ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

鈍感力

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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想念を消す自然な方法

思考を消せば、なぜかは分からないが、いろんな意味で良い状態になるとか幸福になるということについては、実は、多くの人が気付いている。
だから、渡辺淳一さんの『鈍感力』や、草薙龍瞬さんの『反応しない練習』といった本がベストセラーになるのだと思う。
これらの本は、タイトルから見れば、外部の出来事に対し、不要な思考や感情を働かせないことの重要さを説いているのだと思うが、逆に言えば、人々は、無用な思考や感情に苦しんでいるのである。
だが、本一冊の内容となると、実践は難しいだろう。
YouTubeでも、「思考を消す方法」みたいなものは多いが、試しに見てみたら、多くの動画は、最初の数十秒見るだけで、「難しい。出来ない」と分かるように思う。
だからといって、あまりに安直な方法も良くない。
思考や感情を消したいという願望は、アルコール飲料や覚醒剤の愛好者の多さからも分かるが、これらは、一時的な効果しかないばかりか、これらのものを過度に摂取したり、習慣化すれば、思考や感情の支配力が低下し、余計に苦しむことになる可能性が高いことは言うまでもないと思う。

尚、上で「思考や感情」という表現をし、「思考」と「感情」を別物としたし、一般的にもそう思われているが、これらはお互いを誘発し合うし、根っこは同じなのである。
これらをまとめて「想念」と言った方が的確だと思う。
消す目標は想念で、想念を消せば、引き寄せも万能であり、だから、昔から、密教的な教えなどでは、「無になれば不可能はなくなる」と言われているのである。

また、昔から、想念を起こさない言葉の響きというものが考えられ、近年では、科学的にも研究されている。
それは、民族や育ちといったもので異なるように思われるが、案外に共通する場合が多い。
たとえば、心理学の研究から、「ナ・ダーム」という言葉が作られ、心の中で「ナ」と唱えながら短く吸い。「ダーム」で長く吐くと想念がなくなっていき、元気になるのを簡単に感じらfれる。
呼吸と心もお互い影響し合うので、呼吸法と組み合わせることで効果が高まるのである。
これだけでも、丹念に実践すれば、かなりの効果がある。

研究の詳細は忘れたが、薄目で見ることで想念が微かになることも分かっている。
有名な画家のムンクは、そのことを直観的に知っていて、よく利用していた。
彼の初期の傑作『病める子』は、神秘的な雰囲気があるだけでなく、病気の少女の横顔に驚くべき高貴な輝きを感じるのだが、この絵は、ムンクの薄目の視界を描いたものなのだ。

他にも、胸に手を当てる(片手でも良いが両手の方が効果が高い)、また、特に他人に対しては、額や頭頂に手のひらを当てることでも、当てられた人の想念は弱くなる。
好きな人に頭を撫でられると嬉しいのは、実のところ、想念が消えるからだ。

ぼーっとすることで想念を弱くする、あるいは、消してしまえる者は、クリエイティブな職業もだが、一流の科学者やスポーツ選手、あるいは、武道家にも多いのである。
アインシュタインなどがそうだと思うが、天才というのは、鋭いと言うよりは、どこかぼーっとした雰囲気がある場合が多いのではないかと思う。
学校でぼーっとしている生徒は教師に怒られるが、そんな生徒の中には天才がいるかもしれないのである。

そして、最も重要なことは、「想念を消せば楽しい」「想念を消せば気分が良い」「想念を消せば新しい世界が広がる」ということを覚えておくことである。
余計なことかもしれないが、特定の考え方をすれば「楽しい」「気分が良い」「新しい世界が広がる」とそそのかすのは宗教である。学校も国家も会社も、程度の違いはあれ、宗教なのである。








洗脳を脱する公式

若い神経質な人が多いが、若くて神経質な人は、特定のことに関して神経質であるだけで、大方のことに関しては案外に受容性が高いというか、鈍感に見える。
歳を取ると神経質は治るものだが、現代では、逆に、歳を取るほど、あらゆることに対し神経質に見える人が多くなっている。
本来は、歳を取れば人間は鷹揚(鷹が飛ぶようにゆったりしている様)になる。
なぜかというと、自分には世界を動かす力がないことを思い知っているからだ。
お金や権力がある人はそうではないと思うかもしれないが、逆である。お金や権力がある人ほど、この世はままならないことを痛感するものなのである。
だから、金持ちの老人の中には、せめて小さなことは自分の思い通りにしたくて、どうでもいいことにこだわる偏屈じいさんやばあさんになってしまう人がよくいる。

だが、結局のところ、重要でないことに関しては、受容性が高く鷹揚であることで、ものごとはうまくいき、幸福感が得られる。
だから、自分が下らないことに血道を上げていることに気付き、それをやめようと思い、本当にやめてしまったら、まるで宇宙が親切になったかのように感じるが、本当は、宇宙は元々親切であり、ただ、こだわらないことで、宇宙の親切を受け入れることが出来るようになるだけなのだ。
政治家は、政治のことだけではなく、いわゆるしがらみに関することも重要な仕事と心得ているが、しがらみの部分に力を入れ過ぎると、肝心の政治のことが出来ない。そんな政治家は、結局のところ失敗するのである。そんなもの(しがらみに関すること)を、きれいさっぱり捨ててしまえば成功するのに、それが命綱だと思い込んでしまっている政治家が多いのである。まあ、そう思い込ませたがる者達がいるからという面はある。
だが、政治家でない我々も同じである。
コックが料理にこだわるのは良いが、その他のどうでも良いことばかりにこだわるようになれば、料理人としても終わりである。

渡部純一さんの『鈍感力』なんて本がベストセラーになり、ロングセラーを続けているが、正直、あんなことをいちいち本にする必要がある世の中は衰退しているのであり、実際、日本は衰退する一方らしい。
本当に大切なこと以外は、「鈍感」に見えるほど、受容性が高く鷹揚になれば、効率は千倍になる。
いや、本当の実力者というものは、大切なことに関してすら、あまりこだわらない。
自分の力など、たかが知れていることを知っているからだ。
とはいえ、何でも神まかせにして現実を見ようとしない者は、何をやっても駄目であるが、こんな者も多くなってしまった。
「がんばらなければ成功する」と言う者がいて、それは正しい面もあるのだが、ものごとを放置することとがんばらないことは違う。

こういった複雑なことを、シンプルな公式にまとめることが出来れば便利と思う。
そういったものを極意とか言うのだろう。
極意が分からないと、いくら努力し、こだわりを捨て、引き寄せの法則を学んでも、何も良いことがない。
そして、その公式とは、結局のところ「モラル」なのである。
モラルとは、放埓(勝手気まま)に振る舞わないこと、つまり、自分で自分に制約を課すこと・・・もっと簡単に言えば、衝動的な欲望を必要なだけ抑えることだ。
そのために、3つ食べられるところを2つにする訓練が非常に有効だから、江戸時代の観想家、水野南北は、「人生の盛衰は、ただ食の慎みの1つによる」という単純な公式を提示したのである。
ただ、水野南北の教えを商売にする者は、さじ加減を考えず、とにかく、少食・粗食にすればいいんだとして、言い過ぎ、やり過ぎになる。ひどいのになると、他人には慎みを説くが、自分には甘かったり、慎みが全くないということすらある。
良い教えを商売にしてはならない。
食に関しては、ただ、「満腹するまで食べて自分を甘やかなさい」ようであれば良い。
食と並ぶ衝動的な欲望である性が乱れるのは、栄養過剰な文明国の宿命であるが、それを制約出来れば、必ず成功する。しかし、ナポレオン・ヒルも言っていたように、40歳前で成功する人は少なく、時代が進むごとにそうなり、現在の日本は、ここらが崩壊しているので何も発展しないように思える。
神は、人間が自己に加えた制約の倍の力を与えて、世界を闊歩させる。
これと反対のことを民衆の頭に叩き込んだのが闇の支配者であるが、この正しい公式を覚えておけば、悪い洗脳を脱することが出来るのである。








文句を言わない練習

草薙龍瞬氏の『反応しない練習』というベストセラーがある。
タイトルが良い。
心が余計な反応をしなければ平和だ。
小泉純一郎氏が首相時代に薦めていた、渡辺淳一氏の『鈍感力』も同じ趣旨の本である。

ところが、私は昔、『鈍感力』を途中まで読んで投げ出し、『反応しない練習』は、Kindle版のサンプルをダウンロードして少し読んだところで、読む意欲を失った。
両方、ややこし過ぎて、成果を得るには時間がかかり過ぎるし、おそらく、ほとんどの人には役に立たない。
特に、『反応しない練習』は、続編や、さらにその続編のようなものが次々に出ているが、それはつまり、効果が出そうで出ないからだ。
さらには、別の著者による類書まで沢山ある。
それは、こういったことは、理屈でやろうとしたって駄目ってことだ。

人間の不幸な反応、不幸な敏感さとは、自分が酷い目に遭っていると感じることだ。理不尽(道理に合わず)にね。
「なんで私が?」「私が何をしたって言うのよ?」って感じである。
良い方に関しては、吉沢亮さんのようなイケメンが迫ってきたり、天使のような美少女がくっついてきても「何で私が?」って思わないのにね(笑)。
「理不尽だ」って思って傷付くのが凡人の常である。
それを、「被害者意識」って言う。

良い意味で鈍感であること、即ち、反応しないためには、本来は、心を鍛えるしかない。
それには、孤独に耐えるだけでなく、修羅場を何度も潜り抜けるしかない。
なかなかそうはいくまいが、心配しなくても、神様は、ちゃんと、あなたの心を鍛える場を用意してくれる。
まあ、逃げるやつが多くなってはきたが(笑)。

だが、まず、こんなことを思うと良い。
「理不尽だ」って言うなら、本物の理不尽を知れば良い。
自分が被害者だって言うなら、マジな被害者を見れば良い。
そうしたら、自分の状況なんて、平和そのものだって解るに違いない。
世界中の半分以上の地域は政情不穏で、テロや暴力が横行している。
家に家族といても、武器を持った悪漢が入り込んで来て、止めることなど全く叶わず、好き勝手に振舞われ、飲み食いし、家具を気紛れに壊され、良いものがあったら取り上げ、11歳以上(それ以下もあるだろう)の娘を見つけられでもしたら連れていかれ、生きて返してもらえたら幸運と思うしかない。
抵抗すれば(しばしばしなくても)、銃で撃たれ、殴られ、蹴られ、棒で叩かれ、刃物で切りつけられ、殺されるか、腕や脚を切り落とされる。
映画はもちろん、本ですら、あまりリアルに描くと拙いので曖昧にするようなことが、実際に行われてる。
本当は、現地で見てくるのが一番だが、せめて想像力を働かせることだ。
学校や職場のイジメも大変なものだろうが、世界の紛争地域に比べたら、平和・・・と言ったら何だろうが、マシと言っても良いのではないか?

以前、ベランダで大音量でラジオを鳴らし、大声を上げ、ものを叩いて騒ぎ、隣近所の家に被害を与えた中年女性が逮捕されたことがあったが、その女の隣に住む程度で済むなら、どれほど良いだろう・・・と思う人は、世界に何億人もいるのだろう。
しかも、その愚かな女のように、限度を超えれば、警察が対処してくれるのである。
本当に理不尽な目に遭ってる者にとって、電車の中で隣に座った男が大股を広げるなど、ハエが飛ぶようにも感じないだろう。

贅沢を言わず、文句を言わない練習をすることだ。
自分に対し「まあ落ち着け」と言うことである。状況は、それほど悪くないのだ。
それに、落ち着けば、案外、状況は変わるものだ。
逆に、落ち着かなければ・・・上ずれば上ずるほど状況は悪くなる。被害者だけでなく、加害者もね。
落ち着いたテロリストほど怖いものはないのである。









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敏感な人間はどうやっても鈍感にはなれない

昔、当時首相だった小泉純一郎さんが奨めていた『鈍感力』という本がある。
今は、『反応しない練習』という本が、ベストセラーを長く続けているようだ。
私は、いずれも読んだことはないが、タイトルを見れば、「その通り、分かった」で、読む気にならないのである。

許されるなら射殺しまくりたい衝動に駆られる低レベルな人間だらけの世の中であるが、低レベルな人間ほど、うまくやっているのである。
特に会社に行けば分かるが、自己中心的で向上心もない、犬や猫や猿の方がよっぽどマシとしか思えない連中が、ちゃんと正社員で、高収入とまではいかなくても、ワーキングプアとは程遠い良い給料をもらい、安定してのほほんとやっているのである。まあ、連中も、愚痴ばかり言って、不満は多いのだろうが、愚痴が言えるのは平和な証拠だ。
彼らを、成功者と言わずして何と言おう。
そして、彼らの成功の要因こそが、「鈍感力」であり「反応しない能力」なのである。
彼らの大半は、おそらく、それらの本を読んでいないだろうが、学校や会社で過ごすうちに、自然に身に付いたのであろう。
恐るべき適応力である。

一方、敏感な人間が引きこもりになったり、学校や会社に行っていても、倒れる寸前の悲壮な気持ちで過ごしてるのだろう。
敏感な人間というのは、純粋で、高貴なものを求め、向上心がある場合が多い。
鈍感な人間は、決して聖なるものを求めず、俗に染まっている自覚もない。そして、自分さえ良ければ何でもありで、周囲とチャラチャラやれる。
敏感な人間は、聖であることを求め、俗を嫌悪する。利他的であろうとし、利己的な周囲の人間とうまくやれない。
確かに、周囲とチャラチャラやれるのも、やれない人間からすれば高等技術だ。

ところが、「高尚な先生達」は、「利他的であれば神の助けがある」「周囲とチャラチャラせず、自己を高めよ」なんて言うが、それは「自分で自分の首を絞めよ」と言うに等しい。有体に言えば、無責任なやつらだしか言えない。

そして、ここが肝心なのだが、敏感な人間は、どうしようと、鈍感にはなれないのだ。
戦争でも起こらない限り・・・いや、ひょっとしたら戦争が起こっても。
だから、上記のベストセラーを読んでも仕方がない。
「鈍感になれてうまくいきました」なんて者は、元々鈍感なのだ。
では、どうすれば良いか?
「本気で」悟りを開けとしか言えない。
それが結論だ。
困難だろうが、やるしかない。
悟りを開いても、何か利益を得られる訳ではないが、全てを得るということでもある。
この矛盾に満ちた言い方が本当だとしか言えないところが、もどかしいというか、辛いのである。
しかし、がっかりはさせないと思う。
ただ、腕振り運動で身体は鍛えておきなさいと言いたい。









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鈍感力を得るには愚かな敏感を捨てることだ

首相だった時の小泉純一郎さんが勧めたことで知られる、渡辺淳一さんの著書『鈍感力』は、その「鈍感力」という言葉自体が日本人の間に定着した感じであるが、確かにものごとを気にし過ぎる人や考え過ぎる人は、鈍感になることが大切なことが多いだろう。
しかし、現代は敏感になるべきことで鈍感過ぎる人が多いことは指摘するまでもないだろう。
例えば、歩きながらタバコが吸えるとか、人混みで歩きながらスマートフォンを操作できる、あるいは、電車の中や駅のホームでものが食べられる・・・それも平気で堂々というほど鈍感になれば、もう人間としては終わりである。
そしてまた、現代は、人の気持ちに配慮できない「年齢だけの大人」が増えているような気もする。
普通、未熟な若い間はともかく、ある程度の年齢になれば、自分の言動が相手にどんな感情を起こすかが、いくらかは分かるようになり、優しさからか、何らかの利得のためか、あるいは、モメゴトを避けるためかの別はあっても、他人の感情を害さないよう気を使うものである。
しかし、かなりの年齢になっても、そんな気遣いを全くせず、自分が気持ちが良くて満足でありさえすれば良いという振る舞いしかできない者が増えているのかもしれない。
つまり、日本人の精神年齢が低下しているのであるが、これは、日本人の知性そのものが低下しているということなのだろう。

ところで、人間には、共通して敏感なものがある。
プロレスラーの身長が実際より5センチ以上高く公表され、女性アイドルや女優のウエストは一律58センチというのは、宣伝のためもあるだろうが、そんな数字には、本人も敏感なのだろう。
映画『タイタニック』で、「無垢で何も知らない深窓の令嬢」であるはずの17歳のローズが、意図的に、「どうして男性はサイズにこだわるのかしら」と発言して周囲を仰天させるが、それもまた事実だし、男か女かに関わらず、人は何かの数字に敏感だ。
アメリカンフットボールやラグビーをやっていた人で、逆転のタッチダウンやトライの経験があれば、そのためにボールを抱えて走った距離は、話すたびに(自慢するたびに)長くなる。
もし、那須 与一(なすのよいち)が扇の的を射た話を自分で伝えていたとしたら、その距離は、最初70メートルと言っていたのが、やがて、100メートルになり、彼がじいさんになる頃には200メートルとか1000メートルまで伸びても不思議ではない。
こんなことを、中国では白髪三千丈とか言うことになり、どこの国にも、何事も話半分とか言う格言がある理由だろう。

そして、現代人にはアレルギーが多い。
アレルギーは、何かの物質に対する敏感過ぎる身体の反応である。
だが、信じない人が多いかもしれないが、アレルギーは、精神的な何かに対する敏感さの反映なのである。
その精神的に敏感な何かは、上に挙げた、自分を良く見せるための数字のようなものである。
このことは重要なことだ。

渡辺淳一さんの『鈍感力』には、鈍感であることの効用は書かれていたが、ではどうすれば鈍感になれるのかについては、彼の話はあまり実用的ではないかもしれない。
しかし、上に述べたような自分を飾る数字を捨て、見栄、自負心、面子、プライドを持たなければ、強くなるための鈍感力を得られる。そして、アレルギーも克服できる。
私の知る素晴らしい例を挙げれば、法然が、「私は念仏以外に何も知らず、何もできない」と常に述べていたことだ。
彼は仏教のあらゆる教義に通じた驚くべき博識と知恵で知られていたにも関わらず、そう公言したが、実際に自分でそう思っていたに違いない。
そして、その弟子である親鸞もそうであったのだ。
ところで、コンピュータープログラマがよく、「私が使えるプログラミング言語」として、沢山のものをじゃらじゃら挙げていることがよくあるが、これもまた捨てるべきアレルギーの原因だ。
私なんてVBAしかできないさ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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