昔、何かのテレビCMで、小学生の子供達が将来の夢を語っていた。
「人々を感動させる歌手になる」とか言う女の子がいたし、プロスポーツ選手になるというのもあったかもしれないが、アホらしくて覚えていない(笑)。
それらは、子供の夢としては良いのだろうが、あたかも、それが本当の目標のように語らせていたところが、見てて嫌だった。
まあ、あんなことを言う子供も沢山いるのかもしれないが、子供達にそんな妄想を持たせたのはテレビの害悪だろう。
それで、大人になっても、子供の夢を卒業出来ない人が増えている。
「自分は今、こんなつまらない仕事をしているが、いつかは天下のために大きな仕事をする」と言う者が、どこにでもいるものである。
それは愚か者だ(笑)。
徳川家康に、天下取りのために大切なことを尋ねた人がいたらしい。
問われた家康は、「短い方と長い方、どっちが良いか?」と聞くので、質問者は、「両方、お願いします」と請うたそうだ。
すると、家康は、「短い方は『上を見るな』、長い方は『身の程を知れ』だ」と答えた。
これが実話かどうかは分からないが、確かに家康は、身の程を知らず上を見たために大失敗をしたことがあり、その失敗から戒めを得たから天下を取れたことは間違いないので、作り話だと軽んじることは出来ない。
しかも、伝説によれば、そう家康が教えた相手は、お小姓の少年であったということなので、最初に述べたような身の程を知らないガキを戒める言葉でもあると言える。
人間には、宿命というものがあり、出来ることと出来ないことはあるのだと思う。
だから、家康にとっての天下取りは日本の平定であったが、別の人の天下取りは、例えば画家で食べていくことかもしれない。
しかし、今の流れの中での目標は明確であるべきだ。
例えば、有名なUFO研究家の矢追純一氏のこんな話が良いと思う。
矢追氏は、高校には在学したが、家庭の事情で、全く通わなかったらしい。制服すら持ってなかったという。
その彼が、高校卒業が近付いて来た時、進路は進学と決め、進学先は、東大法学部か中央大法学部と自分で決めた。いずれも難関である(中央大法学部は法学部の名門)。
しかし、矢追氏は、高校に通っていないし、勉強も全然していなかった。
だが、矢追氏のその目標は、押し付けられたものでも、見栄で決めたことでもない。
心に明確に浮かんだものなのだろう。
そこで、矢追氏は、受験の過去問みたいな本を買って、ごく短期間だが、頭に詰め込み、東大は駄目だったが中央大は受かった。
だが、矢追氏は、受験の結果など全く気にせず、受験後は旅行に行ってしまい、帰って来た時、届いていた合格通知書を見て、初めて合格を知ったという。
「受かって当然」と思っていたからだった。
このように、矢追氏は、目標を決めたら、後はぼーっとするらしい。
同じようなことを、足立幸子氏もベストセラーの『あるがままに生きる』に書かれている。
目標を強く思ったら、後は、ぼーっとするのだそうだ。
私も昔、いくつかの難しい試験に合格しないと取れない上級のIT資格を取る時、「受かってやるぞ」と思って受験していた時は、全然受からなかった。
しかし、「取れて当然」と思い、もうどうでもいいと思うようになったら、今度は全然落ちなくなり、あれよあれよという間に資格が取れてしまった。
おかげで会社からは報奨金をたっぷりもらい、大手IT企業を訴えた裁判の時に、いろんな意味で役に立った。勝ち目は薄い裁判で、逆に訴え返されたが(反訴)、結果は、それなりの賠償金をもらって和解するという、一番好ましい結果になった。
この時も私は「勝って当然」と思い、全然心配していなかったのだ。
矢追純一氏は、育った厳しい環境の中で精神を磨いていたので、そんなことも出来たのだと思うが、私の場合はそうではない。
私の場合、何らかの真言や呪文を唱え、「これを唱えているから絶対大丈夫だ」と思うことにすれば、後は、それを唱えれば唱えるほど、うまくいって当然という気になる。
真言は、例えば、観自在菩薩真言の「オン、アロリキャ、ソワカ」などである。
自分の干支の守本尊の真言を唱えるのも良いと思う。
不遜かもしれないが、正直、「アジマリカン」でも「トホカミエミタメ」でも何でも同じだと私は思う。
良ければ、やってみていただくと良いと思う。
「人々を感動させる歌手になる」とか言う女の子がいたし、プロスポーツ選手になるというのもあったかもしれないが、アホらしくて覚えていない(笑)。
それらは、子供の夢としては良いのだろうが、あたかも、それが本当の目標のように語らせていたところが、見てて嫌だった。
まあ、あんなことを言う子供も沢山いるのかもしれないが、子供達にそんな妄想を持たせたのはテレビの害悪だろう。
それで、大人になっても、子供の夢を卒業出来ない人が増えている。
「自分は今、こんなつまらない仕事をしているが、いつかは天下のために大きな仕事をする」と言う者が、どこにでもいるものである。
それは愚か者だ(笑)。
徳川家康に、天下取りのために大切なことを尋ねた人がいたらしい。
問われた家康は、「短い方と長い方、どっちが良いか?」と聞くので、質問者は、「両方、お願いします」と請うたそうだ。
すると、家康は、「短い方は『上を見るな』、長い方は『身の程を知れ』だ」と答えた。
これが実話かどうかは分からないが、確かに家康は、身の程を知らず上を見たために大失敗をしたことがあり、その失敗から戒めを得たから天下を取れたことは間違いないので、作り話だと軽んじることは出来ない。
しかも、伝説によれば、そう家康が教えた相手は、お小姓の少年であったということなので、最初に述べたような身の程を知らないガキを戒める言葉でもあると言える。
人間には、宿命というものがあり、出来ることと出来ないことはあるのだと思う。
だから、家康にとっての天下取りは日本の平定であったが、別の人の天下取りは、例えば画家で食べていくことかもしれない。
しかし、今の流れの中での目標は明確であるべきだ。
例えば、有名なUFO研究家の矢追純一氏のこんな話が良いと思う。
矢追氏は、高校には在学したが、家庭の事情で、全く通わなかったらしい。制服すら持ってなかったという。
その彼が、高校卒業が近付いて来た時、進路は進学と決め、進学先は、東大法学部か中央大法学部と自分で決めた。いずれも難関である(中央大法学部は法学部の名門)。
しかし、矢追氏は、高校に通っていないし、勉強も全然していなかった。
だが、矢追氏のその目標は、押し付けられたものでも、見栄で決めたことでもない。
心に明確に浮かんだものなのだろう。
そこで、矢追氏は、受験の過去問みたいな本を買って、ごく短期間だが、頭に詰め込み、東大は駄目だったが中央大は受かった。
だが、矢追氏は、受験の結果など全く気にせず、受験後は旅行に行ってしまい、帰って来た時、届いていた合格通知書を見て、初めて合格を知ったという。
「受かって当然」と思っていたからだった。
このように、矢追氏は、目標を決めたら、後はぼーっとするらしい。
同じようなことを、足立幸子氏もベストセラーの『あるがままに生きる』に書かれている。
目標を強く思ったら、後は、ぼーっとするのだそうだ。
私も昔、いくつかの難しい試験に合格しないと取れない上級のIT資格を取る時、「受かってやるぞ」と思って受験していた時は、全然受からなかった。
しかし、「取れて当然」と思い、もうどうでもいいと思うようになったら、今度は全然落ちなくなり、あれよあれよという間に資格が取れてしまった。
おかげで会社からは報奨金をたっぷりもらい、大手IT企業を訴えた裁判の時に、いろんな意味で役に立った。勝ち目は薄い裁判で、逆に訴え返されたが(反訴)、結果は、それなりの賠償金をもらって和解するという、一番好ましい結果になった。
この時も私は「勝って当然」と思い、全然心配していなかったのだ。
矢追純一氏は、育った厳しい環境の中で精神を磨いていたので、そんなことも出来たのだと思うが、私の場合はそうではない。
私の場合、何らかの真言や呪文を唱え、「これを唱えているから絶対大丈夫だ」と思うことにすれば、後は、それを唱えれば唱えるほど、うまくいって当然という気になる。
真言は、例えば、観自在菩薩真言の「オン、アロリキャ、ソワカ」などである。
自分の干支の守本尊の真言を唱えるのも良いと思う。
不遜かもしれないが、正直、「アジマリカン」でも「トホカミエミタメ」でも何でも同じだと私は思う。
良ければ、やってみていただくと良いと思う。