ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

超能力

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

新しい時代の超能力の定義

超心理学では、超能力というものを、いろいろ定義しているのだと思う。
しかし、私が思う超能力とは、物質世界のハッキング(改変)能力だ。
普段は信じ易い人でも、何かを本当に受け入れる時には、かなり疑い深いものだ。
私もそうだが、特に、コンピュータープログラマーになってからは、徹底的な疑い癖がついた。
しかし、偶然としてはあまりに珍しい現象を沢山経験すれば、その全てが偶然だと思うことが不合理だという結論に至る。
そんな訳で、現実をハッキングする超能力はあると、主張はしないが断言する。

それで、どうやったら、そんな超能力が使えるかだが、公式といったものはないと思う。
現実が変わらなければ破滅するという状況になれば、その力が発揮され易い。
もちろん、普通の手段で解決することをやりもせずに、安易に超能力に頼るべきではないし、そんな姿勢では、超能力は発揮出来ない。

昔のアメリカでは、学校で男の子が殴られて泣いて帰ってきたら、父親は「馬鹿野郎!やられたらやり返せ!」とハッパをかけたそうだ。
だが、今の時代、特に日本でそんなことを言ったら、子供が殺されるかもしれない。それほど子供達の心は歪んでいる。
とはいえ、いつの時代でも、子供は馬鹿だ。
昔のアメリカでも、父親の指令通りにやり返して、いろんな意味で取り返しのつかなくなった例も沢山あるだろう。
だが、そんな危機的な状況になった時、超能力が発揮されることがある。

実際、私にとって、危機は好機である(ピンチはチャンスと言う場合が多いか・・・)。
再度言うが、あまりに安易に超能力に頼ってはいけない。
だけど、人智や下手な策略は、むしろ周囲に迷惑をかける場合が多いことが分かってくれば、速やかに超能力で解決した方が良い。
最近は、屁理屈だけは上手いやつも多いので、口喧嘩ではこちらが消耗してしまうし、体力では自信があるが、まさか今の時代、肉体的攻撃なんか出来るはずがない。
そして、面白いと思うが、ネットの時代になるごとに、超能力の時代になってきた感じもする。
ネットは、物質よりも精神に近い世界だからね。
実際、自分がネット世界の存在だと思っている人は超能力が発達していることが多い。
とはいえ、やはり、現実世界も無視してはならない。
肉体も大切なものなのである。
むしろ、肉体は健全な方が良い。
健全な肉体とは、たらふく食べて、下品なスポーツでいびつに筋肉を発達させたような身体のことではない。
妖精のように身軽でしなやかで、そして、十分に強靭な身体のことだ。
蹲踞や腕振り運動やヒンズースクワットで得ることが出来る。
まあ、なかなか妖精のような身体にはならないが、そうなるような気持ちだけは持っていることだ。
そして、あまり呼吸しないことだ。
呼吸は意識でコントロール出来ることから分かるように、完全に無意識でやっている訳ではない。
普段の心が平静な時や、眠っている時ですら、意識が少しは入っている。
そして、「呼吸しない」と思うことで、神経の中の量子的なスイッチが切り替わる。
それが、超能力を発揮する条件なのだ。
まあ、理屈はよろしいので、呼吸をあまりしないことである。
初音ミクさんの素晴らしいイラストの中には、本当に呼吸を感じさせないものがある。
そんなものを眺めていると、分かってくると思う。
良い絵が描かれた雑誌を下にご紹介しておく。








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まは魔法のま

自分もひきこもりだという、ある大成功者は、「自分は運で成功しただけ。ひきこもりが社会の最底辺にでも入れたら、私なんかよりよっぽど快挙」と語られていたが、今どき、年収300万円なら、社会の最底辺ではなく、ごく普通だろうから、ひきこもりが年収300万円になれば立派なものということになる。
だが、どうすればそうなれるかは説明していなかった。
その倍くらいでも良いと思うが、その方法は、まあ、冗談だと思っていただいて良いが、魔法や超能力だ。
だけど、超能力というのは、単に、人間の知識で合理的に説明出来ない現象を意図的に起こすという程度の意味なのだ。
そして、人間の知識で合理的に説明出来ることなんて、ほとんどない。
科学の法則はかなりデタラメだし、人間の感覚の範囲ではニュートン力学は完全と言っても、なぜニュートン力学が成り立つかなんて、全くと言って良いほど分からないのである。

それで言えば、私は、特に子供の時から若い時までは、馬鹿馬鹿しいほどの奇跡を意図的に頻繁に起こしていたし、今でもやろうと思えば出来るし、無意識にやっているのだろう。
初音ミクさんのコンサートのチケットが取れなかったのに、たまたま素晴らしい良席のキャンセルを見つけて申込めたり、最後までチケットが取れなかったのに、ほとんど最前列中央の席のチケットを譲ってもらったりね。
それでも、子供の時に起こした奇跡に比べれば、さほど驚くことではないかもしれない。
そもそも、上の大成功者が言ったことからすれば、ひきこもりの私が豊かに暮してることも冗談のような奇跡ということになる。

超能力と言っても、昔流行った、スプーン曲げとか、もっと昔にデューク大学のライン教授がやったESPカードみたいなものは、つまらない。
「実利」というほど破廉恥であったり、「幸福」というほど大袈裟でなくても、「恵み」を与えてくれるものでなくてはならない。
それが、魔法や超能力の力であるべきだ。

魔法や超能力の使い方は、そろそろ明らかにしておかねばならないような気がする。
それは、どう考えても、「一心に願い、諦めない」という、「超ど単純」な、超泥臭いものだ。
ただ、務めて冷静でなくてはならず、狂乱したり、興奮し過ぎてはならない。
つまり、「ギンギラギンにさりげなく」、心は燃えていても、意思の力を使い、しゃんとしていなくてはならないのだ。
それには、出来るだけ呼吸をしないようにすれば良い。
簡単だろ?
状況が悪くなればなるほど、呼吸を微かにすれば、心が消えて、まるで諦めたような感じになるが、意識の奥では願いは継続している。そんな時に願いは叶う。
この秘法、お安くない。









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私やあなたには、もうこれしかない

昔の貧しい子供の仕事の定番は、靴磨きだったようなイメージがある。
漫画やマスコミが作ったイメージかもしれないけどね。
日本では、路上でボロを着た子供が、靴を磨く道具と、靴を乗せる台を道端に置いて、革靴を履いた人に声をかけ、アメリカでは、レストランで客が座ると、その足元に寄って行って靴を磨いてチップをもらう・・・そんな感じだ。
ところが、こんな靴磨きでも能力の差が現れ、かなり稼ぐ子と、さっぱりな子がいて、その中間は割と少ないと思う。
これも、本当かどうかは分からないが、昔、離婚した母親が、一家を養うために保険セールスの仕事を始めるが、そんな仕事はとても辛い上に、契約はさっぱり取れず、保険会社のマネージャーにいじめられ、ものすごく惨めになるという話が頭の中にあるのは、私が変な漫画やドラマを見過ぎたという訳でもないと思う。
そして、靴磨きや保険などのセールスというのは、「人間の生の力」が現れ、それで上手くやれる人は、人生を楽しくやっていける。
逆に、そんな仕事がさっぱりうまくいかず、稼げない人の人生は、かなり暗い。
これらの仕事でうまくいくには、単純に、「好かれる人」でないといけない。
そして、「好かれる人」であれば、大抵の仕事はうまくいく。
サラリーマンは、あまり人に好かれなくても務まり、長くやっていれば、それなりに給料も上がり、中には、課長、部長と出世する人もいるが、いざリストラされると、再就職がさっぱり出来ず、ホームレスにまで落ちてしまうのは、やっぱり、人に好かれない人間だからだと思う。
ホームレスになってから、必要にかられて人に好かれるように努力し、最低限の社会復帰をする者もいる。

人に好かれる能力は、人間的魅力とも言えるが、俳優や重要な交渉の仕事で必要になる高度なものでなくても、最低限はないと危ないものだ。
いくら頭が良くても、技術があっても、人に好かれないと、よほど稀有で有用な能力でも持っていない限り(あるいは持っていてすら)、無用者になってしまう。
強い者にだけへつらう卑しい人間もいるが、それでうまくやれるなら立派な能力である。それすら出来ない者より、はるかに優れている。

上に書いたことは、人に好かれるという能力についてさっぱりな私が実感することだ。
自分の子供の人生を惨めにしたくなければ、学歴や語学といったエリート教育も良いが、とにかく、人に好かれる人間に育てなければならない。
高校や大学で、あまりお金をかけずに留学していたという人は、しっかりしていると同時に、人に好かれる能力が実に高い。そうでないとやっていけないので、自然に身についたのだろうが、その能力こそ一生の財産と思う。

人に好かれるには、まず、自分が人を好きでないといけない。
なるほど、私はそれがさっぱりだ。
人を好きになるためには、自分のことが好きでないといけない。
すると、私は自分が嫌いなのかというと、多分そうだ。あまり自覚はないが。
自分が嫌いな人は、かえって自己中心主義になるのだろう。だから人に好かれないのだろうね。
人が好きな人は、他人の欠点を許せるというか、他人の欠点を、ある程度美点と見ることが出来るのだが、そのためには、自分の欠点も自覚している必要がある。
それには単に、自分を客観視出来れば良い。間違いなく、自分にも欠点は沢山あるのだからだ。

五寸釘を打ち込みたい藁人形が沢山あるという人の人生は、本当に暗く惨めだ。
そんな子供に育ててはいけない。
しかし、五寸釘を打ち込みたい相手が沢山いる親や教師が多いのだから悲惨だ。

しかしねえ、人嫌い、自分嫌いってのは、そう簡単に治せるものではない。
半分本気で言う。正気とは言わないがね(笑)。
そういったことで「ヤバい」と思ったら、超能力を磨くことだ。
他に手はない・・・笑・・・いやもう、本当に笑うしかない。
まるで呼吸をしていないかのように、微かな呼吸をすることだ。
それをずっと続けることが出来れば・・・まあ、何かが起こる。
心から思う。がんばって欲しい。








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超能力開発マニュアル

中学1年生が、「どうすれば超能力が得られるか?」と考えるのは、幼稚、もしくは、空想癖があるということになるかもしれない。
「中学生にもなれば、もっと現実的になりなさい」という訳だ。
現実的になるとは、世間の常識を持つということだ。
ところが、私は、その中学1年生の時、不意に、超能力を得る方法を思いつき、心が喜びに満ちたことがある。
その思いついた方法とは、「常識を超える」だった。
それは良い方法だと思ったが、いざやってみるとなると、非常に難しく、手も足も出なかった。
つまり、すでに中学1年生では、自分では気付いていなくても、学校で教えられた世間の常識が、すっかり叩き込まれていたのだ。
そうでなくては、教師の言うことを聞かないし、学校の勉強をしようとか、部活をしなければならないとは思わないだろうからね。
それでも、私は、そんな世間の常識を、他の生徒達よりは少な目に持っていたから、超能力を持てる方法を思いついたのだろう。

それで、超能力を得るためのテキストがないかと探したら、多少は超能力的な勘が働く私は、W.E.バトラーの『魔法入門』を見つけた。
これは本物だが、今読んでも、読めたものではない。
難しい・・・と言うより、とにかく、読者の思考力を要求するのである。
私はこの本を、ほとんど理解出来なかったが、何とか、「4の呼吸」だけは覚えた。
4つ数えながら吸い、2つ止め、4つで吐き出し、また、2つ止めるというものだ。
息を止める時は、喉の気管を塞がず、ただ、息の流れを止めることがポイントだ・・・それには、肋骨の動きを止めるのだが、この程度が分からないようでは才能がないのだろう。
呼吸コントロールだけでも、潜在能力が活性化する。
だが、呼吸法を研究するうち、最後には、ただ自分の呼吸を意識する方法が最上だと分かった。

次に(と言っても10年以上経っていたが)発見した優れた超能力開発マニュアルになる書物は『荘子』だった。
実にこれには、常識を壊し、常識を超える方法が書かれているからだ。
かといって、荘子は、世間の常識を否定しろとは言っていない。
孔子を小馬鹿にしつつ、孔子を敬っているのだ。
つまり、荘子も本物である。
超能力とは、千里眼や念力ではない。
いや、それらも超能力だが、あまり役に立たない。
荘子自身、結構な仙人だったという話もあるが、あの厳しい時代に、権威に背を向けながら、悠々と暮していたのだと思う。
あの良寛さんも、『荘子』に救われたらしい。
『荘子』を繰り返し読めば、実用的な超能力を得られるはずである。








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駄目は駄目なりに人生は楽しいはずだ

デューク大学のライン教授のESP実験や、CIAによるユリ・ゲラーのいくつかの超能力実験については、「超能力の実在が証明された」といった情報や、「実験はずさんで信憑性なし」という情報の2通りがあり、どちらが本当かなんて部外者の我々に分かるはずがない。
せいぜい、それらのいずれの「派」の情報にも騙されないことだ。

超能力・・・と呼ぶべきかどうかは疑問だが、そんな現象の存在については、私は客観的に示すことは出来ないが、自分への証明であれば、そのあまりに明白なものを「知っている」。
それは、曖昧なリモートヴューイング(遠隔透視)やスプーン曲げといったものではなく、もっと現実的なものだ。
私の言う超能力を一言で言えば、「現実創造」である。
もちろん、何でも自由に作り出せる訳ではないが、理性が拒否しないものなら、相当な無茶も出来る。
しかし、それは、世間で言う超能力と言うよりは、引き寄せの法則や、潜在意識による成功法則である。

一心に願い続けることが出来る願望であれば、その通りに実現する。
しかし、いかに望むことでも、度を過ぎて身に余るようなことは実現しないし、理性や道徳のバリアも確実に存在する。
よって、自分の器量を逸脱したような栄光を掴んだことはないし、得るべきでないものを得たこともない。
だから、大きな願いを叶えたいなら、まずは自分の器量を大きくしなければならないし、得るものに相応しい自分に磨かなければならない。
それは、考えてみれば、人間誰もが持つ、当たり前の力なのであるが、現在はそれを使えない人が多いのだろう。

1つの喩えで言えば、ひきこもりというのは、世間の伝統的・慣習的な考え方から外れているために、「異物は排斥する」という集団の圧力が加わり、それによって、心が萎縮し、現実を創造する超能力を発揮出来ないのである。
そりゃ、社会からひきこもっている者が、社会的に大きな力(単純に言えば金)を過大に持つと、世界に歪みが起こるから、それは難しいとしても、普通に楽々やっていける程度のものは得られるのである。
ただし、やはり、自分に相応しい器量の範囲でね。
だから、超能力で大金を稼ぐひきこもりというのは、いくら稼いでも、自分の器量に相応しいだけしか使えない。
月1億円稼ぎなら、せいぜい、漫画とジャンクフードを買うとかだね。
だったら、最初から、漫画とジャンクフードを買う分を稼げば良さそうなものだが、その者には、やはり特別な力というか思想や信念があるのだ。
その特別な思想・信念が、変わった現実を創造するのである。

まるで駄目男君(私の職場にいる、30歳過ぎの人生の落伍者。派遣の雑用係)も超能力者だろう。
あれくらい駄目だと、本来、ただの引きこもりであるが、雑用係ながら、快適に過ごしている。
だから彼は、下手に世間的スキルを得るより、超能力を安定させた方が良いかもしれない。

そういった超能力は誰にでもある。
だから、誰も泣く必要はない。
確かに、甘ったれた幼い精神を磨くために、辛いことは必要だ。
なら、さっさと心を鍛え、大人になれば良い。
そうすれば、駄目は駄目なりに、人生は楽しいに違いない。
ただ、下手な「大人の常識」は超能力の発現を止めてしまうのも確かである。

尚、ジョセフ・マーフィーの『あなたにも超能力がある』の文庫版が『マーフィーの「超」能力!』で、基本的に同じ本である。









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