ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

谷口雅春

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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「触発」が飛躍の鍵

「私には夢がない」とか「人生目標がない」とか言うことがあるが、夢とはどうやって出来るのだろう?
それは「触発」によってだ。
触発とは、辞書によれば、「(それがきっかけとなって)急に衝動・感情などを誘発すること。」ということである。
格好良いロック歌手を見て、「僕もああなりたい」という直接的で単純なものは触発でない場合が多い。
そうではなく、例えば、アルベルト・シュバイツァーが若い時、宗教団体のパンフレットに「アフリカには医療サービスを受けられない人が多くいて苦しんでいる」と書かれているのを見て、「それは気の毒だ。では僕が医者になってアフリカの人達を救おう」という強い衝動を感じたのが触発と言えるだろう。
それで彼は、30歳にして医大に入り、38歳で医学博士になり、実際にアフリカに行ったのだ。

だから、我々は是非とも触発を受けないといけないのだが、現代社会の仕組みは、国民が決して触発を受けない仕組みになっている。
国家に必要なのは奴隷のように、いいなりになる国民であり、革命家など必要ない。
コンピューターOSでも、日本の坂村健博士が作った「革命的な」TRONではなく、マイクロソフトが作った「そこそこの」MS-DOSやWindowsが採用されればそれで良いのだ。
(TRONは産業分野では普及しているが、パソコンでも採用されるべきだったと思う)

で、どうすれば触発されるかというと、趣味や遊びからの場合が多いが、世間で流行るような、精神を愚鈍にさせる下らない趣味や遊びではないことに注意しなければならない。
触発のきっかけになる趣味や遊びは、ローカルだったり、人気がなかったりする、サブカルチャー・・・つまり、「オタクの趣味」であることが多い。
だから、「ウルトラテクノロジスト集団」チームラボは、以前、採用条件の第一に「オタクであること」と書いていたのだ(今は知らない)。
オタクこそ正しく、オタクだけが闇の支配者に立ち向かえるのである。
『バガヴァッド・ギーター』で、至高神クリシュナはアルジュナに「君は是非ヨギ(ヨガ修行者)になりなさい」と言ったが、現代では「君は是非オタクになりなさい」と言っても良いかもしれない。

敬愛すべき発明家であった科学者、橋本健博士も、宗教に触発され、科学の根底に神秘ありとする研究スタイルを作ったのだと思う。
橋本博士は、東大工学部卒業後、最初に宗教団体に就職し、その後、富士重工に入って発明を重ね、常務にまでなり、黄綬褒章(おうじゅほうしょう)も受賞している。
橋本博士が学生の時に触発された本は、谷口雅春氏の『生命の実相』という現在まで1900万部発行と言われる全40巻の本らしい。
私は、3巻までは読んだが、確かに、他の人には書けないような内容であると思う。
個人的には、谷口氏の本では、『生命の実相・神道編』と言われる、『古事記と日本国の世界的使命』が面白かった。
また、谷口氏が自身の宗教と極めて近いと言われる、ユニティ教会のチャールズ・フィルモアの代表作『繁栄論』を谷口氏が解説した『無限供給の鍵』が、比較的分かり易く、非常に触発された・・・かもしれない(笑)。

まあ、学校やマスコミが奨励する趣味や遊びだけでなく、むしろ、学校やマスコミが否定的に喧伝するような(ただし不道徳でない)趣味や遊びにも目を向け、本当に面白そうなことをやると良いと思う。
ボカロPとか、ボーカロイドのイラスト制作とか・・・も、その1つである(笑)。








世界的名著が人々を不幸にする

ラルフ・ウォルドー・トラインの『In Tune with the Infinite』(無限者と調和して)は、1987年に出版され、世界的なベストセラーになり、現在も読み継がれている。
フォード自動車の創業者ヘンリー・フォードが、自分の成功はこの本のおかげと言い、この本をあらゆる人に薦めたという。
日本では、天才的な宗教家であった谷口雅春さんが荘厳な文語で翻訳し、2012年には口語訳の新訳も出ている。

確かに素晴らしい本であり、読むことは全面的にお薦めする。
ところで、この本の中で、著者トラインは、無限者、即ち、神と調和するためには、それに相応しい考え方が必要と主張している。
つまり、善意ある明るい考え方、楽天性、積極性、不屈の意思・・・といったもので、人間には、こういった思考を選ぶ力があるのだから、そうしなければならないということであり、そうであれば自分の世界を天国にするが、そうでなければ、地獄を創ってしまうと言うのである。
トラインの考え方とは、思考の性質が人生を決めるということだと言って良いだろう。
しかし、私は、そんな考え方は、かえって人々を不幸にしたと思う。

善意ある考え方ができるだずだと言われても、できない人がいる・・・いや、本当は誰にもできない。
私などは、年中悪いことや邪まなことばかり考えている。
善いことを考えるようになりたいと思わないでもないが、一生かかってもできそうもない。
そして、それで良いと言ったのが、法然や親鸞なのだ。
煩悩に満ちた我々凡夫は、善いことは何もできなし、善良な思考をすることも極めて難しく、常に、悪しき想いに囚われている。
だが、至高の仏である阿弥陀如来は、そのような凡夫を哀れに思い、そんな愚かな全ての人を救うために仏になったのだ。
大切なことはただ1つ。阿弥陀如来に全て任せ切ることだけだ。
その徴(しるし)が念仏なのであり、言い換えれば、念仏だけをすれば良いのである。
念仏以外の善を為そうなどと考えてはならない。念仏以上の善などないのだから。
ただし、念仏は自分で為す善ではないので、念仏を自力の修行だと思ってもならない。
念仏は、救っていただいた阿弥陀如来への感謝に過ぎないのである。

それを想えば、ジョセフ・マーフィーは、実に調和ある教えを説いていた。
まず、神は決して罰することはない。
そして、我々は、神が、我々を豊かにする方法、健康にする方法を知っているということが分かりさえすれば良いのだと。
後はただ、任せてしまうだけだ。
マーフィーは、決して伝統的なキリスト教の教義を説く牧師ではなかった。
非常に進歩的な宗教者であったが、それが親鸞的なのである。親鸞がいかにラジカル(急進的)で、当時の仏教界において過激に思われたかが分かろうというものと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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