ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

道元

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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やはり真言が最強だった

政治というのは、本当は、天才がやる仕事だ。
どんな仕事でも、能力と慈愛のバランスによって優れたものになる。
政治家ともなれば、能力は天才で、それに相応しい慈愛を持っていなければ務まらないはずだ。
そのためには、政治家の家柄というのも、あっても良かった。
若干、人間味には欠けるかもしれないが、優秀な家柄というのは、確かに存在するからだ。
しかし、今や、ほとんどの政治家が、凡人に毛が生えた程度・・・どころか、凡人にも劣る部分が多い政治家だらけになってしまった。
才能自体は、普通の人間よりも多少高くても、世間で修行しないのだから、最低限必要な能力すら身に付いておらず、あからさまなほどの愚昧さを隠せない。
そんな人間が政治をやって、国が発展するはずがなく、日本はすっかり三流、四流の国になってしまい、アメリカも堕落の道を一直線だ。

本来、国民とは、少しの能力と、それに見合った慈愛を持っていれば幸福になれたし、そうであることが政治家の甲斐性であったが、今の日本にそれは全くない。
軍部の時代にだって、もう少しマシな能力と慈愛があったのだ。

こんな時代には、国民自身が能力を高め、慈愛を持たねばならない。
そのために、何をすれば良いかというと、真言を唱えるしかない。
日本には、天皇家に伝わる真言(祝詞とか祓詞と呼ばれているが)があり、それにより、天皇は計り知れない能力と慈愛を持っているのだが、今は、天皇が政治を行う時代ではない。
時々、天皇家の真言を公開するとか言う者がいるが、それは我々には似合わない。効果がないとは言わないが、やはり似合わないのだ。
だが、真言というのは、何か特定の決まったものがあるのではなく、長く唱えるうちに作られていくという面もある。
「南無阿弥陀仏」は、昭和初期の頃には抜群の力を持っていたが、今は、葬式のイメージになってしまって、普通には力を発揮しない。
だが、独自に探究し、その意義を感じた者には、やはり強大な力の援助がある。
「南無阿弥陀仏」は有名であるがゆえに駄目になった部分もあるが、作られてしまった殻を砕いてしまえば、やはり途方もない宝なのである。

それと、真言は、声に出さず、心で唱えるものだ。
無論、僧侶は声を出さないわけにはいかないが、普通の人に声を出させるのは、支配するためと相場が決まっている。
世俗的な宗教教団は、信者が声を上げて教団のお題目や真言を唱えるのを聞き、うまく支配しているとほくそ笑むのである。
我々は、そんな愚かな罠にはまってはならない。
それで言えば、実は、耳や声帯の障害で声を出せない人の方が、むしろ、真言で大きな力を起こすのである。
空也上人(くうやしょうにん)の像では、口から仏が出ているが、あれは、別に悪くはないが、あまり良いとも思えない。
口で唱えた念仏では、確かに口から仏が出てくるかもしれないが、心で唱えた念仏は全宇宙に響き、心が仏となり、自分が阿弥陀如来となる。
世の中の、いかなる天才、超人、聖人と言えども、阿弥陀如来に比べれば、宇宙船に対抗する一匹のハエのようなものだ。
真言を唱える者がいかに優れているかが分かると思う。
ここでは念仏に関して述べたが、いかなる真言も同じであり、真言に上下優劣はない。

日本の仏教のスーパースターを3人上げるとしたら、いろいろ文句もあるかもしれないが、空海(774~835)、道元(1200~1253)、親鸞(1173~1263)を上げたいが、空海は当然、真言を重んじたし、親鸞は、念仏という真言だけを重んじた師の法然の教えを受け継いだ。
だが、道元は坐禅で知られ、「ただ座れ」と教えたように思われている。
しかし、道元は実は、常に、ある言葉を唱えよと教えており、それも真言と言えるだろう。
その言葉は、

南無帰依仏(なむきえぶつ)
南無帰依法(なむきえほう)
南無帰依僧(なむきえそう)

で、仏教の三宝である、仏、仏法、僧を深く信じ敬うという意味だ。
意味としては、一休さんがよく言ったという「南無三(なむさん)」と同じだ。
私は、子供時、どこかで、この「南無三」という言葉を覚え、常に唱えていた訳ではないが、いざという時に唱えた。
すると、奇跡が起こった。
今は、滅多に使わないが、思い出すと、これを唱えた時には本当に不思議なことが沢山起こっていることが分かるのである。
全く魔法の言葉である。

真言の力については、あらゆることから総合的に、そして、直観的に確信するのである。
皆さんも是非。
適当な真言を知らなければ、確実なものとして、観世音菩薩の真言である、「南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)」か「オン、アロリキャ、ソワカ」をお勧めする。
私の場合、阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」であるが、これが気に入ったら是非どうぞ。








常識をぶっ飛ばすと古(いにしえ)の知恵を活かせる

法然(1133~1212年)や親鸞(1173~1263)は、ただ念仏を唱えよと教え、道元(1200~1253)は、とどのつまりは、ただ座れ(坐禅)と教えた。
その効果は、念仏は、死んだら極楽浄土に生まれるとこで、座禅は悟りを開くことだったと言われるが、一休(1393~1481)が、極楽浄土はどこか遠いところにあるのではなく、今ここに作りだせるものだと言ったことからも分かる通り、念仏も真の目的は悟りで、念仏と坐禅に違いはない。
こんなことを言うと、専門家に怒られそうだが、このくらい分かり易く言わないといけない。

で、念仏と坐禅のどちらが良いかというと、それは人の適性であり、本来は、家によって宗派を決める必要はない。

念仏というのは、言葉による悟りで、口や心で、「南無阿弥陀仏」と唱えるのが代表的だが、何でも良い。
「南無観世音菩薩」はもちろん、「南無妙法蓮華経」も同じ。
いや、般若心経などのお経を唱えるのも、さらには、日本の神道の祝詞を唱えるのも、キリスト教の「主の祈り」を唱えるのも、讃美歌を歌うのも、讃美歌的な『アヴェ・マリア』を歌うのも同じだ。
「アーメン」でも良いし、ラマナ・マハルシが教えた「私は誰か?」と問うても良い。
「アジマリカン」や「オーム(アウム)」や「阿吽(あうん)」などの呪文・真言でも良い。
「アマテラスオオミカミ」や「クリシュナ」などの神の名でも良い。
自分の気に入ったものを、口で心で唱える、歌うなどすれば良いのである。
それによって、余計な思考が消え、何も考えないことで、心の深層にある真の知恵である英知にアクセスすれば良い。
そうすれば、科学的に説明出来るかどうかは、今のところ微妙ではあるが、運を始め、全てが良くなり、早い話が幸福になる。

ところが、念仏・・・というか、口や心で何かを唱えることよりも、身体で何かするのが向いている人もいる。
道元も、そんな人が多いと分かったのだと思う。
それで「ただ座れ」と坐禅を勧め、道元は坐禅の細かい注意を教えたのだと思うが、それらの作法は二次的なもので、一応の注意・・・くらいで良いと言ったら、やはり専門家に怒られそうである(笑)。
明治・大正の時代に、岡田虎二郎(1872〜1920)が、「岡田式静坐法」を教えたが、これは、座り方が違うだけで、坐禅と全く同じである。西洋人の場合は椅子に座らせた。つまり、やはり、座り方自体も何でも良く、単に、当時の日本人は正座に慣れていたので、そのスタイルでやっただけだ。そして、とどのつまり、岡田虎二郎は、「1日中、腹に力を込めよ」と教えたように、座る必要すらなく、腹に力を込めれば良いだけである。
そうすると、「力を込める場所はどこか?」とか、その他、いろいろごちゃごちゃ言う人がいるが、どこでも好きな場所に力を入れれば良い。
現実的には、ヘソのあたりが入れやすいと思う。
ところが、中村天風(1876~1968)は、「1日中、肛門を引き締めよ」と言ったが、それも同じなのだ。
私の場合、ヘソに力を入れたり、肛門を引き締めたり、その両方を同時にやる。緩いものである(笑)。
それよりも、運動・・・腕振り運動でも、スクワットでも、四股でも、腕立て伏せでも・・・をする時、ヘソに力を入れると楽なので、そんな活用もしている。
坐禅・静坐も、念仏と同じく、思考を消し、英知に通じ、幸運、幸福を呼ぶものである。

人それぞれ適性があり、念仏でいくか坐禅でいくか選ぶと良いが、上に述べた通り、いずれも、広い範囲のやり方があり、何かが合うだろう。
それでうまくいくこと間違いなしであると思う。
セコい専門家がぐだぐだ言うのは・・・それはそれで、参考に有り難く聞く(読む)のも良いかもしれない。ただし、あくまで参考程度にするように。













当ブログオーナー、KayのAI書。
本書は、AIの研究者、AI研究開発企業の技術者になったり、検定や資格試験に合格するために書かれたものではありません。
便利な道具であるAIを、誰でも自分で作れるようになることを目的としました。
Excelが適度に使えれば、何の資格も必要ありません。
お絵かきソフトの本が、学術的なグラフィック理論やお絵かきソフトの開発法を知りたい人を対象にしているのではないのと同じです。
ただ、とっかかりの敷居を下げ、なるべく面白いテーマで、AIを作るコツを掴めればと思います。
AIは、もう誰でも作れる時代で、Googleが検索能力で人間を拡張したように、AIは推測能力で人間を拡張するのです。

即座に願いを叶える単純な方法

最近、即座に願いを叶える単純な方法を2つ聞いたが、全く正しいものだった。
このくらい単純でないと駄目だし、このくらい単純なら使える。
そして、願いは必ず叶う。
叶わないとしたら、信念の不足というよりは練習不足だし、それは、「あまりに練習不足」というだけで、本当は少し練習すれば良い。
アメリカの作家ジョシュ・カウフマンは、TED×Tokyoにおける「最初の20時間」という素晴らしい講演で、何事でも、そこそこ出来るようになるのに必要な時間は20時間と言い、20時間でマスターした見事なウクレレの弾き語りを披露した。
楽器演奏、外国語、プログラミング・・・どんなことも、プロになるのは大変だし、まして、プロの中でもトップに立とうと思ったら、どこかの研究者が言ったように「10000時間の法則」が成り立つ。
しかし、「そこそこ」・・・つまり、一流の詐欺師が、本物の医者や弁護士や物理学教授になりすますために必要な練習時間は、やっぱり20時間だ。
そして、あまり大きな声では言えないが、そんな詐欺師は、なりすましとはいえ、どう見ても本物なのである。

さて、願いを叶える単純な方法も、20時間練習すれば、かなり上手くなるだろう。
では、早速、その願いを叶える方法を述べるが、2つある。
1つは、最も成功した女性お笑い芸人の一人、友近さんが母親から教わり、効果の絶大さを確信しておられる「念ずれば叶う」だ。
これは、私も、小さい時から、現実の書き換えに何度も使い、馬鹿馬鹿しいほどの奇跡を起こしてきた。
じゃあ、なんで、子供の時の夢であるプロレスラーになれなかったかというと、それもジョシュ・カウフマンが見事に説明してくれているが、一言で言えば「恐怖」のためだ。
なら、叶って恐怖を感じないことであれば、念じれば何でも叶う。
例えば、ちょっといい条件で就職するとか、新しい車を買うとか。
恐怖さえ感じなければ、可愛い彼女だって君のものだ。

もう1つは、「陰徳を積む」だ。
そう述べている人は多いが、私が特に覚えている1人が、パイロットの坂井優基氏だ。
飛行機が飛んでいる時のトラブルという緊急事態の中で願いが叶うのだから本物だ。
私にとっては、『灼眼のシャナ』の愛すべきヒーロー坂井悠二と名前がそっくりなので、他人とは思えない。
もう一人いて、なんと、鎌倉時代の禅僧、道元だ。彼がぽろっと明かした願いが叶う方法がこれだ。
陰徳とは、隠れて善いことをすることだ。
隠れてと言っても、少々は見つかっても構わない(笑)。たとえば、公園の掃除をするとか、タダでさりげなく仕事を手伝ってあげるとかね。
私の隣の家のおばさんは、私の家の前まで勝手に掃除してくれる(笑)。それでもう、凄い運気を感じるのである。
そうだ。陰徳の威力を明言していた、人類史上最高のヒーローがいるではないか?
それは、イエス・キリストである。施しをする時、芸能人がよくやるようにラッパを鳴らしながら寄付をすれば、既に報いを受けたのだから、それで終わりだが、知られないようにやれば、隠れたことを見ている神が報いてくれる。ただ、坂井優基氏によれば、「陰徳」ならぬ「陽徳」も本当は効果があると言うし、私も同感だ。
特に、1億円寄付といった大きなものだ。
だが、最も簡単で、ちょっとしたことなら簡単に願いが叶うのが陰徳である。

恐れずに求めれば それは未来を変えるRevolution
~『FREEKY TOMORROW』(作詞:Mitchie M・ЯIRE、作曲:Mitchie M。唄:初音ミク)より~









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座れば品格が現れる

人間は何をやっても品格が現れる。
お里は隠せない。

品格が高いとはどういうことだろうか?
それは、放埓(勝手きまま)にならないこと。
自由に制限を加えることだ。
だから、座っている姿に品格が大きく現れる。
勝手きままに座る人、自由に制限を加えずに座る人には品格がない。
つまり、やりたい放題の座り方・・・ふんぞり返り、腰を突き出して背中を丸め、脚を広げ、肘を張るという「勝手きまま」で「自由に」座っている姿は、ゾっとするほど気品がない。
お里が--お里はイコール親なのだが--現れてしまうのである。

法然は、ただ念仏を称えよと教えたが、道元は、ただ座れと教えた。
仏陀らしく座れば、自分の魂の中に仏陀の魂が流れ込んで来るからだ。
しかし、座禅は、細かいしきたりにうるさく、本来の意味を失くしている。
本来、しきたりなんて不要だ。
ただ、きちんと座れば良いだけのことだ。
勝手きままでなく、自由に制限を加え、きちんと座れば・・・いや、簡単なことで、背筋を伸ばし、慎み深く座ればそれで良いのである。
岡田虎二郎という人は、座禅はもう駄目だと思って、当時の日本人に馴染みのある正座のスタイルで座ることを教えたが、その岡田式静坐法まで、細かいしきりたりを口うるさく言う人が必ずいるものだ。
それで、長い伝統のない岡田式静坐法は廃れてしまった。

普通に座れば良いのである。
ただ、普通にきちんと座れば。

だが、お里が悪い人・・・親のしつけがなっていない人は、きちんと座れない。
品格がないのだから仕方がない。
そんな人は、念仏を称えれば良い。
品格ある仏陀のような座り方をすることで、仏陀の魂が自分の魂の中に流れ込み、自分の魂が仏陀の魂の中に流れ込むのだが、念仏を称えて、自分を超えた存在である阿弥陀如来に意識を向ければ、やはりそうなる。
ここで、仏陀と如来(阿弥陀如来)を分けたが、本来は同じである。

流れ込んで来た、仏陀の魂、如来の魂を神は敬う。
そして、仏陀の、如来の魂の中に流れ込んだ人の魂を、仏陀や如来は慈しむのである。

一刻も早く、如来の輝きを持ち、世の苦しみを逃れたいなら、きちんと座りながら念仏を称えれば良いが、いずれか・・・法然流か道元流を選ぶことも出来る。
圧倒的に法然流が簡単である。









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意識革命の起こし方

窮屈な世間の枠を超えて、自由自在に生きるためには、意識革命が必要だ。
ある優れた西洋魔法では、魔法の定義とは、「思うままに意識の変革を起こすこと」なのである。
魔法とは、古い意識の破壊と新しい意識の誕生・・・意識の生まれ変わり、意識の再誕なのである。

1つの国の、さらに、特定の地域や階層の間でのみ通用するような、陳腐な固定観念にしがみついたままで、気高く、勇壮で、輝ける・・・そんな人間の本性を発揮できるはずがない。
では、意識革命を起こすには、どうすれば良いのだろう。
『老子』を読めば良いのだろうか?
その通りかもしれないが、読み方によるのだ。
従来の世間的な思考の枠組みを持って老子を読むことほど、馬鹿げたことはない。
老子は、世間の中の何にも似ていないのだからだ。
世間のありふれた思考を基に老子を理解しようとするのは、子供の三輪車を押し止めるような気で、新幹線を止めようとするようなものだ。
孔子ですら、老子に対し、単に大きな魚や鳥を捕獲しようとする漁師や猟師のような心構えで挑んだところ、老子は竜であることを知って愕然としたのだ。

著名な物理学者のリチャード.P.ファインマン博士は、量子力学の入門者に、「量子力学は君達が知っているどんなものにも全く似ていない。従来の知識を頼りに、量子力学が理解出来るなどとは決して思ってはならない」と言って、ニュートン力学の知識で量子力学を考えるようなことをしてはならないと、強く釘を刺した。
老子に対して持つべき心構えも、これに似ている。

時々、「老子は、原文の読み下し文を読めば分かる」と言う人がいるが、私は全く賛成しない。
量子力学がいかに未知のものだとはいえ、基礎的用語や、数式の意味が分からなくては、理解が進むはずがないのと同じだ。
老子も、言葉自体は、正確に理解しなくてはならない。そのためには、学者の研究成果を利用すべきである。
ただし、中身に対する学者等個人の見解は、決して信用してはならない。参考にしてはならないとまでは言わないが、あまりにも的外れで、参考どころか害になるものも多いかもしれない。
だから、言葉の意味としては、出来るだけ正確かつ自然な文章として現代語訳したものを読むべきであるが、その時、自分が持っている固定観念から「これは、こういう意味に違いない」「ここは、こういう意味かもしれない」と考えてはならないのだ。
ただ、無心に淡々と読むべきである。
分からなくても、根気強く何度も読み返せば、そのうち、自然に分かってくる。
どれくらい早く分かるかは、無心さと真摯さによる。
個人的な考え方から脱しない限り、分かるのに何十年もかかるかもしれない。
もとより、真摯さに欠ければ、全く理解できない。

数学者の岡潔は、道元の『正法眼蔵』を、意味が全く分からないまま、座右の書として読み続け、20年ほど経った時、一瞬で全てが理解出来たという。
もっとも、意味が分からないのに座右の書と決めた時点で、岡潔には、何らかの意識革命があったのだし、その20年の間にも、自覚がないままに変化が起こっていたのである。
そして、最後に、特大のブレークスルーが訪れたのだ。
『正法眼蔵』は、僧侶のトレーニング用に、道元が、わざと難解に書いたという説もあるが、それが本当かもしれないと思う。
一方、『老子』は、難しく書こうなんて気はサラサラなく、極めて単純明快に書かれたものだ。
だから、真摯に読めば、案外にすぐに分かるのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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