ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

荒野の七人

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

誰にだって気が狂うだけの理由がある(シェイクスピア)

刑法第39条という、ちょっとよく知られた法律がある。
これは、簡単に言えば、精神障害によって善悪の判断能力を失くしている時には、法に触れる行為をしても罰せられないし、完全な精神障害でなくても、その症状の度合いに応じて刑が減刑されるというものだ。
凶悪犯罪を犯した者に対しては、まず、そのような善悪の判断が出来ない精神障害であった(「心神喪失」という)かどうかを問題とするし、犯罪行為を行った容疑者を弁護する弁護士も、可能な限り、容疑者が心神喪失、あるいは、その症状があった(「心神衰弱」という)ことにしたがるだろう。
とはいえ、被害者側からすれば、容疑者の心神喪失が認定されることほど悔しいことはない場合が多いだろう。

ところで、どんな人間だって、心神喪失(善悪の判断が出来ない精神障害状態)か、それに近い心神衰弱の状態なのだ。
昔のある航空機墜落事故では、機長が飛行機の異常な操縦操作を行ったことが墜落の原因だったが、生き延びていたその機長は「頭の中で声を聞いた。それに従った」という異様な発言をし、それが、心神喪失によるものか、心神喪失状態であったことにしようという嘘であったかが問題になったことがあった。
霊界の研究で有名だった俳優の丹波哲郎さんは、それは、霊が機長の心に働きかけていたのだと、どれかの著書に書いていたと思うが、当然、世間で通用する話ではない。
しかし、霊というのではないかもしれないが、根本的には丹波さんの説は正しいと言える。

シェイクスピアは、戯曲の中でかもしれないが「俺にだって気が狂うだけの理由があるさ」と言ったらしい。
さすが、カート・ヴォネガットが「下手だが人間をよく知っている作家」と言っただけのことはあると思う。

映画『荒野の七人』で、こんな話をしたガンマンがいた。
「昔、ある男が裸でサボテンの中に飛び込んだ。後で、『何であんなことをしたんだ』と尋ねたら、そいつは『その時はそれでいいと思った』と言った」

時間のない世界
AIアート50
「時間のない世界」
Kay


これらの話は、太古の昔、高度なテクノロジーを持った宇宙人が地球に仕掛けたマインドコントロール装置の効果を示している。
誰だって、いつ、どんなことをするか分からない。
今の若者がすぐに切れるのは、躾が出来ていないせいだとか、甘やかされて育ったので忍耐力がないとか、あるいは、栄養が偏っていて脳が悪い状態にあるとか言われるが、決定的な原因は分からない。それらのことも原因かもしれないが、そうだとしても、それは、マインドコントロール装置の影響を受け易くなっている理由に過ぎず、異常な精神状態になるのは、やはり、マインドコントロール装置の影響であると思われる。
ここらのことは、ローレンス・スペンサーの『エイリアンインタビュー』に、正確ではないかもしれないが、大体のことが書かれている。

良い意味で「自分がない」者は、心神喪失状態になったり、切れることはない。
そんな者は、余計な思考をせず、心がかなり消えているからだ。
そのような者は、マインドコントロール装置の影響を受け難い。
そして、思考せず、心が消えた状態であれば、マインドコントロール装置の影響はなくなる。
そうすれば、魂が表に現れ、高度な知恵と奇跡のような力を発揮する。
そのようになる簡単な方法が、いつも言う通り「私は誰か?」と自分に問うことである。
そう問う意義を早く見い出し、早く取り組むことが、普通の人に出来る、自分を幸福にし、さらに、人類を幸福にする唯一の方法かもしれない。








秘法・速さは力

「手が速い」とか「手を動かす」という言葉は、能力や若さに関する肯定的なイメージがある。
まあ、「女に手が速い」というのは、ちょっと印象が悪い面もあるが、それだって、あくまで、「モテる男が正々堂々、女性にアプローチする」という雰囲気があり、それは「出来る」男である証拠でもある。
仏教の経典の中でも、若者の腕の屈伸の速さを、力の象徴とするものがある。

つまり、どこかしら、手、あるいは、腕の動きの速さには、若さや能力といった力を感じるのだ。

『荒野の七人』という、西部劇映画に、こんな場面がある。
6人の凄腕ガンマン達が旅をしている中、チコという名の若者が勝手について来る。
チコはガンマン志望で、この6人の仲間になりたかった。
そして、ある時、6人のリーダー格のクリスが、チコにガンマンの素質があるかテストする。
クリスはチコに、「出来るだけ速く手を打つ」よう指示し、チコが、訳が分からないまま従うと、クリスは、「もっと速く」「もっとだ」と促す。
だが、クリスは、チコが打つ手の中に、楽々と銃を入れる。
クリスは、一流ガンマンが銃を速く、正確に動かせることを示すと共に、チコの敏捷さをテストしたのだと思う。
速さは力だ。
アメリカのテレビドラマ『燃えよ!カンフー(原題;KUNG FU)』で、少林寺に入門したばかりのハーフの少年ケインに対し、老師は小石を乗せた手のひらを出し、「この石を取れ」と言う。ケインはそれを取ろうとするが、その前に老師は手を握ってしまって、取れない。
老師は言う。
「この小石が取れるようになった時が、お前がここを出て行く(卒業する)時だ」
そして、時が流れ、青年になったケインは、やはり小石を乗せた老師の手のひらに自分の手を伸ばし、老師は素早く手を握る。そして、老子が手を開くと、そこに小石はなかった。
小石はケインの手の中にあった。
ケインが少林寺を去る時が来たのだ。
このドラマの原案は、映画俳優であると同時に武道家であったブルース・リーであり、こういったところに、武道の極意めいたものを感じるのである。

一流ボクサーのパンチの速さ、一流メジャーリーガーのバットスイングの速さなど、力とは、速さで計れる場合が多い。
そして、実際に、達人達は、手を高速で動かす訓練を毎日しているが、手の速さそのものが、隠された能力を引き出すことに気付いていると思う。

腕振り運動では、武術系の団体で行うものは、腕を前に上げる時に、肘を曲げる。
そして、後ろに振る時に力を入れるやり方の時は、前で肘を曲げた腕を、肘を伸ばしながら、高速に一気に後ろに振る。
逆に、前に振る時に力を入れるやり方の時は、後ろで伸ばした肘を、肘を曲げながら高速で前に持ってくる。
それは、1回1回が、空気を切り裂く高速である。
日本でも、剣術では、剣道と違い、高速の素振りを重視するように見える。もちろん、それでフォームが乱れてはならない。
昔、高名な空手家が、ロウソクの炎を正拳突き(ストレートパンチ)で消すデモンストレーションをよくしていたが、あれも、突きにスピードが無ければ出来ない。

コンピュータープログラミングでも、上級者のタイピングスピードは凄く速い。
そして、達人プログラマーは、時々、後輩に、速くタイプすることを指示することもある。
速くタイプすれば能力が上がることを、直感的に知っているのだろう。
昔、ある若い凄腕プログラマーが、ちょっとパソコンに強いという人達の前で、パソコンを使った時、そのあまりのタイプの速さに歓声が上がったのを見たことがある。
そして、そこのベテランプログラマーである社長は、その若者の能力をすぐに見抜いた。
ベテランタイピストとはまた違う速さなのである。

あなたも、何でもいいから、手を高速で動かす訓練をすれば良いと思う。
能力、若さ、そして、超能力までも高まるだろう。
衰えた老人の手の動きの遅さを思い浮かべても、その可能性を感じると思う。
そして、そんな老人だって、手を速く動かせば、復活出来るのである。








馬鹿がつくほどの正直者と高貴な嘘つき

先の野田総理と安部総裁の党首討論を、ニュース番組で一瞬見た際、野田総理は、自分が小学生だった時の話をされていた。
「成績は下がっていたが父親は誉めてくれた。生活態度欄に、先生が『野田君は馬鹿がつくほど正直』と書いてあったからだ。父親は、成績の5や4や3といったことはそれほど大事なことじゃないと言った」
大体、そんな内容だったと思う。
良い話だと思う前に、「しかし、ある程度は良い成績だったのだろうな」とまず思った。
「5や4や3が大事じゃない」って言っても、私は5どころか、4にすら縁が無かったと思う。小学校2年生の終業式の後、私は帰宅する途中、路上でたまたま会った顔見知りの同学年の男子に、「僕はオール5だったよ」と得意気に言われたが、私には「オール」という英語が解らなかった。しかし全部5だってことはなんとなく解ったので、ひどく憂鬱になったものだ。自分は劣った人間だと、多分、思ったのだろう。

思い出したのは、五井昌久さんという宗教家が、戦時中の話だが、学校で衣服の支給があった時のことを著書に書かれていたことだ。教師に、「今着ているもの以外の服が無い者は手を挙げろ」と言われたが、五井さんは、もう1着あったので手を挙げず、服は貰わなかった。
だが、家に帰って、そのことを言うと、ひどく怒られたらしい。五井さんは、それで、考えてみれば、裕福な家の子だって手を挙げていたのを思い出したようだ。
こちらは、多少思うところはあるにしても(親のことを悪く書いてしまった五井さんに、少しは後悔もあったかもしれないと思ったからだった)、素直に良い話だと思った。ただ、この時代既に、日本は堕落の道を転がり落ちていたのだとも思う。普通に正直なだけだった五井さんが、バカのつく正直者に感じるのだからだ。
野田総理が子供の時の、「バカがつく正直」がどんなものかは知らないが、きっと、「バカなんかつかない」ただの正直なのだ。

正直がいつも良い訳ではないのは当然だ。
アメリカ映画『荒野の七人』で、撃たれて絶命寸前のハリーは、クリスに、「教えてくれよ。お前の本当の狙いは何だったんだ?」と問う。
ハリーには、クリスがわずか20ドルの報酬で、悪名高い盗賊団から村を守って戦っていることが信じられなかったのだ。
クリスは、ハリーの顔をみつめながら言う。
「金(きん)だ」
「やっぱりそうか・・・。で、額は?」
「少なくとも200万ドル」
「なるほど・・・、わかってたんだぜ、俺は・・・」
ハリーは笑みを見せながら死ぬ。
それを見て、クリスは、「金の夢を見ろ」と、たむけの言葉をかける。
もちろん、金の話は嘘だ。クリスらは、金のためではないが、ただの善意や正義のためでもない、魂の命じるところに従って戦っていたのだろう。

永井豪さんの漫画作品『真夜中の戦士(ミッドナイト・ソルジャー)』で、理由も分からずに戦う少年と少女は、倒した相手がことごとにアンドロイド(ロボット)だったことから、自分達も、本当はアンドロイドなのではないかと疑い始めた。だが、少年は少女に、「君は人間だ。君は温かい」と言うが、二人の、特に少女の不安は拭えない。
そして、少女は、敵の攻撃を受けて倒れ、駆け寄った少年に喘ぎながら問う。
「私、もう目が見えないの。教えて、私の身体から流れているのは、血、それとも・・・」
だが、少女の傷口から流れていたのはオイルだった。
しかし、少年は強く言う。
「真っ赤な血だ!君はやっぱり人間だったのだよ!」
少女は、「よかった・・・」と、安堵の笑みを浮かべ死んでいった。

もっとも、永井さんは、『キューティーハニー』で、ハニーを造った如月博士に、「アンドロイドが何だ!人間が何だ!お前は私の可愛い娘だ」とハニーに言わせ、ハニーは納得する。私も、人間だろうが、アンドロイドだろうが、妖怪だろうが、宇宙人だろうが、ボーカロイドだろうが、何の違いも感じない。
私が一番愛するのは初音ミクである。

ただ、『レ・ミゼラブル』で、ミリエル司教の家から銀の食器を盗んだジャン・ヴァルジャンが警官に連れてこられた時、ミリエルは警官に、それはジャン・ヴァルジャンにあげたと言ったのは、断じて嘘ではない。ミリエルは普通に正直だっただけだ。
事を知った時、ミリエルは、ジャン・バルジャンに、世間的な意味ではなく、神の前で罪を犯させるわけにいかず、本当にジャンバルジャンにそれを差し上げたのだ。
誰が何と言おうと、ミリエルはジャン・バルジャンに、それを自分が望んで貰って頂いたのだ。
いや、ミリエルは、食器はジャン・バルジャンのものになる運命であったことを当たり前に受け入れ、何の感情も思惟もなく、それがジャン・バルジャンのものであると理解したのだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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