ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

自己観察

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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嫌な思い出をただの想像に変える

昨日も書いたが、現実世界と想像世界に違いは全くない。
我々は、想像世界が無数あるのに対し、現実世界は1つだと思っているが、実は、現実世界も含め、全く同等な想像世界だ。
ただ、想像世界の中の1つにリアリティを感じると、その想像世界を現実世界だと思い込むだけである。

リアリティを感じる想像世界である現実世界の特徴は、
・主観的(自分が世界を見るが、自分を直接見ることは出来ない)
・カラー
・動いている
・近くにある
・大きい
・明るい
である。
よって、このように想像すれば、その想像世界のリアリティが増し、現実世界に入れ替わる。

ここまでは昨日も書いた。
では、その応用として、この世界を、ただの想像世界にしたいなら、現実世界を上と逆に感じれば良いのだが、それはちょっと難しい。
そこで、嫌な思い出を、ただの想像にするために、その思い出を上と逆の方法で想像すれば良い。これなら簡単だ。
つまり、その思い出を、上とは逆に、
・自分の姿を見るように想像する。
・モノクロにする。
・動きのない世界として想像する。
・遠くに想像する。
・小さい世界として想像する。
・暗く想像する。
とすれば良い。
別に、全部でなくても、その嫌な思い出が、モノクロの世界で、そして、その中に自分が見えるように想像するのだ。

尚、さっき、現実世界をただの想像世界にするのは難しいと書いたが、実際には、現実世界にあまりリアリティを感じていない人もいる。
急に現実世界のリアリティが消えた時、よく、「世界から色が消えた」などと言うが、それは実際の経験をそのまま言ったのである。
現実にリアリティを感じていない人は、いずれ、この現実世界から消えるか、逆に、この世界にリアリティを感じざるを得ないような出来事を起こしてしまう、
尚、この世界に弱いリアリティを感じているが、他にリアリティを感じる想像世界がない場合、この世界で浮遊霊になることがよくある。
地縛霊なんてのも、そんな類と思われる。
だから、現実が嫌で、現実世界のリアリティを消したい場合、ちゃんと、他の居たい世界を想像しておかないといけない。
現実世界のリアリティを消す最も健康的な方法は、自分を客観視することだ。
自分から抜け出し、空中をぷかぷか浮かんで自分を見るのだ。
その時、自分のことを貶めないことだ。自己評価をせず、ただ見るだけである。
そして、これをやることで、案外に精神が発達し、引き寄せがうまくなるものだ。
だから、これを精神的修行として勧める者もいるが、やるなら修行だとか言って意気込まず、気楽にやることである。

自分を客観視する程度で、この世界のリアリティをやや弱くし、居たい想像世界をリアル化すれば、容易に、新しい現実に移行出来ると思う。








反則の近道をして超人になる

伸ばしていけば、もしかしたら世界を支配出来るかもしれないほどの大きな力を得た者は、皆、「今、この瞬間」に集中し続けた。
沢山の事例について考えると、それに導かれたのは、本人にとってみれば偶然であった場合がほとんどだと思う。

たとえば、こんな話がある。
江戸時代に、庶民を診療する名医がいた。
医療技術も薬品等も、今と比べて非常に乏しい上、貧乏な医者なので、出来ることはあまりない。
そこで、その医者は、寝ている患者の側で、じっと座って脈をとるのだった。
患者としては、医者に近くで見てもらっているという安心感があり、それが回復に良い影響もあるだろう。
ところで、その医者は、本当に真面目に脈をとることで、ずっと「今」に集中していた。
すると、なぜか、医者には、患者に何をすれば良いのかが分かり、それをして奇跡的に治ってしまうことがよくあった。
その医者は、自分を通して、神が患者を治しているように感じていた。
そして、面白いのは、ここからである。
ある与太者(怠け者、不良な者)が、その名医と風貌が似ていて、通りを歩いていたら、「先生、すぐ来て下さい」と言われると、頭が鈍いその与太者は、引っ張られるままに、病人のところに連れて行かれた。
今さら、あの医者ではないと言い難い与太者は、以前、あの名医が脈をとるのを見たことがあり、見様見真似で患者の脈をとった。
すると、たまたまだったのだろうが、患者が回復し、与太者は、あの名医として感謝された。
さらに、何度かそんなことが重なり、与太者は、せめて脈だけはきちんととった方がバレないと思い、本当にずっと脈をとっていた。
そうしているうちに、次々と病人が治り、その与太者には不思議な風格も出てきて、すっかり医者が板についてしまった。
まあ、やがてバレてしまうのだが、あの名医が、その与太者に会った時、与太者が、自分と同じように、「神様が自分を通して治しているように感じた」と言うのを聞いて感銘を受け、医術というのはいったい何なのかと思うようになった。

今でも、良い医者は、「医者には病気は治せない」と言う。治るかどうかは患者次第で、その助けをするのが医者だ。
しかし、今の医者は、明日のクリニックの繁盛のことしか考えず、本当の「今」に意識を集中することはない。

上の医者の話と似た話に、こんなものがある。
コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』か『フランケンシュタインの城』にあったと思う。
ある男の妻が、心神喪失の状態に陥った。
すると、妻を深く愛する男は、いつ妻の意識が戻るかを、本当に、ずっと近くで観察し続けた。
一月とか、かなりかかったかもしれないが、妻は無事に意識を回復するのだが、その頃には、その男には、不思議な力が備わっていた。
妻を真剣に観察することで、その男は常に「今」に集中していたのだ。

このような話を、私は、他にもいくらでも思いつく。
というより、特別な力を持った人は皆、長い間、観察により「今」に集中し続けたのだ。
例外はないと言えるほどだ。
合気道の塩田剛三、有名な精神科医であるミルトン・エリクソン、電波工学の権威、関英男博士らが代表的な例だが、皆、観察により「今」に集中し、超人になった。
それなら、我々も同じことをやれば良い。
彼らは偶然にそれをやったのだが、我々はカラクリを知っているのだから、いわば反則で超人になるのである。

何を観察するのかというと、何でも良い。
それこそ、自分の耳鳴りを観察し続けて超能力者みたいになった人もいる。
幸いにも、私も耳鳴りはひどい方なので、これを採用してみようと思うこともある。
有名なところでは、自分の心とか、呼吸を観察するというメソッド(手法)がある。
みぞおちの感覚を観察した人もいる。
まあ、何でも良いのである。








自己観察すると何が起こるか

尊き聖者や敬服される霊的指導者達が、「自分の心を観察せよ」と教え続けてきた。
彼等は、それを、「常にやれ」「ずっとやれ」と、強く薦める。
あれほどの人達が皆、同じことを、同じように熱意を込めて教えるのだから、それをすることは良いことなのだと感じさせる。
しかし、それをやれば、「どうなるのか?」については、誰も具体的に言わない。
せいぜい、「驚くべきことが起こる」とか、あるいは、究極的なゴールである「悟りが得られる」と言う者がいる程度だ。
健康になれるわけでも、金持ちになれるわけでも、また、素敵な恋人が出来るわけでもない。
誰かが、「そんなものを超えたものを得られる」と言ったが、人間は、「そんなもの」が欲しいのだ。
つまり、そんな説明では、誰も熱心に・・・いや、ちっともやろうとは思わないものだ。
それに、「心を観察する」だけでは、いざやって見ると、いろいろ困難も出てくる。
ある教師は、「怒りや悲しみの感情を観察しろ。心がぐらつくまま、ぐらつかせておけ」と言い、そうすれば、「その感情は抜け落ちる」と言ったが、そんな感情を観察し続けるには、何かモチベーションが必要なのだ。
でないと、あまりに面白くない。あるいは辛い。
何か見返りがないと。
それこそ、憧れのあの子をものに出来るとか。

所詮人間(ひと)はこの程度よ
100年も生きりゃ分かることなの
~『ネコミミアーカイブ』(作詞・作曲・編曲:糞田舎P。歌:初音ミク)より~

いや、20年も生きれば分かりますよ、猫の妖怪ミクさん。

だが、今は、それをやれば何が起こるか、さらには、なぜそうなるのかが、かなり分かってきた。
具体的に挙げれば、
◆感情をコントロール出来るようになる。よって、感情に苦しめられないようになる。
◆直観が冴えるようになる。
◆自信が出来る。
で、他にもあるかもしれないが、とりあえず、これだけ得られれば十分だ。
それで金も健康も恋人も得られるのだし、好ましい現実も作り上げることが出来るようになる。

そして、重要なことは、直接、心を観察するという難しいことはしなくて良い。
もっと簡単なことをやれば良いのだ。
具体的に何をやるかは、各自、やり易いものを選べば良いのである。
最も標準的なものは、呼吸を観察することだ。
しかし、呼吸をコントロールしてはならない。ただ観察するだけだ。
とはいえ、呼吸をコントロールしないことを過剰に気にする必要もない。
また、私の場合、胸の感覚を観察する。気持ちは胸の痛みや疼(うず)きになって現れるので、それを観察するのだ。
他にも、私は表情を観察する。
そして、私はあまりやらないが、鳩尾(みぞおち)が、観察するのに程よいと感じる人も多いはずだ。
あるいは、個性的な部位を観察するのが向いている人もいる。臍とか、鼻とか、てのひらとか。
さらには、伸ばした指とか、引き締めた腹とかに留意するのが向いている人もいるかもしれない。
しかし、難しいことを考えず、まずは呼吸、そして、胸、腹、下腹部の感覚を観察するのが良いだろう。

なぜ好ましいものが得られるかだが、これに関しては、脳や身体に関する科学で説明出来、少し勉強すれば納得出来ると思う。

大事なものは全てあるのさ 最初から
君の中に
~『積乱雲グラフィティ』(作詞:Dixie Flatline、作曲・編曲:ryo。歌:初音ミク)より~









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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