ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
あなたをSE、プログラマー、あるいは、超能力者にするブログ。ひきこもりも歓迎。

荘子

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

真の正義はある

「この世に絶対的正義や絶対的悪はない」と言えば非常に格好良いし、何やら真理のようにも思えるが果たしてそうだろうか?
荘子も、「正義といい、悪といっても、それは1つの立場からの見方に過ぎない」と述べている。なにやら賢者っぽい(笑)。
中島敦の『名人伝』の最後で、悟りを開いたような弓の名人も、その境地を表現したのだろうが、「善と悪の違いが分からない」と言う。

そうではない。
簡単に言えば、「運が良くなる生き方、考え方が正義で、運が悪くなる生き方、考え方が悪」だ。
運が悪くて良い、幸運はいらないと言うなら、正義を捨てれば良いが、私は御免である。

フロイトは、人間の精神の中には、自我とは別に超自我というものがあり、悪い事をしようとすると、超自我から、「そんなことをしてはいけない」という警告が来ると述べた。
そして、超自我は、伝統や風習で作られており、民族によって異なると言ったのだと思う。
つまり、正義といい、悪といっても、民族の決まりごとに過ぎないというわけである。
だが、ユングは、倫理観や道徳観は、民族の風習を超えたものである証拠を示し、フロイトも後にはそれを認めたと述べていると思う。
ユングによれば、正義や悪は、もっと深い、人類や万物をつなぐ意識から来ており、動物にすら、何らかの道徳観が見られると言う。

脳科学者の中野信子氏の『脳科学からみた「祈り」』の中に、興味深い記述がある。
簡単に言うと、人間の脳には、善悪を判断する機能があり、それを「社会脳」と呼ぶらしい。
社会脳と言うだけあって、社会性を持った行動が善で、反社会的な行動が悪である。
以下、少し引用する。

誰かに対して怒り・妬み・恐れ・不安といったネガティブな感情を持つと、それが社会的には「あまりよくないこと」であるとされているのを自分の脳はわかっていて、「ストレス物質」であるコルチゾールという物質が分泌されます。
~『脳科学からみた「祈り」』より引用~

コルチゾールが過剰になると、脳内の海馬が萎縮し、記憶力が低下する。

簡単に言えば、社会的であることが善であり、反社会的であることが悪である。
ただ、この「社会的」が、狭い範囲の社会の「社会的」に摩り替えられるのは問題であるし、人間がやり易い間違いがそれなのだ。
その間違いにより、ある社会にとっては善であることが、別の社会にとっては悪になってしまう。
自動車が普及した国、あるいは、自動車会社といった社会では、自動車は善であるが、自動車がない国の一部や、自動車を嫌う人々の社会では、自動車は人間を堕落させ、命も奪う悪ということになるかもしれない。
しかし、自動車は単なる道具であり、使う人によって、良い用途や悪い用途が出来るに過ぎない。
大昔のアニメ『鉄人28号』の主題歌に、
「あるときは正義の味方、あるときは悪魔の手先、いいもわるいもリモコンしだい」
という、何とも当を得た歌詞がある。
鉄人28号という、強力な巨大ロボット自体は、良いも悪いもない、ただの道具だ。
現在のSF小説・アニメの『BEATLESS』で、美少女アンドロイド、レイシアは繰り返し言っていたではないか。
「私は道具です。道具である私には責任は取れません」
「道具である私を、あなたは何に使いますか?」

では、本当の社会性とは何だろう?
難しいことは言うまい。
漫画・アニメ『まちカドまぞく』で、15歳の新米魔族、優子が、初めて魔力を出した時に叫んだ言葉がそれである。
それを聞き、さしもの魔法少女、千代田桃も、心に深い何かを感じた。
その言葉は、「みんなが仲良くなれますように」だった。
そういえば、『BEATLESS』で、アラト(17歳男子)がレイシアに指令した到達すべき未来は、「みんなが信じられる世界」だった。
そこらに、真の正義の鍵があるのだと思う。











無意識に入り込む

ごく単純な言い方をするが、人間は、無意識に入り込めば超人になる。
例えば、トラックの下敷きになった息子を、小柄でひ弱な母親が、その、大の男が数人がかりでも動かせないトラックを1人で持ち上げて救ったようにである。
難病だって、無意識に入り込めば、奇跡的治癒を起こせるかもしれない。
そして、そんなことを自在に行い、「魔法を使って治している」とまで言われたのが、アメリカの精神科医ミルトン・エリクソンだった。
エリクソンは、患者を容易く無意識に導き、患者自ら病気を治させた。
エリクソンが、どうやって、そんなことをしたのかは、彼の死後も研究されてるが、どれほどのことが分かっているのかは疑問だ。
NLP(神経言語プログラミング)という治療法を開発(共同開発)したリチャード・バンドラーも、エリクソンの手法を研究していたようだ。

エリクソンは、まず、自分を無意識に導き、エリクソンの無意識が患者を無意識に導いたのだ。
だが、誰も、自分を無意識に導く方法を、エリクソンに教えた訳ではなさそうだ。
すると、エリクソンは、その方法を自分で見つけたのだということになる。
エリクソンが身につけた能力を解明するヒントは、彼が17歳の時に、ポリオに感染していることだ。
ポリオは、急性灰白髄炎(きゅうせいかいはくずいえん)のことで、ポリオウイルスによって感染し、身体を麻痺させる。
エリクソンは、ポリオに感染して、目玉以外は動かせない状態になった。
この時、エリクソンに起こったことに注目したいと思う。
1つは、ある晩、医師がエリクソンの親に、「彼は朝まで持たない」と言ったが、エリクソンは、「あの窓の夕陽を必ずもう一度見てやる」と思ったことだ。
つまり、前向きに強く決意したのだ。
そして、その他では、エリクソンは目玉しか動かせないので、家の中の人々をただ観察した。
家族を観察し、その声を聴いても、エリクソンには何も出来ない。声をかけることすら。
それは、強制的ではあったが、究極の「なすがまま」の状態だった。
2400年ほど前に荘子が言った、「視線を自然にし、全てをなりゆきにまかせよ」を、長期間、実践したのだ。
そして、エリクソンには、生き伸びるという決意があった。
まとめれば、決意し、後は、なりゆきにまかせたのだ。

なりゆきにまかせるとは、無作為であることで、そんな人間を見ると、ぼーっとしているように見えることだろう。
そして、知恵ある人々の共通の見解は、決意し、ぼーっとすれば、願いは叶うのである。
我々も、何かを決意し、幽霊にでもなったように、なりゆきにまかせて作為をしなければ、無意識の扉が開き、無限、あるいは、真の自己と一致するかもしれない。











醜くても超モテる男の秘密

気に入られないまでも、拒絶されなければ上出来・・・と言われる人物がいる。
物凄く高貴だったり、権力があったりするが、非常に鋭くて、相手の本性を見破ってしまう・・・そんな人物だ。
例えば、イスカンダルのスターシャとか(笑)。
あるいは、歴史的漫画作品『日出処の天子』(山岸凉子著)の厩戸王子(うまやどのおうじ。後世の呼び名は聖徳太子)とか。
まあ、大物というのは、人を見る目があるので、懐に入るのは難しい。
いくらおべっかを使おうが、かえって駄目である。

私も、どうすれば厩戸王子に気に入られるか、本気で考えたことがある。
どう挑もうが、軽く無視されるだけだろうが・・・

また、男にとって、本気で口説きたい女性は、それほどの難物でなければならない。
今は、気安い女性が多過ぎる。

『荘子』に、アイタイダという、超モテる男が登場する。
女であれば、若く美しい娘でも、妾でもいいから側に置いて欲しいと願い、男であれば、誰もが義兄弟になりたがる。
ところが、アイタイダは、最悪の醜男であり、しかも、人に優るところが何もない。
ある国王が、アイタイダの噂を聞き、試しに召抱えてみると、最初こそ、その醜さが目についたが、やがて、どうしようもなく惚れ込み、宰相(首相)の地位を押し付けるほどだった。
だが、アイタイダは黙って消え、国王は国のことを考えることも出来ないほど落胆する。

アイタイダとはどんな人物か?
『荘子』の中で、荘子は、孔子の口を借りて説明する。それはきっと正しい分析なのだろうが、どうでも良い。
要は、アイタイダはぼーっとしている・・・それだけである。
まして、容姿の良いあなたなら、ぼーっとすれば、あの子を落とすなど、何でもない。
ただ、ちょっと考えて分かる程度のことはきちんとしなくてはならない。
それなりの服装をし、礼儀正しく、出来る範囲で良いお店を探しておくなどだ。
後は、ぼーっとしていれば間違いない。
スーフィーの格言で、こんなものがある。
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」








アインシュタインやフロイトには分からなかった戦争をなくす方法

昨日、このブログで、人間を4タイプに分けた。
優れた順番に並べると、次のようになる。
(1)ぼーっとした、変わり者
(2)ぼーっとした、まともな者
(3)意識的な、まともな者
(4)意識的な、変わり者

この中で、世の中にいては困るのが、(4)の「意識的な、変わり者」で、計画的に悪いことをしたり、偏屈で孤立したり、自分の世界に逃避して引きこもって孤独死する。

ところで、人間の分類を軍隊でも行っていたというのを、経営コンサルタントで船井総研創業者の船井幸雄氏の本で見たことがある。
軍隊で、高い地位につけるべき順番で言うと、
(1)頭が良い、怠け者
(2)頭が良い、働き者
(3)頭が悪い、怠け者
(4)頭が悪い、働き者
で、軍隊では、頭が良いことが最も重視され、その中でも怠け者がトップに相応しい。
軍隊とは、有能さを切実に必要とする場所であり、純粋に人間の力を追求した結果がこれであるのだと思う。

尚、軍隊で決して雇ってはならないのは、(4)の、頭が悪い働き者である。
味方に向かって鉄砲を撃つような者だからだ。

だが、この軍隊の区分は、本当は間違っている。
と言うのは、頭の良い人間なんていないし、人間は皆怠け者だからだ。
けれども、一応、上のように分類すると無難なのだろう。本当のところは、次のようになる。
まず、本当の頭が良い、悪いの分類とは、
・本当に頭が良い者は、人間の知性の限界を知っていて、難しいことは自分で判断しようとしない。よって、ぼーっとしている。
・本当は頭が悪い者は、自分の頭が良いと思っているで、難しいことでも自分で判断しようとし、意識的である。
である。
そして、世間で言われる、怠け者や働き者というのは、単に、
・まともな人間のやることは、まともな人間に理解出来る。よって、大多数のまともな人間によって「働き者」と認識される。
・変わり者のやることは、まともな人間には理解出来ない。よって、大多数のまともな人間によって「怠け者」と認識される。
というものなのである。
会社の中でだって、本当に優秀な者のやることは、馬鹿な幹部には全く分からないので「あいつは何もしていない」と言われるものなのである。

よって、やはり人間は、優れた順に、
(1)ぼーっとした、変わり者
(2)ぼーっとした、まともな者
(3)意識的な、まともな者
(4)意識的な、変わり者
と分類すれば良いのである。
そして、人口で言えば(3)が圧倒的なので、人間の世界に争いは絶えず、戦争が起こるのである。
アインシュタインは、彼が最も賢いと思うジクムント・フロイトに、「どうすれば戦争をなくすことが出来るか?」と尋ねたが、フロイトは、「その方法はない」とし、「あえて言えば」として、役にも立たない難しいことを言った。
アインシュタインは、若い頃こそ優秀だったが、中年以降はそうではなかった。
フロイトもそうだ。
戦争をなくすには、上に述べたような意味で、正しくぼーっとすれば良いのである。
そのことを言ったのが荘子である。








人生は喜劇であるのが一番

小説でも映画でも、あるいは、漫画でもアニメでも、悲劇もあまりに度が過ぎると、何と言うか、白けてくる。
もちろん、現実世界にも大きな悲劇というものはある。
しかし、作り物の悲劇は、話を面白くするという作為のあまり、法則から外れてしまうのである。

人生や世界は夢である。
閑吟集(かんぎんしゅう。1518年頃の小歌集)の中の有名な言葉、
「何しようぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」(そんなに真面目くさってどうする?人生は夢だ。ただ狂え)
の通りだ。
悲劇と言えば、文学的には何と言ってもシェイクスピアだ。
しかし、『ハムレット』や『リア王』の悲劇は、どこか滑稽で面白い。そこが、シェイクスピアの天才たる所以だ。
アメリカの作家カート・ヴィネガットは、「シェイクスピアは作家としては下手な方だ。しかし、彼は人間をよく知っている」と言ったが、それよりも、彼は、世界や人生をよく知っていたのだ。
それを明確に語ったのは、アイルランドの詩人W.B.イェイツ(20世紀最大の詩人とも言われるノーベル賞作家)だ。
彼は、
「リア王も、ハムレットも陽気だった」
と言った。全くその通りだ。
そして、こうも言ったのだ。
「主役を演じるほどの役者は、(悲劇を演じていても)自分が泣いたりしない」
リア王も、ハムレットも、名役者のはずなのだ。

人生は、夢と言っても良いし、演劇と言っても良い。
ニサルガダッタ・マハラジとなると、幼稚園のお遊戯とまで言ったものだ。
『燃えよドラゴン』では、リーは、「良い戦いとは少人数で演じる劇に似ている」と意味深いことを言っている。

酒池肉林(しゅちにくりん)の人生は楽しいものではない。飽き飽きすると言うか、シンドいものである。
『若草物語』で、姉妹達の賢明な母親が、「足りない目の方が良い」と言った通りだ。

夢だって全く自由にならないし、演劇だって、それなりに不自由なシナリオにしないとおかしくなる。
『スーパーマン』の映画の中のどれかで、「スーパーマン不要論」なんて傑作なものが出たが、それは言わないのが約束だ。だって、あまりにそうなのだからだ。
スーパーマンを存在させようとすると、スーパーマンに対抗出来る悪が必要になるが、レックス・ルーサーやゾット将軍なんて、あまりにいびつで、脚本家はとんでもない工夫を強いられる。まともに書くと、あまりに下らない話になってしまうからだ。

荘子も散々言っているではないか?
「私もあなたも、間違いなく夢を見ている」
と。
どうせなら楽しい夢を見たい?
では、楽しい夢とは何だろう?
ロリコンが可愛い少女を享楽する?
そういったことほど滑稽でシンドいものはないことを、ナボコフは『ロリータ』で書き、それをキューブリックが映画で見せてくれたはずである。
面白いシナリオではなく、どちらかというと、優雅なシナリオを求めた方が良いかもしれない。
それには、ぼーっとして、シナリ創作者の意思にフォーカスすることだ。
いや、それで案外、悲劇に目覚めてしまうかもしれないが・・・
人生は、ベートーヴェンが最後に悟ったように、そして、森鴎外が『神曲』なんて阿呆なタイトルをつけたダンテの叙事詩の本当のタイトルのように『喜劇』であるのが一番なのだ。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
[AI&教育blog] メディアの風


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