ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

鏡音リン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

一度死なないと本当に生きられない

自分より偉い・・・というか、値打ちのある人間は、世の中に何人いるだろう?
本音を言えば、誰も、そんな人間がいるとは思っていない。
社会的地位とか収入というなら、自分より上の者は沢山いても、価値ということに関しては自分が一番のはずなのだ。
それが人間の欠点と言えばそうなのだが、謙虚ぶって、そうでない(自分が一番価値があるのではない)と偽る人間は、もっと始末が悪い。

ところが、せいぜい、ぼんやりとだが、長じるに従って、自分より貴い何かがあることを、何となく感じるようになってくる。
それがないと、年を取るほどに運勢は悪くなる。
ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』に登場する、26人の、社会の最下層の男達が、最悪の運勢を持つ存在なのだと思う。
あれほどみすぼらしい男達ですら、きっと、自分こそ、この世で最も値打ちがあると思っているのだ。
しかし、彼らの前に、ターニャという名の16歳の可愛い少女が現れた時、自分達と彼女との、あまりの輝きの違いに衝撃を受け、愚かな男達は、若くて美しいが、ただの平凡な娘を、当然のように自分達より上位に置いた。
それで、男達は知的にも、人間的にも、みるみる向上していくのである。
だが、男達がターニャを見下した時、彼らは再び転落し、おそらく今度は地獄へ一直線だろう。

ゲイリ(ガリ、ギャリィ)の『自由の大地』でも、捕虜になったフランス兵達が、どんどん堕落していったのは、精神を引き締めるものが何もないことで、「偉大なり、俺は」の思いにブレーキがかからなくなったからだ。
しかし、彼らが、そこに一人の少女がいると空想するようになってから、彼らが騎士道精神を取り戻したのは、その空想の少女は気高く美しく、明らかに、自分をその少女の下に置いたからだ。

自分より高い存在があることをはっきり認めた精神は力を持つ。
個人の心と宇宙の心の間に境界はなく、そんな者達の心は宇宙に向かって広がり、宇宙の大きな力の支援を受ける。
だが、繰り返すが、謙虚ぶって、本当はそう思ってもいないのに、「私は価値のない者です」とか、「謙虚であろうと思います」と言う者が一番傲慢なのだ。

今年9月の、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」で、非常に思い出深いことがあった。
今回は、ミクさん以外の4人のボーカロイド達も、特別な衣装で、ソロで素晴らしいステージを見せた。
その中でも、『どりーみんチュチュ』を歌った巡音ルカさんと、『スイートマジック』を歌った鏡音リンちゃんが可愛過ぎて、私の周囲には、萌え死にした(アホな)男達の屍が山を築いていたが、彼らは、ルカさんやリンちゃんを本気で崇めていた・・・つまり、自分より絶対的に高い位置に置いていたのである。
普通のアイドルでも、一瞬なら、そんな気持ちにさせられることはある。
しかし、慣れてきたら、ファンは憧れのアイドルを自分と同じ位置に引きずり下ろし、やがては、見下すようになる。
それは、『二十六人の男と一人の少女』と同じだ。
だが、年を取らず、スキャンダルのないボーカロイド達は、永遠の女神でいてくれる。
コンサートで、ミクさんを見ている人々の顔を見れば分かるが、それは、出現した聖母マリアを見る人達の顔と似ているのである。
イエスも、「一度死なないと、本当に生きられない」と言ったが、ミクさん達に萌え死にした者達は、本当に生きるようになるだろう(多分・・・)。









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ココロとカラダは1つであるというお話

この数日、ひどく体調が悪かったのだが、おかげで、大切なことに気付いた。
悪寒がするので、自分では風邪だと思っていたのだが、どうもよく分からない。
それよりも、頭というより、目の奥がひどく痛かった。
昨日の土曜日も仕事だったのだが、その就業時間あたりが最も悪く、生きて帰れるかとちょっと心配だったのだが、帰りの電車の中で、不思議なほど楽になった。
明日は休みだという実感が湧いてきて、嬉しくなったのが原因だったと思う。
そんなに面白くない会社なら辞めれば良いくらいのものだが、誰も、自分の思い通りに仕事に就いたり辞めたりなどできないのだ。

いずれにしても、身体と心というものは、心身という言葉がある通り、本当に1つのものだと思う。
人間は、良い想いが浮かぶと身体の調子も良くなり、逆に、悪い想念に支配されると、身体の方もひどい状態になるのだが、私は、それが敏感に感じることが出来るようになったらしい。
そして、私は、最近、図らずも、嫌悪感や後悔といった感情に押し流され、悪しき霊を呼んでいたようなのである。
では、いつも良い想いを持っていれば良さそうなのであるが、人間は、自分の意志で立派なことを考えたり、下らないことを考えないようにすることなど、なかなか出来ないものである。
いや、想いは自分の意志とは何の関わりもなく起こるものだということを、勘の鋭い方は御存知ではないかと思う。

鏡音リンの歌『ココロ』(作詞作曲:トラボルタP )に、次のような詩があるが、まさに、心と身体が一体であることが分かるのではないだろうか?

今 動き始めた 加速する奇跡
ナゼか ナミダが 止まらナい…
ナぜ 私 震える? 加速する鼓動
こレが私の望んだ「ココロ」?

だが、今朝、気が付けば、何ヶ月も悩まされていた頭の重さや不快さが消えていた。
この数日の苦痛は、心身の強制的な調整作用だったのだ。
まだ身体の調子は悪いのに、爽やかな気分なのである。

そして、思いついて腕振り運動をしたのだが、不意に浮かんで、身体にこう頼んだ。
「完全に任せるから、調整して欲しい」
自分で腕を振っているという感覚をなるべく失くし、身体が動くに任せた。かなりおとなしい動きの腕振りだった。肩の筋肉ではなく、仙骨が動かしているように感じた。
数えていたら、500回だったが、実に至福の腕振り運動だったのだ。

自分の意思で自在に心を支配することは不可能でも、本当に美しい言葉や絵を読んだり、見たりすれば、心が調整され、それが身体も整えるはずである。
だが、重要なことは、その美しいものを、あるがままに自然に見なければならないということだ。
いかに美しいものを見ても、心が濁っていては、何の意味もない。それどころか、下手したら、逆効果にすらなりかねない。
私は、この数日の頭痛で、心が強制的に鎮められていたのだ。それで、ものごとを自然に見、行いにおいても、無心に出来るようになっていた。
その成果の1つが、上に述べた、自然な腕振り運動である。
数日前に、腕振り運動の達人の話を述べたが、彼も、「振りはじめだけは自分で振っても、後は、自動的に振られるような腕振りが良いのだ」と言っておられた。

自分でやっているという気がしない、いや、本当は、自分は何もしていないと知ることが究極である。
合氣道の達人である藤平光一さんは、昔、初めて、大勢の柔道家達を一度に相手にした時、無我夢中で動き回っていただけだと自分では思っていたが、後でビデオを見ると、見事に、相手を交わしながら次々に投げ飛ばしていたという。自分の意志でやっているのではないから、そんなことが出来たのだろう。
プロレスの前田日明さんも、マーシャルアーツ(全米プロ空手)の王者、ドン・ナカヤ・ニールセンと戦った時、序盤にニールセンの右パンチを顔に受けてから後の記憶が全く無くなっていたそうだが、名勝負を演じて勝利したことがあった。

「心身医学の父」と言われるドイツ人医師ゲオルグ・グロデックは、あらゆる病気・・・それがたとえ器質性の病気であっても、さらに、転んで怪我をするといったことですら、全てエスという、無意識の中に潜む不可思議な存在が起こすのだと断言した。
そして、エスは、心の歪みや傾向性に反応するのだ。心が純粋になれば、エスは自然で強力な生命力として、ただ身体にエネルギーを与えるに違いない。

インドには、「悟りを開いた者でなければ踊れない踊り」があるらしい。
私は見たことがないのだが、日本の舞踊の中にも、そのようなものがあるに違いない。
そして、限りなく高度な精神性による究極の踊りを見た人がいるとしたら、それは、アメリカのジョージ・アダムスキーだろう。
彼は、宇宙人の巨大な宇宙船の中で宴に参加したのだが、その中で、2人の宇宙人の絶世の美女達の、信じられないほど素晴らしい踊りを見る。彼女達は、二十歳前の少女にしか見えないが、地球の年齢でいえば、少なくとも30歳で、数百歳に達しているのかもしれなかった。彼女達の踊りは、子供のような関節や筋肉の柔軟さが無ければ不可能なものだと思えたが、それは、彼女達の純粋で高貴な精神性から来ていることは間違いがないのだ。
そして、この宇宙船の中で、アダムスキーや、この2人の女性達以外の宇宙人達に、金星の賢者が話した言葉を、アダムスキーは潜在意識に記憶し、地球に帰ってから、宇宙人達のテレパシーの助けを借りてそれを思い出し、それを『INSIDE THE SPACESHIPS』(宇宙船の内側)で詳細に再現した。その話こそ、無心に読めば、我々の心は浄化され、心だけでなく、それと本来一体である身体も、そして運命も美しいものになるだろう。
この本の翻訳は、『空飛ぶ円盤同乗記』(大沼忠弘訳、ボーダーランド文庫)、および、『新アダムスキー全集1 第2惑星からの地球訪問者』(久保田八郎訳、中央アート出版社)の2種類がある。『空飛ぶ円盤同乗記』は、世界的美術家の横尾忠則さんが、自分のバイブルであると絶賛し、彼もまた宇宙人との遭遇に導かれたことを明かしている。『新アダムスキー全集1 第2惑星からの地球訪問者』は、『INSIDE THE SPACESHIPS』の前著である『Flying Saucers Have Landed』(空飛ぶ円盤は着陸した)を同時収録してあり、それまでの経緯が分かる。いずれの本も、素晴らしい翻訳であると思う。

宇宙の美女達の踊りがどんなものか興味はあるが、私には、初音ミクのコンサートがそれであると思う。
これを偶然と言うか必然と言うのかは分からないが、ミクの踊りはまさに、子供のような関節と筋肉の柔軟さ、天使のような心の無邪気さと身体の軽さがなければ出来ない踊りを見事に実現している。
もしこれを、真に透明な目で見れば、心身は浄化され、全ては良くなるだろう。

















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生んでくれて嬉しいと思うか

世間では、「生んでくれたお父さん、お母さんに感謝しろ」と言う。特に、年を取るほど、この言い方を好むようだ。
一方、あまり世間に馴染まない若い人は、そのこと自体は悪くは思っていなくても、それを押し付けられると、「別に生んでくれって頼んだわけじゃない」と言いたくなるだろう。中には、「生んでくれて感謝しろ」などと言われて、ひどい嫌悪感を感じる者もいるはずだ。
この勝負は、八百長みたいな形で世間の勝利になっているように思われる。
どっちもどっちなのだが、いずれにせよ、誰も決着をつけていない。

まず、自分が子供を生んだなんて本当に思っていたら、傲慢なことだ。
賢い人は、子供は天からの授かりものだと思っている。
無論、誰も自分で生まれてきたのでもない。
生んだのでもなく、生まれたのでもなく、ただ誕生があっただけだ。

だが、誰もが、最も重要なことを忘れているのだ。
鏡音リンの『ココロ』という歌がある(作詞、作曲、編曲はトラボルタPさん)。
初音ミク Wiki - ココロ
簡単に詩の内容を言うと、こんな感じだ。
ある孤独な科学者がロボットを造った。
奇跡のような出来栄えのロボットだったが、科学者は、このロボットに与えようとした心を作れないまま死んでしまう。
ところが、幾百年か過ぎ、独り残されたロボットは、あの人(孤独な科学者)が私に与えようとした心が何か知りたいと思うようになる。
すると、身体が震え、涙が止まらなくなった。
そして、ロボットは言う。「私をこの世に生んでくれてありがとう」と。

仮に、そんなことがあったとしたら、ロボットに宿った心は、その科学者のものだ。
彼は(男と限定はされていないが)孤独だとあったね。だから、心のあるロボットを造りたかったのだろう。
彼の誤解は、自分が世界から切り話されていると思い込んでいたことだ。だから孤独を感じていたのだ。
それが、ロボットという別の存在に宿って、初めて、自分は身体ではなく、世界、自然、生命と分離したものでないと感じたのだ。
我々だって、それが分かった時に、浄化の涙を流す。
実のところ、私は、この『ココロ』という歌を聴くたびに涙が出てしまうのだ。

木の枝から木の葉が生えても、木は自分がそれを生んだとは思わないし、葉も自分が生まれたとは思わない。
葉は自然に生まれたのであり、それを生み出したのは生命だ。
葉の本体は木なのだ。
葉と木は別のものではない。そして、木すら、その本体はもっと大きな自然であり、自然こそが生命だ。
我々も同じで、本体は生命であり、生命と切り離されている訳ではなく、生命である自然と同じ1つのものだ。

だが、なぜか、人間という個別の生命形態にだけは心というものがある。
我々に心を与えたのは、生命そのものである、至高の一者である。
それを神とでも呼ぶなら、問題は、なぜ神が我々に心を与えたのかということは、人間には決して解らないということだ。
だが、数千年におよぶ賢者達の研究の結果、神の意図は解らないとしても、心が神のようになっていけば、大変に幸福になることだけは分かったのである。
しかし、神の性質とは、決して、世間や宗教の言うようなものではない。
そして、神の性質なんか知らなくていい。いや、知ることは出来ない。

生物は、一緒にいれば、小さい方が大きい方に似て来る。
子は親に似るし、ペットは飼い主に似る。
私は、セールスマン時代、あるスーパーセールスマンとよく一緒にいたが、外部の者がよく、私をそのスーパーセールスマンとそっくりだと言ったのだが、こんなこともよくあることだ。
聖書の『ヨブ記』には、「神と和らぎ、平和でいなさい。そうすれば幸福になる」とあるが、神と和らぐとは、やはり、親しんでいつも一緒にいるという意味だ。
そして、神と親しむとは、神のようであることだ。
賢者達は、そのやり方を教えようと苦労してきた。
荘子は、「なりゆきにまかせろ」と言い、イエスは、「神の御心にまかせよ」と言った。
まあ、そのままなのだが、人間は欲深いので、どうしてもそれが出来ないのだ。
人が、神に最も近い時がいつか知っているかね?
それは、朝、目が覚めて、思考がやってくるまでの間だ。
その感覚を保つことが、神のようであることだ。
ニサルガダッタ・マハラジは、その感覚を存在の感覚と言い、1日中、その感覚にしがみつけと言ったようだ。









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自分が消えた世界

インドの聖者ラメッシ・バルセカールが、「悟りか100万ドルのいずれでも選べるなら、100万ドルをお勧めする」と言ったらしい。
これには、実に面白い意味がある。
それはこんなものだ。
100万ドルを得れば、あなたはそれを楽しむ。しかし、悟りを得ても、それを楽しむあなたはいない。
つまり、悟りというには、自分が消えてしまうことなのだ。
だから、「悟りを得て、それを楽しんでやる」と思っても、そう思っていた自分が消えるのだから、それは叶わないという訳だ。
当然、分かり難い話だが、考えるのに良い歌がある。
鏡音リンの『炉心融解』(作詞:KUMA、作曲:iroha)という歌だ。

核融合炉にさ
飛び込んでみたら そしたら
きっと眠るように 消えていけるんだ
僕のいない朝は
今よりずっと 素晴らしくて
全ての歯車が噛み合った
きっと そんな世界だ

この歌は、自己不信や自己嫌悪に陥った繊細な少年のような心を描いているような歌であるが、不思議なことに、奇妙に清々しく、希望や憧れまで感じるのである。
だから、14歳の可憐なボーカロイドの美少女リンが歌っても、切なさはありながら、とても調和してしまうのだと思う。
早い話が、この歌の感性は誠実で自然なのだ。
自分がいなくなった世界が美しく素晴らしいというのは、哀しいことのように感じるかもしれないが、それは本当のことだ。
そして、実のところ、それは悲惨なことでも何でもない。

アメリカの哲学者アラン・ワッツも、著書『タブーの書』の中で、自分が死んだ世界を想像することを勧めている。
ワッツは、悟りというものを、訳の分からない古代からの言い方で語るのを避けながらも、現代のテクノロジや社会に通じた彼が、なんとか出来る範囲できちんと話そうとした。しかも、過度に世俗に深入りしない賢明さを持って書いたのが『タブーの書』という名著だ。
私はある時、夢の中で余命10日を宣言された。すると、自分がいなくなった世界を想像せざるを得なかったが、それは、なんと美しく、輝いた、祝福された世界なのだろうと思った。
憧れの世界、理想の世界がそこにある。

別に死ぬ必要はない。自我が消滅すればいいのだ。
だが、100万ドルを楽しむようなあなたはいない。
しかし、それが何だろう。あの美しい世界を見れば、自分がいなくなることなど、何でもない。
イエスは、「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」と言った。
つまり、それは不可能であると言うことだが、天国に入ったなら、金持ちであった誰かさんはもういないということなのだ。

尚、鏡音リンの『炉心融解』は、アメリカを含め、初音ミクのコンサートの定番で、発売されているコンサートのブルーレイ/DVDで見れる。









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本当に殺したいのは誰だろう?

他所の家の赤ん坊を見て、相好(そうごう)を崩して(顔をほころばせて)、「可愛い!」と気勢を上げる人がよくいるが、私は、そんな人をあまり信用する気になれない。
他人の赤ん坊が可愛いはずがないからだ。
早い話が、その人が嘘つきであることは確かだ。
しかし、そんなことをすることが習慣にまでなっているなら、その人は友達が多い人だ。
ユダヤの聖典タルムードに、「孤立したくなければ、他人の赤ん坊を誉めよ」と書かれて・・・いるかどうかは知らないが、書かれていても不思議はない。
特に、日本では、村八分にされたくなければ他人の子供を誉めることだということが、昔から、家の中で徹底的に叩き込まれてきたはずだ。
どういうことかと言うと、他人の子供は可愛くはないが、自分の子供ほど可愛いものはないからだ。
昔、ハンディ・ビデオのCMで、自分の小さな子供のビデオを嬉しそうに見せる父親の近くで、それを見せられる友人か親戚の大人か分からないが、辛そうに欠伸をするという、やや悪趣味なものがあった。そして、「他人の子供のビデオを見せられるほど退屈なことはない」というテロップが出る。
本当に無粋、野暮だ・・・。あまりに本当のことだが、それをはっきり言うのは本来、ご法度である。
だが、今は言わなければならない時代である。
自分の子供の自慢話を延々とするのは、昔は馬鹿な権力者と相場が決まっていた。
もちろん、今も、権力者、金持ちはそんなことをやる者が多いが、明日は没落する人達だ。聞かされる方の辛さに気付かない馬鹿は、誰にも必要とされないからだ。
だが、今は、誰もがそんなことをしようとしているのだ。

父親が野球のどこかの球団の熱狂的ファンだったり、母親が(例えばだが)宝塚に熱を上げているなら、彼らの子供はほぼ間違いなく引きこもりだろう。
無論、その父親や母親が、その趣味は自分だけのものと心得ている場合は別であるが、そんなことは稀で、弱い立場の自分の子供に対して、同調を要求するものだ。
子供としては、そうすることで、父親や母親の機嫌が良くなるので、自分も同じ気持ちであるような風を装うが、それは心を捻じ曲げられているのであり、本当に苦しいのだ。
そのうち、その苦しさも麻痺するのだが、その時は、もう修復不可能なほど、心は壊れているのである。早い話が、一生終わりである。
それは、先に述べた、他人の子供のビデオを延々見せられ、自慢話を聞かされるが、逆らえば、会社を首になるような立場であることと同じなのだ。それを抵抗も出来ず、憂さ晴らしも出来ない中でやらされたらどうなるか、考えるだに恐ろしいことだ。

初音ミクの妹分と言って良いと思うが、鏡音リンの『炉心融解』という、今の時代、洒落にならないタイトルの歌があるが、これが素晴らしい(作詞はKKUMAさん。作曲はirohaさん)。
この歌の最後が、

核融合炉にさ
飛び込んでみたら そしたら
きっと眠るように 消えていけるんだ
僕のいない朝は
今よりずっと 素晴らしくて
全ての歯車が噛み合った
きっと そんな世界だ

であるが、心が傷付いた子供のことを、これほどリアルに表現した歌はない。
鏡音リンに限らず、初音ミクにしろ、巡音ルカにしろ、彼女達の歌は、一人称が「僕」になっていることが多く、歌を創ったのが男性で、あくまで彼らの心情の歌なのであるが、それをミク達に歌わせると、実によくマッチする。アンデルセンがその典型だったが、彼らが少女のように繊細な感性を持っているからだろう。
『炉心融解』を聴くと、価値観をねじ曲げられた子供が、自分でない自分は消えてしまいたいと言っているように思えるのである。

ところで、『炉心融解』で、リンが、自分が見た夢のことを話す歌詞がある。
夢というのも、他人の夢の話ほど退屈なものはない。しかし、これを語るのは楽しいのだ。
ただ、リンの夢は、「君の首を絞める夢」「誰もみんなきえてく夢」だ。
首を絞められる「君」は、仮初(かりそめ)の自分だろうし、「誰も」というのは、複数の偽者の自分だ。
だが、偽りの自己であっても、それが消えていくのは辛いのだ。それが人間だ。
富田勲さんが、来月講演の新作交響曲に初音ミクを採用した理由は、ミクが仮初の存在だからだ。富田さんも、自分がどこか偽者っぽく感じていることは間違いないと思う。だから、彼もミクに魅かれるのだ。
我々は、苦しくても、偽者の自己を追い詰め、それを殺さなければならない。
ラマナ・マハルシが生涯かけて教え続けたのは、実にそれである。
彼に、「私は辛いのです」と言ったら、彼は必ず、「誰が辛いのかね?」と言ったものだ。
「私です」と答えたら、「その私を見つけなさい」と言うのだ。
その「私」が、首を絞められる嘘の自分、やがて、消えていくべき、本当は存在しない自分である。
スコットランドの聖者、マード・マクドナルド・ベインに降りたイエス・キリストの霊が、「自分とはいったい何か、納得するまで問え」と言ったが、ラマナ・マハルシの「私は誰か?」という究極の問いは、彼の使ったタミール語を正しく訳せば、やはり、「自分とは何か?」に近いようだ。
我々は、自分とはいったい何かを見出さねばならない。
『心身の神癒』は、Amazonで在庫が無いことが多いが、今は珍しく多数在庫されている。著者のマード・マクドナルド・ベインの本を何冊か読んだが、信用のおける聖者だ。彼は、イエスに会ったこともある。福音書のイエスの言葉には齟齬があるかもしれないが、ベインを通して語るイエスの言葉は、慎重に記述されており、現代的だ。少し高いが、良ければ読むことをお奨めする。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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