ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

荒野の決闘

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

ウイルスのメッセージの私的解釈

「一蓮托生(いちれんたくしょう)」という言葉自体は知っていても、意味を正確に知らない人が多いかもしれない。
私は、正確どころか、ほとんど解っていなかった。
ちょっと辞書をひけば解るのではあるが、こんな言葉を使うとは思えないのだろう。
意味は、「結果はどうなろうと、行動や運命をともにすること。」だ。
何と良い言葉だろう。
しかも、この言葉の由来が巣晴らしい。
「一連」の蓮は、蓮華、つまり、蓮(はす)の花のことだ。「レンゲソウ」「レンゲの花」と言えば、親しみを感じるかもしれない。仏様が座っているのは蓮華の花の上であり、蓮華は、清らかさや聖性の象徴である。
蓮華は、英語ではロータス・フラワーで、西洋でも、清らかで高貴なイメージのある花であるのは、ギリシャ神話の影響もあるのだと思うが、やはり、神秘的な美を持った花だからだと思う。
そして、浄土系仏教では、念仏を唱えれば、死後、誰でも仏になれるが、「一蓮托生」とは、死後、同じ蓮華の花の上に生まれるという意味でもあり、そんな2人は、大変な強い結び付きのパートナーであることが解る。

1年生になって友達百人出来たとしても、一蓮托生の友など、まずいないだろう。
ちゃらちゃらした「おともだち」なんか百人作って何が嬉しいのだ・・・と言いたくなるのは、あまり良くないかもしれないが。

普通、「お前とは一蓮托生だ」と言ったら、主に深い利害関係を表し、「どちらかがコケたら共倒れだぞ!」と言って、実のところ、「お前、しっかりうまくやって俺に迷惑かけるな」といった本音が見え隠れする(あるいは見え見えである)ことも多いだろう。
ところが、良い場面で、一蓮托生という言葉を聴いた。
アニメ『まちカドまぞく』である。
強力な魔力を持つ魔法少女、千代田桃は、あることで魔力が弱くなり、その原因を作ってしまった魔族の少女、吉田優子に半ば無理矢理に、町を守ることに協力させる。
だが、桃に比べ、優子はあまりに弱いので、桃は優子を鍛えまくろうとする。
優子は、無理に自分を鍛えようとする桃への反発もあって、控え目ながら不満をぶつける。
「あたしだって頑張ります。でも、私達は一蓮托生なんだから、あなたも頑張るべきです」
そう言われた桃は、はっとする。
「なるほど、一蓮托生か・・・その発想はなかった」
それで、見ている私には、桃はよほど嬉しかったのだと思うのである。
2人は、同じ15歳の高校1年生だが、いわゆる「仲良し」ではない。
桃も優子も、他の人に、相手のことを「友達」と言われると、露骨に嫌な顔をする。
だけど、桃の優子への愛は隠しきれないし、優子はちょっと幼いので、そこまでではないとしても、心の中では桃を慕っている。
ところで、男同士の本当の友情は「なかよし」とはほど遠い。
例えば、本物の男の友情を描いた超傑作映画は、『OK牧場の決闘』と『さらば友よ』であると確信するが、この中の、ワイアット・アープとドク・ホリデイ(OK牧場の決闘)、バランとプロップ(さらば友よ)は、お互い相手を徹底的に嫌いで、憎み合っているように見えることすらあるが、究極の状況で友情を見せてしまう。
彼らに、死後、同じロータスの花の上に生まれると言ったら、4人全員激怒するだろう。
しかし、本当の友なのだ。彼らは。
尚、『OK牧場の決闘』は、史実に基くもので、『荒野の決闘』というタイトルのいくつかの映画があり、いずれも名作の誉れ高い。

ところで、桃と優子、ワイアット・アープとドク・ホリデイ、バランとプロップは、どちらかが新型コロナウイルスに感染しても、相手にうつすことはないほど相手に近寄らない。
まあ、なりゆきで触れ合うことはあったし、バランとプロップとなると猛烈に殴りあったが、普段は全くベタベタせず、ツルまず、群れない。
いや、どちらかが感染していて、相手に触れたとしても、ウイルスの方でおとなしくするだろう。
きっと、ウイルスにも意思はある。
私には、ウイルスを使わした者は、人類に、桃と優子のようにあって欲しいのだと思う。













AI書籍、出版します(5月11日)。

難しい理論や数学なしで、誰でもAIを作れるようになることを目指しました。
AIが解るのとそうでないのとでは、これからの世の中、全然違ってくると思います。
キャッチコピーは、「AIは誰でも作れる時代。まずはあなたから」。

西部劇に登場する真の男の姿に学ぶ

人生の知恵はどこから学ぶかというと、1番はやはり仕事であろう。
ただ、人気があって儲かるスポーツ選手やタレントの場合は、本人に余程の謙虚さと節制がないと、むしろ完全に目が眩み、普通の人よりはるかに馬鹿なものだ。実際、彼らの多くが、引退したり、落ち目になってしばらく経った後で、やっとそれに気付くのだ。
また、ニートなら、それは普通の人にはなかなかできないことなのだから、遊び呆けていないで、しっかりニートとして学ばないといけない。その心がけがあれば、一発逆転などわけもない。
私の場合、ニートの間に、人間には心があることを深く学べたと思う。また、毎日、行くところがあることの有り難さもだ。それだけで、世間ではそこそこうまくやれている。
植島啓司さん(宗教人類学者)のように、自分で命懸けでギャンブルをやる人というのは、そこから多くを学ぶのだと思うが、私はギャンブルは一切しない。

ところで、娯楽大活劇というものでしかないはずの西部劇映画には、鋭い学びを得られるものが多いのではないかと思う。
私の場合、最近では、『怒りの荒野』(1967)と『OK牧場の決斗』(1957)の2つが、特に素晴らしかったと感じている。
面白いことに、両方共、主役は2人と言って良い。彼らは、現代日本の作り物で偽者の「いい男」など話にならない本物のナイス・ガイである。
『怒りの荒野』は、イタリアの俳優ジュリアーノ・ジェンマとアメリカのリー・ヴァン・クリーフの競演だ。私は、ジェンマほど格好の良い二枚目男優は、後にも先にもいないと思っているが、クリーフの悪の魅力はそれを上回るほどに感じる。本当によい男は禿げたって全く構わないのだと分かる。
この『怒りの荒野』では、「ガンマン十戒」として有名な、ガンマンとして生き残るための十の教えが出てくる。「人に頼るな」「人を信じるな」から始まるが、私は、第6の「危険な時ほどよく狙え」を実際に、困難な状況でよく思い出し、何度も助けられた。これは、軽い言い方をするなら、「焦るな」「冷静さを失うな」ということになるのだろうが、この「危険な時ほどよく狙え」という言い方は、なんとも素晴らしい表現であると感動する。

『OK牧場の決斗』は、実話を元に制作され、やはり、二枚目俳優のバート・ランカスターと、こちらも二枚目とも言えるが、ややニヒル(暗い影がある様)で硬派な大俳優カーク・ダグラスの共演だ。ランカスター演じる名保安官ワイアット・アープと、ダグラス演じる元歯科医だが身を持ち崩した賭博師でかつ早撃ちガンマンのドク(ドクター)・ホリデイ(ジョン・ホリデイ)の奇妙な男の友情も良いものだった。尚、ダグラスは96歳の今も現役俳優で健康であるらしい。
『OK牧場の決斗』は、学びの宝庫だ。
この映画のスタージェス監督は、映画の出来が不満で続編の『墓石と決闘』(出演俳優は変わっている)を創ったといった話があるが、私は、勝手なことを言うと、それは違うと思う。両方の映画を見て感じたのは、スタージェスはものごとの異なる面の中での男の友情を描きたかったのではなかったのかと思う。『OK牧場の決斗』では、アープ兄弟とドク・ホリデイがクラントン一家との決闘で勝利してハッピーエンドで終った感があるが、『墓石と決闘』では、アープやホリデイが、クラントン一家殺害の罪で裁判にかけられるところから始まる。すでに立派な法治国家であったアメリカでは、どんな理由があろうと、決闘なんてものが認められるはずがないのである。『墓石と決闘』では、こういった現実面が前面に出てくる。
先にも述べた通り、『OK牧場の決斗』は、学ぶ処は多いが、いくつか取り上げる。
ホリデイはプロの賭博師で、街から街に渡り歩く際も、(実際はそうはいかないかもしれないが)荷物は、今着ている洒落た服と、内ポケットに入れたカードだけだ。
ホリデイが初めてアープに、賭けに乗ることを誘いかけた時、当然、お堅い保安官のアープは断る。ホリデイは「俺に投資しろ」と言ったのだが、これほどの悪名高い賭博師がそう言うからには、危険な賭けに乗れという意味しかない。アープでなくても、応じる方がおかしい。
しかし、アープは、ホリデイの自信満々な態度に魅かれたのではないかと思う。アープは、自分で、「馬鹿もいろいろやったが、これほどのはなかった」と言いながら、なぜかホリデイの申し出に乗ってしまう。これには、ホリデイも少々面喰った感もあった。そこには、男の友情も始まっていたのだろう。
アープはホリデイに「なぜ負けないと言えるのだ?」と問うと、ホリデイは「負けるはずがない」と言う。
その理由が良いのだ。
それを、2種類の字幕で見たが、「負けるのは命が惜しいやつだ」と「勝つことに目の色を変えるやつが負けるのだ」だった。
これほど人生の真理を表す言葉もないだろう。
ホリデイは、「俺は失うものは何もないし、命も惜しくない。だから負けないのだ」と言う。私は、これぞ男だと感激してしまった。
男に限らないかもしれないが、捨て身の人間ほど恐いものはない。
無論、いかに捨て身でも、実力がなければさほどのことはない。
「窮鼠(きゅうそ。追い詰められたねずみ)猫を噛(か)む」と言っても、勝つか負けるかというと、鼠はやはり負けるのだ。
だが、ホリデイは、1人でいる時も、いつもカードを手にして真剣に動かして腕を磨いていたのだ。自分の努力で、鼠でなくなることが必要だ。
我々も、こうでないといけない。
誰かが、インドの聖者ラマナ・マハルシに、「私は、時々、バガヴァッド・ギーターを読むべきでしょうか?」と尋ねると、マハルシが「いつもがよい」と答えたのが印象的だ。
「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎が、「念仏を唱えるなら、生活しながら念仏するようでは駄目だ。念仏しながら生活しなければならない。生活しながら静坐するようではいけない。静坐しながら生活しなさい」と述べたのも、それに通ずるように感じる。
この心がけを持つ限り、私は一生豊かで、傷付くこともない。あなたもそうあるように。

尚、『OK牧場の決斗』と同じ、ワイアット・アープとドク・ホリデイの物語を映画にしたものは、1946年のジョン・フォード監督の屈指の名作(『駅馬車』と並ぶほどと言われる)の『荒野の決闘』(My Darling Clementine)がある。
実は私は、10年近く前、あるプロのイラストレーターのサイトで、そのイラストレーターがこの映画を大絶賛するのを見て、この映画のDVDを購入していたが、なんと、いまだ見ていない。
ただ、ディスクから発する最高の波動は感じていたので、10年近くも、いつも身近に置いていた。この映画が『OK牧場の決闘』だということも、直感だけで分かっていた。それは普通の人から見れば超感覚的知覚、いわゆる、超能力かもしれない。見るべき時期まで必然的に見なかったのだろう。いよいよ、今日見るつもりである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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