ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

運命

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

運命を変えるには

子供でも大人でも、人生に本当に絶望する時がある。
そんな時は、単に自分の現在の境遇に対する不満を感じているのではなく、「私の人生はいったん何だったのだろう?」と過去形で運命的に考えている。

イギリスの作家コリン・ウィルソンがそうなったのは19歳の時だった。
彼は、アインシュタインのようになりたかったのだが、労働者階級の家庭の子である彼は高校に進学出来ず、工場労働者になるしかなかった。
それは彼には耐え難いことだったが、なんとか高校の科学の授業だけは受けられることになった。
ところが、その科学の教師が物凄く嫌なやつだったので、それ(授業を受けること)を続けることが出来なくなった。
絶望したコリン・ウィルソンは、自殺を決意し、いまや青酸カリを口に入れようとした途端、「超意識」に達する。
彼が崇拝するSF作家H.G.ウェルズの『ポーリー氏の物語』(日本語未訳と思う)でポーリー氏が言った通り、「人生が気に入らなければ、変えてしまえば良い」と思い、この言葉が彼の人生のポリシーになる。

ところで、人間の運命は決まっているのだろうか?
インドの聖者ラメッシ・バルセカールによれば、それは、「何を思うか」を含め、全て完全に決まっている。
分かり易く言えば、「何年何月何日の何時何分何秒に何が起こり、何を考え、何をするか」が、人生が始まる前に全て完全に確定している。
ここまででなくても、やはり、人生のストーリーは最初から決まっていて変えられないと言う人は、優れた人間に多い。
船井幸雄氏は、本山博氏にそう言われ、「それは面白くないと思った」と著書に書かれていたが、そりゃ、誰でも面白くない。
では、本当はどうなのか?
答は、「人間である限りはその通り」である。
だが、人間を超えれば、自分の運命なんてものを超えてあらゆるものの創造者になる。
人間を超えるとは、簡単に言えば、自分の本体である神になる・・・あるいは、近付くということだ。
コリン・ウィルソンは、青酸カリを飲む刹那、それが分かって、ちょっぴり運命を変えたのだろう。

では、どうすれば神になれるかというと、宗教や哲学や神秘学では、恐ろしく難しいことを言うのだが、神と人間の唯一の違いは、息をしているかしていないかだ。
一切は神なのだが、息をしている人間だけが神ではない。
神と仏が同じだと言ったら、宗教の指導者や信者に怒られるが、一応そう(神も仏も同じ)だとすれば、「仏」の左の「イ」は人間で、右の「ム」はあらずで、仏とは人間にあらずという意味で、人間以外は全て仏なのである。
息をやめてしまって、自我が神を年長のパートナーと認めて頭を垂れれば、運命は自由に変えられる。
生きている限り、息を完全にやめるのは無理なので、呼吸をなるべく微かにすれば、それに応じて運命は変えられる。
コリン・ウィルソンも、超意識に達した時、呼吸は消えていたはずだ。
だが、彼はその後、俗人に戻ったので、運命は変わったが、苦労も多かった。
我々は、そうはならないでおこう。
呼吸の荒い人間は、運命にがっちり捉えられている。
しかし、天使のように微かな呼吸をする者は、重力の鎖を解き放ち、軽やかに空を飛ぶ。

いつか重力のクサリを
断ち切り君を連れてサテライト
~『1/6』(作詞・作曲・編曲:ぼーかりおどP、歌唱:初音ミク)より~









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運命が動く時

世の中は、合理化、効率化を追求するようになってきているのかもしれない。
しかし、それが本当にプラスの結果になるかは分からない。
それで、小さなことでは利益があるように見えるかもしれないが、大きな報酬を逃し、さらに、大きな災いをもたらすかもしれないのである。
合理化のためには計画が必要だが、計画があまりに厳格で細かいと、問題が起こった時に対応出来ない。
いや、それよりも、幸運が起こった時にも、それを受け入れることが出来ない。
「この幸運は計画にない」ってね(笑)。

もちろん、無計画や怠慢はもっと良くない。
しかし、どこか余裕が必要なのである。

会う約束の時間を決めたら、それに決して遅れまいと、1時間以上前に到着して待っているという人がいる。
なるほど、その人は、余程のことがない限り、約束を違えない。
しかし、人間、一時が万事であり、全てにおいて、そんな厳格・・・というか窮屈な人には誰もついていけず、信用はされても好意は持たれない。
約束を守るつもりが、不意の出来事で約束を破ってしまった時に、大きな幸運につながる重要なことが起こるのである。
ただし、条件がある。
1つは、約束を守るつもりが十分にあり、そのための努力をしたこと。
1つは、約束を破ったことを気に病んでいること。
1つは、約束を破って気に病んではいても、言い訳をしないこと。
この3つの条件が必要だ。

イスラム教では、約束をする時、「神の思し召しなら、それを果たしましょう」と、お互いに誓うといった話がある。
しかし、それを、自分が約束を違えてしまった時の「神の思し召しではなかったのです」という言い訳に利用する者がいるらしい。
約束を守れなかったのが、不可抗力なのか、自分の責任なのかは、ほとんどの場合、明らかだ。
そして、どう考えても不可抗力だった時、それは、神の思し召しかもしれない。
その結果が、自分だけの被害の場合は、「これは避けられなかったことだった」と思い、誰かに迷惑をかけた場合には、自分に責任がないと思えても、言い訳をせず、倫理や道徳、あるいは、信仰に反しない範囲でなら自分が責任を負う。
そんな時に、何かが起こるのである。









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成功とは一体何か

成功といったら、高収益の会社の社長になるとか、プロスポーツのスター選手になるとか、人気作家になるとかいった、世間の人々に賞賛され、並外れた贅沢が出来ることだと思っている人が多いだろう。
しかし、誰かが、こんなことを言っていたのを覚えている。
「みんな社長さんだったら困るでしょ?掃除のおばちゃんだって必要でしょ?」

掃除のおばちゃんは成功者と言えないのだろうか?
そんなはずがない。
豪邸に住み、運転手が運転するロールスロイスに乗った失敗者もいれば、成功した掃除のおばちゃんだっているはずだ。

成功、失敗を別けるのは何だろう?
普通、考えられるのは、満足度、幸福度だ。

だが、成功とは、運命を友にしたかどうかの問題なのである。
良き友に対しては、どんな時も受け入れ、敬い、礼を尽くして笑顔で付き合うものだ。

アインシュタインは、平凡な人間でしかない自分が、「珍獣のように有名になってしまった」ことが可笑しかった。
だが、彼は、ナチスが自分の首に賞金をかけたことも運命として受け入れた。
いろいろあったが、彼は、「神は老獪(※)だ。だが悪意はない」と見抜いたのだ。
※老獪(ろうかい):いろいろ経験を積んでいて、悪賢いこと

大女優になりたかったが、掃除のおばちゃんになるのが運命だったとしても、アインシュタインのように考えることが出来れば幸福だ。
しかし、運命は頼もしい友でもある。
受け入れ、信用すれば、おみやげをくれることもあるだろう。









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運命はほとんど決まっているが

運命が初めから決まっているかどうかについて、私は以前は、100パーセント、完全に決まっているという思想に同意していた。
何時何分何秒に、髪の毛1本がどんな動きをするかまで、生まれた時、あるいは、宇宙が出来た時に全部決まっているというものだ。
これは、インドのラメッシ・バルセカールや、日本のMRTの内海康満さんの本で見ることが出来る。
荘子も、運命は決まっていると何度か述べているが、どの程度まで決まっているのかまでは分からない。
親鸞は、動物の毛の先ほどの小さな罪ですら、過去や前世の行いによるものと言いはしたが、どんな運命も全て決定済みと言った訳ではないと思う。
また、ラメッシ・バルセカールは、運命は完全に決まっていると言いつつ、自分のアドバイスに従わなかった人が自殺することになったといった因果関係も述べている。そして、そのようなことは、内海康満さんの本の中でもあったと思う。

もちろん、本当のことが私に分かる訳ではないが、いろいろな人の考え方を見たり、自分で理屈で考えたり、経験を省みながら勘を働かせたりすると、運命は、凡(おおよ)そ決まっているが、いくらか未確定の部分もあるのだと思う。
どのくらい決まっているかというと、まあ、80~90パーセントといったところだと思う。
プロ野球選手になりたいと思っても、素質の問題も含め、そうなる運命でなければ、まずなれない。
作家、歌手、画家、社長、ダンサー、あるいは、コンピュータープログラマーだってそうだ。
「夢を諦める」とか言うのではなく、なれないものはあるのだということは、早く理解しておいた方が良い。
世の中には、傍目には「絶対無理」と分かっているのに、「アイドルになる」「女優になる」といつまでも言っている人もいる。
あるいは、二十歳もとおに過ぎて、平凡な社会人チームからすらお呼びでないのに、「プロサッカー選手になる」と、無駄な努力をしている人もいる。
そんな人達は、ごく若いうちなら、夢を追いかける楽しさもあるのかもしれないが、いい年になってきたら、面白いはずがなく、本心は、辛い、苦しい、虚しい・・・だろう。

十代 ドヤ顔で悟った人
二十代 恥に気づいた人
三十代 身の丈知った人
そのどれもが全部 同じ人
~『すろぉもぉしょん』(作詞・作曲・編曲:ピノキオP、歌;初音ミク)より~

だが、正しい方向に行けば、人生は楽しくなるのである。
このことを、中国の作家チン・ニンチュウは、「運命には負けないといけない」と表現し、ジョージ・ワシントンは、運命に逆らっていた時は、恥が多く、他人に迷惑をかけ、自分も辛い人生だったが、運命に負けて従った時に輝き始めたのだと言う。
ジョセフ・マーフィーの本でも、自分は女優になるのだと言う若い女性に、マーフィーは「幼い夢はもう卒業しなさい」と諭し、彼女はそれを受け入れ、真面目に事務員として働いていたら、勤務している会社の若社長と結婚することになった。
まあ、「私は年収一千万円以上の人とでないと結婚なんかしない」という、「幼い夢」から醒めない女性も多いようであるがね。

運命に従うには、まず、過去や現状を肯定することだ。
多くの人にとって、既に起こったことや今の状況を受容するのは、辛く惨めかもしれない。
しかし、そうすれば、本当の運命が開ける。
それを楽に、すみやかにやるには、パワーポーズ(ガッツポーズ)と、念仏や真言を称えることである。

哭(な)いていた 唯 哭いていた
他人眼(ひとめ)につかない世界で
其(そ)して恥を知り 惨めになれば
全てが廻りだした
~『心臓デモクラシー』(作詞・作曲・編曲:みきとP、歌:初音ミク)より~








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清原よ思い悩むなと不意に思う

東京都知事の舛添要一さんについて、マスコミ報道されているようなことを、自分がやっている夢を見た。
あくまで、マスコミ報道や、ネット上の、いろんな人達の個人的な発言の影響を受けて、私が勝手に作った観念から起こった夢である。
私は夢の中でも、ひどい罪悪感を感じ、夢から醒めても陰鬱だった。
実際に舛添さんが何を考え、何をしたのかは、もちろん、全く分からないのだが、ひょっとしたら、舛添さんは、こんな気持ちを味わっているとしたら、可哀想なものだと思った。
いや、あくまで、舛添さんの、信憑性の全く不明な情報からの、私の勝手な想像である。

舛添さんのことは知らぬが、私は夢の中で、不法ではないとしても、自分のモラルに反するよからぬことをしたのだが、考えてみれば、現実でもそんなものかもしれない。
もちろん、舛添さんのように優秀な人間ではないので、良いことも悪いことも大したことは出来ないが、それなりに心が痛む。
仮に、舛添さんがマスコミ報道されているように、政治資金を、不法とは言わないが、不道徳に使っていたとしても、私は、人に石を投げられる身ではないということだ。
私は単に、夢で、そのことを思い知らされただけだ。
だが、それも運命なのだ。

悪い事をしていない人間はいない。
つまり、私同様、人に石を投げられる者などいない(投げている人はいっぱいいるようだが)。
私は、舛添さんが、道徳的には使うべきでない金をいくら使っても、その千倍のリターンを東京都や都民にもたらせば、それで何の問題もないと思っていたし、そんな意見の者もいるようである。
だが、不道徳なことをすれば、仕事も出来ないものなのだ。
巨大な不道徳であれば話は別だが、数十万円単位の金が問題になるようなセコい不道徳をやるようなら、かつて天才であっても、もう能力はなくなっている(今の舛添さんの顔は、天才の顔ではない)。
数千万円の出張費に関しては、全く問題はない。むしろ、「俺はそんな金は使わない」と言うが、仕事が出来ない政治家はもっと悪い。
しかし、誰もが後ろめたいのだ。

だが、どう生きるかは運命である。
自分で人生を自由に決められる訳ではない。
舛添さんと違い、明らかに人の道に外れた清原和博さんについては、私は、「思い悩むな」と言いたい。
彼には、どうすることも出来なかった。
それが運命だ。
確かに、一番悪いのは、子供のように無知な若者だった彼に、野球が出来るからって大金を渡す野球界や、同じく、野球が出来るというだけで、彼を英雄扱いしたマスコミや大企業だ。
だが、そうなっているものは仕方がない。
私などは、もし、才能があれば、清原さんより、もっと悪くなっていたかもしれない。
だが、私だって、自分の器量に応じたスケールで、やはり悪いのであるが、私は思い悩まない。
良寛さんが、悲観に陥っていた時に、『荘子』を読んで心が晴れたように、清原よ、『荘子』を読め。
運命は神が決めること。
人間は、その運命を生きるだけだ。
単に、清原さんのような運命を生きなければならない人がいるというだけのことだ。
あの親鸞だって、よくよく、自分は悪いやつだなあって、悩んだのだと思うのだ。
もし、唯円が書いた『歎異抄』が、本当に親鸞が言ったことだとしたら、親鸞も、この世の理(ことわり)が分かるまでは、相当苦しんだはずだ。
だが、彼は悟った。
清原よ、ついでに『歎異抄』も読め(笑)。まあ、心が晴れるぞ。
つまり、「清原よ」と言いつつ、自分に、そして、皆さんに言っているのである。
私も、あなたも、清原さんと同じように思い悩んでいるはずだからね。









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