ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

腕立伏せ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

本当は簡単だが難しい健康と幸運の秘訣

日本は、食べ物の半分以上を廃棄している国であるらしい。
また、アメリカに比べればマシなのかもしれないが、普通の日本人も過剰に食べているのは間違いなく、通勤電車の中でも、人々の「肉付きの良さ」に私は恐怖を感じるほどだ。
私は常に言うが、極端な少食は決して推奨しない。しかし、おそらく、普通の人で、食事の量は現在の半分程度が適量だし、少なくとも3割は減らした方が健康に良い。
そして、日本が、現在、廃棄している食物や、食事の量を適正に近付けることで余るはずの食物を、地球上の足りない場所に回すことができれば、数千万人以上の餓死者を救えるに違いない。

食の楽しみは大きなものであり、大切でもある。
そして、私ほど、食を楽しんでいる者は、ほとんどいないと思う。
朝、ナッツとビスケットを小皿に乗る程度食べ、昼食と間食は無く、夜はコンビニのおにぎり1つと野菜ジュース1パック。風呂上りには、トマトとミカンをそれぞれ1~2個食べる。
この程度の食事にしておくと、そのどれもが極めて美味しい。
そして、週に一度、300円ほどのお弁当を夕食に食べるが、これが、あまりに美味しいので、生きがいと思えるほどの楽しみになる。
また、月に一度は、人に付き合ってもらって、そこそこに良いものを食べに行く。
なんとも贅沢な食事をしていると思うし、本当に私は恵まれているのだと実感する。
もちろん、私は、完全と言えるほど健康で、毎年の健康診断でもオールAの完璧な結果しかでない。
風邪は、1年に一度ひくかどうかで、腹痛を起こしたことは何年も無い。
痛いとか、調子が悪いような身体の部分も1つもない。
ただ、仕事柄、目を過剰に使うので、その影響による頭痛や首の凝りは多少悩みの種だが、それ以外にはどこも悪いところはなく、実を言うと、不健康というものの観念がよく分からなくなってきている。

私は、朝晩の運動は欠かさないが、続けるのに根性を要するような無理はしない。
腕立伏せは、完全な形でやるが、一度には15回しかしない。ただし、本当に完全な形であり、腕を曲げる時は床に胸が触れるほどまで曲げ、身体をまっすぐに保ったまま腕を伸ばすのでかなりの負荷があり、このやり方なら、百回以上できるという者でも10回も出来ないと思う。私も、形を気にしなければ200回以上は軽くできる。
スクワットも、完全な形で、一度に、朝は50回で、夜は70回。かかとをつけたまま、膝と床が平行に近くなるまで曲げるハーフスクワットであるが、曲げる時はゆっくりで、一回一回をとにかく丁寧にやる。
以前も書いたが、腹筋運動は腰を痛めることが分かったのでやらなくなった。それで、腰が完全に良くなった。
だが、今は、ほとんど首を起こすだけの腹筋運動をしている。仰向けに寝て、手を頭の後ろに組み、首だけを起こせば、腹筋は硬く引き締まる。つまり、それだけでちゃんと効果がある。ただ、これも、一回一回、丁寧に美しく、完璧な形でやることが肝心だ。
朝、腕立伏せ15回、スクワット50回、腹筋50回、ぐーぱー運動(手を握って開く)を30回、腕振り運動を300回。
夜、腕立伏せ15回を、腕を開く間隔を変えて2セット、スクワット70回、腹筋運動を、膝を曲げてかかとを床に付けた形と、膝を垂直に立てた形のそれぞれで50回、ぐーぱー運動30回、腕振り運動300回。
これは、1年365日、1日も欠かさない。

上に述べた腹筋運動は実に楽なので、少々、お腹がだぶつき気味の者に教えてやったら、やはり楽にやれるので、その人は喜んでやるようになった。
しかし、数日経って聞いてみたら、200回以上やっていると言い、また、しばらくしてから聞いたら、「ひねりも加えている」という。
これは下手なやり方で、すぐに止めてしまうのは目に見えている。
この人は、すぐに成果を出したいのと、いわゆるキク・・・つまり、しんどさが無いと運動と思わない、一般的なタイプなのだ。
成果なんて、出ても1年後で良く、とにかく、1日も欠かさず、毎日、淡々と続けるのが大切なのである。
あるテレビ番組で、70歳も過ぎた普通のお婆さんが、50kg以上もあるバーベルを使ってスクワットをやっていたが、馬鹿なことをやるものである。
見栄のためにやっているようなもので、既に身体が壊れているはずだし、不自然なので、精神の抑圧もあり、普段、イライラすることも多いだろう。
これなら、腕振り運動だけを毎日500回やった方がずっと健康になれるだろう。
私も、ある70歳を過ぎた人に腕振り運動を教えてあげたが、その人は、身体の調子がよくなると、テレビの通販番組で見た運動器具を買ったり、長時間のウォーキングをやったりと、どうしても、根性を発揮していると感じるものをやりたがり、今ではどれも中途半端で、慢性的に身体の調子が悪いようだ。
そもそも、自動車をなるべく使わず、なるべく歩くことが最も大切なことである。
必要がなければ自動車を所有しなければ、それだけで健康になれるだろう。
私は事情があって仕方なく自動車を所有しているが、年に1000kmも乗らない。

何事も、無理をせず、1年365日、よほどのことがない限り、1日も欠かさず続ければ、3年もして、何も期待しなくなった頃に素晴らしいことが起こらないとも限らない。
何事も、「絶対に不可能とは限らない」と考えることが幸運の秘訣である。
「石原さとみさんのような素晴らしい彼女ができるというのも、絶対に無理とは限らない」と思えば、忘れた頃には、叶うのが当たり前である。
こんな簡単なことを知らないのは気の毒なことと思うことがある。









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腹筋運動は一生しないと決めた

1週間ほど前、ひどい腰痛になり、うつむくこともできないほどだった。
別に腰に負担がかかるようなことはしていないはずなのにと思っていたが、横向けで寝る時に変なねじり方でもしたのかなあと思った。
しかし、最近の習い性で、気にせず、あまり考えないようにしていたら、朝晩欠かさずやっている肉体鍛錬の中の腹筋運動をやめようという気になった。
そして、実際にやめたら、何もしなくても、2日で完全に治った。

私は、高校2年生の時、やはりひどく腰を痛めたことがあった。
よく憶えているのだが、学校からの帰り、家まで後数百メートルの道を歩いていたら、不意に腰に痛みが走った。
それから、腰が痛くて、膝と肘を付けることもできないほどだった。
その頃、毎日熱心に腹筋運動をしていたのだ。
かなり負荷のかかる方法で、百回を3セットはやっていたと思う。
間違いなく、それが腰を痛めた原因だった。
腹筋運動の後、ストレッチやマッサージでほぐしてやれば良いのだが、そんなこと誰も教えてくれなかったので、腹筋はずっと緊張したままで放っておかれたのが腰痛の原因だったのだ。
腰の痛みはひどかったが、若かったので、腹筋運動を止めなかった。
それから数年に渡り、苦しんだ。
病院には行ったが、レントゲンを撮った医師は、「軟骨が出てる」とか言うだけだった。いい加減なものである。

数年前、毎日、数百回の腹筋運動をしていたが、その時も、やはりひどい腰痛になったのだが、それでも、腹筋運動が原因だと気付かなかった。
幸い、その時は、仕事が激務で、腹筋運動をする暇がなくなったから治ったのだ。

最近は、私は、腹筋運動は、一度に15回しかしない。よって、朝晩で30回だ。
ヨーロッパで活躍するプロサッカー選手が20回しかしないが、毎日やれば良いとテレビで言っていたので、それに倣ったが、20回では最後に姿勢が乱れるので15回にしたのだった。
しかし、回数は少なくても、高い負荷がかかるようなやり方はあるものだ。
私には、「効く」運動を有り難がる古い気質があることを認めざるをえない。
だが、ようやく、腹筋運動は腰を痛めることが分かった。
確かに、上に書いたように、腹筋運動の後、丁寧にマッサージしたり、ストレッチ運動で筋肉を緩めれば良いのかもしれないが、おそらく、腹筋運動というのは、少なくとも、普通の人には不要な運動なのだと思う。
私は、腕立伏せは、神が人間に教えた素晴らしい運動だと感じ、愛好している。
また、体重だけでやる、ヒンズースクワットも同様だ。
ただし、両方とも、きちんとした形でゆっくりやることが必要だ。
以前、テレビで見たが、高校生の運動部員が腕立伏せをやっていたが、苦しそうに身体をよじるようにしてやっていた。
あんなやり方は決してしてはならないと思う。きっと、回数が多過ぎるのだ。
きちんとした姿勢でできる範囲でやるべきであり、あんなにデタラメな乱れた姿勢でやれば、やはり身体を痛めることになるだろう。
そんなやり方はせずに、回数を減らし、その分、必ず美しい姿勢でやらないといけない。
どうも、腕立伏せもスクワットも、我々は回数や負荷の大きさを自慢したがる。
だが、そんな馬鹿な見栄は捨て、余計な負荷をかけず、ゆっくりと、完璧な形でやれる範囲で行うことが一番大切であると思う。
腕立伏せは、自分では分かり難いが、身体が真っ直ぐではなく、反っていることが多いはずだ。身体を真っ直ぐに保つには、腹筋に力を入れる必要がある。
ある一流のプロレスラーが、「腹筋をやるくらいなら、腕立をやれ」と言っているらしいが、それが正しいことがやっと分かったのである。
腕立伏せをやれば、十分に腹筋も鍛えられる。
また、腹筋、背筋を鍛えるのに最も大切なことは、普段の姿勢だ。そして、よく歩くことだ。
昔の日本人は、何かに寄りかかることなく正座をしていたのと、よく歩いていたから、運動などしなくても身体が強かったのである。
立っている時は、身体を真っ直ぐにし、座っていても、電車の中でほとんどの人がやっているように、だらしなく腰を前に出し、背中を丸めて座るのではなく、なるべく背もたれに、身体を預けずに、身体を立てて座るのだ。私は、座っている時、背もたれに背中が付いていることは無いが、全く楽なのである。

以上、参考になればと思う。









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人生を本当に豊かにする方法

人生を豊かにする方法についてお話したい。
お金があっても、豊かな人生を築けない。お金はあまり必要ではない。

現代の多くの人が、昼食に大盛りのカレーライスを、とんでもない勢いでかき込んでいる。
これでは、豊かな人間にはなれない。
本当に空腹な時に、少な目に感じる量を、ゆっくりと味わって食べるのだ。そうすると、食べ物の本当の美味しさが分かり、それがあなたを豊かにするのである。
我々は、小学校で、給食を早く食べるように急き立てられてきた。まるで、早く食べることが立派で、特技や芸ででもあるように言われることすらあったし、逆に、食べるのが遅い者は、さんざん辱められたのである。
しかも、給食は、少なくとも半分の生徒にとっては多過ぎる量だ。
給食の量を、いっそ、半分から三分の一にして、時間をかけてゆっく食べさせるのだ。それで、子供達の心がどれほど豊かになることだろう。

食事だけではない。我々は、ゆっくり丁寧にやることの価値を忘れさせられてしまっている。
何でも早くやることに価値があるように言われ、スピードがあることを誉めそやされ、逆に、遅いと見下される。
だが、実際は、丁寧に正確にやることをしっかり身に付ければ、いつか、精神が加速するようになり、奇跡のような速さでできるようにもなる。しかし、別にそうならなくても良い。大切なことは、心の豊かさだ。

腕立伏せも、でたらめに何十回、何百回やっても駄目で、それではかえって身体をいためたり、神経や筋肉に悪いクセが付いてしまうだろう。
1回1回を、丁寧に、正確に、最も美しい姿勢で、もったいぶるようにやれば、10回でも素晴らしい効果がある。そして、充実感もあり、毎日やる意欲も出てくる。
私も、一昨年までは、腕立伏せを連続で、はあはあ言いながら200回以上毎日やり、右肩を痛めてしまったし、他の部分も歪みが出て、腰などもかなり痛め、気力は無くなっていった。
しかし、あるヨーロッパで活躍するプロサッカー選手が、腹筋運動が好きなのだが、回数は20回だと言うのを聞いた。彼は、毎日やることが大切だと言っていたのだ。
それで、私も、腕立伏せや腹筋運動を、1回1回をしっかり味わうように15回ずつやるようにし、一番好きなヒンズースクワットも、300回から200回、そして、100回と回数を減らしていった。ご存知の方も多いと思うが、トレーニングの量を減らすのは勇気もいるものである。そして、スクワットは、最も良い状態でやれる回数は50回と判断し、夜50回、朝30回を日課にしている。
腕立伏せと腹筋運動は、朝も夜も15回ずつだが、私のやるような形で15回できる者は少ないと思う。
無論、私も、精一杯が15回ではなく、その気になれば、このやり方でも50回くらいはできるが、回数よりも質を高めることを大切にしている。

本を読む時も、乱暴に読み飛ばすのではなく、本当に素晴らしい本を、1文字1文字を愛しむように、丁寧に正確に読むのだ。すると、その作品の本当の良さが分かり、魂を豊かにしてくれるだろう。
猫や女の子を撫でる時だって、ゆっくり丁寧にやれば、可愛がる方も、可愛がられる方も魂からの楽しさや嬉しさを感じるのである。

念仏を唱える時も、回数はいいから、一回一回をゆっくり、丁寧に唱えるのだ。
ある夕暮れのことだ。私はうたた寝していたところを目覚めたのだが、西の窓には夕焼けの赤い色が広がっていた。
そして、丁度、初音ミクが、『イーハトーヴ交響曲』の第5楽章『銀河鉄道の夜』で、「ケンタウルスよ、露を降らせ」と歌った時のような、澄んだ美しい声の、「なあむあみ、だあぶうつ」という念仏が心に響いた。とてもゆっくりとした、敬虔さと愛しみに満ちた、天使のような声だった。









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「じっくり味わってやる」が万能の魔法だ

「内容はどうでもいいから、さっさとやれ」と躾けられた子供に将来はない。可哀想だが、一生駄目である。
現代の母親の実に多くが、子供のやることを落ち着いて見守ったり、何かをじっくり教えるのが面倒で、「もう!なんてグズなの!こうやればいいのよ!」と自分でやってしまったりする。
子供のこんな扱い方ほど、子供を速やかに役立たずにしてしまう方法はない。全く、今の母親は、子供を潰してしまう達人だ。

さて、不幸にもそんな母親に育てられたとしても心配ない。
何事も「じっくり味わってやる」ことに慣れていけば、それだけであなたの能力は百倍化する。
スピードが必要なこともあるかもしれないが、それは決して、せかせかすることじゃあないんだ。
心を静かにし、落ち着けば、自然に速くなる。なぜなら、無心に近付けば、心は無限に加速するので、取り立てて速くやろうとしなくても、勝手に速くなるからだ。

私は、ある世界屈指の格闘選手がジョギングするのを見て、実に感動したことがある。
全く速く走らない。いや、ひどくゆっくりである。
しかし、一歩一歩大地を踏みしめ、その感触をじっくり味わうように、本当に丁寧に走っているのだ。
これが世界一のトレーニングであると思ったものだ。
そして彼は、試合では、得意技のスピードとタイミングで世界一だったのだ。

私が以前やっていた腕立伏せのやり方は間違っていた。
百回も二百回もやろうと、せかせかと、1回1回を味わうことをせずにやっていたからだ。
これでは、強くなるよりは、身体を歪めたり、故障を起こさせることの方が多く、実際、右肩を痛めて、続けられなくなった。
そこで、たとえ10回でも良いから、じっくり味わいながら、美しい形と動きでやるようにしたら、たちまち身体が強くなり、内臓の調子も良くなったのである。

大食する人間というのは、以前の私がそうだったのだが、1つ1つの食べ物をじっくり味わうことをせず、口の中にまだ残っているうちに、次の食べ物をその口に入れるようなことをしているものである。
よく噛むかどうかなど意識しなくても良いから、とにかく、1つの少しの食べ物を、本当にじっくり味わいながら食べるのだ。
そうすれば、無理に数多く噛もうとしなくても、自然に十分に噛むようになる。よく噛むことは大切だが、過ぎて噛む必要もなく、そんなに噛む必要もないのに「百回噛め」などと考えるのは馬鹿なことだ。
じっくり味わってゆっくり食べると、その食べ物の本当の味が分かる。
そして、必要なだけ食べたら満足するのだ。そうしたら、特にダイエットなどしなくても自然に痩せるのである。
しかし、じっくり味わうことをせず、次々に口に放り込んで、慌てて飲み込むような食べ方だと、いくら食べても満足せず、過剰に食べて肥満するのである。

腕振り運動は、この極めて大切な「じっくり味わいながらやる」訓練として最適なものだ。
せっかく腕振り運動をしても、早く回数をこなそうとせかせかやるようなやり方だと効果は少ない。
1回1回、じっくり味わうように腕を振れば、体内の気は活性化し、結果、若返って健康になる。そして、そんな腕振り運動は、やっていても非常に気持ちが良くて楽しく、いつまでもやってしまうものである。
「3百回しかできません」とか言うなら、じっくり味わいながらやらずに、せかせかやっているのだ。
腕振り運動は筋力トレーニングじゃない。体内の気を活性化させる秘法であり、うまくやれるようになれば、何百、何千回でも楽しく続けられるのである。また、そこまでになれば、身体も心も若返り、病気は回復し、心が落ち着いて不安がなくなり、結果、望まずとも、あらゆる状況が好転する。
じっくり味わってやる・・・これこそが、万能の、そして、最高の魔法なのである。

尚、腕振り運動自体については、当ブログ内の下記のリンクを参考にしていただきたい。
エンティティー(生命体、本質、実体)の脅威の力
決して、自分の意志で生きてはならない
腕振り運動は天と調和するための簡単で優れた方法である









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世間の固定観念という毒を改めて認識する

私とて、ゴルフやスポーツジムでのトレーニングは立派な運動だと思っている・・という、この言い方に違和感を覚えるなら、全くの世間的な人間だろう。
そんな世間の者は、「何言ってるんだ?ゴルフや、スポーツジムで運動することがちゃんとしたスポーツだろう?」と言いたいのだろう。
40代とか50代の人と話していて、運動や自分でやるスポーツの話になると、彼らは、「よし、俺のゴルフの話をする時が来たな」といった様子になる。しかし、私はゴルフのことはさっぱり分からないし、興味もない。そもそも、私はゴルフをやったことがない。打ちっぱなし(野球でいうバッティングセンターのようなもの)は面白がってやっていたが2日やったら、それ以上やろうとは思わなかった。
しかし、世間では、大人の男のスポーツとは、まずゴルフであり、自動車のトランクにゴルフバッグを積んでいてこそ、立派な社会人というものらしい。
また、世間一般では、「スポーツをやる」と言いだした場合、スポーツジムの会員になって、器具を使ってトレーニングしたり、水泳をしたりするのが常識と言いたいような雰囲気がある。
しかし、私が最上の運動と考えているのは、腕立伏せとヒンズースクワット(体重だけの負荷で行うスクワット)であり、それに腹筋運動を加えても、畳一枚のスペース以外、何もいらない。お金も一円もかからない。面白いし、毎日、簡単にできることが運動には最も大切なことだと思っている。
しかし、世間の人は、このようなものはスポーツだと思いたくないらしい。こんなことは楽しくないという観念も持っているのだろう。
私が次点の運動と考えるウォーキングならまだ認める人がいるが、害もあると思えるジョッギングの方が人気がある。私は、ウォーキングもやらない。歩く場所がないからだ。いや、家の近所にある大きな池の周りが、ウォーキングに素晴らしい場所なのだが、大勢の人がウォーキングをしているので近付かない。しかし、世間の人は、大勢が集まる場所が好きで、ますますそこに行くのだ。私がなぜ、そんな場所が嫌かというと、別に話しかけてくるわけでもないが、やたらくっついて来られるからだ。私は人がいたら、邪魔にならないよう離れるのだが、大抵の人は必ずくっついて来る。それも、こちらに興味があるというよりは、自分の存在を意識させたいところは、別にウォーキングの時に限らない世間の人間の特徴だ。連中は、会社の中などでは、大声で自慢話をしたり、個人的な主義を押し付け、自己の存在をアピールせずにいられない。また、電車の中ではやたらごそごそ動き、物音を立てて哀れな自己主張をするのだが、ウォーキングなどでは、独り言を言ったり、荒い息をしながら近付いて来る。まあ、最近は、そんなものを気にせず、やり過ごす修行には良い場所かもしれないとは思っているのだけれどね。
ああ、それと、ウォーキングなら、毎日、通勤で駅まで片道2km程度は歩いているし、普段もなるべく自動車を使わずに歩いているので、特別にウォーキングをやる必要もない。だが、世間の人はどこに行くにも(ゴミを出す時ですら!)自動車を使いながら、ウォーキングやジョギングをするのだから滑稽である。

スポーツの話が長くなったが、遊びも同じようなものだ。
健全で恥ずかしくない社会人の遊びは、奥さんや子供を連れて、巨大レジャーランドに行ったり、海外旅行をすることだという偏見に凝り固まった人が多い。私なら、どんな意味でも無駄としか思えないそんなことをやる気は全くない。まあ、仕事や遊びの海外旅行もしたことはあるが、何か有益なことがあるかというと、全く無いとは言わないが、さほどでない。かける時間に比べれば、損失の方が大きいと思う。あのエマーソンすら、旅行に何の意味もないと断言している。確かに、アンデルセンは生涯、旅を続けたが、彼の場合は、そうでなければ、世間に煩わされるからだろう。それに、アンデルセンは、日本で言えば江戸時代末期から明治初期の人で、ヨーロッパでは日本と比較にならないくらい、鉄道や客船、それにホテル等が発達していたとはいえ、旅行が不便な時代には違いないので、堕落せずに精神をしゃんとさせておくには旅は素晴らしいものだったろう。彼は決して金持ちではなかったので、さらにそうだった。しかし、今の旅は、海外も含め極めて安楽で、そのために平和ボケし過ぎた心構えで旅をするので、自分で緊急事態を回避することが全くできずに悲惨なことになるのだ。
私は、遊びといえば、本を読んだり、音楽を聴いたり、初音ミクの映像を見れば、その外は何も必要ない。また、特に、最近は、遊びというのではないのかもしれないが、神の名を自分に言うことが何より楽しいのだが、これは世間の人の理解することではない。しかし、私には最高の遊びでもある。
腕振り運動も、運動と遊びを兼ねた、最も楽しい上にあらゆる良いものをもたらすのだが、世間の興味を惹くことはない。

食事の話をしよう。
私が、肉や魚を全く食べないことを聞いて驚く人には大分慣れた・・・というより、仕方がないと諦めているが、では野菜ということになると、世間の人は、食べる野菜はサラダだという強い固定観念を持っていることが多い。いや、そもそも、青野菜を食べないといけないという、偏見とも言える強い思い込みがあるようだ。
私の食事はナッツだというと、ある人間的にも立派な人が、「ナッツを食事に?おやつとかつまみじゃなく、食事に?本当ですか?」と、いかにも奇異そうに何度も聞き返してくるのにはうんざりした。私は、相手が、焼き魚とご飯とサラダを食べていると言ってもすんなりと受け入れるのにねえ。
私は野菜も特に意識しては食べない。貰えば食べるが(農家の人がよくくれる)、野菜をずっと食べなくても全く平気だ。
私は、アーモンド、くるみ、松の実、シナモン、それに、シンプルな(クリームやチョコレートが付いていない)ビスケットを食べるだけだ。
りんごやオレンジはあれば食べるが、別に必須ではない。その他の果物は、避ける訳ではないが、求めてまでは食べない。
こんな食事では栄養が偏って身体に悪いと思う世間の人がよくいるかもしれないが、毎年の健康診断では完璧に健康な結果しか出ない。
BMIは20未満だが、それほど痩せている訳でもない。むしろ、筋肉質だし、180cmでウエストが70cmもない身体は、世間でいいう腰痛みたいなものにも全く縁がないことに最近気が付いた。私も、世間並に食べていた頃は腰痛に苦しんでいたのだ。

最後に酒の話もしておこう。
ウォッカはともかく、ジンをストレートで飲むと言うと、思わず顔をしかめた世間の常識人がいた。
彼は、ジンは、カクテルの材料だという固定観念が強過ぎ、すっかり偏見になっているのだ。
私は、マティーニ(ジンとベルモットを材料とするカクテル)も好きだが、ジンのストレートも良いと思う。
元々、オランダではジンはもっぱらストレートで飲まれていた。確かに、安価だったので、貧しい庶民が飲んでいたのだが、味は良いので、貴族にも愛飲する者は少なくなかった。ただ、ジンは、貴族が飲むには品格に欠けると思われていたので、貴族達は隠れて飲んでいたという話がある。馬鹿な話である。
私は、ウォッカ、ラム、カナディアンクラブ、ティオ・ペペ(ドライ・シェリーの一種)、コニャック(ブランデーの一種)等も飲む。
ただし、せいぜいが30mlで、世間では、それを飲酒と言わず、世間の人が思い込んでいる「酒を飲む」とは、何杯もお代わりしてガブガブとカバのように飲むことなのだ。しかし私は、そんな無駄で品格のない飲み方をしたくはない。

人間の真の偉大な力である生命力の発揮を妨げる大きな原因が偏見・・・固定観念である。
偏見の多い世間の人が無理矢理に何かを成し遂げようとすると、争いが起こり、悲惨を招かずにはおかない。
低い能力で強引にことをなそうとすると、そうならざるを得ない。
また、固定観念は、身体の能力の健全な発揮も阻害するので、身体の調子が悪く、だるかったり、腰が痛かったり、すぐに風邪をひいたりすることも多い。また、大食・美食が流行っていることもあり、肥満がひどく多いが、これらが重なることで、取り返しの付かないような病気になったりする。
私のような生き方が奇異に思えるなら、それは世間的な固定観念が強いせいだが、この私にしたって、まだまだ、心に蓄積されたガラクタを捨てようと思っているのである。









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