ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

荘子

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
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[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

一番立派なお仕事

子供がイメージする「働く大人」とはどんなものだろう?
大昔なら、ツルハシや鍬を振るう姿や、農作業、大工仕事、あるいは、漁をする姿など、イメージし易かったと思うが、今、大多数の大人が働く会社というものの中で働く大人を、子供はどう捉えているのだろう?

『甘城ブリリアントパーク』というアニメで、突然、巨大遊園地である甘城ブリリアントパークの総支配人になった男子高校生、可児江西也(かにえせいや)は激務に追われるが、その中で、机に積み上げられた大量の書類に、次々にハンコを押す場面がある。あれが、子供にも解る「働く大人の姿」ではないかと思う。それで思い出したのだが、私が子供の時に見た子供向けアニメでも、会社の中で社長が「忙しい!忙しい!」と言いながら働く場面がまさに、社長が大量の書類にハンコを押すというものだった。
いくら子供の時の私でも、ハンコを押すだけが仕事と思った訳ではない。しかし、逆に、私は今だって「ある意味、仕事って、せいぜいこの程度」と思うのだ。
アニメ『ゼロの使い魔』で、若き女王アンリエッタに、重鎮が「女王様、ご署名を」と言って、誓約書を差し出す場面があるが、あれがまさに女王様の仕事で、実際、女王様の意思はどうでも良く、ただ、女王様が署名・・・つまり、サインとかハンコを押すことだけが仕事である訳だ。

ハンコを押す、署名するというのは、「同意する」という意味で、許可を与えたり、自分が何かに従うことを「はっきり約束する」ということだ。
署名、押印する者の意思がどうであるかは、実は、どうでも良い。
署名した者の考えより、署名したという事実に意味がある。
そして、確かに、高レベルの仕事には、そんな面があり、子供がイメージする「働く大人の姿」は、それほど間違っていない。

法然や親鸞は、「大切なことは念仏をすることだけ」と言ったのだから、人間の仕事は念仏だけということになる。
馬鹿らしく聞こえる向きもあるかもしれないが、そういうことなのである。
そして、この世界とか人間の究極が解ってしまった者にとっては、念仏とは言わないまでも、そういったことが全くの真実だと言うのである。
念仏というのは、「阿弥陀如来に全ておまかせする」という意味で、阿弥陀如来とは、宇宙最大の力の持ち主をイメージ化したものだ。
こんな話がある。
ある者が末期癌になり、余命数ヶ月と宣告されるが、諦めず、辛い治療を受ける。しかし、効果がないので、正統医学では認められていないが「奇跡の効果があった」と言われる治療法、さらには、オカルト、宗教にまで頼るが、全く効果がない。それで最後、「神様に全部まかせる」と決めたら、治ってしまった。
原理としては、念仏と全く同じである。
神様や仏様との誓約書には「全部、あなたにおまかせします」と書かれていて、それに署名したり、ハンコを押すようなものだ。
荘子の教えも、全くこのようなものである。
また、ここでよく取り上げる「神様の奇跡が起こる」と唱え続けて、1億円を2回当てたホームレスも同じことをしていたのだが、念仏のような精神でやらないと起こらなかったことである。

まあ、大人の社会では無闇にハンコを押してはいけないが、私は子供の時、頭の中でよくハンコを押していた。
そして、何度も書いたが、ありえない奇跡がいくらでも起きた。
インドの聖者ラマナ・マハルシが「財務長官は責任感を持って仕事をしているが、実は何もしていない」と言っていたと思う。
彼もまた、「同意」というハンコを押しているだけであり、だからこそ、彼の仕事に間違いがないのだ。
キリスト教の「アーメン」も、同意という意味であるらしい。

要するに、基本的な考え方の一例は、「南無阿弥陀仏と唱えて、阿弥陀如来に全てまかせると決める」ことで、自分の仕事は終りである。
いかなる偉大なビジネスマンも、芸術家も、政治家も、バリエーションはあっても、原則はそうしているのである。







何も美点がなくてもモテまくる男の秘密

2400年ほど前に、中国に実在したと考えられている荘子(あるいは荘周)という人物が書いたとされる『荘子』に、アイタイダ(哀駘它)という、興味深い男が登場する。
およそ、取り得や美点は何もないばかりか、極めて醜い男である。
ところが、この男が、いかなる男にも女にも慕われ、若い娘であれば、妾でもいいから側にいたがる。
ある国の国王は、アイタイダを召抱えると、1ヶ月ほどですっかり惚れ込み、宰相(総理大臣)にしてしまうが、アイタイダは黙って消えてしまい、国王はすっかり意気消沈してしまう。
もちろん、想像上の人物であるが、荘子は、それなりの意図や信念を持って、こんな男を描いたに違いない。
荘子は、『荘子』の「徳充符(とくじゅうふ。徳充ちたるしるし)」編で、孔子の口を借りて、アイタイダがどんな人物かを語る。
だが、その孔子の説明が長ったらしい。
結局、アイタイダは、『荘子』全編で、荘子が理想とする人間の姿を体現しているのだ。
その理想の人間の特質を一言で言えば「受容性」である。
受容性とは、あるがままに受け入れることで、アイタイダは、最高の受容力を持ち、いかなることも、あるがままに受け入れるのである。
つまり、アイタイダの力は受容力である。

最高の受容力を持った者は、文句を言わないし、批判をしない。
意見を聞かれたら答えるかもしれないが、それは、素直に思ったことを言うだけで、その意見が称賛されようが、否定されようが、全く気にとめない。
楽しいことや嫌なことがあったら、一瞬は、喜んだり悲しんだりするかもしれないが、すぐに忘れる。
荘子は、「応帝王」編で、真に優れた人間の心を、「来るものはそのまま映すが、去ってしまえば何の痕跡も残さない鏡のようなもの」と述べている。
アイタイダの心は鏡のようなものである。

もっと日常的な言葉で言えば、アイタイダは「一切のこだわりを持たない人間」である。
そんな人間は、よほど修行を積んだ人間と思うかもしれないが、修行等は一切不要である。
何が人間をこだわらせるかと言うと、実はそれは、「頭の中のひとり言」である。
例えば、スマートフォンは絶対にアイフォンでないと駄目だと思っている人の頭の中では、「スマートフォンはアイフォンでなければならない」というひとり言が繰り返されているのである。
頭の中で、「目玉焼きには醤油だ」というひとり言が繰り返されている人の目玉焼きにソースをかけようものなら、激怒されかねない。
科学的研究によれば、頭の中では、1分間に300から1000の言葉がつぶやかれているらしい。
そして、そのつぶやきの大部分が、どうでもいいことや、マイナスの影響のある言葉であり、もし、このつぶやきを消せれば、たちどころに超人になる。
アイタイダの頭の中にひとり言はほとんどなく、彼は本当は超人のはずだ。

頭の中のひとり言を打ち消すには、「大丈夫」などといった言葉を意図的に頭の中でつぶやくと良い。
実際、過酷な状況で打ち勝てる人間について研究をしたら、そんな者達は、頭の中で「大丈夫」等の肯定的な言葉を唱える習慣があったという。
「絶好調」でも「ツイてる」でも「ありがたい」でも、好きな言葉で良い。
そんな言葉を、ずっと唱え続けると、やがて、頭の中の否定的なひとり言は消え、受容性が高まり、アイタイダのように誰にも慕われるようになるに違いない。
まして、あなたはアイタイダと違い、イケメンだったり可愛いのであるから、肯定的な言葉の力は即効性があるかもしれない。
そして、「生命、愛、平和」という言葉を数多く繰り返せば、それは魂に働きかけ、心のひとり言を完全に消滅させると思う。








真の正義はある

「この世に絶対的正義や絶対的悪はない」と言えば非常に格好良いし、何やら真理のようにも思えるが果たしてそうだろうか?
荘子も、「正義といい、悪といっても、それは1つの立場からの見方に過ぎない」と述べている。なにやら賢者っぽい(笑)。
中島敦の『名人伝』の最後で、悟りを開いたような弓の名人も、その境地を表現したのだろうが、「善と悪の違いが分からない」と言う。

そうではない。
簡単に言えば、「運が良くなる生き方、考え方が正義で、運が悪くなる生き方、考え方が悪」だ。
運が悪くて良い、幸運はいらないと言うなら、正義を捨てれば良いが、私は御免である。

フロイトは、人間の精神の中には、自我とは別に超自我というものがあり、悪い事をしようとすると、超自我から、「そんなことをしてはいけない」という警告が来ると述べた。
そして、超自我は、伝統や風習で作られており、民族によって異なると言ったのだと思う。
つまり、正義といい、悪といっても、民族の決まりごとに過ぎないというわけである。
だが、ユングは、倫理観や道徳観は、民族の風習を超えたものである証拠を示し、フロイトも後にはそれを認めたと述べていると思う。
ユングによれば、正義や悪は、もっと深い、人類や万物をつなぐ意識から来ており、動物にすら、何らかの道徳観が見られると言う。

脳科学者の中野信子氏の『脳科学からみた「祈り」』の中に、興味深い記述がある。
簡単に言うと、人間の脳には、善悪を判断する機能があり、それを「社会脳」と呼ぶらしい。
社会脳と言うだけあって、社会性を持った行動が善で、反社会的な行動が悪である。
以下、少し引用する。

誰かに対して怒り・妬み・恐れ・不安といったネガティブな感情を持つと、それが社会的には「あまりよくないこと」であるとされているのを自分の脳はわかっていて、「ストレス物質」であるコルチゾールという物質が分泌されます。
~『脳科学からみた「祈り」』より引用~

コルチゾールが過剰になると、脳内の海馬が萎縮し、記憶力が低下する。

簡単に言えば、社会的であることが善であり、反社会的であることが悪である。
ただ、この「社会的」が、狭い範囲の社会の「社会的」に摩り替えられるのは問題であるし、人間がやり易い間違いがそれなのだ。
その間違いにより、ある社会にとっては善であることが、別の社会にとっては悪になってしまう。
自動車が普及した国、あるいは、自動車会社といった社会では、自動車は善であるが、自動車がない国の一部や、自動車を嫌う人々の社会では、自動車は人間を堕落させ、命も奪う悪ということになるかもしれない。
しかし、自動車は単なる道具であり、使う人によって、良い用途や悪い用途が出来るに過ぎない。
大昔のアニメ『鉄人28号』の主題歌に、
「あるときは正義の味方、あるときは悪魔の手先、いいもわるいもリモコンしだい」
という、何とも当を得た歌詞がある。
鉄人28号という、強力な巨大ロボット自体は、良いも悪いもない、ただの道具だ。
現在のSF小説・アニメの『BEATLESS』で、美少女アンドロイド、レイシアは繰り返し言っていたではないか。
「私は道具です。道具である私には責任は取れません」
「道具である私を、あなたは何に使いますか?」

では、本当の社会性とは何だろう?
難しいことは言うまい。
漫画・アニメ『まちカドまぞく』で、15歳の新米魔族、優子が、初めて魔力を出した時に叫んだ言葉がそれである。
それを聞き、さしもの魔法少女、千代田桃も、心に深い何かを感じた。
その言葉は、「みんなが仲良くなれますように」だった。
そういえば、『BEATLESS』で、アラト(17歳男子)がレイシアに指令した到達すべき未来は、「みんなが信じられる世界」だった。
そこらに、真の正義の鍵があるのだと思う。








無意識に入り込む

ごく単純な言い方をするが、人間は、無意識に入り込めば超人になる。
例えば、トラックの下敷きになった息子を、小柄でひ弱な母親が、その、大の男が数人がかりでも動かせないトラックを1人で持ち上げて救ったようにである。
難病だって、無意識に入り込めば、奇跡的治癒を起こせるかもしれない。
そして、そんなことを自在に行い、「魔法を使って治している」とまで言われたのが、アメリカの精神科医ミルトン・エリクソンだった。
エリクソンは、患者を容易く無意識に導き、患者自ら病気を治させた。
エリクソンが、どうやって、そんなことをしたのかは、彼の死後も研究されてるが、どれほどのことが分かっているのかは疑問だ。
NLP(神経言語プログラミング)という治療法を開発(共同開発)したリチャード・バンドラーも、エリクソンの手法を研究していたようだ。

エリクソンは、まず、自分を無意識に導き、エリクソンの無意識が患者を無意識に導いたのだ。
だが、誰も、自分を無意識に導く方法を、エリクソンに教えた訳ではなさそうだ。
すると、エリクソンは、その方法を自分で見つけたのだということになる。
エリクソンが身につけた能力を解明するヒントは、彼が17歳の時に、ポリオに感染していることだ。
ポリオは、急性灰白髄炎(きゅうせいかいはくずいえん)のことで、ポリオウイルスによって感染し、身体を麻痺させる。
エリクソンは、ポリオに感染して、目玉以外は動かせない状態になった。
この時、エリクソンに起こったことに注目したいと思う。
1つは、ある晩、医師がエリクソンの親に、「彼は朝まで持たない」と言ったが、エリクソンは、「あの窓の夕陽を必ずもう一度見てやる」と思ったことだ。
つまり、前向きに強く決意したのだ。
そして、その他では、エリクソンは目玉しか動かせないので、家の中の人々をただ観察した。
家族を観察し、その声を聴いても、エリクソンには何も出来ない。声をかけることすら。
それは、強制的ではあったが、究極の「なすがまま」の状態だった。
2400年ほど前に荘子が言った、「視線を自然にし、全てをなりゆきにまかせよ」を、長期間、実践したのだ。
そして、エリクソンには、生き伸びるという決意があった。
まとめれば、決意し、後は、なりゆきにまかせたのだ。

なりゆきにまかせるとは、無作為であることで、そんな人間を見ると、ぼーっとしているように見えることだろう。
そして、知恵ある人々の共通の見解は、決意し、ぼーっとすれば、願いは叶うのである。
我々も、何かを決意し、幽霊にでもなったように、なりゆきにまかせて作為をしなければ、無意識の扉が開き、無限、あるいは、真の自己と一致するかもしれない。








醜くても超モテる男の秘密

気に入られないまでも、拒絶されなければ上出来・・・と言われる人物がいる。
物凄く高貴だったり、権力があったりするが、非常に鋭くて、相手の本性を見破ってしまう・・・そんな人物だ。
例えば、イスカンダルのスターシャとか(笑)。
あるいは、歴史的漫画作品『日出処の天子』(山岸凉子著)の厩戸王子(うまやどのおうじ。後世の呼び名は聖徳太子)とか。
まあ、大物というのは、人を見る目があるので、懐に入るのは難しい。
いくらおべっかを使おうが、かえって駄目である。

私も、どうすれば厩戸王子に気に入られるか、本気で考えたことがある。
どう挑もうが、軽く無視されるだけだろうが・・・

また、男にとって、本気で口説きたい女性は、それほどの難物でなければならない。
今は、気安い女性が多過ぎる。

『荘子』に、アイタイダという、超モテる男が登場する。
女であれば、若く美しい娘でも、妾でもいいから側に置いて欲しいと願い、男であれば、誰もが義兄弟になりたがる。
ところが、アイタイダは、最悪の醜男であり、しかも、人に優るところが何もない。
ある国王が、アイタイダの噂を聞き、試しに召抱えてみると、最初こそ、その醜さが目についたが、やがて、どうしようもなく惚れ込み、宰相(首相)の地位を押し付けるほどだった。
だが、アイタイダは黙って消え、国王は国のことを考えることも出来ないほど落胆する。

アイタイダとはどんな人物か?
『荘子』の中で、荘子は、孔子の口を借りて説明する。それはきっと正しい分析なのだろうが、どうでも良い。
要は、アイタイダはぼーっとしている・・・それだけである。
まして、容姿の良いあなたなら、ぼーっとすれば、あの子を落とすなど、何でもない。
ただ、ちょっと考えて分かる程度のことはきちんとしなくてはならない。
それなりの服装をし、礼儀正しく、出来る範囲で良いお店を探しておくなどだ。
後は、ぼーっとしていれば間違いない。
スーフィーの格言で、こんなものがある。
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」








プロフィール
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・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
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