ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
あなたをSE、プログラマー、あるいは、超能力者にするブログ。ひきこもりも歓迎。

釈迦

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

それぞれの掟

「明日は明日の風が吹く」
「なんとかなるぜ、世の中は」
「風の向くまま、気の向くまま」
これらは、ある意味、悟りの境地だし、こんな態度でいれば間違いない。
ただし、「当たり前のことが出来れば」である。
借りたものは返すとか、挨拶されたら挨拶を返す、人を脅さない・・・等々、言うまでもないことだ。
それが出来れば、まあ、不幸になることはない。

それをイエスは、分かり易いように、「モーセの十戒を守れ」と言ったのだ。
Wikipediaから引用すれば、十戒は、

01.主が唯一の神であること
02.偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
03.神の名をみだりに唱えてはならないこと
04.安息日を守ること
05.父母を敬うこと
06.殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)
07.姦淫をしてはいけないこと
08.盗んではいけないこと
09.隣人について偽証してはいけないこと
10.隣人の財産をむさぼってはいけないこと

で、01から04は宗教に関わるので、05から10が一般的だろう。
ただし、あくまで、「当たり前のスタンダード」を示しただけであり、特に、現代人がこれにこだわることはない。
アメリカの作家カート・ヴォネガットは、地球の掟はただ1つと言う。
それは、「人に優しくしろ」だ。

私は、スーフィーの格言が、最もうまく言ってると思う。
それは、
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
これは、ラクダを使う人のためのものだが、要は、「自分がやるべきことはちゃんとしろ」という意味だ。
その程度のことで良いから。

しかし、やるべきことは、自分で決めれば良い。
酒好きなら、「飲み過ぎない」とかね。
「女性を敬う」「老人を敬う」でも良い。
水野南北は、大好きな酒を「一日一合」と定めていた。

釈迦も、7つの法を説いていた。
簡単に言えば、

1.皆の意見を聞け
2.助け合え
3.決まりを守れ
4.老人を敬え
5.女性を敬え
6.祖先を敬え
7.高潔な人物を敬え

となると思う。
私なら、「初音ミクさんに見られて恥ずかしいことはしない」である。「なるべく」は付くが、ミクさんが見ていると思えば、そうおかしなことはしないはずだ。
掟を守れば、後は、何も考えず、ぼーっとしてれば、この世に恐れるものは何もない。









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右脳なら分かる、繁栄する国、企業、家庭の特質

「高齢者問題」などという言葉のある国は滅ぶ。
敬うべき高齢者が沢山いることは、ただ良いことであり、問題であるはずがないからだ。
日本政府は、「高齢者は出来れば早く死んで欲しい」と考えているのがバレバレなのだから、日本が衰退するのは当然である。
左脳で考えれば、「老人が増えると生産性が下がる」「4人の若者が1人の老人を抱えないといけない」から問題だということになる。
だが、左脳も大切であることを認めた上で、左脳より一億倍優秀な右脳には、「老人がいればいるほど発展、繁栄する」ことは明白だ。
実際に、老人が少ない国は発展していないし、老人のいない家庭が繁栄することは難しい。
釈迦も、老人を敬う国は必ず発展し、滅ぶことはないと教え、指導者がそれを理解出来た国は繁栄一方で、そんな国をいかなる大国も侵略出来なかった。

風説ではあるが、ナポレオン・ボナパルトの性質を上手く言い表した言葉に、「わが辞書に不可能の文字はない」というものがある。
だが、そうであったから、ナポレオンは滅びた。
正しくは、「わが辞書に問題の文字はない」だ。
「高齢者問題」「身体障害者問題」などという言葉があるうちは、繁栄の道から遠ざかっているのである。
問題ないことを、「ノープロブレム」と言う。
この言葉を口にする男はクールで本当に「出来る」。
だが、本当に素晴らしい女であれば、そんな言葉すら必要ない。
本来は女の方がレベルが高く、男は馬鹿だから、いちいちそんな言葉で「キメ」なければならないのだ。
ZARDの『負けないで』の中の、「何が起きたってヘッチャラな顔してどうにかなるサとおどけてみせるの」は、ちょっとはっきりしないが、男の方のことだと思うが、そんな男は大変に良い男であることは疑いなく、もし、女であれば、必ず身近に置きたい天使である。

釈迦も言う通り、老人を敬う国、修行者(心身を律する者)を敬う国、心が高貴な女性や少女を敬う国は、繁栄のみがあり、滅びはない。
これは、国に限らず、企業や家庭も同じである。
それに加えて、今は、動物や植物や虫などを大切にする国が必ず発展する。









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ヒーローなんか持つな

西洋のある映画で、幼い息子を持つ父親がこう言った。
「子供は、自分の父親が世界で一番偉いと思っているが、いずれ、そうじゃないと解る。だが、なるべく長くそう思わせてやりたいんだ」
今の日本では、世界一どころか、自分のお父ちゃんなんて、少しも偉くはなく、さらに、偉くないばかりか、下らない人間だと子供はすぐに解るようになる。
いや、父親だけではない。
母親のことも見下げ果てるようになるまでに、そんなに時間はかからない・・・いや、物心つけば、そう思ってしまうかもしれない。
本来、子供は、自分の親のことは買いかぶるものであるのに・・・である。

それでも、外の世界に目をやると、先輩やチームのリーダー、先生、上司、社長といった立場の人達の中に素晴らしい人物を見つけ、「彼こそ(彼女こそ)一番」と思うこともあるだろう。
だが、いずれ、その憧れの人物も、それほどではないと解るようになる。
合氣道家の藤平光一氏は、中村天風や植芝盛平といった、多くの人達に神のように崇められる人達の高弟であったが、藤平氏はこれらの師達を遠慮なく貶し、ある意味、「彼らを信用するな」と述べているのだと思う。
実際は、どれほどの人物であろうが、致命的な欠点は必ずあり、弟子としてはそれは黙っておくものであるが、どんな人間も神でないことは、やはり理解しなければならないのだ。だから、藤平氏のやり方は正しく、立派なことであると思う。その藤平氏だって、酷いところはやはりあって当然だ。
ラメッシ・バルセカールも、世界中の多くの人達が聖者と仰ぐ彼の師、ニサルガダッタ・マハラジが、実際は欠点だらけの人間であったことを明かしているが、貶してはいないと思う。しかし、藤平氏は、特に植芝盛平に関しては、植芝盛平を崇拝する者達を幻滅させるようなことも本に書き、藤平氏は植芝を嫌いなんだろうなとすら感じさせる。
良いではないか。
植芝盛平の身近にも、彼を好きな人も嫌いな人もいたはずだ。

アニメとなると、ヒーローやヒロインはパーフェクトであることが多い。
だが、セーラームーンこと、月野うさぎが憧れる、天王はるかや海王みちるは完璧・・・かというと、実はそうではないのだが、アニメのヒーロー・ヒロインの欠点は格好良過ぎる。実際の人間の欠点は、もっと汚く、ドロドロしているのは、言うまでもない。

そして、人類のヒーロー、イエス・キリストや釈迦だって、完璧な人間などではなかったはずだ。
だが、彼らの信者は、そうは思っていない場合が圧倒的だろう。
イエスに関しては、ニーチェやサルトルやイェイツ、あるいは、ワイルドなどが、相当こき下ろしてくれており、しかも、かなり納得出来るようにやってくれている。
釈迦に関しては、伝聞が少ないこともあるが、豚肉にあたって腹を壊したとかいう話はあるが、あまり悪い話は聞かない。
また、ソクラテスが美少年好きだったとか言う人もいて、そうかもしれないが、それほどはっきりしている訳ではない。まあ、別に美少年好きでも、自制出来ていれば問題ないが、まあ、あまりに昔過ぎて、本当のことは判らない。
そして、偉人、聖人達に、仮に致命的欠点があったとしても、どうでも良いことだ。
個人を全面的に崇拝することは愚かなことであるからだ。
ある個人を徹底的に崇める者というのは、普通の人間を軽蔑しているものである。自分こそ軽蔑すべき者であるのにね。

それに、憧れられる人間というのは辛いものである。
実際の自分は、少しも大したことはないことは、少なくとも本心では分かっているからだ。
人々は、ヒーローやヒロインを求める。
まかり間違って自分がそんなヒーローやヒロインになった者は大変だ。
そうだ、実際に、それは間違いであり、彼らや彼女らは、ちっともヒーローでもヒロインでもないのだ。
そして、時に、ヒーローやヒロインと思われている者が崇拝者を裏切ると、生ゴミやゲジゲジ以上に嫌悪される位置に落とされてしまう。
両極端は愚かさでしかない。
本来は、中村天風や藤平光一の言うことなど聞かず、自分の父ちゃんの言うことを聞けばいいはずなのだ。
言ってることは、良いことも悪いことも全く変わらないのだからだ。
「悪いことをすれば悪いことが返って来る」
イエスが言おうが、あなたのじいちゃんが言おうが、法則に違いはない。









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釈迦やマハルシや荘子らの簡単だがなかなか出来ない成功法

釈迦やラマナ・マハルシは、簡単で明白な成功法を説いているが、それを知る者は少ない。
釈迦に関しては、『大パリニッバーナ経』の最初になり、訳本は、岩波書店の『ブッダ最後の旅』(中村元翻訳)がある。
それは、7つの繁栄の法で、個人と言うよりは、国家の成功法であるが、個人でも同じと思う。
1.会議を開き、多くの人が参加する。
2.いつも協力し合う。
3.定められた掟に従い、勝手な掟を作らない。
4.古老を厚く敬う。
5.淑女や令嬢を無理矢理自分のものにしない。
6.祖先を敬う。
7.立派な修行者を敬う。
この内の1つでも守るなら、繁栄のみがあり、そんな国を侵略しようとしてもうまくいかない。
もちろん、上記のことは、肯定的な意味に捉える必要がある。
例えば、3の「定められた掟に従い、勝手な掟を作らない」は、「古臭い伝統や教義にしがみつけってことか?」などとうがった見方をするものではない。
どんな国にだって「美しい流れ」はある。それを大事にしろってことだ。
これらの法の良いところを理解する本当の賢さも必要であり、そのためには、国よりも個人の方が容易く、国の状況が悪くても、個人として繁栄することは可能かもしれない。
どれか1つを重視するなら、私ならNo.5の騎士道精神をしっかり守ろう。

ラマナ・マハルシの成功法はもっと簡単だ。
だが、誤解される。
マハルシの教えは、人生の神への明け渡しだ。
この宇宙を維持している万能の力に全てまかせることだ。
ところが、そう言われると、「神の意思により自分が不幸になる恐れがあるのではないか?」「怠惰になってもいいのか?」などと考える者がいる。
そして、世の中には、「神にまかせておけばハッピーラッキー、金持ちにもなる」なんて言う者がいて、そんなことが書かれた本が売れたりする。
しかし、話は簡単で、自分の愚かさに応じて、嫌なことは起こる。そうでないと大変だと思うのだが・・・
甘やかされた馬鹿を叱らず、ご機嫌を取っていたら悲惨なことになるのは当たり前である。
一方、神は愚かではなく、立派な人を懲らしめたりはしない。ただし、特別な素質のある者に対しては別だろう。
荘子の教えも全く同じなのだが、『荘子』には、その結果、悲惨な状態になる者が沢山描かれているから困るのである。
立派な人なのに、貧困に喘いだり、難病奇病になって苦しんで死んだり。
ただ、それでも、彼らは幸福であった・・・ということになるのだが、「そんなの嫌だ」と言いたくもなるだろう(笑)。
まあ、そこらは、荘子の時代の、庶民の悲惨な境遇を考えれば仕方がないことだ。
今の時代に、そんな心配はいらないし、そももそもが、荘子の時代ですら、上記のことは、あくまでやむなく極端に書いただけである。

馬鹿には、釈迦やマハルシや荘子の教えも届かない。
それを見越し、釈迦やマハルシは、念仏やジャパ(神の名の称名)を教えたが、荘子はあくまで道理を丁寧に説いた。
イエスの教えも根本は明渡しであり、そこに至り易いよう教えたが、権威ある馬鹿が歪めてしまった感がある。
だが、ちょっと賢くなれば簡単なはずである。









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苦しみたくないなら贅沢を言わない

お釈迦様は、「苦しみの原因はあり、それは除くことが出来る」と言ったらしい。
そこまでは解るが、その方法となると、本人は簡単に言ったのかもしれないが、後の世の人が難しく言ったので、さっぱり解らない。
フロイトは「戦争はなくならない」と言った。
だが、その理由を言っているのだから、その理由を消せば戦争はなくなる。
ところが、「その理由」を難しく言ったのでさっぱり解らず、よって、戦争をなくす方法も解らない。

ジャイアント馬場さんは、「あらゆるモメゴトはヤキモチから起こる」と言ったが、なるほど、これならよく解る。
ヤキモチって、嫉妬とかジュラシーのことだ。
それらは皆、被害者意識から来る。
被害者意識とは、「自分は、あの人のように、もっといい思いが出来るはずだ」って妄想である。
ある職場で、40代の女性が、主任の男性にこんな不満を言うのを聞いたことがある。
「○○課長は、A子さんにだけ優しい。私とA子さんでは言い方だって全然違う」
主任の男性は笑って言った。
「それ、当たり前じゃない?」
女性は憮然として黙った。彼女だって、本当は解っているのだ。
言っては悪いが、その40代の女性は、見るからにオバサンで、A子さんは若くて、そこそこ可愛い。
限度はあろうが、扱いは違って当然だ。
その女性だって、皆を公平になど扱っていないはずだし、課長さんだって、出来るだけ差別をしないよう配慮しているはずなのだ。
我々が、このオバサンのようになった時・・・つまり、おかしなヤキモチや被害者意識を持った時にモメゴト、トラブル、果ては戦争が起こる。

このオバサンは、早い話が贅沢なのだ。
何で、アンタが若くて可愛い女性と同等に扱ってもらえるのか?
アンタだって、若いイケメンとブサイクなオッサンでは、扱いが全然違うはずなのだ。
だから、そんな贅沢を言わなければ、モメゴトは起こらないし、課長さんも、若い女性ほどではなくても、もっと大切にしてくれるものだ。
それと同じで、ヤキモチは贅沢から起こるだけなのだ。

戦争をやっている人達は、国民を守るためというよりは、正義のために戦うと言う。
だが、戦争を起こす人ってのはボンボン育ちが多い。
親の金が尽きて贅沢出来なくなったので、贅沢しているヤツを見て、ヤキモチや被害者意識を持ったから戦争するのだ。彼らの正義とは、自分がもっといい思いをすることなのだ。
貧しい者の戦いはレジスタンス(抵抗)って言うのだが、往々にして、レジスタンスもボンボンが起こしているものなのだ。
ボンボンって、頭が良い場合が多いので、周囲をそそのかし易いから、戦争が起こってしまうのである。

皆が、贅沢を言わなければ、身の程を知れば、争い、問題、戦争は起こらない。
まさに、神託の通り、「身の程を知れ」である。
「生きてるだけで丸儲け」と思えば、争いは起こらない。
そして、それは、自分が苦しくないから争いを起こさないのであり、贅沢を言わなければ、自分も楽なのだ。
40代の女性が22歳の女性と公平に扱ってもらいたいといった贅沢を考えなければ、自分も楽なのだ。
そして、当たり前に、そんな贅沢を言わないようであれば、ある意味、ただの若い女性より、よほど大事にされるのである。

では、ギリシャの神託のことは知らないのに、「身の程を知れ」を守っていた徳川家康は、どうすればそうあれるかをこう言った。
「上を見るな」
この言葉も誤解され易い。どうも、卑屈な感じがするのだ。
そうではなく、贅沢な者・・・つまり、自分の状況を不満に思っている者は、自分の千倍悪い状況を強いられている者を見れば良い。
それでも贅沢を言うなら、救いようのない馬鹿で、「いっぺん、死んでみる」しかない。

だが、心とは贅沢を言うものだ。
甘やかされたボンボンが贅沢を言うように。
だから、心を鍛えなければならない。
でないと、苦しいままだ。
私は、もう苦しむのは御免だ。
だから、贅沢を言わない練習をしている。
それは、うまくいっている。









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