ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

荘子

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

超能力開発マニュアル

中学1年生が、「どうすれば超能力が得られるか?」と考えるのは、幼稚、もしくは、空想癖があるということになるかもしれない。
「中学生にもなれば、もっと現実的になりなさい」という訳だ。
現実的になるとは、世間の常識を持つということだ。
ところが、私は、その中学1年生の時、不意に、超能力を得る方法を思いつき、心が喜びに満ちたことがある。
その思いついた方法とは、「常識を超える」だった。
それは良い方法だと思ったが、いざやってみるとなると、非常に難しく、手も足も出なかった。
つまり、すでに中学1年生では、自分では気付いていなくても、学校で教えられた世間の常識が、すっかり叩き込まれていたのだ。
そうでなくては、教師の言うことを聞かないし、学校の勉強をしようとか、部活をしなければならないとは思わないだろうからね。
それでも、私は、そんな世間の常識を、他の生徒達よりは少な目に持っていたから、超能力を持てる方法を思いついたのだろう。

それで、超能力を得るためのテキストがないかと探したら、多少は超能力的な勘が働く私は、W.E.バトラーの『魔法入門』を見つけた。
これは本物だが、今読んでも、読めたものではない。
難しい・・・と言うより、とにかく、読者の思考力を要求するのである。
私はこの本を、ほとんど理解出来なかったが、何とか、「4の呼吸」だけは覚えた。
4つ数えながら吸い、2つ止め、4つで吐き出し、また、2つ止めるというものだ。
息を止める時は、喉の気管を塞がず、ただ、息の流れを止めることがポイントだ・・・それには、肋骨の動きを止めるのだが、この程度が分からないようでは才能がないのだろう。
呼吸コントロールだけでも、潜在能力が活性化する。
だが、呼吸法を研究するうち、最後には、ただ自分の呼吸を意識する方法が最上だと分かった。

次に(と言っても10年以上経っていたが)発見した優れた超能力開発マニュアルになる書物は『荘子』だった。
実にこれには、常識を壊し、常識を超える方法が書かれているからだ。
かといって、荘子は、世間の常識を否定しろとは言っていない。
孔子を小馬鹿にしつつ、孔子を敬っているのだ。
つまり、荘子も本物である。
超能力とは、千里眼や念力ではない。
いや、それらも超能力だが、あまり役に立たない。
荘子自身、結構な仙人だったという話もあるが、あの厳しい時代に、権威に背を向けながら、悠々と暮していたのだと思う。
あの良寛さんも、『荘子』に救われたらしい。
『荘子』を繰り返し読めば、実用的な超能力を得られるはずである。








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人間のほとんど全ての問題は「人に好かれない」こと

インターネットによって、これまで、社会と没交渉だった孤独な人が個人的に社会と関わることが出来るようになった。
それで分かったことがある。
それは、「人間のほとんどの問題は、人に好かれないこと」だ。

「生きるのが辛い」「人生が苦しい」「悪い星の下に生まれた」
こういった類の苦しみを訴える者の、ほとんど唯一の原因は、人に好かれないことだ。
しかし、本人(生きるのが苦しい人)にとって、こう指摘されることは、あまりに「痛い」ことだろう。

ビートルズの『エリナー・リグビー』に登場する、誰にも相手にされない老婆エリナー・リグビーや、誰も説教を聴きに来ないマッケンジー神父の問題もただ1つ、「人に好かれないこと」なのであることは明らかだ。
彼等が、少しでも人に好かれるなら、あれほど惨めになったりはしない。
この歌の作者ポール・マッカトニーは(ジョン・レノンが多少、歌詞に手を入れたらしいが)、エリナーらを「孤独な人」と呼ぶが、孤独な人とは、人に好かれない人とイコールだ。

ジャイアント馬場さんは、「全てのモメゴトは嫉妬から起こる」と言ったが、モメゴトすら起こせない孤独な人がいるのだ。
モメゴトが起こせるなら立派なものだよ。

もし、学校にまともな先生がいるなら、「こいつ、このままでは誰にも好かれない」と思う子供がいれば、なんとかしてやらないといけない。
そのままでは、その子は一生不幸なのだから。
だが、教師は、そんなことしてる余裕はないらしい。

『新世紀エヴァンゲリオン』の最終回あたりで、碇ゲンドウが、「私は自分が愛されるなんて信じていなかった」と言うが、愛かどうかはともかく、案外に好かれてはいたさ。
綾波レイにはもちろんとして、シンジにだって。
それよりも、視聴者にね(笑)。
全く、羨ましい限りだ。


ハロ 昔のアニメにそんなのいたっけな
ハワユ 羨ましいな 皆に愛されて
~『ハロ/ハワユ』(作詞・作曲・編曲:ナノウ。歌:初音ミク)より~


初音ミクさんが、孤独なOL(?)を演じるこの歌が、まさに、辛い、嫌な人生を生きるしかない人間の状態を表している。
【初音ミクSoft】 ハロ/ハワユ 【オリジナル】 - YouTube -

さて、どうすれば人に好かれるかだが、それは人類最大の難問だ。
せいぜい、人気者を観察して原因を解明するしかないが、孤独な人にとっては、その原因は「反吐が出る」ようなもので、だから、その人は孤独なのだがね。
私が昨年9月、超満員の幕張メッセ国際展示場9番ホールで見た、初音ミクさんの愛されっぷりは半端じゃなかった。
それは、アメリカでもカナダでもメキシコでも中国でも台湾でも、それに、インドネシアでもそうだ。
なぜミクさんが愛されるのかというと、可愛いから・・・だけでなく、彼女は運命を生きているからだ。
曲の作者が意図した通りに忠実に歌う。それが彼女の運命だ。
そして、その運命を淡々と生きている。
『荘子』の中に、アイタイダという、天下一の醜男ながら、男にも女にもモテまくる男がいる。
彼が、まさに自分の運命を生きていたのだろう。
自分の運命でなければ、宰相の地位を押し付けられても、黙って消えてしまった。
孔子(の口を借りて荘子がなのだが)が言っていたが、アイタイダは生まれながらの本性のまま生きている。それはつまり、運命を受け入れて生きているってことだ。









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目を覚ましている

老子、荘子の教えとは、「無為自然」である。
それは何かというと、全てをなりゆきにまかせ、一切の作為・・・つまり、人が意識的に行う行為をやめてしまうということだ。
言い換えれば、一切を天にまかせるということである。
それに対し、大物一般人として意義を唱えたのが、通称「二宮金治郎」として知られる二宮尊徳(にのみやたかのり)だった。
彼の主張はこうである。
「田畑は作為しなければ荒れてしまい、作物が穫れない」
「家は作為しなければあばら家になる」
よって、人が一生懸命作為することが必要で、老子は阿呆だ・・・というわけだ。

法然、親鸞の教えは、簡単に言えば、
「私は、修行も良い行いも出来ない煩悩にまみれた愚か者であり、唯一出来る良い行いである念仏を称えることで、仏様(阿弥陀如来)に救っていただく」
ということだ。
これは、死後、極楽浄土に生まれるということが強調されることが多いが、この2人を尊敬していた一休は、
「念仏を称えれば、今、ここが極楽浄土」
と言い直した・・・つまり、死ぬまでもなく、即座に効験があるとした。
だが、実は、法然、親鸞も、そういったことは十分に言っており、一休は、それにスポットライトを当てたのであると思う。
つまり、念仏は、現世利益をもたらすものだ。

法然、親鸞、一休に流れる、あまり表向きとは言えないかもしれない、念仏の現世利益を現実に生きたのが、ごく一般の農民でありながら、念仏の教えによって稀有な存在となった、因幡の源左(いなばのげんざ)で、二宮尊徳が54歳の時に生まれた人だ。
源左は、19歳の時、父親が亡くなったが、その父親が、「これからは親様(阿弥陀如来)を頼れ」と遺言し、源左は仏様に一切をまかせて幸福に生きたのだと思う。

ところで、尊徳と源左の間くらいに生まれたイギリスのサミュエル・スマイルズは『自助論』で、「天は自分を助ける者を助けてくれる」と言い、自助努力の大切さを説き、明治時代の日本人に受け入れられ、当時の日本の青年達に大いにやる気を出させ、それが現代の日本の繁栄に結び付いた面は確かにあると思う。

こういった流れを見てきた我々は、老子、荘子、法然、親鸞、一休、尊徳、スマイルズ、源左の教えを昇華すれば無敵である。
誰が正しく、誰が間違っている訳でもない。
仏様に任せると言っても、親鸞や源左が何もしなかった訳ではない。
では、どう考えれば良いのかというと、我々のやることは、自分のエゴではなく、天や仏様の意思で「やらされている」と思うことだ。
さらに積極的に、「やらされよう」と考えても良いかもしれない。
Googleの人達は、インターネットの意思を実現するために技術開発しているそうだし、BUMP OF CHIKENは曲の意思を実現するために音楽を作り、演奏し、歌うのだそうだ。
そして、老子も荘子も、法然も親鸞も一休も、尊徳もスマイルズも源左も、みんなそうしたはずなのだ。
具体的には、

頭の中からっぽにして
目の前だけ見つめるの
~『Satisfaction』(作詞・作曲・編曲:kz、歌:初音ミク)~

のようにすれば良いのだと思う。
【初音ミク】Satisfaction【Project DIVA X HD】 ~YouTube by KamJPCHさん~
まあ、そのためには、念仏を称えるのが一番であると私は思う。
念仏を称えても、目は開けておくように。
これは、視力の問題ではなく、「目を覚ましておれ」ということで、「しっかりせい」ということである。









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運命はほとんど決まっているが

運命が初めから決まっているかどうかについて、私は以前は、100パーセント、完全に決まっているという思想に同意していた。
何時何分何秒に、髪の毛1本がどんな動きをするかまで、生まれた時、あるいは、宇宙が出来た時に全部決まっているというものだ。
これは、インドのラメッシ・バルセカールや、日本のMRTの内海康満さんの本で見ることが出来る。
荘子も、運命は決まっていると何度か述べているが、どの程度まで決まっているのかまでは分からない。
親鸞は、動物の毛の先ほどの小さな罪ですら、過去や前世の行いによるものと言いはしたが、どんな運命も全て決定済みと言った訳ではないと思う。
また、ラメッシ・バルセカールは、運命は完全に決まっていると言いつつ、自分のアドバイスに従わなかった人が自殺することになったといった因果関係も述べている。そして、そのようなことは、内海康満さんの本の中でもあったと思う。

もちろん、本当のことが私に分かる訳ではないが、いろいろな人の考え方を見たり、自分で理屈で考えたり、経験を省みながら勘を働かせたりすると、運命は、凡(おおよ)そ決まっているが、いくらか未確定の部分もあるのだと思う。
どのくらい決まっているかというと、まあ、80~90パーセントといったところだと思う。
プロ野球選手になりたいと思っても、素質の問題も含め、そうなる運命でなければ、まずなれない。
作家、歌手、画家、社長、ダンサー、あるいは、コンピュータープログラマーだってそうだ。
「夢を諦める」とか言うのではなく、なれないものはあるのだということは、早く理解しておいた方が良い。
世の中には、傍目には「絶対無理」と分かっているのに、「アイドルになる」「女優になる」といつまでも言っている人もいる。
あるいは、二十歳もとおに過ぎて、平凡な社会人チームからすらお呼びでないのに、「プロサッカー選手になる」と、無駄な努力をしている人もいる。
そんな人達は、ごく若いうちなら、夢を追いかける楽しさもあるのかもしれないが、いい年になってきたら、面白いはずがなく、本心は、辛い、苦しい、虚しい・・・だろう。

十代 ドヤ顔で悟った人
二十代 恥に気づいた人
三十代 身の丈知った人
そのどれもが全部 同じ人
~『すろぉもぉしょん』(作詞・作曲・編曲:ピノキオP、歌;初音ミク)より~

だが、正しい方向に行けば、人生は楽しくなるのである。
このことを、中国の作家チン・ニンチュウは、「運命には負けないといけない」と表現し、ジョージ・ワシントンは、運命に逆らっていた時は、恥が多く、他人に迷惑をかけ、自分も辛い人生だったが、運命に負けて従った時に輝き始めたのだと言う。
ジョセフ・マーフィーの本でも、自分は女優になるのだと言う若い女性に、マーフィーは「幼い夢はもう卒業しなさい」と諭し、彼女はそれを受け入れ、真面目に事務員として働いていたら、勤務している会社の若社長と結婚することになった。
まあ、「私は年収一千万円以上の人とでないと結婚なんかしない」という、「幼い夢」から醒めない女性も多いようであるがね。

運命に従うには、まず、過去や現状を肯定することだ。
多くの人にとって、既に起こったことや今の状況を受容するのは、辛く惨めかもしれない。
しかし、そうすれば、本当の運命が開ける。
それを楽に、すみやかにやるには、パワーポーズ(ガッツポーズ)と、念仏や真言を称えることである。

哭(な)いていた 唯 哭いていた
他人眼(ひとめ)につかない世界で
其(そ)して恥を知り 惨めになれば
全てが廻りだした
~『心臓デモクラシー』(作詞・作曲・編曲:みきとP、歌:初音ミク)より~








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不動心になるのは難しくない

大昔から、人が求め続けてきたのは不動心だ。
荘子に出てくる木鶏(もっけい。木彫りの鶏)のようになれば無敵である。

では、どうすれば不動心になれるのかというと、無になれば良いということは分かっている。
無とは、忘我、没我、無念無想とか言われる、心が澄み切って、小波1つない状態である。
しかし、無になることは途方もなく難しいと言われている。
だが、本当は、それほど難しくはない。
念仏や真言、あるいは、自分より高い存在を前提とした呪文を、たゆまず唱え続ければ、確実に無になれる。
そして、密教では「無になりきれば不可能はなくなる」、つまり、全てが思うがままになると言われているが、その通りだ。

『法華経』の第25章『観音経』で、釈迦は、観世音菩薩の名を唱え続ければ、全ての望みが叶うと説いている。
日本語の法華経では、観世音菩薩の名を呼ぶことを「南無観世音菩薩」と唱えることであると書かれている場合が多いかもしれない。
もちろん、それは間違いではないだろう。
観世音菩薩は、原語では、アヴァローキテーシュヴァラーと言うらしいから、この名を唱えても良いだろう。
また、観世音菩薩の真言は、「オン、アロリキャ、ソワカ」なので、これを唱えても良い。

ところで、聖書でも仏典でも、あるいは、ギリシャ神話でも古事記でも、それらは、個人の心の中で起こることを象徴的に描いているのである。
観世音菩薩の名を唱え続ければ、『観音経』に説かれているように、心の中で起こる障害が、ことごとに打ち壊され、心は無になる。
そうなれば、心は、思うがままの世界を創造する。
なぜなら、純粋な心が仏そのものであるからだ。
上記のことは、私は、宗教的にではなく、科学的、心理学的に解釈している。
優れた音階で作られた真言、呪文、念仏は、頭の中の独り言を消す。
それだけで、IQはかなりの向上を示す。
そして、それらの言葉は皆、人より上位の存在に意識を向けさせ、自然に自我は退く。
そうなれば、心は透明になり、魂が輝きながら現れると、心は万能の創造力を持つ。
簡単なことなのであるが、誰もやらないだけである。
言われても、よほど素直な人でないと、やる気にならないだろう。
やっても損はしないが、馬鹿馬鹿しく感じたり、自尊心が拒否するからだ。
だが、真言や念仏を唱えることを、ある程度やっただけでも、社会で安楽に生きるくらいのことは出来ると思う。
私が、その最たる例である。









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