ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

親鸞

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あいつにもいろいろあるんだ

イエスは「隣人を愛しなさい」とか、「あなたの敵を愛しなさい」と言ったらしいが、そう露骨に言われても困る。
私には出来ないし、多分だが、誰にも出来ない。
だが、こう思うことは出来るし、思うべきなのだ。
誰か、嫌いな人を1人、思い浮かべ、こう思ってみよ。
「あいつにも、いろいろあるんだ」

親鸞の息子、善鸞(ぜんらん)は、京都にいた親鸞の元を離れ、関東で、親鸞に背くようなことを教え、親鸞は善鸞を絶縁した。
親鸞は、極楽往生のためには、念仏しかないと教えていたが、善鸞は、極楽往生のための特別な秘法を知っていると言ったらしい。
だが、私は思うのだ。
「善鸞にもいろいろあったのだ」
と。
だから、善鸞が、もし本当に、そんなことを言っていたとしても、それは、彼にもいろいろあったので、仕方のないことだったのだ。

あなたの彼女、あるいは、彼氏が浮気したとする。
怒るなかれだ。
「あいつにもいろいろあるのだ」
だから、仕方がないじゃないか?

私が子供の時に読んだ『悪魔の花嫁』という漫画で、ある空中ブランコ乗りの男が、同僚の男を殺した話があった。
ブランコにワックスを塗り、手が滑って落下するようにしたのだった。
ところが、サーカス団の親方は、そのことを知っていたが、黙っていた。
その理由はこうだ。
「人を殺すには、殺すだけの理由があったんだ」
殺した男にも、殺された男にも、いろいろあるのだ。
その「いろいろ」は、他人には決して分からない。

いろいろあるからって、許せる訳ではない。
しかし、まず、「あいつにもいろいろあるんだ」と思うことだ。
そうすれば、憎しみなんて、持ちようがない。
だって、誰だって、悪いことをいっぱいしているが、「いろいろある」のだから、仕方がないからだ。

殺したら、死をもって償うしかないだろう。
だが、「いろいろある」から殺したのである。
それが何かは、誰にも分からない。
しかし、確かにそれはあるのだ。

誰にも、いろいろある。
それが何か分かるのは神仏だけだ。
だから、裁くのも、許すのも神仏だけである。
阿弥陀如来と名付けられた、無限の光(叡智)と寿命(エネルギー)を持つ存在=無限者は、許すだけであるし、許す力を持っている。
これは、宗教ではなく、科学である。
「いろいろ」は因果である。
因果は「ゆらぎ」から生じる。
無限者はゆらぎを調整し因果を解消する。
それをしてもらうためには、自分を超えた存在である無限者に意識を向ければ良い。
そのための方法が念仏である。
念仏は宗教でもあるが、科学でもある。









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汝の敵を愛せよ・・・なーんてね

キリスト教に親しみを感じないのには、イエスが言った、
「女性を邪まな目で見たら、姦淫したも同じ」
のせいであるかもしれない。
いい女はやらしい目で見るのが当たり前だ。
私は、実はイエスは、
「女性を邪まな目で見るな・・・なんちゃって」
「汝の敵を愛せよ・・・なーんてね」
と言ったのだが、後ろの「なんちゃって」や「なーんてね」が省かれて伝わっただけなのではと思うくらいだ。

好みのタイプの女性を見て、邪まな思いを持つことを無理に押さえつけると、心を抑圧する。
心理学では、抑圧は無意識の中に押し込まれるが、やがて、その抑圧は変質して出てくると言われている。
怪しい心理学の学説の中にあって、これは実に正しいと思う。
だから、厳しく欲望を抑圧した中世のキリスト教のお坊さんは、みんなホモかロリコンになり、聖人ヅラしながら、隠れて現代のアダルト雑誌も顔負けの変態的なことをしていたのである・・・と思う(多分、当っている)。

しかし、法然なら、
「邪まな目で見ないに越したことはないが・・・まあ、見ても構わんから念仏しなさい」
と言ったと思う。
さらには、親鸞なら、
「邪まな目で見たっていいよ。いやいや、見るのをやめようなんて思っちゃあいけねーよ」
と言ったはずだ。
何と言っても、弟子(親鸞)は師(法然)を超えるものだ。

阿弥陀如来ってのは、隣の奥さんだろうが、セーラー服の美少女だろうが、邪まな目で見てしまう浅ましい人間を救おうと思っているのである。
しかし、
「じゃあ、阿弥陀様に救ってもらうために、俺は隣の奥さんをどんどんやらしい目で見るぞ、いや、なんとかしてやるぞ」
とまで思う、かなりIQが低い者に対し、親鸞は、
「薬があるからといって、毒を好むな」
と言っている。
ただし、親鸞は、そんな馬鹿でも念仏を称えると救ってもらえると言ったのである。

そんな阿弥陀様の広い心に感激して念仏を称えると、自然、あまり悪いことは考えなくなるものである。
しかし、悪いことを考えるままでも構わないのである。

まあ、ややこしいことを考え出したら念仏を称えることだ。
念仏を称えても、思考停止なんかしない。
むしろ、念仏を称えると、邪まな目で見ていた隣の奥さんに関して、ふと小粋なセリフが浮かび、その奥さんや周囲の人達を喜ばせることも多い。
こういうのを、大人の余裕とか言う。
法然も親鸞も、そんなことを言っていたと思う。









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目を覚ましている

老子、荘子の教えとは、「無為自然」である。
それは何かというと、全てをなりゆきにまかせ、一切の作為・・・つまり、人が意識的に行う行為をやめてしまうということだ。
言い換えれば、一切を天にまかせるということである。
それに対し、大物一般人として意義を唱えたのが、通称「二宮金治郎」として知られる二宮尊徳(にのみやたかのり)だった。
彼の主張はこうである。
「田畑は作為しなければ荒れてしまい、作物が穫れない」
「家は作為しなければあばら家になる」
よって、人が一生懸命作為することが必要で、老子は阿呆だ・・・というわけだ。

法然、親鸞の教えは、簡単に言えば、
「私は、修行も良い行いも出来ない煩悩にまみれた愚か者であり、唯一出来る良い行いである念仏を称えることで、仏様(阿弥陀如来)に救っていただく」
ということだ。
これは、死後、極楽浄土に生まれるということが強調されることが多いが、この2人を尊敬していた一休は、
「念仏を称えれば、今、ここが極楽浄土」
と言い直した・・・つまり、死ぬまでもなく、即座に効験があるとした。
だが、実は、法然、親鸞も、そういったことは十分に言っており、一休は、それにスポットライトを当てたのであると思う。
つまり、念仏は、現世利益をもたらすものだ。

法然、親鸞、一休に流れる、あまり表向きとは言えないかもしれない、念仏の現世利益を現実に生きたのが、ごく一般の農民でありながら、念仏の教えによって稀有な存在となった、因幡の源左(いなばのげんざ)で、二宮尊徳が54歳の時に生まれた人だ。
源左は、19歳の時、父親が亡くなったが、その父親が、「これからは親様(阿弥陀如来)を頼れ」と遺言し、源左は仏様に一切をまかせて幸福に生きたのだと思う。

ところで、尊徳と源左の間くらいに生まれたイギリスのサミュエル・スマイルズは『自助論』で、「天は自分を助ける者を助けてくれる」と言い、自助努力の大切さを説き、明治時代の日本人に受け入れられ、当時の日本の青年達に大いにやる気を出させ、それが現代の日本の繁栄に結び付いた面は確かにあると思う。

こういった流れを見てきた我々は、老子、荘子、法然、親鸞、一休、尊徳、スマイルズ、源左の教えを昇華すれば無敵である。
誰が正しく、誰が間違っている訳でもない。
仏様に任せると言っても、親鸞や源左が何もしなかった訳ではない。
では、どう考えれば良いのかというと、我々のやることは、自分のエゴではなく、天や仏様の意思で「やらされている」と思うことだ。
さらに積極的に、「やらされよう」と考えても良いかもしれない。
Googleの人達は、インターネットの意思を実現するために技術開発しているそうだし、BUMP OF CHIKENは曲の意思を実現するために音楽を作り、演奏し、歌うのだそうだ。
そして、老子も荘子も、法然も親鸞も一休も、尊徳もスマイルズも源左も、みんなそうしたはずなのだ。
具体的には、

頭の中からっぽにして
目の前だけ見つめるの
~『Satisfaction』(作詞・作曲・編曲:kz、歌:初音ミク)~

のようにすれば良いのだと思う。
【初音ミク】Satisfaction【Project DIVA X HD】 ~YouTube by KamJPCHさん~
まあ、そのためには、念仏を称えるのが一番であると私は思う。
念仏を称えても、目は開けておくように。
これは、視力の問題ではなく、「目を覚ましておれ」ということで、「しっかりせい」ということである。









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誰に、あるいは、何に踊らされるかが問題だ

ある高齢で死を迎えつつあったお坊様が、何日も意識がなく寝たきりになっていたのに、不意に布団の中で起き上がり、
「我が力やない」
とはっきり言われたそうだ。
それが、見知らぬ私にも届いた、そのお坊様のメッセージである。

今月の、アメリカ大統領就任式で国歌を斉唱したジャッキー・エヴァンコさんは、5年ほど前に来日した11歳の時、テレビ番組の中で、「もしかしたら、神様が私に降りてきて歌っているのかもしれない」と言ったが、これも同じで、「私の力で歌っているのではない」ということだろう。
画家の横尾忠則さんは、「私は天の美を地上に表す道具」といったことを言われたと思うが、これも、「私の力で描いているのではない」ということだ。
Googleの人達は、「インターネットの意思に導かれて開発している」と言うらしい。
つまり、Googleの人達はインターネットに開発させられているのだし、本当に開発を行っているのは自分達ではなくインターネットなのだ。
BUMP OF CHIKENの藤原基央さんは、「曲の意思を聞くことを精一杯やっている」と言う。
これもやはり、曲を作っている、曲を演奏しているのは、自分ではなく、曲なんだということだと思う。

親鸞は、念仏を称えると罪が消えるのは、自分が念仏で罪を消しているのではなく、仏様が消してくれるのだと言う。
そして、念仏自体が、自分の力で称えているのではなく、仏様に称えさせてもらっているのだと言う。

自分は、人生や世の中の傍観者・・・というよりは、やはり、横尾さんが言われた通り「道具」なのだろう。
良い楽器は、演奏者の意思を忠実に音にする。
藤原基央さんは、曲を誠実に、忠実に、再生、再現、表現する初音ミクさんに、「尊敬に近いものを感じている」と言われていた。

ぼくらはこの大きな星のなかでずっと踊り続けるんだ
色も言葉も混ざり合って
今ひとつに
~『Blue Star』(作詞・作曲・編曲:八王子P。歌:初音ミク)より~

我々は、踊らされているのだろうが、高い存在の意思に忠実に踊れば良い踊りだが、自分の踊りたいように踊れば悪しき踊りになるし、さらに、他人の意図で踊れば、邪悪な踊りになる。
「色も言葉も混ざり合う」ことが、高い存在の意思なのだろう。

好きなように踊りたいの
あなたの手を離れて
~『好きなように踊りたいの』(作詞:坂井泉水、作曲:坂井泉水、葉山たけし。歌:ZARD)より~

この歌の場合、「あなた」の手を離れた後、神の手を取るか、自分勝手に踊るかである。









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幸福な理由

私は、イチローは幸せだなあと思ったことがある。
プロ野球選手として成功したからではなく、特別な機械を使って長時間行うストレッチ運動を「毎日やりたい」と言っていたからだ。
そんなものがある人が幸せなのだ。
こう言うと、愚かな・・・というか平凡な人間は、
「その運動って、そんなに気持ちいいのですか?」
などと言う。
言うまでもなく、気持ちいいからやるのではない。
普通の人は、気持ちいいことをしたがる。
それで、日に日に衰え、みすぼらしく、醜くなっていく。
だが、イチローらは、違う理由で、毎日やりたがる。
それは、「理想に近付く」からである。

親鸞は、弟子の唯円に、「念仏を称えても、躍り上がるような喜びを感じない」と言った。
それでも、親鸞は毎日、念仏を称えたかったのだ。
それが理想に近付くことなのである。

エドガー・ケイシーは、9歳の時から、毎朝聖書を読むことを生涯続けた。
彼も、毎日、聖書を読みたかったのだ。
それが、理想に近付くことだからである。

プロのミュージシャンっていうのは、朝起きたら、早くギターを弾きたいと思うような人達なのだ。
音楽が楽しいというのも、もちろんあるだろうが、やはり、演奏したり歌うことで、理想に近付いていくのである。

そんなものを持っている人間は幸せなのである。
野球選手の中にも、「出来れば練習はしたくない」と思っている人がいるだろうし、もしからしたら、その方が多いのかもしれない。
もしそうなら、たとえ一流になれたとしても不幸である。
全然分からないが、清原和博さんって、そんな人だったのだと思う。

問題は、何が理想かってことが、かすかに、あるいは、無意識にでも掴めているかどうかなのである。
日本では特にそうだが、教育というものは、理想から目を背けさせるものだ。
あなたは、理想を見つけなければならない。
イチロー、親鸞、ケイシーらは、理想を持っていたのである。









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