ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

釈迦

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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最も楽しい引き寄せのやり方

私は、社会人になって初めての仕事がセールスマンだったが、これほど私に向いていない仕事はないと思う(笑)。
しかし、私は、入社早々、セールスコンテストで、社内の強豪セールスマン達を押しのけて優勝した。
あれは、私のセールスの実力ではなく、引き寄せの力である。
当時は、引き寄せと言えば、ジョセフ・マーフィーの本を2冊読んでいた位だった。
やり方は、優勝したこと前提でいたことだと思う。
同じやり方で、例えば、「あの子が自分の彼女であること前提」でいれば、あの子は自分の彼女になる。
これについて、楽しく語る(笑)。

何かの本で読んだが、お釈迦様が、ある男に、精神トレーニングのつもりだったかもしれないが、自分を牛だと思えと命じた。
しばらくして、お釈迦様がその男に、小屋から出て来いと言うと、その男は、「角がつかえて出られない」と言った。
その男は、自分が牛であることが前提になっていた。
これが、見事に牛になり切ったということである。
このようにやれば良いのだ。

『ガラスの仮面』という有名な超長編漫画がある。
その、最初の方の話だと思うが、私は流し読みした程度であまり憶えていないが、こんな感じの話があったと思う。
ヒロインの北島マヤが、まだ本格的な演技の訓練をする前の頃だったと思うが、そこに小鳥がいる演技をするよう言われる。
才能を感じさせる見事な演技だったのだと思うが、その演技が終わった後でも、マヤは、ごく自然に、そこに小鳥がいるかのように振る舞った。
マヤにとっては、本当にそこに小鳥がいるのだった。
つまり、マヤの世界では、小鳥がいることが前提なのである。

演技と言えば、「20世紀最大の詩人」と言われたノーベル賞作家である詩人W.B.イェイツは、詩『ラピス・ラズリ(瑠璃)』で、「主役を演じるほどの役者は演技しながら泣かない」と述べている。
ところで、私は中学生の時、学校行事で能を見たことがある。
すると、後で、音楽教師が、公演中、演技をしている役者が泣いていたと言う。演技しながら、内容に感情移入して泣いていたといったような主張だったと思うが、駄目な教師だ(笑)。
それは、役者が泣いていたのではなく、登場人物が泣くシーンであり、その演技が迫真だったので、その音楽教師が騙されただけだ。
上の釈迦に「牛になれ」と言われた男は、牛になった演技をしたのではない。本当に牛になったのだ。
北島マヤは「小鳥がいるつもり」になったのではなく、本当に小鳥がいたのだ。
劇を見て泣くのは観客である。登場人物は泣くシナリオでない限り、泣いたりしない。

さて、ジョセフ・マーフィーは、お金を引き寄せるための、上の話が分かれば特に簡単に出来るテクニックを紹介している。是非、『ガラスの仮面』の最初の方を読みながら実践すると良いだろう(笑)。
100万ドルといえば、今は円安で1憶5000万円ほどになると思う。
いずれにしろ大金だ。
それを得るには、それを使うことを考えろとマーフィーは述べている。
ただ、上で述べた、牛になった男や、北島マヤのように、本当に100万ドルがある前提でいなければならない。
だからといって、本当に10万ドルのポルシェを注文までしてはならないが(笑)、本当に欲しいなら「では買おう。100万ドルあるのだから楽々だ」と本気で思わないといけない。
ある、急に引き寄せがうまくなった若い女性は、自分が年収1憶円であることを前提にした。すると、町で高級車を見ると「私も買おうかな」と本気で思い、一千万円のマンションのチラシを見たら、本当に買えると感じながら「買っておこうかな」と思ったそうだ。そして、会社をリストラされた時でも、「まあ、年収1憶あるから別にいいか」と思ったらしい。そうしたら、本当に金持ちになり、まだ年収1憶とは言わないが、資産が1憶円になったという。
彼女がやったことが、マーフィーが言う「100万ドルを使うことを考えれば得られる」の実践だと思う。








引き寄せを止める考え方

引き寄せの純粋にして明晰な原理は「想念を消す」ことである。
しかし、これは人々を混乱させる。
想念を起こすのはエゴ(自我)である。
そして、インドの聖者達はエゴを持たないと言われている。
しかし、インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジの弟子のラメッシ・バルセカールによれば、師のマハラジは怒りっぽかったと言う。
それは、エゴがあるということであり、想念があるということだ。
もっと有名なインドの聖者ラマナ・マハルシは、まさに「無の人」と思える。
マハルシ自身、エゴを消滅させるべきと教えた。
だが、マハルシの幼馴染の者がマハルシを訪ね、昔の話をすると、マハルシは、覚えていると言うし、他にも、マハルシは愉快な思い出を楽しそうに話すことがあった。
それは、想念がなければ出来ることではない。

つまり、人間である限り、聖者であろうがエゴはある。
この問題に関し、賢者達はいろいろ説明している。
釈迦は、「聖者は想念の連鎖を起こさないだけだ」と言った。
つまり、簡単な例で言えば、聖者だって殴られたら怒るかもしれないが、普通の人のように、いつまでも恨んだりしないのである。
上で、インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジが怒りっぽかったという話を取り上げたが、マハラジは怒っても、すぐに上機嫌になったという。
つまり、釈迦の言う通りで、聖者は粘着質でないというわけだ。

また、ジョージ・アダムスキーは面白いことを述べている。
「神を心より上位に置かないといけない」
つまり、エゴ(心)より潜在意識(神)の方が重要だということだが、実際は、「比較にならないほど重要」とくらい言わないといけない。
ところが、引き寄せや潜在意識の本には、「潜在意識には善悪が分からない」などと書かれていて、潜在意識を軽く思わせてしまうのだ。
これも、正しくは、「潜在意識はあまりに強大過ぎて、エゴが考える善悪など、あまりに些細なので関わらないように見える」ということなのだ。

こういう矛盾を解決しようとして、非常に難しい引き寄せのやり方を教える者もいるが、そんな難しい方法など、誰も使えない。
私には、矢追純一さんのやり方が最も賢いと思える。
それは、「私は頭が悪いから考えることを諦める」と決めることだ。
つまり、たとえIQ200の人間でも、潜在意識のIQは1憶の1憶倍以上で比較にもならないのだから、潜在意識と比べると、圧倒的に頭が悪いのである。
フォレスト・ガンプのようにIQ75だろうが、ジョン・フォン・ノイマンのようにIQ300だろうが、潜在意識から見れば全く同じなのである。
そして、フォレスト・ガンプは「僕は考えることが苦手だ」と言って、考えることを放棄したので億万長者にもなれた。
自分の頭が良いと思っている馬鹿には引き寄せは出来ない。
矢追さんは、人間の頭は大して性能の良くないパソコンみたいなものと言い、関英男博士も、人間はコンピューターの端末のようなもので、神(潜在意識)はスーパーコンピューターだと言っている。
このように、賢い人達の意見は本質的に一致しているのである。

どんな願いを持つかも、潜在意識にまかせた方が良い。
そりゃ、潜在意識は万能なのだから、エゴの望み・・・例えば、あの女性を恋人にしたいとか、1憶円欲しいといった願いを叶えることは簡単だ。
しかし、願いによっては、代償として大切なものを失ってしまうかもしれない。
ある有名な引き寄せの本を書いた人は、40代で亡くなっているが、その本を見ると、確かに、エゴの願いを叶えることについて書かれていたのだ。
一方、潜在意識から起こった願いであれば、悪い反作用みたいなものはない。願いはごく自然に素早く叶う。
イエスが言ったように、「お前達に必要なものなど、神(潜在意識)は願わなくても知っている」といった通りで、願わずとも、十分なお金や愛は得られる。
自分の力がちっぽけであると本当に悟り、潜在意識にまかせるほど、潜在意識は大きな額をくれるようにも思われる。
だが、口先で「神様(潜在意識)、私はつまらない人間です」と言ったところで、エゴは、「俺はあの馬鹿よりは賢い」と思っているものだ。
だから、出来るだけ想念を起こさず、エゴが潜在意識の邪魔をしないようにしなければならない。








イエスと釈迦の引き寄せの教えはそっくり(超重要)

人間は、引き寄せの能力を、誰でも標準的に持っている。
標準的なのだから、そのやり方は簡単で、特別な人しか知らなかったり、学問を積まないと分からないようなものではない。
だが、当たり前のこととして学ぶ必要がある。
たとえば、歩くこと、走ること、泳ぐことのようなものだ。
人間は、見て学ばない限り、2足歩行、ランニング、スイミングは出来ない。
狼に育てられた人間の子供には2足歩行が出来ない。
江戸時代までの日本人は、飛脚と忍者以外は走ることが出来なかった。
人間は、泳ぎは、誰かから学ばない限り出来ない。

引き寄せのやり方を、現代のほとんどの人が知らないのは、学校や社会やテレビによって、忘れさせられたからだ。
別に、学校は子供達に、特に引き寄せのやり方を忘れさせるのではないが、子供達の自然な思考能力を奪うのである。
斎藤一人さんがよく、引き寄せのやり方について「俺と他の人との違いは、俺はなぜか知っていたということだ」と言うが、斎藤さんが知ってるなら、誰でも知ってるはずなのだ。
けれども、確かに、斎藤さんだけがよく知っているように見える。
それはなぜか?
簡単なことだ。
斎藤さんは中学校しか出ていない上、元々、学校が嫌いで、小中学校だって、真面目に通わなかったり、先生の言うことなど信じなかったからだ。
だから、斎藤さんは、引き寄せのやり方を忘れなかったのである。

私の場合、変わった覚え方をしていたのだ。
だから、私は、子供の時から、満天の星空の中から、何の手がかりもなく土星を特定したり、以前見たテレビ番組を、好きな時に再放送させたりといった、確かに凄いが、あまり役に立たないことが出来たのだ。
もちろん、私も学校が大嫌いで、大嫌いになる理由があった(その理由は関係ないので言わないが)。

引き寄せのやり方は、イエスと釈迦で特に違いはない。
イエスは、「お前には、神という大金持ちの父親のようなものがいて、お前を超絶愛しているので、頼めば良い」と言う。
釈迦も、「お前には、仏という途方もない金持ちの父親がいる。そして、お前は、仏が超愛している仏の後継者なのだ」と言う。
これらは
◆『新約聖書』の「ルカ福音書」の「放蕩息子の譬」
◆『法華経』第4章「信解品(しんげぼん)」の「長者窮子の喩え」
である。

そして、面白いことに、上記の福音書と法華経の該当部分を読めば分かると思うが、これらの話を端的に統合した訓練が、これまで何度も取り上げた「神実現の呼吸法」である。
(1)息を静かに吐きながら「私はこれではない」と心で唱える。
(2)息を静かに吸いながら「私は誰か?」と心で唱える。
(3)息を吸いも吐きもせず「私は神である」と心で唱える。

以下に、私が愛読する聖書と法華経をご紹介する。








引き寄せも簡単な訓練次第

最近、世間で、宗教の献金(布施)のことが話題になっているように思う。
「1割献納」と言って、収入の1割(10%)を寄付するというのは、今日のキリスト教で一般的に言われているらしく、ジョセフ・マーフィーも著書の中で勧めていたこともある。
また、福音書の中で、イエスは、貧しいおばあさんが、わずかの持ち金のほとんどを寄付したことを褒め、それは、金持ちが余ったお金の中から多額の寄付をするのに優ると言った。この話は、宗教教団がさぞ利用していると思う(笑)。

ところが、パム・クラウドが『こうして、思考は現実になる』という本に、「1割は多過ぎる。だが、1%の献納の効果は大きく、勧められる」と書いていたと思う。
つまり、月給の手取りが20万円の場合、1割献納なら2万円寄付しないといけないが、それは多過ぎて、精神的抵抗が大きいのが当たり前で、良い効果はない。
とはいえ、適切な寄付の引き寄せ効果は大きい。で、どのくらいの寄付が適切かというと、1%くらいだと思うと言う。
さっきの、手取り20万円の場合だと2000円だが、そのくらいを寄付すると素早く効果が現れると述べていたと思う。
ある貧しい者が、1000円を恵んでもらったが、その者が、その1%である10円を他に施したところ、即座に仕事が入り、それを続けたら豊かになっていったというような話があったと思う。
とはいえ、手取り50万円の者が、1%である5000円を気前よく寄付出来るかというと、なかなか疑問である。手取り50万円くらいが、一番余裕がないという説もある。しかし、本当に喜んで5000円を寄付するような者が成功するのかもしれない。
もちろん、別に宗教の教団に寄付をする必要はないし、特に、最近話題の宗教団体では、その程度では少ないと怒られるだろうから(笑)、寄付をする先はいくらでもあるので(たとえば赤十字)、そこに寄付すれば良いだろう。

釈迦もイエスも、別に宗教を作ったわけではなく、彼らは、神や仏の助けを得て幸せになるためには、どうすれば良いか教えただけだ。
だが、釈迦の場合、修行者に教えたことが経典になったのだと思われ、経典は非常に難しいし、厳しい。
2人とも、一般の人間の頭の悪さには悩んだのだと思う。
結局のところ、一般の人に対しては、イエスは「気楽でいなさい」「お祈りをしなさい」と言い、釈迦は「仏様や菩薩様の名前を唱えなさい」と言ったのだと思う。
聖書や仏典の真意は、普通の人にはなかなか分からないので、良い宗教家がいろいろ工夫して教えた。それは良いものだった。
ところが、権威やお金ばかり好きな悪い宗教家も多く、信者に良い教えはしないのに、金ばかり取って、すっかり宗教のイメージが悪くなった。

要は、どうすれば引き寄せが出来るか分かれば良いのである。
そもそも、それなりに精神的に進歩しないと引き寄せは出来ないので、引き寄せが出来ることは良いことだ。
ところで、素振りの回数の多い野球のバッターほど実力があるように、あらゆることに素振りに匹敵する訓練がある。例えば、作家やプログラマーには写経(優れた文章やコードをそのまま書き写す)がある。
そして、引き寄せの場合には、言霊があり、「ツイてる」「大丈夫」「絶好調」「神様の奇跡が起こる」その他、いくらでもあるので、自分の好きなものを選んで(いくつでも良い)、「素振り」をすれば良いのである。
素振りが多いバッターや剣士ほど強いのと同様、言霊も多ければ多いほど、引き寄せ能力が上がる。
その中で、非常に効果が大きいのは、斎藤一人さんによれば「アメノミナカヌシ様、お助けいただきまして、ありがとうございます」だ。
私は、ラマナ・マハルシが教えた、神実現の呼吸法が良いと思う。
それは、
(1)息を静かに吐きながら「私はこれではない」と心で唱える。
(2)息を静かに吸いながら「私は誰か?」と心で唱える。
(3)息を吸いも吐きもせず「私は神である」と心で唱える。
だ。
これは、効果があり過ぎて、あまりやると、本当に無になってしまうかもしれないが、そこまでやれる人は、まあ、いないし、いればいたで運命であろう。








聖者と凡人

自我が消えるほど、引き寄せが自在になり、魔法使いも同然だ。
そして、誰だって、自我や、それと同じである「我(が)」というものが、どういうものか、だいたい分かっている。
「我(が)が強い」「我(が)がない」という意味も分かると思う。
つまり、「我が強い」のが未熟な人間で、「我がない」ことが円熟した優れた人間であると分かるだろう。
だが、一方で、自我は大切なものであり、幼い時に、必要な経験が出来ずに「自我の発達が遅れた者」「自我が確立出来なかった者」は、生きていく上で不都合がある。

普通の人が「我をなくすことが大切だ」と思って、それをしようとすると、愛想笑いばかりするようになり、なにごとも「なあなあ」で済ませてしまい、長い物に巻かれたがり、もめ事を嫌う・・・つまり、毎日をただ平穏に過ごす老人の真似をするようになる。
それで、「俺は人格者だ」とでも言いたい者というのは、単に年寄り臭いだけだったりするのだ。

このように、考えてみれば、自我の問題は難しい。
釈迦の弟子にも、自我の問題に気付いた人がいて、釈迦に、こう質問したのだそうだ。
「先生。聖者にも我(自我)はあるのでしょうか?」
すると、釈迦は答えた。
「ある。だから、聖者も出来事に対する反応は凡人と変わらない。だが、凡人は、その反応を維持・拡大しようとするが、聖者はそれをしない」
簡単に言えば、聖者は、いつまでもクヨクヨしたり、恨んだりしないのである。
ある名高い聖者の弟子が、師であるその聖者について、「先生はよく怒る。その様は聖者には見えない。だが、怒った次の瞬間、先生は機嫌が良い」と語っていた。
俗に言う、「気分の切り替えが早い」のである。
一方、「気分の切り替えが下手で、いつまでも引きずる」のが、力のない凡人だ。

天才発明家で能力開発指導者として名高かった中山正和は、般若心経のことを「クヨクヨしない練習」だと述べていた。
つまり、嫌な気分になった時、般若心経の最後の呪文「ぎゃていぎゃてい・・・」を唱え、気分を紛らわしてしまえば良いのである。
あるいは、好きな言葉を唱えても良いと思う。
「大丈夫」「絶好調」「神様の奇跡が起こる」その他、自分の好きな言葉を、繰り返し唱えれば良い。
そして、なるべく速やかに自我を消し、超人になれる方法が、最近、よくご紹介している呼吸法、
(1)呼気と共に「私はこれではない」
(2)吸気と共に「私は誰か?」
(3)呼吸を留め「私は神である」
を行うことだ。言葉は心で唱え、呼吸は静かに行う。
この呼吸を行うほど、自我は消え、神に近付く。あまり多くやると人間でなくなってしまうが、本当にそうしたくば、そうすれば良いだろう。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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