ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

自己暗示

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

全ての願いを叶える言葉

昨日、著名なフランスの心理療法家エミール・クーエの自己暗示について書いたが、自己暗示は便利なものであり、効果は実証されている。
自己暗示とアファーメーション(肯定的確言)で違いは特にないが、言葉が短い場合には自己暗示とみなされることが多いと思う。
例えば、身体に痛みなどの不調がある場合には、「治る、治る、・・・」あるいは、「消える、消える、・・・・」と自己暗示の言葉を繰り返すと、治るか、少なくとも、低減する。
それで効果がないと言う者は、自己暗示を繰り返す数が少ないのである。
根気強く、数千、数万、数十万回と唱えていると効果があるが、昨今の人々は、「たった3分で」とかいった宣伝に騙されているので、うまくいかないのである。
だが、クーエにも、短い自己暗示のテクニックがあり、例えば、
「治る、治る、治る、・・・、治った」
と唱えるのだが、なるべく早口で唱える。早口と言っても、心で唱えても良い。
自己暗示の言葉は、早口で唱え易い言葉にしなければならない。
「治る」より「消える」が言い易ければ「消える」が良い。
やり方は、「治る」を、1分ほど早口で繰り返し、最後に、「治った」と言うのだが、自己暗示の適性が高ければ、1回で、即座に大きな効果が出る。
自己暗示にかかり易い人と、そうでない人もいる。
例えば、五円硬貨を糸でつるしたような振り子を作り、糸の橋を指で持ち、「縦に揺れる」「横に揺れる」「右回りに回転する」と自己暗示をかけると、ただちに、言葉の通りに大きく動く人がいる一方、ほとんど動かせない人もいる。
自己暗示にかかり難い人は。「治る、・・・、治った」のテクニックも、ただちには効果が出ないかもしれないが、何度もやっているうちにうまくいくようになる。

以上は、昨日も書いたことだが、クーエの自己暗示で、最も有名なのは汎用暗示で、万能暗示と言えるものである。
この汎用暗示は、書籍では、だいたい、こんな感じで訳されていると思う。
「毎日、あらゆる面で、私は、ますます向上していく」
この汎用暗示では、いちいち、個々のことを考えなくても、「あらゆる面」なのであるから、全てに効く。
人間の心は大きく(潜在意識の部分が特に)、このような使い方が出来るのである。
健康面、経済面、学習面、あるいは、人間関係や恋愛、美容など、望む効果は、いちいち指定しなくても、この暗示1つで良くなる。
ただ、この自己暗示の日本語文はどうだろう?
これでも良いのかもしれないが、クーエが作ったフランス語の原文は、実にリズミカルで唱え易く工夫して作られている。
英語版の方も、クーエが監修し、やはり、最高に唱え易いものになっている。
それに比べ、日本語版はリズムがなく、唱え難いので、私は、始めても続かなかった。
もっと日本語の特性を考えれば、
「全て良くなる」
で十分である。
「毎日」や「ますます」を付けなくても、日本語の場合、これで十分、動きが感じられる。
もちろん「全て」より「全部」の方が感じが良いと思うなら「全部」で良い。
どうしても動きを付けたかったら、
「全て、どんどん良くなる」
「全部、ぐーんと良くなる」
などと言っても良い。
しかし、「全て、どんどん、ぐーんと良くなる」では長過ぎてリズムが崩れると思う。
もちろん、これが一番ピッタリくると思うなら、こう唱えれば良いが。
だが、私なら、「全て良くなる」が最も良いと思う。
日本語は、余計なことを言わないところに美しさがあるからだ。

「神様の奇跡が起こる」という言葉は、自己暗示というよりはアファーメーションだが、これは、光が見えない苦しい状況にある時など、変化というか、変革を期待する時に向いている。
一方、今の道は間違えていないと思うが、より進歩向上を願う時は、「全て良くなる」と唱える方が自然と思う。
現状を良くしつつ、ミラクルを願うなら、両方唱えても良いが、普通は、1つに絞った方がうまくいき易いと思う。
一応、「全て良くなる」と「神様の奇跡が起こる」の違いを述べたが、根本的には違わないのであるから。








簡単で強力な自己暗示

フランスの有名な心理療法家エミール・クーエの診療所に、自力で歩くことが出来ず、担ぎ込まれてきた患者がいた。
クーエは患者と少し会話し、患者にある言葉を繰り返すよう指示した。
十分後、患者は元気に走り回っていた。

この話で思い出すのは、哲学博士のトーチェの著書『トーチェ氏の心の法則』の中の話だ。
ある未開の地方では、脚が折れた人が元気に走り回っていたのだが、トーチェの説明によれば、この地の人達は、脚が折れたら走れないという固定観念がないので、脚が折れたからといって走れないわけではないのだ。
言うならば、彼らは、脚が折れたら走れないということを知らないのである。
また、この本には、こんな話がある。
2人の酔っぱらった男達が、4階の窓の敷居を乗り越えて落下し、すごい音がした。
だが、警官が駆け付けると、男達は、
「ちょっと足が絡んじゃいました」
と言って、ご機嫌な気分で歩いて行った。
彼らは、自分達は平地を歩いていて、ちょっとした敷居でつまづいて転んだとしか思っていないので、それなりのダメージしか受けなかったのだ。
言い換えると、彼らは、自分達が4階から落下したということを知らず、平地で転んだと認識したのだ。
もし、酔っぱらって意識不明になって落ちたのなら、世間的な固定観念に従って死亡したかもしれない。

世の中には、全く食べなくても生きている人がいるらしい。
そんな人達は、「食べないと死ぬ」という固定観念を持っていないだけかもしれない。
一方、普通の人間は、「食べないと死ぬ」という固定観念を持っているから、食べないと餓死するだけかもしれない。

ずっとベジタリアン(菜食主義)を続けていた人が、酷い肌荒れになった。
その人は、菜食だけでは、必須アミノ酸のいくつかが摂れず、それが肌に重大な悪影響を及ぼすと書かれた本を読んだのだった。
だが、世界には、トウモロコシしか食べないとか、ある種の芋しか食べないが、健康で長寿な民族もいる。
そんな民族の人々は、必須アミノ酸という知識がないのだ。

我々は、ひょっとしたら余分かもしれない知識を沢山持っている。
そして、知識の中には、自分では知らないと思っていても、憶えてはいないが、テレビや本や学校の授業で見聞きした情報が、潜在意識に入り込んでいる場合もある。
そもそも、潜在意識の情報は、意識的に憶えたことより、気付かないうちに入り込んだものの方がずっと多いのである。

最初の、脚の障害で歩けなかった人が、クーエの診療所に担ぎ込まれた話に戻る。
例えば、この患者は、自分は膝のリウマチで歩けないことを知っていたとする。
この患者の、「膝リウマチが酷くなると歩けない」という固定観念を消すのは難しいし、クーエもそんなことはやらなかった。
だが、「私は膝リウマチを病んでいる」という観念を消すことは出来る。
それには、どうすれば良いかというと、患者に、早口で自己暗示の言葉を唱えさせるのである。
この場合だと、「リウマチが治った」で十分だ。
だが、「リウマチが治った」と早口で唱えることは難しい。
しかし、「治った」や「消えた」なら簡単だ。
そして、最も良いやり方は、
「治る、治る、治る、・・・・治った」
と唱えるのである。
「治る」と早口で繰り返し唱えているうちに、思考や判断が消え、受容状態になる。
「治る」は、1分くらい繰り返すと良い。
そして、「治った」と言うことで、本当に治ってしまう。
以上は、G.H.ブルックスとエミール・クーエの『自己暗示』という本に載っているので、興味があるなら見ていただきたい。
尚、クーエの自己暗示は、病気を超えた範囲でも有効である。
病気であれば、上で述べた、「治る…治った」「消える…消えた」のいずれかで十分と思う。
一般的なことであれば、例えば、何かを出来るようになりたいなら、「出来る、出来る、・・・、出来た」だし、何かになりたいなら、「なれる、なれる、・・・、なった」などが考えられる。
そして、出来るような態度、なったような態度でいれば、実際、出来るし、なってしまう。
態度は事実より重要であるというのは、成功法則の基本である。
尚、自己暗示は、簡単に使える人とそうでない人がいるが、うまくいかなくても、多少練習すれば出来ると思う。








自分に向いたやり方で人間を超える

人間は、真言、アファーメーションで、世界を思うように創造出来る。
その仕組みは、ほぼ明らかだ。
他にも、世界を望み通りに創造するのは、呼吸法、ある種の運動、瞑想によっても可能だが、仕組みは共通している。

ただ、仕組みや方法は、2系統だと考えられる。
1つは、トランス(変性意識。通常とは異なる意識)に入ること。
もう1つは、脳の自動的なつぶやきを肯定的にする(さらには消す)ことだ。
ただ、トランスでは、脳の自動的なつぶやきは消えるし、脳の自動的なつぶやきを肯定的にすればトランスに入るといったように、両者は違うものではない。

だから、自分の好みの方法でやれば良い。
あらゆる方法を全部やる必要など全くないし、複数を組み合わせてやっても構わない。組み合わせた方が効果が高くなる人もいる。

昔、「スーパーラーニング」という学習法があり、これが、後の加速学習や、同種の学習法に取り入れられていったのだと思う。その原理は、上に述べたものと同じだが、やや曖昧なテクニックだったと思う。
だから、1日で外国語を修得するほどの効果を上げることもあったが、うまくいかない人もいた。
「スーパーラーニング」は、呼吸法、音楽を主に利用したが、やはり、目的は、トランスだった。
呼吸法では、吸った後にいったん止めることに効果があるとして利用したが、なぜ、効果があるのかは分からなかった。
音楽の効果は、真言と同じで、単調な繰り返し音楽(例えばバロック音楽)が使われた。
つまり、単調な繰り返しの中でも、真言のリズムや、バロック音楽が、特に、トランスに導き易いのである。

だが、全ての原理が明らかになってみれば、何をやれば良いかの選択肢が増えるが、どれを選べば良いか迷うことにもなる。
しかし、根本的には、好きなものをやれば良い。
真言を唱えることが好きなら、真言を唱えれば良い。
アファーメーションを唱えるのが好きなら、アファーメーションを唱えれば良い。
呼吸法が好きなら、呼吸法をやれば良い。
他にも、いろいろな方法があるのだ。
名高い優れた指導者達は、その中の1つを特に取り上げ、商品になりやすいように形を整え、宣伝したが、どれも同じなのである。

ただ、1つ、忘れてはならないことがある。
これらは、1日20分といったふうにやるものではない。
脳の自動的なつぶやきを消すと言っても、1日20分だけ止めても、少しは効果があるが、24時間の中のたった20分だ。
そして、多くの指導者は、たったそれだけのことをやれと言ったのだ。
よくあるじゃないか?
「1日たったの10分」
「1日たったの2分」
時間は、短ければ短いほど、受けが良い。
しかし、時間は、短ければ短いほど、効果は少ない。

だが、自分に合ったものであれば気持ち良いのであるから、長時間でも何ともない。
出来れば、起きている時間、全部やるのが良いのである。
とはいえ、「気持ち良い」を世俗的に誤解する人も多いだろう。
世俗的な気持ちが良いとは、美味しいものを食べたり、馬鹿騒ぎしたり、性的快感を感じるなど、自我を喜ばせるものだ。
だが、ここで言う、真に気持ち良いとは、自我を消すことなのである。

とにかく、マインドフルネスも、TMも、自己啓発も、坐禅も、静坐も、念仏も、気功も、ヨーガも1つの方法に過ぎない。
どれも、合う人もいれば、合わない人もいる。
どの手法も、ボスや運営組織は、自分のやり方を全人類にやらせようとするが、それは間違いなのである。
これらの手法を編み出した人は、それを作ったことでは、有能だったし、偉大である場合もあるが、合わない者がいることを認めないところが愚かなのである。

「自分に合っているもの」を探すよりは、「自分に合わないもの」を排除する方が易しい。
例えば、念仏と言ったら、絶対、合わない人はいるだろう。
一方、念仏に抵抗を感じなければ、とりあえず、念仏をやれば良い。
「神様の奇跡が起こる」という言葉に抵抗を感じるなら、このアファーメーション、あるいは、自己暗示は避ければ良い。
だが、「良い」と思ったり、抵抗を感じないなら、これをずっと唱えていれば、利益は極もない(無限だ)。
「大丈夫」「安らかだ」「のどかだ」「静かだ」など、好きな言葉を、心の中で、しずかに、ゆっくり繰り返すことだけでも、向いている人がやれば、すぐに世界を改変出来るようになれる(最初は小規模かもしれないが)。
「ナ」で短く息を吸い、「ダーム」で細くゆっくり息を吐く「ナ・ダーム」の呼吸をやっているうちに、神の領域に近付く人もいれば、「私は神と一体だ」という言葉を心の中で繰り返すことで、そうなる人もいる。

どれが向いているかは、育ちもあるし、若いうちなら、どれをやっても馴染むのが速いので、若い時にたまたまやったことが良い場合もある。
例えば、子供の時に、良いやり方で念仏を唱えさせられたら、念仏が非常に向いている可能性があるだろう。








逝ってしまった人達の代わりに

日本が自殺大国だということをご存じだろうか?
これほど豊かな国でありながら、自殺率は世界トップ10に楽々入り、特に豊かな国々であるG7の中ではトップ、そして、主要国の中では、ロシアについで堂々の(?)2位だ。
自殺の多くは、経済的な事情からであるが、日本には、実際は、多くの経済支援制度が存在する。だから、本来、お金の問題で死ぬ必要はあまりないはずだ。
しかし、その支援金を得るための手続きが非常に難しく面倒で、事務手続きに慣れた人ですら、ハードルの高さに怯むほどだ。
例えば、医療費支援が必要な老人がいたが、自分での手続きは到底無理で、心ある医者が親切心で、その老人の代理で申請しようとしたら、あまりの複雑さに心が折れそうになったというから、一般人の手に負えるはずがない。
また、同じ状況でも、役所の担当者によって対応が全く違うということもあると聞く。
少し前、老齢で痴ほう症の母親を抱えた50代の男性が、自分が家でずっと世話をしないと、母親が生きるのは無理だと思って生活保護を申請したら、役所の担当者は「働いてくれ」の一点張りで、男性は、「死ねということか」と理解し、母親を殺して自分も自殺しようとしたが、母親を同意の上で殺害した後、自分は死に切れず、殺人罪となった。

私が、このブログの旧ブログで投稿していた12年程前、彫刻家の小鹿良太氏が、よくコメントを書いて下さったが、以前、ギリシャで制作をされておられた小鹿氏は、
「ギリシャの中でも、貧しい人々が多いところにいたが、そこの人達は自殺なんて考えない。だが、豊かな日本では沢山の自殺者がいる。日本のこの状況を何とかしたい」
と言われていた。
小鹿氏は、東大の博士課程を中退して、予備校の優秀な国語講師になり、特に、「高校入試国語の小鹿」は有名で、小鹿氏は東京で講師をされていたが、私が仕事で関わった関西の予備校でも、国語の先生は皆、小鹿氏の名を知っていて、小鹿氏の参考書を使っている講師も沢山いた。
ところが、その後、小鹿氏は彫刻家に転身されたが、教育者としての心も持ち続けておられたように思う。
ある時期から、小鹿氏とは長く交流が無かったが、昨年、久々に小鹿氏のブログを見たら、2018年に大病をしておられたようだった。しかし、2019年には退院し、回復しつつあるようなので、そのブログで久々にコメントで挨拶をしたら、返事をいただき、私の本も見てみようと書いて下さったが、今年の1月、亡くなられたようだ。
小鹿氏は、一流の彫刻家で、作品の展示会に私は何度か誘われたが、関東の場合が多く、遂に行くことが出来なかった。
昔の私のブログでも、この一流の国語の先生が、私の投稿を「文章がしっかりしている」と褒めて下さり、私は自信を持ち、長くブログを書き続けているのである。

ここはやはり、私が、自殺を含む、日本人の精神の病をなんとかしたいものである。
それで言えば、教育学者の七田眞氏の著書に書かれていた、お金も家もないホームレスの男性が、「神様の奇跡が起こる」と唱え続けることで、人生に大変革を起こした実話は、非常に救いになる。
実は、私は、元は七田式教育で優秀な講師であったが、独立して幼児教育に取り組んでおられた方ともネット上で親しくしていたが、その方も若くして亡くなられていた。
私は、難しいことは言わないが、私自身が、真言やアファーメーションだけで、ずっと良い想いをしているので、上の「神様の奇跡が起こる」というアファーメーション(あるいは自己暗示)が、非常に素晴らしいことを感じるのである。
これは、誰がやっても、良い成果が出るはずなので、とりあえず、苦しい時、あるいは、ハッピーな時でも、真言やアファーメーションを唱えれば、一切の問題は解決し救われると確信している。
言葉としては、
「神様の奇跡が起こる」
「私は裕福だ。私は幸せだ。私は最高の気分だ」
「神は道なきところに道を作る」
「神に出来ないことはない」
「富」
「成功、富」
「思いがけないことが起こり。私は歓喜する」
など、何でもいいから、心の中で、ゆっくり、静かに、丁寧に唱えるのである。
数は多いほど良い。
言葉が、潜在意識に達し、宇宙意識に送られると、宇宙の活力が働き始める。良い言葉には良い応答があるのである。








ムラがあっても構わない

価値ある1つのことをずっとやり続ければ成功出来るのだが、1つのことを継続して続けることはなかなか出来ないものである。
また、「子供の時から20年ピアノをやっています」とか「子供の時から勉強に励み、一流大学を大学院まで出ました」と言っても、単に親に「やらされた」のでは駄目で、初めは親にやらされたとしても、自主的にやるようになったものでなくては成功出来ない。その場合、親の方針とは大きくズレ、仲たがいしている場合が多いと思う。

引き寄せや、潜在意識の法則で成功を目指しても、多くの人が駄目な理由は、1つのやり方でやって、なかなかうまくいかない時、「あっちのやり方の方が良いのでは」と思って、別のものを始めるといったことを繰り返している場合が多い。
私はよく、成功している社長さんの社長室や書斎にお邪魔したことがあるが、印象的なことは、ジョセフ・マーフィーやナポレオン・ヒルなどの成功哲学に関する古い本が、必ず1冊だけあることだった。
どの本も、書いてあることは、つまるところ同じなので、一冊の本を徹底して読み込む者が成功するのだと思う。

また、教育のトップ企業のマネージャーさんと話をしていたら、東大生に関する、こんな話があった。
有名な教育ビジネスの会社では、頭の良い学生の能力が役に立つので、高度な仕事をしてもらって高給を払っているのだった。
そのマネージャーさんが、こんなことを言う。
「東大生はやはり優秀だが、その中でも、特に素晴らしい学生がいて、仕事でも並外れた成果を出す。その学生に、どうやったら東大に入れるのか聞いてみたら、そんなのは簡単で、参考書を1冊、丸暗記すれば良いと言う。どの参考書も同じなので、1冊覚えれば十分なのだそうだ」
無論、どの参考書が評判が良いかは、すぐに調べが付くので、いったん選んだら、他の本には見向きもせず、ひたすら覚えれば良いのだろう。
一冊をそれほど勉強すれば、自ずと、その本を補完する情報もやってくるはずである。

早い話が、学生でも、事業家でも、優秀な人間は、決断力や集中力があり、その東大生の場合も、参考書を自分で選び、自主的にそんな勉強をしっかりと続けたのだろう。
そこにいくと、我々、普通の人間は、決断力や集中力が劣るのである。

だが、決断力や集中力が低くても大丈夫である。
若くして学習塾経営で成功したある事業家が、著書の中で、「三無に徹せよ」と書いていた。
「三無」とは、元々は仏教用語で、難しい意味だが、昔、「現代の若者の三無主義」として「無気力、無関心、無責任」が挙げられたのが、今でも通用するようだ。
しかし、その事業家が「三無に徹せよ」と言った「三無」とは、「無理、無駄、ムラ」だ。
これが、ちょっと、味わい深いのである。
「無理、無駄、ムラ」は当然良くないが、「無理でもやってみる」「無駄でもやってみる」「ムラがあってもやり続ける」というふうにやれば、これこそが成功の秘訣なのである。
「無理」「無駄」は、割と分かり易いが、「ムラ」が興味深い。
つまり、成功者は「無理なことでもやった」し、「無駄と知りつつもやった」のだが、「ムラ」はなかっただろうと思うかもしれない。
しかし、そうではない。偉大な人物にだってムラはある。
だが、普通の人は、ムラがあるからと、誰かに止められてやらなくなったり、自分でも「こんなにムラがあったらうまくいかない」と思ってやめてしまう。
しかし、凡人でも成功する者は、ムラがあっても、なんとなく、またやったりしているうちに、積もり積もって力になったり成果が出てくるのである。

七田眞氏の本に出てくる、「神様の奇跡が起こる」と唱え続けたホームレスのように、本当に1日中唱え続けたら、短期間で、一億円が2回当たったり、ローマ法王に謁見したりといったことに匹敵する奇跡も起こるに違いない。
しかし、普通の人は、最初は、1日数十分唱えても、数日で、どうも無駄な気がして、別のことを始め、「神様の奇跡が起こる」を唱えるのをやめてしまう。
だが、それでも良いから、思い出したら、また、「神様の奇跡が起こる」と唱えれば、いつかは奇跡も起こる。
また、ジョセフ・マーフィーの本を、数日は熱心に読んでも、飽きてしまって放りっぱなしになっても、十年くらい経って、なんとなく読み返したら、以前より、良さが分かるようになり、その後もムラのある読み方をするが、なんとか続ける・・・というふうにやったら、なかなか成果は出なくても、いつかは成功するのである。
だが、やはり、早く成果を出したいなら、粘り強く続けるべきであるが、多少のムラはあっても良いのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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