ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
あなたをSE、プログラマー、あるいは、超能力者にするブログ。ひきこもりも歓迎。

至高体験

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

超越意識に達するには

野球のバッターや剣道の剣士を羨ましく思うことがある。
なぜなら、暇があれば、バットや竹刀や木刀を振れば楽しいのだからだ。
いつでも手軽に楽しみが得られるのである。なんと素晴らしいことだろう。
バットや竹刀を振るのが楽しくないなら、バッターや剣士を止めた方が良い。
そして、好きでバットや竹刀を振っていれば、フローとかゾーンと呼ばれる意識状態に入れる。
フローやゾーンは、法悦、サマーディー、大洋感情、至高体験、ピークエクスペリエンス、中今・・・などと言われ、その時、人間が至高の存在(神と言える)になっている。

しかし、ずっとやってると言っても、スマートフォンをずっといじっているとか、テレビをずっと見ている・・・なんてのは、アル中や麻薬中毒と同じであり、落ちぶれる一方である。

別に野球選手や剣士でなくても、好きでバットや竹刀を振るなら同じだと思うが、なかなかうまくいかないだろうし、やはり、自分に向いたことをやるべきである。
バッターや剣士は、それで、バッティングや剣道が上達するという現実的メリットもあるので、その点も、特に最初のうちはモチベーションになるが、普通の人はそうではない。
浄土宗や浄土真宗のお坊様や、熱心な信者であれば、法然のように1日中、念仏を唱えていれば良いはずである。法然は、念仏が好きであったことも確かと思う。
しかし、念仏が好きでないとう浄土系仏教のお坊様は気の毒である。
ピカソやモディリアーニやゴッホは多作の画家だが、彼らは本当に1日中描いていたらしい。
売れなくても、1日中好きで絵が描けるなら幸せだし、本当は、好きで1日中描いていれば、おかしな要因がない限り、売れるはずだと思う。

ちょっと面白いのが、物理学者で武術家の保江邦夫さんが、病気だと思うが、左耳が聴こえなくなり、しかも、耳鳴りが酷かったらしい。
ところが、保江さんは、その耳鳴りをずっと意識的に聴いていたら、超越意識に達してしまい、凄い人になってしまったのである。
きっと、耳鳴りを聴くのは楽しいことなのだろう・・・いや、楽しい。
と言うのは、私も、耳鳴りは多い方で、幼児の時、親に「ぴーってのが聴こえる」と言ったことをはっきり覚えているが、それは耳鳴りであった。
だが、私は耳鳴りを楽しまなかったので、これまで超人になり損ねていた。
ずっと前には、メニエール病になり、ますます耳鳴りが大きくなったのに、残念というか、馬鹿なやつだった。
メニエール病は自然に治ったが、耳鳴りは今でもあるので、これを大事にしようか。

四股も良いのではと思う。
四股と言っても、テレビで見る大相撲の四股ではなく、大東流合気術の修行と言われるコンパクトな四股である。
具体的には、『大東流合気武術 佐川幸義 神業の合気 力を超える奇跡の技法“合気"への道標』を見ていただくのが良いと思う。
私は、今年の6月23日から四股を始め、しばらくは1日300回だったが、今は500回以上。休日は1000回以上踏むようになった。
効果を感じ始めたのは、先月末くらいからで、どんどん力が集まってくる。身体の軽さ、力強さは半端ない。やってみれば解ると思う。
その影響もあると思うが、最近は、短い木刀(約55cm)、短刀型木刀(約30cm)、そして、手刀を振るのが楽しい。
そして、これらを、ゆっくり丁寧にやっていると、フローに入ることがある。
フロー(至高体験、中今も同じ)に自在に入れるようになれば、神と同じと言っても良いと思う。
あなたも必ずや、好きで1日中やれる何かを持つべきである。








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ゾーンに入り世界を動かそう

では、超越状態に入り、世界を動かしたり、現象を創造したり、超能力を発揮しよう。
集中が大切だが、自分が集中に入り易い感覚を使えば難しくない。
人によっては、集中し易い感覚が違うが、視覚か触覚で大抵うまくいく。

コリン・ウィルソンがセミナーで教えていた方法は、視覚を使うものだった。
ペン先などに全力で集中し、不意に集中を解くということを何度も繰り返すだけだ。
それだけで、浅いかもしれないが、至高体験、あるいは、ゾーンと呼ばれるものに入れる。

触覚を使う簡単なやり方は、親指と薬指を微かに触れ合わせ、その感触に集中するものだ。
薬指は敏感なので、微かな感覚を感じ易い。
出来るだけ微かに触れ合わせ、限りなく微かな感覚に集中する。
京都の広隆寺にある、第1号の国宝である、弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)の弥勒菩薩の姿のようにやれば良い。
弥勒菩薩半跏思惟像「宝冠弥勒」(広隆寺霊宝殿)
これも、適度なところで集中を解き、少し間を置きながら繰り返す。

他に簡単なやり方としては、細く長く吐く息に集中するというものがあり、私が気に入っているやり方だ。
短めに鼻から息を吸い、鼻から出来るだけゆっくり吐く。
息を吐き終わったところで目を見開くなどで意図的に集中を解き、少し間を置いて何度か繰り返す。

集中が長いと、より深い超越に入れるが、無理はしないように。
コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』に書かれていたと思うが、こんなものがあった。
ある男性の妻が、ある出来事のため、心神喪失となり、ベッドで寝ていた。
その男性は、ずっと妻の様子を注意深く見守っていた。
長い間、そんなことをしていて、妻の心が戻った時、男性の長い集中が解け、男性は別の人間に・・・神的な人間に生まれ変わった。
坐禅修行も、本来はそんなものを目指しているのかもしれないが、修行のつもり、悟りを求めるつもりでやっても、ほとんどうまくいかない。
一方、この男性のような状況では自然に出来てしまう。

高度な超越状態に入れるようになると、周囲からは超然とした人間に見えるようになる。
人格者であるとは限らないが、鷹揚である・・・つまり、ものごとにこだわらず、なりゆきにまかせ、一喜一憂しない。
普通の人には解らないが、彼は世界を動かし、世界を作っている。
彼にとっては、世界は自分のものであり、願わずとも思い通りになるので、ただ要求するだけである。王の命令が絶対であるのと同様、彼の要求は適切な時期に叶うが、それに対して、彼は満足はしても、そんなに喜ばない。当たり前だからだろう。王が、自分の命令が為された時の様子と同じである。

身体を動かすのも良い方法である。
腕振り運動や四股を、1回1回丁寧にやると、しばらくしたらゾーンに入っている。
その感覚に慣れれば、深い水の中で自在に活動するようなものなので、この世である浅い水の世界は簡単過ぎて、何をしても勝手に成就・・・つまり、叶ってしまうのである。
数学者の岸根卓郎さんは著書でステレオグラム(立体画)を利用することを薦めておられたが、脳に直接作用するので、面白いかもしれない。
とはいえ、最も良いのは、好きなことに没頭することであることは言うまでもないと思う。









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天才はゾーンから始まる

2013年に、現ドワンゴ社長の夏野剛さんとの対談書で、チームラボの猪子寿之社長は、「生まれながらの天才はいない。イチローが元々はドラフト4位で入ったのにメジャー屈指の選手になれたのは、誰よりも練習したから」と言い、村上龍さんと坂本龍一さんの対談書で、村上さんは「今の坂本があるのは、才能もあるのだが、3歳からピアノを弾いていたから」と述べているのを、私はよく覚えている。
ある有名アスリートが、「アスリートは才能が99%」と言ったが、それをもって、「才能があるから続けられた」と考えることも出来る。
坂本龍一さんは、確かにピアノを弾かされたという面もあるだろうが、才能がなければ嫌になってやめていたし、いくら親が強要しても、そううまくはいかなかっただろう。
しかし、これらの話には何かが欠けていると思える。

アメリカの大事業家イーロン・マスクのモチベーションは、簡単に言えば人類救済である。
それによく似た事業家としては、オクシデンタル石油のCEOをはじめ、数多くの事業を90歳過ぎまで続けた、アメリカのドクター・ハマーこと、アーマンド・ハマーがいる。
彼は7歳の時に、自分より優れた人達の役に立てるよう神に願ったと言い、それが、彼の一生のモチベーションであったことを明かしている。
そのようなことを考えるのを、果たして才能と言うだろうか?
そして、イーロン・マスクが人類救済を志したきっかけは、ダグラス・アダムスのSF『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読んだことだった。多分、14歳の時だ。

つまり、何かに感動したと言うよりは、ゾーンに入った・・・至高体験を体験したことが、その者にエネルギーを与えるのだ。
コリン・ウィルソンがこう言っている。
「天才というのは、全て、内なる衝動なのだ」
至高体験とは、ロマン・ロランが言った大洋感情と同じで、万物と一体化した忘我の体験で、W.B.イェイツの「芸術の目的はエクスタシー(忘我)である」という言葉が解り易いのではないかと思う。
そして、アブラハム・マズローは、至高体験を得るには幸運な偶然に頼るしかないと言ったが、コリン・ウィルソンは、至高体験は誰にでもあるありふれたものと言い、それをマズローも認めた。
コリン・ウィルソンが、「至高体験とは、自分が幸運だと思うこと」と言ったのが、最もシンプルな真理である。
ウィルソンは、娘が小さい時、ドラッグストアでいなくなった娘を必死で探して発見した時のことを思い出すと、いつでも至高体験を得られると言う。
そんなものなのだ。
なら、あなたにも簡単なはずだ。

私がプログラミングをマスター出来たのも、プログラミングに関する何かで至高体験(ゾーンやフローも同じ)に入ったことがあるからだ。
私が昔、BASIC言語を学んだ本は、何と、日本の超天才科学技術者、森口繁一さんの72歳の時の本だった。当時は、そんな偉い人だとは全然知らなかったが。
ビル・ゲイツが成功したのは、学生の時、やはりゾーンに入ることによって、BASICが好きになったからに違いない。
まず、自分が幸運だと思った体験を思い出すと良いと思う。
すると、ゾーンが訪れ、幸運の連鎖が起こるだろう。








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結局、フロー(ゾーン、至高体験)が全て

私が最上級のインプレッション(印象)を受け、忘れられない言葉が、心理学者のアブラハム・マズローが言った、
「偉大な人間とそうでない人間の差は、至高体験があるかないかだけ」
だ。
一方、このところ、ずっと考えていることが、
「天才に見える人間とそうでない人間の差は、時間をかけたかどうかだけ」
ということだ。

そして、ようやく、この2つが一致することが解った。
つまり、
「時間をかける、言い換えれば、長く続けるには、至高体験が必要」
ということだ。

至高体験とは、別に難しいことではなく、「無我夢中」の状態のことで、「イっちゃってる」ことだ。
だが、マズローは、至高体験は、偶然に訪れるのを待つしかないと言った。
ところが、博士であるマズローはそう言ったが、中卒のコリン・ウィルソンは、「思考体験はありふれたものだ」と言い、マズローもそれを認めた。
ウィルソンは、「至高体験って、単に、自分が幸運だと思うことなんだ」と核心を突く。
至高体験は、最近では、ゾーンとかフローと言われる。
ゾーンもフローも同じで、簡単なことなのだ。
保江邦夫さんの本で知ったが、これを神道では「中今(なかいま)」と言うらしいが、なんと素晴らしい言葉だ。
フローも、ゾーンも、至高体験も、そして、同じ意味である、大洋感情も、法悦も、エクスタシーも、全て、「今への集中」なのだ。

で、ごちゃごちゃした説明はもういいから、どうやったら「簡単に」ゾーンに入れるかが重要なはずだ。
賢い人なんだろうけど、本1冊、細かい説明をうんざりするほど書くばかりの人(しかも沢山の本で)がいて、いい加減「まずは、どうやったらいいか書けよ」と文句の1つも言いたくなる。
皆、忙しいのだから、アンタの趣味に付き合っている時間はないのだ、T.Mよ(笑)。
この人の沢山の本の中で、見るべきものは1行だけ。ある偉大な人が言ったという、
「社会があって私があるのではない。私があって社会があるのだ」
だけだ・・・というのは私の勝手な思い込みである。

さて、では、どうやったら至高体験を起こせるのか?
それを、いくつも書いて、好きなのを選んでもらってこそ、親切というものだ。
まず、コリン・ウィルソンがよく言ってたやつ。
ペン先などに、全力で集中する。集中出来たところで、すっと集中を解く。これを数回繰り返す。
私はいまひとつと思ったが、これでうまくいく人は多いらしい。
そして、ウィルソンに指摘されて改心したマズローのやり方。
グループで、「自分が幸運だと思った体験」を発表し合う。
私も、私の主催で、十数人のグループでやったことがある。まずまずであった。
だがこれは、グループでなくても、自分の幸運な体験を思い出すことでも良いと思う。

しかし、結局のところ、自分が好きなことに没頭することが一番である。
だけど、勘違いしてはならないのが、この「好きなこと」は「ゴキゲンなこと」ではないということだ。
「エレキ弾いてたらゴキゲンだぜ」というのは、多くの場合、刺激的快感であるだけで、実際は、ゾーンでもフローでもないことが大半のはずだ。

その中で、保江邦夫さんが、『神様の覗き穴』に書かれていた「龍の首」のポーズが素晴らしい。
これで簡単に、ゾーン、保江さんの言うところの「中今」に入ってしまえる。
ウィルソンやマズローに教えてあげたかった。
しかし、この本の保江さんの「素領域」の説明を読むと、こんな立派な人でも、所詮、専門馬鹿、物理馬鹿なんだと思う。
自分はうまく立派に説明したつもりなんだろうけど、物理が嫌いな訳では無い私でも、もうサッパリ解らない(笑)。
その解らないことを、同じ調子で、言い替えもせず、何度も繰り返すのだから、いい加減ウンザリした。
それを、『神と人をつなぐ宇宙の大法則』という対談書で、保江さんは、対談相手の元裁判官で僧侶である稲葉耶季さんに突っ込まれていて、楽しかった(笑)。
保江さんあの本で見るべきは「龍の首」のやり方だけだ・・・というのは、私の勝手な言い分なので、マジに受け取らないで欲しいが(実際は、いいことが「わりと」書かれている(笑))。
それに、「龍の首」も、やや解り難い説明だったが、これを教えてくれたのは、やはり感謝感激である。

私は昔、自分が作ったプログラムがうまく動いた時にフローの状態になり、そのおかげでずっとプログラミングを続けられた。
だが、プログラミングの本には、退屈な例題でフローから遠ざけてしまうようなのが多い。
プログラミングは、最初にフローに入ってしまえば、それでメシが食えるようになるのである。
プログラミングをマスター出来る人と、そうでない人との違いは、フローに入れるかどうかだけなのである。









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アウトサイダーの中でも落ちこぼれなら

社会でうまくやっていくには、やはり学歴は力になる。
特にスタート時点で学歴は役に立つが、何事も最初は肝心だ。
だから、不況になっても教育産業は衰えないと言われてきた(最近は怪しくなりつつあるが)。
だが、学歴があろうが、実際に能力が高かろうが、容姿に恵まれていようが、一番大切なものは、他人とうまくやっていく能力なのだが、このスキルをほとんど持っていない者が多くなった。
元来で言えば、本当に頭が良くてIQが高い人間は、他人と仲良くすることは難しくないはずだが、そんな恵まれた人間に、他人を嫌悪する者が多くなっている。
これは、本当は不思議なことで、頭が良ければ、他人と仲良くすることのメリット、コスパの高さは明確に理解出来るはずなのに、どうしても他人が嫌いなのである。

一方、学歴がなく、頭も良いとは言えないのに他人が嫌いとなると、目も当てられない。
コリン・ウィルソンが23歳の時に書いた世界的ベストセラー『アウトサイダー』に登場する(主に架空の人物なのだが)アウトサイダー達・・・社会の裏側に潜む、忌み嫌われる異常な人間達・・・見かけはそれほど違わなくても、普通の人間の仲間と言えない人達は、アウトサイダーの代表的な存在で、社会では日陰者である場合が多い。
今年(2019年)4月に31歳の若さで亡くなったミュージシャンのWOWAKAさんは、大学は東大だから学歴があって頭も少なくともそこそこは良いのだろうが、作る歌といい、雰囲気といい、まさにアウトサイダーだ。無論、優秀なアウトサイダーだって少なくはない。
まあ、彼は東大出身を売りものにしたことはなかったように思うし、そんなことを知らずにファンをやってた人も多いはずだ。
彼のほとんど最後のボカロ曲だったかもしれないが、初音ミクさんが歌う『アンノウン・マザーグース』の中の「ガラクタばかり投げつけられてきたその背中」という言葉は、アウトサイダーでなければ書けそうにない詩だと感じるのである。
私が好きな『アンノウン・マザーグース』の動画は以下のものだ。公式のものではないが、ミクさんが美しい。
【MMD】YYB式初音ミク//Unknown Mother-Goose/アンノウン・マザーグース -YouTube-

WOWAKAさんのように、才能があって優秀な人は、アウトサイダーとはいえ、本来は私の興味の対象外で、本当に能力もなければ、人間関係が悲惨なまでに苦手で、社会の底辺で苦しむ人達が逆転出来るという夢物語が私は好きである。
まあ、実際はほとんどないが、その可能性を感じさせる小説が、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』(「少女」を女と訳した本もある)で、超底辺の歳も行ってしまった26人のどうしようもない男達が、ターニャという名の、可愛いが平凡な(性質はやや劣悪かもしれない)16歳の少女を崇めることで、なぜか人間性や能力を向上させる。
コリン・ウィルソンも、この作品を『至高体験』で取り上げ、何か解説していた(解説内容が難しくて解らなかったが)。
ウィルソンは、『至高体験』で同時に、ロオマン・ガリー(『至高体験』の訳書ではロマン・ゲイリ)の『天国の根っこ』(『自由の大地』のタイトルの方が有名と思う)で、堕落したフランス兵達が、空想の少女を想い描くことで、見る見る、騎士道精神とでも言えるものを取り戻す様子も引用していた。
ウィルソンも「崇める」ことの効果は認めていたようだ。
仏教の念仏や、ヒンズー教のジャパ(神の名を称名すること)は、神仏を真摯に崇めることであり、効果も非常に大きいと思える。
江戸末期から唱和初期にかけて、妙好人という念仏を唱えることで高度な人間性を示した人達は、自分が愚民であることを表明し、自分でも認識していたのだろうが、実際は能力的にも高く向上していたのだと思う。
今の人だって、念仏やジャパを素直に出来れば良いのだが、実際のところ、この超情報化時代に、それには難があると認めるしかない。
それなら、どう考えても実際は超優秀だったラマナ・マハルシが薦めたように「私」をマントラとして唱えたり、原子物理学の優秀な研究者であったベアード.T.スポールディングの『ヒマラヤ聖者の生活探求』に書かれてあるように「神」という言葉をよく使うと良いと思われるところがあるのである。









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