ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
ソフトウェア開発技術者、Hikikomori、スーパーダイエッター、神秘思想家Kayのブログ
決して、一般受けするブログではありません。誠実に人生を遊びつつ、誠実に世間の幻想を叩き壊すことを目的とします。

親鸞

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
Twitterは、ちゃんとプロフィールが書かれ、1週間以内に1回でもツイートされている人なら、フォローしていただければ、大抵フォロー返します。

[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

実は偉大な念仏の真意

いかなる偉大な聖典であろうと、決定された運命というものを前提にしなければ、正しく理解することは全く不可能である。
逆に、全ては運命であることを受容すれば、初めてその英知に触れることが可能となるのである。
それは、聖典を基に正しい教えを説く聖者の教えも当然同じである。
今回は、浄土真宗の開祖、親鸞について見てみよう。

親鸞の師、法然は、ひたすら念仏を唱えることのみ教え、自分もまた、念仏以外は何もしなかったと明言した。彼の遺書と言える「一枚起請文」がまさに、「私には念仏以外何もない」と言うものなのである。念のために言うと、念仏とは、「南無阿弥陀仏」と唱えることであり、その意味は、「私は阿弥陀如来(阿弥陀仏)に帰依します(全てお任せします)」というものである。
法然は1日6万回も念仏を唱えたと言われ(晩年は7万回だったとも言われる)、対談中も、小さな声ではあったが、念仏を欠かさなかったという。
念仏を唱えることで、死後は極楽浄土(仏の国で、天国のようなもの)に行けるし、生きている間も、念仏を唱える者は仏に守られると教えた。

もちろん、法然の教えには、当時の無知な庶民に配慮したところがあるのだが、その実際の効果は言葉通りの意味をむしろ上回るのである。
尚、現代的に言うなら、阿弥陀如来というのは、もちろん、大仏のような姿をした形のある仏様ではなく、それは仮の姿であり、それは、阿弥陀如来の別名である無量寿光如来の名の通り、宇宙に偏在する光(英知)であり、根源的な宇宙エネルギーと言って良いだろう。
その仏に全て任せ、自我である私は全面降伏するというのが念仏であり、これは、黒住宗忠が、天照大神に全てお任せすると言うことや、クリシュナが「我のみ拝せよ」と言ったことと全く同じ意味である。イエスの場合は、「父なる神を愛せよ」であった。

ところが、法然の弟子である親鸞は、念仏を唱える貴さを教えはしたものの、もっと進んだことを言っているのである。
「念仏をしたら救われるのではない。念仏をした時は既に救われているのである」
つまり、念仏をすることが原因で、その結果が救われることであるという従来の公式が壊されているのである。
むしろ、救われることが原因で、念仏をするということが結果なのである。
少しも難しいことではない。
仮に仏と名付けた存在は、ある人の運命を救われる(幸福になる)運命と定めるとすれば、それと共に、念仏を唱えるという運命を授けるのである。
仏は、水が高いところから低いところへと流れるように、念仏を唱える者は救われると定めているのである。
だから、念仏を唱えたということは、救いは確定しているということなのだ。
そして、実際には念仏を唱える必要すらなく、念仏を唱えようと思うだけでも救われるようにされているのである。

もう少し現代的に言うなら、こういうことだ。
念仏とは、仏様に頼るという意志表示であることは誰にでも分かるはずだ。
自分の無力を受容し、より大きな力に任せるという態度が「南無阿弥陀仏」である。
自分にはものごとをコントロールする力があるという誤った認識を解くことが絶対的に必要なのだ。
そして、仮に阿弥陀如来という名と、ある特徴ある仏の姿に対してであっても、それに頼むことで自分の無力を少しでも認めることが、仏への道を歩み出したということなのである。

だが、法然の念仏も、つまるところは同じなのである。
どちらが優れているとも言えず、いずれの方式でいくかは、気質によるのではないかと思う。
ただ、2人とも、念仏の利益は、死後に極楽浄土へ行くことであると述べた。
少しは、現世利益も説いたが、あまり強調しなかった。それを説くと、人々に煩悩が起こり、それが妄想となるからである。
だから、現世利益を説く時も、財や病気の治癒といった具体的なことではなく、ただ、「仏様が守って下さる」と言ったのである。
それは決して方便というだけでなく、実に見事な教えなのであるが、長くなるので、このあたりにしておく。









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悪い人になりたくてなれるものでなし

当ブログに、次のような内容のコメントがあった。
考えてみる価値があると思うので、参考になると考えるところを述べる。

運命は全て決まっているからといって反社会的に生きれば、悲惨な人生となる。そして、それは死後も永遠に続く。
逆に、社会の中で責任を果たせば、喜び多い素晴らしい人生になる。

宗教、道徳の説くところと概ね一致するのではないかと思う。
確かに、社会の中で責任を果たし、立派な人間として生きるのは良いことかもしれない。
しかし、思うままにそのように出来る訳ではない。
また、表面的にはそのような立派な人物ほど、裏で悪いことをするかどうかはともかく、心の中がどろどろどろし、自分が苦しんでいるのではないだろうか?

『金色夜叉(こんじきやしゃ)』という小説のお話をご存知だろうか?
ある純情な青年には、許婚の女性がいて、彼女を愛していたが、彼女は富豪の家に嫁ぐ。
心の傷から世間への復讐心を燃え立たせた青年は高利貸しになり、人々を苦しめることで、恨みを晴らしていく。
この青年だって、許婚の女性に裏切られなかったら、もうしばらくは良い社会人として生きたかもしれない。
しかし、世の中、何があるか分からない。そして、出来事は起こり、それは容易く人を変える。そのように仕組まれているのだ。
そして、小説でなくたって、この程度の出来事など、世の中ザラだ。
そんなことで人は道を誤る。
道徳や宗教に何の力もない。

そして、立派に生きねばならないという、世間の価値観をひっくり返したのが、法然や親鸞だ。
彼らは最上の宗教家として知られるが、門弟はともかく、庶民に宗教の教義や道徳を説いたことなどはない。
親鸞にいたっては、「善人なおもて往生をとぐいわんや悪人をや(善人でさえ往生して、仏様の国に行けるのだから、悪人は当然そうなのだ)」と革命的ともいえることを教えたのだと、弟子の唯円が『歎異抄』で述べている。
彼らは、苦しみ多い人生の中で、本当に、世界や人間を理解していたのだ。
自分の力で善いことをしよう、そして出来ると思い込んでいる善人ほど恐いものはない。それは、人々にとってもそうだが、本人が一番危ないのだ。

親鸞は弟子の唯円に、「これから私の言うことを信じるか?」と尋ね、唯円は「はい、信じます」と答える。
親鸞はなおも重ねて唯円に「本当か?」と尋ねると、唯円は「必ず」と誓う。
すると、親鸞は「人を百人殺せ」と唯円に命じた。
だが、唯円は「私の器量では一人も殺せそうにありません」と言う。
親鸞は、「分かったであろう。人は、自分の思うままに、善いことも悪いことも出来ないのだ」と諭した。
そして、自分の悪を自覚する正直な人ほど、素直に、人間より高い存在にすがることが出来るのである。
仏の真実について、法然や親鸞は知っていたとしても、それは語らなかった。そして、「自分は愚かな凡人で、自力では何もできないので、仏様に全てお任せするしかないのだ。そのために、ただ念仏を唱えるのだ」とだけ言った。
これこそ、全ての運命が決まっていることを受容する態度であると思う。

人は思うままに反社会的な悪人になれる訳ではない。
一方、自分がそうであることを望む立派な善人になれるわけでもない。
どんな人間になるかも含めて、運命は全て決まっているのだ。
もし、神や仏が運命を決めたとしても、その意図が何かは、我々に分かることではない。幼児に大統領の意図が分からないようなものだ。
古代ギリシャでは、そのようなことを知ろうとする者に対しては、「身の程をわきまえろ」と警告したのである。

確かに、親鸞に対し、「悪人が往生できるのなら、積極的に悪いことをすればいいのでは?」と言いだす愚か者もいた。いつの時代にもいる馬鹿者だ。
まあ、そんな者も含め、自分の思うまま、善いことも悪いことも出来ないのであるが、親鸞は親切な答を返した。
「薬があるからといって、毒を好むこともあるまい」









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人生のチェックメイトを消し去るには

将棋やチェスをやれるだろうか?
私は、一応はできるが、強くない。定石みたいなものを知らないからだ。
ところで、将棋の詰みとか、チェスのチェックメイトという言葉は普通にも使われる。自由意志はあっても、敗北を免れるための取るべき手段が全く無くなった状態のことを言うのだろう。
人生において、詰み、チェックメイトに陥った時に、自殺という手段に出る人がいる。
チェスや将棋のチェックメイトの取るべき手段が無いというのは、「合法的」という意味においてだ。だから、「君、その手はちょっと待ってくれたまえ。今晩、おごるから」といった、まともでない手段はあるのである。あるどころか、無数にある。
人生のチェックメイトというのは、あくまで世間の上での話、目に見える世界、物理的次元の話だ。

昔、人生のチェックメイトになった人々に、法然や親鸞は、念仏という手段を与えた。それは、現在でも続いている。
「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後、阿弥陀如来によって、極楽浄土に生まれることができるのであるから、チェックメイトは消えてしまうのである。この世を、世間的、物理的に限定するなら、確かにチェックメイトであるが、その制限を外せば、道はいくらでもある。念仏はその1つということだ。

もちろん、それを、物理的次元にいる我々が知的に確認することはできない。
つまり、信じるかどうかの問題であり、信じられないなら、チェックメイトの状況は変わらない。
だが、親鸞はこう言ったらしい。
「私は、師の法然上人を信じているのだ。もし、法然上人の言ったことが嘘であっても後悔はしない。なぜなら、私には、他にできることが無いからだ」
おそらく、これは弟子のために言ったのであり、親鸞本人は念仏の教えを信じていたと思う。
そして、法然や親鸞がそうであったように、世間的には有効とは思えない手段が、現実の状況を変えてしまうこともある。
いや、我々が現実と呼んでいるものは、目に見えない実相世界が形を取ったものに過ぎないのだから、変わって当然だというのが真実なのだ。
科学的にも、現在はまだ限定的ながら、それが認められているが、それはどうでもいい。現在の科学のパラダイム(考え方)は複雑過ぎるし、そのようなものは、何度もひっくり返っているからだ。
重要なのは、直感的な確信だ。いかなることにおいても、真に重要なものが、それ以外の方法で得られたことは実はない。もちろん、科学も例外ではない。

世間で、自殺しか選択がないと言われるような人生のチェックメイトは、本当の世界から見ればチェックメイトでも何でもない。
出来の悪いロボットは、ある進行方向をふさがれると、全くどこにも進めなくなるが、傍で見ている我々は、「方向を変えればいいじゃないか」と思ってイライラする。人間なんて、そんなロボットのようなものだ。

見えないものを信じたら
向こう側へと抜けるカギが見えるわ
~『こっちをお向きよソフィア』(作詞:康珍化、歌:山下久美子)より~

世間の教義や信念にひれ伏していては、我々の可能性は著しく制限され、惨めな人生を送らざるを得ない。
そのような偏見や迷信は、主に学校とCMとマスコミから叩き込まれる。
岡本太郎は、学校では、耳を手で堅く塞ぎ、神聖な自分の頭脳に汚れた考えが入り込むことを許さなかったという。我々も、心では、そのようでなければならない。









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イケメンでさえモテるなら、ブ男がモテるのは当たり前

親鸞聖人の弟子の唯円という人が書いたとされる、『歎異抄』という、世界でも知られる本の中に、「善い人ですら仏様は救って下さるのだ。ましてや、悪い人がそうでないはずがない」と書かれている。

一見すると不思議な言葉である。

ところが、中国の古典『荘子』にも、こんなことが書かれている。
「無能であってこそ大きくなれる。有能だと危うい」
これを、『歎異抄』に当てはめれば、、
「悪人であってこそ、仏様に救われる。善人だと、仏様の救いから漏れやすい」
となるのかもしれない。

ものごと、全て、そんな道理があてはまる。
「働き者ですら生活していける。ましてや、ニートがそうでないはずがない」
「イケメンですらモテるのである。ましてや、ブサイクな男がそうでないはずがない」
「スポーツマンですら健康なのである。ましてや、運動嫌いがそうでないはずがない」

そんな馬鹿なと思うだろうか?
そうではない。
働き者、イケメン、スポーツマンは自己の力を頼む。だが、人間の力など、たかが知れているのだ。
実際、働き者が失業し、イケメンがフラれ、スポーツマンが大病になって死ぬなんてことは実に多い。いや、最後は全てそうなると言って間違いない。

アイザック・ニュートンは子供の頃から病弱で、生涯ずっとそうだった。しかし、歳を取っても、頭も禿げず、眼鏡も必要とせず、ほぼ元気なまま、当時としては驚異的な84歳まで生きた。彼は、自己の肉体に自信が全くなく、神に頼ったのだ。
また、ニュートンは決して善き人ではなかった。ライバルは蹴落とし、一度恨みを持つと執念深く、容赦も無かった。だが、彼は、自分の醜悪さを知っていたのだ。そして、神を信じていた。彼は、魔法や聖書の研究のついでに科学をやっていたのだ。だから、優れたインスピレーションを与えられたのだ。

努力嫌いであってこそ成功する。努力家なんて迷惑なものじゃないか?それに、たかが個人の努力なんて限度があり、空回りするのがおちだ。
そりゃ、成功した努力家だっているさ。だが、そんな人は、努力しつつ、自分の限界を悟ったのだ。『歎異抄』にだって、一応、善人も救われると書かれている。
しかし、努力して成功した人って、あまり幸福ではないのだ。

自分の小ささ、弱さ、醜さ、馬鹿さ加減、駄目さ加減を自覚できた者が勝ちである。
すると、素直に大きな力に頼れるようになる。
無限の力、至高の英知、全能の存在、それを、神とか仏というが、それは、頼られれば裏切らない。
世界の至上の聖典、『バガヴァッド・ギーター』『聖書』『無量寿経』も、つまるところ、至高者に全て頼れと書かれてあり、ラマナ・マハルシもイエスも親鸞も、そして、黒住宗忠も、皆、そう教えたのだ。
だが、自分に力がある、自分は優れていると自惚れている者は、決して神仏に完全に頼れない。
そして、弱い犬ほどよく吠えるの喩え通り、弱虫や意気地なしほどプライドが高いものだ。ほとんどは、社会で鍛えられてこそ、自分の無力を悟る。もし、社会に出ないままそれを知る者は超天才である。ラマナ・マハルシはまさにそうだった。

イエスはこう言ったらしい。「私自身は無である。だが、神と一体である時、私は無限である」
謙虚とは美徳ではない。力なのだ。









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有難い出来事に追われる

江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、朝、起きると、すぐに、「有難い」と言ったのだそうだ。
丹波哲郎さんなら、「守護霊様、おはようございます」なのかもしれないし、法然上人や親鸞聖人であれば、「南無阿弥陀仏」だろうか。
黒住宗忠の「有難い」は、天照大神への感謝であるし、丹波哲郎さんの守護霊への挨拶も、守護霊に対する感謝である。そして、親鸞聖人は、念仏とは、阿弥陀如来への感謝であると言ったそうだ。法然上人に関しては、はっきりとは分からないが、念仏は、阿弥陀如来の全ての人々を救うという本願にすがるものであり、それは、確実に行われることが分かっているのであるから、やはり、感謝の念に満ち溢れた念仏であったはずだ。
親鸞聖人は、念仏すれば救われると言ったのではなく、すでに救われていることへの感謝が念仏なのだと言ったが、それを分かりやすく言ったのがイエス・キリストだ。イエスは、「願い事がある時は、既に叶えられたと思って神に感謝しなさい。そうすれば叶う」と言ったのである。

黒住宗忠が、「有難いと思っていると、有難いことばかり起こるのだ」と言うと、ある人が、「どうすれば、有難いという気持ちになれるのか?」と尋ねた。宗忠は、形だけでも、あるいは、真似でも良いから、「有難い」と言いなさいと教えた。例えば、朝起きたら「有難い」、顔を洗って「有難い」、食事をして「有難い」と、何をしても「有難い」と言うのである。
丹波哲郎さんは、朝起きた時と、夜寝る前に守護霊に挨拶しろと言ったが、丹波さんのようなものぐさな人には良いかもしれない。
法然上人は、「南無阿弥陀仏」を1日6万回、後には、7万回唱えたというが、無理な修行ではなく、よほど感謝の念があったのだろう。
巷では、「千回、有難いなあと言いなさい」とか、「幸せだなあも千回、ツイてるも千回」と教える人もいるが、あまりにやり過ぎると、やはり、欲に満ちてくるので、私は、ほどほどが良く、千回とかでなく、一生やれば良いと思うのである。
とはいえ、もちろん、人それぞれである。そして、多くの、有難い状況にある人が教えることであり、気に入ったやり方を真似てみても良いと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・MCSD、MCDBA資格者
・タオイスト、神秘思想家
・1日1食の完全菜食主義者
・幼児期からの引きこもり気質
・医療不要で難病を数々克服


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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萩尾望都さんの漫画紹介


半神
小学館文庫

わずか15頁の至高の傑作「半神」を含む短編集。
数奇で残酷な運命を目撃した後、「愛とは?憎しみとは?それはどう異なるのか?異なるものではないのか?」あなたの心に荘厳な疑問が残るのではないだろうか?


ウは宇宙船のウ
小学館文庫

1920年生まれのアメリカを代表するSF作家レイ・ブラッドベリの珠玉の短編作品を萩尾望都が漫画化。萩尾さんの繊細で美しい絵と感性が、ブラッドベリの作品に新しい生命を注いだ。
「みずうみ」では、12歳の少女タリーの可憐な姿と、彼女を愛するハロルドの少年の時と青年になって後の様々な表情がより深い感銘をもたらすと思う。
他の作品も素晴らしい出来であると思う。
CLAMP「CLOVER」のご紹介


CLOVER
わずか5分の劇場用アニメ作品。
CLAMPさんの名作漫画のイメージを美しい映像と音楽で描いた傑作。
主人公の12歳の神秘的な少女スゥの声は坂本真綾さん。


「CLOVER」の原作漫画を以下にご紹介します。
素晴らしい装丁、美しいカラーの扉絵。そして、神秘的な傑作と思います。
新装版も出ているようですが、私はこちらしか持っていません。しかし、こちらの本の装丁を大変に気に入っています。








私が愛する「魔法少女リリカルなのは」

ナンセンス文学(意味を持たない作品)として私が勝手に意味付けをしたのかもしれませんが、アメリカの百万円以上の自己開発プログラム以上に貴い気付きを私に与えてくれた全13話のアニメ作品。











5年の時を経て、2010年、映画化されました。
基本的には、テレビシリーズの全13話を1本の映画にしたものですが、本編では描かれなかったフェイトの生い立ちが見られます。そして、プレシアの謎の言葉も。映像はテレビシリーズよりさらにグレードアップしています。


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初音ミク、コンサート映像のご紹介
ミクの日感謝祭 39's Giving DayProject DIVA presents 初音ミク・ソロコンサート~こんばんは、初音ミクです。~
[2010/3/9]東京お台場~Zepp Tokyo~

映像の品質等は、下でもご紹介する、後で開かれた米国コンサートの方が高いのですが、私は、全体としては東京コンサートの方が好きです。米国コンサートの方は、映像の緻密さのために、かえってボーカロイド達がマネキンのように感じるかもしれません。これは、証明の影響もあると思います。緑色がかった証明の東京コンサートの方が、ミクが柔らかい感じで可愛いと感じました。
また、真っ白なお姫様のような衣装に赤い大きな腰のリボンが印象的な『Alice』、『あなたの歌姫』は、米国コンサートにはありませんでした。

【ブルーレイ】


【DVD】




MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです”
[2011/7/2]米国ロサンゼルス~ノキアシアター~

日本のボーカロイドが、日本語の歌で、アメリカ、ロサンゼルスの大劇場ノキアシアターの満員の観客を熱狂させた歴史的コンサートだったと思います。
東京コンサートから1年4ヶ月経過しており、総合的には確実に進歩しています。
私が特に気に入ったのは、1つは、ミクとルカの素晴らしいコンビネーションのダンスパフォーマンスが楽しめる『ワールズエンド・ダンスホール』です。ルカが珍しくミニスカート姿で、ミクに勝る四肢の長さで、ピンクの髪を美しく揺らしてダイナミックに踊ります。 もう1つが、ミクが真っ白な天使の衣装で歌う『SPiCa』で、これが天使でなくてなんだろう、私はついに天使を見たのだと思いました。演奏も東京コンサートの時と変えていましたが、成功していたと思います。

【ブルーレイ】


【DVD】


尚、ブルーレイとDVDの差についてですが、私は実際、両方買い、見比べてみました。観客、演奏者、楽器などは、大画面TVで見ると、ブルーレイの方がきれいですが、肝心のミク達は、ホログラム映像そのものがそれほど細密でありませんので、別に違いはないと感じました。ブルーレイ、DVDいずれも、東京コンサートの方は上半身映像以上の場合、米国コンサートでも、顔のアップだと映像の粒子が目立ちます。 変な話ですが、iPhoneやiPod touch、あるいは、同等な画面品質を持つ小型情報端末で見た映像が最上かもしれません。ただ、これは反則行為ですので、実際にやったとは言いませんが。
本のご紹介


精神について(エマソン名著選)
ラルフ・ウォルドー・エマーソン著
日本教文社

アメリカ最高の思想家、哲学者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの珠玉のエッセイ集。 「歴史」「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」が収められている。
我々自身が、歴史上の英雄、賢者、大芸術家に匹敵する偉大な人間であることを、驚くべき確信をもって語る唯一の人物であると思う。
世間の妄信を粉々に破壊し、プラトーンの頭脳、シーザーの手腕、イエスの愛の所有者である自分を見出して欲しい。
これ以上のエッセイは地上には存在しないと思う。


荘子
徳間文庫

約2400年前の中国の思想家で、老子と共に、老荘と称せられる道教(タオイズム)の始祖である荘周(荘子)の書。
世俗にあって世俗を超え、永遠の道(タオ)と一体化し、安らかで充実した人生を送る秘訣を、恐ろしく抽象的な老子と異なり、平易に説いている。
本書は、数多い荘子の現代語訳の中でも非常に読みやすく分かりやすいものであるが、中国古典の香りは損なわれていない。
本来、膨大な荘子の中心となる内編全てと、外編と雑編の内、荘子らしいものを選んで収録してある。


神統記
ヘシオドス著
岩波文庫

ホメーロスと並ぶ古代ギリシャ詩人ヘシオドスが、ムーサ(詩の女神)達より教えられたという神々の物語。
この世の始まりから、ゼウスの支配の確立、そして、主要な神々のことについて、美しい詩で語る。すぐに読める薄い本であるが、ギリシャ神話の根幹とも言える重要な書と思う。


四つのギリシャ神話(ホメーロス讃歌より)
岩波文庫

無名の詩人達が、ホメーロス風の詩で神々に捧げた賛歌の内、豊穣の女神デーメーテール、理性の神アポローン、智慧の神ヘルメース、美の女神アプロディーテーの4神へのものを収録してある。
著名な神話学者カール・ケレーニィも、ホメーロス賛歌を重視していると思えるが、名もない詩人達の作とはいえ、それぞれの神について、その特質が巧みに表現されており、実に興味深いものとなっている。
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