ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

荘子

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

上位の存在との対話

自問自答しておられるだろうか?(笑)
TEDカンファレンスという、世界的に有名な講演会で、アメリカの事業家イーロン・マスクが、対話形式の講演を行ったが、その冒頭で、「なぜ、穴なんか掘ってるの?」と尋ねられ、マスクが「私もよく自問自答しています」と答えたのは、観衆を笑わせるためで、狙い通り笑いを取れたが、私は、マスクが、つい本当のことを言ったように感じられた。
彼は、本当によく自問自答しているのではないだろうか?
しかし、これはおかしな疑問だ。
自問自答しない人間はいない。
問題は、どれほど明確に、どのように自問自答しているかだ。
(イーロン・マスクの「穴を掘る」とは、ロサンゼルスなどの大都市の地下に自動車を自動走行させるトンネルを作り、地上の交通渋滞を解消させる計画のこと)

ジクムント・フロイトは、人間には、自我とは別に、超自我という、自我より上位の自我があり、自我が悪いことをしようと考えると、超自我が「こら、やめろ」と注意したりすると言う。
フロイトは、超自我は後天的に作られるもので、幼い時の家庭教育や伝統や宗教によって作られると言っていたが、カール・グスタフ・ユングは、超自我の存在は認めるが、それは先天的(生まれつき)持っているものであると主張し、フロイトだって、実際はそう思っていると断言した。
超自我が先天的であるという理由は、人々を監察した結果、後天的に作られたと考えると、かなりの矛盾があるからだった。
超自我が、遺伝子に関係することは想像が出来るが、いずれにしろ、超自我は最初からあり、ある意味、道徳的、倫理的であるが、それよりも、やはり自我よりずっと賢い存在なのである。
ソクラテスが、自分の中にいる神と対話したという話があるし、そのようなことをしていたという偉人は少なくない。いや、きっと、優れた人物は、皆、実際は、自分より上位の存在と対話しているのだし、言い換えれば、上位の存在と対話するから優れた人物になれたのである。
量子物理学では、人の心と宇宙の心が交流するものであることを既に解明しているとも聞く。

我々の中にいると言うよりは、自分より上位の心はどこにでもあるのであり、いつでも対話出来るし、実際はいつでも対話している。
賢い人は、疑問をそのままにしておくと、熟した果実が自然に木から落ちてくるように、しかるべき時に答が得られると言うが、上位の存在は、必ずしも即答してくれる訳ではなく、大切なことを教える場合には、適切で効果的なタイミングで教えるので、自ら答を導いたように感じるのである。
科学者が、科学上の疑問を限界まで考えた後、夢で答が与えられたという話がよくあるが、そのような形で教えられることもあるのだろう。
この場合、「一生懸命考えないと神様は教えてくれないよ」というのかというと、そういう面もあるだろうが、やはり、適切で絶妙な教え方をするのが上位の存在なのである。
上位の存在は、おそらく、全知と言えるほど偉大な知恵を持っているのだろう。
荘子は、そのような知恵を知を超えたもの・・・仮に明と言ったが、明の所有者が上位の存在なのであろう。

超自我、神、宇宙の心、上位(高位)の存在、至高者・・・何と呼んでも構わないが、それは確実に存在し、我々の面倒を見てくれる・・・いや、見てくれている。
それは知っておくと良いだろう。









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この本を読めば恐ろしいほどうまくいく

あらゆることに勝つためにお奨めできる本と言われれば、2冊挙げる。

『数霊のメッセージ―内なる神とつながる生き方』(佐々木将人著)
『ヒマラヤ聖者の生活探究』第5巻(ベアード T.スポールディング"著)

なぜ、この2冊かというと、「解るから出来る」である。
例えば、『数霊のメッセージ』では、「アジマリカン」の呪文を唱えよと書かれてある。
それを唱えれば幸せになれると。
それに対して、「どうして?」と尋ねると、「そんなことはどうでも良い。唱えれば幸せになれるのだから唱えよ」である。
そもそも、この本を読んでいて、そんな疑問は出ない。
著者に権威と自信があるからだ。

「なぜ殺してはいけないか?」なんてのが話題になったことがあるが、それって答えるようなことかい?
そんな質問をさせた者の親や教師に権威がなかっただけのことだ。
「知ってる人に会ったら、挨拶しなさい」と子供に言ったところ、子供が「どうして?」と言うなら、あなたはナメられているのである。
そして、ナメられるアンタが悪い。普段がなってないのだから。
「なぜ、挨拶しないといけないか」なんてことを説明された子供はもう駄目だ。
会社でも、「お仲間」としか挨拶をしない若い人が多い・・・と言うか大半である。
きっと、子供の時、「なぜ挨拶しないといけないのか」を説明された者だ。つまり、親、あるいは、周囲の大人に権威がなかった哀れな子である。
そんな者がうまくいくことは、決してない。
アイドルだって、掃除のおばちゃんにもしっかり挨拶する子が成功するのである。

ところで、もっとお奨めできる本があった。
文句なく、掛け値なしにお奨めする。
これを読めば、人生は保証される。若いうちに読んだ者は、特に幸運だ。
それは、矢追純一さんの『矢追純一は宇宙人だった!?』である。
例えば、『荘子』は素晴らしいが、同時に、当時の時代背景の影響を強く受けていることは否めない。
とはいえ、あの時代背景で、あれが書けたことは驚嘆に値するが、それでも、現代に合わないところはやはりある。
だが、矢追さんは、荘子が現代にそのまま出てきたような人である。
荘子は、宗教家でも哲学者でもなく、現実に滅法強いのである。
そして、現実に圧倒的に強いのが、本当の宗教や哲学であるはずなのだ。
矢追さんも現実で最強で、そのコツを余すところなく、誰でも出来るように教えてくれている。
矢追さんは、当時、司法試験で東大を凌ぐ合格率を誇っていた中央大学の看板学部である法学部を出ているが、受験勉強は一切しなかったし、卒業した工業高校はほとんど通っていなかったので、中学の勉強しか知らない。それでも、受験では、「合格と決めた」から当然のように合格通知が来たと言う。
海外ロケでも通訳を使わず、自分でインタビューするが、中学以来、英語の勉強はしていないと言う。そして、それで十分と言う。
なぜそうなるかは、これまでは彼には当たり前過ぎて書かなかったのではないかと思う。
しかし、この本を出した79歳の時には、「そんなことも説明した方がいいのかなあ」とでも思ったのではないかと勝手に思う。
『荘子』を読んで感動しても、矢追さんのようにうまくはいかないし(本当はいくはずだが)、「荘子の真意はこうなのじゃ」と言う先生方の話を聴いたり本を読むと、さらにうまくいかない。
だが、矢追さんの本を読めば全部うまくいく。
そして、この矢追さんの本を読みながら「なんで?」なんて疑問は出ない。
国家や宗教の権威はなくても、矢追さん自体に権威と自信があるからだ。
まるでイエスである。誉め過ぎか?いや、今では、イエスの教えより有益であると思う。









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運命を受け入れるとうまくいく理由

「一切をなりゆきにまかせ、作為を捨てれば、充実した一生を送ることが出来る」と言った荘子だが、では、荘子の著作『荘子』に登場する、一切をなりゆきにまかせて作為をしなかった人達は、どうなっただろうか?
そのうちの1人は、身体がひんまがるような重病になり、苦しみ抜いて死んだ。
だが、彼は、安らかに大往生したとある。
1人は、貧乏のどん底で食べるものもなく飢える。それでも、納得はしていたが・・・
駄目じゃん(笑)。
ただし、荘子が生きた、今から2400年程前の中国は、庶民は権力者に蹂躙され、何の希望もない時代だったことを忘れてはならない。
法然や親鸞の時代も似たようなもので、彼らは、庶民の最後の希望である、「念仏を唱えれば、死んだら極楽浄土に行ける」ことだけを説いたのと同じだ。
しかし、親鸞は、念仏を唱えれば、現世でも幸福になれることを説くようになった(現世利益和讃)。
親鸞は、念仏を唱える以外に、良いことをしようと思ってはならず、また、悪いことをしてしまっても後悔する必要はないと教えた。
まさに、なりゆきにまかせるということだが、そこには、阿弥陀如来への絶対的信頼がある。

実は、イエスも、荘子や親鸞と同じことを説いている。
「神の許しがなければ、どんなことも起こらない。そして、神はあなたを愛しているのだし、あなたが欲しいものなんか、言われなくてもちゃんと解っている。安心しなさい」

言い切ってしまうと、この世は、超高度なコンピューターが作り、動かす仮想世界、シミュレーテッド・リアリティーだ。
だから、基本的運命は完全に決まってる。
しかし、私のようなプログラマーの考えでは、これほど高度なプログラムを作るなら、精妙な柔軟性を持たせないはずがない。
原始的な今日のプログラムさえ、起こる事象が影響を与え合い複雑微妙に連鎖する世界を構築出来るようになってきてるのだから。
世界に身をまかせ、逆らわなければ、適切に対応出来るよう、我々は作られている。
そして、世界に直接働きかけるのではなく、自分自身に作用を与えることによって、世界は動くように出来ている。
毎日、腕振り運動を千回やれば、それに応じて世界の方から動くようにね。
ここらへんも、プログラミングから推測出来るのである。

だが、ある人が、ラマナ・マハルシに「私は世界に身をまかせているが、良いことがない」と言うと、マハルシは、「あなたにはまだ作為がある。本当に身をまかせていない」と答えた。
なりゆきにまかせるとは、決して、怠惰になることでも、厭世(えんせい)的になることでもない。
思いっきり音楽活動をするのが運命ならそれをするし、『バガヴァッド・ギーター』のアルジュナのように、戦争をする運命なら、勇敢に戦う。
あるいは、反戦運動をするのが運命なら、やはりそうするしかないのだ。
ジョージ・ワシントンは、運命に身をゆだねるまでは散々な人生だったが、運命を受け入れ、逆らうことを止めた時に、偉大な人生への道を歩み始めた。
『バガヴァッド・ギーター』は、このシミュレーテッド・リアリティである世界を生きるためのマニュアルなのである。
『荘子』や『歎異抄』は良い参考書のようなものである。









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ラクダを大切に

人生における最高の教えは、荘子の「一切をなりゆきにまかせ作為をするな」だと思う。
しかし、それでは、怠惰、あるいは、虚無的になってしまうのではないかというのが、私の長い間の悩みだった。
荘子、あるいは、老子を称賛する著名人は多いし、竹村健一さんや加島祥造さんら賢い人達は本も書いているが、その肝心な点については、スルーしているように思う。

このことを解決してくれたのが、ラメッシ・バルセカールの『誰がかまうもんか?!』に書かれてあった、たった一言である。
スーフィー(イスラム教神秘主義)の格言か何かだったと思う。
「神を信用しろ。だがラクダはつないでおけ」
だが、バルセカールは、この言葉を取り上げながら、説明はしなかったと思う。
しかし、こういうことだろう。
「一切をなりゆきにまかせ作為をするな。だが、ラクダはつないでおけ」
神様は、あなたの面倒を見るが、あなたのラクダの世話まではしないのだ。

人間は、託されたラクダの数が違う。
数頭のラクダを与えられた者もいれば、イーロン・マスクのような、途方も無い膨大な数のラクダを任された者もいる。
少ないラクダしかもたない人は、大したことは出来ないが、楽ではある。
ある平凡な男が、
「私は世の中で大きなことは何も出来ないかもしれないが、死んで閻魔様の前に出たら、便所の下駄だけはきちんと揃えたと言うつもりだ」
と言った話がある。
この男にとって、ラクダをつなぐことは、便所の下駄を揃えることだ。
ただし、ラクダは一夜でもつなぐのを怠ったら、それで失って終わりになる可能性があるように、この男は、便所の下駄を、ただの一度でも乱したまま放っておいたら、それで終わりかもしれないのだから、それはそれで大変である。

釈迦は、ある国で、7つの繁栄の法を説いた。
それはどれも、ありふれたもので、例えば、「老人を敬え」「先祖を敬え」「立派な人を敬え」「女性を敬え」「ルールを守れ」「独裁はいけない」「皆仲良くしろ」といったもので、それを聞いた立派な人は、「そのうちの1つを守っただけで繁栄は約束される」と言い、釈迦はそれを否定しなかった。
つまり、繁栄の法の1つでも守ることが、ラクダをつなぐことだ。

ラクダをつなぐことは、多少の根気は要るにしても、楽しくて易しい。
ラクダをつないでおけば、後は神の至高の力にまかせておけば良いし、まかせる以外に何も出来ないのだ。
逆に言えば、なりゆきに逆らってはいけない。
これを、『バガヴァッド・ギーター』では、クリシュナはアルジュナに、「自分の義務を果たせ」と言ったのだ。

やりたくもない受験勉強をやらされている場合、それがラクダをつなぐことかとうと、別のラクダをつなぐことがないならそうだろうし、あれば、違うということになる。
ラクダをつないで、なりゆきにまかせれば、なるようになるだろう。
まあ、逃避したってラクダをつないだことにならない。
受験勉強が嫌だからって、ゲームばっかりしたり、つまらない仲間とつまらない付き合いをしたらラクダはどこかに行ってしまう。
だが、誤りに気付き、決意をすれば、ラクダは帰ってくるかもしれない。









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文句を言うな

昨日取り上げた、船井幸雄さんの「現状肯定。過去オール善」、赤塚不二夫さんの「これでいいのだ」は、本当の意味が解る人は少ないと思う。
CLAMPという女性漫画家ユニットが作品中でよく使う、「この世に偶然はない。全て必然である」も同じ意味だが、『カードキャプターさくら』のファンだった小学生(あるいは、それ以下)の女の子達が20代になった今も、まだ全く解らないだろうが、いつか解る日が来るかもしれない。

なぜ解らないのかと言うと、心(自我)は、自分に都合の良い解釈をしたがるからだ。
心は、水晶のような冷徹な判断が出来ないのである。
「この世に偶然はない。全て必然である」なら、自分にとって都合の悪いこと、好ましいと思えないこと・・・早い話が「嫌な出来事」も必然として黙って受け入れるしかないということだ。
荘子はそれを「全てをなりゆきにまかせろ」と言ったのであるが、なりゆきにまかせるも何も、それ以外には何も出来ないのである。
ただ、「なりゆきにまかせる」ことに抵抗する時に、人間は苦しまなければならない。
『バガヴァッド・ギーター』で、アルジュナが「私は戦いたくない」と言って泣き崩れたように。
だが、アルジュナが、自分が戦いたくない理由をいろいろ述べても、クリシュナは「君は小賢しいことを言うが、何も解っていない」と言って、『バガヴァッド・ギーター』全18章の教えをアルジュナに説き、ついにアルジュナは理解する。とはいえ、アルジュナすら、この全18章の教えを必要としたのだ。
私は、IAさんの『Shooting Star』を聴いて、知的にではなく感情的直感的に解った。

身をまかせて 空を見上げ
時を待とう
~『Shooting Star』(作詞・作曲・編曲:KURIS・YUICHI NAKASE。唄:IA)より~
【IA OFFICIAL】Shooting Star / TeddyLoid feat.IA (MUSIC VIDEO) -YouTube-

「これでいいのだ」もいいのだが、もっと良いと思える言葉がある。
それは、「文句を言うな」だ。
私がまだ若い時、雑誌で、誰だったか全く忘れたが、父親からこの言葉をもらい、ずっと覚えていた人の話を見たが、私は、この言葉を忘れられず、ホワイトボードに書き込んだ。しかし、忘れてしまっていたので、いろんな困難に巻き込まれてしまった。

いずれにしろ、
「現状肯定。過去オール善」
「これでいいのだ」
「この世に偶然はない。全て必然である」
「文句を言うな」
どれを聴いても、解った顔をして怠惰になる馬鹿がいるものだが、馬鹿も必要かもしれない。あなたが馬鹿になる必要はないが。
クリシュナがアルジュナに「義務として勇敢に戦え」と言ったように、「現状を肯定し」「これでいいと考え」「これは必然と諦め」「文句を言わず」戦わなければならない。
その中で、『Shooting Star』だけは新感覚である。
歌を作ったTeddyLoidさんは、見かけは怪しいが(中身も怪しいだろうが)、天才だ。
まあ、あの歌も、必然として神が彼に作らせたのである。
私1人のために。
親鸞が「阿弥陀様が念仏を作ったのは、この親鸞1人のためであった」と言ったようにね。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


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