頭の良い人の見分け方はある。
そして、頭の良い人と同じようにすれば、賢く見えるだけでなく、実際に頭が良くなる。
余程の天才はともかく、人間の頭脳の出来に大差はなく、頭の良さは心のクセで決まるのだからだ。

イエスかノーで答えられる質問に、ちゃんと、イエスかノーで答えることが出来る者は頭が良いのである。
別におかしなことではないだろう?
最終的な解答と言えるイエスかノーかを、素早く、きっちりと導けるということなのだから。

ところが、頭の悪い者は、イエスかノーかと尋ねているのに、下らないことを言うのである。
何度も登場させて悪いが、私の職場にいる、まるで駄目な男に尋ねてみた。
「勉強してるか?」
彼の答は、
「何を勉強していいか分かりません」
だった。
彼は、そう答えることで、「ノー」と答えるよりはマシと思っているのだし、また、何を勉強していいか分からない不幸な自分を慰めて欲しいと思っているのである。
この心構えが、彼の頭脳をサル以下にしているのである。

一方、私が中学3年生の時に、こんなクラスメイトの男子がいた。
授業中、男性教師が、その男子に、「おい君、聴いているか?」と尋ねると、彼は即座に、「いいえ」と返答した。
今の時代では考えられないが、その男性教師は、生徒を殴ることなど何とも思っておらず、実際、真面目な女子生徒に平手打ちを食らわしたこともあった。
だが、その男性教師は、「正直でよろしい」とだけ言って、それ以上、何も言わなかった(言えなかった)。
この男子は、男気があるだけでなく、とても頭脳の鋭い子で、みんなの憧れだった。
このように、頭の良い者は、余計なことを言わず、しかも、一瞬で、可能な限り有効性が高い選択が出来るのだ。

もっとも、イエスかノーで返事をしていても、利己的に反応しているだけの場合は別だということは、特に言わなくても分かると思う。
「ミカちゃん、お使い行って来て!」
「嫌!」
といった感じである。
ところが、大人でも、こんな者は多いのである。
「鈴木さん、これをやってもらえますか?」
「いいえ」
常に、こんな返答をする者とは、単に、面倒を背負い込みたくないだけで、しかも、他者への気遣いもせず、それを押し付ける。
非常に、近視眼的な馬鹿な上、傲慢であるが、大人の場合、そんな者というのは根本的には老化しているのである。
それでも、イエスかノーかと尋ねている質問に、ダラダラ返答する者よりはマシである。このマシとは、都合が良いという意味だ。
なぜなら、そんな者(利己的にイエスかノーで答える者)は、何もさせない限り害は少ないし、慈悲をかける値打ちがないので、いざとなれば処刑しやすいからだ。
上に挙げた、まるで駄目な男の場合は、限度はあっても、慈悲はかけるべきである。

頭脳明晰になりたいなら、イエスかノーで答えられる質問には、必ずイエスかノーで答えるのだ。
いや、それだけでなく、イエスかノーの返答を求められていない質問でも、イエスかノー、あるいは、それに出来るだけ近い答えをすれば、頭はぐんと良くなる。
つまり、答は、単純であればあるほど良い(言うまでもなく限度はあるが)。
しかし、最初は、それでまずいことになる場合もあると思う。
だが、そんな失敗の経験が、頭の回路を修正、補完し、驚くほど賢くなるのである。
そして、イエスかノーで答えられない質問は、大抵の場合、答える必要はないのだ。
そんな質問には沈黙することで、馬鹿になることを避けられる。
「好みのタイプの女性は?」
「結婚相手に求めることは?」
「アベノミクスについてどう思いますか?」
「会社への不満は?」
私は、これらの質問には答えようがないと思っているし、答えない。
「どうすれば私のこと、好きになってくれますか?」
こんな質問、本当に答えられるだろうか?
せめて、こう尋ねるべきである。
「私のこと、好きですか?」
「ノー」
「好きになってもらえる可能性はありますか?」
「ノー」
これなら、お互いの時間を節約し、感情エネルギーの浪費も避けられる。

質問に質問で返すというのはどうだろう?
これは、駆け引きとして良く知られる手で、実際、ハイレベルな交渉で使われることもある。
しかし、ありふれた問題で、こんなことをするのは、心が捩(ねじ)れている上に馬鹿なのである。
そして、実際は、ハイレベルな場でも、こんなこと(質問に質問で返す)は、討論テクニックと言えば聴こえは良いが、やはり、サルの喧嘩なのである。
私なら、質問に質問で返さねばならないような相手や議論には、最初から関わらない。
また、質問に質問で返してくる者は、即座に見捨てる。そうすれば、こちらが心正しい限り、神が追っ払ってくれる。

ちょっと乱暴な言い方もしたが、正しい討論、交渉、話し合いとは、リスペクトと思いやりの上に成り立つものである。
こちらが努力しても、相手への敬意や受容性を持とうとしない相手とは交渉はできない。
これまで長い間そうだったし、今もほとんどそうなのだが、宇宙人は、地球人を、交渉の出来る相手と見なしていないのである。
だから、宇宙人が自分の前に現れないことに文句を言うのは、筋違いもいいところなのである。









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