ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

荘子

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

荘子は2400年前に人間は操り人形だと見破った

凡人が成功するためには、カート・ヴォネガット・ジュニアの『母なる夜』で、彼が長い人生で悟ったという、「人間は表向き、装っている者になる」を使うか、あるいは、ユリ・ゲラーのように、「宇宙人に操られていると思う」かだと思う。

『サンダーバード』の制作者で有名なジェリー・アンダーソンは、「外部から操られる人間」というものに興味があったのだと思う。
彼の作品の『キャプテン・スカーレット』では、火星人ミステロンは人間をロボット化して操るが、アンダーソンは人間の俳優を使ったテレビドラマ『謎の円盤UFO』でも、宇宙人が人間を遠くから操るストーリーを作っている。
これらは、悪い例ではあるのだが、実に興味深く感じるのである。
アメリカの事業家イーロン・マスクは、脳にチップを埋め込んで、脳の力を拡張する臨床実験を2020年に開始する許可を政府機関に申請したそうだが、レイ・カーツワイルやベン・ゲーツェルらAI研究の権威は、人間が脳内にチップを埋め込むのは常識になると言う。
そうなれば、人間は、スマートフォンなどを持たずに誰かと通信し、勉強したいと思えば、容易く遊びたいという誘惑に打ち勝ち、勉強に集中出来るようになる。
それを考えれば、もしいればだが、進歩した宇宙人が、人間を自由に操ることも出来るだろう。
そして、人間は自分の思考で、宇宙人の指示に逆らうことが出来る、あるいは、宇宙人側で、わざと人間の反発も可能にしているのかもしれないが、ひょっとしたら、素直に宇宙人に操られた方が、うまくいくのかもしれない。その好例がユリ・ゲラーなのかもしれないのだ。
2400年前の中国の荘子も、影が実体に従うように、自分が実体と思っている我々も、何かに動かされているのだと言っていた。
実は、私は、『荘子』を読んだことがなかった高校生の時にも、自分は、天から糸で操られている人形に違いないと思っていたものだ。

銀行の頭取を務め、パソコンにも詳しかったインドの聖者ラメッシ・バルセカールは、我々は脳を神にプログラムされたロボットだと断言していた。
そして、それは悪いことではない。
アインシュタインの言を借りれば、「神に悪意はない」のである。ただ、我々には神は賢過ぎて、時に老獪(悪賢いこと)に見えるだけなのである。
ユリ・ゲラーを操る宇宙人も、我々から見れば、神のごときものかもしれない。そして、ロボットになりきった彼は幸福なのだ。

一方、何かを装う・・・フリをすることは、やや難しいかもしれない。
必要があってフリをすれば、真似た存在にどんどん似てくるが、どんな場合も、必ずしもうまくいく訳ではないように思う。
ただし、本当になりたいものがあるなら、そのように振舞うのも良いのだろう。
しかし、考えてみれば、振舞う、演じるというのも、神か宇宙人の操作であるのかもしれない。
私は、賢く善良な存在に操られることにしよう。

初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2019」のインテックス大阪公演は、チケットを発券したら、幸い、10列台前半の良席であった。
幕張メッセの方は郵送にしていて、まだ来ないので分からない。
皆さん、マジカルミライに備えてダイエットしよう。









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荘子の教えに欠けているもの

中国の古典『荘子』の教えは、「いっさいをなりゆきにまかせ、作為をするな」である。
では、いっさいをなりゆきにまかせ、余計なことをしなければ、お金持ちになって可愛い女の子も思いのままかというと、そうではない。
それどころか、なりゆきにまかせる「悟った人達」がどうなるかと言うと、『荘子』には、病気で奇態な姿になって死んだり、貧乏で飢えてふらふらになってしまう例が書かれている。
しかし、彼らは、それでも満足して死んでいくのであるが、いや、それはちょっと・・・である(笑)。
一方、『荘子』の中には、永遠の時を、乙女の姿で生きる無敵の神人のような人も登場するので、そっちにならなりたいものである。

まあ、どんな不幸が来ようが、虫の脚にされようが、運命なら仕方がないと受け入れる者が、乙女神人になれるのだという深読みも出来るが、あくまで深読みであり、そう書かれている訳ではない。
ただ、荘子の時代(2400年ほど前と思われる)の中国は、庶民は虐げられ、何の希望もなかったという説もあり、そうであれば、現世利益的なことは書けなかったのだと考えることも出来るが、これもまた1つの推測でしかない。

二宮尊徳(にのみやたかのり)は、荘子より前に無為自然の「道(タオ)」の教えを説いた老子に対し、
「畑は人間が手入れしないと荒れ果て、作物が取れない」
「家は人間が手入れしないとあばら家になる」
と言い、無為自然などもっての他と言った。
普通に考えると、尊徳が正しい。
まあ、荘子側に言わせれば、「無為自然に一生懸命働くのじゃ」とか屁理屈を言うかもしれないが、私なら、無為自然なら怠けるだろう(笑)。
『ファウスト』で神様も言ったではないか。「人間は休みたがる」と。それが自然なのじゃよ。

つまり、『荘子』には欠けているところがあるのだ。
現代科学では、まだ良い表現が出来ないが、なりゆきにまかせれば天の助けは得られる。
だが、条件がある。
その条件とは、「出来ることはやりなさい」で、「最低限のことはやりなさい」と言いかえることが出来るかもしれない。
それをうまく言ったのが、スーフィー(イスラム神秘主義)の格言らしい「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」だ。
ラクダがそこにいることの面倒まで神に見させちゃいけないってことだろう。
就職したいのに応募1つせず、優秀な人になりたいのに本1冊読まず、彼女が欲しいのに清潔ななりをせずでは、神様も手を貸す訳にはいかないだろう。
逆に言えば、ラクダをつなぐこと程度で良いのだ。
ただし、1年365日、しっかりとね。
そして、リーダーは、下の者に、ラクダをしっかりつなぐことをやらせれば良いのでる。

さて、なりゆきにまかせよう。
しかし、四股はしっかり踏んでる。
まだ初めて10日くらいと思うが、毎日300回踏むようになった。
相撲の四股とは違う、超人武術家、佐川幸義系の軽いものである。
無理なく出来るのでなくては続かないので、少しずつ、ゆっくり回数を上げていっている。
まあ、10日くらいであるので、効果がどうのとは言えないが、楽しいものである。









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釈迦やマハルシや荘子らの簡単だがなかなか出来ない成功法

釈迦やラマナ・マハルシは、簡単で明白な成功法を説いているが、それを知る者は少ない。
釈迦に関しては、『大パリニッバーナ経』の最初になり、訳本は、岩波書店の『ブッダ最後の旅』(中村元翻訳)がある。
それは、7つの繁栄の法で、個人と言うよりは、国家の成功法であるが、個人でも同じと思う。
1.会議を開き、多くの人が参加する。
2.いつも協力し合う。
3.定められた掟に従い、勝手な掟を作らない。
4.古老を厚く敬う。
5.淑女や令嬢を無理矢理自分のものにしない。
6.祖先を敬う。
7.立派な修行者を敬う。
この内の1つでも守るなら、繁栄のみがあり、そんな国を侵略しようとしてもうまくいかない。
もちろん、上記のことは、肯定的な意味に捉える必要がある。
例えば、3の「定められた掟に従い、勝手な掟を作らない」は、「古臭い伝統や教義にしがみつけってことか?」などとうがった見方をするものではない。
どんな国にだって「美しい流れ」はある。それを大事にしろってことだ。
これらの法の良いところを理解する本当の賢さも必要であり、そのためには、国よりも個人の方が容易く、国の状況が悪くても、個人として繁栄することは可能かもしれない。
どれか1つを重視するなら、私ならNo.5の騎士道精神をしっかり守ろう。

ラマナ・マハルシの成功法はもっと簡単だ。
だが、誤解される。
マハルシの教えは、人生の神への明け渡しだ。
この宇宙を維持している万能の力に全てまかせることだ。
ところが、そう言われると、「神の意思により自分が不幸になる恐れがあるのではないか?」「怠惰になってもいいのか?」などと考える者がいる。
そして、世の中には、「神にまかせておけばハッピーラッキー、金持ちにもなる」なんて言う者がいて、そんなことが書かれた本が売れたりする。
しかし、話は簡単で、自分の愚かさに応じて、嫌なことは起こる。そうでないと大変だと思うのだが・・・
甘やかされた馬鹿を叱らず、ご機嫌を取っていたら悲惨なことになるのは当たり前である。
一方、神は愚かではなく、立派な人を懲らしめたりはしない。ただし、特別な素質のある者に対しては別だろう。
荘子の教えも全く同じなのだが、『荘子』には、その結果、悲惨な状態になる者が沢山描かれているから困るのである。
立派な人なのに、貧困に喘いだり、難病奇病になって苦しんで死んだり。
ただ、それでも、彼らは幸福であった・・・ということになるのだが、「そんなの嫌だ」と言いたくもなるだろう(笑)。
まあ、そこらは、荘子の時代の、庶民の悲惨な境遇を考えれば仕方がないことだ。
今の時代に、そんな心配はいらないし、そももそもが、荘子の時代ですら、上記のことは、あくまでやむなく極端に書いただけである。

馬鹿には、釈迦やマハルシや荘子の教えも届かない。
それを見越し、釈迦やマハルシは、念仏やジャパ(神の名の称名)を教えたが、荘子はあくまで道理を丁寧に説いた。
イエスの教えも根本は明渡しであり、そこに至り易いよう教えたが、権威ある馬鹿が歪めてしまった感がある。
だが、ちょっと賢くなれば簡単なはずである。









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上位の存在との対話

自問自答しておられるだろうか?(笑)
TEDカンファレンスという、世界的に有名な講演会で、アメリカの事業家イーロン・マスクが、対話形式の講演を行ったが、その冒頭で、「なぜ、穴なんか掘ってるの?」と尋ねられ、マスクが「私もよく自問自答しています」と答えたのは、観衆を笑わせるためで、狙い通り笑いを取れたが、私は、マスクが、つい本当のことを言ったように感じられた。
彼は、本当によく自問自答しているのではないだろうか?
しかし、これはおかしな疑問だ。
自問自答しない人間はいない。
問題は、どれほど明確に、どのように自問自答しているかだ。
(イーロン・マスクの「穴を掘る」とは、ロサンゼルスなどの大都市の地下に自動車を自動走行させるトンネルを作り、地上の交通渋滞を解消させる計画のこと)

ジクムント・フロイトは、人間には、自我とは別に、超自我という、自我より上位の自我があり、自我が悪いことをしようと考えると、超自我が「こら、やめろ」と注意したりすると言う。
フロイトは、超自我は後天的に作られるもので、幼い時の家庭教育や伝統や宗教によって作られると言っていたが、カール・グスタフ・ユングは、超自我の存在は認めるが、それは先天的(生まれつき)持っているものであると主張し、フロイトだって、実際はそう思っていると断言した。
超自我が先天的であるという理由は、人々を監察した結果、後天的に作られたと考えると、かなりの矛盾があるからだった。
超自我が、遺伝子に関係することは想像が出来るが、いずれにしろ、超自我は最初からあり、ある意味、道徳的、倫理的であるが、それよりも、やはり自我よりずっと賢い存在なのである。
ソクラテスが、自分の中にいる神と対話したという話があるし、そのようなことをしていたという偉人は少なくない。いや、きっと、優れた人物は、皆、実際は、自分より上位の存在と対話しているのだし、言い換えれば、上位の存在と対話するから優れた人物になれたのである。
量子物理学では、人の心と宇宙の心が交流するものであることを既に解明しているとも聞く。

我々の中にいると言うよりは、自分より上位の心はどこにでもあるのであり、いつでも対話出来るし、実際はいつでも対話している。
賢い人は、疑問をそのままにしておくと、熟した果実が自然に木から落ちてくるように、しかるべき時に答が得られると言うが、上位の存在は、必ずしも即答してくれる訳ではなく、大切なことを教える場合には、適切で効果的なタイミングで教えるので、自ら答を導いたように感じるのである。
科学者が、科学上の疑問を限界まで考えた後、夢で答が与えられたという話がよくあるが、そのような形で教えられることもあるのだろう。
この場合、「一生懸命考えないと神様は教えてくれないよ」というのかというと、そういう面もあるだろうが、やはり、適切で絶妙な教え方をするのが上位の存在なのである。
上位の存在は、おそらく、全知と言えるほど偉大な知恵を持っているのだろう。
荘子は、そのような知恵を知を超えたもの・・・仮に明と言ったが、明の所有者が上位の存在なのであろう。

超自我、神、宇宙の心、上位(高位)の存在、至高者・・・何と呼んでも構わないが、それは確実に存在し、我々の面倒を見てくれる・・・いや、見てくれている。
それは知っておくと良いだろう。









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この本を読めば恐ろしいほどうまくいく

あらゆることに勝つためにお奨めできる本と言われれば、2冊挙げる。

『数霊のメッセージ―内なる神とつながる生き方』(佐々木将人著)
『ヒマラヤ聖者の生活探究』第5巻(ベアード T.スポールディング"著)

なぜ、この2冊かというと、「解るから出来る」である。
例えば、『数霊のメッセージ』では、「アジマリカン」の呪文を唱えよと書かれてある。
それを唱えれば幸せになれると。
それに対して、「どうして?」と尋ねると、「そんなことはどうでも良い。唱えれば幸せになれるのだから唱えよ」である。
そもそも、この本を読んでいて、そんな疑問は出ない。
著者に権威と自信があるからだ。

「なぜ殺してはいけないか?」なんてのが話題になったことがあるが、それって答えるようなことかい?
そんな質問をさせた者の親や教師に権威がなかっただけのことだ。
「知ってる人に会ったら、挨拶しなさい」と子供に言ったところ、子供が「どうして?」と言うなら、あなたはナメられているのである。
そして、ナメられるアンタが悪い。普段がなってないのだから。
「なぜ、挨拶しないといけないか」なんてことを説明された子供はもう駄目だ。
会社でも、「お仲間」としか挨拶をしない若い人が多い・・・と言うか大半である。
きっと、子供の時、「なぜ挨拶しないといけないのか」を説明された者だ。つまり、親、あるいは、周囲の大人に権威がなかった哀れな子である。
そんな者がうまくいくことは、決してない。
アイドルだって、掃除のおばちゃんにもしっかり挨拶する子が成功するのである。

ところで、もっとお奨めできる本があった。
文句なく、掛け値なしにお奨めする。
これを読めば、人生は保証される。若いうちに読んだ者は、特に幸運だ。
それは、矢追純一さんの『矢追純一は宇宙人だった!?』である。
例えば、『荘子』は素晴らしいが、同時に、当時の時代背景の影響を強く受けていることは否めない。
とはいえ、あの時代背景で、あれが書けたことは驚嘆に値するが、それでも、現代に合わないところはやはりある。
だが、矢追さんは、荘子が現代にそのまま出てきたような人である。
荘子は、宗教家でも哲学者でもなく、現実に滅法強いのである。
そして、現実に圧倒的に強いのが、本当の宗教や哲学であるはずなのだ。
矢追さんも現実で最強で、そのコツを余すところなく、誰でも出来るように教えてくれている。
矢追さんは、当時、司法試験で東大を凌ぐ合格率を誇っていた中央大学の看板学部である法学部を出ているが、受験勉強は一切しなかったし、卒業した工業高校はほとんど通っていなかったので、中学の勉強しか知らない。それでも、受験では、「合格と決めた」から当然のように合格通知が来たと言う。
海外ロケでも通訳を使わず、自分でインタビューするが、中学以来、英語の勉強はしていないと言う。そして、それで十分と言う。
なぜそうなるかは、これまでは彼には当たり前過ぎて書かなかったのではないかと思う。
しかし、この本を出した79歳の時には、「そんなことも説明した方がいいのかなあ」とでも思ったのではないかと勝手に思う。
『荘子』を読んで感動しても、矢追さんのようにうまくはいかないし(本当はいくはずだが)、「荘子の真意はこうなのじゃ」と言う先生方の話を聴いたり本を読むと、さらにうまくいかない。
だが、矢追さんの本を読めば全部うまくいく。
そして、この矢追さんの本を読みながら「なんで?」なんて疑問は出ない。
国家や宗教の権威はなくても、矢追さん自体に権威と自信があるからだ。
まるでイエスである。誉め過ぎか?いや、今では、イエスの教えより有益であると思う。









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