ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

荘子

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

差別をしないことは結局は極めて得なことでもある

1965年に製作された人形劇であるイギリスの特撮TVドラマ『サンダーバード』は現在でも人気があるが、監督のジェリー・アンダーソン(1929~2012)は、それまでにも、人形劇の経験を積んでいた。
そのサンダーバード以前の人形劇で、アンダーソンが黒人の人形を使ったところ、テレビ局から、白人の人形に差し替えるよう指示され、それに逆らうことが出来なかったというアンダーソンの思い出話をどこかで見た覚えがある。
その後、アンダーソンはさりげなく、テレビドラマの中で人種差別と戦っていたのだと思われる。
彼が、初めて人間の俳優を使った1970年の『UFO』(日本でのタイトルは『謎の円盤UFO』)は、地球人のものより、はるかに高度な科学技術を持って地球侵略を目論む宇宙人に戦いを挑むという、当時としては10年後の1980年の未来を描いたSFドラマだった。
その中で、月面基地の白人司令官が死亡した時、主人公である最高司令官ストレイカーは黒人男性に後任司令官を打診する。
その時、翻訳であるが、だいたい、こんな会話をする。
「なぜ私なんですか?」(黒人男性)
「優秀だからだ」(ストレイカー司令官)
「もし断ったらどうします?」
「なぜだ?理由を言いたまえ」
「本当に解りませんか?」
「ああ、解らないね」
「私の肌の色です」
「(苦笑しながら)馬鹿な。人種差別など5年も前になくなっている」
「表面的にはそうです。でも、緊急事態になれば、必ず影響が出るんです」
また、このドラマでは、日本人好みの女性指揮官(白人)と男性パイロット(黒人)の恋愛感情が作戦に支障をきたす場面にも、人種問題をさりげなく巧妙に絡めていた。

ところで、現代のアメリカのTVドラマ『スーパーガール』(2015~)や、『THE FLASH/フラッシュ』(2014~)では、スーパーガールことカーラや、フラッシュことバリーらは白人であるが、カーラの義理姉やバリーの義理姉は黒人で、素晴らしい人物として描かれ、また、カーラもバリーも、黒人青年や黒人女性(男性にしか青年という言葉を使えないのも何だが)への、叶わない恋愛感情に苦しむ。
こういったことが、あまりにさりげなく描かれているが、さりげなさ過ぎることに、妙な違和感を感じる私がおかしいのか・・・
実際には、最近のアメリカでの大規模暴動事件を見ても解る通り、人種差別は全くなくなっていない。
今でも黒人に貧困層は多く、収入においても、大学進学率においても、黒人と白人では大差がある。
一方で、裏づけのある調査であっても、「黒人のIQ(知能指数)は白人のそれに劣る」といった内容を含む研究論文を出した科学者が地位を失うなど、表向きでは、アメリカでは人種差別を厳しく禁じてはいるのだが、これ(人種差別)は、制度や管理の問題ではない。
また、人種差別以外にも、家柄や学歴や地位や容姿など、人間には無限の差別があり、それがきれいさっぱりなくなるというのは、子供騙しの妄想ショーかもしれない。

ところが、2400年前に書かれたと言われる『荘子』に、だいたいの意味でこんなことが書かれている。
「古代の(つまり、荘子よりさらに大昔の)人達は偉大な知恵を持っていたが、今はそれは失われた」
「知恵が失われた過程は、まずは“区別”からだが、ここまでは、まだ良かった」
「だが、“区別”から“優劣”を考えるようになった時、知恵が失われたのだ」
「優劣」は、「是非」「好悪」を生じる。
それにより、人間は愚かになり下がる。
だから、叡智を持つ方法は、
「視線を自然にし、分別をせず、是非好悪から離れることである」
と言う。
無論、現実世界において生きてくためには、万事これでは無理と思える。
毒キノコと食用キノコは区別しなければいけない。
しかし、毒キノコにだって存在理由はあり、食べてはいけないが、「非」でも「嫌」でもある必要はない。
美人は「好悪」で言えば「好」だが、別に不美人を「悪」だの「嫌」だのと考える必要はないのだが、馬鹿ほど、「悪」「嫌」を強く持つのである。
実際、「嫌い」が少ないほど能力が高まるように人間は出来ていると思われるのである。
差別主義者のエリートだっているが、やはり、そういった連中は、優秀な面と共に、常人以上に馬鹿な面もあり、結局は不幸になるように思える。
「好き」はあっても良いが、過剰になってはならず、「嫌い」を出来るだけなくすことが、向上の鍵であり、幸運を呼ぶのだと感じる。













当ブログ著者、KayのAI書。
著者が数年前、機械学習に取り組んだ時、そのためのパソコンの環境設定やプログラミングで苦労し、実際にAIを使うのは遠い道のりでした。
その時、「データがあれば、すぐにAIに推測させるようになればいいのに」と強く思いましたが、現代では、それが出来るようになり、さらに、主流になりつつあります。
しかし、その学習の方法となると、まだまだ、難しいもの、退屈なものが多いように思えます。
そこで、日常語を使い、なるべく普通の感覚で理解出来る、そして、面白いテーマで実際にAIを作れるようになる本を書きました。

過度な刺激は身も心も滅ぼす

人間は刺激を受けなければならない。
しかし、歳を取ると、刺激を感じ難くなり、強い刺激ばかり欲しがるようになる。
それは、こんなことと似ている。子供の時なら、安いお菓子でも美味しいと思って喜んで食べるが、どんどん良いお菓子を食べていくと、贅沢なお菓子でないと満足出来なくなる。しかし、贅沢なお菓子とは、過剰な味付けがしてあるもので、お菓子としてはやり過ぎなのだ。では、お菓子に関して、子供の時のような状態に戻る方法があるかというと、それは簡単だ。
単に、お菓子を断てば良い。
1年もお菓子を食べなかったら、どんなお菓子も美味しいと感じる。
同じように、過剰な刺激を避けていれば、繊細な刺激に、驚いたり、感動するようになる。

金持ちの中には、刺激を求めて時間やお金を投資する人がいるが、そんな人達が陥り易いのが、求める刺激がどんどん過激化し、思考も感性も破壊されてしまうことだ。
そんな人の中には、奇病にとり憑かれる者が多い。
賭け事も、刺激を求めて行うものであるが、初めは千円賭けてもドキドキしていたのが、お金が出来てくると一千万円賭けてもドキドキしなくなる。
ギャンブルの顧客が刺激を感じる額をどんどん大きくさせていくことが、賭博ビジネスなのである。
そして、なるべく早く顧客に全財産をつぎ込ませ、それを全部奪ってしまうことが、賭博屋の最重要事項なのだろう。
あなたは、悪い賭博屋のカモである哀れなギャンブラーのようなものになってはいけない。

人間は、適切で良質な刺激を、長く受け続けるようにしなくてはならない。
本当に賢い人は、子供が喜ぶようなもので、子供ほどではなくても感動するのである。
そのためには、野蛮な強い刺激に気をつけ、それを避けることである。

なぜ子供が刺激を受ける必要があるのかというと、成長のためだ。
では、大人はどうかというと、やはり同じなのだ。
子供は、刺激を受けることで、知識や知恵や技能を身につけて成長するように見え、大人は、刺激を受けることで、余計なものを削ぎ落として成長するように思える。
しかし、その実体は同じなのである。
共に、内にある叡智と通じることが最終目的なのだ。
だから、子供だって、良い刺激を受け、何か出来るようになることで、内なる神に気付く。
大人の場合も、そのような場合もあるかもしれないが、むしろ、刺激によって、偏見や固定観念を捨てることで、内なる神に気付くのである。

例えば、『荘子』は、適度な刺激を与えて大人の固定観念を壊し、内なる叡智に近付かせる。
だから、自分では気付かない場合が多いが、『荘子』を読むと、超能力が発揮出来るようになるのである。
ところが、『荘子』は、子供にとっては当たり前の世界なので、あまり刺激にならない。しかし、大人化した子供の場合は、やはり有益なのである。
神話、昔話、童話も、賢く読めば、大人にとって、適度な刺激になる。
もちろん、適切な刺激を与えてくれる書物を広い心で読めば、好ましい刺激になるだろう。逆に言えば、どんな良い書物も、偏見に満ちた心で読めば、害になることはあっても益はない。













当ブログオーナー、KayのAI書。
決して、教科書のような本を書く意図はありませんでした。
機械学習(ディープラーニングはその高度なもの)を、脳の機械学習的な機能を利用して、柔軟に、応用が効くような形で、自然に習得出来るようなものにしようと考えて書きました。
数学もプログラミングもAI理論も不要で、それらのものより、AIに推測させるために適切なデータの考え方や、何を予測させれば難しい問題を解決出来るのかといった、普通の人にとって実際的なことを、しっかり身につけていただこうと思いました。

邪悪な人間にどう対応するか?

善良でない相手にどう対応するかは難しい問題だ。
アメリカの著目な啓蒙家、W・クレメント・ストーン(1902~2002)の本で、ストーンは、学校でいじめられて泣きながら帰ってきた息子に「やり返してくるまで家に入れない」と言った父親を称賛していたが、日本でも、昔はそうだったかもしれない。しかし、今は、子供にそんなことは言えないと思う。言ったら、息子が殺されるかもしれない。子供達の倫理観の低下がそれほど酷いのだ。
ところで、こんな世の中では、些細な悪にも、極端に敏感になってしまう人がいる。
というか、私は、自分がそうなのだなあと感じたのだ。
昨日も少し書いたが、1973年のアメリカのテレビドラマ『大草原の小さな家』(1980年まで続いた)をAmazonプライムビデオで見たのだが、今よりも、人々の間に善意があった時代に作られたTVドラマなのだと感じる。
そのドラマの中で、お金持ちの家の子が自己中心的に振る舞い、豊かでない家の子を時に虐げたる。また、脚の不自由な女の子がいて、誰も彼女をいじめはしないが、相手にもせず、その子は辛い思いをしているが、彼女の父親は、彼女を愛するために、彼女を学校に行かせたくない。まあ、子供達の間のことだから、それほどドロドロしたことはないが、子供達の心だって天使ではないし、子供達の親となると、さらにそうだ。
ところが、このドラマの製作者は、このドラマを物凄く健康的なものにしようという意図があったのだと思う。
様々な悪意に対して、主人公のローラの両親は、ストレートな善意で対応するよう、ローラ達に教える。
まあ、それがキリスト教の有名な「汝の敵を愛せよ」なのであろうか?
つまり、嫌がらせをしてくる相手、利己的な相手に対し、善意と礼儀を尽くすのである。
そして、このドラマの中で、本当にそんなことをするのだから、私はとてもではないが、見ていられない。
嫌なことをされても仕返しをしてはならないとか、悪意を持たず黙って耐えろというなら賛成しないでもないが、親切と愛を返せとなると、現実的には、止めておけと言うしかない。

だが、昔なら、「やられたら、男ならやり返してこい」とか、「相手を根っからの意地悪だなんて思わず、優しくしなさい」というのは、正しかったのかもしれない。
つまり、悪いやつに見えて、中身は案外そうでなかったり、少なくとも子供であるなら、多少、性格が悪いように見えたり、いじめっ子であっても、限度は心得ていたのだと思う。
しかし、今の子供達の中には、本格的にクレイジーな者がいくらでもいる。
親や教師の中には、本物の外道がいくらでもいることとも大いに関係があるだろうが、とにかく、今は、大人も子供も信用出来ない時代である。
そんな中では、誰も信用出来ないと思うようになってしまう者がいる。しかし、そんな者はやはり、心が弱い者であると思う。
そして、自分がそうであると気付き、ちょっと愕然としたのだ(笑)。
だが、それでは、人生は豊かなものにならない。
とはいえ、無理に、他人を嫌うなとか、誰にも親切にしろと言うのではない。
そんなことをすれば、心が分裂し、苦しむことになる。やはり、それは不自然なのだと思う。
「20世紀最大の詩人」と言われたノーベル賞作家、W.B.イェイツによれば、愛することは無理でも、憎むことを止めれば良いのだそうだ。
だが、荘子によれば、好悪の別を持つ限り、何も解決しないようだ。
つまり、「あの子は好きだが、あいつは嫌い」という感覚を持つ限り、「好き」はあっても「憎しみ」も避けられない。是非好悪の判断をしない・・・それが究極の秘訣ではあるが、実践は難しい。
ただ1つ。おそらく、善良な人間も邪悪な人間も、作り出しているのは自分の心であるのだと思う。
せめて、それを意識することが大切と思う。













当ブログオーナー、KayのAI書。
今、AIに関して、一握りのエリートと、その他、全くAIが作れない人に分かれると思います。
全くAIが作れない人の中には、数学やプログラミングによる難しいAIの勉強に必死に励んでいる人や、AIの教養書を読んで解った気になっているだけの人もいます。
しかし、AIなんて、自分で作れないと意味がないと思います。そして、今や、AIは誰でも作れます。
この本では、Excelが最低限使えるスキルがあれば、数学やプログラミングなしで、ほぼ無料で(Windows8.1/10パソコン、Excel、そして、この本は必要ですが)AIを作る方法を説明しています。
しかも、なるべく面白いテーマでそれが出来るよう工夫しました。

辛い人生を気楽にする

日本やアメリカでは、有能な働き手になり、良い立場を勝ち取って、お金を沢山稼がないと、苦しい(時に、非常に苦しい)状況に追いやられる。
そして、お金を多く稼ぐためには、かなり辛いこと、嫌なことにも耐えなければならない。

一方、クリエイターやネットで稼ぐという、新しい働き方が生まれ、それで生活を成り立たせている人もいる。
そんな仕事であれば、好きなことだけをやり、嫌なことをしなくて済むかというと、それは全くない。
「いや、俺は好きなことを自由にやっている」と言う人もいるだろうが、私は信用しない。
例えば、素晴らしい能力のある画家だって、お金を十分に稼ぐには、自分を偽らないといけない。
プロのオーケストラに入れるほどの演奏家だって、自分はモーツァルトのようなのを演奏したくても、嫌々、初音ミクシンフォニーの演奏をしなければならない(笑)こともある(そんな雰囲気の演奏者が多いように感じる)。

また、米津玄師さんのような天才なら、自分の思う通りにやっているかというと、多分、それはないと私は思う。
私は、彼の曲は、ミクさんが歌った『砂の惑星』を別にすれば『Lemon』くらいしか知らないが、あの曲は、ドラマ向けに色をつけたはずで、それが米津さんにとって、楽しかったかというと、どっちかと言うと嫌だったのではないかと思うのだ(勝手な想像だが)。

岡本太郎さんだって、完全に自分の主義だけで生きたかというと、やっぱり、それはあり得ないのだ。
いや、完全に自分の主義でなかったどころか、相当、自分を偽っていたのかもしれない。
いやいや、本当のところは普通の人より、よっぽど偽善的であった可能性もないとはいえないのだ。
人生とは辛いものなのである。

だからといって、米津玄師さんや岡本太郎さんが不幸だと言うのではない。
嫌なことのない人生なんて悲惨なものだ。
悪いこともまた楽しいのだと言えなくもない。

どれほど不幸な人を見ても、身内でもない限り(あるいは身内でも)、それほど辛くはない、あるいは、全く何とも思わないものだろう。
それが冷淡で悪いことかというと、そうでもないと思う。
同情なんて、無理にするものではないし、同情されても何も良いことはない。
同情より良いのは、本当に金である。
ところで、悟りを開いた聖者というのは、自分のことも他人だと感じるらしい。
つまり、自分を、はるか彼方に居る人に思えるなど、自分をほとんど重要視しないものらしい。
それで言えば、岡本太郎さんは聖人とはほど遠かったが、米津玄師さんは、案外、仙人に近いのではと感じ、俗っぽいことも平気で出来るように思える(思えるだけだが)。

仏教も、老子や荘子の道教も、目的は自分を忘れることなのであると思う。ただし、自覚のある状態でね。
ただ、仏教を本当に教えられるお坊さんは少ないのだと思う。
『老子』や『荘子』も、頭でっかちの学者が下らない解説をするので、全く解らなくなっている。
漢文や読み下し文を読む必要はない(不慣れな人だと、文章を逆の意味に解釈する恐れが大きい)。
1冊、読んでみると、1行か2行のことかもしれないが、真理を感得するものである。
それを大切にすれば、自己にこだわらないまま、世界を自由に操る魔法使いにもなれるのである。













当ブログオーナー、KayのAI書。5月30日発売(Kindle版は販売中)。
今や、AIは誰でも作れます。ただ、実践的に取り組む適当な方法がなかったことと、AIを作るために本当に必要なことを簡単に知る方法がありませんでした。この本では、Excelを使う程度のスキルがあれば、ソニーのWindowsアプリNNCを使い、自分でAIを作れるよう工夫しました。
ほとんど全ての実習を行うためのデータが作れるExcelマクロ(VBAプログラム)を、出版社サイトから無償でダウンロード出来ます。

さりげない奇跡を味方にする秘法

荘子が『荘子』(約2400年前の中国の古典)で書いた教えは、一言で言えば、「無為自然」だが、もっと普通に言えば、「全て、なりゆきにまかせろ」だと言って良いと思う。
荘子は、そうした結果、儲かるとも、モテるとも書いていないし、時には、わざと悲惨なことになるようなことも書いたが、少なくとも、安らぎは得られるし、実際は、かなり恵まれるようなこともほのめかしているのだと思う。
言い切ってしまえば、余計なことを考えたり行ったりせず、自然のなりゆきにまかせれば、そうでない場合より千倍も上手くいく。
だが、人間はいつも、下らないことを考え、しなくていことをして墓穴を掘るものだ。

では、なりゆきにまかせるとは、本当のところ、どういうことだろう?
山岸凉子さんの1980年から1984年の作品ながら、いまだ人気が高く、ロングセラーを続ける漫画『日出処の天子(ひいづるところのてんし)』に、良い話がある。
都に干ばつが続いていた時、厩戸王子(うまやどのおうじ。後の聖徳太子)が祈祷を行い、見事、雨を降らせる。
ところが、いったん降り出した雨が止まず、今度は水害が起こり、厩戸王子の責任が問われ、朝廷は、大臣達を集合させた中に、厩戸王子を呼びつける。
厩戸王子は、なかなか現れず、天皇もしびれを切らすが、ようやく厩戸王子が現れた時、雨はぴたりと止んで陽が差し、大臣達は思わず厩戸王子にひれ伏す。
厩戸王子は何をしたのかというと、実は、何もしなかった。
自分の責任が問われ、マズい事態になっていることは理解しながら、では、何をしようかとか、どう申し開きをしようとか、全く、何も考えていなかったのだ。
それで、気が向いたところで、屋敷を出て朝廷に向かったのだが、空を見ると、心なしか明るくなりかけたように思ったので、到着と同時に止むことを期待したら、その通りになったのだった。
いうならば、厩戸王子が朝廷に着いた時に雨が止んだのは、全くの偶然である。
だが、そんなことは、よくあるのだ。
「こうなればいいなあ」と思い、少し期待はするが、それほど強く願う訳でもなく、特に何もせずにいたら、期待通りになってしまう。
そういったようにやれば、そうそう期待を裏切られることはない。大切なことは、渇望しないこと、よって、焦らないこと、余計なことはしないこと、だが、ごく自然なことだけはやること。
それが本当に出来た時、奇跡も起こる。
そんな経験がない・・・いや、最近ないと思っている人は、単に、見過ごしているだけで、結構ありふれたことなのだ。
厩戸王子は、法華経、維摩経(ゆいまきょう)、勝鬘経(しょうまんぎょう)まどを仏教の経典を取り寄せて読み、注釈書を書いている。
維摩経や勝鬘経のことは知らないが、法華経の、あの気が遠くなるほどスケールの大きな話を読んでいるうちに、一切の作為を捨ててしまえるに違いない。
そうすれば、気付かないうちに、奇跡体質になってしまうような気がする。
もちろん、『荘子』を読んでも良い。中国では、『荘子』が仏典の中に入れられてしまっていることもあるが、やはり、仏教と通じるところがあるのだろう。












当ブログオーナー、KayのAI書。
Kindle版は発売中。紙の本は30日発売。
全体が長過ぎると思われた場合、まず、Chapter.1の算数問題だけをやっても良いと思います。
それで、現代のAIの考え方について、見当が付くのではないかと思います。
Chapter.2、Chapter.3は、ある意味、遊びです。その遊びをAIと一緒にやることで、AIと仲良くなり、自然に、自分とAIで1ユニットになるコツを掴めるのではないかと期待しています。
最初は難しいと思っても、実は、簡単なことを書いています。むしろ、解り易くするために、多少、正統的でないやり方も採用しましたが、その点は本書内で注意しています。
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
[AI&教育blog] メディアの風


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
最新コメント
月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
人気ブログランキングへ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
タグクラウド
QRコード
QRコード