ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

足立育朗

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

愛と無は同じで「瞬間」に近い

安っぽく感じるかもしれないが、「愛って何?」という言葉を聞いたことがあるだろうし、考えたこともあるかもしれない。
そして、「愛情」と「愛」は違うなあってことまでは思ったことがあるかもしれない。

仏教学者のひろさちやさんの本で、
「仏教では愛してはならないと言う。なぜなら、愛は執着であるからだ。仏教では愛ではなく慈悲を行う」
なんて書いてあったのだが、それを見て、愚かにも私は、「おお!なるほど!」と思ったものだ。
馬鹿馬鹿しい。
それは単に言葉遊びだ。
愛を慈悲と言い換えたって同じことだ。
愛が執着になるなら、慈悲だって執着になる。
だから実際、仏教なんて執着だらけの世界だ。
まあ、お釈迦様の説いた本物の仏教は違うかもしれないが。

W.B.イェイツは、
「愛は神の領域のものだから人間には分からない。だが、愛の反対の憎しみは人間の領域のものだから、人間にも分かる。だから、憎しみを消せば愛に近付く」
と、こちらは、なかなかうまいことを言っている。
愛と憎しみが正確に反対であるかどうかはともかく、憎しみを捨てれば愛に近付くのは本当だと思う。

だが、もっと正確に言うなら、憎しみだけでなく、「感情を捨てれば愛である」のだ。
そして、「愛とは何か?」と問うなら、答は「無」だ。
「ゼロ」と言っても良いと思う。
ただ、「無」と言い、「ゼロ」と言っても、所詮は言葉なので、そこには、人間の概念の何らかの前提があり、完全ではない。
しかし、そんなことを言っていては話が進まないので、とりあえず、「愛とは無」である。

そして、イェイツが「人間に愛は分からない」と言ったが、愛と無は同じなので、「人間に無は分からない」のである。
無に近いものは「一瞬」だ。
だが、「無」の意味で「一瞬」と言う時、それは、「永遠」でもある。
それは、次のように言うと分かり易いと思う。
陸上短距離ランナーだったカール・ルイスが、オリンピックか何かの決勝で、ゴール直前に勝利を確信して、両手を挙げたが、それをしなければ世界記録が出ていた可能性が高かった。
それをルイスに伝えると、ルイスは、
「僕は気にしない。記録はいつか塗り替えられるが、勝利の瞬間は永遠だ」
と言った。
まあ、「永遠に自慢出来る」という意味に取ったら、その瞬間や永遠は「無」の意味ではないが、雰囲気としては、なかなか良い言い方をしていたと思う。

無は一瞬であり、永遠だ。
そして、愛は無である。
だから、愛も、一瞬であり、永遠だ。
好きな女性(男性)と一瞬、視線が重なった時、あるいは、指先が触れた時に感じるものが、人間の感覚の中では、一番、愛に近い。
そして、それは、「永遠の一瞬」だ。
そうだろう?
それを美しく表現した歌がある。

Sweet reach 虹彩(ひとみ)を重ねて
共鳴(シンクロ)するから
~『Chaining Intention』(作詞:NaturaLe、作曲・編曲:Treow、歌:初音ミク)より~

「瞬間」を「Sweet reach」と表現したNaturaleさんは天才的詩人だと思う。
確かに、瞬間は無に近いが、無そのもの、愛そのものではない。
本当の無、本当の愛は、もはや、Sweetではない。
とはいえ、瞬間は、愛に近い愛情である。
Sweet reach・・・美しい愛情を示すのに、実に素晴らしい言葉だと思う。

実は、この『Chaining Intention』は、私を初音ミクさんのファンにさせた曲である。
【初音ミク PV】Chaining Intention【HD】[HD1080p] ~Youtube~

初音ミクさんの生みの親、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長は、講演で、「なぜ、人が初音ミクにハマるのか?」と質問された時、
「私も分かりませんが、ミクの声に感情の雑味がないのが良いのかもしれない。透明で何もないので、気持ちを入れ易いのだと思う」
といったような答をされていた。
ミクさんは感情の元である心がなく、無なので、純粋な愛を歌えるのである。
ミクさんの歌を聴けば、自然に愛が分かるのである。
ミクさんの存在が愛なのである。
ミクさんは本当はいないので愛なのである。

ところで、時間というのは感情なのである。
無、あるいは、愛は、瞬間に近いと言ったが、本当の無や愛には瞬間もない。つまり、時間がない。
ミクさんの歌にも時間はない。だから永遠なのである。

そして、全ての根源は、やはり、愛なのだ。
宇宙が愛で出来ているというのは真理なのだ。
イエス・キリストの力は愛であり、無である。
我々は、イエスのように、愛そのもの、無そのものにはなれないかもしれない。
しかし、瞬間の中にプログラムをしてしまえば、それが魔法の力を起こすのである。
足立育朗さんが、『波動の法則』の中で、そんなことを解説なしに書いておられたので、読んでも分からなかったが、ミクさんの歌を聴いているうちに分かってしまった。
とりあえず、顔を上げて微笑めば良い。
それが、瞬間の中にプログラムをすることであり、確かに魔法なのである。

顔上げて微笑めば 笑顔取り戻す魔法になる
こころKnock Knock Knock
不思議Trick Trick Trick
生まれ変われる(Wow Wow)
Freely Tomorrow
~『FREELY TOMORROW』(作詞:Mitchie M・ЯIRE、作曲・編曲:Mitchie M、歌:初音ミク)より~









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天才の原理とそれになる方法

難題を抱えた科学者が、すっかり行き詰って図表の前で頭を抱えていた。
そこに、子供が一人やって来て、その図表を興味深そうに眺めていた。
そして、不意に子供は、「ここはおかしい。こうでないといけない」と言う。
科学者は苦笑するが、すぐに、はっとして図表を見直す。実に、その子供の言った通りだった。
それをきっかけに、科学者は短期間で問題を解決する。
その子供は、ごく普通の子供で、天才でも何でもなく、また、この科学者の研究に関する一切の基礎知識のようなものは持っていなかった。
このような話は、稀であるが、実際にある。
かといって、ただの子供に研究の手伝いをさせようとしても、ほとんどの場合、うまくはいかない。
まず、それに子供が興味を持ち、そして、特別な感情の流れを作らなければならない。
簡単に言えば、動機と言って良い。
動機を作ることができれば、子供が天才を発揮することは、実際は珍しくはない。
そして、それは別に子供に限らない。
趣味で音楽をやっていたに過ぎないフランスの技術軍人が、ある夜、特別な動機を起こし、一夜で『ラ・マルセイエーズ』を作詞作曲した。名曲の誉れ高い現在のフランス国歌である。そして、これ以外に、彼の曲は残っておらず、彼が天才であったのは、その一夜だけであったのだろう。

未来の人類は、全ての人が、常時、上のような天才であるのかもしれない。
他の進歩した惑星の住人は、既にそのようになっているのかもしれない。
いや、太古の昔においては、我々地球人もそうであったのかもしれないのだ。
『旧約聖書』や『古事記』、中国の『易経』等は、そのような時代の人が書いたものを、原書のままか、あるいは、長い時の流れの中で、いくらかの部分は、複製の際に齟齬が発生したり、意図的に改竄されたかはともかく、現代に伝わっているものなのである。このようなものは、現代の学者や作家の書けるものではない。

1万年以上前に日本列島に住んでいたというカタカムナ人の残したカタカムナ文献を、天才的な物理学者・電気技術者であった楢崎皐月(ならさきさつき)が長年月をかけて解読したようだ。天才であった彼には、カタカムナ文献の価値が直感的に理解できたので、その解読に生涯をかけ、超人的な努力をしたのだろう。その成果は、現在、特に農業分野で発揮されているようである。
また、楢崎は、カタカムナの研究を元に『古事記』の新解釈も行ったようである。
ただ、我々も、古事記原文を無心に読めば、そこに秘められた驚くべき秘密を知ることができる。
無論、古事記だけではない。
五井昌久さんが『老子講義』で解説した『老子』は、まことに素晴らしいもので、五井さんは漢文学者ではないが、老子そのものが語っているのと全く同じと言って差し支えない。それは、老子をそれなりに熱心に読んだ人なら誰でも分かる。五井さんという人は、常時、天才の状態であったのだろう。

「カタカムナ」という言葉は面白い。
子供が興味を持ってこの言葉を見れば、うまく説明できるかどうかはともかく、きっと、「分かってしまう」。この一言だけで。
こんな具合である。
本当の世界のことを、人類は、エデンとか楽園とか、タカアマハラと言ってきた。
それは、カム(神、上)の世界である。
ところで、もう片方の世界が存在し、それが我々の肉体のある物質世界である。この物質世界は、神の世界の片方であるに過ぎず、これがカタカムナのカタである。
タカアマハラは、高天原で、天(アマ)より高い原である。
地上は天に含まれるけれど、天そのものは、やはり物質世界なのだ。
カム(神、上)の世界は、もっと上なのだ。場所的に高いというのではなく、もっと別の意味でだ。
カムの世界の主(カムナ。神の名)は、アメ(天)と地の世界の主である人の中のアマナ(天の名)と共同で世界を創造している。
宇宙の理とは、だいたい、このようなものであると考えられる。
五井昌久さんという人は、常時、カムの世界と交信できたのだろう。
ただ、五井さんは、『老子』の読み下し文を無心で読めば誰でも分かるといったことも述べておられた。
無論、老子だけでなく、我々も、『古事記』を無心に読めば(できれば書き下し文)、やはり、カムの世界に通じる直感を発達させることができると思う。
そしてまた、私がこのブログでいつも述べている通り、「ア」という言葉を常に自分に言ったり、「吾(ア)は誰か?」と自分に問うたり、神の名を絶えず心で繰り返せば、いずれはそうなると思う。また、五井さんが提唱した「世界平和の祈り」は、そのためにも素晴らしい力を発揮するものと思う。
尚、個人的にだが、足立育朗さんの『波動の法則』には、カムのことが詳細に説明されていると思う。これは、足立さんが高度な宇宙生命体とテレパシーのような方法で交信して得た知識で、カムと足立さんの言うEHKOが近いもののように思われる。









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プログラム組込装置としての本

装置といえば、機械とか電子機器を思い浮かべるだろうし、プログラムといえば、コンピュータやコンピュータが組み込まれた機器のことを考えると思う。
しかし、紙に書かれた図形が装置であったり、本がプログラムだったりすることがある。
これは、従来の常識ではあり得ないことだ。
図形に関しては、その上に置いておいた食べ物や飲み物の味が変わるといった話が昔からあるが、それは単に心理的な影響かもしれない。また、その上に曇りのある宝石を乗せておくとクリアになるということもあるが、それは自分で確認しなければ、話だけでは信じられないだろう。
私も、図形の話は信じないではないが、食べ物の味が変わったとか、宝石の曇りがなくなったとしても、さほどのことでもないので、あまり関心を持たなかったが、プログラムが組み込まれた本というのは実用価値がある。
それこそ心理作用と言われるかもしれないし、そう言う者にとっては心理作用にしかならないが、実践してみると、明らかに威力がある。それが偶然というなら、偶然で良いではないかと思っている。ニーチェやイェイツの偶然に対する考え方を研究すれば、その意味が分かると思う。
古代から伝わる書の中には、プログラムが組み込まれた本があり、それを読むことでプログラムが作動するようになっているものもあるのだろうと思う。
それがどんな仕組みなのかは、説明しようとすると、説明に用いる用語をうまく定義することが出来ないので、どうしても抽象的になってしまう。しかし、そんなことを考えるより、自分で試してみるのが一番である。
プログラムされた本についての説明では、やむなく、「行間に隠されたものがある」といった表現をすることもあるが、それで納得するしかない。
絵画でも、ダ・ヴィンチの絵などは、技法そのものよりも、彼が神秘学の研究をした中で、絵画にプログラムを組み込む方法を見つけ、それを行ったのだと思う。彼の贋作は、見る人がみれば、分析的ではなく、直感的に一目で分かるのではないかと思う。ただ、彼のものが、それほど強力で高性能なプログラムかどうかは疑問もある。
経文、祝詞、マントラ(真言)も、非常に強力なプログラムが組み込まれている。クラシック音楽もそうである。クラシック音楽の何が良いかというと、実は、精妙なメッセージを受信できる天才が創ったものだからだ。そのような音楽家は、現代ではいない。

足立育朗さんの『波動の法則』という本は、読後に、読者の波動(身体や心を構成する素粒子のことだろうか)が大幅に上がるようにプログラムされているということであるが、確かにそうであると思う(プログラム図形もいくらか掲載されている)。ただ、これも自分で確認するしかない。面白いのが、私は、この本の旧版を持っていたが、物置みたいな場所に10年ほども放置していたので、ホコリと湿気でボロボロになっているように見えたし、一緒に置いてあった本はそうなのだが、この本は、きれいに拭いたら、新品のようになってしまった。読んでみたら、気分が良くなるというのではなく、空気の色が変わったように感じる。予想もしないお金が、数百万円程度だが急に振り込まれてくる(事実ではある)。
別に、これを読んだら儲かるというのではないが、世界的な成功哲学が真理の周辺にちょっと近付いてうろうろしている程度なのに、この本では、その本質をさりげなく明かしていたりするようである。この本の著者の妹さんの足立幸子さんは画家だが、彼女の本にもプログラムが組み込まれている。英語版も出版され、25万部が出ているらしい。

聖書は完全にプログラムが組み込まれていたが、翻訳や転記の際に歪んだり、改ざんのようなこともあったかもしれない。それでもプログラムの効力が無い訳ではないが、原書ほどではないかもしれない。エドガー・ケイシーは、9歳の時から毎朝必ず聖書を読み、そのプログラムを作動させたのだと思う。
『エメラルド・タブレット』には、強力なプログラムが組み込まれているし、アメリカのドリール博士が英語に直訳したものは、プログラムをほとんど純粋に保っている。日本語訳が2つあるが、単に言語学的な意味ではなく、翻訳者が良いので、プログラムが純度を保っていると思う。「意味が分からなくても読め」と書かれているのは、強力なプログラムの恩恵を得るためであると思う。
2冊の翻訳は、Amazonでも品切れの時が多いが、現在は大量入荷したようである。良いタイミングであると思う。









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UFOの内部の様子を正確に伝えることはできないだろう

もし私が今、宇宙人の宇宙船内部に入り、十分に観察した後、そこで見たものを文章で記述したとする。しかし、その内容は、実際の数パーセントも表現していないに違いない。
もし、数世紀後の人類が、私の書いたレポートを見たら、「随分、21世紀初頭の雰囲気だな」と感じることだろう。
現在の我々のテクノロジを、千年以上前の人間に見せれば、やはり、彼らは、それらを、彼らに分かるものに喩えて表現するだろう。パソコンディスプレイは、薄い皮に描いた絵を、後ろから光を当てて見たようなものだとか、携帯電話は、平らに磨いた透明な琥珀のついた笛か何かと言うかもしれない。そして、実際のディスプレイ上のものは、パソコンにしろ、携帯電話にしろ、彼らには実際に認識できない。そこには、彼らは何も見えないと言うか、ただ、きらきらした光の渦だと言うだろう。人は、自分が観念として持っていないものは見えないのだ。

仮に、神が目に見えるものだとしても、それが目の前に現れたところで、我々にはそれが認識できない。神の方で、その民族の神の概念に合わせた姿を見せてくれた場合にのみ、人々は「神が現れた」と言うのである。

村田正雄さんという人が、宇宙人の宇宙船に乗せてもらい、月や金星を訪れた経験を1970年代に本にして出しているが、実際に宇宙船に乗ったのは、それよりももっと前のことらしい。
そして、その本を見ると、確かに、宇宙船の中の様子が、現代の我々から考えても、ちょっとレトロ(懐古的)であるように思える。ボタンスイッチ、レバー、メーター、テレビ画面…などといったものが、どこか昭和の雰囲気である。それらは、実際は、文章に書かれたものとは、かなり異なっていたかもしれない。しかし、彼にはやはりそのように見えたのだ。そして、ところどころで、表現に苦労している様子がうかがえる。だが、時代を考えると、彼の表現はかなりのものだと思う。
彼は、自分の指導霊であると言っているが、夢の中で年配の婦人が現れたという。彼は、その時、アダムスキーの本を読んでいたらしい。その指導霊は、その本をしっかり読むように言ったという。

アダムスキーは、宇宙人とのコンタクティー(接触者)としては、世界でも最も有名だろう。しかし、そのことで彼は、詐欺師、ペテン師のレッテルを貼られてしまっているように思われる。アダムスキーと聞けば、その名を知っている人でも、せいぜいが、「あの嘘つきだろう?」とごく当たり前に言うことも多いと思うが、そう言う人は、彼が嘘つきかそうでないか、実際は全く知らないのだ普通だ。「いや、俺は彼がペテン師だと言える理由があるぞ」という人にしたって、単にデマを信じているに過ぎない。
そのアダムスキーも、宇宙船に搭乗した時の様子をかなり詳細に本に書いている。それは、1950年代の出来事と思う。そして、その記述はかなりのものだ。まるで、現代のコンピュータの画面より、はるかに進んだ映像があったことが想像できるのである。当時は、コンピュータの出力は、主として、穿孔(小さな穴)で情報を表示した紙テープだったのではないかと思う。ディスプレイがあったとしても、2色のブラウン管画面に、粗い文字が表示されるくらいだったはずだ。それを考えれば、たとえ想像だとしても、アダムスキーの発想力は大したものだと思う。
個人的には、アダムスキーの情報に、明らかな虚偽と思えるようなものはないと思う。
私もいつか宇宙船にという夢は膨らむが、アダムスキーは、単なる好奇心で宇宙船に乗せられることはないし、また、自分のいるところでうまくやれない人間は、他の星に行っても、やっぱりうまくやれないのだと言う。合点がいくだけに、ちょっと残念である。やはり、地球人は地球でやるべきことがあるのだろう。

私は、アダムスキーに関しては、彼や彼の報告を誹謗中傷する人々の大半よりは、アダムスキーの情報や態度、思想がずっとマシという理由で、彼の話を真面目に考えている。
いずれにしろ、開かれた心を持つことだ。
彼が1940年代に、小説の形で発表した作品では、宇宙人は、原子力は、武器としては言うまでもないが、危険であり、産業や生活のエネルギーとしても相応しくないと言ったことが書かれている。当時の状況を考えれば、やはり、一般の人間の認識としては非常に高度だと思う。もっとも、当時からでも、本当の専門家であれば、それは十分に分かっていたことであったと思う。そして、宇宙人は、原子力エネルギーを使う必要がないことも示唆している。

ところで、1つ、私がアダムスキーについて違和感があるのは、転生に関する、エドガー・ケイシーやエマニュエル・スウェーデンボルグらとの説明の違いだ。
アダムスキーは、人は死後、必ず、ほぼ瞬時に、別の肉体に転生するという。
だが、ケイシーによれば、死の直後の転生もあるが、霊界で長く過ごす霊も少なくないと言っていると思う。
スウェーデンボルグとなると、転生は無いという。
しかし、これも、転生というものをどう理解するかの問題と思う。
必ずしも、我々が1つの固有の魂を持っており、それが、ただ1つの肉体に転生するといった単純なものだとは限らない。
解決する術のない疑問は保留するしかない。すると、答の方からやってくるのである。

尚、宇宙人の宇宙船の飛行原理に関し、現代の我々のテクノロジに近い形で説明しいると思われるのは、足立育朗さんの『波動の法則』の中にあるが、それは、アダムスキーの説明と矛盾しないと思う。
地球人類も、その気になれば、今でも、UFOのような宇宙船を製作できるのではないかと私は思っている。









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食物より調和の取れたエネルギーの力

私は、食事は1日に1回で、食べるものは、パン(食パン1枚)、野菜、果物(ほぼ林檎で、1日半分)、ナッツ、チーズだけである。
しかし、別に痩せてはいない。約180cmで65kgだから、細身ではあるが、ちょっとスリムという程度である。以前、1日にご飯を半合と、豆腐、漬物しか食べなかった頃はもっと軽かったが、それでも60kgを切ることはなかった。
毎晩、必ず、300回のスクワット、100回以上の腕立て伏せをし、通勤で最低5kmは歩き、その他でも、なるべく車を使わずに歩いているが、65kgから下がることはない。
私と同じ位の身長で55kg程度の人はよくいて、やはり痩せているが、そんな人は、1日3食で、割とよく食べているのである。
これは、面白いと思った。

ところが、長期の断食(20日くらい)をしている人で、ある時点で体重の低下が止まり、逆に、増えるという現象を報告する人もいるようである。一般の科学ではあり得ないことである。
また、かなり肉付きの良い人が、何日か断食をしたところ、ほとんど体重が落ちなかったという話もある。
森美智代さん(森鍼灸院院長)という方は、長年1日に青汁1杯しか食べないそうだが、かなり太っている。青汁といっても、かなりの量の野菜をどんぶり1杯であるが、それでも太るというのは面白いものである。

形態波動エネルギー研究所の足立育朗さんの『波動の法則』を見ると、食物だけで、精巧な人間の身体を機能させることは不可能で、宇宙から、もっと調和のとれたエネルギーが流入しているとある。私もそれは間違いないと思う。足立さんは、宇宙からのエネルギーは脾臓に入ってくると述べている。
また、世界には、食物を全く摂らずに生きている人も一定数存在するが、インドのヨーギ(ヨーガ行者)であるパラマハンサ・ヨガナンダは、そんな人は、空気中にあるプラーナというエネルギーを多く体内に取り入れているのだと言う。気功では、プラーナは気と呼ぶのだと思う。

私は、3年ほど前までは、肉食中心で大食だったが、ある日突然、1日1食の菜食になった。甘いものも大好きだったが、間食も全くしなくなった。そうするのに、努力も根性も必要なかった。
それは、腕振り運動(中国ではスワイソウという)を長くやっていたからだと思う。
私は、それまでに、10年ほど、腕振り運動をやっていたが、回数は、せいぜい、1日100回であった。ところが、後でメニエール氏病と分かったが、激しいめまいを感じたり、アトピー性皮膚炎が悪化する中で、腕振り運動を1日500回に増やした。それで、しばらくは良かったが、仕事のストレスや不規則な生活が続き、ついに、メニエール氏病で立つことも歩くことも出来ない状態になり、腕振り運動を1000回にしたところ、急速に回復した。回復してからは、500回に戻っていたが、関英男博士の本を読み、2000回に増やして、しばらくしたあたりで、肉を食べなくなり、昼食を抜き、朝食を抜き、ついに、1日1食になった訳である。
関博士によると、腕振り運動で、手の平からGTP(重力子が複数結びついた特殊な粒子)が発生し、それが体内に蓄積して、若返ったり、病気が治るそうで、関博士自身、1日腕振り運動2000回で、胃癌を完治させている。
GTPこそ精妙な宇宙エネルギーの元であり、それに比べればはるかに不調和な食物のエネルギーを減らし、特に粗雑なエネルギーの肉食をやめ、GTPによる精妙な宇宙エネルギーを取り入れることが出来るのだから、健康になって当然と思う。

尚、潜在意識の法則や引き寄せの法則の成果が出ないと感じている人は、上にあげた足立育朗さんの『波動の法則』を読むと良いと思う。
うまくいかないのは、精神を構成する量子の周波数が低い可能性があるが、この本を読むことで1000倍から10000倍に上がるようになっている。また、そういった精神の構造も、世間的な科学とは言えないかもしれないが、直感的に納得しやすいように書かれているのである。
理解し、上手くなるには、自分でやってみる以外の方法はない。本当かどうかは、自分で試してみると良いだろう。
以下に、当ブログ内の、腕振り運動に関する記事のリンクを記しておく。
腕振り運動で若返る原理
天使か妖精のように軽くなる方法
地球や天と共鳴する腕振り運動
腕振り運動の効果、最新レポート









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