ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

西田文郎

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

これでディストピアはなくなる

AI(人工知能)が子供に対し、「あなたはシステムエンジニアになりなさい」とか、「あなたはファッションモデルになりなさい」と言うことはない。
ただ、言っているように見せかけることは出来る。
しかし、AIが実際にやるのは、こんなことだ。
例えば、ある子供が、「僕はプロサッカー選手になりたいが、なれますか?」と尋ねると、AIは、「なれる可能性は14.3%です」といったふうに答える。
まあ、あくまで、現時点での可能性である。
こんなふうに、AIは、人間が出した問いに答えるだけなのだ。
しかし、あらかじめ、AIを、例えば100種類の職業の適正を診断出来るよう設定していれば、その100種類の中から、なれる可能性の高い職業を提示すれば、あたかもAIが、その子供に合った職業を選んだように見えるのである。
野球の試合でも、AIは、ピッチャーに対し、「次は内角直球を投げろ」とは指示しない。
「内角直球を投げて打ち取れるか?」と尋ねたら、「打ち取れる確率は56.8%です」とか答えるだけだ。
AIが野球の監督になることは決してない。
AIは、予測屋なのである。
ただし、その予測能力を、恐ろしく高いものに出来る可能性があり、状況にもよるが、人間の予測力など遠く及ばないこともある。
人間の教師とか親が、「この子は医者に向いている。医学部に入れよう」と言っても、AIは「良い医者になれる確率28.6%」と言うかもしれない(「なれるか?」だけなら、多くの子供に高い確率が出るだろう)。
そして、進歩したAIの予測の方が、人間の予測よりずっと正しい可能性が高い。

今も既にそうなのだが、AIの予測力がどんどん利用されるようになる。
だが、人間には未来を思った通りに作る力があることを忘れてはならない。
一方、AIには、自分の予測の通りになるよう世界を動かす力はない。
ディストピアとは、人間が自分が持っている偉大な力を忘れ、AIのいいなりになる世界だ。
そして、世界は今、そのように進んでいる。
簡単な話をすれば、こんなことだ。
何の根拠もなく、「今日、出掛けた先で、あの子に出会うかもしれない」と思う。
もし、AIにその可能性を推測させたら、極めて低い確率を出す状況であるとする。
しかし、出掛けてみたら、信じられない偶然で、その子にばったりと会う。
つまり、AIの予測ではなく、人間の予想が当たったのだ。
「そんなの偶然だ」と言う者は多いだろうが、世界は偶然で大きく運命を変える。
AIに偶然は予想出来ない。だが、人間には出来るのかもしれない。
ところがだ・・・
重要なことを言うが、実際には、人間の予想が当たったのではない。
人間には、予想を実現する不思議な力があるのである。
もっとも、既に科学も、それを必ずしも不思議とは考えないほどに発達していると思う。
だが、教科書に載っている科学で考えれば、相変わらず不思議なことだろう。

西田文郎氏が、『かもの法則』という本で、人間の予想が実現するカラクリを脳科学の研究成果を踏まえて書いている。
しかし、西田氏は、他の著書では、この「かもの法則」について、全く書いていないのが不思議である。
「かもの法則」と言うだけあって、飛び過ぎていて、理解しない人が多いのかもしれない。
「かもの法則」とは、「あの子は、僕の彼女になるかも」と思ったら、そうなってしまう・・・まあ、簡単に言えばそんなものだ。
普通は、「あんな可愛い子が僕の彼女になんかなったりしないかも」と思って、その通りになるのだが。

君の好きな人は誰ですか?
別にそれが 僕じゃなくていいけど
~『インタビュア』(作詞・作曲・編曲:クワガタP。唄:巡音ルカ)より~

この歌も、こう言っている者(男だろう)は、
「君の好きな人は僕かも」
と思うべきなのである。
ただし、引き寄せの本にあるように、「彼女が好きなのは僕だ」と断定してはいけない。
人間の脳・・・右脳とか潜在意識が実現するのは、あくまで予想なのである。
西田氏は、あまり可能性はなかった日本のオリンピックチームに「金メダルかも」と思わせて実際に金メダルを取らせたそうだ。

AI時代に、良い本かも・・・である(笑)。








心は嘘が嫌い

人間が希望を持つためには、「明確さ」が必要だ。
例えば、宗教やセミナーで、「こうやれば幸せになりますよ」「こうやれば成功しますよ」と言われても、その教えに「確実性」を感じなければ喜びが湧いてこない。
だから、人々は、「確実性」を感じさせてくれる教祖やセミナー講師に高い金を払うのである。
そして、少しでも本当に希望を与えてくれるという理由で儲かっている宗教やセミナーは、案外、正しいことを教えているのである。
ただ、信者や受講生に自立性を与えず、その宗教やセミナーに依存させる心理テクニックが巧みなので、結局、信者や受講生は、変な所で堂々巡りをさせられるのだ。

よく、こんな教えを聞く。
貧乏な人が、「私はお金持ちだ」と言っても、それが嘘だとうことを知ってるから、そんな自己暗示やアファーメーションをしても、心は抵抗を感じ、ますます、自分は貧乏だという思いを心に深く刻み込んでしまう。
しかし、「私は金持ちになりつつある」なら嘘ではないから、心はこの言葉を受け入れる。
・・・そんな馬鹿なことはない!
貧乏で駄目な自分が「金持ちになりつつある」なんて言ったら、やっぱり心は「そんなはずないよ」と抵抗を感じ、ますます、「俺は金持ちになんかなれっこない」という思いを強くするのである。

豪邸に住む自分、きれいな奥さんや素敵な旦那さんに愛されている自分を「ありありと」想い描いても、本当はちっともリアリティを感じておらず、そんな想像は「シンドくなる」だろう。
酒や覚醒剤で理性を麻痺させると、その間は「その気に」なり、それで希望を持ち、生命エネルギーが湧いて上手くいくということも無いではないが、普通は悪い反作用の方がずっと大きく、よほどの幸運でたまたまうまくいく場合があるだけだ。

エミール・クーエの方法も、本人(クーエ)が前にいない限り駄目だろう。
「毎日、あらゆる面でますます良くなる」
私もやってみたが、そう言う度、「そんなワケねー」って感じたものだ。

まとめて言えば、人間は、明確でないと納得しない・・・つまり、嘘が少しでも見えれば駄目なのだ。
人間は、水が高い所から低い所に流れるように、疑い様のない明確なことしか納得しない。
そりゃ、目の前で、水が高い方に流れる奇跡を「これでもか」というくらいハッキリと見せてやれば話は別だが、それほどの超能力者は、まあ、滅多にいない。
では、どうすれば良いかとうと、「魔法を使って治している」とまで言われた天才精神科医のミルトン・エリクソンの真似をすれば良い。
彼は、人の心を操る奇跡の天才で、1901年生まれで1980年に亡くなっている彼の手法は研究されているが、あまりうまくいっていないと思う。なぜなら、誰もエリクソンのようにやれないのだから。
エリクソンは、手のつけようのない不良学生でも10秒で更生させることが出来た。
全く嘘のない方法で。
やり方は次のリンク先のページでお申し込みを・・・なんて嘘だ(笑)。
彼は不良にこう言うのだ。
「君が優等生になったら、みんな驚くだろうね?」
不良は答える。
「そりゃ驚くよ」
この会話のどこにも嘘はない。
「君が今のままなら、お先真っ暗だよ」
と言っても、そんなこと分からないし、少なくとも不良学生は納得せず、むしろ、反発する。
しかし、エリクソン方式なら、喜んで同意する。
だから、あなたもこう言いなさい。
「可愛い彼女(素敵な彼氏)が出来たらハッピーだろうな」
どこにも嘘はないだろう。
そうしたら、脳は快を感じて納得し、希望が湧き、エネルギーが供給され、あなたの中のサイバネティックス装置が自動的に目標を達成する。
このシステムを賢く使えば良い。
尚、昨日も書いたが、西田文郎さんの「かもの法則」もとても良いと思うが、多分、同じ原理と思う。









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人間の生命力「希望」を持つには

人は何で生きるのか?
イエスは、パンだけでなく、人は神の言葉で生きると言ったが、さて、どんな意味だろう?
トルストイの『人は何で生きるか』という短編のお話があるが、読んだ覚えはあるのだが、さて、人は何で生きると書いてあったか覚えていない。答は書かずに、読者に考えさせるといったものかもしれないが、それなら私には分からない。
人は何で生きるか?
それは、希望である。
希望を失った人間は、生命力が低下するが、希望を見出した人間は生命力が燃え上がる。それを勇気とか元気と言うのだろう。
よって、人間は希望を持たなければならない。
希望とは何かと言うと、未来の明るい展望と言って差し支えないだろう。
今はどん底、どん詰まりでも、明日は素晴らしいという根拠を得られた時、人は、もう少し生きてみようと思うのだ。
有名なシェフの村上信夫さんが戦争中、シベリアで捕虜になっていた時、瀕死の日本人兵がいて、ロシア兵の情けにより、村上さんに「彼に、最後に何か食べさせてやれ」と頼んだ。
その日本人兵は「パイナップルが食べたい」と言ったが、そんなものはなかったので、村上さんはリンゴを調理してパイナップルのようにして、その日本人兵に食べさせた。
その日本人兵は、翌朝まで持たず、村上さんは、もう二度と彼に会うことはないはず・・・だったが、しばらく後、村上さんは収容所内で、元気になったあの日本人兵に声をかけられて驚く。
死ぬはずだった彼は言う。「あんな美味いものが食べられるなら、もう一度、生きてみようと思ったのだ」
これも希望である。

私は、19歳で人生にどん詰まっていたが、ジョセフ・マーフィーの潜在意識の法則の本を読んで希望を持ち、それなりに楽しく生きてきた。
自分にも良い思いが出来るという希望だ。他愛ないものだが、人間には、そんなものが必要なのだ。
特に、歳を取ってから希望を失くすと、ほとんど必ず病気になる。
だが、そんな年寄りだって、希望を持てれば、また元気になり、病気も治ってしまう。

だが、明日の明るい展望を持つことが難しいこともあるだろう。
初音ミクさんも歌ってくれたBUMP OF CHICKENの名曲『ray』の中に「晴天とはほど遠い 終わらない暗闇にも 星を思い浮かべたなら すぐ銀河の中だ 」という歌詞があるが、希望を輝かせるためには暗闇も必要である。つまり、暗闇も覚悟して進まねばならない。
でも、銀河が必要だ。
初音ミクさんに「あなたに未体験あげるぅ」(『エイリアンエイリアン』よりだが、正しくは「あなたに未体験あげる」)と言ってもらうように。

そして、本当に人を生きさせる希望とは、1%の可能性を信じることなのだ。
言い換えれば、奇跡を信じることである。
奇跡を信じることが出来ない人間に希望はない。
普通の人がプロサッカー選手になれる可能性はほぼゼロだが、それでも信じて努力するから希望が得られる。
そのためには、無理矢理に信じようとするよりは、西田文郎さんの『かもの法則』にあるように、「サッカー選手になれるかも」と思うのが良いかもしれない。
すると、まかり間違ってサッカー選手になれるかもしれないし、別の目標が見つかるかもしれない。
鴨(かも)をいっぱい飼うことだ。
「超能力者になれるかもしれない」だって大いに結構。まずは生命力なのだ。
私などは、「偽プログラマーになれるかも」と思ったものだが、本当にそうなった。
偽プログラマーは本物のプログラマーより楽しいのである。









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「誰でも出来る」の嘘と本当

「コンピュータープログラミングは誰でも出来る」、「作曲は誰でも出来る」、「絵は誰でも描ける」・・・等といった、「○○は誰でも出来る」という言葉をよく見たり聞いたりすると思う。
そして、その言い方には、「今すぐ誰でも」とか、それに近いニュアンスで語られることも多いが、それははっきり、詐欺というものだろう。
実際、詐欺的セールスや、詭弁的な説得でよく使われる言い方である。

「誰でも出来る」は、多くの場合、間違いや嘘ではない。
ただし、ほとんどの場合、条件があり、それは、「熱心に長時間の努力を多年月続ければ」である。
そして、補足として、「そこそこのレベルなら」という但し書きも必要だろう。
誰もがプロになれる訳では決してない。

ところで、「プログラミングは現代人の必須のスキルだから、誰もが習得すべきだ」といったことが、物凄く偉い教育者にして博士で世界的有名大学の教授だという人や、アメリカのcode.orgというNPO団体に賛同する超有名人や、はては、アメリカ大統領も言ってるぞという話があるかと思うと、イギリスのある大学の教授と学生によって書かれた論文では、コンピューターサイエンスを専攻する優秀な大学生でも30%はプログラミングがマスター出来ないなんて話もある。
これも、別におかしな話ではない。
確かに、コンピュータープログラミングは誰でもできる。
ただし、どれだけのレベルで出来るかは、かけた時間と熱意による。
もちろん、個人差があるが、ほとんどの場合、ちょろっとやっただけなら、何の役にも立たないプログラミングをちょろっと出来るようになるだけで、しかも、学習を継続しなければ、すぐに忘れる。
まして、まともなプロになれる人は、ほんの一部だ(まともでない職業プログラマも多いのだ)。
上にも述べたように、コンピューターサイエンスを専攻した大学生の30%がプログラミングをマスター出来ないということについて言えば、別に、コンピューターサイエンスを専攻したからといって、全員がプログラミングに興味がある訳ではない。彼らがプログラミングを習得出来ないなら、やはり、熱心な長時間の努力をしなかったというだけのことだ。

DTM(デスクトップミュージック)という、パソコンで音楽ソフトを使った音楽制作が安価に出来るようになり、実際に、そのために音楽制作に取り組む人が増えたと思う。
さらには、初音ミクさんの登場で、自分が作った歌を、可愛い女の子が歌ってくれるようになって、音楽デモクラシーが起こり、確かに、音楽制作は、一部の特別に才能のある人や、恵まれた環境(親に楽器を買ってもらえ、音楽教室に通わされた等)にある人だけのものではなくなったかもしれない。
しかし、ちゃんとした曲を作れるようになるには、長い、そして、実際には苦しいことも多い、修行というべきものが必要である。修行という言い方が好きでなければ、「熱意ある取り組み」だの「やる気を伴った練習」だのと言っても良いが、所詮は、かなりの努力を要する。
アマチュアでありながら、初音ミクさんの素晴らしい曲を作る人がかなり出てきて、プロと遜色ないとか、あるいは、「プロには作れない」とすら思える作品も沢山あるが、これらの曲の制作者達は、やはり、子供の頃から楽器を習っていたり、学生の、それも、かなり早い時期からバンド活動をしていたりといった人達で、現役でライブ活動をしている人も少なくはない。
確かに、初音ミクさんに歌ってもらえることで才能を開花させた人もいると思うが、それはあくまで、長い下積みあってのことだ。

スマートフォンは誰でも使えると言うのでさえ、一定レベル以上のことをやるには努力が必要である。
一方、スマートフォンを全く使えないという人もいるのだろうが、それは単に、スマートフォンを使うことに時間をかけていないだけである。
パソコンは誰でも出来るが、会社等では、どうしても出来なければ仕事にならないという切羽詰った状況があるから誰でも出来るようになるのであり、パソコンを使う必要がない人がパソコンに興味も持てなければ使えるようにはならないだろう。
また、「パソコンが出来る」というのはピンきりであり、普通にいう「パソコンが出来る」は、パソコンの可能性から考えれば、極めて初歩的レベルである。
車の運転は、教習所に高い金を払うからこそ、かなりの短期間で習得出来るが、車の運転のような簡単なことですら、最初は誰でも、「俺、本当に運転なんて出来るようになるのだろか?」と思うほど難しいということを考えれば、音楽や絵やプログラミングといったものを出来るようになるとはどういうことか、いくらか想像出来ると思う。

願いを叶える潜在意識の法則や引き寄せの法則の活用、あるいは、斎藤一人さんや西田文郎さんらが教える「ツキの法則」の活用という、幸運に乗って儲かったりモテたりする技術の使い方が、どのくらいのレベルの難しさかは分からないが、少なくとも、車の運転とは比較にならない難しさと考えるべきだろう。
何と言っても、その恩恵、有難さたるや、車の運転、音楽、絵画、プログラミングの比ではないのだから。
それを、努力なし、苦しむことなしで得ようとするから、滑稽で間抜けなことになるのである。
まして、神のようになるには、ゲーテの『ファウスト』のファウストのように、長い年月、たゆまぬ努力を重ね、失望や落胆を味わっても道は遠い。
しかし、遠い道ほど価値があり、進歩する喜びも大きいのである。
引き寄せや、ツキの法則も、本当に使えるようにマスターするには努力が必要だから面白いと考えた方が良いと思う。









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なぜ小銭を貯めると金持ちになるのか

昔読んだ、臨済宗の僧侶、尾関宗園(おぜきそうえん)さんの本の中に、「小銭を貯めれば、確実に金持ちになれる」と書いてあったのを、印象深く覚えている。
もちろん、理屈の上では、小銭を貯めても、いつまで経っても金持ちにはなれない。
尾関さんは、なぜ小銭を貯めれば金持ちになるのかの理由を、少しは書いていたように思うが、それは覚えていないし、どの本に書いてあったのかも忘れてしまった。

ところが、「カモの法則」でよくご紹介するメンタルトレーナーの西田文郎さんの『面白いほど成功するツキの大原則』という本に、西田さんは20代の頃、タバコはもらいタバコですませて自分では買わず、飲みに行く時はサイフを持たずに行き、上司や先輩にゴマをすっておごってもらっていたと書いている。
30代でそんなことをすれば、ちょっとみっともないが、20代なら許されるので、若い時はお金を貯め易いと言う。
そして、西田さんは、お金持ちになっても、倹約は続けているのだろう。
西田さんは、「お金を貯める最大の秘訣は使わないこと」と言う。

また、2ちゃんねる掲示板を作ったひろゆきさん(西村博之さん。「ひろゆき」で通っている)は、お金持ち(多分、超お金持ち)だが、月に3万円も使わず、外食をせず、服も買わないので、預金は増える一方と言う。
110円の缶ジュースを買うのがもったいなく、喉が渇いても、ちょっと我慢したら、飲み物は家にもあるし、出先でも出るので買わないと言う。

私も出費は少ない方だと思うが、西田さんやひろゆきさんには負ける。つまり、それが私が、彼らのように金持ちでない理由だ。
お金は単なる物質ではなく、むしろ、エネルギーと言った方が正しいと思う。
倹約する、ケチに徹するということは、お金を大事にするということであり、その「大事にする」という意思が、お金のエネルギーを集め、そして、お金として実体化するのだと思う。
そう考えれば、尾関さんの言われることが納得出来る。

ところで、私は24歳で初めてサラリーマンになったのだが、勤務先は、従業員十数名の小さな小さな零細企業だった。
ある朝、出勤の時、10歳以上年長の2人の先輩に出会った。
私は早い時間に出勤していたが、その人達は、そんなに早い時間には出勤していないはずだった。
すると、彼らは、裏通りにある、若くてきれいな女性がやっている喫茶店に連れて行ってくれた。
そこで彼らは毎朝、ゆったりと座って、モーニングサービスを食べているのだった。
その会社は、小さい上に儲かっておらず、はっきり言って給料は非常に安い。
この2人の先輩達は、30代後半になっても、そんな会社で役職にすら就いていない。
何かの折に、その片方の人から、年収が300万円もないと聞いたことがあった(私もなかったが)。
それでありながら、毎朝300円も払ってモーニングサービスを平気で食べるところが、彼らが失敗人生を歩んでいる理由に違いない。

私は6年ほど前に、1日1食の粗食を始めてから、かなり倹約するようになり、それで確かに預金額が増えてきた。
だが、最近、ちょっとサイフの紐が緩んでいる。
再びケチに徹するというか、お金を大切にしようと思う。
それに気付かせてくれたのは、天の計らいだろう。ありがたいし、ツイている。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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