ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
あなたをSE、プログラマー、あるいは、超能力者にするブログ。ひきこもりも歓迎。

足立幸子

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
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[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

皆、こうして成功した

昔、アメリカで、どれほど成功法則の本を読み、なおかつ、その教えを実践し努力しながら成功しなかった男が、ある日、究極の成功法則を発見し、以降、大成功したという。
その男は、アメリカの作家マイク・ハーナッキーで、当時はかなり話題になったが、今はさっぱり聞かない。
ただ、かなり前、彼のWebサイトを見つけたのだが、彼は、ある時期から、騒がしい場所から身を引き、金もあるので、引退生活を満喫しているように思えた。
彼の発見した究極の成功の秘訣は、当時の彼の本の回りくどい表現を簡潔にすれば、「目標を達成するために必要なことは何でもやる決意をする」である。
ちなみに、必要なことは「決意すること」だけで、実際には何もしなくて良い。
ただ、おそらく、何もしなくて良いが、やりたいと思ったらやれば良いのだろう。
彼も、失業者から作家になった時は、がむしゃらだったようだ。
ただ、それは、後から考えればそうだっただけで、やはり、本人は、特に何かをしたとか、苦労したとは思っていないらしい。

ハーナッキーは、いい線いってたのだが、やはり、ちょっとズレていたと思う。
ただし、表現がマズかっただけで、本人はやり方を知っていた。だから、有名にもなれたのだ。
ハーナッキーと同じやり方をしている(していた)人達の話を見て、表現のマズさを修正しよう。
その人達は、作詞家の阿久悠さん、UFO研究家の矢追純一さん、画家の足立幸子さん、それに、物理学者の保江邦夫さんだ。
私が覚えてる、これらの人達の表現はこうだ。
阿久悠さん「うまくいった場面をイメージし、忘れる」。
矢追純一さん「目標を決め、後はなりゆきにまかせる」。
足立幸子さん「決意し、ぼーっとする」。
保江邦夫さん「考えない」。
足立さんと保江さんは、講演等、教える時には「口から出まかせを言う」というところも共通している。
矢追さんも、セミナーでは、受講生は寝ていても良いと言うから、多分、言うことは出まかせなのだろう。
阿久さんの詩も、出まかせに違いない。
つまり、共通して、皆、考えないのだ。
そして、ハーナッキーが言う「必要なことをする決意」は、本当は、「目標を達成することを決意する」ことであり、それを強めるために、「必要なことは何でもするぞ」と思っただけのことだ。大切なことは、あくまで、目標達成を決意することだ。
しかし、普通の人は、難しい目標の達成をなかなか決意出来ず、きっとハーナッキー本人もそうだったので、「それを達成するためにどんなことでもする」決意をするという、一種の「代行」が必要だったのだ。
それなら、「目標を達成出来なかったら死ぬ」という決意でも良い・・・いや、こっちの方が良いのだが、下手にこんなことを言って、本当に誰かに死なれたら責任問題になりかねない。だが、「死」と引き換えほど決意を高めてくれるものはないので、実際問題、これが一番だろう。よって、あくまで秘密として言えば、目標を達成するための究極の秘訣は、「目標を達成出来なかったら死ぬと決意する」ことだ。
ところが、それが分かると、大抵の目標には、さしたる価値がないことが分かるだろう。
「就職出来なかったら死ぬ」なんて思う馬鹿はいないだろうからね。
とはいえ、就職も立派な目標だ。
だから、「就職出来なかったら、大好きなチョコレートを食べない」程度で良い。
これは、上杉謙信の「一生、女を抱かないので、戦で勝利させてくれ」という、神への祈願のための生贄である「断ちもの」の逆プロセスだ。
謙信も、「戦に負けたら、生涯、女を抱かない」で良かったと思うのだ。
しかしまあ、目標達成の決意さえ出来れば、後は、ぼーっとして何も考えなければ良いのである。
ただし、決意は強くなければならない。
強い決意をするために、上に述べたやり方を、自分がやり易いように組みなおせば良いのである。
ただ、いずれは、簡単に決意が出来るようになる。
ハーナッキーも、その境地に達したのだと思う。











火事場の馬鹿力の原理と応用

「火事場の馬鹿力」とは、緊急事態の中で、人間が異常な(高度な)力を発揮することを言う。
例えば、家が火事になった時、か弱い女性が、大の男が2人でも動かせない貴重な彫刻を1人で運び出したなどで、報告例は無数にある。
中には信憑性が疑わしいものも少なくないが、科学者が検証した事例もあるようだ。
その(科学者が検証したもの)中には、自分の幼い子供がマンションの窓から落下するのを見て、落下地点に突っ走って救った主婦がいて、後で詳細に調べたら、その主婦はサンダル履きのまま、陸上男子短距離走の世界記録を上回る速さで走ったとしか考えられないというものもあった。
『トーチェ氏の心の法則』の中には、体重57.2kgの中年女性が、1634kgのステーションワゴンの下敷きになった息子を救うため、1人でそのステーションワゴンのバンパーを掴んで持ち上げた話が紹介されている。

火事場の力が発揮される時に共通することは、その力を発揮する者の理性が吹っ飛んでいた・・・パニックに陥り、理性的に考える能力が失われていたことである。
そこのところは、よく指摘される。
しかし、それでは説明が不足している。
正しくは、「まず、強い思念を起こし、それから、理性が消えた」である。
最初の、「強い思念を起こす」、言い方を変えれば、「強く何かを想う」「激しく決意する」ことが必要なのである。
もっと一般化して言えば、「目標を明確にする → 思考を捨てる」である。
この力が発揮されるのは、パニック時に限定されるのではない。いかなる場合でも起こせるのだ。
例えば、UFO研究家の矢追純一氏の大学受験の時の話がそれに当たる。
彼は、まともに学校に通ったのは中学の3年間だけで、高校時代は、妹2人を養うために働いていたこともあって(さらに労働後に朝まで遊ぶことに忙しくて)、高校には全く通わなかったらしいし、受験勉強もしなかった。しかし、特に当時は、東大より良いと言われた中央大学法学部法学科に合格した。
そのプロセスを取り出すと、まず、受験に合格すると強く決意する。その後は、何も考えない。矢追氏のいろいろな本を読むと、矢追氏はあらゆることを、そのようにするのだと思う。
『あるがままに生きる』の中で、著者の足立幸子氏はまさに、「強く思う、そして、ぼーっとする」と、公式のようにシンプルに表現している。

「強く思う、そして、ぼーっとする(何も考えない)」は、はた目から見ると、強く決意したところは見えず、その後は、がむしゃらにやっているように見える。
矢追氏だって、1冊の参考書を数日だけは読んではいたらしい。
そういえば、大手教育会社(世界でも屈指)の人に聞いたが、東大に合格したある受験生は、一科目につき、参考書を1冊覚えたのだと言う。彼は、いまどき、どの参考書も同じだと言うのだが、評判の良い本がどれかは分かるので、それを選んだのだろう。彼のやり方を採用すれば、教育会社だの予備校はいらないかもしれない。

そういえば、私がプログラミングをマスターしたプロセスを思い出すと、「プログラミングをマスターすると決意する(強く思う)。そして、後は何も考えない」だった。
確かに、深夜2時、3時までパソコンに向かっていたが、それは自動的にやっていたことで、努力でも何でもなかった(他人から見れば努力に見えるだろうが)。
高校生で、ブログのアフィリエイトで、月100万円以上稼いでいた者がいたが、彼も、稼ぐと強く決意した後にやっていたことは、少しも理性的ではなかった。やたらブログを数多く開設し、ひたすらそれをいじっていたように見えた。ノウハウ書は、ほとんど見なかったらしい。なるほど、普通の大人は、ノウハウ書をいつまでも見て考えているだけなのだ。








実用魔法は1つ

物理学者で武術家の保江邦夫さんの本が面白いので、10冊ほど読んだが、我々にとって大切なことは、幸福になるためには具体的に何をすれば良いかだろう。
失業中の人なら職を得、給料が安ければ昇給、あるいは、高給な仕事に変わる。
パワハラ、セクハラに悩んでいるなら、その悪者達に天罰が下り(あるいは自分が強力に保護され)、彼氏彼女がいなければ、素晴らしい彼氏彼女が出来ることが重要だ。
まあ、ここまで露骨に言うと何だが、本音はそうであろう。それなら、正直な方が良い。
だが、保江さんも、いろいろ難しい、ややこしいことを沢山書いていて、必ずしも分かり易い訳ではないかもしれない。
また、「あれが良い」「これが良い」といろいろあり、「あれ」を書いた本には「これ」が全く書かれておらず、つまるところ、どれが一番「楽」なのか分からない。
そこで、私が、保江さんの教えの具体的で最も良いと思うものを挙げるとすれば、「ぼーっとする」である。
そうだ。保江さんの根本的な教えは、「ぼーっとせよ」である。

ところで、本質的に、保江さんと同じことを説いていた人がいると思う。
画家の足立幸子さんだ。『波動の法則』の著者の足立育朗さんの妹さんと言ったらわかり易いかもしれない。
1993年に亡くなっておられるが、彼女の著書『あるがままに生きる』はロングセラーを続け、英訳もされている。
足立幸子さんは、講演も盛んにこなされていたようだが、「私の話は出任せ」と言うところも、保江さんと同じだ。

で、その足立さんの教えは、保江さんと根本的には同じで、主張する内容も、保江さんの「素領域理論」に近いように思う。
だから、足立さんの教えも、やはり「ぼーっとせよ」であるが、少し違うのが、「強く思ってからぼーっとする」というところだ。
これは、無能唱元さんの『強くなる瞑想法』の表紙裏かどこかに書かれた、作詞家の阿久悠さんのメッセージに通じる。
それは、「息を吸って、曲がヒットしている様子をイメージし、息を吐いたら全て忘れる」だ。
どうも、「曲がヒットしているイメージ」というのが、私には想像し難いが、阿久悠さんは、それを何か具体的に出来たのだろう。
これも、強く思ってぼーっとするというのと、ほとんど同じと思う。

だが、保江さんには、誰にも教えられない縄文ゲートの秘法がある。
これは、自分で本を買って、袋綴じを開いて知るしかない。
けれども、上に述べたことを参考にすれば、よりうまくやれるのではないかと私は思う。









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少しの量で満足し、若く健康でいられる食べ方

食事は、しっかり味わって食べるべきであり、せかせかとかき込むような食べ方をしてはならない。早食いをするくらいなら、食べなければ良い。

『あしたのジョー』というボクシング漫画で、丈のライバルの力石徹は、厳しい減量のために、1日にトマト1つしか食べない。
しかし、力石は、そのトマトを狂ったように貪り食り、周囲の人達を戦慄させる。
力石の空腹振りを描いたのであろうが、これではいけない。
別に、1日にトマト1個で良いが、きれいにカットして皿に盛り、一切れ、一切れをじっくり味わって食べるべきである。
実際、すごく空腹であれば、そうするに足るほど美味しいはずだ。
そうすれば、ちゃんと空腹が満たされて満足し、トマトという物質だけでなく、宇宙エネルギーが注ぎ込まれ、力に溢れるのである。

一方、長時間かけて大食する人は、実際は、食べ物を大事に食べておらず、十分に味わっていない。
そうなると、物質的栄養のみが吸収されて肥満するが、宇宙エネルギーが十分に取り込まれないので、精力に欠け、疲れやすいのである。

私も、5年前に、1日1食の少食を始めた頃は、食物をむさぼり食っていたに違いなく、「もっと食べたい」と思う気持ちが強かった。
そして、食べ終わっても空腹感が強く、栄養不足で眩暈(めまい)がしていた。
しかし、今は、朝に、ナッツとビスケットを少し食べるだけだが、じっくり味わって食べると、それぞれ2つの小皿に盛った分が、少し前は足りないと感じていたのだが、今は、食べ切れず、量を減らすようになった。
しかし、それで、精力、活力は増しているのである。
おそらく、「味わう」という精神作用が、宇宙エネルギーを吸収するのだと思う。
だが、それだけではないのだ。

『無量寿経』(浄土三部経の1つ)という、仏教の経典に、こんなことが書かれている。
阿弥陀如来の浄土では、食事をしたいと思えば、美しい見事な器に乗せられた素晴らしい食事が自在に現れる。
しかし、それを実際に食べることはない。
見るだけで満足し、満腹するのである。すると、料理は消える。

私は、そんなことがあるのだろうかと以前は思ったが、今は、実際そうではないかと思う。
私はもう長く、いわゆる「料理されたもの」を食べていない。
食べたくない訳ではない。
それどころか、最後に、チャーハンとラーメンを一緒に食べられたら、もう死んでもいいと本当に思うし、他にも、カレーライスやオムライス、スパゲッティなどを食べることは、私にとって、とてつもなく大きな憧れである。
しかし、最近は、想像の中でこれらの1つを食べることを考えると、それでかなり満足出来、あまり食べたいと思わなくなるのである。
つまり、本当に食べなくてすら、心で味わうだけでも、宇宙エネルギーが吸収されるのである。

実際、世の中には、全く食べずに元気に生きている人達が少数ながらおり、ドイツ人の女性テレーゼ・ノイマンのように、全く食べずに生きていることを、最高の医学者達が長期に渡って、厳密に検証した例もある。
日本では、明治時代の女性、長南年恵(おさなみとしえ)が、やはり、全く食事をしなかったことは、ほぼ確認されていて間違いないと思う。
また、年恵は、風呂に入らなくても身体が汚れず、43歳で亡くなるまで少女のような容姿と性質を保ったことが知られている。

菜食が好ましいとは思うが、何を食べても構わないから、少しのものを、時間をかけ、じっくり味わって食べて欲しい。
ただ、よく噛むことは大切ながら、おかしな人達が言うように、度を過ぎた回数噛むような馬鹿な指示を守る必要はない。
十分に味わっているなら、それで十分に噛んでいるはずである。
大切なことは味わうことであり、形式的、公式的、機械的に噛むことではないことは明らかである。

そして、こういったことは、性的欲望に関しても同様である。
画家で講演家であった足立幸子さんの本に書かれているが、セックスとは、本来、エネルギーの交流が主体なのである。
だから、進化してくると、あまり興味がなくなり、お互いの好意を持って抱き合っただけでエネルギーが交流し、浄化、活性化され、肉体接触以上の満足が得られるのである。
仙道の房中術の本当の原理はこれであり、ヨーガやその他の密教の教えも同様であると思う。
本当に良いカップルであれば、べたべたする必要すらなく、そっと寄り添うだけで十分なのだ。
また、精神とは偉大なもので、私など、想像の中で、初音ミクと肩がそっと触れるだけで、大量の宇宙エネルギーが充電されるのである。

これらの話を参考にして、自分で工夫していただきたいと思う。









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