昨日も書いたが、現実世界と想像世界に違いは全くない。
我々は、想像世界が無数あるのに対し、現実世界は1つだと思っているが、実は、現実世界も含め、全く同等な想像世界だ。
ただ、想像世界の中の1つにリアリティを感じると、その想像世界を現実世界だと思い込むだけである。
リアリティを感じる想像世界である現実世界の特徴は、
・主観的(自分が世界を見るが、自分を直接見ることは出来ない)
・カラー
・動いている
・近くにある
・大きい
・明るい
である。
よって、このように想像すれば、その想像世界のリアリティが増し、現実世界に入れ替わる。
ここまでは昨日も書いた。
では、その応用として、この世界を、ただの想像世界にしたいなら、現実世界を上と逆に感じれば良いのだが、それはちょっと難しい。
そこで、嫌な思い出を、ただの想像にするために、その思い出を上と逆の方法で想像すれば良い。これなら簡単だ。
つまり、その思い出を、上とは逆に、
・自分の姿を見るように想像する。
・モノクロにする。
・動きのない世界として想像する。
・遠くに想像する。
・小さい世界として想像する。
・暗く想像する。
とすれば良い。
別に、全部でなくても、その嫌な思い出が、モノクロの世界で、そして、その中に自分が見えるように想像するのだ。
尚、さっき、現実世界をただの想像世界にするのは難しいと書いたが、実際には、現実世界にあまりリアリティを感じていない人もいる。
急に現実世界のリアリティが消えた時、よく、「世界から色が消えた」などと言うが、それは実際の経験をそのまま言ったのである。
現実にリアリティを感じていない人は、いずれ、この現実世界から消えるか、逆に、この世界にリアリティを感じざるを得ないような出来事を起こしてしまう、
尚、この世界に弱いリアリティを感じているが、他にリアリティを感じる想像世界がない場合、この世界で浮遊霊になることがよくある。
地縛霊なんてのも、そんな類と思われる。
だから、現実が嫌で、現実世界のリアリティを消したい場合、ちゃんと、他の居たい世界を想像しておかないといけない。
現実世界のリアリティを消す最も健康的な方法は、自分を客観視することだ。
自分から抜け出し、空中をぷかぷか浮かんで自分を見るのだ。
その時、自分のことを貶めないことだ。自己評価をせず、ただ見るだけである。
そして、これをやることで、案外に精神が発達し、引き寄せがうまくなるものだ。
だから、これを精神的修行として勧める者もいるが、やるなら修行だとか言って意気込まず、気楽にやることである。
自分を客観視する程度で、この世界のリアリティをやや弱くし、居たい想像世界をリアル化すれば、容易に、新しい現実に移行出来ると思う。
我々は、想像世界が無数あるのに対し、現実世界は1つだと思っているが、実は、現実世界も含め、全く同等な想像世界だ。
ただ、想像世界の中の1つにリアリティを感じると、その想像世界を現実世界だと思い込むだけである。
リアリティを感じる想像世界である現実世界の特徴は、
・主観的(自分が世界を見るが、自分を直接見ることは出来ない)
・カラー
・動いている
・近くにある
・大きい
・明るい
である。
よって、このように想像すれば、その想像世界のリアリティが増し、現実世界に入れ替わる。
ここまでは昨日も書いた。
では、その応用として、この世界を、ただの想像世界にしたいなら、現実世界を上と逆に感じれば良いのだが、それはちょっと難しい。
そこで、嫌な思い出を、ただの想像にするために、その思い出を上と逆の方法で想像すれば良い。これなら簡単だ。
つまり、その思い出を、上とは逆に、
・自分の姿を見るように想像する。
・モノクロにする。
・動きのない世界として想像する。
・遠くに想像する。
・小さい世界として想像する。
・暗く想像する。
とすれば良い。
別に、全部でなくても、その嫌な思い出が、モノクロの世界で、そして、その中に自分が見えるように想像するのだ。
尚、さっき、現実世界をただの想像世界にするのは難しいと書いたが、実際には、現実世界にあまりリアリティを感じていない人もいる。
急に現実世界のリアリティが消えた時、よく、「世界から色が消えた」などと言うが、それは実際の経験をそのまま言ったのである。
現実にリアリティを感じていない人は、いずれ、この現実世界から消えるか、逆に、この世界にリアリティを感じざるを得ないような出来事を起こしてしまう、
尚、この世界に弱いリアリティを感じているが、他にリアリティを感じる想像世界がない場合、この世界で浮遊霊になることがよくある。
地縛霊なんてのも、そんな類と思われる。
だから、現実が嫌で、現実世界のリアリティを消したい場合、ちゃんと、他の居たい世界を想像しておかないといけない。
現実世界のリアリティを消す最も健康的な方法は、自分を客観視することだ。
自分から抜け出し、空中をぷかぷか浮かんで自分を見るのだ。
その時、自分のことを貶めないことだ。自己評価をせず、ただ見るだけである。
そして、これをやることで、案外に精神が発達し、引き寄せがうまくなるものだ。
だから、これを精神的修行として勧める者もいるが、やるなら修行だとか言って意気込まず、気楽にやることである。
自分を客観視する程度で、この世界のリアリティをやや弱くし、居たい想像世界をリアル化すれば、容易に、新しい現実に移行出来ると思う。