ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

良心

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

人間最大の力

映画や小説で、最強の敵に挑むスーパーヒーローが勝利した場合、視聴者や読者を納得させるのは、スーパーヒーローが凡人として戦った場合だけだ。
スーパーヒーローが、その超人の能力でラスボス(ラストボス。最後の最大の敵)を倒しても、嘘っぽいだけだ。
その典型が、SFテレビドラマの『スター・トレック(日本では、「宇宙大作戦」のタイトルで放送)』で、勝利するカーク船長は、いつも平凡なおじさんだった。

1960年代前半のSF漫画・アニメ『8(エイト)マン』の続編で、2000年代前半のSF漫画『8マン インフィニティ』で、8マン・ネオの最大の敵、8マン・シャドウが言う。
「戦いを決めるのは、速さでも火力でもない。意思の強さだ」
その通りだが、これでは解り難い。
なぜ解り難いのかというと、「強い意思」とは何かを、我々は知らないからだ。
強い意思とは、強い欲望、強い執着ではない。
強い意思とは、純粋な心だ。
普通の人間の心は、例えて言うなら、黒鉛(グラファイト)のようなもので、非常に脆い。しかし、黒鉛が脆いのは、不純物が混じっているからで、純粋な黒鉛は理論的にダイヤモンドより硬い。
忘我、没我になった人間が、火事場の馬鹿力を発揮するように、心が純粋になれば無敵である。

大勝負をする者に対し、「リラックスしろ」とアドバイスすることがよくある。
これは、「余計なことを考えるな」「なるべく欲望を捨てろ」ということである。
よって、欲望を持ったままではリラックス出来ないのである。

では、どうやれば、心を純化出来るのだろう。
真実を言えば、「愛を持てば」であるが、人間には愛は難しい。
そこで、「良心を持てば」、カーク船長くらいの活躍は出来るのである。
カーク船長を動かしているのは、単純に、良心なのだからだ。
それ以外にないことは、少し考えれば解ることだ。
良心というのは、称賛を求めて剣を振るうことではない。
英雄気取りで犠牲になることでもない。
真の勇気やヒロイズムには、欲望がない。

「良心だけでは駄目で、力や交渉能力も必要だ」と言われるかもしれない。
だが、時代劇小説『木枯し紋次郎』で、愚かな武士が、一人の町人に、不注意で身体か物をぶつけられたことに腹を立てて手討ちにしようとした時、その町人の主人である少女が、その武士の前に座り、「それで気が済むなら私を切って下さい」と言い、武士は「それなら」と刀を振り上げる。
だが、少女の静かな態度の前に、その武士は怖気づき逃げるように去る。
巨大な利害が絡む取り引きでは、多少の駆け引きも必要かもしれないが、大抵の争いは、意思の強さ、心の純粋さ、真の良心で決まる。
もし、限りなく心が純粋であれば、いかに大きな問題も問題でなくなる。
逆に言えば、どんなテクニックを持とうが、心が不純で意思が弱く、良心が無ければ弱いのである。
Googleの理念が「邪悪になるな」であるらしいが、なるほどと思う。
良心を磨けば強くなれる・・・愚か者が笑うこのことが真実である。









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本当に親切な人

世間の善人は、小の付く善人、つまり、小善人だ。
小善人なんて正式な言葉は無いのかもしれない。
小善人とは、善人の仮面を被った小悪人で、小悪人もまた、正式には存在しない言葉だ。

小善人は、自分が損をしない、傷付かないために、人目のあるところだけで機械的に善いことをするのである。
見返りのある相手には献身的に親切にするが、親切にしても何の得にもならない相手には冷たい。
小善人は、人の目があるところでは、世の中の不幸に関心があるフリをするが、本当は自分にしか関心がなく、自分や家族以外には無関心だ。
「それが人間ってやつだ」という声も聴こえてきそうだが、そうではない。
そんなのは、賎しい小善人である。

だが、これからの世界では、良心を育てた、善意のある、本当に親切な人しか生きられない。
「運を良くする方法」なんて言ったところで、運命の女神が好きなのは、本当に親切な人なのだ。
あまりに単純で、あまりに当たり前のことであるが、おそらく、これが真実だ。

良心を育てるためには、少々、厳しい修行をしなくてはならない。
とはいえ、当たり前のことをすれば良い。
経営者の使命とは、立派な会社を作ることではなく、社員の生活を保障することだ。
プロレスラーのジャイアント馬場さんは、全日本プロレスの社長でもあったが、著書に、「俺の自慢は、赤字続きで苦しかった時でも、レスラー達へのギャラの支払い遅延を一度も起こさなかったこと」と書かれていたが、それが彼の本当の良心だ。
経営者というのは、選ばれた人間だ。だから、良心も大きくなければならない。

普通の人が良心を育てるために守るべき掟は「弱い者いじめをしない」であり、これは、子供のうちに絶対に教えなければならない。
だが、今は、それを教えてもらえず、親も弱い者いじめに精を出す者ばかりなので、世の中には、弱い者いじめが蔓延している。
さらに、優れた人になるためには、「弱きを助ける」ことが必要だ。
これには力が要るので、力を持たなければならない。

力のある人、幸運な人になるには、自分の内にある良心を、自分で引き出さなければならない。
小善人にとっては、何ともやりたくないことであるが、それしか強くなる道はない。
意図的に損をしなければならないからだ。
簡単に満たせる欲望を手放さなければならないからである。
逆に言えば、それが本当に善いことで、良心を育てることであるなら、あえて損をし、欲望を手放すことだ。
具体的なことは、自分で考えるしかなく、誰も教えてはくれない。
だが、少しも難しいことではない。
ただ、自分で考えようとしない者には難しいというだけのことだ。









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聖人の気高い行いに涙する者は偽善者である

「Aさんは無責任だ」と言う人で、Aさんと同じくらい無責任でない者は絶対にいない。
「Bさんは傲慢だ」と言う人は、万に一つの例外なく、Bさんと同等に傲慢だ。
それどころか、非難する度に、その欠点は大きくなる。
「C君は思いやりが無いね」といつも言う教師は、間違いなく、C君よりも思いやりがない。

傲慢、無責任といった欠点を感じる相手に対してどうすれば良いのだろう?
ただ大目に見ることだ。
「そんなことを言っていたら、教育や指導ができないではないか?」
と言うなら、そんなものしなくて良いと言っておく。
神を恐れよと言いたい。
相手と同じ欠点を持つ者が、どんな指導をしようというのだ?
教育ってのは、生きていくために必要な技術やルールを教えることであり、無責任を矯正する教育など、この世にも、どこの世にもないのだ。
良識は世界が教えてくれる。
良識がないと、悪いことばかり起こって苦しむだろう?
だが、良い教師は、そこにいるだけで苦しみを克服するための手助けができるのだ。

最近、「僕は何をやっても駄目なんです」と言われることがよくある。
そんな時、私は思うのだ。
「意気地がないな」
それは、自分に対してである。
教育というのではないが、そんな相手には何を言えば良いだろう?
アメリカの自己啓発プログラムでは、「あなたは本当は素晴らしい」とか言うのだろう。
逆効果も甚だしいことだ。
自分が駄目だと思っている相手には、
「君は少しも駄目じゃない。自分でそう思っているだけだ」
とだけ言ってやれば良い。

私は言われることはないが、「君は優秀だな」と言ってくる者がいたら、何か魂胆がある・・・とまでは言わないが(言ってるも同然だが)、まともな評価ではないから喜ばない方が良い。
本当に優れていると思っている相手に対しては、畏怖してしまって、そんなことは言えないものだよ。

相手の美点を無理に見る必要はない。
まして、相手の良いところを見つけようなんて寝言をほざく気は毛頭ない。
それほど馬鹿げたことはない。
同じ美点を持っていない限り、相手からそれを感じることは決してない。
純粋に、「あの人は優しいなあ」と思う者は、もうすでに同じくらい優しいのだ。
本当のことを言うと、誰でも全ての美点は最初から持っている。
しかし、他人の良いところを見ようなんて者は、人間の優れた性質に違和感を感じているのだ。
そんな人にとっては、良心というものが、変な色の傘のように、単に珍しいのだ。
人間の内に秘められた美しさを自然に感じられるなら、それをことさら問題にしないはずだ。
聖人の気高い行為に涙する者は、やっぱり偽善者だ。
その手の話に涙もろい私が言うのだから間違いないだろう。
聖者にとって聖者の行いは、水が高いところから低いところに流れるように自然なことなのだ。
そして、本物の聖者は、高貴な行いを笑う者のことは、そのまま受け入れるし、未熟な賢者であっても、愚か者を大目に見るのである。









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古事記は読み手を選ばない

イエス・キリストは旧約聖書を深く理解していたが、普通の人にまでこれを読めと言ったり、その内容を教えることはなかった。
一般庶民には、ただ、モーセの十戒を守るようにと言った。
即ち、盗むな、殺すな、偽証するな、姦淫するな、父母を敬え・・・等、人として基本的なことである。
これらは道徳と言えるが、イエスに、「掟の中で一番重要なものは?」と聞かれたら、「神を愛せよ」だと言った。
これは、道徳ではなく、良心に従えということだ。
道徳とは、伝統やしきたりである。
だが、C.G.ユングもまた、良心は、道徳とは異なり、時によっては、道徳に逆らうこともあると言っている。
ユングは、良心とは、やはり、神の声だと言うのである。

イエスは、旧約聖書を独学したのではなく、優れた教育で訓練されたとする説もある。
だが、本当のところは分からない。
しかし、まず、普通の人が福音書をしっかり自分のものにしようと思ったら、少なくとも10年、旧約聖書なら20年から30年はかかると思う。
そんなことをするよりも、まず、少ない教えをしっかりと守るのが良いのだし、その少しの教えすら、完全に守るのは難しいのである。

だが、少しの教えであっても、優れた教えであれば、それをほとんど完全に守るなら、人間は宇宙の理に従って生きているのであり、それは、流れに乗って泳ぐようなもので、ほとんどの苦労はなくなる。
嘘か本当か分からない膨大なことを学んだ者より、少ししか知らないが、確実に理解している者の方がずっと賢いのである。
知識ばかり詰め込んで大学を出た者は馬鹿だが、小学校の内容を、自分で確かめて理解した者の方がはるかに能力が高いのである。

日本の『古事記』は、少しの易しい教えも学べると同時に、深遠な英知にまで至ることの出来る、世界でも稀な宝典だ。
まず、女の方から男を誘ってはいけないとか、いかに愛しくても、死んだ人に執着してはいけないといった、簡単だが重要なことを学べる。
穢れたなら禊をすべきこと、疑いすぎてもいけないが、あまりに甘やかしてもいけないことも述べられている。
役目を終えたなら、その成果に寄りかからず、さっさと引退すべきことも教えられる。
そして、読み手が進歩したなら、それに応じて深い英知も学べるのだ。
まさに、子供から大人まで、一生学べる至高の聖典である。









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人間だけが老化しないようになれる

私はかつて、DNA(デオキシリボ核酸)による遺伝子情報の解明により、生命の謎が解けたように思い込んでいたことがあったが、実際は、それにより、生命の謎はさらに深まったと言うべきだろう。
遺伝子は生命体の設計図のようなものだが、人間だって設計図くらい書く。しかし、そこに置いておいた設計図から、勝手に機械や電子回路や建築物ができたりしない。なぜ生命体が成長するかに関する全ての説は単なる空想だと思う。
成長だけではない。
生きている生命体なら形を保つが、生命が去ると、腐敗し朽ち果てる。
成長と維持には生命という不可思議なものが関わることが分かるが、物質的な思考では、生命を全く理解できない。

人間も他の生物も老化するが、人間だけは老化を支配する可能性がある。
世間は、普通の長寿については注目し、賞賛するが、世間の常識に合わない長寿・・・たとえば、全く老化しないとか、不死であるといったものを認識することはない。
だから、世間には不老不死は存在しないし、世間的な人間にとってはも、やはりそんなものは無いのだろう。
だが、明治時代の長南年恵(おさなみとしえ)のように、43歳で亡くなるまで少女のような容姿であったという人もいたらしい。彼女は、別に老化で死んだのではなく、必要だったので、あの世に行っただけだろう。
実際、知られていないだけで、不老不死といったことは、よくあるのだろうと思う。
そして、動物には、そのような極端なことは起こらない。

人間と動物の違いは何かというと、頭脳の発達ということになるが、もっと注目すべきは、頭脳を発達させたものである。
人間は3万年くらい前から急激に知能を発達させたが、脳の容量自体は20万年ほど前から変わらず、むしろ、古代の方が大きかったようだ。
動物や古代の人類と、現代の人類の最大の、もっと根本的な違いは何だろう?
道徳と言うなら、それは動物にだって明らかにあることは、『シートン動物記』の、特に狼王ロボの話を読めば分かるし、動物にもある種の道徳があることは、C.G.ユングもはっきりと認めている。
では、本当に人間固有のものは何かというと、良心なのである。
道徳は、伝統やしきたりであり、記憶から生じるものだ。
しかし、良心は、心を超えた魂から、あるいは、聖霊や神からのものだとしか言えない。
良心は、本能や道徳に逆らうことも少なくはない。
そして、良心のレベルは、本能や道徳と比較にならない。
人間は、良心を目覚めさせるほどに、生命の根源に近付き、肉体を含め、物質に対する支配力を高めるということが、古代からの賢者達の共通する直覚と言って良いと思う。
良心とは何か、どうすればそれを心の奥底から掘り起こせるのかは、世間にあるつまらないまがい物とは比較にならない価値がある。
それは、ちょっと綺麗なガラス玉を争って、ダイヤに目を向けないようなことだ。
感覚的、肉体的な快楽ばかり求めるのはやめ、本当に良いものを求めようではないか。









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