アメリカの代表的な賢者である哲学者のラルフ・ウォルドー・エマーソンのエッセイの中でも、『自己信頼(Self-Reliance)』は特によく知られていて、短いながら、単独の本にして出版されていることも多い。
エマーソンのエッセイはどれも素晴らしいと思うが、この『自己信頼』もそうで、人が生きるための重要な指針が書かれている。
人が生きるための重要な指針と言えば、私はエマーソンと同時代の作家で医師のサミュエル・スマイルズの『自助論(Self-Help)』との比較を考える。
『自己信頼(Self-Reliance)』と『自助論(Self-Help)』は、タイトルは冗談のように似ているが、内容は全く違う。
そして、一般的には『自助論』の方が圧倒的に受け入れ易く、実際、日本でも『自己信頼』よりはるかに普及している。
『自助論』は、努力、正しくあること、理性的で前向きであることの素晴らしさを訴えるが、その訴え方が力強くすがすがしいので、歪んだ人間でない限り間違いなく好感を感じる。
一方、『自己信頼』は、ただ無謀なまでに自分を信じることを説くだけで、努力も説かなければ、一般的な意味で正しくあることなどどうでも良い。「私が正しいと言えばそれが正しい」とでも言わんばかりで、実際、自分が悪魔の子なら悪魔になりきると言う。つまり、大切なことは自分の天性であるということで、それを信じれば良いのである。
当然、『自己信頼』は誤解され易い。
『自己信頼』も『自助論』も両方正しいが、『自助論』が世間の教えであるのに対し、『自己信頼』は高次の教えで、『自助論』が誰でも理解出来るのに対し、『自己信頼』は、洗脳され魂が曇っていれば、分からないばかりか反発を感じるかもしれない。
私が思う『自己信頼』の1つのハイライトは、親に生活を依存する子供が一番立派であるという、おそらく『自助論』の・・・と言いうより、世間一般の思想と真逆を言っていることだ。
私は、『自己信頼』のこの主張は全く正しいと思う。
今は、YouTubeなどの動画で、昭和30年代~昭和50年代あたりの日本の様子を見ることが出来るが、それを見ると、この高度経済成長期の日本の明るさ、活力を感じるのである。
完全に良い時代だったかどうかは分からないが(当然、闇の部分もある)、平和で希望があり、今と比べ、人々は思いやりがあった。
なぜか?
経済的な不安が少ないからであると思う。
ここを見て、『自己信頼』の経済的な不安のない子供のことが分かる気がするのである。
もちろん、当時(昭和30~50年代)でも貧しい人はいたが、世の中全体では、今よりずっと豊かな雰囲気があったと思う。
たとえば、当時の花形産業であった鉄鋼の会社では、戦後10年にもならない頃に、労働者の福利厚生を充実させていた。
当時は、行政もまともなところがあり、公団住宅をガンガン作って一般の人々の大きな悩みである住居問題を改善していたが、大手企業では、社員のために大規模な社宅を建設した。当時としては非常に立派な造りで、快適だった。そんなものを、社員である限りは工場労働者などにも格安で利用させ、住居の問題で苦しむことがなくなった。
他のことも合わせ、社員は、真面目に働く限り、何の不安もなく生活出来、その労働状況も配慮がなされていた(ブラックでなかった)。
そんな中では、人々は明るく親切であった。
私も、そんな時代に現役生活を送っていた人を何人か知っているが、本当に皆、立派で親切な人達であると感じる。
アメリカの大手自動車会社の1つであるフォードの創業者ヘンリー・フォードも、当時のアメリカの常識を覆すほど、工場労働者を大事にし、工場労働者でもフォードの車を買えるよう(当時、自動車は金持ちのためのもので、労働者が買うことは想像も出来なかった)、自動車自体も安価にしたが、労働者の給料も上げた。
そうすると、やはり仕事場も活気があり、人に親切になり、モラルも高まるのである。
AIアート484
「月の庭園」
Kay
ベーシックインカムという、国民全員に生活が出来るお金を配るという制度に賛否はあるが、上記のことを考えると、良い結果を生む部分が多いと思う。
ただ、上の社員を保護する企業には、利益だけでなく善意の部分も確実にあったが、ベーシックインカムでは政府に国民を思う気持ちがなければ、それほどの成果は得られず、悪い部分も多くなる。
つまり、金は与えるが、その分、思想を統制したりの不当な支配を強めれば、ますます国は悲惨な方向にいく。
だが、もう親や国に頼る時代ではなく、まさに、『自己信頼』にあるように自分を頼る時代だ。
今回は触れないが、そのためには深呼吸を忘れないことだ。
そして、深呼吸を忘れなければそれで良い。
エマーソンがそこに触れていないことはやや残念ではある。
エマーソンのエッセイはどれも素晴らしいと思うが、この『自己信頼』もそうで、人が生きるための重要な指針が書かれている。
人が生きるための重要な指針と言えば、私はエマーソンと同時代の作家で医師のサミュエル・スマイルズの『自助論(Self-Help)』との比較を考える。
『自己信頼(Self-Reliance)』と『自助論(Self-Help)』は、タイトルは冗談のように似ているが、内容は全く違う。
そして、一般的には『自助論』の方が圧倒的に受け入れ易く、実際、日本でも『自己信頼』よりはるかに普及している。
『自助論』は、努力、正しくあること、理性的で前向きであることの素晴らしさを訴えるが、その訴え方が力強くすがすがしいので、歪んだ人間でない限り間違いなく好感を感じる。
一方、『自己信頼』は、ただ無謀なまでに自分を信じることを説くだけで、努力も説かなければ、一般的な意味で正しくあることなどどうでも良い。「私が正しいと言えばそれが正しい」とでも言わんばかりで、実際、自分が悪魔の子なら悪魔になりきると言う。つまり、大切なことは自分の天性であるということで、それを信じれば良いのである。
当然、『自己信頼』は誤解され易い。
『自己信頼』も『自助論』も両方正しいが、『自助論』が世間の教えであるのに対し、『自己信頼』は高次の教えで、『自助論』が誰でも理解出来るのに対し、『自己信頼』は、洗脳され魂が曇っていれば、分からないばかりか反発を感じるかもしれない。
私が思う『自己信頼』の1つのハイライトは、親に生活を依存する子供が一番立派であるという、おそらく『自助論』の・・・と言いうより、世間一般の思想と真逆を言っていることだ。
私は、『自己信頼』のこの主張は全く正しいと思う。
今は、YouTubeなどの動画で、昭和30年代~昭和50年代あたりの日本の様子を見ることが出来るが、それを見ると、この高度経済成長期の日本の明るさ、活力を感じるのである。
完全に良い時代だったかどうかは分からないが(当然、闇の部分もある)、平和で希望があり、今と比べ、人々は思いやりがあった。
なぜか?
経済的な不安が少ないからであると思う。
ここを見て、『自己信頼』の経済的な不安のない子供のことが分かる気がするのである。
もちろん、当時(昭和30~50年代)でも貧しい人はいたが、世の中全体では、今よりずっと豊かな雰囲気があったと思う。
たとえば、当時の花形産業であった鉄鋼の会社では、戦後10年にもならない頃に、労働者の福利厚生を充実させていた。
当時は、行政もまともなところがあり、公団住宅をガンガン作って一般の人々の大きな悩みである住居問題を改善していたが、大手企業では、社員のために大規模な社宅を建設した。当時としては非常に立派な造りで、快適だった。そんなものを、社員である限りは工場労働者などにも格安で利用させ、住居の問題で苦しむことがなくなった。
他のことも合わせ、社員は、真面目に働く限り、何の不安もなく生活出来、その労働状況も配慮がなされていた(ブラックでなかった)。
そんな中では、人々は明るく親切であった。
私も、そんな時代に現役生活を送っていた人を何人か知っているが、本当に皆、立派で親切な人達であると感じる。
アメリカの大手自動車会社の1つであるフォードの創業者ヘンリー・フォードも、当時のアメリカの常識を覆すほど、工場労働者を大事にし、工場労働者でもフォードの車を買えるよう(当時、自動車は金持ちのためのもので、労働者が買うことは想像も出来なかった)、自動車自体も安価にしたが、労働者の給料も上げた。
そうすると、やはり仕事場も活気があり、人に親切になり、モラルも高まるのである。
AIアート484
「月の庭園」
Kay
ベーシックインカムという、国民全員に生活が出来るお金を配るという制度に賛否はあるが、上記のことを考えると、良い結果を生む部分が多いと思う。
ただ、上の社員を保護する企業には、利益だけでなく善意の部分も確実にあったが、ベーシックインカムでは政府に国民を思う気持ちがなければ、それほどの成果は得られず、悪い部分も多くなる。
つまり、金は与えるが、その分、思想を統制したりの不当な支配を強めれば、ますます国は悲惨な方向にいく。
だが、もう親や国に頼る時代ではなく、まさに、『自己信頼』にあるように自分を頼る時代だ。
今回は触れないが、そのためには深呼吸を忘れないことだ。
そして、深呼吸を忘れなければそれで良い。
エマーソンがそこに触れていないことはやや残念ではある。