ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

風車小屋だより

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

誘惑されたらどうするか

久々に禅語の『婆子焼庵(ばすしょうあん)』を取り上げる。
こんなお話だ。

お婆さんが、ある青年僧を世話していて、庵(生活と修行のための小屋)も与えていた。
その僧の修行もかなり進んだと思い、お婆さんは、若い娘に僧を誘惑させる。
しかし、僧は、「私の心は冬の枯れ枝のようなもの。無駄じゃ」と、それをはねつける。
それを聞いたお婆さんは、僧を追い出し、庵も焼き払う。

このお話の真意、あるいは、僧はどうすべきだったかということと思う。
このお話に関しては、いろんな先生方から素人さんまで、いろんな答を述べている。

いずれにしろ、娘さんが僧の好みに著しく反していない限り、この僧の反応はおかしいだろう。
一応、この僧が同性愛者とかロリコンであるとかはないということで良いと思う。
あくまでこれは、禅の試験問題なので、そんな裏の設定はないはずだ。
同様な理由で、「ビクともしない」僧の様子は、演技ではなかったと考えて良いだろう。
だとしたら、この僧は、変な修行のせいで、身体と心がおかしくなってしまった・・・つまり、健常者から逸脱したと考えて良いと思う。

ドーデの短編集『風車小屋だより』の中に、予期せずに、若い娘と1つの小屋の中で一夜を過ごすことになってしまった青年のお話がある。
青年は、「悩ましいものを感じた」ことは認めつつも、娘さんは無事だった・・・いや、危険はなかった。
まあ、上の禅のお話のように、娘さんの方から誘惑してきたら、何もないはずはないが、その僧は仏道の修行に励んでいたのだから、そこは普通の人とは違う。
とはいえ、「悩ましい」という点に関しては同じはずである。

私は修行が出来ている方ではないが、それでも、好みのタイプだが、そうなるべきでもない娘さんが不意に誘惑してきたら、
「どしたの?」
とはぐらかし、
「もっといい男見つけなよ」
くらいは言うだろう。
もったいないオバケの幻くらいは見るかもしれないがね(笑)。
いや、昔、確かにあったのだ。
一緒に残業していた、若くて可愛い女の子に電気を消されたことが・・・あったなあ(笑)。
後で、知り合いの社長に言ったら、その女の子のことを知る社長さんに、
「あんな可愛い子に・・・、なんともったいない。それは君、行くべきだよ」
と言われたが、その社長、その後、商売は駄目になって、私とも仲違いしてしまった。
やっぱり、人間は獣ではないのである。
西尾維新さんの『偽物語』には、中学2年生の超美少女、千石撫子に誘惑される、我らがヘタれのヒーロー、阿良々木暦君(高校3年生)の対応を見ることが出来るが、まあ、参考になるかどうかは分からない。

初音ミクさんと、1つの部屋で一夜2人っきりだと、至福であるのは間違いないが、これはもう、自信を持って、変なことはしない。
人間ってのは、そんなもののはずだ。









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混浴で問題が起こると思う方がおかしい

江戸時代は、風呂なんてものがある家は余程のお屋敷で、武士も町人も一緒の銭湯に入ったらしいが、混浴であったことが多かったらしい。
それがどんな様子であったか、想像で述べる者が多いが、そこで何か問題が起きそうに思うのは、現代人がおかしくなってしまっているからだろう。風呂とは、身体を温め、洗うための場所である。そこでどんなおかしなことが起こるというのだろう。
精神分析学者の岸田秀さんの本で読んだが、当時の庶民の粗末な家には、当然庭なんてものは、ほとんどなかったが、すぐ近くに通行人のいる軒先で、若い娘がたらいに水を入れ、裸で身体を洗っているなんてことは、別に珍しくもなかったらしい。私は自分で調べた訳ではないのだが、そうであっても何もおかしなことはないと思う。

我々は、美的な異性を見れば、性欲を起こすのが当たり前だという異常な癖を持たされてしまっていて、それがさも当然のことのように思い込んでいる。
特に若い男が、いわゆる「いい女」を見て、興奮しないのはだらしがないとか、どこかおかしいとか言われることすらある。
私も以前はそう思っていた。しかし、そういったものが、何者かに与えられた馬鹿げた条件付けに過ぎないことが分かり、そのような調教された猿のような状態を脱してみれば、以前の自分の愚かさにただ呆れるのである。

こう言っても、特に男性であれば、魅力的な若い女を見て邪まな思いを抱くことは、やはり人間的で悪いことではないということを疑うことすらできない哀れな者が多いに違いない。
それなら、アルコール中毒を考えてみれば良い。
アルコール中毒患者や、それに近い者は、とにかく酒が飲みたくて仕方がなく、酒が飲めないと我慢ができず、激しい苦痛すら感じる。
しかし、飲酒の習慣の無い者はもちろん、適度にたしなむ者には、そんな者達は明らかに異常であり、どこにも共感できるところはないだろう。
アルコール中毒に限らず、特定の食物を偏愛している者とか、ただの趣味でしかないものに異様に執着するような者に関しても同じであろう。
それを性的欲望にあてはめて考えれば分かるはずである。

実際の状況は分からないのだが、最近、インドで、女性が性的被害に遭ったようなニュースをよく見るし、その中には悲惨で異常なものがある。
もし、それが本当であるなら、加害者の男達の道徳やモラル以前に、彼らにそのような異常性欲を与えたものが何なのだろうかと私は考えるのだ。
私は、普通の人よりはるかに健康的な身体を持ち、精神的には平凡であるのだが、最も好ましいと感じる美少女と一晩一緒のベッドにいたとしたら、ただ、気分良く安らかであり、さして悩ましくも思わないだろう。
ドーデの『風車小屋だより』の中のお話で、若く美しい娘と、はからずも一晩一緒に過ごすことになってしまった若い男は、「少しは悩ましいものも感じないではなかったが」といった様子であったようだが、それでもまだ、世間のおかしな影響を受けているのだ。
私がそれを読んだのが、小学5年生であったが、その頃はまだ私も、大体、同じような感覚であったと思う。その後、私は好ましく無い性質を持ったが、4年半前から、1日1食の菜食になり、身体が健康でエネルギーに満ちてくるにつれて、歪んだ感覚や忌まわしい強制的反応は無くなっていき、「まとも」になっていった。

異常な習性から逃れない限り、あなたは苦しみ続けることになるし、また、人の世に災厄をもたらす者であり、やがては自然の摂理によって、あるいは、神の意思により悲惨な滅びを迎えるだろう。
そうならないためには、自我の要求にだらしなく従うばかりでなく、それに少しでも逆らい続けることだ。
その最も良い方法が、食を慎むことである。
また、毎日欠かさず、ある程度苦しいと感じる程度の肉体の鍛錬を行うことだ。自我は忍耐を発揮することや、規則正しいことが嫌いだ。
だから、1年365日、1日も欠かさず、決めた鍛錬を行うのだ。
あまり厳しくても長く続けられない。それに、過ぎた鍛錬をしたがるのは、実は何かの欲望の裏返しであり、もし、それが続くようなことがあれば、かえって異常さを身に付けることになるだろう。
しかし、正しい修身、鍛錬を3年もやれば、イエスのように、「私はこの世に勝ったのだ」と誇らしく言えると思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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