ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

鈴木三重吉

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

子供向けのものが最高傑作になる

アメリカ人のポール.J.マイヤーという人が開発したSMIという自己開発プログラムがある。
録音された朗読を聞く形式で、昔はアナログ・レコード、そして、テープ、CDと変化してきた。
かなり高価であり、有名な経営者が広く愛用していたし、今もしているのだと思う。
私の知人だった(故人)、私よりずっと年長の事業家も、SMIの愛用者だったが、ある時、面白いことがあった。
その事業家が、子供向けのSMIを購入したのであるが、彼は、「私はこれを聞き、他はもう何もいらないと思った」と言うのである。
つまり、大人向けのSMIより良いという意味と思う。

子供向けに作ったものが、予期せぬ傑作になることがある。
例えば、鈴木三重吉は『古事記』を子供向けにした『古事記物語』を1920年(大正9年)に出したが、これが今でもロングセラーを続け、大人にも愛読されている。
易しい言葉使いでありながら、気品がある素晴らしい文章であると思う。
また、『古事記』の冒頭の神の名や、イザナギ、イザナミが作った国々の名前は、重要ではあるが、それを延々と書かれると、そこで挫折する大人もいると思うが、この『古事記物語』では、そうならないよう配慮されている。
余計な部分を除いたことで、本質が見え易い。
何よりも、子供に対する細やかで親切な気遣いが、この『古事記物語』を素晴らしい傑作にしたのだと私は思う。

子供向けの場合、自ずと、高度な思考力を要求しない文章になるが、それにより、著者の方も余計な我の考えを持ち込まないことが、結果、自然に良いものになるのだと思う。
デカルトは『方法序説』を、12歳の子供でも理解出来るように書いたというが、おそらく、日本語の翻訳が難し過ぎるのだろう。すっかり難解になってしまい、本来の『方法序説』の良さを失ってしまっているのではないかと思う。
とはいえ、元が良いので、なるべく易しい訳のものを読めば得るものがあると思う。
(下に、英訳からの翻訳(元はフランス語)のものを紹介するが、これが分かり易くて良いと思う)
美少女は、元が良いので下手な化粧やお洒落をしても、やはり良いのと同じである(笑)。

時々、「せっかく良い本なのに、こんなに難しく書いては、読もうとしない人が多いし、読んでも誤解される」と思う本がある。
本当に賢い人は、分かり易く言ったり書いたりするものである。
もちろん、利益のために、中身のない・・・それどころか大嘘でありながら、面白くて分かり易い話をする者が多いのは確かにけしからんが、思いやりを持って易しい表現をすることは大切と思う。

ところで、真言という、唱えれば、災難を遠ざけ、幸運を引き寄せる言葉があるが、子供には、どんな真言を教えれば良いだろう?
私の愛用の阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」や、観世音菩薩真言「オン、アロリキャ、ソワカ」では、ちょっと覚え難いかもしれない。
「南無阿弥陀仏」は良いのだが、現代では葬式臭過ぎるし(笑)。
私は、子供の時、なぜか「ナムサン(南無三)」という言葉をよく使っていた。何かの漫画の影響かもしれない。
アニメの『一休さん』の一休もよく使っていたようだが、私は、それは知らない。
「南無三」とは、Wikipediaによれば、
「仏教で南無三宝(なむさんぽう)の略。三宝とは仏、法、僧のこと。咄嗟の危難に対して助けを乞うまじないとして使用されることもある。」
という意味らしいが、私は、そんな意味は全く知らなかった。
しかし、効果は抜群だったので愛用していたし、「これがあれば大丈夫」という心の支えにはなったと思う。
(梶原一騎氏原作の、キックボクサー沢村忠氏の伝記漫画『キック魂』で、沢村忠氏がよく「南無三」と言う)
「サムハラ」という言葉も霊験あらたかであるらしい。
「サムハラ」とは、「サンバラ」や「シャンバラ」という言葉から来ているとも言われるが、誰もよく分からないようだ。
また、やはり私が子供の時、私の一学年下で小学5年生の、今思えば天使のような美少女が、「アマテラス」という言葉を頭の中で言うのだと教えてくれたことがあるが、「俺には勿体なくて使えない」と思ったものである(笑)。








頭を良くする本当に優れた方法は絶対に商売にできない

戦後最大の天才の一人である手塚治虫さんの漫画作品は、特に昔は「漫画は低俗なもの」という観念が一般的にあり(捏造された観念なのだが)、多くの人達が読まず仕舞いで過ぎている。現在でも手塚さんの作品の大半は出版されてはいるが、今は、刺激的なだけの最新作品が商目的で強力に宣伝され、手塚さんの作品が顧みられることはない。残念と言うよりは滑稽と思う。
手塚さんの作品は、想像力の宝庫で、これを読んだ人達は、本物の優れた創造性を持つことができたのである。一方、国家が学校を通して薦める小説作品等は、子供達を表面的で愚鈍な人間にしている。
手塚さんの作品の中でも特に優れたものに『ザ・クレーター』という短編集がある。この中の1つのお話だが、地球侵略の意図を持って地球にやって来た宇宙人が、ある目的のために、知的障害の男の子を、彼らの科学の力で高度な知性を与えるというものがあった。
ほとんどの人々は、知性というものは生まれつきのものだと思い込んでいて、そのようなことは全く空想的と思うのかもしれない。いや、それよりも、普通の人は知性そのものに大した関心を持っていないのだ。
しかし、頭を良くする方法なんていくらでもあるし、それは簡単にできるので、やれば良いのだが、誰もそんなことをせず、やり方を知らないし興味もないのだ。
ところが、幼児教育、英才教育といった、むしろ子供の頭脳や想像力を破壊するものに血道を上げたり、やはり多くの場合は子供を歪めることの多い、お稽古事や学習塾に行かせ、やがて、試験の成績や受験というラット(どぶねずみ)レース(rat raceで「愚かな競争」)を強制して、子供の一生を馬鹿げたものにしてしまうのだ。

頭脳は、脳細胞を活性化させたり、神経の機能や動的な構造を向上させることで、IQのようなものを打ち上げ花火のごとく高めることはできる。
そのために、手塚さんの『ザ・クレーター』のあの宇宙人達のように(無論、あれはあくまでジョークの部分が大きいのだが)、テクノロジを使うこともできるかもしれない。
しかし、そんなものを使わなくても、方法はいくらでもある。
それこそ、神経叢(簡単に言えば神経が密に集まった部分)の内、体表にあって刺激できるもので、特に頭やその近くにあるものを刺激するだけでも効果がある。
例えば、頭の頂上を指で適度な力で押さえたり、コメカミや耳の上の部分を中指で押さえながらぐるぐる回して刺激したり、延髄を左右から指で押さえて刺激したりである。目を使う作業で疲れた時は、上のことをやるとすっきりするが、これらは、頭脳の力そのものも向上させる。
また、密教的に伝わるような呼吸法や、マントラと呼ばれる言葉を声に出して、あるいは、心の中で繰り返すことも、正しくやれば優れた効果があり、実際、スーパーラーニングや加速学習と呼ばれる方法では、それらを研究して取り入れていたが、それらの誤った適用をした商的製品や教育サービスもあって誤解されたり、そもそも、やはり、基本的に一般人はそんなものに興味を持たない。
頭を良くする方法なんて、別に特殊なことではなく、昔は当たり前に行われていたのだ。特殊な方法であるなら、それは間違いであり、「うちの方法は特別です」などという教育サービスがあれば絶対に避けなければならない。本物の知性向上方法というのは、決して商売にならない性質のものであることを、しっかり認識していただきたい。
美しい文章を音読することも、知性向上に著しい効果があるが、そんなことをするのに教材やお金のかかるものなど必要なはずがない。例えば、明治から昭和初期の優れた児童文学者である鈴木三重吉の超ロングセラーである『古事記物語』という、格調高く、品格ある美しい文章を、音読あるいは黙読すれば良い。
他にも、素晴らしい作品はいくらでもあるだろう。
また、大昔から、聖賢達は、神の名を言葉や心で数多く繰り返すことを薦めているが、その最も重要な霊的な意味を別にしてすら、神の名は、その民族の感覚あるいはDNA構造において、最も優れた望ましい影響を与えるように創られているのである。その方法こそ、人間を向上させる最高の方法であるが、私はいつもそれをご紹介しているのである。もちろん、完全無料である。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

日本の宝典、古事記に馴染むには

古事記は聖書やマハーバーラタ、ヴェーダ、タルムード、易経などを凌ぐものである。
だが、石ノ森章太郎さんが、古事記の上巻のみ漫画にした際、「古事記は漫画である。特に上巻が漫画っぽい」と述べており、確かに、古事記は、表向きは荒唐無稽なおとぎ話である。
ただ、石ノ森章太郎さんが漫画だというからには、何か素晴らしいものを秘めていることも感じていたのだろう。
世間的には、「漫画だ」と言ったら蔑みかもしれないが、石ノ森さんがそう言うのは誉め言葉だ。

優れた霊覚者の方々が古事記の深い意味を教えている書物もある。
その中で、谷口雅春さんの『古事記と日本国の世界的使命』には感服したものだ。谷口さんの、1900万部を超えるロングセラー『生命の実相』の神道篇だったらしいが、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により発禁処分とされたらしい。まあ、読めば、それも仕方がないと思う。
ただ、本当に素晴らしい本なのだが、谷口さんの親切過ぎる性格のためだろうか、1つ良いことを言った後に2つ3つ、余計なことを言っているように思うことが多いのである。
また、この本の中に、GHQ(というよりはアメリカ)による発禁とされた原因と思われる、「未来において、天皇陛下が世界に号令を発するようになる」などという部分は、日本人でも受け入れられないかもしれないが、これは霊的な意味であろう。2千年近く続く王室、皇室など世界に例を見ないが、我が国の皇室には、それだけのものがあるのである。
私は、谷口さんは、発禁となることを承知で、このような書き方をしたように思うのである。
書かれてから、六十数年を経た平成二十年出版ということに意味があるのだと思う。
春日大社の宮司をされていた、世界最高の形成外科医でもあった葉室頼昭さんも、当然かもしれないが古事記を読むことを奨めておられたようで、彼の著書にも古事記を解説したものがあるが、彼は谷口さんの著書の影響がかなりあるのだろうと思う。

特に古事記の解説書と言う訳ではないのだが、古事記の真意を述べた最高の書は、合気道の創始者である植芝盛平の講和を口述した『武産合氣(たけむすあいき)』と思う。
私は、この書を10年以上前に入手していたのだが、最近まで、さっぱり歯が立たなかった。意味が全く分からず、ただ文字の上を目が追っているだけの状態であった。
しかし、数年前、関英男博士の『心は宇宙の鏡-いま見えてきた「グラヴィトン」の時代』で、共著者の佐々木の将人(まさんど)さんを知り、佐々木の将人さんが合気道の達人で神道家なのだが、植芝盛平の弟子だったと知った。そして、将人さんの『数霊のメッセージ』を読むと、『武産合氣』に書かれたことが、普通の人でも分かるように易しく書いてあった。
また、古事記も何冊か読んで多少理解したこともあり、最近は、『武産合氣』を読むと、一応はよく分かるのである。
ただ、そうなると、やはり、自分で古事記をしっかり読むことが大切であると感じるのである。

古事記は、日本の宝典であるのだが、まさに言霊による理解が必要であり、そうでなければ、ただの漫画にしか思えない。しかし、分かってくれば、この書のあらゆるところから霊感が現れてくる。
まずは、古事記に馴染むことが大切であるが、それは、子供の頃からであれば何よりだろう。
子供にも読める古事記の名著が2つある。
共に『古事記物語』というタイトルであるが、鈴木三重吉のものと、福永武彦のものである。
鈴木三重吉は1882年生まれで、福永武彦は1918年生まれである。
鈴木三重吉の古事記物語は1920年に出ているようである。
福永武彦のものは1957年初版である。
福永武彦には、大人向けの現代語訳古事記もあり、ロングセラーとなっている。
小説としての面白さは、福永さんの方がある。福永さんは天才的な作家で、文章のリズムが素晴らしい。大人用の現代語訳古事記を見ても、古事記をこれほど楽しく読めるように書ける人はいないだろう。無論、面白いだけでなく、魂のこもった、そして、善意に満ちたものである。
しかし、児童文学者でもある鈴木さんの、格調高い文章が実に素晴らしいのである。この美しい文章で古事記に馴染んだ子供は実に幸運と思う。
共に、大人が読んでも十分に良いものである。
まずは、これらの書で古事記に馴染むのが良いと思う。
この2冊もまた、日本の宝であり、永遠に出版され続けるだろう。出版が止まるなら、日本の終りである。

















↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード