昔、ある漫画で、こんな場面があったことを、妙に印象深く憶えている。
主人公の格好いい男が、とびきり可愛い女の子を3人か4人連れていた。
それを見て、沢山のモテなさそうな若者達がやっかみ(ねたみ)ながら、主人公の男に言う。
「お前のような軟派な野郎がいるから、こっちまで女が回ってこねーんだ!」

なぜこんなつまらないものを憶えていたのかと考えると、このモテない若者の主張は正しいように思えるが、そうではないのではないかという疑問を感じたからではないかと思う。
そもそも、このモテない男の論理「ものすごくモテる男がいるから、女の子が足りなくなってしまって、自分には彼女がいない」は正しいのだろうか?
おそらく、普通の人は、「その通り」か「不明」と思っており、「この論は間違い」とは思わないだろう。
しかし、事実は完全に間違いである。
彼氏のいない可愛い女の子なんていくらでもいる。
また、あまり良い話ではないかもしれないが、彼氏がいたところで、自然に別れることもあれば、「俺の方がいい」と思わせることだって出来る。
つまり、女の子は全然不足していないのである。

これは富についても言える。
こんな話を聞いたことがあるかもしれない。
「世界の富の90パーセントは2パーセントの人間が握っている」
成功法則の本なんかに、よく、そう書かれていて、調べもしないのに鵜呑みにした人も多いと思う。
まあ、上位2パーセントの金持ちの資産はだいたい分かるかもしれず、それを合計すれば、世界中にあると思われる富の90パーセントを超えるのかもしれないとは思えるかもしれないが、実際のところ、そんな計算は不可能であるし、事実としてもあり得ない話だ。

レイ・カーツワイルは、「いずれ地球人類の資産は銀河を越えて宇宙全体に広がる」と言ったが、それが、彼が言う「シンギュラリティ」の結果である。
昔の人は、鉄の塊が、沢山の人を乗せて空を飛ぶことなど想像出来なかったように、カーツワイルの主張も全く馬鹿げて聞こえる。
しかし、カーツワイルは、実績を見る限り、大抵の人間より優れた者で、その意見は傾聴に値するかもしれない。
「だが、光の速度を超えて移動出来ないことは科学的に分かっているのに、どうやって、銀河の外や、さらに遠くまで行けるのか?」
というのはもっともだが、未来では「昔の人は、こんなこと想像もしなかっただろうなあ」という方法が現れるかもしれない。
カーツワイルはそうだと確信しているのだろう。
『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズの『涼宮ハルヒの退屈』内の「笹の葉ラプソディー」(多分だが…)で、ハルヒ(高1女子)が、七夕の願いを叶えてくれる彦星であるアルタイルまで16光年なので、今、願いを短冊に書いても、叶うのは16年後だと言うと、キョン(高1男子)が、「行きで16年なら往復で32年だろ?」と突っ込む。
しかし、ハルヒはまるでひるまず、「そこは神様なんだから何とかしてくれるわよ。半額大サービスよ」とトンデモないことを言い、キョンは黙る。
神様は万能で、聖書に書かれている通り「出来ないことはない」。
なら、光の速さを超える何らかの方法も教えてくれるだろう。

まあ、光速の話はともかく、富や女の子(あるいは男の子)については、こう考えた方が良い。
いくらでもある(いる)のだ。
空気と同じくらい。
宇宙は無限だし、世界だって、普通の人が想像するよりずっと広い。いや、日本ですらそうなのだ。
いくら沢山空気を吸ったところで、足りなくなるなんてことはあり得ない。世界中の人に有り余るほどある。
水不足、食料不足と言ったところで、誰のものでもないものがいくらでも余っている。単に、輸送出来ないだけで、輸送手段を考えれば、誰も不足しない。
富も同じで、誰のものでもない富が、まだまだ、誰にも分からないほど沢山隠れている。
富や彼氏彼女が不足していると思う者には、そんな結果になるのがこの世だ。
だから、それらは無限にあると考えなければならない。
ウォレス・ワトルズやジョセフ・マーフィー、あるいは、その他の精神法則の指導者達も、そう教えている。

冨田勲さんが作曲した『青い地球は誰のもの』という歌があり、『イーハトーヴ交響曲』の公演でアンコール曲にもなっていた。
この歌は、ただ、「青い地球は誰のもの」という歌詞が繰り返される。
これを聴いて、「地球の資源は限られているので、皆で分け合おう」という意味だと思う人が多いと思う。
だが、とてもそうは思えない、豊かさを感じさせる曲である。
「青い地球は誰のもの?」これに対する各自の答が、各自の世界を作るのである。
巨大なチーズの山を前にして、ネズミはどう思うだろう?
我々は、愚かなネズミのようではありたくないものである。