覚えておけば、いつでも魔法を使えるだろう。
この穢れた世界で覚えておくべきことは「息を止める」だけである。
魔法の力を発動すれば、悪い状況を呼ぶこともあるが、魔法がある限り恐れることはない。
決して「息を止(や)める」」を選択せず、粘らなければならない。








危ない魔法の話

ビートルズの『ヘルプ!』は面白い歌だ。
この歌の大体の意味は、
「若い頃(子供の時?)は、1人で何でも出来た。でも、今はそうではなく自信がない。(誰かに向かって)傍にいてくれよ」
という感じであると思う。
他の人はどうか知らないが、私には実に共感出来るところがある。
私は、子供の時は、どんな馬鹿げた奇跡でも起こせた。
しかし、勉強が出来るようになったわけではない。
勉強が出来るようになりたいと思っていなかったからだ。
そりゃ、勉強が出来ないと、親や教師に嫌な目に遭わされたりするが、だからといって勉強が出来るようになろうとは思わなかったのだ。
女の子にモテモテになろうとも思わなかった。
可愛い女の子は大好きだったが、モテてどうなるものでもない。本当にそう思っていたのだ。
私も人並に、スポーツ選手や宇宙船パイロットや歌手になりたいなんて思うこともあったが、それはずっと先のことだとしか思えなかった。つまり、本気でなかったわけだ。
しかし、庭を猫でいっぱいにしたり、車が多くて向こうに行けない車道から車を消したり、夜空の星の1つを勝手に土星にしたり、以前見たテレビドラマを即座に放送させたり、人間を超えたことを何でもやれた。
女の子にモテたくないと言っても、パンツくらいは見たいから(子供の時の話だw)、そう思ったら、好きな子のをいくらでも見れる状況に勝手になった。

つまり、私は、新たな魔法の力を得るのではなく、子供の時のやり方を思い出すだけで良いのである。
そして、子供の時でも、それが自分にしか出来ないのだとは思わなかった。
だが、皆が、やり方を知らないのを不思議に思っていたのを覚えている。
私がまごうことなき天才と思うじんさん(自然の敵P)の『チルドレンレコード』という歌がある(IAさん版と初音ミクさん版がある)。
この力は、ちょうど、あんな感じで、「チルドレンレコード(子供の記憶)」とはよく言ったものだ。
天才じんさんも、このヤバい力を持っていたし、今も持っているのかもしれない。

だが、やり方自体は難しいことはない。
単純過ぎて申し訳ないが、「強く願い、願いに執着し、叶うと信じる」だけだ。
大人になると、なぜ出来ないのかというと、「願いが強くなく、願いが持続せず、叶うと信じていない」と、さっきのと反対になるからだ。
大人になると出来なくなるのは、自然の摂理か、それとも、誰かのせいだろうか?
きっと両方だろう。
子供の時は、空想癖がある者が多いが、私はいつも空想していた。
天才技術者二コラ・テスラは、空想の世界は確固とした現実だと言っていたが、その通りだ。
子供は、空想と現実の区別がつかないが、テスラはずっとそうだったのだろう。ただし、テスラは、空想とすべきものには「空想」というラベルをつけたので、現実で支障がなかったのだ。
普通は、大人になって、現実と空想の区別がつかないと、精神異常者と見なされ、病院に入れられる恐れがある。
現実と空想の区別がついても、空想の世界を作るノリで、現実世界で起こることを決定すると、それが本当に起こるのである。
空想癖を取り戻すことだ。
そして、空想の世界の自分は、例えば、常に魔法の指輪を付けているなど。現実との区別をつけておくと良い。
そうすれば、後は、空想の魔法の指輪を使うだけである。








子供の魔法

有名なインフルエンサーが、「小学生の時は、足の速い子(男子)がモテる」と断言されていた動画を見たが、私は、走るのはそれほど速い方ではなかった。
しかし、学校の授業レベルなら、走り高跳びでは誰にも負けたことはなく、専門的にやっていたわけではないが、特に、中学1年までは圧倒的な強さだった(それ以降も負けた記憶はないが圧倒的ではなかったと思う)。
ところで、おかしなことに、中学1年の、その無敵だったある時まで、どんな飛び方をしていたのか、全く記憶にない。
実は、中学1年のその「ある時」に飛び方を忘れたのである。
バーの真正面から走って飛んでいたことは覚えているので、普通の飛び方ではない。
そして、その飛び方を忘れて以降は、普通のはさみ飛びやベビーロールで飛び、やはり、誰にも負けなかったが、それまでのような「どんな高さでも絶対に飛べる」という不思議な自信はなくなった。

だが、飛び方そのものは思い出さないが、どうやって飛んでいたかは分かったのである。
飛び方自体は、何でも良かったのだ。
吉行淳之介の『童謡』という短編小説がある。私は、超傑作と思っている作品だ。
走り高跳びが誰よりも得意だった少年が、病気の後、以前のように飛べなくなった。
友人達は、「また飛べるようになるさ」と言うが、少年は、「もう飛べないだろう」と思う。
彼は、飛び方を忘れたのだろう。
だが、私は、飛び方を思い出したのだ。
これは、ある意味、魔法だ。
魔法であるだけに、走り高跳びだけでなく、何にでも使える。

この魔法は、エミール・クーエの自己暗示、ジョセフ・マーフィーの潜在意識の法則、大作詞家の阿久悠の楽曲ヒットのための瞑想、古神道、『ローム太霊講話集』その他を調べるうちに、自然に思い出したものだ。
(『灼眼のシャナ』で、「祭礼の蛇」坂井佑二が似たことをやった時には、ちょっと笑った)
これを使って、私は、子供の時から、あり得ぬ奇跡を何度も起こした。
たとえば、「以前見た時代劇のあの回を録画したいので、今から放送せよ」という馬鹿馬鹿しいようなことまで、実際に起こせた。
やり方はこうだ。
まず、願いを決める。例えば、走り高跳びで「このバーを飛び越える」だ。
息を吸って止め、1秒でいいから無念無想になる。数分や数十秒は無理でも、息を止めれば1秒くらいは誰でも出来る・・・というか、自然に無念無想になると思う。
そして、心で、「なった」と言う。
別に、「なった」でなくても、「出来た」でも、「(痛みが)消えた」「(病気が)治った」「叶った」でも何でも良い。
「(可愛いあの子と)エッチした」みたいな煩悩塗れなことだと、1秒の無念無想も崩れてしまうので、せいぜい、「抱きしめた」「手を握った」程度にすること。
それで終わりである。
原理的には、これで、大抵のことは起こせる。
大きな願いなら、一度で叶わないなら、1日に何度か繰り返すと良い。








怠け者の魔法の使い方

「魔法は存在する」と言ったら、変なヤツだと思われるだろう(笑)。
「魔法の定義の問題だ」と言ったところで、ほとんどの人は、寓話やアニメのイメージの魔法しか思い浮かばないだろう。
しかし、そんな魔法を、敢えて言葉で言えば、
「自分は働かずに幸せになる」
技術と言えると思う。
そして、幸せとは何かというと、良い想いをすることと言って良いと思う。
だから、魔法とは、俗っぽく言えば、
「自分は働かずに良い想いをする」
技術なのである。
軽薄な感じがするかもしれないが、大体、合っていると思う。
そして、私にとって、魔法のマスター、あるいは、魔法の師匠は、会ったことはないが、俳優だった丹波哲郎さんだ。

丹波さんは、戦争中、二等兵(最下級の兵隊)だった時、他の二等兵のように、上官の服の洗濯みたいなことはせず、その他のことも、あまりにも何もしないので、「何も出来ないやつ」として、何もしなくて良い暇な農場に送られ、終戦までのんびり平和に過ごした。その間も、わけあって、現地の女の子にモテまくったり、良い想いばかりしたようだ。
また、丹波さんは、サラリーマン時代は、本当に全く仕事をせず、出社と同時に遊びに行った。それでも、3年、給料をもらっていたという。
まあ、結果、会社はクビになったが、失業中、ゴロゴロしている時、友人に「怠け者でも務まる仕事はないか?」と言ったら、「それは俳優くらいのもんだろう」と言われ、「じゃあ、俳優だ」と俳優養成学校に入り、それで俳優になったらしい。
素人ながら、私は、丹波さんの演技がうまいとは思わない。はっきり言って大根と思うが、存在感は凄いのではないかと思う。

では、そんな丹波哲郎さんの魔法の神髄とは何か?
それは、本人が著書で「こだわらないこと」と明確に述べている。
「こだわらない」とは「執着しないこと」とも言えるが、具体的に、どんな態度が「こだわらない」「執着しない」と言えるだろう?
それが分かれば、丹波哲郎さんのように大成功するかどうかは分からないが、あなたも、丹波さんのように、良い想いが出来る。
これは、丹波さんを見習って、いつも良い想いばかりしている私が確信している。

「こだわる」という言葉には、良い意味もあるから難しい。
例えば、料理人が味にこだわるといった場合である。こんなこだわりは、あって然るべきかもしれない。
そこで、「こだわらない」という言葉を、もっと明確にしないといけない。
実は、「こだわらない」とは「欲張らない」ということなのだ。
給料が安過ぎてどうにもならないのならともかく、もっと欲しいとは思うが、十分やっていけるなら、満足することだ。
そういう、「欲張らない」ことを、「こだわらない」と言うのだ。
難しく言えば「足るを知る」だ。
ところで、「こだわらない」について、もう1つ、大切なことがある。
それは、「面子(めんつ)」を持たないことだ。
SF映画『スタートレック』に、こんな場面があった。
宇宙船USSエンタープライズは、ジェームズ・カークが長く船長を務めたが、カークが提督となって引退した後は、ミスター・スポックが船長になっていた。
だが、ある極めて難しい任務にUSSエンタープライズが挑む時、スポックは、カークに船長に戻るよう言うが、カークは、スポックの気持ちを思いやり、やや言葉を詰まらせた。
その時、スポックは言ったのである。
「バルカン星人に面子などないのです。より相応しい者がその役につくのが当然です」
バルカン星人は、運を呼ぶことについても、超論理的なのだ。

なぜ、「欲張らず」「面子を持たない」と運が良くなるかというと、丹波さんが言うには、「守護霊が守り易いから」だそうだ。
宗教家の五井昌久さんは、「上位の神には、なかなか願いが届かないので、自分の守護霊や守護神に守ってもらう方が良い」と、著書で述べられていた。
また、政木和三さんも、「力を付けるには、自分の生命体(第一生命体)を丸い円満なものとし、強い第二生命体、第三生命体を呼ぶことだ」と言われていた。
欲張らず、面子を持たないことで、高次の力が守り易い円満な人格になり、守護霊、守護神と言うかはともかく、ごく身近にいる神と和する(親しくする)ことが出来るのであると思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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