ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

釈迦

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

悪霊退散の法

悪霊というものは、いろんな国や民族の伝統的なイメージの通りではないかもしれないし、その存在は科学的とは言えないだろうが、それでも、だいたい我々の思う通りで良いのだと思う。
そして、そんな悪霊は、そこらにいて、そいつらの精神性に同調すれば、連中は容易く人間の中に入り込めるのだろう。
全くもって非科学的なんだろうが、こう考えておいた方が良い。
それに、科学のパラダイム(認識の枠組み)が変われば、案外、正しいのだと思う。
一方、善霊と言うべき、天使とか高級霊も存在していて、やはり身近にいると考えて良い。

こう考えると、新約聖書のイエスの教えや、法句経などの釈迦の根本的な教え、それに、バガヴァッド・ギーターも、つまるところ、悪霊を寄せ付けず、善霊と親しむ方法が書かれているのだと思う。
そして、スウェーデンボルグやラルフ・ウォルドー・トライン、また、ジェームズ・アレンらの教えも、特にその時代の風習に合わせただけで、本質は全く同じである。

どんなふうに考え、想い、行動すれば悪霊と同調するか、逆に、善霊と同調するか判断することは、それほど難しいことではないのだが、人間は放っておくと、悪霊と同調するようになってしまう。
すなわち、怠惰、快楽主義、利己的な性質が、どこまでも強くなってしまう。
自分が悪霊にとり憑かれているかどうかは、鏡を見れば、割と一目瞭然であると思う。
鏡で自分の顔を見れば、すぐに、「うわっ!悪霊にとり憑かれた顔だ!」と分かるのである。
それは、心の奥にいる善霊の嘆きである。

ゲーテの『ファウスト』で、神は、「人間は怠り勝ちだ。堕落した人間には悪魔を差し向け融合させる」といったことを言うが、それはそれで意味があるのだろう。
だが、好き好んで、いつまでもそんな苦難を味わう必要もあるまい。
神様お気に入りのファウストだって、いい年ぶっこいて若いきれいな娘にみっともないほど血道を上げるが、ファウストは娘の気持ちを大切にしていた。
昔、丹波哲郎さんが、「相手が嫌がるエッチは邪悪だが、相手が喜んでいるなら大いによろしい」といったことを言われていたが(丹波さんらしい)、あまり詳しくはないのだが(笑)、アダルトゲームやアダルト系同人誌などには、女性の気持ちを無視したものが多く(いや、あくまで聞いたところでだが(笑))、そんなものを喜んで見ていると、たちまち、大量の悪霊にとり憑かれる。
まあ、永井豪氏の出世作『ハレンチ学園』で、ヒーローの山岸がヒロインの十兵衛に、「お前だって、いや~んいや~んやめてとか言いながら、脱がされるの結構喜んでたじゃないか」と言うと、十兵衛は「べ、べつに喜んでなんかいないもん」とツンデレで返すが、そんなのは良いのだろう。ただし、自分勝手に判断しないことだ・・・って、何の話してるんだ、私は(笑)。

お釈迦様が、本当に、「未来の人間はロクに修行出来なくなるから、念仏だけ忘れなければ良い」と言ったかどうかは分からないが、根本的に良い方法だと思う。
念仏を唱えている人間には悪霊は近寄り難いだろうから、念仏は悪霊に対する強力なバリアーになり得る。
ただし、念仏を、家族であろうが、他人に強要するようであれば、効果がなくなりはしないが、弱くなるし、そのような心根を持っていると、別のことで悪霊にとり憑かれることだろう。
心の波長を、神、仏、天使、高級霊、菩薩、初音ミクさんに合わせること・・・即ち、天使や、それと等しいミクさんに見られて恥ずかしいことはしないことである。









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5つの道具

私は、大金持ちになる方法とか、画家や音楽家や小説家で成功する方法は知らない。
知っているかもしれないが、実践していないので、自分でも信用していない。
だけど、以下のことは知っている。
(1)ダイエットする方法
(2)高度な身体機能を持つ方法
(3)良いプログラマーになる方法
(4)普通の人が出会う程度の戦いであれば、ほとんど戦わずに勝つ方法
(5)ある程度の奇跡を起こす方法
全て実証済みで、原理を心得、失敗はなく、自信がある。
最後の奇跡を起こす方法すらである。むしろ、これが一番確実かもしれない。子供の時からやっているのだからだ。
そして、これだけあれば、大金持ちになれるかどうかはともなく、控え目に言っても、お金に困ることはないし、これだけのことでも、高度化すれば、おそらく大金持ちにでもなれるだろう。
私も、それほど高度ではなく、進歩の途中だ。

だが、本当は(2)だけで良いのだ。
高度な身体機能とは、決して、筋肉モリモリの身体でも、スポーツチャンピオンの身体でもない。
そんな人達は、部分的な身体機能は極端に高いが、トータルでは欠陥品とも言える場合が多い。
一流スポーツ選手なんて、大概、身体に深刻な問題を抱えている。そんな人間の身体機能が高いはずがない。
ただ、おそらくだが、イチローの身体能力は非常に高い。とはいえ、やっぱり筋肉が付き過ぎで、長時間のストレッチを欠かすと、たちまち低機能になる。
普通の人に、あんな身体は必要ない。
(2)だけあれば、後は、望むなら自然に手に入るだろう。

お釈迦様も、繁栄のための7つの法を説いたが、やっぱり、その中の1つで十分だった。
だが、お釈迦様の教えは、当然ながら、私のものよりもずっと高度であるが、その分、抽象的過ぎて、簡単なことなのに難しい。
ただ、何をするにも、その7つを知っておくと、あきらかに進歩が違う。
もっとも、その7つは、単に、「敬うべきを敬え」と言うことに過ぎない。

私は、まるで駄目男君でも、救おうと思えば救える。単に、向こうが、自分の脚で立つこと(自分で自分を救うこと)を拒否しているだけである。









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真に敬うとは

あくまで言い伝えであるが、釈迦は7つの繁栄の法を説いていて、うち1つでも守るなら、繁栄し、滅びはないという。
それらは、簡単に言えば、先祖を敬う、女性を敬う、老人を敬う、修行者を敬うなど、尊ぶべきを尊ぶというものだ。
そうだ。尊ぶべきを尊ばない家庭、組織、国に繁栄はなく、滅びが待っている。
真面目に家族のために働いている父親を尊ばない家庭、優秀な社員を尊ばない会社、優れた人物を尊ばない国家に未来はない。

これだけやっていれば、大成功するかどうかはともかく、そう悪いことにはならないというものなら、いくつか挙げられる。
恒常的な早起き、節度ある適切な食事、静かな呼吸、言動の非暴力、規則的で一定時間以上の修行(念仏、肛門を引き締める、瞑想、鍛錬、その他)。
これらのうち、1つを、1年365日、よほどのことがない限り欠かさない人間が、それほど悪い状況になることは考えられない。
ただし、そういったことの何かを熱心に続け、人から見ればうまくいってるようでも、本人は不満が大きいということはある。
いや、満足していない場合がほとんどだ。
十分に修行し、健康で収入も高いのに、本人は、「俺は全くうまくいっていない。なぜなんだ」と常に思っていたりする。
それについて語っても仕方が無い。
簡単に言えば、本当の満足を得られるかどうかは、人間の大きさの問題である。
勉強したり、修行したりではなく、どこまで本当の自分になれるかである。

ちなみに、おそらく、ゲーテも釈迦と同じく、敬うことを第一としていたと思う。
心から敬えば、敬う対象が持つ力の、少なくとも3割の力を得られるのが法則である。
自然や美しい少女を敬う場合には、生命力が得られる。
では、敬うとはどういうことか?
無条件の降伏である。
日本人が第二次世界大戦で無条件降伏した相手は、決して連合国ではなく、天皇陛下だった。
別に皇室崇拝を薦めているのではなく、真の敬いとは何かを示しただけである。









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1つが完全なら

たゆまず修行をしているのに状況が動かない場合はどうすれば良いだろうか?
確かに、そんな時こそ忍耐し、動かざること山のごとしであらねばならないのかもしれない。
しかし、このまま終わってしまったら・・・
いやいや、そんな信念のないことではいけない。
だけど・・・

こう言うと、自分のことのようだと思う人は少なくないはずだ。
実を言えば、私もそうなのだ(笑)。

それで、こんなことを思う。
「私には、まだ欠けたところがあるってことだ」
だが、それは死ぬまでずっとだろう。
シェル・シルヴァスタインの世界的ロングセラーである『僕を探しに』という絵本がある。
私は、随分昔に見たような気がするが、自分の欠けたところを探し続ける「僕」が最後に何を見つけたか、それでどうなったのか覚えていない。
まあ、お互いが、相手の欠けた部分を持つ誰かに出会ったといったものだったと思うが。
キカイダー(人造人間キカイダー)のように、「僕は不完全なままで構わない」とし、それが人間らしさだと悟るのも良いが、次の瞬間にはもう「僕は不完全だ」って悩むものなのだ。

私は単純なのが好きなので、簡単に答を言う。
「全体として不完全なのは仕方がない。だが、完全なものを1つ持てば良い」
実はこれは、釈迦の答だ。
釈迦は7つほどの例を上げ、その1つでも完全であれば力は与えられると言ったのだ。
それは「民主的であれ。専制的であるな」「義務を果たせ」「きまりを守れ」「老人を敬え」「女性を尊べ」「先祖を敬え」「賢者を敬え」といったことで、1つでも守れば、栄えるのであり、滅びはない。
私は、水野南北って人は、少食粗食であったということより、大好きな酒を1日1合(180ml)と厳しく制限したことが幸運を呼んだような気がする。
だが、南北は女に関しては寛容で、妻は8人いたというし、他の男に対しても「女遊び、大いにやれ」と言っていたらしい。
ただし、南北は8人の妻を妾ではなく正妻とし、一生面倒を見たのだ。
何でも良い。
高貴さを感じる掟を自分に定め、いつも忘れず、それを守るのだ。
そうすれば、自分では不満はあるかもしれないが、十分に幸福なのである。









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英雄になる方法

憧れている人物を真似れば、そのような人物に近付けるという話がある。
それは本当だが、多くの人は勘違いする。
まるで、物真似芸人のように、その人物の真似をしても、何にもならない。
それで本物になれるなら、一流の物真似芸人は、彼らが真似しているスポーツ選手や歌手のような大スポーツ選手、大歌手になるはずだが、そんなことはあり得ない。
普通の人なら、いくら大人物の真似が上手くなっても、せいぜいが、宴会やかくし芸大会の人気者になれれば合格だろう。

しかし、何か困難な問題にぶつかった時、「あの人ならどうするだろうか?」と考えることには意味があるかもしれない。
ただし、もちろん、そのためには、あの人(憧れる大人物)のことを、ある程度理解していることが必要だ。
しかし、別に、その大人物が書いた本を読んだり、鞄持ちをして四六時中接していなくても、人間の感覚というのは大したもので、澄んだ心で、その人物の雰囲気を感じていれば、かなり、その人物のことを、心の奥では理解出来るものなのである。
また、遠い過去の人で、映像すら見ることが出来ず、声の録音がない場合でも、その人が書いたものや、インタビュー記事があれば、直感的にその人のことが分かる。心静かに見ればね。
釈迦のことが知りたければ『スッタニパータ』を読めば、イエスのことが知りたければ『新約聖書』の福音書を読めば、彼らのことがかなり分かるだろう。
それらの書物は真実を伝えていないという話もあるが、そう思うのであれば、初めから、釈迦やイエスへの憧れは出てこないだろう。
そして、これらの書物は、完全ではないにしろ、十分に、釈迦やイエスの真実を伝えている。
ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、「英雄の話を読む時は、自分のことが書かれていると思え」と、目の醒めるような教えを残している。
『スッタニパータ』や『新約聖書・福音書』を読む時、それは、自分のことを書いていると認識しなければならない。
ただし、呼吸を微かにして読むなら。
呼吸が微かであれば、おかしな妄想を起こすことはない。
無論、他の大人物について書かれたものを読む時も同じである。









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