ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

道徳

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

子供は天使か悪魔か?

カリフォルニア州弁護士のケント・ギルバートさんが昔、テレビで言っていたと思うが、日本では子供は天使と見なされ、子供に対し「そのままでいいんだ」と甘く扱うが、欧米では子供は悪魔だと見なされ、悪魔でなくなるようガンガン厳しく躾けるという。
もちろん、話を分かり易くするために、やや極端な表現をしたのだと思うが、私は自分の子供時代の自分自身やクラスメイトのことを思い出すと、圧倒的に欧米型が正しいように感じる。
また、コンピューター科学者(ハーバード大博士)で一流プログラマーで事業家であるアメリカ人のポール・グレアムは著書『ハッカーと画家』で、子供は見かけが天使に見えることもあるが、ニコニコ笑いながら蜘蛛の脚を引きちぎってしまうような悪魔であるといったことを書いていたと思う。私も全くその通りと思う。

では、改めて、子供は天使か悪魔か、そして、放任するか厳しく躾けるのかという問題を考えると、答は「子供を全部一緒にするな」である。
放任した方が良い子もいるし、厳しく躾けないといけない子もいる。また、条件付きで放任した方が良い子もいる。
そして、それを各子供についてどう判断すれば良いかというと、頭の良さだ。
一応、頭の良さをIQ(知能指数)と言っても、それほど間違いではないと思う。
平均IQは100だが、IQ110までは「頭が悪い」として、ある意味軍隊式にガンガン躾けないといけない。
だから、基本は欧米型が正しい。
IQ110からIQ120までが微妙だが、このIQの子供も基本はやはり厳しく躾けないといけない。しかし、「話せば分かる」部分もあり、過度な押し付けは良くない。
IQ120以上は、基本的なことは高圧的に教える必要があるが、このくらい頭が良いと、小さな頃から道理が理解出来るので、賢い大人が話して教えるのがベストだ。むしろ、特に馬鹿な大人が自分の正義を押し付けると、賢い子の心が歪む危険がある。
どこかの老アニメ監督が『君たちはどう生きるか』なんてアニメでものを教えようとしていると思うが、そういったものが多少でも有効なのはIQ110未満の頭が良くない子供だけだ。IQ110以上の子供には見せてはならない。

尚、倫理的なことは、本当に倫理的に正しいことをしっかり教えないといけない。
しかし、アメリカでも日本でも、学校もテレビもモラル(倫理と同じと考えて良いと思う)を壊すことばかり教えてしまっている。
おそらく、モラルを失くすとIQも下がるはずである。

新渡戸稲造が西洋人に「日本では宗教を教えずに、どうやって道徳を教えるのか?」と詰問されたと言うが、この道徳も、一応、倫理やモラルと同じと考えて良いと思う。
そして、IQが低い子供には、確かに、宗教を利用して道徳を教えるのは合理的である。
だが、ラルフ・ウォルドー・エマーソン(『自己信頼』の著者)のように、IQが高い子供から見れば、牧師の教えなんて穴だらけ矛盾だらけだ。
彼が子供の時、牧師に「あなたの教えは正しいと思えない」と言い、牧師が「その考えは悪魔のものかもしれない」と言うと、エマーソンは「僕の本性が悪魔なら、僕は悪魔として生きる」と言ったらしいが、それは、エマーソンのように頭が良い子供にのみ正しいことで、頭の悪い子がエマーソンの真似をすると、人々の災厄になる危険が大きい。
エマーソンは18歳でハーバード大を卒業するほど優秀だったが、そんな人も、他の人間が馬鹿であることに気付かず、人間の愚かさを性格の悪さみたいなものと考え勝ちなのである。
たとえば、心理学者のアブラハム・マズローは大学院生時代、IQテストを受けたら198であるという結果が出て、ようやく、自分は他の人より頭が良いことを納得したらしいが、賢い人ほど謙虚であるという原則通り、マズローも自分が賢いとは思っていなかったのだ。
尚、実際はIQ198なんてものは、単なるIQテストの結果で、IQは120を超えると、後はIQテストに向いているかどうかだけの問題らしい。
つまり、天才というのはIQテストでは分からない。
世間で言う、アインシュタインのIQが180だったとか、どこぞの有名人のIQは150だとかいうのは全部デマと思って間違いない。
アインシュタインはIQテストが得意なタイプではなく、多分、受けたら120そこそこの結果と思う。
天才物理学者と言われたリチャード・ファインマンもIQは120台だったと言われるが、実際にそうでも不思議はない。

満月の夜
AIアート532
「満月の夜」
Kay


1つの提案として、頭が悪い子には、とにかく「お金を大切にしろ」、いや、「徹底的にケチになって節約しろ」と、子供の時に厳しく躾け、無駄遣いを許してはならない。
そうすれば、大人になって悲惨な目に遭わずに済む確率が飛躍的に高まると思う。
それほどの収入がないのに、気前よくお金を使ったり、好んで高級車に乗りたがるのは、頭が悪いのに、子供の時にお金の躾けをされなかった不幸な人間である。
また、弱いものいじめをしたら、それが頭が悪い子なら、本当は殴って「体に教え」ないといけない。でないと分からないのだ。
頭が悪いのに甘やかされた子供が周囲の人々に害をなすのである。暴力、自分勝手な迷惑行為をするのがそうであり、性犯罪もまさにこれである。
困ったことに、かなり前から、学校教師にこのタイプが多い。
頭が良い子が洗脳されたら大きな災禍になるが、それは別問題である。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)自己信頼(紙の本)
(2)自己信頼(Kindle本)
(3)まだGHQの洗脳に縛られている日本人(ケント・ギルバート)
(4)日本人だけが知らない本当は世界でいちばん人気の国・日本 (ケント・ギルバート)
(5)ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち(ポール・グレアム)
(6)ご冗談でしょう,ファインマンさん 上
(7)完全なる人間 [第2版]:魂のめざすもの(マズロー)

正義を語る者のIQが低い理由

道徳心とIQが厳密に比例すると言ったら、否定するどころか猛反発する人も少なくないはずだ。
しかし、やはり、道徳心とIQは完全に比例する。
だから、正義の話をさせると、その人のIQは丸分かりになる。

道徳心が低くてもIQが高い人間は存在しない。
ただ、その人がまだ若く、IQが高い時に成功し、社会的影響力を持ったが、道徳心をなくしてIQが下がったのに、社会的影響力が残っている場合があり、そんな人が、今でも賢いと誤解されていることはよくある。
また、アドルフ・ヒトラーがIQ150以上の天才であったなんて言う者もいるが、彼は低IQであって、利用されただけだ。
彼の自伝、『わが闘争』を読むと、あまりのIQの低さに見るに耐えないのである。

真にIQが高い人は、進んで正義の話などしない。
正義の話を熱く語り、「私の正義は」などと言う者はIQが高くなく、むしろ低い。
では、本当の正義とは何かと言うと、思考が消えていることである。
だが、これを理解する者は、かなりIQが高い者に限られる。
ただし、何かの瞬間にIQが極端に上がった時に不意に、それを理解する場合もある。
そんな時のことを、「神との出逢い」「天使の出現」と言われてきたのである。

いまだ、IQは生まれた時に決まっていて一生変わらないと思い込んでいる人が多いが、それは、庶民がそう洗脳されているからである。
実際のIQは、人生のいつからでも、急激に上がったり、逆に急激に下がることもある。
かなり多いのが、IQが高い人が、運もあって大成功し、何でも出来る富や権力を得た時、ついつい欲望に負けて不道徳なことをし、それが癖になって、どんどん邪悪になって、IQが大きく下がることだ。
そんなふうにして、元々のIQが150超だったのが80以下になり、配下の者達に心の中では馬鹿にされている・・・というのは珍しいことではない。
歴史の権力者の大半はそうであったし、今の大事業家や大政治家も、かなり多くがそうではないかと思う。

妖精の幻視
AIアート307
「妖精の幻視」
Kay


引き寄せ界では「不道徳な願いでも叶うか?」という議論があるが、答えは「ノー」だ。
叶えたいが、不道徳である場合、それが叶わなくても良いことを自分に納得させることでIQが上がるのである。
また、確かに不道徳な願いを叶えた者もいるが、それは、引き寄せではなかった場合が多いが、引き寄せであろうがなかろうが、不道徳な願いを叶えてしまうとIQは大きく下がってしまうし、不道徳な願望は叶うと癖になるので、それを継続させ、さらにIQが下がる場合が非常に多いのである。








道徳心とIQの興味深い関係

道徳心や倫理観に欠け、自己中心的で他者に迷惑や損害を与えても平気な人が世の中には沢山いる。
そんな者達を見て、あまり気にしない人もいれば、我慢がならない、本音を言えばこの世から消し去りたいとすら思う人もいるだろう。
ところで、そんな劣悪な人間は、一般的には、人間性が低いとか、性格が悪いとか、流行りの(?)言葉で言うなら、サイコパスであると思っている人が多いと思う。
それは全くの間違いだ。
この世に、性格が悪い人間とか人間性が低い人間などいない。
ただ、IQが低い人間がいるだけである。
上で言ったような劣悪な人間は、単にIQが低いだけである。
簡単に言えば、猿が人間として生活しているようなものだ。
猿は猿として扱えば可愛いものであるが、それを人間として扱えば大迷惑では済まないが、それと似たものと思えば良いだろう。

「いや、IQは高いが、道徳性に欠ける者はいる」と言いたいかもしれない。
それも間違いだ。
正しく言えば、「元々はIQが高かった道徳性に欠ける人間がいる」である。
IQは多くの人が誤解しているように、一生でほとんど変わらないものではなく、大きく変動するものである。

IQが低い人間は、道徳や倫理なども含め、道理というものを理解する能力はない。
これはどういう意味だろうか?
実例でお話しよう。
私は、ある時、電車に乗っていて、こんな高校生を見た。
シルバーシートの5人掛けくらいの座席の真ん中に座り、左右に通学カバンと、運動部の部活用のバッグを置いて平然と座っていた。
この男子高校生は、人間性に欠けるのかというと、そうではなくIQが低いだけなのだ。
この男子高校生の顔を見ると、全く知性に欠けていることがはっきり分かった。
かなりの研究も行われているが、IQというものは、その人間を少し観察すれば、ほとんど誰でも正確に分かるものなのである。
この男子高校生に、こんなことをしてはいけないという道理を教えても無駄である。
なぜなら、彼には、なぜ、そんなことをしてはいけないのかが絶対に理解出来ないからだ。
だが、こんな高校生だって、ちゃんと教えれば理解出来ると誤解している者が大多数であるから、世の中がおかしくなっているのである。
こんな高校生には、道理など一切説明せず「今度こんなことをしたら退学だ」といった感じで言うしかない。これなら低いIQでも理解出来るからだ。

突然の風
AIアート304
「突然の風」
Kay


では、もう事実が明白であるが、汚職の限りを尽くしているアメリカのバイデン大統領はどうであろうか?
人によっては、彼は元々、デラウェア大学という三流大学を最下位に近い成績で卒業した無能者と言う者もいるが、若い頃の彼は、そこそこ優秀であったことは確かと思う。
しかし、バイデンは、もうずっと前から、痴ほう症と言われるほど知性が衰えている。
彼も、若い頃は道徳に反することをしたら後ろめたさを感じていたが、それでも止めずに悪いことを続けているうちに、道徳が理解出来ないようにIQが下がってしまったのである。
IQはその人の行動に合わせて、高くなったり低くなったりするのである。
このことは、ヒラリー・クリントンやナンシー・ペロシといった、元々は超優秀だった人達を見るとよく分かり、この十数年の彼女らの言動は、まさに低IQ者のものである。
道徳心がいかにIQを左右するかは重要なことである。








最低人間が救われる道

私は高校生の時、ゲーテが彼のどれかの詩で、「どんな立場の人間も、所詮は人格が一番大事だ」といった意味のことを書いているのを見て、完全に同意した鮮烈な思い出がある。
良い人生になるかどうかは所詮人格で決まる。
高い人格とは、人間性が磨かれて出来るもので、人間性を磨くには、少々、厳しい面もある。
ただし、「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と言うように、確かに、苦労は人間性を磨き、人格を高めることが多いが、必ずしも、苦労が人格を高めるわけではない。

ところで、アニメや漫画では、中学生や高校生の男女が素晴らしい恋愛をする話が多い・・・いや、ほぼ全てがそうだと言えるだろう。
だが、素晴らしい恋愛には、ある程度の人格が必要なのである。
そして、アニメの主要な登場人物達は、欠点はあるにしても、よく考えたら、あの若さで信じられない人格を持っていることに、私は啞然とするのである。
(『カードキャプターさくら』の小学4年生のヒロイン、木之元桜は中身は50代以上と思っている)
素晴らしい容姿を持っている者は、恋愛がし易いかもしれないが、それが素晴らしい恋愛になるには、必ず、それなりの人格が必要なのである。
確かに、恋愛が人格を磨くという面もあるが、最初から、ある程度の人格がなければ、そもそもが、まともな恋愛にはならない。
中学生や高校生で、彼氏彼女がいて、それなりに幸福にやっている者というのは、人間的に大したやつらなのであることは疑いない。

ところが、20代はおろか、30代やそれ以上でも(老齢でも)、良い恋愛に足る人格を持っていない者が多い。
現在、未婚が多いことに対し、肯定的な解釈がされることも多くなったが、実際は、単に、恋愛に必要な人間性、即ち、人格がないだけなのだ。
その証拠に、未婚が高いに関わらず、離婚が多い。
人間性の低い者同士(片方の人間性だけが低い場合もあるかもしれないが)結婚しても、うまくいくはずがなく、離婚にいたるのは当然で、離婚しない場合には家庭が崩壊する。
家庭崩壊の原因も、単に、夫婦の人格の問題である。

人格は道徳に表れ、道徳は普通、伝統やしきたりの中で教えられるが、伝統やしきたりを効率的に教えられるのは宗教だ。
新渡戸稲造が『武士道』を書いたきっかけは、キリスト教徒の婦人が新渡戸に、「日本では宗教を教えずに、どうやって道徳を教えるのか?」と非難混じりに問うたからで、新渡戸は、日本には武士道ありと言いたかったのだろうが、はっきり言って無茶苦茶である。
武士道にも良い面、あるいは、非常に優れた面もあるだろう。
しかし、早い話が難し過ぎるし、それ以前に、曖昧過ぎる。これで道徳を教えるなど、スポーツ教育を竹馬競争に限定するようなものだ。
新渡戸稲造に、日本人が宗教教育をしないことを批判した婦人は、宗教が道徳教育になると考えているのだろうが、必ずしもそうではないだろう。
とはいえ、敬虔なキリスト教徒の家庭であれば、かなりの割合で、子供は必要な人格を備えることになるのではないかと思う。
少なくとも4割、ひょっとしたら、6~7割以上かもしれない(あくまで「敬虔な」キリスト教徒の家庭)。
今日、キリスト教圏の人々の人格が貧しく、離婚が多いのは、宗教が廃れたからという面もあると思う。
こう言うと、極端論者が「宗教を教えれば人格が良い人ばかりになるのですか?」などと馬鹿を言うかもしれないが、極端論もまた、人格の低さの現れなのである。

なぜ、人格の話を長々としたのかというと、人格が人生を決めることが確実だからだし、それはもう、周囲を見ても、世界を見てもだが、何より、自分を見れば痛いほど分かる(笑)。
人生がロクでもなかった原因は、人格が低いこと以外の何物でもなかったことは、純粋にして明白である。
そして、私のように人格が低ければ、所詮、何をやっても駄目で、人生は苦労続き、困難続き、落胆続き、不条理続きで、生命力を失い、やがて、地面に這いつくばるしかない。
キリスト教・・・というより、信仰者は少ないが、本来のユダヤ教は、人間性を磨くのに優れたものだったし、キリスト教も、まずまずなのであると思う。
日本では、ユダヤ教にとても良く似た神道(神道はユダヤ教が元になっているという説もある)が、やはり、人格を育てる良いものだった。
イスラム教も、本当のものはそうかもしれない。
一方で、仏教というのは、人格を得損なった哀れな人間の救済のためにあるのだと思える。
いや、正しくは、仏教も2通りあり、子供に人格を与えるというところも確かにあるが、今日の主流は欠陥人間救済である。
それで、本来は、浄土仏教(浄土宗、浄土真宗)の定番であった、念仏や、念仏的な真言が多くなってきたのである。
念仏、真言は、欠陥人間・・・そのままでは、人生の敗残者になる哀れな駄目人間を救うのである。
逆に言えば、念仏、真言、あるいは、それに類したものでしか、堕落した駄目人間を救えない。
念仏、真言に類したものとは、例えば、ナーマスマラナ(神仏の名を心で唱える行)や、聖句のようなアファーメーションである。
私がいつも述べているのは、欠陥人間救済法であり、人格が優れた人間・・・中学生や高校生の時に良い恋愛が出来た者には笑えるものだろう。
とはいえ、かつては人格高かった人間も、こちら側に来る場合が多く、きっとお役に立てるだろう。








最も強い者とは好みを持たない者

今月1日だったか、アメリカのトランプ大統領が、セント・ジョーンズ教会前で聖書を掲げるパフォーマンスを行った。
それを見て、私は、別に奇異だとは思わなかったが、何の意味も見出せなかった。
早い話が、キリスト教徒ではないからだ。

私は、聖書の価値を直接には全く感じない。
ただ、キリスト教徒にとっては、重い価値がある可能性が高いことを認識しているだけである。
よって、自分にとっては、何の価値もなくても、決して、聖書を軽々しく扱ったりはしない。
これは、コーラン、仏教経典、その他の宗教の聖典に関しても同じだし、また、私は、それらの間の優劣を全く考えない。
つまり、私は無宗教ということになる。
いや、日本人は「おかげさまで」「すみません」などの言葉の中に、神道の信仰を持っているという人もいるが、私は、なんとかの節句も、七五三も、初詣も、他の人がやることに関しては、1ミリの否定もしないが、私には関係がない。

それでは、日本の神に守ってもらえないかというと、それは筋が違う。
例えば、毎週教会に行き、教会に寄付はするが自己中心的で冷酷な人間と、聖書を読んだことがなくても、親切で思いやりがある人間とでは、神様はどちらを守るだろうか?
もし、神様が本当にいるなら、間違いなく後者であるはずだ。だから、私は、一切の信仰を持たないし、善良になるのは無理としても、せめて邪悪でなく、結果的には他人に害を為すことは避けられないとしても、積極的に悪いことはしないことにする。

昔、アメリカのご婦人だったかもしれないが、新渡戸稲造に「日本人は宗教を持たずに、どうやって子供に道徳を教えるのか?」と問い詰め、悩んだ新渡戸は「日本には武士道あり」として、英語で『武士道』を書き、これが日本語に翻訳されて、日本でも読まれるようになった。
しかし、両方(その婦人と新渡戸)ともおかしい。
宗教がなくても道徳は教えられるし、武士道なんて恐ろしく曖昧なものを立てると、解釈の違いで、容易く争いが起こる。
新渡戸は、自分流の解釈を全人類に押し付けるつもりだったのか?

では、正しい道徳とは何かというと、「自分の好みを押し付けない」これだけである。
本当は、好みを持たないのが一番良い。
しかし、悪い国・・・例えば日本では、親が自分の好みを子供に押し付け、金、地位、権力、立場が上の者が、下の者にそれを押し付けている。
もし、あなたが好みというものを持たなくなれば・・少なくとも、見かけ上でも、それを持っていないようになれれば、全てはうまくいくだろう。













当ブログオーナー、KayのAI書。
今日、毎日のように、機械学習・ディープラーニング型AIの本が出版され、本書もその1つになります。
本書が想定する読者は、次の通りです。
■数学が特別に出来る訳ではない。
■Pythonで自在にプログラミング出来る訳ではない。
■数学は苦手、あるいは、好きでない。
■プログラングが出来ない。
■Windows8.1/10でExcelが最低限出来る。
■実用的なAIを作りたいが、基礎的なレベルには、なるべく早く達したい。
■高度なAI理論にはあまり興味がない、あるいは、後回しで良い。
■なるべく面白いテーマでAIを学びたい。
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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