イエス・キリストは旧約聖書を深く理解していたが、普通の人にまでこれを読めと言ったり、その内容を教えることはなかった。
一般庶民には、ただ、モーセの十戒を守るようにと言った。
即ち、盗むな、殺すな、偽証するな、姦淫するな、父母を敬え・・・等、人として基本的なことである。
これらは道徳と言えるが、イエスに、「掟の中で一番重要なものは?」と聞かれたら、「神を愛せよ」だと言った。
これは、道徳ではなく、良心に従えということだ。
道徳とは、伝統やしきたりである。
だが、C.G.ユングもまた、良心は、道徳とは異なり、時によっては、道徳に逆らうこともあると言っている。
ユングは、良心とは、やはり、神の声だと言うのである。
イエスは、旧約聖書を独学したのではなく、優れた教育で訓練されたとする説もある。
だが、本当のところは分からない。
しかし、まず、普通の人が福音書をしっかり自分のものにしようと思ったら、少なくとも10年、旧約聖書なら20年から30年はかかると思う。
そんなことをするよりも、まず、少ない教えをしっかりと守るのが良いのだし、その少しの教えすら、完全に守るのは難しいのである。
だが、少しの教えであっても、優れた教えであれば、それをほとんど完全に守るなら、人間は宇宙の理に従って生きているのであり、それは、流れに乗って泳ぐようなもので、ほとんどの苦労はなくなる。
嘘か本当か分からない膨大なことを学んだ者より、少ししか知らないが、確実に理解している者の方がずっと賢いのである。
知識ばかり詰め込んで大学を出た者は馬鹿だが、小学校の内容を、自分で確かめて理解した者の方がはるかに能力が高いのである。
日本の『古事記』は、少しの易しい教えも学べると同時に、深遠な英知にまで至ることの出来る、世界でも稀な宝典だ。
まず、女の方から男を誘ってはいけないとか、いかに愛しくても、死んだ人に執着してはいけないといった、簡単だが重要なことを学べる。
穢れたなら禊をすべきこと、疑いすぎてもいけないが、あまりに甘やかしてもいけないことも述べられている。
役目を終えたなら、その成果に寄りかからず、さっさと引退すべきことも教えられる。
そして、読み手が進歩したなら、それに応じて深い英知も学べるのだ。
まさに、子供から大人まで、一生学べる至高の聖典である。
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一般庶民には、ただ、モーセの十戒を守るようにと言った。
即ち、盗むな、殺すな、偽証するな、姦淫するな、父母を敬え・・・等、人として基本的なことである。
これらは道徳と言えるが、イエスに、「掟の中で一番重要なものは?」と聞かれたら、「神を愛せよ」だと言った。
これは、道徳ではなく、良心に従えということだ。
道徳とは、伝統やしきたりである。
だが、C.G.ユングもまた、良心は、道徳とは異なり、時によっては、道徳に逆らうこともあると言っている。
ユングは、良心とは、やはり、神の声だと言うのである。
イエスは、旧約聖書を独学したのではなく、優れた教育で訓練されたとする説もある。
だが、本当のところは分からない。
しかし、まず、普通の人が福音書をしっかり自分のものにしようと思ったら、少なくとも10年、旧約聖書なら20年から30年はかかると思う。
そんなことをするよりも、まず、少ない教えをしっかりと守るのが良いのだし、その少しの教えすら、完全に守るのは難しいのである。
だが、少しの教えであっても、優れた教えであれば、それをほとんど完全に守るなら、人間は宇宙の理に従って生きているのであり、それは、流れに乗って泳ぐようなもので、ほとんどの苦労はなくなる。
嘘か本当か分からない膨大なことを学んだ者より、少ししか知らないが、確実に理解している者の方がずっと賢いのである。
知識ばかり詰め込んで大学を出た者は馬鹿だが、小学校の内容を、自分で確かめて理解した者の方がはるかに能力が高いのである。
日本の『古事記』は、少しの易しい教えも学べると同時に、深遠な英知にまで至ることの出来る、世界でも稀な宝典だ。
まず、女の方から男を誘ってはいけないとか、いかに愛しくても、死んだ人に執着してはいけないといった、簡単だが重要なことを学べる。
穢れたなら禊をすべきこと、疑いすぎてもいけないが、あまりに甘やかしてもいけないことも述べられている。
役目を終えたなら、その成果に寄りかからず、さっさと引退すべきことも教えられる。
そして、読み手が進歩したなら、それに応じて深い英知も学べるのだ。
まさに、子供から大人まで、一生学べる至高の聖典である。
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