ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

藤平光一

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

やらないよりマシの美学

算数が全然駄目な子が、算数が出来るようになるには、毎日1時間、算数の勉強をしなければならないかもしれない。
しかし、その子を見て、1時間も勉強が出来るかどうかなど分かりそうなもので、出来るはずのない子に「1時間勉強しろ」と言う教師には退職をお勧めする。無能も度が過ぎているからだ。
それで、「1時間は無理でも、10分なら出来る」と推測すれば、「10分やってよ」と頼んでみる。
10分では全然足りないが、やるとやらないでは、とんでもない違いである。
それなら、せめて10分やってもらうべきである。
これについて、面白い話がある。
実話かどうか多少疑っているが、合気道家の藤平光一氏の『氣の威力』という本の中のものだ。
算数が全然駄目な男の子がいたが、その子は遊ぶのが大好きで、すぐに遊びに行きたり、少しも勉強しそうにない。
そこで、藤平氏は、その男の子に、
「勉強しなくていいから、1日1っぺん、必ず算数の教科書を開いて、『算数が好きだ』と言ってくれ」
と言った。
その子にとっては、「勉強しなくていい」というお墨付きがもらえるわけだから、喜んで従った。
そうしたら、やがて、その子は、算数が凄く出来る子になったらしい。
1時間が無理なら10分、10分が無理なら1分、それも無理なら、せめて教科書を開き、「算数が好きだ」と言うだけにする。
それで本当に成果が出るかどうかはともかく、それでクタクタに疲れたり、ストレスがたまるわけではない。むしろ、「勉強しなくていい」のであるから、爽やかであるはずだ。
そして、教科書を開き「算数が好きだ」と言うことにデメリットは全くなく、わずかかもしれないがメリットはあると思う。それなら、やった方が良いのではないだろうか。
小さな可能性が大きく育つことはあるが、可能性ゼロのまま放置すれば、いつまでもゼロである。

腕立て伏せについて、YouTubeでムキムキの身体をした人が、
「腕立て伏せは限界までやって、さらに、そこでもう1回やって下さい」
と言うが、それは、筋トレ好きの趣味である。
そんなことを普通の人に言えば、言われた人は、全くやらなくなる可能性が高い。
そんな個人的な趣味は言わず、精一杯やって10回の人なら、3~5回なら楽なはずだから、それを毎日続ければ、全くしないのと比べ、物凄く大きな差になることは間違いない。
いや、1回でも、やるとやらないでは全然違うと思う。
それに、1回と言っても、やがて、楽々と3回、5回、10回とやれるようになるが、それは、最初にスタート出来てこそである。
けれども、10回なら楽に出来るようになったのに、調子に乗って、無理に15回やり、それが苦しいと、腕立て伏せが嫌いになり、いつのまにかやらなくなる。
また、本当はシンドくて嫌なのに、根性でやると、ストレスがたまり、不健康になり、下手すると病気になる。
だから、楽に楽しくやれるだけやれば良いのである。

これも、本当かどうかは知らないが、物理学者で合気道家の保江邦夫氏が著書に書いていた、こんな話も参考になる。
保江氏がスイスの大学に講師に行った時、現地の人達と一緒に武道のトレーニングをやったのだが、スイスには巨体の人が多く、いくら保江氏が合気道の有段者でも、力が強い大男には全く歯が立たない。
そんな時、合気道の先輩である数学者の木村達夫氏が、四股を毎日千回踏めと言う。木村氏は、自分はやっていると言う。
しかし、保江氏は、千回は無理と、300回だけやったらしい。
すると、しばらくしたら、以前は全く敵わなかったスイスの大男に楽勝出来、自分で驚いた。
もし、保江氏が真面目な人で、先輩の言いつけ通り千回やろうとしたら、おそらく、続かなくて、全然やらなくなっただろうが、それなら、いつまで経っても大男には勝てなかったはずである。
「やらないよりはマシ」をすっと選択出来る保江氏の賢さと言うか、根性がないことが良かったのである。

そんなわけで、腕振り運動も、毎日千回以上が好ましいが、せめて50回でもやると良いと思う。
ただし、毎日やるというところは曲げてはならない。でないと、すぐに、全然やらなくなるからだ。そもそも、「毎日せめてこのくらいは」というところから、50回とか100回とか決めるのであるが、それすら出来ないようでは、さすがにヤバい(笑)。

私は、現在、アレクサンダー・ロイド博士が開発した「ヒーリングコード」に取り組んでいるが、ロイド博士の著書では、「1回最低6分、1日最低3回」を、かなり絶対的な条件としている。
しかし、1日3回はともかく、1回6分が私には厳しい。
また、ロイド博士が勧めるように、「ヒーリングコード」をしながら、お祈りをするというのは、私にはおそらく無理だ。
そこで、1回1分もしないかもしれないが、とにかく、1日3回以上は必ずやるようにしようと思う。
私がこれを始めた目的の1つが、10月以降、苦しめられているアレルギーによる肌の異常である。
そして、「ヒーリングコード」2日目で、それまで、夜中に何度も起き、眠れなかったのが、昨夜は、一度も起きずに寝られた。
この調子で行こうと思う。
だが、あまりに自分を甘やかすというのも戒めねばならない。

尚、上の保江邦夫氏のエピソードが保江氏のどの本に書かれていたか分からない。
個人的には好きな人ではなく、むしろ、嫌いな人で(笑)、無駄に沢山出している著書も、現在は全く関心がない。








強い神の力を得る公然たる方法

神の叡智や力に関することで、特定の教団に入らないと知ることが出来ないとか、手数料以上の費用を必要とするような秘法など存在しない。
「この教団だけの秘密」だの、高額なお布施を必要とするような方法は、私の考えでは、全て偽物だ。
これは、スピリチュアルなことに限らず、この世のほとんどのことがそうであり、そして、ますますそうなるだろう。

そこで、現実支配の力に関する、秘法でも何でもなく、よく考えれば当たり前である手法について簡単に語る。
当たり前であるから、すぐに実践出来、しかも、納得し易い。
では、早速、伝授に入る。
国や地域を問わず、究極の真理は、「私は神である」であり、その地域の言語で真言となっていることも多い。
けれども、「私は神」という道理は理性がなかなか納得しない。
もしかしたら、百万回、千万回と唱えれば、いつかは理性が屈服して受け入れられるのかもしれないが、そこまでやれる者は滅多にいないだろう。
しかし、もし、「私は神である」という真の理解に達すれば、神のごときもの・・・イエスのようになれる。

だが、これは、こうやれば楽だ。
まずは、心の中で「私は在る」と、丁寧に繰り返し唱える行を行う。
これは、いわば当たり前の言葉である。
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは、「あなたが本当に納得出来ることは『私は在る』だけだ」と言った通り、他の何を疑えても、自分が存在することだけは疑えない真実だ。
また、合気道家の藤平光一氏が、「重みは下にある」という当たり前の言葉を言えば氣が出ると言い、氣が出れば、潜在能力が発揮されたり、幸運になることを著書で証言している。彼自身、氣を出すことで、銃弾飛び交う戦場を悠々と歩いたり、小指1本で、アメリカの大男数人と押し合いをして楽勝している。
そして、「重みは下にある」より、はるかに当たり前のことが「私は在る」なので、この言葉だけでも、優れた効果を期待出来るだろう。

そして、『ヒマラヤ聖者の生活探求』(第5巻)と、ジョセフ・マーフィーの『人生は思うように変えられる』の両方で、偉大な人物と紹介された、イギリスの科学者、技術者、神秘家であったF.L.ローソンの最高の言葉「神の他に何もない、ただ神だけがある」を唱えるのだ。
これも、心の中で丁寧に唱えるべきである。
この言葉は、「当たり前」と言うようなものではないが、否定材料もないため、「私は神である」というような反発は起こらない。
こちらも、この言葉だけで、驚くべき効果を発揮するはずである。

さて、最上の言葉(真言やアファーメーションと言っても構わない)を2つ上げた。
「私は在る」
「神の他に何もない、ただ神だけがある」
これらの1つでも唱えると、素晴らしい効果がある。
では、この2つを唱えるとどうなるか、お気付きだろうか?
「神の他に何もなく、神だけが存在する」のに、「私は在る」のである。
つまり、神的レベル、あるいは、高次のレベルで、「私は神である」が成立してしまうのである。
もし、「神の他に何もない、ただ神だけがある」という言葉に多少の違和感を覚えても、「私は在る」と唱えていれば、魂の作用により、それは消える。
だが、初めから、さほどの違和感は感じないと思うので、少々、不思議な感じはしても、「神の他に何もない、ただ神だけがある」と唱えると良いだろう。
人間というのは、本来、神秘が好きなもので、「神の他に何もない、ただ神だけがある」という言葉には高揚感を感じることも多い。
だが、そうでなくても、全く心配はいらない。
まずは、「私は在る」と唱えて、魂を磨き、力を高めれば良いのである。








ただ真言、後はいらない

ほとんどの人が、真言さえ唱えれば、一切の問題が解決し、救われることを知らない。
真言より他の方法もなくはないが、それは難しい。
これは、あくまで、中村天風の高弟だった藤平光一氏の著書にあったことだが、中村天風は死に際に、「俺が教えたことは全部忘れろ」と言ったらしい。
もしそれが本当なら、中村天風の心身統一法などの教えは、やはり、少なくとも普通の人には無理なのではないだろうか?
中村天風は、「今後は藤平光一のところへ行け」と言い残したらしい。
だが、藤平氏の本は良いことが書かれていて、私も愛読しているが、やはり、難しいと思う。
藤平光一氏と同じく、中村天風と植芝盛平の両方の高弟であった佐々木の将人(まさんど)氏は、いろいろな話を本に書いているが、『数霊のメッセージ』を読むと、
「アーと言うと、悩みは解消する」
「アーと一言言うと、事態は必ず好転する」
「アーオーウーエーイーと言うと、四隅の悪霊が全部祓える」
「アジマリカンと言うと、悪霊はたちまち退散する」
と書かれている。
ここだけ憶えておけば良い。
岡田虎二郎は、岡田式静坐法で一世を風靡したが、死ぬ直前、書いたものを全部燃やした。そして、49歳の若さで亡くなった(もっとも、当時の平均寿命は40歳くらいだったが)。
その岡田虎二郎が、「念仏さえ唱えれば、一切の問題が解決し、救われる」と言ったのである。
念仏もまた、真言である。
佐々木の将人氏が言った「アー」や「アーオーウーエーイー」や「アジマリカン」の言霊、あるいは、呪文も真言である。

真言を、1日1万回唱えよとか、1日1時間唱えよと言う指導者がいるし、それを実践している人もいる。
そんなことを教えたり、自分でやっている人の多くは、真言を口に出して唱えている。
だが、そんなやり方では、普通の人は決して続かない。
それで、親鸞が、実に凄い、そして、有り難いことを言ったのを思い出すべきである。
「念仏を唱えなくてもいい。唱えようと思いさえすれば良い」
この教えは、師の法然の怒りを買ったらしい。
しかし、凡民を救ったのは親鸞であり、江戸末期から昭和の初期にかけ、親鸞の教えにより、妙好人と呼ばれる、念仏により仙人のような存在になった者が多数現れた。
念仏でも、その他の真言でも、自分が好きなものを、声に出そうが、心の中で唱えようが構わないから、1日中、常に唱えようとするのである。
ほとんどの場合、心で唱えることになると思うし、実際は、それが圧倒的に正しい。
「今日も常に真言を唱えるぞ」と思い、それを思い出す度に唱えるのである。
それで、結婚したければ結婚出来るし、お金が欲しければお金が入るし、恋人が欲しければ恋人が出来るし、仕事が欲しければ仕事に恵まれるし、健康になりたければ健康になれる。
願いが叶うまで唱えるのである。
しかし、そんな願いは、取るに足りない。
人間には、もっと大事なことがある。
人間の一番の望みは何だろう?
それは、ぐっすり眠ることである。
世界のお金持ちと言えば、ビル・ゲイツ、ジェフ・ベゾス、イーロン・マスクらがいるが、もし、彼らが、夜、ぐっすり眠れないようであれば、ぐっすり眠れる貧乏人に劣るのである。
なるほど、確かに、あなたをぐっすり眠れない成功者にしないための摂理が働き、なかなか願いが叶わないかもしれない。
イーロン・マスクらは、精神が強いので、眠れなくてもしばらくは耐えられる。
しかし、普通の人は、なかなかそうはいかない。
だから、本当の幸せはぐっすり眠ることであることが真に理解出来れば、驚くほど容易く願いは叶うようになるだろう。








与えれば与えられる

最近、合氣道家の藤平光一氏の古い著書『氣の威力』のことを思い出すが、私が読んだのは、かなり昔に一度だけである。
書かれている事例も、王貞治氏がプロ野球の現役時代の話だったりと非常に古いが、内容自体は、現代でも全く古くない。むしろ、現代の方が人々の心が後退している面もあり、非常に役に立つだろう。
そして、この本の中で、私がよく憶えていることは、藤平氏が頭で考えて書いたことではなく、藤平氏の心に直観的な浮かんだようなシンプルなことだけで、それが真理に近いことなのだと思う。
藤平氏は、一貫して「氣を出す」と言い方をされておられたが、ここは重要な点だ。
氣は、他の精神指導者などは、宇宙エネルギーとか、宇宙の活力、自然の潜在力、プラーナ、マナ、あるいは、中村天風はブリルなどと呼んでいたが、それらは同じもので、ただ、言い方が違うだけである。
そして、多くのスピリチュアルな指導者達は、宇宙エネルギーや気を、自分の中に取り込むことを教えるが、藤平氏は、「出せば入って来る」と述べており、これが正しいやり方であると思う。
通俗的に言えば、「愛されたいと思えば愛されない」「愛すれば愛される」であるが、「いや、愛しているが愛されない」と言う者もいる。しかし、それは、本当には愛していないのだ。そもそも、「愛されたいから愛する」という、見返り目的、下心、スケベ心で愛されるはずがない。
これ(愛すれば愛される)の見事な例が、算数が嫌いな男子小学生の話だった。
藤平氏は、算数が大嫌いで、当然、算数が全く出来ない男子小学生に、「勉強しなくていいから、1日1度、算数の教科書を開いて、算数が好きだと言え」と指示し、その男の子も、そのくらいなら出来るので、それを行った。すると、しばらくすると、その男の子は算数が一番出来る子になった。
この男の子は、何の見返りも求めていなかったはずだ。
そして、言葉で「好き」と言うだけで十分な愛になるのであり、愛すれば氣も出る。つまり、愛(氣)を出しさえすれば、愛(氣)が入って来るのである。
同じ原理で言えば、「お金が好きだ」と言えば、お金が入ってきそうなものだし、実際、「お金が好きだ」と言えと勧める本は沢山ある。しかし、それでお金が入ったなんてことは滅多にない。
それは、「お金が好きだと言えば、お金が入って来る」という見返り目的、下心があるからだ。
だから、多くの優れた指導者は、お金を気前よく使うことを勧めている。使えば入って来るが、ため込むと入って来ないところは、まさに、氣と同じだ。
実際、お金も氣もエネルギーなのである。
寄付でも良く、本来の一割献金も、そのような意味があった。
しかし、あくまで気前良く、喜んで出してこそだ。けれども、普通の人は、お金を出すのを嫌がるのだ。
これが、多くの人が、あまり豊かになれない理由である。
いくら、アファーメーションで「私はお金を気前よく送り出す。すると、何倍にもなって戻ってくる」と言っても、実際に出す時には「もったいない」と思うものだ。
だから、いったん、お金のことは諦めて、とにかく、愛なり、氣なりを出すようにすれば良い。
で、どうやれば愛や氣が出るかというと、「出ていると思えば」良い。
ただ、「愛が出ている」と言えば、やはり、既成概念が邪魔をして、複雑な気分になるので、「氣が出ている」と思えば良いが、じゃあ、氣って何だということになる。
それは、藤平氏の本を読んで納得すれば良いが、例えば、「神秘な宇宙エネルギー」とでも思えば良いのではないかと思う。
単に「光」でも良い。とにかく、良いものが出ていると思うのである。
これも、頭の固い人には難しいかもしれず、そんな意味では、神秘的なことが好きな者は得だ。
しかし、どんな言い方をしたところで、見返り目的が強いと、本当に「出ていくだけ」で、氣や宇宙エネルギーが枯渇しかねない。
そこで、藤平氏は、「重みは下にある」といった、当たり前の真理を口に出すことを教えている。
真理を肯定、断言すると、氣、愛、宇宙エネルギーは出るのである。
では、最高の真理は何だろう?
それは「私は存在する」である。
「私は存在する」、あるいは、「私は在る」と、心の中で、静かに、丁寧に、ゆっくり唱えると、たちまち、宇宙エネルギーが出る。
そして、言葉にせず、ただ、「私は在る」と感じれば、宇宙全体の宇宙エネルギーと一体になる。








一瞬で幸福になる

世界には、非常に美しい場所がある。
そんな場所に住む人々は、さぞや幸福かというと、そんな場所に都市が栄えた試しはないらしい。
例えば、ハワイのある極めて美しい所では、麻薬中毒患者が増え、それを取り締まっているうちに人間がいなくなり、観光地としても賑わうことのない寂しい土地になったとか。
どうも、人間は理想的な場所には住めないようだ。

それと同じ心理が作用していると思われるこんな話がある。
ある優れた科学者に、「研究が完成したらどうするか?」と尋ねたら、本当に賢いその科学者は、「決まっています。専門を変えます」と答えたそうだ。
彼は、目標を達成したら、すぐ、次の目標を設定しないと、人間は心が病んでしまうことを知っているのである。
そんな真理を発見したというより、そんな実例を目の当たりにして学んだのだろう。
だが、目標を達成する度に、新たな目標を設定していたら、永遠に終わらないラットレースに閉じ込められることになる。

マイクロソフト創業者のビル・ゲイツは、パソコンOSの市場を制し、世界一の富豪になったが、彼の古いセンスはIT世界で通用しなくなり、彼はマイクロソフトを去り、バイオテクノロジー、エネルギー、教育の分野に転身した。
しかし、それらの分野では、既に何十年も取り組んでいる人が沢山いるので、本当は、そんな人達に敵うはずがないが、彼には膨大な富があり、重く扱われたことで、悪いことになってしまったのだと思う。
今はまだ、離婚したくらいのことしか知られていないが、彼は今は幸福な人ではないと思われる。

成功した人達は、自分が若くて最前線の現場に居た時のことを懐かしむのだ。
中には、せめて部長レベルに降りて、現場の指揮を取りたがる者もいるが、そんなことをされたら、現場にとっては迷惑以外の何物でもない。

つまり、アンデルセンの『モミの木』のように、今が幸福であることを早く悟らないと、どんどん悲惨になっていくだけなのだ。
ここで重要なことを指摘する。
どんな状態であろうと、今すぐ幸福になれるし、そうなれば、外部状況も自ずと良くなるのだ。
これこそが、唯一の、そして、究極の成功哲学である。

合氣道家の藤平光一氏の著書全部を、ざっくり要約すると、「氣を出せば幸福である」だと言ったら文句を言われるかもしれないが、そうとしか思えない。
若く、現場で四苦八苦していても、氣が出ていれば幸福だが、成功して億万長者になっても、氣が出なくなれば、不幸で悲惨なのだ。
そして、悪い状況にあっても、氣が出れば、状況も良くなる。
藤平氏は良いヒントを与えてくれたが、捉える我々が失敗しているのかもしれない。
どうすれば氣が出るかというと、藤平氏が、「氣が出ていると思えば出る」と書いている通りなのに、普通の人は、「そんな言い方は嫌」なのだ。
それは、学校的、教科書的でないからだ。
学校の試験で、「どうすれば氣が出るでしょう?」という問題に「氣が出ていると思うこと」と書けば正解というのはあり得ない。
学校は、そんな言い方はしない、
しかし、それが正解なのである。

ある事業家がライバルに恨まれ、ライバルは超一流の殺し屋を送り込んできた。
ただならぬ雰囲気の殺し屋を見て、事業家は氣を出した。
すると、その、トップランキングの殺し屋は握手を求めてきて、去って行った。
似た話が、チン・ニンチュウの『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる』にあるが、こちらは多分、脚色されている(分かり易くするためで、悪意はないと思う)。

氣を出す方法はいろいろあり、藤平氏の本にもいろいろ書かれている。
だが、一番の方法は、「私は在る」と感じることだ。
その感覚を掴むために、心の中で、言葉で「私は在る」、あるいは、「私は存在する」と唱えても良いが、呪文にしてはならず、感じなければならない。
ネヴィル・ゴダードの『At Your Command(翻訳:新装版 世界はどうしたってあなたの意のまま)』に書かれているのは、ある意味、そんなことである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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