今も人気者の元プロ野球監督が、現役監督だった時代に、何かとトラブルの多かった自分の夫人に対し、「金持ち喧嘩せずだよ」と言ったらしいことを、私はなぜかよく憶えていた。
そして、最近思うようになったのだ。
「全くその通りだ」
金持ち喧嘩せずとは、本物の金持ちは争い事は絶対に損だということを完全に理解しているということだ。
「争い事は絶対に損」
「喧嘩して良いことは何もない」
あなたも、このことを座右の銘としなければならない。
他の言葉は不要である。
そして、これを実践できるようになれば、嫌でも金持ちになっているだろう。

ただし、喧嘩せずの意味を誤解する者が圧倒的なので、少し注意しておく。
あの人とは喧嘩してはいけないが、この小物相手なら問題ない・・・などということは決してない。
どんな相手とも、決して争ってはならない。それこそ、猫と喧嘩してもいけない。

そして、喧嘩とは、「一人喧嘩」も確実に含まれる。
つまり、他人の悪口、陰口は全て喧嘩だ。
「いや、これは真っ当な批判だ」
「相手のためを思っての叱責だ」
などというのは、全部嘘だ。
それらもただの喧嘩であり、あなたの運命を悲惨にする低レベルな争いに過ぎない。

政治討論会では、政治家達が、他政党や他政党の党員の悪口ばかり言っている。
確かに、政治家で良い思いをしている者など一人もいない。
大統領や総理大臣も例外でないばかりか、一番損しているのは、彼らである。
ただ、あえて、そんな立場を引き受けているのは、その者に課せられた運命であるのだが、ご苦労様と言いたいし、あそこまでやるなら大したものである。
きっと、そんな人達も必要なのであろう。
だから、喧嘩するなら、せめて堂々と大きくやれということは言えるかもしれない。だが、それでも馬鹿なことであるに違いない。

政治家のように、精力に溢れ、その大切な精力を政治家生活の中で使い果たし、その後は秋の手前のカナブン(※)のようになっても天下国家のために奉仕するという志であれば仕方がないが、そうでないなら、守らねばならないことがある。
(※カナブンは極めて短命で、夏が終れば死ぬ。)
誰の悪口も一切言わないことだ。
悪口を言わなければ喧嘩をすることはない。
蚊と喧嘩してもいけない。つまり、蚊の悪口も言ってはならない。
言葉は人格の孫だ。つまり、言葉は心から生まれ、心は人格から生まれる。
口で悪口を言わないなら、心が清いのであり、清い心は高貴な人格を示す。
そして、イエスが言ったように、「人は口から入るもので穢れない。口から出るもの(言葉)で穢れる」のであり、悪口を言わない決心をすれば、心は清まり、人格も高まる。
ゲーテは、「人間最大の喜びは人格である」と言ったが、あらゆる意味で、その通りである。
ただ、ニーチェやイェイツや、オスカー・ワイルドのような、アンチ・イエスもいた。
イエスも喧嘩をしたからである。
しかし、復活後のイエスはそうではない。
十字架にかかるまでのイエスは「人の子」であった。
ラマナ・マハルシが言ったように、イエス(自我)が十字架(肉体)に磔にされて滅び、真我(キリスト)が復活し、イエスは神になったのだ。
スーフィーのことわざにも、「彼は神を探しに行き、神になって帰って来た」というものがある。
沈黙でもって神を求めれば、神になる。これを、「(聖霊を)求めよ。そうすれば与えられる」と言うのである。

まずは、美しい言葉を口に出すことだ。
そうすれば、悪口は出てこなくなる。
そうなれば、全てはうまくいき、あなたは幸福になる。
優れた言葉の中でも、最も高いものは、『バガヴァッド・ギーター』や『老子』である。
これらの音読に励むことは、我々にとって素晴らしいことであるに違いない。
他にも、高貴な詩人の詩、貴い神話、不滅の聖典を声に出して読んでみると良いと思う。









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