ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

釈迦

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

暇な時間を持つ大切さ

コンピューター科学者で、有名なLispプログラマーであるポール・グレアムの『ハッカーと画家』によればアメリカも同様のようであるが、日本では、庶民は、ある時期までは学校に、学校を終えてからは、会社を始めとする職場に長時間拘束される。
その結果、どうなるかというと、人間本来の優れた精神と身体を持つ機会を逸する。
我々は、身体や心を磨くには、厳しい、辛い鍛錬をすることが必要だと思い込まされている。
上位の人間になるためには、猛烈な勉強やトレーニングを、1日4時間、5時間もやる必要があるといった具合だ。
しかし、そんな訓練では、若い時に一時的に、そして、極めて限定された能力を持てるに過ぎない。
そして、そこそこ優秀な人間になるためには、やはり、辛い訓練を毎日2~3時間やるといった具合だ。
だが、人間が本来持つ、本物の力は、そんなやり方では顕在化出来ない。
とはいえ、正しくやれば、誰でも、苦しむことなく得られる。
すなわち、誰でも出来る軽い訓練を、長時間やれば良い。
しかも、一般のスポーツや勉強と違い、やることの種類は少なく、たった1つのことをやれば良い場合もある。
実際、キリストのような高度な神秘力を得た者は、たった1つのことを、毎日、6~10時間以上やった者が多い。

釈迦は王子様で、29歳まで、かなり自由な時間を持ち、仙人の行に励んでいたのだと思われる。それは、決して苦しい行ではなく、むしろ、楽しいものだったはずだ。
その後、釈迦は城を出て、35歳まで修行三昧したが、能力そのものは、城を出る前に得ていたのだと思う。
だから、釈迦を霊視したルドルフ・シュタイナーは、釈迦が悟りを開いたのは29歳の時だったと言うのである。
釈迦の29歳から35歳までは、修行と言うよりは、探求の期間、人々を導く準備をするための期間だったのだと思う。
イエスの場合も、王子様でこそなかったが、30歳頃まで実家暮らしで、理解のある両親の元で自由に知恵の探求をしていたと思われるフシがある。
江戸末期の偉大な超人神道家、黒住宗忠も、完全にそう(実家暮らしの苦労知らず)であり、彼はイエス並の奇跡の力を備えていた。

引き寄せの能力が強い者というのは、子供の時から友達が少なく、また、時間を取られる趣味もなかったので、多くは偶然に、精神、あるいは、肉体を時間をかけて磨いていた者が圧倒的だ。
概ね、そんなふうな状況で育った者の中でも、特に、読書好きで、しかも、その読書内容が精神的なものであった場合は、魔法的な力を獲得している場合がよくある。
アイザック・ニュートンがまさにそうで、彼は、数学や物理学、あるいは、天文学の研究は、ついでにやっていただけで、本当に熱心に行っていたのは神秘学や聖書の研究だった。

引き寄せの能力も、訓練で得られるところがあり、それには長時間かかる。しかし、訓練そのものは、誰でも出来る、楽なものだ。
仙人や導師や超人ヨーギのような、超人的な身体や精神力を得るのも同じであると思われる。
それこそ、腕振り運動をしたり、佐川幸義流の、足踏みに近い四股を、毎日、長時間踏んだりである。
だが、我々は、学校や会社等に長時間拘束されてしまっている。
しかし、たとえそうであっても、なるべく学校や会社等に関わる時間を減らし、また、つまらない友達付き合いや、下らない趣味や、飲酒や美食に時間を取られることなく、楽しい充実した修行に時間を注ぐ込むべきであると思う。
また、学校や会社の中でも、なるべく自由な時間を作り、修行するのだ。
私の場合は、若い時から、少なくとも会社では、大半の時間は自由にしていたが、不可思議な力により、いつも良い想いをしていたのである。








侵略不可能になるブッダの法

ロシアがウクライナ侵攻を開始(2022年2月24日)してから、かなり経つ。
ロシアの侵攻目的や、侵攻の状況は、日本では、アメリカ・イギリスの特定のメディアの情報しか報じないので、本当のところは全く分からない。
少なくとも、私は、日本のメディアの情報を、別に疑いはしないが、信じてもいない。

ところで、昔(2500年も前だが)、インドでマガダ国という強国が、ヴァッジ族の地域に侵攻し、征服しようとしていた。
ヴァッジ族は繁栄してはいたが、一部族でしかなく、マガダ国のような強国とは比較にならない。
だが、マガダ国王アジャータサットゥは、大臣をゴータマ・ブッダ(釈迦)の所に派遣することとし、大臣に、くれぐれもゴータマ・ブッダを敬い、機嫌を取ってから、この侵略に対する、ゴータマ・ブッダの意見を求めるよう命じた。
ゴータマ・ブッダの答はこうだった。
「私はかつて、ヴァッジ族に、7つの繁栄の法を説いた(ここで、7つの繁栄の法を明かす)。今、弟子達に確認したところ、ヴァッジ族は、その法を今も守っている。よって、ヴァッジ族には繁栄しかなく、滅びはない」
これを聞いたマガダ国の大臣は、自分は聞いたままをマガダ国王に伝えるので、侵攻は中止になると確信した。
マガダ国の大臣は、7つの法の1つでも守っている限り、滅びはなく繁栄があるだけだと気付いたからである。しかも、ヴァッジ族は、7つ全てを守っていたのだ。

先程も述べたが、ウクライナの本当の状況は、日本にいる私には全く不明だ。
釈迦の繁栄の法に準じた生き方をしている限りウクライナに滅びはないかもしれないが、支配層が、その法と反することを行っているなら、その支配層は排除されるだろう。
ちなみに、繁栄の7つの法は、あまりにも当たり前のことばかりである。
例えば、公平に意見を聞くとか、先祖や老人や女性を敬うとか、外から来た優れた人物を敬うなどである。
ちなみに、日本が他国に侵攻される可能性は、決してなくはなく、むしろ、その可能性は高まっているかもしれない。
しかし、私が見るところ、現在の日本は、釈迦の繁栄の法の1つも、十分に守られていない。
それなら、せめて、我々一人一人が、厳密に釈迦の繁栄の法でなくてもいいから(まあ、時代も違うし)、当たり前の法を守れば、結果、神風が吹くとかいうのではなく、現実的な方策と幸運で滅びを免れ、さらに、国内の悪を一掃し、奇跡を起こせるかもしれない。
尚、釈迦の繁栄の7つの法は『大パリニッバーナ経(翻訳:ブッダ最後の旅)』にある。








超少食や極端な炭水化物制限には反対

釈迦は王子様だったが、29歳で城を捨てて出家し、超少食の苦行に励んだ。
しかし、修行の結果、35歳で、「こんなことやっちゃ駄目だ」と理解し、極端はいけないと悟った。

釈迦と一緒にして悪いが、私も10年ちょっと前、不意に超少食を始め、短期間で30kgもダイエットした。
それで良い面も確かにあったが、それを何年も続けた結果、損害の方も大きくなった。
しかも、間が悪いことに、超少食を始めて数年の頃、糖質制限ダイエットを知り、「これだ」と思って糖質を徹底制限したら・・・老死しかけた(笑)。いや、冗談ではない。
身体が衰えただけでなく、記憶力や冷静な判断力が、かなりなくなったと思う。
そのままいけば、脳がヤバいことになっていたのではと思う。

世の中には、超少食の菜食・・・凄いのになると不食(全く食べない)で非常に幸せになり、さらには、幸せになった自分が世界平和のための活動をバンバンやってますってラッパを鳴らしている人がいる。
私は別に、彼らのことを疑ってはいないが、信じてもいない。
そして、彼らがそう主張するのは勝手だが、決して真似するなと言いたい。

詳細を知っているわけではないから、名前は挙げないが、ある有名な男性ポップ歌手が、超少食療法で知られる医師に感化され、超少食を実施し、かなり痩せた。
しかし、あくまで私の主観だが、痩せたのに少しも格好良くならず、「貧弱になった」としか思えなかったし、以前はパワフルだった歌声が、ひどい衰え様だった。
それでも、本人は、自分は素晴らしくなったと思っている・・・この気持ちは、経験者としてよく分かる。
ところがある時、彼の身体を検査したところ衰えが酷く、それほどの年齢でないのに、骨年齢が70歳を超えていたという。
私は当然だと思った。

『バガヴァッド・ギーター』で、至高神クリシュナさえ、アルジュナ王子に、
「食べ過ぎてはいけない。しかし、少食過ぎてもいけない」
と言っている。
これは、極端を排し、中道(一方にかたよらない穏当な考え方・やり方)を行くという、釈迦の教えとも一致する。

ただ、これまで大食・美食だった人が、節度ある適切な食事をすることが難しいのも確かで、この場合、ある期間、無理してでも超少食を実践する意味はあると思う。
私がそうだった。
気紛れを起こして、超少食に取り組まなければ、今頃、死ぬか重病患者だ。
人によっては、実際、重病などで胃腸が駄目になって「食べられない身体」になったり、強制的に食を制限される惨めな状態になる場合も多く、そうなる前に、何とかしたいものだと思う。

美味しいものをいっぱい食べながら、運動もせずに痩せる方法が一番有り難いと思うが、もし、そんなものがあっても、手を出せば、後で後悔するのではないかと思う。
それが不自然だからだ。
いかなることでも、不自然なことはやらないことだ。
この世界で幸福になるためには、自然である(ナチュラル)ことが必要で、実際、「自然な」という言葉ほど美しい言葉はない。

ちなみに、私は今でも1日1食である。
ただし、しっかり間食している(笑)。
1日1食なんて言ってる人は、皆そうであると思う。
そして、これは悪いことではなく、むしろ、非常に良いことだ。
というのは、間食をして、食事の時にあまり食べないようにすれば、胃腸は重い負担をかけられず、無理をせずに済むからだ。
1日1回の食事だからと大食いすれば、胃腸に過剰な負担がかかり、やがて異常を起こしかねない。
もちろん、間食に関しても、大相撲のどこかの元横綱のように、お菓子を食べ過ぎて肥満してしまうようではいけない。
コツとしては、しょっちゅう、少しずつ食べることだ。
それも、出来れば、チーズとかナッツが良い。
もちろん、多過ぎなければ、甘いものでも問題ないし、十分な炭水化物は絶対必要だ。個人的には、極端な炭水化物制限を勧める医者は無責任か馬鹿かのどちらかだと思っている。
私も、甘いものが大好きで、特にチョコレートは毎日食べているが、全く害はない。
自分の体形を客観視するため、昨年11月、初音ミクさんライブ「マジカルミライ2021」に行った際、ホテルで写真を撮り、Twitterのプロフィール画像にしてあるが、昔ほどの貧弱さがなくなった。まあ、マッチョではないし、全然マッチョになりたくもないが(笑)。
【リンク】KayのTwitter Home








偉人の教えを諦めた者のやり方

とりあえず「啓蒙家」と言うが、中村天風という、今でも沢山の崇拝者がいる凄い人がいたのだが、彼の教えの基本は、具体的には、片時も怠りなく肛門を引き締めよだった。
また、知名度では中村天風に劣るが、知る人にはやはり最高の偉人と思われてるはずの岡田虎二郎は、片時も怠ることなく、腹に力を込めよと教えた。だが、岡田虎二郎は、別に、念仏を唱えることでも良いし、何でも良いと言っており、中村天風の教えでも全然良いのだと思う。
そして、そこまでいかなくても、ほとんどの偉大な指導者の教えは、やはり、なるべく長時間、アファーメーションや真言、念仏、祈り言葉を唱えたり、瞑想したり、イメージしたりせよということだが、私は、長い間、研究した結果、それは完全に正しいのだという結論に達した。
その上で、それは私には難しいというか、有体に言えば、無理だと諦めた。
だけど、一度は挑戦することは無駄ではないと思う。
その結果、本当にやれたのなら、それで間違いないのだから、そのままやれば良いのである。

そして、私は、自分が、あり得ない奇跡を起こした時の状況を分析したり、意図的に奇跡を起こしてみた結果、効果としては、少なくとも、イエスがやることの1~3割は可能な、誰でも出来る方法があるのだと分かった。
そのやり方は、いろんな表現が出来てしまうが、思いつくままに言ってみる。
それは、1秒だけ、奇跡を起こせる者・・・イエスや釈迦になれば良いということである。
イエスや釈迦は、生きたまま、神や仏になれた人で、そのような存在を、キリストとかブッダ(仏陀)と言うのである。
つまり、1秒だけ、キリストやブッダになれば良いのである。
ずっと、キリストやブッダでいることは無理でも、1秒なら可能である。
イエスや釈迦がどんな人か知りたいなら、イエスなら、『新約聖書』の中の「福音書」、釈迦なら、『法句経(ダンマパダ)』を読み、イエスの言葉や釈迦の言葉を言うような人だと思えば良いと思う。
そんな言葉が自発的に出てくる者を、キリストとかブッダと言うのである。
そんな雰囲気を掴めば良い。
つまり、福音書は自分の物語で、『法句経』は自分が言ったことだと思えば良いのである。
仏教の他の経典でも良いが、『法華経』や『浄土三部経』などは、かなり作り話が入っているので、この目的に関しては、うまくいかないのではと思う。
また、『バガヴァッド・ギーター』を読んで、クリシュナ神になるというのも良いが、やや難しいと思う。

もし、面倒なら、『新約聖書』、『法句経』、『バガヴァッド・ギーター』を持って(あるいは、特に電子書籍の場合は持っているとイメージして)、「これは私の物語」「これは私の言葉」と思うだけで良い。
それで、1秒だけ、イエス、釈迦、クリシュナになりきるのである。
そして、その1秒の間に、願いが叶ったことを念じるのである。
細かく具体的に思わなくても、自分の願いが分かっていれば、「なった」と心で言えば良いのである。
「なった」でなくても、適切であると思う言葉であれば「消えた」「清くなった」「やれた」など、何でも良い。






脳の中のたった1つのコマンドを上書きする

人間の脳の中には、ただ1つのコマンド(命令)が入っている。
それは、
「生きろ」
だ。
逆に言えば、先天的には、それ以外・・・「生きろ」以外のコマンドは入っていない。

だが、第一のコマンドほどではないにしろ、後天的に、別のコマンドを入れることが出来る。
アメリカ映画『フォレスト・ガンプ』(1994)で、知的にやや障害がある男フォレスト・ガンプは、子供の時、ガールフレンドのジェニーによって、
「逃げろ」
というコマンドが入れられた。
それで、フォレストはひたすら走って逃げ、そのコマンドに従い続けることで、大学アメリカン・フットボールのスターになり、ベトナム戦争で勲章を与えられた。
また、彼は、母親によって、幼い時に、「従順であれ」「約束を守れ」といったコマンドが入れられていたが、それが、「逃げろ」と合わさって、彼は成功し、有名になり、お金持ちになった。
だが、やはり、彼にとってラッキーだったのは、ジェニーに「逃げろ」というコマンドを与えられたことだった。

セールスマンなら、「売れ」というコマンドを脳に入れることが出来れば成功する。
プログラマーなら、「プログラムしろ」で、それで、有能なプログラマーになって楽しく生きられる。
詐欺師なら、「騙せ」で、騙すことが天性になれば、大詐欺師になって、充実した人生を生きられる。

普通の人は、母親やテレビから、ロクでもないコマンドを入れられているものだ。
代表的なものは、母親からは「試験の点を取れ」、テレビからは「長い物には巻かれろ」だ。
まあ、もっと下らないコマンドを入れられてしまって、人生を台無しにしている者が多い。
脳の中に、最悪のコマンドを入れられてしまった我々は、どうすれば良いのだろう?

人生とは、脳の中のコマンドで作られていることが理解出来たら、自分で、フォレスト・ガンプの「逃げろ」並の、強力な、素晴らしいコマンドを入れることだ。
推測するなら、
ビル・ゲイツは、「パソコンを使わせろ」
イーロン・マスクは、「人類を前に進めろ」
ジェフ・ベゾスは、「買わせろ」
スティーブ・ジョブズは、「手順に従わせろ」
マーク・ザッカーバーグは、「(人同士を緩く)くっつけろ」
だ。
あなたも、自分の脳に、少しはマシなコマンドを入れれば、人生は良いものになる。

それでは、人類の教師達は、どんなコマンドを人々に与えようとしたのだろう?
「生きろ」と同等レベルのコマンドとしては、以下の通りと思う。
イエスは「父なる神を愛せ」、神クリシュナは「我を愛せ」で、つまるところ同じだ。
神道の黒住宗忠は「神にまかせろ」だし、ラマナ・マハルシも実はこれだった。
しかし、つまるところ、全て、「神を愛せ」なのだ。
そして、釈迦は、相手に応じていろいろ教えたが、本当に最後は「念仏しろ」だったのではないかと思う。
それ(念仏)も、結局、イエスらと同じなのだが、具体的な方法である。
(現在は、念仏は葬式に使うものというおかしなことが定着してしまったが)
とはいえ、実はそれは、最も古い教えを復活させた根本的なもので、それで、イエスらのものも全部、同じコマンドでまとめられる。
それは、
「神仏の名を唱えよ」
だ。
「プログラムしろ」「騙せ」「人類を前に進めろ」があれば、容易く成功するだろう。
だが、最上のコマンド「神仏の名を唱えよ」が、第一のコマンド「生きろ」を上書きすれば、神仏と融合する。
これが錬金術の秘儀であり、最高の神秘である。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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