ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

鈴木清一

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

難しい選択をどう行うか

人間は、平常なだけの生活では、心からの満足は得られない。
「今ある恵に感謝」とか「生きているだけで丸儲け」という考え方の良さも認めながら、やはり、面白いことが起こって欲しいのである。
そして、揺らぎは必ず起こる。
ゲームで言うクエスト(ミッション)のようなもので、ゲーム(人生)そのものに影響するかどうかは分からない、ちょっとした冒険とか、遊びに誘うような出来事である。
それに乗るか乗らないかは自由だし、実際、乗らない方が良いものもあり、それに乗ったために、悪い方に行くこともある。

そんな冒険の入り口が見えた時に、どうするかで人生が大きく動くことがある。
これに関し、ダスキン創業者の鈴木清一と、芸術家の岡本太郎が、似たことを言っている。
鈴木清一は、「損な道を行く」で、岡本太郎は、「破滅の道を迷わず選ぶ」である。
普通は、得な道を行き、破滅への道は避けるものである。
私は、その言葉を裏付けるような、岡本太郎の逸話を憶えている。
岡本太郎は、戦争前にフランス留学をしていたことが、軍部に悪い意味で目を付けられたのか、30歳にもなって、18歳くらいの若者達と共に、二等兵(最下級の兵隊)として、中国に送られた。
そして、軍の上官にはロクでもない者が沢山いて、夜中に二等兵達を一人ずつ、自分の部屋に呼び出し、しごきとして殴るということがよくあったらしい。まあ、歪んだ楽しみだろう。
そして、1人の上官に関しては、4人目が一番調子が出る・・・つまり、パンチの威力が最高になるらしい。
そこで、誰も4番目になりたくないが、岡本太郎は、必ず4番目に行ったという。
鈴木清一の損な道も、同じようなものだろう。

別に、岡本太郎や鈴木清一の真似をする必要はないが、何かの道が開いた時、「これは得だ」と思ったら、ちょっと疑うくらいのことはした方が良い。
大抵、ロクな道ではないから。
無論、嫌な道を選ぶ必要もあるまい。
人によっては「面白そうな道を選べ」と言うが、そう言われたら、つい、楽そうな道、得そうな道を選んでしまうものだ。
何より、普通の人は「安全な道」を選ぶが、それはもう奴隷の道で、日本では、もうずっと前から、若者が安全な道を選ぶようになってしまい、日本がすっかり駄目になった。

森の中に、2本の道があり、一方は森から出る道で、もう一方は、深い森に迷い込んでしまう道である。
そんな時、どうやって道を選べば良いだろう。
岡本太郎なら、「よし、深い森に行ってやる。右に行こう。右が深い森に行く道であれば良い」と思い、颯爽と歩き出すことだろう。
まあ、そう思っていけば、本当に深い森に行っても後悔はすまい(笑)。
親が選びそうな道の反対を選ぶというのも良い方法だ。普通は、親の選択は大抵間違っているからだ(笑)。

ヒントになる良い話がある。
1990年代のことだが、当時、マイクロソフト社長だったビル・ゲイツは、社長室に5日間こもって、ある難題について考えていた。
それは、「インターネットを無視するか、あるいは、インターネットを重視するか」である。
当時は、インターネットはパソコンオタクの趣味のようなものと思われていて、そんなに発展するとは思われていなかったのだ。
5日間考え、ゲイツの考えは決まった。
インターネットは、やはり、大したものではない。マイクロソフトは、インターネットとは別の道を行く。
ゲイツは、社長室から出ると、全社に号令した。
「我々は、全面的にインターネットに適応する」
これは空想だが、多分、当たっている(笑)。

普段、「神様の奇跡が起こる」と唱えていると、右を選んだ途端、黒猫が横切ったりして、「ああ、左だ」とぱっと思うものである。
ゲイツも、「インターネットを無視する」と言いかけた途端、愛用のペンが落っこちたのかもしれない。








神の力を持つ人達の行いとは

世間や人間を超える力を手にする方法について、簡単な題材を使って、共に考えたい。

時代劇小説『木枯し紋次郎』の中のお話だが、この作品自体は知らなくても問題はない。
江戸末期の渡世人(戸籍がない流れ者)である紋次郎は、ある時、見知らぬ男に50両の大金を押し付けられる。
男は紋次郎に、これを、遠くにいる女房に届けてくれと頼み、女房の居る場所と名前を告げると、そこから飛び出したが、男はその直後に殺された。
男は、自分が殺されることを覚悟し、たまたまそこにいた紋次郎に頼んだのだろう。
紋次郎は、その金を持って長い旅をし、あの男の女房を見つけた。
しかし、彼女は、あるヤクザの親分の女になっていて、いい身分に収まっていた。
そして、その女は、殺された夫を「甲斐性なしの駄目男」と馬鹿にしていた。
だが、紋次郎は50両をそっくり女に渡し、すっかり崩れた人間に成り下がっているその女に、「あんたも馬鹿だねえ」と嘲られながら、黙ってその場を去った。

紋次郎は、決して善人でもお人よしでもない。
目の前で女が殺されようとしていようが、小娘がヤクザに連れ去られようとしていようが、「あっしに関わりにないこと」と見捨てるのが常だった。
(そんな出来事はザラなので、いちいち関わっていたら命がいくつあっても足りないからである)
また、人の頼みごとも、義理がない限り、決して引き受けない。
しかし、上のように、無理矢理頼まれたことでも、頼んだ者が死んだ場合のように、断りを言えなかった場合や、どんなに些細でも相手に義理や恩義がある場合、または、どんなに気が進まなくても、なりゆきで引き受けてしまった場合は、命に代えても、約束を守るのである。
まとめて言えば、滅多なことで約束はしないが、いったん約束をすれば、いかに道理に合わなくても、死んでもその約束を果たすのだ。

普通の人はそうではない。
簡単に約束をするが、自分に都合が悪くなれば、それを平気で破る。
そして、約束を破ったことに関して、自分には非がない・・・仕方がなかったか、道理に合わないことであったと主張する。つまり、言い訳する。
しかし、紋次郎は、「あっしに言い訳なんざ、ござんせん」が口癖であるほどに、どれほどまずい状況になろうが、決して言い訳をしない。

紋次郎は、なぜ、そんなことをするのだろう?
言っておくが、紋次郎は、いかなる信仰も持っていない。
この世でただ一人、彼が慕っていた、死んだ彼の姉の墓に、年に一度お参りをする時だけは、手を合わせるが、神仏に何かを頼むことは一切ない。
神仏の目を気にしている訳では決してないのだ。

ここで思い出すのが、ダスキンの有名な経営理念である、「自分に対しては、損と得とあらば損の道をゆくこと」だ。
これは、ダスキン創業者、鈴木清一氏の誓いであったようだ。
現在の経営者が、紋次郎のようであれば、会社は危うからずである。
しかし、そうでないのに、この言葉を標榜し続けるなら、近く会社が傾くか、実際はすでにそうなっているだろうし、経営者の家族は悲惨なことになっているだろう。

我々も同じである。
いかなるテクニックや知識、経験、人間関係といった、世間的、人間的な力をはるかに超えるのが、上の「紋次郎イズム」である(紋次郎は、そんな言い方は毛嫌いするだろうが)。
なぜなら、これが神になる唯一の道であるからだ。
尚、紋次郎は、どれほど危機的な状況にある人が目の前にいて、自分に助ける力があっても、「あっしには関わり合いのないことにござんす」と言って、決して手を差し伸べようとはしない。
しかし、結局は関わることになってしまう。
また、反射的に助けてしまうことも多い。
宇宙とは、そのようなものであるからだ。
つまり、関わるべきことは、嫌でも関わることになるのだ。
その中で、紋次郎のように振舞うなら、運命がそうなっていれば、ダスキンのような会社を創ることにもなるだろう。
そんな会社は、神が経営するのだから、困難はあるにしても、必ず勝ち続けるだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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