ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

赤ひげ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

仏陀の真似をすれば即ち仏陀

ひろさちやさん(Wikipediaによれば宗教評論家)は現在82歳らしいが、彼が48歳くらいの「若い」時に書いた『空海入門』という本がいまだロングセラーで、私も若い時に読んで、大変に気に入ったものだ。
本の内容は、密教とは「仏陀になり切って生きる」ことで、もっと簡単に言えば、「仏陀のフリをして」「仏陀の真似をして」生きることであり、空海がまさに、そのように生きた人だったというものだ。
仏教の専門家や仏教マニアには怒られそうな話だが、ひろさんの言うことが正しいかどうかはともかく、分かり易くて面白い。
ひろさんは、人殺しの真似をして人を殺せば、「いや、これはただの真似ってもんでさあ」では通用せずに人殺しになってしまうように、仏陀の真似をしたら、やっぱり仏陀なのだという話をして、『徒然草』の「狂人の真似をすれば狂人」と同じく、「人殺しの真似をすれば人殺し」、そして、「仏陀の真似をすれば仏陀」なのだと言う。
まあ、なんとも乱暴な理屈であるが、こんな話を思い出す。
赤ひげ先生と呼ばれた江戸時代の名医(漢方医)がいて、その医者のことを小説で描いた山本周五郎の『赤ひげ診療譚』は、1965年には黒澤明が映画化し、5回もテレビドラマ化された。
そのテレビドラマのどれかのお話だが、赤ひげの真似をする老人が現れ、医療は全く素人であるが、人々は本物と疑わず、慕われていたし、実際に病気も治していた。とはいえ、やることは脈をとるくらいのことだった。
つまり、「名医のフリをしたら名医になっちゃった」のである。
なぜ、偽赤ひげが赤ひげの真似をするようになったかというと、ある時、病人に赤ひげ先生と間違われ、なんとなく赤ひげ先生の真似をして脈をとっていたら病気が治ってしまったことがきっかけだった。
いわゆる、患者の自己暗示、プラシーボ効果というものであるが、「全ての薬の効果はプラシーボ」と言う医者もいるようで、自己暗示の力は絶大なものだ。
フランスのエミール・クーエのキリスト級の治療は全て自己暗示によるもので、自分で歩けずに担ぎ込まれた人が10分後には元気に走り回るほどだった。

それで言えば、仏陀になり切る、仏陀のフリをするというのも、何か意味があるのかもしれない。
ただ、ひろさんは、どうすれば仏陀の真似が出来るのかは、あまり上手く書いていない・・・というか、仏陀の真似なんか、どうやっても上手く出来ない。
では、どうすればいいかというと、これはもう、絶対に呪文・・・つまり、言葉の繰り返ししかない。
「私は仏陀である」「我仏陀なり」「私は仏陀」「俺、ブッダ」、何でもいいから、好きな言葉を唱えるのである。
そして、私がいつも言うように、効果的な唱え方は、
「感情を込めず、ただし、丁寧に、心の中で、出来るだけ多く」
である。
大声で迫力たっぷりに自分が仏陀だと言う宗教家もいるが、よくは分からないが、ただの変な人にしか見えない。
そもそも、気合いを込めて「私は仏陀である」なんて言ったら、傲慢な馬鹿としか言いようがないだろう。
しかし、感情を込めず、淡々と、「僕は仏陀だ」と心で唱えれば、後は、潜在意識が好ましい働きをしてくれる。

そして、仏陀でも、キリストでも、大師でも、マスターでも、自分が良いイメージを持っているものなら何でも良い。
「私は○○だ」と呪文を唱え続ければ、なったも同然である。
この仮想世界は、そのように出来ているように思える。









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秘法ソフトタッチは魔法の杖も同然

江戸時代に、小川笙船(おがわしょうせん)という名の町医者がいて、「赤ひげ先生」の愛称で知られている。
小川笙船の物語は、山本周五郎氏が『赤ひげ診療譚』のタイトルで小説に書き、1965年には、黒澤明監督が『赤ひげ』として映画化した。
さらにその後、4度もテレビドラマ化されている。

テレビドラマの『赤ひげ』の1つと思うが、こんなお話がある。
赤ひげ先生の偽物が出現したが、これがなかなかの名医らしく、評判が良い。
ところが、ついに、本物の赤ひげが、偽物と偶然に遭遇してしまったが、なんと、偽物は、医療の心得など全くない、ただの町人だった。
しかし、偽物が長く医療行為を続けていたのには訳があった。
風貌が、本物の赤ひげとそっくりだった彼は、ある日、赤ひげに間違えられて、重い病人のところに連れて行かれ、自分は偽物だと言うに言えない状況になってしまった。
そこで、仕方なく、見よう見まねで脈を取って(測って)いたら、なんと、病人が回復してしまい、家族らに大いに感謝されてしまった。
その感激が忘れられず、悪意はないが、やや後ろめたいながらも、治療の真似をしていたのだが、やはり成果は出るのである。
偽物は本物に、「病気っていったい何なんでしょうね?」と言い、本物や、その配下の医者達も感慨に耽る。

もちろんこれは、普通には、プラシーボ効果という、暗示作用で病気が治ったと考えるだろう。
あの名医「赤ひげ先生」に見てもらっているという患者の想いが肯定的に作用して病気が治るのである。
しかし、それなら、多くの場合は、医者も薬もいらないことになってしまう。

だが、もう1つ、これは架空の話だったのかもしれないが、脈を取ることで治ったところが興味深い。
リンパ節に軽く触ることにより、リンパ液の流れが良くなるという話があり、脇にあるリンパ節に指先で軽く触れることで、肩こりが劇的に改善することがある。
リンパ節に限らず、皮膚に微妙に接触することで、神経的、あるいは、電気的反応が起こり、未知の理由も含め、様々な、良い効果があり、時には、神秘的なほどであるかもしれない。
脈を測る際の指での接触が、まさに、最も適切な触り方になるのである。
普通のマッサージのような強い刺激では起こらない、不可思議ともいえる効果があるのだと思う。
私も、何週間も治らなかった、激痛としびれを伴う肩こりが、顔、首、脇、背中を適当に軽く触れているだけで、劇的に軽減した。

それで私は、いかなることも、ソフトタッチこそが極意なのだと確信するようになった。
ジョセフ・マーフィーも、潜在意識の法則で目覚しい成果を出す秘訣はソフトタッチであると述べている。
武道の達人の秘訣も、力を抜き、ソフトタッチでやることだと思う。
動物も、ソフトタッチをする人間になつくのである。

ソフトタッチとは、究極の弱い力を使うことである。
これをマスターした者は、いかなることでも最大の力を発揮する。
呼吸法がうまくやれない人は、弱い力で呼吸をしていないのである。
呪文で効果を得られない人も、強い呪文を行っている。
呪文は、弱い力で、微かに唱えなければならない。
それは、声で唱える時もだが、心で唱える時も同じで、弱く精神を作用させて行うのである。
私はずっと、呪文は、心の微かな声で行うべしと述べてきたが、心の弱い声と言った方が良いと思う。
心の声の大きさを思惟(考えること)することは難しいが、心の中で、弱い声で唱えるのであれば、「ア・・ジ・・マ・・リ・・カ・・ン」と長く伸ばしたり、柔らかく、やや節をつけると簡単であると思う。

京都の広隆寺霊宝殿の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)の弥勒菩薩は、右手の親指と薬指を軽く触れさせているように見える。
奈良県の中宮寺の木造菩薩半跏像は、加えて、右手の人差し指が、頬に軽く触れているように見える。
この2つの弥勒菩薩像に、ソフトタッチの秘法が現れているように思えるのである。
これらを手本に、ソフトタッチ、究極の弱い力を習得すれば、魔法の杖を得たようなものである。









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