昔、ロバート・シュラーの「セルフラブ」という本を、「買った」ことがある。
その本の表紙に書かれた、「自分を愛することが出来る人だけが成功する」という、絶望的な文に、悪い意味で関心を引かれて買ったのだと、はっきり覚えている。
セルフラブ・・・自己愛。これほど難しいものもないだろう。

ラマナ・マハルシは、「人は皆、自分が幸福であることを望み、悲惨であることを望まない。そこに自己への至上の愛が見られる」と言ったと本に書かれていたが、いや、それは、単に「痛いのは嫌」「楽したい」「自我を満足させたい」ってことで、「愛」なんてもんじゃないだろう。
まあ、本当にマハルシがそう言ったかどうかは分からないが、多分、日本語になるまでの過程で、齟齬が入りまくったのだろう。マハルシが使ったのはタミル語だったが、まず英語への訳の段階で、相当おかしくなる場合が多いだろうと思う。

『新世紀エヴァンゲリオン』では、自己嫌悪の碇シンジ君、自己否定の綾波レイ、そして、表向き自分大好き「偉大なり私」だが、本当はゴキブリより自分が嫌いな惣流アスカラングレー といいう3人を揃えていたのだから、面白いと同時に、見ていて(あるいは読んでいて)、どこか陰鬱になる作品に仕上がっていたと思う。
面白いことに、アスカのような、「自分大好き」「偉大なり私」って人間は、他人に一切共感しないサイコパスなのだ。あなたの周囲や、有名人にも、よくいると思う。
ただ、アスカの場合は、根深い「自己嫌悪」を覆い隠していただけの「擬似サイコパス」のような気もする。
要するに、「自分なんか死んでもいい」と思っている子供でないと、ヱヴァンゲリオンのパイロットにはなれないのだろう。

私は、「自分なんか死んでもいい」とは思ってはいないが、世界から自分がいなくなっても、別に問題ないと言うか、その方が良い世界になるとは確かに思っているから、なるほど、こう冷静に、客観的に考えると、私も自己嫌悪であって、自己愛とは程遠いのだろう。
自己嫌悪の極みと言える歌は、鏡音リンちゃんの『炉心融解』だろう。

僕のいない朝は
今よりずっと 素晴らしくて
全ての歯車が噛み合った
きっと そんな世界だ
~『炉心融解』(作詞:kuma、作・編曲:iroha、歌:鏡音リン)より~

いやあ、ここまで自分を嫌っちゃいけないが、分かる気がする・・・つまり、共感する。
ところで、今の中高生の多くは、自分にしか関心がないが、そんな大人も増えていて、世の中、相当気持ち悪くなっている。
そのような自分へのこだわりは、決して愛ではない。

そして、シンジもレイもアスカも、それに、自分にしか興味がない人達も、誰も信頼していない。
誰も信頼していないし、自分も信頼していない。
だから・・・
『BEATLESS』で、レイシアがアラトに、「あなたは私を信じますか」と言った時、私は光を感じたのだが、多分、多くの自己嫌悪の人達もそうだったのだ。
アラトは、疑いを持ちながらレイシアを信じた。
ただ、レイシアがきれいな女の子だという理由だけで。
ただし、「徹底的にきれいな女の子」だったからだ。
五感ってのは幻想で、欺くことはある。
私はよく覚えているが、小学5年生の、ある日ある時まで、大好きで可愛いと思っていた女の子が、瞬間、可愛いと思わなくなったことがある。
ああ、本当に感覚というのは嘘つきだと実感した。
だから、アラトと一体化し、レイシアを信じることで、信頼という、この世の宝を得ようと思うのだ。

いや、何でもいい。
何かを信じられたら、自分を信じられるだろう。
容易い道ではないが、なんとも価値ある道である。
アインシュタインは神を信頼していたが、「サイコロを振る神」を信頼出来なかった。
「神は老獪だが、悪意はない」
神の意図は人間には絶対に分からないので、サイコロを振るように見えることもある。
それは、神どころか、偉大なリーダーは皆そうである。
サイコロを振るように見えても、信頼出来る何かを見つけることだ。









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