アメリカ人のポール.J.マイヤーという人が開発したSMIという自己開発プログラムがある。
録音された朗読を聞く形式で、昔はアナログ・レコード、そして、テープ、CDと変化してきた。
かなり高価であり、有名な経営者が広く愛用していたし、今もしているのだと思う。
私の知人だった(故人)、私よりずっと年長の事業家も、SMIの愛用者だったが、ある時、面白いことがあった。
その事業家が、子供向けのSMIを購入したのであるが、彼は、「私はこれを聞き、他はもう何もいらないと思った」と言うのである。
つまり、大人向けのSMIより良いという意味と思う。
子供向けに作ったものが、予期せぬ傑作になることがある。
例えば、鈴木三重吉は『古事記』を子供向けにした『古事記物語』を1920年(大正9年)に出したが、これが今でもロングセラーを続け、大人にも愛読されている。
易しい言葉使いでありながら、気品がある素晴らしい文章であると思う。
また、『古事記』の冒頭の神の名や、イザナギ、イザナミが作った国々の名前は、重要ではあるが、それを延々と書かれると、そこで挫折する大人もいると思うが、この『古事記物語』では、そうならないよう配慮されている。
余計な部分を除いたことで、本質が見え易い。
何よりも、子供に対する細やかで親切な気遣いが、この『古事記物語』を素晴らしい傑作にしたのだと私は思う。
子供向けの場合、自ずと、高度な思考力を要求しない文章になるが、それにより、著者の方も余計な我の考えを持ち込まないことが、結果、自然に良いものになるのだと思う。
デカルトは『方法序説』を、12歳の子供でも理解出来るように書いたというが、おそらく、日本語の翻訳が難し過ぎるのだろう。すっかり難解になってしまい、本来の『方法序説』の良さを失ってしまっているのではないかと思う。
とはいえ、元が良いので、なるべく易しい訳のものを読めば得るものがあると思う。
(下に、英訳からの翻訳(元はフランス語)のものを紹介するが、これが分かり易くて良いと思う)
美少女は、元が良いので下手な化粧やお洒落をしても、やはり良いのと同じである(笑)。
時々、「せっかく良い本なのに、こんなに難しく書いては、読もうとしない人が多いし、読んでも誤解される」と思う本がある。
本当に賢い人は、分かり易く言ったり書いたりするものである。
もちろん、利益のために、中身のない・・・それどころか大嘘でありながら、面白くて分かり易い話をする者が多いのは確かにけしからんが、思いやりを持って易しい表現をすることは大切と思う。
ところで、真言という、唱えれば、災難を遠ざけ、幸運を引き寄せる言葉があるが、子供には、どんな真言を教えれば良いだろう?
私の愛用の阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」や、観世音菩薩真言「オン、アロリキャ、ソワカ」では、ちょっと覚え難いかもしれない。
「南無阿弥陀仏」は良いのだが、現代では葬式臭過ぎるし(笑)。
私は、子供の時、なぜか「ナムサン(南無三)」という言葉をよく使っていた。何かの漫画の影響かもしれない。
アニメの『一休さん』の一休もよく使っていたようだが、私は、それは知らない。
「南無三」とは、Wikipediaによれば、
「仏教で南無三宝(なむさんぽう)の略。三宝とは仏、法、僧のこと。咄嗟の危難に対して助けを乞うまじないとして使用されることもある。」
という意味らしいが、私は、そんな意味は全く知らなかった。
しかし、効果は抜群だったので愛用していたし、「これがあれば大丈夫」という心の支えにはなったと思う。
(梶原一騎氏原作の、キックボクサー沢村忠氏の伝記漫画『キック魂』で、沢村忠氏がよく「南無三」と言う)
「サムハラ」という言葉も霊験あらたかであるらしい。
「サムハラ」とは、「サンバラ」や「シャンバラ」という言葉から来ているとも言われるが、誰もよく分からないようだ。
また、やはり私が子供の時、私の一学年下で小学5年生の、今思えば天使のような美少女が、「アマテラス」という言葉を頭の中で言うのだと教えてくれたことがあるが、「俺には勿体なくて使えない」と思ったものである(笑)。
録音された朗読を聞く形式で、昔はアナログ・レコード、そして、テープ、CDと変化してきた。
かなり高価であり、有名な経営者が広く愛用していたし、今もしているのだと思う。
私の知人だった(故人)、私よりずっと年長の事業家も、SMIの愛用者だったが、ある時、面白いことがあった。
その事業家が、子供向けのSMIを購入したのであるが、彼は、「私はこれを聞き、他はもう何もいらないと思った」と言うのである。
つまり、大人向けのSMIより良いという意味と思う。
子供向けに作ったものが、予期せぬ傑作になることがある。
例えば、鈴木三重吉は『古事記』を子供向けにした『古事記物語』を1920年(大正9年)に出したが、これが今でもロングセラーを続け、大人にも愛読されている。
易しい言葉使いでありながら、気品がある素晴らしい文章であると思う。
また、『古事記』の冒頭の神の名や、イザナギ、イザナミが作った国々の名前は、重要ではあるが、それを延々と書かれると、そこで挫折する大人もいると思うが、この『古事記物語』では、そうならないよう配慮されている。
余計な部分を除いたことで、本質が見え易い。
何よりも、子供に対する細やかで親切な気遣いが、この『古事記物語』を素晴らしい傑作にしたのだと私は思う。
子供向けの場合、自ずと、高度な思考力を要求しない文章になるが、それにより、著者の方も余計な我の考えを持ち込まないことが、結果、自然に良いものになるのだと思う。
デカルトは『方法序説』を、12歳の子供でも理解出来るように書いたというが、おそらく、日本語の翻訳が難し過ぎるのだろう。すっかり難解になってしまい、本来の『方法序説』の良さを失ってしまっているのではないかと思う。
とはいえ、元が良いので、なるべく易しい訳のものを読めば得るものがあると思う。
(下に、英訳からの翻訳(元はフランス語)のものを紹介するが、これが分かり易くて良いと思う)
美少女は、元が良いので下手な化粧やお洒落をしても、やはり良いのと同じである(笑)。
時々、「せっかく良い本なのに、こんなに難しく書いては、読もうとしない人が多いし、読んでも誤解される」と思う本がある。
本当に賢い人は、分かり易く言ったり書いたりするものである。
もちろん、利益のために、中身のない・・・それどころか大嘘でありながら、面白くて分かり易い話をする者が多いのは確かにけしからんが、思いやりを持って易しい表現をすることは大切と思う。
ところで、真言という、唱えれば、災難を遠ざけ、幸運を引き寄せる言葉があるが、子供には、どんな真言を教えれば良いだろう?
私の愛用の阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」や、観世音菩薩真言「オン、アロリキャ、ソワカ」では、ちょっと覚え難いかもしれない。
「南無阿弥陀仏」は良いのだが、現代では葬式臭過ぎるし(笑)。
私は、子供の時、なぜか「ナムサン(南無三)」という言葉をよく使っていた。何かの漫画の影響かもしれない。
アニメの『一休さん』の一休もよく使っていたようだが、私は、それは知らない。
「南無三」とは、Wikipediaによれば、
「仏教で南無三宝(なむさんぽう)の略。三宝とは仏、法、僧のこと。咄嗟の危難に対して助けを乞うまじないとして使用されることもある。」
という意味らしいが、私は、そんな意味は全く知らなかった。
しかし、効果は抜群だったので愛用していたし、「これがあれば大丈夫」という心の支えにはなったと思う。
(梶原一騎氏原作の、キックボクサー沢村忠氏の伝記漫画『キック魂』で、沢村忠氏がよく「南無三」と言う)
「サムハラ」という言葉も霊験あらたかであるらしい。
「サムハラ」とは、「サンバラ」や「シャンバラ」という言葉から来ているとも言われるが、誰もよく分からないようだ。
また、やはり私が子供の時、私の一学年下で小学5年生の、今思えば天使のような美少女が、「アマテラス」という言葉を頭の中で言うのだと教えてくれたことがあるが、「俺には勿体なくて使えない」と思ったものである(笑)。