ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

魔法

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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一語の神

今は、「引き寄せ」という言い方をすることが多いが、本来の概念では「魔法」と言うべきものが、「引き寄せ」とか「潜在意識の法則」とか「超能力」とか「霊能力」として、その使い方が本に書かれている。中には、人気があって、かなり売れているものもある。
ただ、残念なことに、使い方の説明に1分以上かかるものは(つまり、一冊の本になった時点で)使えないのだ。
なぜなら、魔法は考えたら使えないからだ。
使うのに説明を必要とするということは、頭を使うということであるが、思考を通して行うことは魔法ではない。
魔法は、ただ一言で教えられる。
それは、「神の名を唱えよ」だ。

ところが、私は、神(あるいは仏)の名を1つも知らなかった。
二十歳過ぎた頃にも、「天照大神(あまてらすおほみかみ)」を読めなかったし、何となく、阿弥陀とか観音という言葉は知っていても、それらの仏の名前を正しくは知らなかった。
本来は、子供の時から知っている神仏の名を唱えるのが一番であるが、私には、そのようなものがなかったのである。
とはいえ、日本語というのは、一語一語が神なのであり、おそらく、太古の昔、日本人の祖先は、単純な言葉の1つ、あるいは、いくつかを組み合わせて(おそらくは心で)唱えるだけで、岩を浮かせるようなことを軽々と行ったのだと思う。
だから、子供でも、「えい」とか「やー」とか「たー」といった、お決まりの愛用の掛け声を使う子は、その言葉の神が手助けしてくれ、驚くようなことをしているのかもしれない。
実際、私も、ここでも何度も書いたが、子供の時から、およそあり得ない奇跡を何度も起こしてきたのは、いつも(掛け声などで)使う特定の言葉に宿った神の力によるのだと思う。
一語であっても、神であるからには、強い力を持ち、昨日も書いたが、「ア(アー)」だけでも、唱えれば、悩みが消えてしまう。
もちろん、それぞれの言葉の神には個性もあるだろうが、やり方が違うだけで、普通のことであれば、何でも出来るのだと思う。

その中で、調べていたら、「トホカミヱヒタメ」という、8つの言葉が表す8柱の神を唱えるのは良いことであると思った。
よく「トホカミエミタメ」と言われているが、正しくは、「トホカミヱヒタメ」である。
私のように、子供の時に馴染みの神の名を持たなかった者で、どうも親しみの湧く神や仏の名前がない場合、たった一語の神の名を、心で丁寧に唱えれば良いと思う。それだけで、必ず恵があるだろう。
あるいは、「トホカミヱヒタメ」の8柱の神の名を唱えると良いだろう。








真言で魔法を当たり前のように起こす

この世界はやはり、人工的な3次元ホログラフィックで出来た仮想世界なのだと思うことがある。
それは、夢の中で、現代のテクノロジーを超えた世界に居る時だ。
最近も、私は、夢の中で、現代のモノレールとは全く異なる、壮大な規模でありながら緻密で、そして、美しく、徹底的に快適なモノレールのような乗車物に乗った。
私はモノレールや、その他の鉄道は、普通には乗るが、それほど関心はないし、リニアモーターカーやハイパーループ(真空チューブの中をカプセル型乗車物が高速に移動する乗り物で、現在は実験開発中)に関しても、あまり知らない。
よって、私は、未来の鉄道やモノレールを細かく想像することは、あまり出来ないと思う。
しかし、夢で見た、その未来モノレールは隅々まで明瞭でリアルだった。

つまり、我々の世界には存在しなくても、別の世界では、上で述べた未来モノレールが存在する世界もあるのだと思う。
そうであれば、そんなモノレールを仮想的に作り出すプログラムが存在し、目覚めている時の現実世界では、そのプログラムはロードされないが、夢の中の世界ではロードされることもあるのだろう。
インドの聖者、ラマナ・マハルシも言っていたらしいが、目覚めの世界も夢の世界も、実際は、同じなのである。
有名な推理作家の江戸川乱歩は、夢の世界こそが現実で、昼の世界の方が幻想なのだと常に言っていたらしいが、もしかしたら、そういうものかもしれない。有名な宇宙人バシャールも、同じように言っていたと思う。

夢の中では、より自由に、多様な「事象プログラム」をロード出来るということは考えられる。
何と言っても、現実世界より夢の世界の方がダイナミックで型破りなことが起こるからね。
例えば、現実世界では、学校や会社のマドンナ程度でも、なかなか付き合えないが、夢の世界では、憧れのスターとだって付き合えても不思議はない。
しかし、夢の世界がぱっとしない人も多いだろう。
そんな人はきっと、現実世界で、想像力を閉じ込める癖をつけ過ぎて、夢の中も小さくまとまってしまっているのだろう。
では、夢の中で、シュール(超現実的)で面白い事柄のプログラムを呼び出す精神性を得るにはどうすれば良いかというと、もちろん、真言を唱えることによってだ。
なんと言っても、優れた真言は、心の奥の潜在意識のさらに奥の、超意識とか純粋意識と呼ばれる領域か、その近くにあり、様々な事象プログラムを起動させる何らかのキーになっていると考えられるのである。その根拠は示し難いが、この論に、それほどの矛盾もないと思う。
よって、普段から真言を熱心に唱えていれば、不思議な夢や、もしかしたら、予知夢のようなものも見るようになるし、眠っている時の夢だけでなく、目覚めている時でも、一瞬、無意識になった時に、不思議な世界がやって来たり、不思議なことが起こったりするのである。
こういったことは、昔から神秘家の間で「幻視体験」と呼ばれ、「20世紀最大の詩人」とも言われたアイルランドのW.B.イェイツはそれに深い関心を持ち、熱心に探求していた。
また、イェイツが所属した魔法結社では、そのような仕組みがある程度、教えられていたのかもしれない。
デカルト、ニュートン、ゲーテらも、そのような研究をしていたようであった。

夢の世界だけでなく、目覚めている時にも、意識の状態を変えることで、特殊な世界プログラムを呼び出すことが出来、これこそが魔法の原理なのである。
難しいことはともかく、あなたも、熱心に真言を唱えていれば、そんなことが出来るようになるだろう。
仏教の経典に書かれていることも、このことのように思うのである。








現代の魔法使い

現代に魔法使いが存在するのかというと、何とも言えない事情がある。
『ぴたテン』というアニメで、天使の早紗(さしゃ)は、
「天使も悪魔も、人の心の中にしか存在出来ない」
と言ったが、つまり、各自が信じるかどうかということだろう。
そして、天使や悪魔が存在しないとは言えないのだが、魔法使いは、もう少し現実的な存在だ。
魔法使いであるW.E.バトラーの『魔法入門』や、ダイアン・フォーチュンの『神秘のカバラー』には、魔法の定義は「心に自在に変革を起こすこと」であると書かれている。
確かに、そんなことが出来れば、不可能はなくなる。
だが、それが簡単ではなくなっている。

心に自在に変革を起こせる者、あるいは、その技法を持つ者達がいなければ、もしくは、そんな者達が一般の人々から離れてしまっていれば、世界に魔法や魔法使いは存在しなくなる。

だが、「心に自在に変革を起こす」とは、「自我を退かせ、真の自己に接触すること」の一面の見方である。
自我が退く、即ち、無になり、真の自己に接触する、即ち、真の自己を知るというのは、宗教の本来の目的であった。
ところが、一般に宗教は、完全に支配者の道具とまでは言えなくても、それ(支配者が民衆を支配するための道具という面)が8割なのではないかと思う。
しかし、ユダヤ教やキリスト教の聖典である聖書の、本当の教えであるカバラが世の中から隠されてきたように、魔法のような力は、権力や一般大衆からは見えない。

『エル・カザド』というアニメに、象徴的なお話があった。
ブルーアイズを名乗る若く優秀な女性は、自分が魔女の末裔であることは知っているが、魔女の力、つまり、魔法は使えない。
彼女は、子供の時からずっと、魔女の力を取り戻すための努力をしたが、無駄に終わった。
どうすれば、魔女の力を取り戻せるのか、あるいは、それが可能なのかが、彼女には分からなかったのだ。
しかし、それは簡単なことなのである。
そして、別に、彼女のように、魔女の末裔でなくても、それは可能である。
人間のDNAの中に魔法因子は存在し、かつて、魔女と呼ばれた人達は、それが覚醒していたに過ぎない。
その覚醒のためには、マントラ(真言)を唱えさえすれば良い。
現代の・・・と言えるかどうかは分からないが、一種の魔法使いである仙人には、道教系の仙人や仏教系の仙人がよく知られている。
実際は、他にもいるのだろうが、道教系、仏教系以外は、別の呼び方がされている。しかし、本質的には同じような存在であると思う。
そして、仙人のような力を持つ方法は。いずれにしても、マントラなのである。
呼吸法や瞑想は、その補助であると思う。
マントラはいろいろで、1つではなく、特に、どれが優れているというわけではない。
仏教系であれば、仏や菩薩の真言が沢山知られており、いずれも完全に効果がある。
また、一般に知られる「南無阿弥陀仏」や、観音経(元々は独立した経典であったが、法華経の中に入れられた)にある「南無観世音菩薩」も、れっきとした真言である。
そういった真言をただ繰り返せば良いだけである。
尚、さきほど述べた通り、呼吸法や瞑想も補助にはなるが、必ずやらなければいけないものではない。
とにかく、マントラなのである。
マハリシ・マヘーシュ・ヨーギのTM(超越瞑想)も、瞑想とは言うが、ただ、マントラを唱えるだけであり、呼吸法やイメージングみたいなものは一切ない。
TMの場合、マントラを使う方法に独自性があるだけで、個人的には、特に優れたものではないと思っている。
とはいえ、TMの、マントラをもっぱら心で唱えるところは正しく、世界的に一定の評価を得る元となっているのは、そこではないかと思う。
だが、いつでもどこでもマントラを心で唱えれば、我々は、どこまでも高い成果を得られる。
道教系のマントラは、存在はするのだろうが、ほとんど知られていない。
しかし、仏教系のマントラは広く知られているし、ヒンズー教の神の名は、ことごとに真言である。
また、古事記の神の名もそうである。
このあたりは、ババジが『ナーマスマラナ』にまとめてくれているが、ここでも書かれているように、どの神の名が最も効果があるかなどということはなく、どれも同じなのである。
同様に、真言に優劣はなく、どれも、数多く唱える限り、同様の効果があるだろう。








魔法使いになれるヤバい話

事業家で世界一の富豪イーロン・マスクは、この世界はシミュレーテッド・リアリティという、いわばコンピューターが作り出した仮想世界であると断言しているそうだ。
ところで、私は、7歳くらいの時と思うが、それを直観的に見抜いていた。
もちろん、当時は、仮想世界なんて考え方はしなかったが、とにかく、この世界が「作り物」であることは薄々気付いていた。
別に私が特別なのではなく、子供が喋ることを注意深く聞いていたら、子供にはそんなことは分かっているのだと思う。
例えば、子供は、家の中の物・・・例えば、時計やテレビや人形が、前はこんなじゃなかったと言うことがあるが、大人は、それは単なる子供の気のせいとしか思わない。
だが、実際に、それらの物が、子供が言う通り、微妙に、あるいは、全く違うものに変わっているのかもしれない。
いや、実は、我々だって、今見ている物は以前見たものと違うのかもしれないが、それに気付かない、あるいは、気付いてはいるが無視しているだけかもしれない。

世界が作り物だということを確認する実験は意外と簡単である。
何でもいいが、平凡な物(平凡と感じる物)で、動かない物の方がやり易いかもしれない。
実際は、特殊な物や動く物でも構わないが、特に最初は、ありふれていて、静止している物の方が良いと思う。
私は、7歳の時、意識的にやった実験では、ドアノブ(銀色の金属製で丸いドアノブ)を使ったことを憶えている。
そのドアノブをじっと見るのだが、集中して見るというのではなく、さりげなく、しかし、視線は動かさずに見る。
そして、何も考えないのだが、視線を何かに固定していると、考えないことは難しくないと思う。
それで言えば、文字が書かれていないものの方が良い。なぜなら、文字が書かれていたら、それを読むことで思考が働くからだ。
何かを、何も考えずにじっと見ていたら、すぐに、変な感じがしてくる。
私は、その感覚に夢中になった。
その物が、一瞬前には、存在していなかったという感覚・・・というより、実際、存在していなかった。
この瞬間に、それは生まれたのだ。
「世界5分前仮説」というものあるが、それは、世界は5分前に生まれたのかもしれないというものだ。
5分より前の世界の記憶はあるが、その記憶は心の中に現れる偽物だ。
そして世界は、5分前どころか、今この瞬間に生まれていて、記憶もまた、今この瞬間に「捏造」されているのだ。

この実験は、そこそこにやった方が良い。
世界が瞬間に生まれていることを意識すると奇妙に感じるのは、ひょっとしたら、世界のこの有り様に対し、脳のキャパシティが追いつかないのかもしれない。
そうであるなら、あまり続けて、脳の情報処理にエラーを生じさせ続けたら、深刻なトラブルに陥ってしまうかもしれない。
実際、これを長くやると、吐き気を感じる。
サルトルの有名な小説『嘔吐』は、フランス語の原題を直訳すれば「吐き気」になるらしいが、サルトルは、そんなことを自分の世界全体に見ようとしていたのかもしれない。
そんなことをすれば、いかに優秀なサルトルの頭脳を持ってしても、狂気に陥るはずだ。

ただ、この感覚を掴み、少しの意思を潜り込ませれば、世界を自由に構築出来る。
どうやるかというと・・・って、こんなこと、こんな気楽にバラして良いものかと悩まないでもないが、少し練習は必要なこともあるし、慣れれば、そんなに面白くもないから、とりあえず書いてみよう。
何かをさりげなく、考えずにじっと見る時、その物の存在があやふやになるが、その物を存続させることに執着しないことだ。
つまり、それがないならないで良いとするのだ。
そして、存在するのは、その物ではなく、見ている自分の意思であるという単純な事実を思い出すのだ。
つまり、世界は自分の意識が作っているのである。
それなら、世界を好きなように作れる可能性があることが了解出来るだろう。
だが、心には、何かロックがかかっている。
そのロックを外すことが出来れば、もう魔法使いになったも同然である。
そして、魔法使いになっても支障のない精神力を持てば、実際にロックは外れる。
おそらく、本物の魔法結社なんてのは、魔法使いに相応しい精神力を作るノウハウを持っているのである。








誰だってどんなことでも名人になれる

最近は、70代以上の人が「普通」にスマートフォンを使っている。
通話はもちろんだが、カメラ機能やLINEも、当たり前のように使っている。
それは10年近く前なら想像し難いことだったが、今のスマートフォンの使い方が、昔と比べてそれほど簡単になった訳ではない。
それに、老人達は、かなり高度に使いこなし、やっていることは、若者と全く変わらない。
なぜ、そうなったかというと、「使うことを決意」し、「時間をかけた」だけである。

一方で、老人は、今もパソコンを使える人は、あまりいない。
その理由も同じで、パソコンを使うことを決意しなかったし、時間もかけていないからだ。
つまり、もし、老人が、パソコンを使うことを決意し、時間をかければ、やはり楽々使えるのである。

実は、今は、若者がパソコンを使えなくなっている。
企業では、新入社員にパソコンの使い方の研修をするのが、当たり前になっている。
高校生や大学生が、パソコンを使わなくてもスマートフォンで事足りるので、パソコンを使う動機がなく(だから使う決意をしない)、よってパソコンに時間をかけないのだから、使えなくて当たり前だ。

ピアノもヴァイオリンも数学もスケートボードも、その他のいかなることも、やろうと決意し、時間をかければ誰でも出来る。
ところが、学校とかピアノ教室などでは、決意もしていない生徒にそれらをやらせようとしたり、短時間で詰め込もうとするから出来ない生徒がいるだけである。
「ピアノを厳しく指導する」というのも、単に、「短時間で教えようとしている」だけなのである。
指導者が、短時間で出来るようになることが美徳であるように思っていたり、特にそうではなくても、親が子供に沢山のことをやらせようとしたら、1つのことに時間をかけられないのでうまくいかないだけである。
アインシュタインだって、子供の時、ヴァイオリンを習ったが弾けるようにならず、勉強も全然出来なかったが、1人で時間をかけてヴァイオリンをやれば、かなりうまく弾けるようになったし、科学が得意になったのは良い教師に巡り合ったからだと言われているが、単に、高校を出て暇になったので(予備校に行っていた)、時間をかけて科学の勉強をしたに過ぎない。実際、アインシュタインが「予備校であの先生に出会えて科学が分かるようになった」と言った教師に後で聞いたら、その教師はアインシュタインのことを覚えていなかった。これは、その教師が、短時間で詰め込もうとしなかったので(単に、やる気のない教師だったからかもしれない)、アインシュタインが時間をかけてゆっくり勉強出来ただけのことであると思う。

私は昔、事務員と言うよりは雑用係みたいなことをしながらコンピュータープログラミングをマスターし、プログラマー、システムエンジニアになったが、なぜ、そんなことが出来たかというと、単に、雑用係をやっていた頃、暇だったからだ。友達も彼女もいなかったこと、趣味もほとんどなかったことが大きい。それらは時間をとられるので、もし、そんなものに時間をかける「リア充」であったなら、おそらく、プログラミングが出来るようにはなっていなかったと思う。

だから、プログラミングをマスターしたければ、まず「プログラミングを出来るようになる」と決意し(軽く決意すれば良い)、とにかく、時間をかけることだ。
書籍の売り文句のように「3日でマスター」なんて馬鹿なことを考えない方が良い。
プログラミングにしろ、料理にしろ、世の中で価値あることで、3日で出来るようになることなどない。
のんびり、ゆるくやれば良いのである。
そうすれば、時間なんて勝手に流れる。やってさえいれば、時間が味方し、気がついたら出来るようになっているのだ。
私は、決して、短時間でプログラミングをマスターしてなどいない。
少しも厳しくはなかったが、時間だけはとんでもなくかけていたのである。
チームラボの猪子寿之社長が、現在ドワンゴ社長である夏野剛氏と対談した『大企業の時代は終わったか』で、イチローが成功したのは、単に、誰よりも野球に時間をかけたからで、別に才能の問題じゃないと説得力を持って言われていた。他にも沢山の示唆を得られるので、100円の電子書籍だから読むと良い。

引き寄せとか魔法や超能力も同じで、人間には、元々、そんな能力があるのであり、それを出来るようになるには、才能やら秘法的訓練が必要なのではなく、時間をかければ誰でも、いくらでも高度に出来るようになる。
私も、幼い頃、魔法にひたすら時間をかけ、おかげで、他の子が出来ることは何も出来ず、怒られてばかりで辛かったことを覚えている(笑)。
しかし、不思議なことは当たり前に出来るようになったのである。
定評ある本を時間をかけて読み、実践すれば良いだけである。そして、それらはやることは楽なので、本当に楽々出来るようになるはずなのだ。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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