ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

荘子

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

子供の偉大な力

劣勢を挽回し、攻勢に出るには、具体的な武器、具体的な知恵が必要である。
だが、世の中には、どうにもならない状況というのも存在する。
そんな時に、人間は昔から、高次の力に頼ってきたが、人間がテクノロジーによる武器を得るごとに、そういった高次の力を忘れたり、あまつさえ馬鹿にするようになる者も多い。
ところが、科学やテクノロジーを本当によく理解している人ほど、これらは宇宙の力に比べれば極めて卑小であることを認識している。
また、そんな賢い人達は、宇宙の力というのは、偶然に作用するものではなく、高度に秩序立っていることも分かっている。
そこで、科学と宗教が融合すると、考えるようになることは、人間の力と宇宙の力の役割分担である。
けれども、宇宙の力と人間の力では、あまりにレベルが違うので、分担という言葉もおかしいような気がしてくる。
それは、大きな事業をやる時に、大人と子供で役割を分担することに似ている。
普通の考えでは、子供にやることはない。
だが、そうではなく、子供の役割が重要だと理解すると、大人にも不可能だと思われた事業が成るのである。
宇宙の事業でも同じで、偉大なる宇宙の力だけでなく、人間が必要だから人間が居るのだろう。

我々が大きな事業をする時、それが行き詰まり、どうにも出口が見えなくなった時、なぜか、子供の姿を見ていると、不思議な勇気が出て、知恵も湧き、そして、あり得ない出来事まで起こって、遂には事業が完成するということはよくある。
しかし、いまだ、「だけど、実際は、子供は何もしていない」と思う人が多い。
「実際に」子供は多大な貢献をしたに関わらずである。
宇宙にとって、人間は子供のようなものだ。
「上にあるものは下にあり、下にあるものは上にある」とエメラルド・タブレットに書かれている。
そんなふうに、宇宙は階層構造だ。
宇宙と人間の関係は、人間の大人と子供の関係に、やはり似ているのである。
なら、子供に学ぶのは無駄なことではない。

インドの聖者、ラマナ・マハルシは、「賢者と子供は、ある意味、似ている」と言った。
それは、子供は、遊んでいる時には遊びに夢中になるが、遊びが終われば忘れてしまうようなところだ。
荘子は、最高の人間の心は鏡と似ていると述べている。
つまり、来たものは、そのまま映すが、去ってしまえば、何の痕跡も残さないのだ。

賢者や子供の心の性質とは、どんなものだろう?
それは、気持ちを柔軟に切り替えることだ。
英語で「気持ちを切り替える」という表現は案外多く、reset myself (自分をリセットする)もその1つだが、これには、move on(前に進む)という意味も隠れていて、move on 自体が、「気持ちを切り替える」という意味で使われる。
子供は、特に「気持ちを切り替えよう」と思わなくても、自分をリセット出来るのである。
大人の場合は、好きな音楽を聴いたり、美しいものを思い浮かべると良いだろう。
もっと良いのは、微笑んだり、ガッツポーズをすることで、強力なリセットが必要な時は、舌を思い切り出してみると良いだろう。ただ、よほど親しい人の場合は除き、誰もいない場所でやると良いだろう。
これにより、我々は賢者と等しくなり、宇宙の偉大な力の援助を得られるのである。








この世が「壮大な嘘」「巧妙なまがい物」であることに気付く

この世界が「科学的に作られた夢のようなもの」なのではないかという考え方は、ただの空想とは言えないようになってきた。
現在の科学技術の可能性として考えられる仮説としては、我々の精神自体が、既にコンピューターの中に転送されていて、我々はいわば、コンピューターの中のプログラムであるというものがある。
コンピューターと言っても、それが1つの巨大なコンピューターなのか、あるいは、複数(あるいは沢山)のコンピューターのネットワークなのかは分からないが、我々は、その中で活動するプログラムかもしれない訳だが、そういったことは可能と考える科学技術者も多い。
言って見れば、我々は、『ソードアート・オンライン』、『マトリックス』、『コレクター・ユイ』等で描かれた仮想世界に住んでいるのだ。
アメリカの事業家、イーロン・マスク(彼が持つ会社の1つである自動車会社テスラはトヨタの時価総額を超えた)は、この世界が、そのような仮想世界であることは間違いないと断言しているようであるが、そのように言う社会のトップ、一流の学者は少なくない。
この世界がコンピューターで作られた仮想世界であるという考え方は「シミュレーション仮説」と言い、その世界のことを「シミュレーテッド・リアリティ」と言う。
現代では、このように、シミュレーテッド・リアリティを、コンピューター科学、あるいは、量子科学を基に語ることが多くなってきたが、この世界が幻想であるということは、インドでは古代から明確に語られてきたし、2400年ほど前の中国の荘子は著作『荘子』の中で、「我々は間違いなく夢を見ている」と述べ、『荘子』の中の有名な「胡蝶の夢」という章では、「我々は自分が人間であるという夢を見ている蝶のようなもの」と述べている。

古代からの多くの人が、この世界がシミュレーテッド・リアリティであることを見抜いているのだが、19世紀以降、人間がものごとを科学的に認識するようになってからは、それを見抜くに至った洞察には共通点があるようにも思われる。
詳細はまた調べようと思うが、おそらく20世紀初頭のある科学者は、薄目で世界を見ている時、世界は微細な何かで構成されていることに気付いたと言う。
その微細な何かとは、実際に何かは分からないが、薄目で見た感覚では、小さなドーナッツ状の赤い光のパターンのようなもので、それが、離れたり、くっついたりしながら、世界を作り、動かしているように思えたのである。
もちろん、この科学者は、これについて詳細な実験と検証を繰り返したが、コンピューターが今のように発達していた時代ではないので、何か魔術的な力が世界の背後に存在すると考えたようだ(もちろん、科学的な魔術であるが)。
彼の場合は科学者であったが、画家の中にも、そのように考える者は多く、ノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンク(1863~1944)は、薄目でまつ毛が視界にかかった時の、芸術的、あるいは、精神的効果に深い意味や意義を感じ、彼の若い時の作品である『病める子』では、まつ毛の効果が絵画の中に反映されていると言われ、この絵の幻想感を高めているように思う。
ひょっとしたら、この絵を見ることで、世界が「魔術による作り物」であることに気付くかもしれない。
日本の『閑吟集(かんぎんしゅう。1518年)』の有名な歌、
「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え(真面目くさってどうする?どうせこの世は夢だ、狂えば良い)」
は、作者がどんな意味で読んだのかは分からないが、やはり、現世の「嘘臭さ」を感じていたように思えるのである。
あなたも時には、薄目で、まつ毛を重ねて、風景、あるいは、ものや人を見ると、この世が「壮大な嘘」あるいは「巧妙なまがい物」であることに気付くかもしれない。













当ブログ著者、KayのAI書。
今、AIを味方にすることで時代に先んじることが出来ます。
しかし、多くの機械学習の本のように、難しい数学、プログラミング、AI理論を語る本でAIを作れるようになることは、普通の人には不可能です。
この本では、普通の言葉で、普通の概念で分かるテーマで速やかに入門を果たし、その後、面白いテーマを使い、AIに必要な考え方を楽しい実習を行うことで習得し、自分で実用的なAIが作れるようになることを目指しました。

差別をしないことは結局は極めて得なことでもある

1965年に製作された人形劇であるイギリスの特撮TVドラマ『サンダーバード』は現在でも人気があるが、監督のジェリー・アンダーソン(1929~2012)は、それまでにも、人形劇の経験を積んでいた。
そのサンダーバード以前の人形劇で、アンダーソンが黒人の人形を使ったところ、テレビ局から、白人の人形に差し替えるよう指示され、それに逆らうことが出来なかったというアンダーソンの思い出話をどこかで見た覚えがある。
その後、アンダーソンはさりげなく、テレビドラマの中で人種差別と戦っていたのだと思われる。
彼が、初めて人間の俳優を使った1970年の『UFO』(日本でのタイトルは『謎の円盤UFO』)は、地球人のものより、はるかに高度な科学技術を持って地球侵略を目論む宇宙人に戦いを挑むという、当時としては10年後の1980年の未来を描いたSFドラマだった。
その中で、月面基地の白人司令官が死亡した時、主人公である最高司令官ストレイカーは黒人男性に後任司令官を打診する。
その時、翻訳であるが、だいたい、こんな会話をする。
「なぜ私なんですか?」(黒人男性)
「優秀だからだ」(ストレイカー司令官)
「もし断ったらどうします?」
「なぜだ?理由を言いたまえ」
「本当に解りませんか?」
「ああ、解らないね」
「私の肌の色です」
「(苦笑しながら)馬鹿な。人種差別など5年も前になくなっている」
「表面的にはそうです。でも、緊急事態になれば、必ず影響が出るんです」
また、このドラマでは、日本人好みの女性指揮官(白人)と男性パイロット(黒人)の恋愛感情が作戦に支障をきたす場面にも、人種問題をさりげなく巧妙に絡めていた。

ところで、現代のアメリカのTVドラマ『スーパーガール』(2015~)や、『THE FLASH/フラッシュ』(2014~)では、スーパーガールことカーラや、フラッシュことバリーらは白人であるが、カーラの義理姉やバリーの義理姉は黒人で、素晴らしい人物として描かれ、また、カーラもバリーも、黒人青年や黒人女性(男性にしか青年という言葉を使えないのも何だが)への、叶わない恋愛感情に苦しむ。
こういったことが、あまりにさりげなく描かれているが、さりげなさ過ぎることに、妙な違和感を感じる私がおかしいのか・・・
実際には、最近のアメリカでの大規模暴動事件を見ても解る通り、人種差別は全くなくなっていない。
今でも黒人に貧困層は多く、収入においても、大学進学率においても、黒人と白人では大差がある。
一方で、裏づけのある調査であっても、「黒人のIQ(知能指数)は白人のそれに劣る」といった内容を含む研究論文を出した科学者が地位を失うなど、表向きでは、アメリカでは人種差別を厳しく禁じてはいるのだが、これ(人種差別)は、制度や管理の問題ではない。
また、人種差別以外にも、家柄や学歴や地位や容姿など、人間には無限の差別があり、それがきれいさっぱりなくなるというのは、子供騙しの妄想ショーかもしれない。

ところが、2400年前に書かれたと言われる『荘子』に、だいたいの意味でこんなことが書かれている。
「古代の(つまり、荘子よりさらに大昔の)人達は偉大な知恵を持っていたが、今はそれは失われた」
「知恵が失われた過程は、まずは“区別”からだが、ここまでは、まだ良かった」
「だが、“区別”から“優劣”を考えるようになった時、知恵が失われたのだ」
「優劣」は、「是非」「好悪」を生じる。
それにより、人間は愚かになり下がる。
だから、叡智を持つ方法は、
「視線を自然にし、分別をせず、是非好悪から離れることである」
と言う。
無論、現実世界において生きてくためには、万事これでは無理と思える。
毒キノコと食用キノコは区別しなければいけない。
しかし、毒キノコにだって存在理由はあり、食べてはいけないが、「非」でも「嫌」でもある必要はない。
美人は「好悪」で言えば「好」だが、別に不美人を「悪」だの「嫌」だのと考える必要はないのだが、馬鹿ほど、「悪」「嫌」を強く持つのである。
実際、「嫌い」が少ないほど能力が高まるように人間は出来ていると思われるのである。
差別主義者のエリートだっているが、やはり、そういった連中は、優秀な面と共に、常人以上に馬鹿な面もあり、結局は不幸になるように思える。
「好き」はあっても良いが、過剰になってはならず、「嫌い」を出来るだけなくすことが、向上の鍵であり、幸運を呼ぶのだと感じる。













当ブログ著者、KayのAI書。
著者が数年前、機械学習に取り組んだ時、そのためのパソコンの環境設定やプログラミングで苦労し、実際にAIを使うのは遠い道のりでした。
その時、「データがあれば、すぐにAIに推測させるようになればいいのに」と強く思いましたが、現代では、それが出来るようになり、さらに、主流になりつつあります。
しかし、その学習の方法となると、まだまだ、難しいもの、退屈なものが多いように思えます。
そこで、日常語を使い、なるべく普通の感覚で理解出来る、そして、面白いテーマで実際にAIを作れるようになる本を書きました。

過度な刺激は身も心も滅ぼす

人間は刺激を受けなければならない。
しかし、歳を取ると、刺激を感じ難くなり、強い刺激ばかり欲しがるようになる。
それは、こんなことと似ている。子供の時なら、安いお菓子でも美味しいと思って喜んで食べるが、どんどん良いお菓子を食べていくと、贅沢なお菓子でないと満足出来なくなる。しかし、贅沢なお菓子とは、過剰な味付けがしてあるもので、お菓子としてはやり過ぎなのだ。では、お菓子に関して、子供の時のような状態に戻る方法があるかというと、それは簡単だ。
単に、お菓子を断てば良い。
1年もお菓子を食べなかったら、どんなお菓子も美味しいと感じる。
同じように、過剰な刺激を避けていれば、繊細な刺激に、驚いたり、感動するようになる。

金持ちの中には、刺激を求めて時間やお金を投資する人がいるが、そんな人達が陥り易いのが、求める刺激がどんどん過激化し、思考も感性も破壊されてしまうことだ。
そんな人の中には、奇病にとり憑かれる者が多い。
賭け事も、刺激を求めて行うものであるが、初めは千円賭けてもドキドキしていたのが、お金が出来てくると一千万円賭けてもドキドキしなくなる。
ギャンブルの顧客が刺激を感じる額をどんどん大きくさせていくことが、賭博ビジネスなのである。
そして、なるべく早く顧客に全財産をつぎ込ませ、それを全部奪ってしまうことが、賭博屋の最重要事項なのだろう。
あなたは、悪い賭博屋のカモである哀れなギャンブラーのようなものになってはいけない。

人間は、適切で良質な刺激を、長く受け続けるようにしなくてはならない。
本当に賢い人は、子供が喜ぶようなもので、子供ほどではなくても感動するのである。
そのためには、野蛮な強い刺激に気をつけ、それを避けることである。

なぜ子供が刺激を受ける必要があるのかというと、成長のためだ。
では、大人はどうかというと、やはり同じなのだ。
子供は、刺激を受けることで、知識や知恵や技能を身につけて成長するように見え、大人は、刺激を受けることで、余計なものを削ぎ落として成長するように思える。
しかし、その実体は同じなのである。
共に、内にある叡智と通じることが最終目的なのだ。
だから、子供だって、良い刺激を受け、何か出来るようになることで、内なる神に気付く。
大人の場合も、そのような場合もあるかもしれないが、むしろ、刺激によって、偏見や固定観念を捨てることで、内なる神に気付くのである。

例えば、『荘子』は、適度な刺激を与えて大人の固定観念を壊し、内なる叡智に近付かせる。
だから、自分では気付かない場合が多いが、『荘子』を読むと、超能力が発揮出来るようになるのである。
ところが、『荘子』は、子供にとっては当たり前の世界なので、あまり刺激にならない。しかし、大人化した子供の場合は、やはり有益なのである。
神話、昔話、童話も、賢く読めば、大人にとって、適度な刺激になる。
もちろん、適切な刺激を与えてくれる書物を広い心で読めば、好ましい刺激になるだろう。逆に言えば、どんな良い書物も、偏見に満ちた心で読めば、害になることはあっても益はない。













当ブログオーナー、KayのAI書。
決して、教科書のような本を書く意図はありませんでした。
機械学習(ディープラーニングはその高度なもの)を、脳の機械学習的な機能を利用して、柔軟に、応用が効くような形で、自然に習得出来るようなものにしようと考えて書きました。
数学もプログラミングもAI理論も不要で、それらのものより、AIに推測させるために適切なデータの考え方や、何を予測させれば難しい問題を解決出来るのかといった、普通の人にとって実際的なことを、しっかり身につけていただこうと思いました。

邪悪な人間にどう対応するか?

善良でない相手にどう対応するかは難しい問題だ。
アメリカの著目な啓蒙家、W・クレメント・ストーン(1902~2002)の本で、ストーンは、学校でいじめられて泣きながら帰ってきた息子に「やり返してくるまで家に入れない」と言った父親を称賛していたが、日本でも、昔はそうだったかもしれない。しかし、今は、子供にそんなことは言えないと思う。言ったら、息子が殺されるかもしれない。子供達の倫理観の低下がそれほど酷いのだ。
ところで、こんな世の中では、些細な悪にも、極端に敏感になってしまう人がいる。
というか、私は、自分がそうなのだなあと感じたのだ。
昨日も少し書いたが、1973年のアメリカのテレビドラマ『大草原の小さな家』(1980年まで続いた)をAmazonプライムビデオで見たのだが、今よりも、人々の間に善意があった時代に作られたTVドラマなのだと感じる。
そのドラマの中で、お金持ちの家の子が自己中心的に振る舞い、豊かでない家の子を時に虐げたる。また、脚の不自由な女の子がいて、誰も彼女をいじめはしないが、相手にもせず、その子は辛い思いをしているが、彼女の父親は、彼女を愛するために、彼女を学校に行かせたくない。まあ、子供達の間のことだから、それほどドロドロしたことはないが、子供達の心だって天使ではないし、子供達の親となると、さらにそうだ。
ところが、このドラマの製作者は、このドラマを物凄く健康的なものにしようという意図があったのだと思う。
様々な悪意に対して、主人公のローラの両親は、ストレートな善意で対応するよう、ローラ達に教える。
まあ、それがキリスト教の有名な「汝の敵を愛せよ」なのであろうか?
つまり、嫌がらせをしてくる相手、利己的な相手に対し、善意と礼儀を尽くすのである。
そして、このドラマの中で、本当にそんなことをするのだから、私はとてもではないが、見ていられない。
嫌なことをされても仕返しをしてはならないとか、悪意を持たず黙って耐えろというなら賛成しないでもないが、親切と愛を返せとなると、現実的には、止めておけと言うしかない。

だが、昔なら、「やられたら、男ならやり返してこい」とか、「相手を根っからの意地悪だなんて思わず、優しくしなさい」というのは、正しかったのかもしれない。
つまり、悪いやつに見えて、中身は案外そうでなかったり、少なくとも子供であるなら、多少、性格が悪いように見えたり、いじめっ子であっても、限度は心得ていたのだと思う。
しかし、今の子供達の中には、本格的にクレイジーな者がいくらでもいる。
親や教師の中には、本物の外道がいくらでもいることとも大いに関係があるだろうが、とにかく、今は、大人も子供も信用出来ない時代である。
そんな中では、誰も信用出来ないと思うようになってしまう者がいる。しかし、そんな者はやはり、心が弱い者であると思う。
そして、自分がそうであると気付き、ちょっと愕然としたのだ(笑)。
だが、それでは、人生は豊かなものにならない。
とはいえ、無理に、他人を嫌うなとか、誰にも親切にしろと言うのではない。
そんなことをすれば、心が分裂し、苦しむことになる。やはり、それは不自然なのだと思う。
「20世紀最大の詩人」と言われたノーベル賞作家、W.B.イェイツによれば、愛することは無理でも、憎むことを止めれば良いのだそうだ。
だが、荘子によれば、好悪の別を持つ限り、何も解決しないようだ。
つまり、「あの子は好きだが、あいつは嫌い」という感覚を持つ限り、「好き」はあっても「憎しみ」も避けられない。是非好悪の判断をしない・・・それが究極の秘訣ではあるが、実践は難しい。
ただ1つ。おそらく、善良な人間も邪悪な人間も、作り出しているのは自分の心であるのだと思う。
せめて、それを意識することが大切と思う。













当ブログオーナー、KayのAI書。
今、AIに関して、一握りのエリートと、その他、全くAIが作れない人に分かれると思います。
全くAIが作れない人の中には、数学やプログラミングによる難しいAIの勉強に必死に励んでいる人や、AIの教養書を読んで解った気になっているだけの人もいます。
しかし、AIなんて、自分で作れないと意味がないと思います。そして、今や、AIは誰でも作れます。
この本では、Excelが最低限使えるスキルがあれば、数学やプログラミングなしで、ほぼ無料で(Windows8.1/10パソコン、Excel、そして、この本は必要ですが)AIを作る方法を説明しています。
しかも、なるべく面白いテーマでそれが出来るよう工夫しました。
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
[AI&教育blog] メディアの風


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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